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台湾旅行の最終日は6:30 朝食、7:40 ホテルを出発しました。免税店で買物後8:54 ツォンリエツゥー(忠烈祠)に到着しました。中国では1911年、清朝打倒をスローガンに辛亥革命が勃発、革命は成功を収め1912年に中華民国が成立しました革命の精神的な指導者となった孫文は台湾の国父と呼ばれています。第二次世界大戦が始まると日本軍の侵攻がありました。武烈士祠には一連の革命、戦争で亡くなった志士、軍人、約33万人の英霊が祀られており位牌のほかに遺品なども並んでいます。忠烈祠大門には守護を担当する衛兵が微動もせず立っていました。グリーン(陸軍)、青(空軍)、白(海軍)に所属する兵士が交代で担当します。台湾では現在20才以上の男子に1年の兵役の義務がありますが2009年3月には、徴兵制度が2014年に廃止されることを決定したそうです。やがて隊列を組んだ兵士が現れ、大殿に向かい行進を開始しました。そして見学者もこれについて忠烈祠の奥に入り儀式を見ることができました。1969年に竣工された忠烈祠は、大門、中央広場、鐘楼、鼓楼、山門、大殿、文烈士祠、武烈士祠で構成されています。大門、広場、山門は、白い石がベースのシンプルなデザインです。これとは対照的に大殿や鐘楼は北京の紫禁城がモデルとなっているそうで柱と建物には豪華絢爛な彫刻が施され、印象的でした。また山門の壁には、辛亥革命の様子を描いたレリーフと対日交戦のレリーフが向き合う形で掲げられていました。9:25 忠烈祠を後にし、桃園空港にバスで移動しました。12:50 空港を発ち3時間10分で成田空港に無事帰着しました。時差を1時間プラスして成田は17時、気温は8度で日本が冬であることを思い出しました。今回の旅行とこのブログを書くことで台湾への認識を新たにしました。台湾の美しくも厳しい自然と日本との歴史的繋がりを知ることができました。現在鳩山政権は沖縄基地問題で厳しい局面に立たされています。台湾はやせても枯れても、第二次世界大戦の戦勝国であり中華人民共和国が国連に加盟するまでは常任理事国の一つでした。台湾には米軍基地はなく、アメリカが海外にもつ基地はすべて占領したか実質的に支配下にある国にしかありません。またロシアは終戦時に占拠した千島を未だに返還していません。台湾と中国の歴史と現在中華民国が置かれている立場や第一次・第二次大戦後に戦勝国が敗戦国にとった行動…ジンギスカンやローマ帝国… 源平合戦や関ヶ原の戦い…北朝鮮、イラク、アフガニスタン、イスラエル…に思いを馳せ、平和を願うのは当然ですが、それではこれを護るための戦争抑止力はどういう形で保持したらよいのかアメリカ、韓国、北朝鮮、中華人民共和国、中華民国、ロシア…との外交はいかにすべきか、考えさせられました。
2010.03.26
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12:29 特急列車は七堵駅に到着しました。バスで少し移動し13:17 チョンフン(九分)の散策を開始しました。チョンフンは19世紀末に金鉱が発見されたことで町が発展し、日本統治時代に町としての最盛期を迎えました。その後70年代に金鉱が閉山されてからは急速に衰退しました。ところが1989年、二・二八事件を正面から取り上げた映画「悲情城市(A City of Sadness)」(侯孝賢監督)がヴェネチア国際映画賞、金獅子賞を受賞し台湾で空前のヒットとなったこともありそのロケ地として脚光を浴びるようになりました。その後2001年に公開された映画「千と千尋の神隠し」のモデルになった町として紹介されさらに2007年秋に林雅行監督・脚本のドキュメンタリー映画「風を聴く~台湾・九フン物語~」が公開され、知名度が高まりました。市場の中は食べ物屋さんが多く、どらやきを売っている店もありました。市場を出ると階段の多いレトロ調な町並みが続き当時の酒家(料理店)や遊郭と思われる建物も多数残されていました。