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2023年04月12日
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テーマ: ニュース(96819)
カテゴリ: ニュース
国が国旗や国歌を決めても、それを国民に強要することは憲法違反である。しかし、そういう「民主主義思想」が国民の間に理解されていない現状について、市民活動家の辛淑玉氏は月刊「マスコミ市民」2月号に、次のように書いている;




 これだけの感染者と死者を出しているコロナ禍の中、ぞろぞろ並んで賽銭を投げる姿は異様だ。それに、神社本庁の仕事なんてもう「不動産業」としか言いようがないのに、まるで伝統文化かのように神社に詣でる彼らは、自分たちが投げた賽銭がどこに行くのか考えたこともないのだろう。

 昨年はワイドショーも含めテレビ各局が統一教会問題で視聴率を稼いでいたが、どの番組も自民党の思想の根幹である日本会議には決して触れようとしない。私の目から見れば、親玉の日本会議、実働部隊の自民党、パシリの統一教会としか見えないのだが。

 そして、この3者を強固に結びつけているのは、女の下半身を管理して支配したいという、昭和オヤジ連中の黒い情熱だ。その確固たる決意は「反共」をも凌駕する。だから彼らは強い。これぞ、まさに男の友愛・フラタニティじやないか。

 そして、自分たちにひれ伏さないものに対しては「天皇」という切り札を出してお仕置きする。

 その見せしめにされたのが根津公子さんだった。

 根津さんは公立中学校の家庭科教員だった。「教員の仕事とは、教科書が隠す事柄についても生徒たちが知って考えることができるよう資料を提示すること」「事実を知ることによって、生徒は自分が住む国の全体像を理解し、政治の在り方を考え、批判的思考力が育つようになる」と言い切る彼女の授業は、食品公害や農薬汚染から女性差別に至るまで、生きるうえで欠かせない力を養うことに注がれた。

 学校教育への「日の丸・君が代」の強制は、1989年改訂の学習指導要領で「その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに国歌を斉唱するよう指導するものとする」と明記されたことからスタートした。

 国旗国家法案が国会を通過したとき、その立役者だった故・野中広務議員は「強制はしない」と断言したが、裏では「世羅高校事件」を踏み台に広島の解放同盟潰しに使われた。この法案は、初めからそのように使うために作られたのだ。

 そんな中、政治都市東京にとって目の上のたんこぶが根津公子さんだった。すでに日教組は戦線から離脱し、多くの教師や教育関係者が沈黙を選択した中、「家庭科」の女教師が正面から歯向かって、日の丸を生徒と一緒に下ろしたのだ。この快挙は、昭和オヤジたちにすれば許しがたい暴挙だったのだろう。

 そして、お仕置きが始まった。

 1994年3月、八王子市立石川中学校の卒業式で、職員会議の決定を無視して校長が掲揚した日の丸を降ろしたことで減給1ヶ月。
 1995年3月、学級通信で校長の行為を非難したのを「不適切な内容」として訓告処分。
 1999年3月、家庭科の授業で「自分の頭で考えよう」としたプリントを配布して訓告処分。
 2000年2月、多摩市立多摩中学校の家庭科の授業で「従軍慰安婦」「同性愛」問題を取り上げたことで授業への攻撃が始まり、「指導力不足教員」とされ、それが無理筋とわかると職務命令違反で減給処分。
 2003年3月、通勤に往復で4時間かかる調布市立調布中学校への嫌がらせ配転。
 2005年3月、立川市立立川第二中学校の卒業式で日の丸斉唱時に起立しなかったとして減給10%6ヶ月。
 2005年4月、入学式での君が代斉唱不起立て停職1ヶ月ボーナスなし。
 2005年7月、思想転向を迫る「再発防止研修」の際、ゼッケンを着けたことと質問をし続けたことで減給1ヶ月。
 2006年3月、卒業式での君が代斉唱時の不起立で停職3ヶ月。
 2007年3月、町田市立鶴川第二中学校の卒業式での君が代斉唱時の不起立で停職6ヶ月。
 2008年3月、都立南大沢学園養護学校の卒業式で君が代斉唱を拒否して停職6ヶ月。
 2009年3月、都立あきる野学園の卒業式での不起立で停職6ヶ月、と続く。

 もう、圧巻としか言いようがない。

 もちろん根津さん側も、これらを不服としていくつもの裁判を起こしている。

 「民主国家」を標榜しながら、自らの頭で考え意思を持つ人間を「指導力不足教員」に仕立てあげようと画策し、労働組合を黙らせ、野党をビビらせ、ターゲットを孤立させ、これだけの仕打ちをし続ける。これこそが天皇制カルトなのだ。

 2001年9月11日のニューヨーク国際貿易センター飛行機突入事件のあと、米国全土が「ホームランドセキュリティ」を掲げ、愛国心が声高に叫ばれた。そのアメリカでさえ、教育現場では教師が生徒に「星条旗よ永遠なれ(国歌)を歌いたくない人は歌わなくていい」と言ってセレモニーを始めていた。そして、実際驚くほど多くの生徒が歌っていなかった。それが民主国家というものだ。

 日本のカルト社会で、教育現場の「正常」を維持し続けたのは日教組でも教育委員会でも校長でもなく、一人の家庭科の女性教師だったのだ。

根津公子さんは、戦後日本の民主主義をその人生をかけて守り抜いたのだ。おじさんたちは彼女に足を向けて寝ちゃいかんぞ。


月刊「マスコミ市民」 2023年2月号 84ページ 「辛淑玉の山椒のひとつぶ-昭和オヤジの正しい寝方」から引用

 初詣のことから始まるこの記事を4月の日記に転載するのは季節はずれかなと思いましたが、内容を読み直して「これは自分の日記に書き写す価値のある記事だ」と思いました。根津公子氏の職場における「戦い」の実践は、後に続く者にとって貴重な実践の記録だと思います。上の記事でも触れているように、国旗国歌法を制定するときに尽力したのは野中広務議員でしたが、この人は被差別部落の出身だと言われた人で、党内の有力者であったにも関わらず麻生太郎議員からは「部落出身者を総理にというわけにはいかない」などと陰口をたたかれたりした人で、そういう差別主義の政治家がたむろする政党ではなく、真に民主主義のために働く政党に所属するべきであったろうにと思います。日教組も往年の「戦う姿勢」は何処へやら消え失せてしまい、日本の民主主義は今や個々人の肩にのしかかっているのみで、これを本来のあるべき姿にまで再現するのは、かなりの時間と労力を必要とするのではないかと危惧されます。





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最終更新日  2023年04月12日 01時00分07秒


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