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January 19, 2007
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 僕ははっとして振り返った。
 自室でパソコンを打つ僕の後ろに、近所で時折散歩しているのを見かけるおじいちゃんが立っていた。
 その瞬間、おじいちゃんは不思議な力を持っていて、それでいきなり現れたんだー!おじいちゃんは実は仙人様だったのだー!何もかもお見通しの千里眼を持っているけれども、ごく普通のとぼけたおじいちゃんを装っていたのかー!そうだったのかー!なんて微塵も考えることなく、僕は、僕のちょこっと頑固なプライドをぽかっと殴ってきたその言葉に反応して、声を出していた。
「なんですか。邪念なんてあるわけないじゃないですか。なにをいきなり」
 すると、灰色にオレンジのラインが2・3本入ったジャージ上下を着たおじいちゃんは、不敵な笑みを浮かべて僕の左の耳の穴から、するすると細長い邪念の帯を引っ張り出し始めた。
「んあああ、なにするんですか!」
 僕は慌てておじいちゃんの動きを制しようとしたが、おじいちゃんは僕の肘鉄をひらりとかわして、ベッドの上でバレリーナみたいに回転し始めた。みるみるうちに僕の邪念が僕の中から引っ張り出されていく。そしておじいちゃんは、出てきた僕の邪念を、いーとーまきまきして、両腕でくるくると巻き取っていく。
 邪念は、弾力性に富む神経みたいな感じで、白い色をしていた。それは、耳たぶのピアスの穴からごく稀に出てくるという、引き抜くと失明してしまうらしい神経の繊維を連想させて、僕は気持ち悪くなった。

 僕は恐くなって叫んだ。すると、そのときにはもう、おじいちゃんはいーとーまきまきをやめて、マイルドセブンをぷかぷかやっていた。それを見て僕は、人の部屋で煙草を吸うな、と思った。そんな僕の思いなどいざ知らず、おじいちゃんは煙草の灰を、僕の大事にしている観葉植物の土の上にぽんぽんと叩き落とすと、こう言った。
「この邪念はな、流れを知るために使うんじゃよ」
 その言葉を言ったときのおじいちゃんの目は、僕の家の窓ガラスを突き抜けて、ずっと遠くを見ていた。
「流れ?」
 僕は額にしわを寄せた。唐突に理解不能な言葉を臆面もなく述べる人間は、本当に何か大事なことを掴んだ人なのか、それともただの狂人なのか、僕には判断できなかった。そんな僕をよそにおじいちゃんは窓に向かうと、「青年よ、見よ!」と叫んで、アルミサッシごとガラス窓を蹴り落とした。2階の僕の部屋から落ちた窓は、家の庭だか道路だかでぐわっしゃん!という音を立ててばらばらになった。僕は、なんてことしてくれるんだ!絶対弁償してもらうからな!と思った。
 そんな僕の激しい怒りをよそに、おじいちゃんは昭和の白黒映画に出てくる俳優みたいにかっこよく窓枠によりかかって、巻き取った邪念の端を外に向けた。
「こうやっての、りりぃすしてやると、よーく分かるんじゃ」
 おじいちゃんがそう言うが早いか、邪念の端は、するすると窓枠から空中へと伸びていった。まるで水が流れるかように、とどまることなく白い帯は空へ上がっていき、その先端はどんどん我が家から離れていく。僕は、その様子が、夕日に染まり始めた街を背景にして、妙に美しくて、よどんだ空気を口から吐き出すようで、何を考えることもできず、立ち尽くし見とれていた。
 おじいちゃんの腕からは、しゅるしゅると小気味よい音を立てて、僕の邪念が解かれていく。数羽のカラスたちが、その帯に沿って飛んでいく。遠くのほうまで伸びた邪念は、まるでミシン糸のように細くて頼りなげな陰になって続いている。
 邪念のもう一方の端が、おじいちゃんの手から離れた。
「おしまい」

 気がつくと、おじいちゃんは僕の家の前の道に降りていた。僕が、うなり声のような呼び声をかけると、おじいちゃんはこう言った。
「あれはどこへ行ったかぁ知っとるかね。どこぞかははっきり分からんが、にんげんたちがいつか行き着く先じゃろうなぁ。あの流れが、わしらにんげんを運んでゆくんじゃよ」
 僕は、神妙とは程遠い、ぽかんととぼけた顔をして聞いていた。おじいちゃんは続けた。
「しかしなぁ、あの帯はぁ、悪くもなれば良くも使えるもんでなぁ。ないほうがいいと思っても、やっぱりあったほうがええもんなんじゃ。んで、取ったら消えて無くなるいうもんではないから、また機会が着たら、溜まった分を自分でりりぃすしてやることやなぁ」
 そう言ったおじいちゃんの姿は、いつも見るとおりの猫背になっていた。そして、ゴム底の靴をアスファルトに擦り付けながら、とぼとぼとした背中で去っていった。

 僕は再び、パソコンの前に座った。
 キーを打ちはじめると、ちっ、舌打ち。頭の前のほうから出てきて、肺の裏のほうに落ちて、何かがことんと溜まった気がした。これが邪念ってやつかな。
 窓の外を見る。壊れた窓からどうっと風が流れ込んできた。また、いつか溜まりすぎたら、離せばいいのさ。りりぃす、りりぃす。僕はまた、キーを打ち始めた。











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Last updated  January 19, 2007 06:48:30 PM
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