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あまり心配はしていなかったが、合格発表を見て、一安心した。社労士試験も頑張りたい。------------------------------------------------平成22年度 春期 ITパスポート試験 成績照会受験番号 IP232-0099 の方は, 合格 です総合得点 870点分野別得点分野 得点(得点率)ストラテジ系 330点( 94.2%)マネジメント系 220点( 88.0%)テクノロジ系 320点( 80.0%)
2010.05.20
「ゴールデンウィークに東京に行くから。」今年の初めに母はそう言っていた。てっきり上京するものと思っていたが、4月頭に母から電話があり、体調が優れない為、上京できないと言われた。母は、昨秋に甲状腺機能障害の病気を患っていた。もし可能であれば、私たちが秋田へ来られないかと言うので、妻と調整して、ゴールデンウィークにこちらが両親を訪ねることとなった。4月30日(金)。仕事を終えて一旦自宅に帰ってから、荷造りをしてすぐに西新宿に向かう。深夜バスにて、両親のいる秋田へ移動する為。22:00西新宿発、翌6:30秋田駅着。往復で16000円也。高速バスは夜行なので、当然社内は暗い。カーテンも締め切っている。その為、妻が途中気分を悪くしてしまった。私は、周りのお客さんに悪いと思いながらも、少しカーテンを開けて、外の景色を見せてやると、妻は少しずつ回復していった。DAY1(5月1日)「昔の餌差町へお願いします。」秋田駅到着後、タクシーで実家へ。実家の玄関前には、父の愛車である、スカイブルーのローバーミニが停めてあった。玄関に上がると、父の愛犬のあすかと母が出迎えてくれた。遅れて父も顔を出した。「すぐに朝食にするからね」と懐かしく、優しい母の声。嬉しさなど色々な感情が混ぜあって、どぎまぎしてしまう。朝食は、母の作った目玉焼き、ウインナー、ご飯、なめこの味噌汁、納豆、明太子、漬物。両親から、実家に来るまでの状況について質問攻めに合った。ゴールデンウィークだから、渋滞していたのではないか。社内は快適だったか。眠れたか。おなかは空いていないか。バスだと安いのか。質問に一つ一つ回答しながら、私はぺろりと朝食を平らげた。妻は今朝方まで具合が悪かったので、あまり食べられない、と言っていたが、割と良く食べたように思える。食後、ヨーグルトとコーヒーが出された。母と父と東京で暮らしていた頃を思い出す。父も母もコーヒー好き。父が便秘対策ということで、昔から朝食後にヨーグルトを食べていた。自分の朝の生活を比較して、情けなく思ってしまった。寝坊気味なので、最低限の身支度と朝食だけを済まして、さっさと出社する。まるでゆとりがない。父は、在職中の時も早起きで、随分とゆとりのある朝を過ごしていた。ジョギングに行き、自宅に戻ってから腕立て伏せと腹筋をして、新聞を読んで、ゆっくりと朝食を食べる。そろそろいくか、という感じで出社していた。食後、私たちの寝床を作るため、父と二人で2階から布団を下ろしてきて、仏間の隣に妻と自分の分の布団を敷く。移動の疲れを取るべく、2時間ほど仮眠を取った。10:40頃に目を覚ました。対して長い時間眠っていないのに、疲れは充分に取れていた。11:00に実家を出て、父の愛車でSATYに行く。JTBで帰りの航空券を購入し、発泡酒ケース、ワインを買う為だ。「帰りのバスはキャンセルをして、帰りは飛行機で帰りなさい。お金は私たちが出してあげるから」と両親が言う。収入の少ない私を気遣っての優しい言葉で、申し訳なかったが、甘えさせて頂くことにした。情けない思いだった。SATYで購入した晩餐用の酒は、発泡酒のケースのほか、ワイン「シャトーバビー2006」。ウィスキー「余市」。更に、GEOでDVDをレンタルする。「サブウェイ123」と、「路上のソリスト」。それから「プリズンブレイク」。朝食を食べて間もないような感じがしたので、昼食は抜いた。両親は菓子パンを毎日の昼食にしているとのこと。14:30から父の愛犬あすかの散歩。私たちが桜を見たいと言い、太平川まで行くことにした。太平側は桜で満開。美しき田舎の風景に、私も妻もしばしば、ため息をついた。散歩から帰ると、父は居間に座してひざの上にあすかをかかえ、熱心にその小さな四本の足の裏をタオルで拭いた。また、肛門の辺りも吹いてキレイにした。これだけ綺麗にしておけば、なるほど、家の中で飼っていても、まるで部屋は汚れない。散歩の後は、秋田温泉こまちへ。露天風呂には、寝風呂もあり、大変リラックスが出来た。17:30から夕食。国産牛のステーキ。あらかじめ私が郵送しておいたシャトーモンペラを空ける。私がワインを飲むのを知っていて、父がカマンベールチーズを買っておいてくれた。翌日二日酔いになるほど、酒を飲み、和気藹々と晩餐を楽しんだ。DAY2(5月2日)朝食は、ハムエッグ、ご飯、味噌汁、納豆、明太子、漬物。飲み物は牛乳。母が私の為に買っておいてくれた、コーヒー牛乳と苺牛乳は、朝は飲まずに昼間に喉のが乾いた時に口にした。この日、この家では珍しいことが2つ起こった。一つは、父が二日酔いで寝坊。6:30起床となったこと。普段は5:00くらいには起きている人が、である。二つ目は、父の愛犬あすかが、おねしょしてしまったということ。今年で6歳になる(犬は人間の六倍で歳を取るというから、人間にするとおよそ36歳か)が、飼い始めて以来、このようなことはなかったという。ちなみに、あすかは、おねしょで父の布団を汚した後、自分だけ母の布団にもぐりこんで逃げたという。