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執筆のきっかけは04年春に、東京都の教職員250人が処分されたという新聞記事でした。都は前年に、学校での「国旗・国歌」の取り扱いを細かく定め、従わないと処分も念頭におくという通達を出していました。憲法は思想信条の自由を保障しているのにと、強い違和感を覚えました。
劇の終盤、校長はこう演説します。
<たとえ国歌の嫌いな人が、「イヤだなあ」と思いながら歌っても、「イヤだなあ」と思う内心の自由は、歌っている最中にさえ、しっかり保障されているではありませんか>
自分の中にも疑問があるのに、歌わせなくてはいけない立場にいる校長の矛盾から出た言葉の滑稽さに、客席は沸きました。
でも再演した08年の観客アンケートに「内心の自由の意味が理解できた」という感想がありました。長い場面なので、「ここが作者の言いたいこと」と受け取られてしまったようです。
これではいけないと、22年公演は校長のせりふを短くし、錯乱も書き加えました。今度は「校長先生が気の毒」「歌いたくない気持ちも分かるが、ルールは守るべきだ」という反応が増えました。
「卒業式の君が代」について、以前はよく報道されましたが、近年はほとんど見ません。問題そのものを知らない人が増えていることも一つの要因でしょう。
でもそれ以上に、 「上が決めたルール」の意味と是非を考えず、ルールを守ることが正しいとする風潮が浸透してしまったことが大きいと思います。 政治家の記者会見でも、問われる側に都合の良いルールからの逸脱を、記者自身が嫌っているように見えますから。
国会での「ご飯論法」が話題になりましたが、問いと正面から向き合わないことへの「慣れ」も社会に広がっています。 安倍晋三元首相の「国葬」に疑義を示そうとすると、「人を悼む心がないのか」と話をすり替えてしまう。この劇でも「歌わないと罰するぞと脅して強制すること」の是非を問うたのに、「国歌の大事さを理解していない」と批判する人がいます。
これは「君が代問題」ではなく、国連機関も懸念を表明している人権の問題です。人権は普遍的な主題。今後も問い続けたいと考えています。
(聞き手・山口宏子)
<ながい・あい> 1951年生まれ。近現代の日本社会を見つめた作品で評価が高い。「歌わせたい男たち」は05年の各種演劇賞で最優秀作品に選ばれた。
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