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2006.08.31
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テーマ: たわごと(27604)
カテゴリ: うちそと系
殺意が生まれたとして、それを実行しないということ。

巷のニュースで、私はそれを実行にうつした人の話を聞く。つねに、いつも、繰り返し。そして、それを実際にすることとしないことの間には、どれだけの距離があるのかと考える。

私は幸いにも実行したことがない。実行したことがないから、その間の距離がどのくらいのものなのか、わからないままだ。その間にあるのは、小さなせせらぎのような川の流れだろうか。あるいは到底渡ることができそうもない濁流のようなものだろうか。
一方で、それでは実行したからと言って、わかることだろうか。「私」の固有の経験は、普遍化することはきっとできない。喩えはあんまりだけれど、ひとつの失恋が、次の失恋の教訓になるとは限らないのだから。

ある人は言う。川を渡って向こう側に行った人に思い入れるのはよしたほうがいい。それは無駄なことだ。それを知ってなんになる? 大切なことは、川の縁に立ち、そこでわなわなと震え、そうして渡ることを思いとどまることだ。当然のことながら、向こう側に行くことをやめ、戻ってきた人のほうが多いのだ。どうして行ってしまったかを考えることより、まがりなりにも自らの力で戻ってきた人を大切に考えなければならない。そうしたひとりひとりの断念を愛おしく思いたい。そうではないか?

それはそうかも知れない。私は立ち止まる。それはそうかも知れない。

私の思考は停まる。それからあるイメージが浮かぶ。
上陸船「ダイハツ」は兵士を満載にして川を渡る。向こう岸からは銃弾が容赦なく降り注ぐ。上陸船はがつんと浅瀬に乗り上げ、兵士は次々にくずれ落ちるようにして浅瀬に足を踏み入れる。そうしている間にも銃弾は容赦なく飛んでくる。それでも残った者たちは、なんとか体勢を整えると、遮二無二突撃を開始する。そこに個人の逡巡も断念も存在するだろうか。存在するとしても塵のように霧散してしまうのだろうか。生きているのにすでにどこかで自分を殺してしまっているのだろうか。

やがて上陸船はもどってくる。そこには激しく疲労し、傷ついた数人の兵士しか乗ってはいない。幸運な兵士の幾人かはこうして帰還する。


私の思考はそこでもう一度停まる。








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Last updated  2006.09.01 00:49:58
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★みゆきち★@ 性感エステってもったいないよね ムラムラってきたら性感エステに通ってた…
ウラガエル @ お久しぶりです。 suiさん どうされているのでしょう。 …
紫陽花ロック @ 鎧駅は 海に向かって断崖絶壁に駅のホームがあり…
ウラガエル @ そーですか? 育児・子育て きらりさん 「そーです…

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