おかげで、父は、冷たい思いをしながら、朝まで寝ていたとか。あすかのご飯は、キャベツ、こんにゃく、いちご、りんごである。アレルギーを持っているとのことで、一般的なドッグフードは食べることが出来ない。食事が終わると、父が丹念にあすかの歯を磨き、耳の掃除をする。二日目は男鹿半島まで、ドライブ。途中、なまはげの立像のある場所で、記念写真を撮る。ここは、東京に帰ってきてから知ったことだが、船越の男鹿観光案内所という場所で、この立像は15メートル、三大なまはげ像といわれる中で最も大きいものだそうだ。観光案内所には、レストラン、おみやげ物屋、なまはげ展示場が併設されていた。ソフトクリームを食べる。父はソフトクリームがコーンの部分だけになってしまうと、慌てるようにして首を胸の方に丸めて、がっつくように食べた。どうしてそんな慌てて食べるのかと聞くと、「溶けて垂れて来るのが嫌だから」と言った。実は、自分の食べ方は父の食べ方に良く似ていると思っている。何だか微笑ましく、嬉しく思った。男鹿半島の温泉は、「男鹿桜島リゾートHOTELきららか」の露天風呂。海が眺望できた。帰り道に、海の岩場を寄り道。浅瀬を歩く。又、斉藤司法書士の事務所のある市場で、ホタテを食べる。うにと海苔を買う。夕食は、宅配ピザで、コチュジャンピザ。ワインはシャトーバビー。食後、サブウェイ123を観た。DAY3(5月3日)家で絵を描く。デコポンの絵を色鉛筆でデッサンするも、難しい。妻は、あすかの絵。中野孝次の本を一冊読んだ。「美しい老年のために」妻とト一屋に買出しに行く。両親の夕飯の食材をお使いである。父が作ったという縁側に腰掛け、池を眺める。めだかがいた。16:00。実家の前で記念写真を撮り、父の車に乗り込んで、母とあすかに別れを告げる。なぜ母はあれほどに写真を撮りたがったのか。16:50秋田空港着。父と別れて、妻と二人、秋田空港のレストランで稲庭饂飩を食べる。時が過ぎるのは早い。あまりに早い。もっと両親のそばにいたかった。再会できたときの二人の嬉しそうな笑顔がなんとも懐かしく、愛おしい。
2010.05.05
資本主義社会を生きる私たちの価値感に一石を投じる本であった。この著書は、YouTubeやWikipedia等の無料サービスが社会経済に及ぼす影響を科学している。又、昨今の経済学の考え方を分かりやすく解説し、それらと、この新しい考え方である「フリーミアム」と比較しながら、今世の中で何が起こっているのかを説明している。自らの備忘と、読者への紹介を兼ねて、私が注目した部分を私見を織り交ぜながら、紹介したい。例えば、経済学で言う「代替効果」に触れながら、このように論じている。ある資源が稀少になり、価格が上がりすぎると、人々は潤沢に供給できる代替品を見つけようとするので、稀少は資源の需要が減る。クリス・アンダーソン氏は、石油の代替品を見つけようとする近年の国際競争がこれに該当すると指摘している。又、歴史を紐解きながら、中世欧州では、塩が大変高価であったのに対し、現在は、どのレストランでも、自分の座しているテーブルで自由にタダ(free)で料理に振りかけられるように、変化したと記している。(P.68~)この100年の間に、先進国では、衣服は使い捨てのものなったという。そういわれてみれば、そうかも知れない。私も、この日本では第二次世界大戦の頃(ほんの65年前)は、衣服は余分な布を当てて継ぎはぎをしていたのを知っている。アニメ「日本むかしばなし」では、寒い冬を乗り越える為に、布団を材料にして、上着を作っている場面を見たことがある。(「日本昔ばなし」は、YouTubeで参照可能。)そして、20世紀の最大の潤沢資源は、プラスチックであったという。面白いことに、グローバリゼーションによる豊富で安価な労働力は、国際経済やそれに生活を依存する我々の日々の暮らしをも大きく変えていることも記している。(P.70~)2005年から2008年前半の間、稀少であった技術系の人材は、労働力のグローバリゼーションでどのように変わるのか?日本国内を見ていると、今は労働力鎖国が続いているから良いものの、本当に海外の労働力を直接雇用するようになったら、理系人材の立場は一変するだろう。(海外現地生産への移行による、労働力の空洞化(労働力の現地化)は、既に当たり前となっている)。労働力が潤沢である社会は、マルクスが、その著書の中で懸念していた時代の到来を意味するように思えてならない。「心理的取引コスト」これは、簡単に言うと、考えることに費やされるコストのことである。価格で言うならば、「これは、それだけの価値があるのか」と考えるコストである。人間は、生来怠け者なので、できるだけ物事を考えたくない。だから私たちは、考えずに済むものを選びやすいという主旨で、議論は展開される。無料であるのと、破格でも有料であるのとでは、バイラルマーケティングという面で見たときに、天と地ほどの差があるという。前者は勝手に口頭で、その評判が広まって行き、後者は、営業や宣伝に相応のコストを支払う必要が出てくるのだ。これは何となく分かる。本の後半になると、マズローの「人間の動機に関する理論」(「欲求段階説」)を議論に取り入れながら、フリーミアムの考え方を深堀りしていくことになる。欲求段階説の説明は、Wikipedia等を参考にして頂くとして、この本の面白いところは、これを「情報」にも応用して考えているところ。(1)基本的な知識や娯楽が満たされている。(2)自分の求めている知識や娯楽について、正確に把握できるようになる。(3)自分自身のことや自分を動かしているものについて、もっと学ぶようになる。(4)受身の消費者から、創作に対する精神的報酬を求める能動的な作り手へと変えていく。