15:09 クゥコンポォウーリェン(故宮博物院)に到着しました。こちらはアメリカ NYの 「メトロポリタン美術館」ロシア サンクト・ペテルブルグの「エルミタージュ美術館」フランス パリの「ルーブル美術館」とともに世界四大美術館のひとつともいわれています。(アメリカ ボストンの「 Museum of Fine Arts」スペイン マドリードの「プラド美術館」 イギリス ロンドンの「大英博物館」を入れる人もいます)故宮博物院には中国歴代皇帝が収蔵したコレクションをもとに、中国の歴史を伝える美術品や文物の逸品が展示されていました。故宮博物院は1925年、北京の紫禁城に創設されました。しかし1931年から戦禍を避けるため故宮博物院の美術品や文物は中国国内をあちこち移動しました。さらに1949年には国共内戦により国民政府は台湾に逃れ故宮博物院にあった美術品や文物も台湾に移動しました。これらは台湾各地を移動後1965年現在の地に移されました。2007年大規模な耐震工事を終えリニューアルオープンしました。中華人民共和国では1960年代から1970年代に文化大革命が起き北京の紫禁城にあった文化財も組織的破壊を受けたそうです。中国の貴重な歴史的遺産が台湾に残された形になりました。書画、図書文献、器物(3ルート)、その他の参観ルートがありその中で青銅器や陶磁器の名品、書としては王義之の名蹟果核に微細な彫刻をした物、翡翠で作られた白菜の彫刻などは参観者に特に人気がありました。16:50 オプションで台北圓山大飯店に泊まる方がおられバスで大飯店のロビー前まで行き、この方を下ろしました。さらにお茶や民芸品を売る店によりお茶セミナーを受けました。19:30 小籠包で有名な上海料理のレストランで夕食をいただきました。このお店は1993年にニューヨーク・タイムス紙で「世界の10大レストラン」に選ばれ紹介されたそうです。お店は大層混み合い、食べるのも急がされる有様でした。20:30 台北101(台北国際金融ビル)に到着しました。高さ509.2mで、地上101階、地下5階のビルで7年間の工期で2004年に世界一の超高層建築物として竣工しました。(2007年アラブ首長国連邦の「ブルジュ・ハリファ」:531.3mが竣工)9階ー84階がオフィスで東芝製の超高速エレベーターや台風を考慮し風圧による振動を緩和する装置TMDが設置され外観は伝統的な宝塔と竹の節をイメージするそうです。施工は熊谷組を中心としたJVにより行われましたが2002年3月31日に台湾島北部でM7.1の大地震が発生しこの揺れでビルの頂点に設置されていた作業用タワークレーンが地上に落下した事故があり、これを乗り越えての工事だったそうです。21:36 台北101を後にし宿泊ホテルに入り長い一日を終えました。
2010.03.23
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4日目は6時から朝食、7時に迎えのバスでホテルを出発しました。7:45 タロコ(太魯閣)峡谷のハイライト「燕子口」と呼ばれる太魯閣峡谷が最も狭くなっているところでバスを降りトンネルを歩いて出ると、眼下に目も眩むような大理石の断崖絶壁、遙か下の青い川の流れ、細い吊り橋を眺めらることができました。8:13 少しバスで移動し蒋介石総統の生母王太夫人を記念して作った慈母亭を遠望し赤いつり橋(慈母橋)を見学しました。「タロコ」の地名は流域の台湾原住民タロコ族の言葉で「連なる山の峰」を指すとも、この地に住む原住民、タイヤル族の首長の名にちなんだものともいわれています。台湾の誕生はユーラシアプレートにフィリピンプレートが衝突し600万年前にユーラシアンプレートの縁が押し上げられてこの造山活動により大地が海底から姿を現したといわれています。そしてタロコからは2億年前の化石も発見されています。地底にあった石灰質の堆積岩は激しい地殻運動により一部は温度や圧力の変化を受け、変成岩の大理石に変わったいわれています。