全4件 (4件中 1-4件目)
1
先日、友人に話すと爆笑されたので、恥をさらし、笑いを得ようとす。其は、ヴィーン、留学中の話。引っ越しをするために、ダンボールが必要だった。スーパーでもらえるという事を聞き、早速、足を運ぶ。ここから、店員との会話。私「あの、ボックスが欲しいんですけど。」店員「え?なに?」私「えー、ドイツ語でなんて言うのかな・・・。んー。 ダンボール?店員「(゜Д゜) ハア??」私「いや、あの・・・。ボックス、ボックス。アイネ・ボックス!!」(私・・・体の前で、何度も四角を描く)店員「あーーーーー、シャトルの事!?」(注1)私「ヤーーヤーーヤーーヤーー!! びって!」店員「今、ないのよ・・・。よそに行って聞いてみてちょうだい。」(注1・Schachtelなので、たぶん本当はシャハテルだけど、私にはシャトルと聞こえた)私、歩きながら考える。「そうか・・・。シャトルっていうのかあ・・・。」私「そうか・・・。スペース・シャトルのシャトルか・・・。」(注2)私「そうか、スペースシャトルって、宇宙の箱ってことか・・・。ロマンだわねーー。(* ̄。 ̄*)んー。ご満悦。」(注2・Space Shuttleなので、残念ながら不正解)そして、次の日、別のスーパーで。私「あのーすいません。 ロケット欲しいんですけど。」んー。あり得ない・・・。店員のぎょっとした顔が忘れられない。・・・NASAとちゃうで。
2007年01月31日
今日、明日は定期です。モーツァルトのパントマイムのための音楽「パンタロンとコロンビーネ」という珍しい出し物です。↑舞台の図舞台の上にはダンス用のシートが敷かれ、我々オケは左隅のついたての裏で弾きます。真ん中で、パントマイムというか、バレエみたいなお芝居が繰り広げられます。指揮者のI上さんも最初は指揮をしていますが、途中から踊り出します。参考資料↑なぜか人型 I上さん型に破れたついたての図このついたて、昨日の練習でも破いたし、今日のゲネでも破いたし、今日の本番でも破いたし、明日も本番で破くので、舞台の大道具さんは、いったい何回、この紙を張り替えるのだろうか・・・。大道具さんはじめ、裏方の人の支えがあってできる舞台なのですねえ・・・。んー。裏方と言えば、いつもは裏方の人が今日は表舞台に立ってしまいました。↑M本社長の図(頭髪セット済)あまりの変身ぶりに、団員のみんなも口を出さずにはいられません。↑M本社長&取り巻き達の図上演されるのはかなり珍しいこの曲ですが、私は去年、ヴィーンで見ました。しかも、精神病院の付属のホール?良く忘れたけど、マイナーな劇場へ、電車とバスを乗り継いで行った覚えがあります。その時は、現代音楽とモーツァルトをミックスさせて、2時間くらいに引き伸ばして演奏していました。でも、今回のモーツァルトのみの方がやっぱり良いなあ・・・。指揮者のI上さんの才能に感服です。↑舞台、終了後の記念撮影の図おまけ楽譜係りのT中さんは、すごく重要な役で出ます。今日見逃した人は、明日必見。↑なぜか、O高監督の写真に平謝りのT中さんの図
2007年01月26日
気付いたら、モーツァルトイヤーが終わっていた・・・。1年のヴィーン留学を終え、9月に職場に復帰してからは、「あー、去年の今頃は、こうしてたな~。」と、毎日のように思い出す。音楽の都とは良く言ったもので、ヴィーンに関係する音楽はとても多い。その度に、思い出していると、私の場合、毎日のように思い出す事となるのだ。最近、ヴィーン時代に書いていた日記を引っ張り出してきて読んでみた。小さなノートに、画伯ご自慢の絵もびっしりで、これがなかなか笑える。そういえば、先日、「アマデウス」を観た。この映画を観るのは3度目。1度目は、8歳か9歳の頃、親に連れられて映画館で、2度目は、大学院の頃だった。10で神童、15で才子、20過ぎればただの人。