これは著書の中でも言われているように、Webの世界で大変顕著なものであろう。また企業社会の中でもしばしば見られる光景で、少なくても今の日本のサービス業では、(1)から(3)までは、セルフで行われるように、企業サイドは労働者に対して、当然に期待しているように感じる。ところが、大抵の駄目な会社の場合、(1)が不十分だから、労働者サイドは(3)までたどり着くことなく、くたびれてしまうことは言うまでもない。欲求段階説と同等に、後半のキーとなる考え方はこれだ。「あらゆる潤沢さは、新しい稀少性を作り出す」(1971年 社会学者 ハーバード・サイモン)一流シェフの料理からブランド飲料水まで、プレミア商品は安価なコモディティの海から浮かび上がってくるのだこれらの言葉を皮切りに、経済とは何かを再定義していくことになる。アダム・スミスは、「市場を研究する学問」として経済学を現代の状態に近い形であらわした。クリス氏は、「稀少な資源を巡る選択の科学」と、紹介していく。ところで、経済学は、現代において、行動経済学のように、人間の選択の仕組みをインセンティブに基づいて説明しようとしている。そして、このインセンティブには、注目や評判も含まれる。そこで、経済学は、注目や評判の数量化をし、適切な市場で扱えるように学問し始めているそうだ(すでにこれは、グーグルなどで実践されていると、議論が展開。)。ITの世界などにおいて、ユーザーが無償で作ったものが、企業が給与を払いながら労働者に作らせたものよりも優れている場合があることを捉え、これを実現しえた動機を研究している。その中で、大きかったものは、コミュニティの一員である為、その繁栄に貢献したいと思ったというものであった。彼らは、その「貴重な」時間をどのように作り出しているのか。多くの場合、社会的・精神的な報酬を得られないことをするのをやめることで、時間を作り出しているという。私は、このことは、現在の企業統治のあり方に大きな問題提起をする内容だと思っている。「私たちが、報酬なしでも喜んですることは、給料の為の仕事以上に、私たちを幸せにしてくれる」私たちは、食べていかなければならないが、生きるとはそれだけではない。人々は、創造的になり、何かに貢献をし、影響力を持ち、何かの達人であると認められ、そのことで幸せを感じる。こうした非貨幣的な生産経済が、生まれる可能性は、既に昔から社会にあり、そのツールの登場によって完全に実現されたここで述べられている「昔から」というのは、「贈与経済」のことを指している。すなわち、最も古くからある社会習慣として、対価を請求することなく、人にモノを与える行為をいう(社会学者のルイス・ハイド『ギフト―エロスの交易』の研究を引用)。南太平洋の島などの土着社会には、そもそも貨幣経済はなかった。代わりに、贈り物の交換や儀式で名声が築かれ、その文化的通貨が、貨幣の代役をした(食物は、木々から充分に採取できるので、基本的な物質的な欲求は満たされている)。そして、ここでも、贈与経済を動かしているのは、啓発された利己主義であって、必ずしも寛大な心ではないとしている。私の記事で、関心を持った方は、(私のインセンティブになるので)以下で購入していただければ、大変嬉しいです。クリス・アンダーソン著,『FREE』(NHK出版,2009年12月)フリー~〈無料〉からお金を生みだす新戦略そのほかの本を探す↓
2010.03.23
関心のある記事を見つけたので、ここに転載したい。記事の特徴は世界の失業率を若者の社会進出と紐付けている点。昨年読んだユースバルジの研究に関連性をもたせて読んだ。今年の世界の失業者は2億1340万人に増加=ILO予測 [ジュネーブ 26日 ロイター] 国際労働機関(ILO)は26日、今年の世界全体の失業者数が過去最高水準になるとの見通しを発表した。失業率は先進国で小幅上昇するが、他の地域では安定ないし低下するとみている。 発表によると、昨年の世界全体の失業者数は約2億1150万人で、失業率は6.6%。失業者数は経済危機前の2007年に比べ3400万人増加した。08年は1億8500万人だった。10年は2億1340万人に増加するが、失業率は6.5%となる見込み。 ILOのソマビア事務局長は「毎年4500万人の青年男女が世界の労働市場に参入してくる。景気対策はこうした若者の雇用創出に狙いを定めなければならない」と述べた。 ILOによると、若年層の失業は07年に7250万人、08年に7400万人だったが、09年にはこれが8300万人になった。 また先進国では09年に失業者数が4280万人、失業率は8.4%だったが、今年は失業者が4560万人に増加し、失業率は8.9%に上昇するとILOはみている。
2010.01.27
国民年金法1時間30分のみ
2010.01.19
今日の実績 +4時間 1月の勉強時間 25時間 現在社一の介護保険 写真は昨夜訪れた渋谷のバーにて。
2010.01.17
1 健康保険法 総則復習三が日、外出で忙しくあまり勉強できなかった。
2010.01.03
1 健康保険法 総則後半~被保険者テキスト精読→選択式問題集2 健康保険法 総則前半択一式問題集
2009.12.30
小宮一慶氏の「あたりまえのことをバカになってちゃんとやる」を読んでいる。ハッとするような、一文があった。その内容は、経済的に成功することも大切だが、人間的に成功することの方がもっと大切である、というものだった。経済的な成功を収めているとはいえない状況だからこそ、心に響くものがあったのだと思う。勿論、両面で成功するのが良いのだが。
2009.12.28