そしてこの大地は海岸からの距離がわずか40kmにあるナンフーター(南湖大山:3740m)をはじめとする山々を源とするリーウーシー川(立霧渓)により浸蝕され、タロコ渓谷が誕生しました。タロコ渓谷は長い間人を寄せ付けませんでしたが、1956~1960年にほとんどが中華民国の退役軍人のノミと金槌の手作業の工事より花蓮から台中まで台湾を横断する「東西横貫公路」がつけられました。この道路により台湾の中でも最も人気の観光スポットとなりしました。写真と共にかんちゃん6688さんが描かれたスケッチを紹介いたします。9:25 ホワリエン(花蓮)市内にある手工芸品中心(センター)に到着この地区で採取された化石の標本や大理石工場の加工品を見学しました。屋外にも各種大理石の西洋風の女性立像が多数展示してありました。センターからバスで移動、10:17 花蓮駅に到着しました。駅には「北廻線」開通 30周年を祝うアーケードが立てられていました。10:45 特急列車太魯閣号#1087便に乗り込み七堵に向かいました。車中で布バッグの中のステンレス容器に入った弁当をいただきました。台湾の鉄道は1908年には「基隆」から「高雄」までが開通し1980年に「北廻線」が開通、1992年に「南廻線」が開通しました。そして2007年、台北と高雄を結ぶ台湾高速鉄道が開通しました。この高速鉄道はそれまでの特急が4時間10分かかっていたものを1時間40分と飛躍的に短縮しました。日本の東海道新幹線と比較すると台北から高雄までは約370km、東京から名古屋に相当します。台北から桃園まで30km(横浜)、台中までは165km(清水)です。12:29 七堵に到着、午後の見学は次回にまわしたいと思います。
2010.03.20
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三仙台から海岸沿いにさらに北上、15:15 長浜郷の八仙洞に到着しました。海食作用によりできた多数の洞窟がありましたが、ここは台湾において発見された最も古い文化遺跡を有し、台湾の国家一級古跡に指定されています。最近の調査で洞窟内から古い火を炊いた跡も発見され放射性炭素年代測定(炭素14年代測定)をした結果、2万年以上前のものであると測定されたそうです。八仙洞の洞穴の多くは祭壇に使用されていました。洞穴の名前も宗教的色彩が強く、その中には霊岩、潮音、永安、乾元、海雷など十数洞窟があり各洞窟へと結ぶ歩道も整備されていました。15:53 北緯23度27分の北回帰線記念碑公園に到着しました。 ゆるやかな丘の上にロウソク型の記念碑がぽつんとありました。これは台湾東側の塔で台湾の西側(嘉義)にも塔があるそうです。この北回帰線より南側は熱帯で北側は亜熱帯ここから南はお米が三毛作できるといわれています。公園の駐車場の一角でアミ族衣装の女性が歌を熱唱していました。やがて花蓮県(面積:4,628Km2、人口:約355,000人) に入りました。450年ほど前、ポルトガルの水兵が台湾東部の沖合を航行中緑滴る美しい花蓮の海岸線を眺めて、その美しさに思わず「Ilha・FORMOSA」(『麗しき島』の意)と叫んだそうです。花蓮は花蓮渓が海に注ぎ込むところでは川の水と波が激しく打ち合い怒涛逆巻く状態であることから「カイ欄」となりそれがいつしか近音の「花蓮」と称されるようになったそうです。この地区には高山峡谷のタロコ国家公園、秀麗な東部海岸国家風景区、田園風景が美しい花東縦谷国家風景区、雄大な玉山国家公園など自然景観が素晴らしい場所が背後にひかえています。また花蓮は台湾三大国際港の一つとして発展した町で大理石が豊富に採れ、これらの加工も盛んに行われています。町は歩道にいたるまで太魯閣から切り出した大理石で造られていて日本統治時代の面影がいたるところに残されています。17:25 レストランで台湾料理をいただいた後、阿美文化村に到着この施設と色彩豊かな衣装を着たアミ族のショーを見学しました。