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shonanian

shonanian

2016.12.20
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カテゴリ: カテゴリ未分類

前回の日記から早いもので一ヶ月経ってしまいました。

イクメンぶりを発揮してなかなか自分の時間が持てずにいます(笑)

実は今朝も2時半に起こされ、それから年賀状作成をやり、一段落

ついたので、今こうして書いております。

前回、

一体どうしたら恐れも怒りも悲しみも憎しみも
後悔もなく、どんな状況にあろうともそのような感情が
湧かない、或いは一瞬湧いても全く影響されない自分に
なれるのか?

と書きました。

最近、ピンとメッセージが降りたのですが、「隙間」とは「隙魔」。

隙があると、魔が入るのですね。

では、隙とは何か?

それは「今・ここ」に無い状態。

真剣勝負の最中にある侍に雑念が湧こうものならその瞬間に

斬られることでしょう。

即ち、隙とは思い・思考・感情に捕らわれている状態なのですね。

今・ここにおらず、過去や未来に行ってしまっている。

実際、何も考えなければ過去も未来もありません。

すべては「思い」。

怒り・恐れ・悲しみといった「感情」も、「思い」なしには不可能

ですね?

「誰々が私を罵った、傷つけた」という「思い」があって初めて

怒りなり、恐怖なり、悲しみなりが生じます。

そんな「思い」がなければ、誰かが自分を殴ろうと、それは

単なる物理的現象です。

もっとミクロに見れば、単なるエネルギーの動きです。

単なるエネルギーに元々「意味」などありません。

「意味づけ」を行うのは、すべて自分。

「誰々が殴った」⇒「痛い、ひどい、この野郎!」と思うか

「うわ、怖い!殺される!」と思うか、「なんで自分が殴られなければ

いけないの?」と思うか・・・

あるいは「感情に流されて哀れな人だ」と思うか、

「自分に過ちがあったんだ!気付かせてくれてありがたい!」

と思うか・・・

意味づけ、思いのすべては自分次第。

よって、その「思い」を出さないように意識すれば思いが生じず、

よって感情も湧きません。

とは言っても、それが難しいですよね?

そう、「自分」「他人」という分離の世界に住んでいる限り、それは

なかなか至難の業だと思います。

では、どうすれば良いか?

この世界は分離しているように見えて、実は一体であることに

気付くことです。

たとえば、スクリーンに映し出された映像。

映像に様々な物・人が現れますが、実在しているものはスクリーンと

光だけですね?

この三次元世界も、同様の3D立体映像だということに気付けば

良いのです。

では、どのようにして気付くことが出来るのか?







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Last updated  2016.12.20 06:33:03
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