2000年代があと5日で終わる。来年は2010年。2010年代という、新たな10年期を迎えることになる。英語には、"decade"という、10年を示す単語がある。今朝の日経新聞には、1990年代に対して、「ゼロ年代」=2000年代というキーワードが取上げられていた。「ゼロ年代」を「経済構造を新しい姿に転換しきれなかった10年間」と評価。90年代が失われた10年と呼ばれたのに対して、ゼロ年代の10年で、「失われた20年」となってしまったという。2000年代のスタートは、デフレ環境だった。そして2009年末、再び日本はデフレ環境にある。ゼロ年代は、2002年2月から2007年11月にかけての「いざなみ景気」といわれる、長期ではあるが、低成長の景気回復時代を含んでいる。景気の先行指標の代表格である日経平均株価で見てみると、2000年の最高値は18,937円。徐々に下降していき、2003年には7,603円。その後いざなみ景気と呼ばれる長期回復を経て、一旦は、2007年に18,300円まで上昇。しかし、リーマンショックのあった2008年に、日経平均6,994円まで落ち込み、今は10,000円前後で推移している。その間に、いわゆるBRICsといわれる新興国、中でも中国とインドが順調に力をつけていき、政治経済における存在感を増していった。今や日本を追い抜くのは時間の問題である。日本の存在感の低下は、数値に関連付けられている。世界におけるGDPシェアは、1994年がピークで17.9%。2008年は8.1%で、1980年代を下回る水準。雇用環境は、10年間で一変したと言えよう。2000年代前半は、就職氷河期の継続したことにより、正社員として就職できなかった20代30代を大量生産した。彼らの多くは、派遣社員やフリーターなどの「非正規社員」として働くことになり、リーマンショック後は、「派遣切り」に合い、大変な苦労を強いられた。そしてそれは今尚続いており、収束の目処はない。又、来年卒業予定の大卒就職内定率も、2009年10月時点で62.5%と急降下しており、新たなロストジェネレーションが生産されるのではと危惧されている。一方で、女性の社会進出と高齢者の継続雇用は進み、限られたパイを増大するプロレタリアートで奪い合うという、マルクスが予言した椅子取りゲームを強要されている。結果として、過去は夫一人で支えていた家計を、家族総がかりで支えなければならない社会となってしまった。その社会変化は、女性の人生観を多様なものにした。女性は家庭から解放されつつあるが、同時に、資本家たる企業に拘束されつつある。これが出生率の低下や晩婚化の進展に無関係とはいえまい。就業環境の変化といえば、PCやWEB環境の整備が進んだ。ゼロ年代は「手書き」と「システム出入力」が、シェアを大幅に塗り替えた10年であったといえよう。これを文明の進展とすれば聞こえは良いが、同時に業務の標準化・機械化が進んだことも意味しており、労働者にとっては、専門的な技術ノウハウが、デジタル化されて資本家に吸い取られ、かつ、より多くのアウトプットが求められる時代に突入したといえる。企業間競争が激しくなる一方で、労働者側も、労働者間での競争がより一層激化していると思われる。そのような労働環境が新たに直面するのは、企業年金の清算である。JALの企業年金問題は氷山の一角。大企業各社が、年金財源の為に、資金繰りを工夫しなければならないのは、目に見えている。2010年代前半は、リタイアした世代の年金を払う為に、現役世代の賞与を抑制する時期が続こう。立法によりこれを整理しないことには、JALと同じような議論が繰り返されるばかりである。足元このような状況で、どうやって「失われた20年」を挽回していこうか?これを検討するのが政治であり、国民世論である。我々はマスメディアに振り回されることなく、自己研鑽を積みつつ、じっと耐え忍ぶ覚悟が必要だ。
2009.12.27
続いて、2009年、世間で起こった10大ニュースを自分の観点で纏めた。1位 不景気再来2位 新型インフルエンザ3位 政権交代 民主党政権の発足4位 米国自動車産業ビッグスリー GM、クライスラーの破綻5位 オバマ政権始動6位 EU新基本条約が発効。新「大統領」にベルギー首相7位 事業仕訳8位 定額給付金支給開始9位 裁判員制度開始10位 芸能人覚醒剤取締法違反外部環境の変化で自分自身の行動にどのような影響が出たかというと、ズバリ「緊縮」であったと思う。不景気の再来に、家計の見直しを迫られた。新型インフルエンザの影響で、マスク着用は勿論のこと、健康上心配があるときの外出も控えた。オバマ政権と鳩山民主党政権の発足で、期待感を持つものの、ビッグスリーの倒産などもあり、世の中がどう変わるのかが占えず、静観。ブリザードの冬を凌ぐ熊のようにして、巣篭もりをしていたように思える。
2009.12.27