アミ族の歌はかつてEnigma(エニグマ)の1993年のヒット曲『Return to Innocence』にフィーチャーされ世界的に有名になったことがあり、1996年のアトランタオリンピックのテーマソングともなったそうです。ショーの内容は恋愛や狩りなどアミ族の物語に基づいた歌や踊りで軽快な音楽に乗ったバンブーダンスや新婦を新郎が背負い椅子に乗せたり大きな杖を持った魔女風の司祭が口から何度も煙状の水しぶきを噴き上げたりするアミ族の結婚儀礼が披露され、楽しく鑑賞しました。最後には観客を踊りの輪の中に引き込み一緒に写真を撮ったものを売っていました。そしてこの後花蓮市内の宿泊ホテルに入りました。
2010.03.18
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カオシュン(高雄)は台湾南部に位置する台湾第二の都市で人口は約150万人、高雄港は台湾最大の港です。コンテナ取り扱い量で香港、シンガポール、上海、プサンと共に世界の10位以内に入る国際貿易港だそうです。1980年ニューヨークが1位、神戸が4位、横浜が12位、東京18位でしたが、2005年の時点で日本では東京が22位、横浜が27位になってしまいました。(http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/6680.html)日本の港はハブポートとしての地位が低くなっていることが気がかりです。3日目は7:20 ホテルを出発、市内の芸品館で買い物をした後シャンコウユエン(寿山公園)に出かけました。寿山は珊瑚性の石灰岩の山(標高360m)で中腹の公園に英霊を祀った「忠烈祠」があり、そこから高雄市内が一望できました。ここからの夜景も素晴らしいと聞きますが、この日は霞んでいました。「忠烈祠」は日本統治時代は日本人によって高雄神社と称されていたそうです。今あるものは2006年9月にリニューアルオープンされたものだそうで精緻で綺麗な宮殿造りの建物と入口の門は独特の形をしていました。境内には石を敷詰めた健康歩道があり、太極拳をしている人を見かけました。再びバスに乗込み南下後、台湾海峡側楓港から太平洋側の達仁に出ました。大雨や地震の災害の多発地区のようで、あちこちで工事をしていました。太平洋側に出ると快晴で海の色が青く、日差しも強烈でした。台湾はフィリピン海プレートとユーラシアプレートの造山作用によりできました。また珊瑚性の石灰岩でできており、平地に乏しい急嶮な地形をしています。この近くの北太武山でも3090m(台湾最高峰は玉山:3950m)あり海岸側道路まで絶壁が押し迫ってくる感じでした。10:10 トイレ休憩でドライブインに入りました。売店で温かい魚肉団子入りのスープと皿に盛った果実を買い求めて食べました。赤い皮の果実は甘みや酸味が少なく、アッサリしていて、野菜のようでした。12:50 タイトン(台東)市内のレストランで田舎料理の昼食をいただきました。台東平原は古くは卑南族、阿美族が遊耕生活を送る活動地域であったそうです。14:20 台東市の北方約65キロの海中にある三仙台に到着しました。元は火山岩からなる一つの岬でしたが、海水の浸食を受けるうち陸から分かれて離島となり、引き潮になると海岸から歩いて渡れるそうです。1887年6月に鉄橋が完成し海岸から直接歩いて行けるようになったそうです。無人島のように見えるこの島も、中はしっかり遊歩道が敷設されているようで島に鎮座する三つの大岩礁は中国の仙人 呂洞賓、何仙姑、李鉄拐が仲間の5人と海を渡った時に足を休めた場所であるという言い伝えがあります。冒頭にかんちゃん6688さんのスケッチと駐車場近くで見かけた花とパパイヤ、ポーズをとってくれた台湾少女の写真を入れさせていただきました。3日目この後の見学先は次に回したいと思います。
2010.03.12