と言われるように、初めて観た幼少の頃、映画館から帰るとまず、仰向けになってピアノを弾く練習をした。なぜなら、私ですら家の中では天才だったからである。そして、「モーツァルトの笑い方」をものまねする日々がしばらく続いた。そう。天才だから。大学院の頃はビデオで見て、「うーん、サリエリの気持ち、分かるな~。凡人の私には・・・。」なんて思っていたが、すっかりオトナになった今、自分がサリエリほどの才能もない事を知っている。しかし、ここで終わってはいけない。たとえ、自分にサリエリ程度の才能がないとしても、せめて、一生懸命、努力を重ね、人間として、正しく大きな器を持って生きたい。たとえ、才能が貧しくとも、心まで貧しくなってはいけないのだ。そうだ。やっぱり、サリエリのように生きるのは哀しい。大きく生きよう・・・。そう考えるのが、30の冬なのである。30にして立つ。というやつなのである。そして、また日記を読む。2006年1月30日本番の後、みんなで飲みに行った。1つのテーブルでお肉のプレートを1つ取って食べることにした。みんな遠慮して、なかなか肉を取れなかったのに、Aちゃんが、隣のテーブルにいた男の子に「お肉、いっぱい余ってるよ。若いんだし一杯、食べなよ。」と、ごっそり私たちのお肉を男の子に食べさせてしまった。Aちゃんはその男の子が好きだったのだ。私たちは、お腹が空いていたのに・・・。とうとう、私たちはお腹が空いたまま帰った。Aちゃんは、その男の子と2人で消えて行った。まあ、なんでもええけど、食べ物の恨みは怖いで。 おわり。んー、私はなんと小さい人間なのだろうか・・・。そのページには2回も、食べ物の恨みは怖いで。と書いてあった・・・。ああ。小さい。ああ。小さい・・・。とにかく、去年は世界中がモーツァルトで大賑わいだったが、5月くらいだっただろうか。町中、バスとか、ホテルの壁とか、至る所にこんな看板が出だした。↓ モーツァルトイヤーでうんざりしているモーツァルト。同じく、アニバーサリーだったフロイトのうんざり顔と対になって、あちこちに貼りだされたのであった。ヴィーン人というのは自虐ネタが好きなんだそうな。私とヴィーンの唯一の共通点だろうか。
2007年01月20日
帰省前にラーメンを食べた。千歳空港でラーメンを食べるというのは、一応の礼儀だ。そして、それはコーンラーメンであるべき。なのである。 こんなものがラーメンに付いていた。命名「穴あきレンゲ(コーン用)」つまり、レンゲで簡単にコーンがすくえてしまう。試食する。(ー'`ー;)ムムッもう一口、試食する。(ー'`ー;)ムムッちゃぶ台返し (ノ-_-)ノ ~┻━┻ (/o\) お父さんやめてーはっきり言う。コーンラーメンと言うのは、すくえそうですくえないコーンを追い求め、汁と悪戦苦闘し、ついでにコーンを作ったアヲハタのおじさんに感謝しつつ、最終的には、「汁も全部のんでしもたわ~。」と言うのが、正しい。それを、穴あきレンゲで簡単にすくってしまおうなんざ、言語道断、一触即発、サルも木から落ちる。なのである。つまり例えていうならば、魚屋に男前がいた。その男前が独身かどうかすら分からない。しかし、少しでも近寄るため、毎日魚を買う。日に日に、会話が増えるが、冷蔵庫に余りものの魚も増える。最終的には、「魚、嫌いになってしもたわ~。」しかし、こうして捕まえた魚屋は、きっとおいしいに違いない。最近、友人が見合いをしたと言っていた。やっぱり、穴あきレンゲじゃ駄目なのだと言う。つまり、金魚すくいは破れやすい紙ですくうから楽しいのである。「きゃっ!やぶれちゃった~。」と、ぶりっこの一つも言えるから良いのであって、本格的な漁師の網で、鼻息荒く、金魚を根こそぎすくいとってはいけない。ちなみに、北海道では金魚すくいは「もなか」の皮ですくうそうである。まあ、その辺はどうでも良い。
2007年01月11日
全4件 (4件中 1-4件目)
1