2009年のプライベートを整理した。下記の通り、人生の大きなイベントである新婚旅行に行くことができ、年間を通じて充実した日々を過ごした。100年に一度といわれる大不況の中、転職したこともあり、平日は苦労が絶える事はなかったが、妻の支えもあって、何とか無事に乗り切った1年であったといえよう。10月に母が入院をするというアクシデントがあったが、それを機に帰省することができ、又、母の回復も順調であったことから、今は落ちついて振り返ることが出来る。身の回りでは友人や親戚の結婚が相次ぎ、幸せを分けてもらいながら、ご祝儀の金繰りに苦労した。趣味のサルサでは、11月にジャパン・サルサ・コングレスに出場し、ひとまずの成功を収め、また会社のクリスマスパーティでも、拍手喝采を浴びることが出来、相応の実績を残せた。しかし、新型インフルエンザの影響でLAコングレスを断念したことは残念だった。余暇の過ごし方としては、映画を見る回数は激減し、代わりに人生で初めてミュージカルの鑑賞をした。しかも4つ(本来サーカスのシルク・ドゥ・ソレイユも含めると5つ)も鑑賞したということは、特筆すべきことであり、今後の人生において余暇の楽しみ方が一つ増えたものと喜んでいる。給与が高くなく、新婚旅行の借金返済があった為、家計の繰り回しは本当に大変だった。「事業仕訳」がニュースになる前から、自分も家計の仕訳をし、支出を減らせる部分については、ナタを振るってきた。生命保険にようやく加入したが、半年以上悩んで決めた内容ゆえに、自分の選択に満足している。どれだけ成長できたかは、自信がない。システム設計及び人事制度設計という新分野のノウハウを吸収していることは自覚しているが、社労士試験の受験を断念したことが尾を引いているのだろう。読書は継続している。父の影響もあり、大学の授業で扱うような少し難易度の高い書籍に志向がシフトしたように思う。【ハイライト】(1)人事システム開発企業への転職(1月)(2)新婚旅行(バンコク、シェリムアップ-アンコールワット、サムイ島)(1月)【家族・友人の部】(1)結婚1週年のお祝い 3月(田園調布)(2)秋田帰省(母の甲状腺機能低下症候群)(11月)(3)結婚式 ・松井(2月) ・木島(4月) ・ようちゃん(7月/札幌) ・木綿子ちゃん(7月) ・さちよさん(8月)【サルサの部】(1)ジャパン・サルサ・コングレス出場(2)会社クリスマスパーティ サルサパフォーマンス(3)LAコングレス出場断念【余暇・娯楽の部】(1)戸越公園お花見(4月)(2)高尾山登山 (5月)(3)55steps (5月)(4)妻の勤め先バイトのミュージカル (6月)(5)サルサ友達のミュージカル (7月)(6)ガンダムプロジェクト(8月)(7)妻の勤め先バーベキュー (9月)(8)ライオンキング (11月)(9)シルク・ドゥ・ソレイユ (12月)(10)ディズニーシー(12月)(11)東京ベイ舞浜ホテル(12月)【家計の部】(1)生命保険の加入(2)カメラ付インターフォンの設置(3)障子の張替(4)実印新調(5)万年筆の購入(6)新婚旅行代金の長期返済(7)通信費の見直し(IP電話化、インターネットプロバイダ変更)(8)日経新聞定期購読の中止【自己研鑽の部】(1)IT知識の獲得(2)人事制度設計ノウハウの獲得(3)社労士受験断念(4)読書 ・7つの習慣(スティーブン・R・コーヴィ) ・大恐慌を駆け抜けた男 高橋是清(松本崇) ・断わる力(勝間和代) ・ダイバーシティ(山口一男) ・ザ・ゴール2(エリヤフ・ゴールドラット) ・チェンジ・ザ・ルール(エリヤフ・ゴールドラット) ・粗にして野だが卑ではない(城山三郎) ・10万年の世界経済史(グレゴリー・クラーク) ・酒飲みの文化史(青木英夫) ・思考の整理学(外山 滋比古) ・読書術(加藤周一) ・日本文学史 序説 上(加藤周一) ・賃労働と資本(カールマルクス) ・日経新聞の数字が分かる本(小宮一慶) ・あたりまえのことをバカになってちゃんとやる(小宮一慶)以上
2009.12.26
激動の2009年も残すところ10日となった。個人的には、民主党政権の発足以上に、不景気そのものが一番のニュースであった。仕事でもプライベートでも、2009年の振り返りを始めているところだが、今回は世の中はどう変わったのかを見る経済指標で、現金給与総額について、触れてみたい。「現金給与総額」とは、労働者1人当たりに対して支払われる、一ヶ月間の所得税・社会保険料等を差し引く前の給与総額で、「決まって支給する給与」 (所定内給与・超過労働給与)と「特別に支払われた給与」(賞与等)の合計額を指す。2009年以前の5年間を見ると、2007年に2006年比で約▲5,000円と減少は見られたが、概ね増加基調にあった。むしろ2007年は、団塊の世代の退職というイベントがあったと説明できる。すなわち、賃金水準の高かった段階の世代の退職又は低い賃金での再雇用により、ボーナスなどの特別に支払われた給与が3年ぶりに減少になったことである。又、パートタイム労働者が増加基調にあり、統計調査対象の平均給与が押し下げられたことも影響していよう。2004年 332,784円2005年 334,910円2006年 335,774円2007年 330,313円2008年 331,300円それでは、最近の指標はどうなっているのかを見てみると、「100年に一度の津波」の影響が凄いことがわかる。最新値は、「2009年10月 267,297円」。同じ10月をとって期間比較をしてみる。2004年10月 276,543円2005年10月 278,211円2006年10月 278,061円2007年10月 275,294円2008年10月 275,454円2009年10月 267,297円つまり、極めて大雑把に表現すると、今年は昨年よりも▲8,000円分、月給が少ないということだ。これは主に基本給部分の反映であると考えられるから、特に景気の変動を受けやすいといわれる賞与が指標に入った場合(すなわち年間の現金給与総額が算出された場合)、どこまで悪化するのかは、懸念されるところである。
2009.12.21