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日月潭を後にし40分程走り郷土料理のレストランに入りました。回転円卓テーブルに8人ずつ座り中華風料理をいただきました。小海老や魚や肉の揚げ物そして野菜の茹でたり炒めた物が主でした。緑ガラスに入った台湾ビール(中瓶相当)は100元でした。15:35 タイナン(台南)のツーカンロー(赤嵌楼)に到着しました。かつて台湾南部はオランダに占領されており、台南はその拠点でした。そして台湾北部はスペインに占領されていましたが、オランダはスペインを台湾から追いだし台湾を支配するようになりました。ところが中国本土から渡ってきた鄭成功はオランダ人が築いた赤嵌楼を襲撃し戦いは1661年に終結、オランダ人は撃退されました。そして彼はこの楼跡を承天府と定め、台湾全島の最高行政機関としました。1885年台湾の首府を台北に移すまで224年間、台南は台湾の政治、文化、商工業の中心地でした。赤嵌楼(Provintia)は1624年オランダ人により築城されましたが1862年には地震により建物は全壊、城壁の一部が残されていました。現在ある建物は1879年清朝が建てたものだそうです。鄭成功がオランダを追放した時の様子を像にした「鄭成功に降伏するオランダ兵」の碑もありました。建物の周辺には椰子が茂り南国の雰囲気に満ちていました。16:01 イェンビンジュンワンツィー(延平郡王祠)という廟に到着しました。この廟は民衆により鄭成功の功績をたたえて1662年建てられました。彼は38才の若さで死去、当時は「開山王廟」と名付けられていたそうです。日本が統治時代、開山神社と改称した時期もあったようで、終戦後、中華民国政府によって現在ある様式の建物に建て替えられたそうです。鄭成功は、日本の平戸で父鄭芝竜と日本人の母田川松の間に生まれ、7歳の時中国の福建省に渡り、軍人・政治家として活躍し、台湾に渡りました。彼の生まれ故郷の長崎県の平戸市では、今でも盛大に聖誕祭が開催され、平戸と中国の福建省南安市は姉妹都市、日本・中国・台湾が結びつきました。廟近くには大きなカジュマルの木が茂り、狛犬や砲車が置かれていました。17:40 台湾の南部にあり、台北に次いで2番目に大きい街カオシュン(高雄)にあるツンチンフー(澄清湖)に到着しました。夕方で暗くなりつつあり、足早に「九曲橋」という魔除けの橋を渡り、中興塔と圓山大飯店を遠望しました。18:20 日が暮れて真っ暗なリェンチータン(蓮池潭)に到着しました。七重の塔が一対になっている「龍虎塔」は暗闇の中に微かにライトアップされ作法に従い龍の口から入り、虎の口から出てきました。昼間の写真はインターネットで目に留まったものを使わせていただきました。今回ガイドをしてくださった男性は日本にも滞在したことがあり上手な日本語で案内され、日本の歴史や風習もしっかり勉強されていました。「皆さん昔の日本の人が季節を表す色をご存じですか?」「春は青、夏は赤、秋は白、冬は黒、今のイメージカラーと違いますね。」龍や虎にまつわる干支の話、方位の話、曜日の話… 大変参考になりました。かと思うと、真剣に「お父さんが嫌がる果物は何でしょう?」 パパイヤとダジャレまでサービスしていました。海鮮料理の夕食後 20:15 オプショナルツアーの夜市に出かけました。リウフゥアルルゥイエシィ(六合う二路夜市)は500m道路両側に屋台がひしめき、海鮮類・肉類・果物や野菜・惣菜・雑貨が売られていました。21時頃高雄の宿泊ホテルに到着、長い一日が終わりました。
2010.03.08
