ようやく飢えの心配が無くなり、僅かな物もありがたかった。科学が希望だった頃。危うい均衡の上で一番美しかったのかも。いや、覚えていません。これもまたノスタルジー。

世界が光り輝き美しく見える時はある。
あれは、単に網膜が元気なんでしょね。
と、思う(笑)
(2006.08.30 00:15:56)

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2006.08.28
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テーマ: たわごと(27606)
カテゴリ: うちそと系

という言葉が降りてきて、タイトルにしようと思った。
けれど続かない。

美しい暮らしがしたいものである。例えばイラクで、あるいはレバノンで、あるいは世界のどこかで、虫けらみたいに人々がなぎ倒されているとしても。
朝は庭の草をむしる。心地よい汗をかいたならシャワーを浴びよう。それから子どもたちにあいさつをし、軽い朝食をとり、仕事に出かける。電車は少し混むけれど、そのくらいはがまんしよう。会社に入れば、同僚の女性にさわやかに声をかけよう。どうにも気にくわない上司にだって、挨拶くらいはしておこう。仕事は楽しい。いや、楽しいことばかりではないけれど、はじまったものはたいていの場合、それなりに手を尽くせばやがて動き出す。そうして終わっていくものだと信じよう。
例えば世界は争いにみち、環境破壊は人々の良心をあざ笑うようにして取り返しがつかなくなっていたとしても、あるいは人間の何ともしれない未来はどのように考えても希望がもてないとしても、あるいは友人が病に倒れようとも。

美しい暮らしがしたいものである。残業などはさっさと拒否し、帰りの電車に乗り込めば、西に太陽が沈んでいくのを眺めることができる。駅前商店街は、なぜだか昔みたいに人々が忙しそうに行き来している。こどもの手を引いて銭湯へと向かう家族連れの姿だってある。立ち並ぶ商店の店の奥は、道路からも簡単に見渡すことができる。お店は開けているけれど、それぞれの家族は夕餉のときだ。居間には必ずテレビがついていて、きっと巨人戦を見ているのだ。

私たちは美しい暮らしをしてきたのだろうか。
もちろんそんなものは、どの時代のどこを探したってない。私たちの多くは善良で、そうして無関心なのだ。無関心はやがて暴力装置の一部となって、私たちはその代償を支払うことになる。無辜なる民などどこにも存在せず、存在するとすれば、それはどこまでも相対的なものにすぎない(つまりそれは存在しないということだ)。

美しい暮らしなどいらない。それは一瞬の間につかみとることができるかもしれない。だがまた一瞬の間に腐敗するものである。美しさは、傲慢で、いかがわしいものでもあるからだ。


いまさらだよね。
私は駅のホームで佇む私を見ている。その見ている私を私は見ている。その見ている私を私は見ていて…






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Last updated  2006.08.29 00:10:17
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昭和30年代  
kohsin  さん

Re:昭和30年代(08/28)  
ウラガエル  さん
kohsinさん

あれ? 昭和30年代をご存じなのですか。私は知りませんよ。笑 というつまらない話はどうでもいいですね。まあ、月並みですが、なんというか集団的ノスタルジーにはつい疑ってかかってしまうのです。科学は希望だった頃、すでに破綻は生まれていました。(それで思うのですが、科学はいまこそ切実に必要とされているのかもしれません。限界があるからこそ)
いずれにしても、時間を巻き戻すことはできません。人はできることをして死ぬだけです、よね。
(2006.08.30 00:29:35)

暮らしかぁ・・・  
ぼたん さん
西に沈む太陽を見ながら電車に乗って帰宅するくだりが好きです。西日をふんだんに浴びた列車はカエルさんをどこか懐かしい場所へ運んだようですね。リビングでなく居間での夕餉。今宵のおかずは何でしょう。お芋の煮っころがしかしら。味噌汁はたまには蜆がいいなぁ。ここ数日、お豆腐とわかめでしたから。テレビは観音開きです。チャンネルを変える時には腰を上げます。そうしてガチャガチャとまわすのです。黒電話。交換手。え?交換手?!

危険です。洗脳、と言ってしまうのは言い過ぎかも知れませんが、善良だと信じて疑わないところがなんとも危いです。

「無辜なる民などどこにも存在せず」
その通りだと思います。でもそのことを私は忘れてしまうのです。無関心の渦に巻かれて、どんどん流されて。だってほら、やっぱり日々の暮らしがね、なんて言いながら、暴力を暴力だと気付かないようになってしまうのです。恐いです。そしてその恐さもいずれ・・・

暮らしはいつでも生々しいです。重たいし、美しくなんて全然ない。「美しい暮らし」は美しい暮らし。という文字の中にだけ存在しているのだと思います。それも一瞬だけ。

>私は駅のホームで佇む私を見ている。その見ている私を私は見ている。その見ている私を私は見ていて…

私もです。自分をどこまでもメタ化したいと思ってます。当然不可能です。でもそれが本当に不可能なんだということの意味はずっと解らないままかも知れません。

まとまりがなくてすみません。しかもなんだか後ろ向き。。。私にしては珍しく、しんみり考えるということをいたしました。ありがとうございます。


(2006.08.31 10:33:52)

往って還る。あ、ここにもカエル  
ウラガエル  さん
ぼたんさん

確かに私が知っている(と思っている)ぼたん文体とは、ちょっと違うような、と思いながら読ませていただきました。
でも書いてくださったことが、どれも染み入るように入ってきます。本当に読み取れているかは自信はないのですけれど。

大抵の場合、ちっぽけな日記でも、いつもどんなふうに書き終えることになるのか、わからぬままに書いています。この日は途中で「棒がいっぽん」の、工場で働く青年とその妻の掌編が頭をよぎった気がします。そうして、そこに示された美しさが、確かではあるけれど、儚いものであることにあらためて胸締めつけられるようにも感じていました。

メタ自分。自分に入り、また出て行く。その限りない(生きていればですが)往還に、私は生きていることをみたいと思っています。なんだそれ。

(話は変わって)でも本当にしばらく忘れていた感覚ですが、小手遊さんみたいに人の体に入っていきたい、という欲望が、自分にも確かにあったことを思い出しました。
違う話か。笑

ありがとうございました。心を込めて


(2006.09.01 00:11:09)

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★みゆきち★@ 性感エステってもったいないよね ムラムラってきたら性感エステに通ってた…
ウラガエル @ お久しぶりです。 suiさん どうされているのでしょう。 …
紫陽花ロック @ 鎧駅は 海に向かって断崖絶壁に駅のホームがあり…
ウラガエル @ そーですか? 育児・子育て きらりさん 「そーです…

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