カール・マルクス『賃労働と資本』(岩波文庫,460円)は、この時代を生きる人間にとって大変刺激になる。後学のためにここにその一部を、紹介したい。「資本と労働力は利害が一致しているか」会社の利益が増えれば、社員の給料が増えるというのは、一方で会社の利益が減れば、社員の給料が減るというのも、何となく日本における常識のようになっている。「だから、会社と社員は一体である」という論理が表層においては、成り立つように見えるが、マルクスはこれについて、思考の階層のより深く広い部分に下っていき、以下のような分析をしている。■資本の増加は、プロレタリアート(労働者階級)の増加である。(1)資本は、労働力と交換されることによって、賃労働を生み出すことによってのみ増殖される。(2)一方、賃労働者の労働力は、資本を増加させることによって、すなわち、労働力を奴隷のように使う機能を強大にすることによってのみ、資本と交換されうる。■労働者と資本は、お互いが存在条件である点で利害が一致している。(1)労働者は、資本が労働者を雇わないと滅びる(2)資本は、労働力を搾取しないと滅びる生産的資本の拡大は、賃労働者総数の増大を意味しており、労働に対する需要の拡大に通じる。労働に対する需要が拡大すると、労賃が高騰していく。労賃の高騰は、生産的資本の急拡大に通じる。こうして、社会的享楽は拡大するのである。ここまでは、資本と労働力の関係が「平和」なように読めると思う。しかし、本当に資本主義という社会システムがいいと思うか、ということを次の議論で呈している。■個々人の得る享楽(社会状態)の比較上記の議論には、落とし穴がある。享楽が拡大するといっても、労働者の享楽は資本家の享楽に追いつくことはない。人の幸福感には他人と自分との相対的な比較が絡んでいるから、労働者が相対的に満足感を得ることは困難になる。■労賃の商品価格との比較労賃については、商品の価格との比較、すなわち、名目賃金と実質賃金の考え方にも触れている。すわなち、労賃と(資本の)利潤の騰落の相互関係の一般法則は、「反比例」である。資本の分け前たる利潤が増えれば、その分労働の分け前たる労賃は減る。資本の分け前たる利潤が減れば、その分労働の分け前たる労賃は増える。■利潤と労賃の好景気状態における分析ここでも相対的な考え方を前提とする。すなわち、利潤が30%、労賃が5%、それぞれ増えた場合、名目賃金と実質賃金の考え方から労賃は実質的に減少している。このメカニズムが、資本家と労働者の差を拡大するのである。労働者にしてみれば、好景気状態で、物質的には改善しているが、社会的状態はその環境の中で犠牲になっているといえる。
2009.12.19
外資系の採用にはリファレンスチェックというものがある。一通り面接のプロセスを終えた、或いは、終えそうな者、または面接を開始する際に、その候補者の働き振りを知る者に電話等で連絡し、候補者の働きぶりや人格に問題かないかを確認する作業だ。俺が、自動車部品会社を退職して、今の会社に転職する時にも、現在の職場の上司が前の会社の上司にリファレンスチェックをしたのだが、その時の怒りのコメントを今でも覚えている。「人に評判を聞かないで、てめえでしっかり判断しろってんだ。」ごもっともな気がして、何も言えなかった。
2009.12.19
ワインが好きで、週2日の休肝日を除いて、大体赤ワインを飲んでいる。頻繁に飲むので、出費が嵩まないようにいつも1,000円~2,000円の価格帯で買っている。テイスティングという程のものでもないが、毎回自分なりに感想をテイスティングノートに記して、素人研究をしている。見た目、香り、味、全体の質、総合得点と、採点しながら飲んでいる。ワインの本や関連WEBサイトを見ながら、ワインというクオリア(質感)を文章で表現しているのだが、これが大変勉強になる。例えば、赤ワインの色具合を表現するのにも、「青味は見られず、むしろ橙(だいだい)の気を見て取れる」とするし、「焼き鮭と食べるとその塩味とマッチし、単独で飲んでもしっかり味わうことが出来る」等と表現することもある。ここでは俺のテイスティング表現はどうでもいい。大切なのは、ワインをテイスティングするときに用いる「ものの見方」、「表現の仕方」、その考え方が、候補者を表現するときにも役に立つということだ。最近よく使うのが、"not A but B"という表現方法。「ノート型PCが似合いそうなビシッとしたエリート風の営業マン、という訳ではありませんが、同僚や顧客をビールに誘いながら笑顔でアプローチしていく、ネットワーク形成の上手なタイプの営業マンです」、というような表現をすることもある。テイスティングを通じて、表現の方法を豊か育てていきたい。
2009.12.19
昨日、NHKで『プロフェッショナル 仕事の流儀』を見た。いつもどおり、ワインを傍らに夕食を楽しみながらの鑑賞。鑑賞と言っても勉強に近い気持ちでいつも見ている。今回のテーマは、「茶師・前田文男」さん。番組を見ていて、心に響いた言葉があった。「良い茶よりも、伸びる茶を」市場で、その場で良いと感じる茶葉よりも、自分の工場で練磨する中で風味や味が伸びる茶葉を見出して、仕入れるという。そして、前田文男さんは、一度自分が「引き受けた」茶葉は、決して見捨てないという。前田さん自身も30歳前後の5年間、茶葉の選び方が分からなかったという。それでも、彼が、いまや日本を代表する素晴らしい茶師になれたのは、5年間、会社が待っていてくれたからだとコメントしていた。社員を雇用する会社側からすれば、5年間、芽が出すのを待つのは非常に難しい判断だと思う。今の俺では、勉強不足で残念ながらそれが良いのか悪いのか、一般論を述べることは出来ない。そもそも5年間という長期スタンスで育成するのがいいのか、1年とあえて厳しい時限を与えて育てるのがいいのかも、判断に迷うところ。一度自分が「引き受けた」茶葉は、決して見捨てない。「伸ばす」方法の違いはあれども、責任者の決意として素晴らしいものであると感じた。