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第21回オリンピック冬季競技大会は2月12日~28日カナダ・バンクーバーで実施されました。(7競技・86種目)どの競技種目も極めてハイレベルな競争でした。スピードスケート男子500mの長島圭一郎が銀フィギュアスケート女子シングルの浅田真央が銀スピードスケート女子チームパシュートの小平奈緒、田畑真紀、穂積雅子が銀スピードスケート男子500mの加藤条治が銅フィギュアスケート男子シングルの高橋大輔が銅メダルでした。女子モーグルの上村愛子、カーリングの女子チームフィギュアスケート女子シングルの安藤美姫、鈴木明子、フィギュアスケート男子シングルの織田信成、小塚崇彦、の活躍も特に印象に残りました。また1月12日カリブ海のハイチでM7.0の地震が発生し2月27日にはチリ中部でM8.8の地震が発生、この地震により発生した津波が日本にも押し寄せました。2月はあっという間に終わり、久々のブログ更新です。1月29日~2月2日サクラさんとツアーで台湾に行ってきました。写真と資料の整理が出来ましたので7回に分け投稿いたします。中華民国(台湾)Republic of China(Taiwan)は九州ほどの大きさで日本との時差は-1時間、通貨は1元(NT$:ニュー台湾ドル=約3円)が用いられています。しかしながら中華人民共和国(中国)はこれを国家とは認めず、あくまでも自国の一部と主張、複雑な立場におかれています。今年は2月14~16日が旧正月、それを前にする旅行でした。 スケッチは父の友人かんちゃん6688さんが描かれたものですが世界中を滞在・旅行されている中で台湾を気に入っておられました。 台湾は日本との歴史的な繋がりが強く、風光明媚、最近の経済発展はめざましく親日的、私も気に入りました。1日目は15:30、成田空港をキャセイパシフィック航空の飛行機で出発、所要時間4時間(時差が-1時間)で機内食をいただき、タイペイ(台北)のタオユェン(桃園)空港に18:35に到着しました。18:45入国審査、19:05台湾人の男性ガイドさんにより旅程の説明を受け19:09専用バスに乗り込み20:24宿泊ホテル到着しました。台湾の観光バスは車体や室内を競って飾り立てていました。車中でガイドさんに10000円を3450元に交換してもらいました。近場の店に出かけ、ビールと総菜を買いホテル自室で食べました。ホテルの部屋は広く液晶の大型TVでは130チャンネル位見れ、その内2チャンネルは日本の番組を字幕入りで放送していました。2日目は5:30起床、6:00朝食、7:00観光バスに乗り込みました。9:23台湾中部のタイツォン(台中)の寶覺禅寺(宝覚寺)に到着しました。(http://www.y-morimoto.com/kanko/hohkaku.html)この寺は古い寺ではなく1928年に建立されたそうで境内には高さ30.1mの金色で柔和な笑顔をたたえる弥勒大仏像、そして日本人墓地と霊安故郷記念碑があり、一万四千人の日本人移民の遺骨が奉納されているといわれています。インドに仏像がなかった頃、聖なる動物として象が崇拝の対象となり、この風習により像の石像が建てられいると言われています。また大仏の耳を触ると幸福が訪れ、へそに触ると「へそくり」が増え近くに置かれた小型の弥勒仏の耳やへそを触っても金持ちになるという御利益にあずかるといわれています。11:27ズーユエタン(日月潭)に到着しました。(http://www.sunmoonlake.gov.tw/JP/03000573.aspx)台湾のほぼ中央に位置し海拔748.48mにある秀麗な高山湖で日本統治時代 (1918年) に台湾で最も長い川である濁水渓から地下導水路で水を引き、発電所を建設し、湖面を拡大しました。第二次大戦後、日月潭の周囲には玄光寺・玄奘寺・慈恩塔・文武廟などが次々に建設され、多くの観光客が訪れるようになりました。文武廟の前の広場には巨大な朱色の獅子の控える呉火獅がありました。文武廟は中国北朝宮殿式の建築で廟は三殿に分かれていました。前殿二楼は水雲宮で開基元祖および文昌帝君を祀り中殿武聖殿は関聖帝君および岳武穆王を祀り後殿大成殿は至聖先師孔子を祀っているといわれ青銅の孔子坐像があり、台湾で唯一聖像を奉る孔子廟だそうです。12:00再びバスに乗り込み、次の見学先に向かいました。
2010.03.01
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