2009.12.19
世界有数の投資銀行「ゴールドマンサックス」社。そのホームページで、同社の経営理念を拝見させて頂いた。頂点に登り詰める企業の経営理念は気合が違う。同じ社会に生きる者として、大変刺激になったので、以下に紹介させて頂きたい。(以下、ゴールドマンサックス ホームページより転載)http://www2.goldmansachs.com/japan/our_firm/bn_profile.html経営理念1ビジネス遂行上最優先すべきは、顧客の利益である。ビジネスの成功は、顧客への貢献の結果得られるものであり、これはわが社の発展の歴史を見ても明らかである。2わが社の資産は人材、資本および信用から成る。このいずれをも欠くことはできないが、とりわけ信用に関しては、これをひとたび失うならばその回復は極めて困難である。このため我々は、法律、規則、および道義の字義と精神を堅く遵守することを自らに課している。我々のさらなる成功は、この規範を忠実に守ることにかかっている。3わが社は、株主に大きな投資利益を還元することを目標としている。大きな投資利益を実現し、資本を強化し、かつ最も優秀な人材を雇用し確保するためには、収益性を高めることが重要である。従業員持株制度の充実により、従業員と株主の利益の均衡が図られている。4わが社は、我々が提供する金融サービスの専門性における高い質に大いなる誇りを抱くものである。我々が従事するあらゆる業務において最高の結果を得るために、不退転の決意でビジネスに臨んでいる。わが社の業務が多岐にわたり、取扱量が大幅に増加する場合であっても、規模において最大であるよりも質において最良であることが我々の選択である。5創造力とイマジネーションは、わが社のあらゆる業務における重要な要素である。我々は従来の方法が依然として最良のものであり得ることを十分に認識する一方で、顧客の抱える問題に対するより良い解決法を見出す努力を怠らない。現在、金融界で広く用いられている手法や技術の多くを、わが社が他社に先がけて開発してきたという事実を誇るものである。6わが社は、すべての職務に最高の人材を発掘し獲得することに並々ならぬ努力を傾注している。我々の業務は巨額の数字によって測られるが、人材は一人一人に焦点をあてて選んでいる。金融サービス事業においては、すぐれた人材なくして最良の企業たり得ないということをわが社は承知している。7わが社の社員には、多くの企業と比べてより早い昇進の機会が与えられている。昇進は社員それぞれの功績によるものであり、我々は優秀な社員が遂行し得る職務内容に限界を認めるものではない。我々が成功するためには、わが社の男女社員が業務活動を行う地域社会や文化圏の多様性を反映しなければならない。これは我々が様々な背景や思考を有する人材を引きつけ、確保し、動機づけなければならないことを意味する。多様化は選択肢ではなく、我々のあるべき姿である。8わが社はあらゆる面においてチームワークを重んじる。個人の創造性は常に奨励されるものであるが、最高の結果はしばしばチームワークによってもたらされることを、わが社は経験によって知っている。個人の利益を顧客やわが社の利益よりも優先する者をわが社は必要としない。9社員のわが社への貢献と仕事への熱意あふれる取り組みは、他社と比べ群を抜くものである。わが社の成功の重要な要素はここにある。10わが社の規模は資産であり、その規模を維持するために我々にはたゆまぬ努力が求められる。わが社は顧客の最大規模のプロジェクトをも遂行し得る十分な規模を備える必要がある。一方それと同時に、社員の忠誠心、親交、団結といった我々すべてが尊びかつわが社の成功に大きな役割を果たしている精神を保ち得る適正な規模を維持したい。11わが社は急速に変化していく顧客のニーズを見極めながら、こうしたニーズに対応する新しいサービスの開発に尽力していかねばならない。我々は金融の世界が常に動いており、この世界においては現状維持が淘汰につながることを知っている。12我々は顧客との関係において常に極秘情報を入手する立場にある。しかしながら、わが社において、機密漏洩または極秘情報の不正もしくは不注意な取り扱いが発生することはあり得ない。13わが社のビジネスは熾烈な競争下にあり、我々は顧客層の拡大に積極的に取り組んでいかねばならない。しかしながら、我々は競争者として、いかなる時も公正を欠くことなくまた他社を中傷することは一切してはならない。14高潔と誠実こそがわが社のビジネスの核心を成すものである。わが社の社員には、その職務遂行と私生活の双方において、高い倫理観に基づいて行動することを期待するものである。
2009.12.19
かつて堀江貴文氏は、2004年に出版した著書『稼ぐが勝ち』の中で、若者が夢を描けないのは、目標となるようなヒーロー的存在がいなくなったからだと主張していた。誰かが、若者に分かりやすいサクセスストーリーを見せてあげないと、(特に経済的に)日本は失速していくとコメントをしていた。堀江氏は有価証券報告書の虚偽容疑で、法の下に裁かれることになったが、俺は、彼が著書の中で主張し続けてきたことが間違いであったとは思っていない。むしろ、当時の日本にとって必要な言葉も少なからずあったと思う。ある思想や言論が、実刑判決を受けたような人物のものであったとしても、世の中に受け入れられる例は歴史の中、枚挙に暇がない。ここに挙げる例の適切性については、目をつぶって頂くとして、古くは地動説を唱えたガリレオ・ガリレイ然り、足尾銅山鉱毒事件で闘った田中正造然り。年間自殺者数が、3万人を超え、今尚増え続けている現代日本。通り魔事件や家族殺人事件も後を絶えない。人が自らを、或いは家族や知人を、ひいては他者を律して、人の社会で生きていくには、将来への希望は必要である。ところが、今「希望」という言葉を発しても空虚でリアリティがないのは、その基盤となる「生き様」が語られなくなってきているからだと思う。手本としたい生き方、純粋にカッコイイ、真似たいと思う人物像が、自らの行動基準、そして人格形成に影響を与える。単一のメンターではなく、複数のメンターから、自分に同化させたい部分を見出し、ポートフォリオをくみ上げていければ、自ずと日々の仕事や勉強だけでなく、生活そのものにエナジーが沸いてくると思う。その意味では、冒頭に取上げた堀江氏の主張は、ごもっともだと信じている。
2009.12.19
NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』を見た。昨日のテーマは、「がん看護・専門看護士」である田村恵子さん。不治の病を宣告され、残された時間を過ごす患者を最期まで、支えるその姿を観て、やがて自分にも訪れる命の終わりの時を想像して、視聴後も暫くの間は、言葉が出なかった。その中でも心に響いたのは「希望は、かならず見つかる」という言葉。絶望の淵にいる患者さんの言葉を受け止め、患者さんの置かれている状況と向き合い、患者自身の中に隠されている小さな希望や生きがいを自分で見つけさせてあげる。そんな対話を繰り返すシーンがあった。人は人生の中で、それまで乗り越えたことの無いような、途方も無い困難にぶつかると、しばしば希望を見失う。仕事で取り返しのつかないような失敗をしでかした時にも、修復不可能と思われる人間関係の境地に陥った時にも、どうしようもない金銭面のトラブルを抱えてしまった時においても、しばしば、自分を見失い、どうしていいのかわからなくなる。勿論、今の俺には、不治の病で死を宣告された人の絶望は想像すら追いつかない。それでも、田村さんは「(患者さんの)心の奥に、必ずある」と信じる希望を見つけてあげる手伝いを続ける。例え自分が悲惨な状況にあったとしても、自分には何かできることがきっとある、と信じられると、次のアクションが変わる。希望は活力を生む。恐怖と向き合う勇気と覚悟を生む。希望があるから、困難を乗り越える為に、努力しようと思える。「希望はかならず、見つかる」。人が、いや、人々が生きていくのに、希望は必要だ。くじけそうになった時に、思い出したい言葉だと思った。
2009.12.19
NHK『プロフェッショナル』の司会でもある、脳科学者・茂木健一郎さんの著作をよく読んでいる。クオリア(質感)についての研究に関する記事をよく見る。昨日、夕食を食べながら思った。ワインや肉料理は、若干の味加減が変わっていたとしても、劇的に味が変化しているわけではないのに、疲れて腹ペコの時に飲食するのと、そうでない時に飲食するのでは、美味しさが全く違う。腹ペコの時の方がずっと美味しい。また、子供の頃はビールなんて苦いだけで全く美味しくなかったが、ある年齢からは美味しく飲めるようになった。ビールが変わったのではなく、俺が変わったのだ。つくづくクオリアは不思議だと思った。外部から入ってくる苦い刺激が、自然に受け入れられるようになるのであれば、苦しみや悲しみも同様に年齢を減るごとに、耐え難いものから耐えられるものに変わっていくのだろうか。
2009.12.19
今日面白い出会いがあり、ニューヨークのヘッドハンターについて、話を聞くことができた。教えてくれたのは、現在欧州系の投資銀行でHRとして採用に従事している男性。元々コンピューターメーカーのHRで、さらにその前の経歴はヘッドハンターだというが、10年以上やっていたというので、相応のベテランである。彼に言わせれば、日本のヘッドハンターはまるで甘いと言う。中には、登録型人材紹介会社という業態でありながら、自らを公然とヘッドハンターと名乗る輩までいるという。本場アメリカでは、リファーラルで動くのは当たり前。サーチの手法ももっと多様性に富んでいるという。例えば、彼がNYで仕事をしていた頃は、公的機関でターゲット候補者の自動車のナンバーを調べて、更にその駐車場を調べて、車の前で待機していてその車に乗る人に声をかけたという。過去の経歴は勿論のこと、家族構成や趣味までも調べて候補者にアプローチするというからすごい。必要に応じては、特定の項目を調査する為に、約20ドル(安い?)支払って、下請け(?)業者を使いながら、ターゲットに迫るという。勿論倫理的な問題もあろう。少なくとも、女性候補者にしてみれば、そのようなアプローチをされた日には、気持ち悪くて仕方が無い。個人情報保護法の絡みもあって、日本ではまず、実現不可能な方法論である。彼曰く、ウォールストリートで最も稼ぐヘッドハンター達は、大抵独立していて、年間4,5人程プレイスする。紹介手数料は日本国内の一般的なレートの3分の1程度。それでも充分すぎる稼ぎを得ているという。その候補者達の年収が2億円、3億円を超えているからだ。それにしても、彼が日本に来て驚いたのは、一巡の仕事にあまりに多くの人材を使いすぎている点。「僕だったら一人でできることを、この国の会社は5人でやっている。さらに稟議を回しているうちに、ポイントまでずれてくる。本当に効率が悪くて戸惑っている」。そう言えば、勝間和代さんの著書『効率が10倍アップする 新・知的生産術 ―自分をグーグル化する方法―』(※下記参照)にOECD加盟国諸国の労働生産性のグラフが出ていたが、日本は19位にランクされていて、業務効率の低さが際立っていた。
2009.12.19
「経験者」を中途採用する時、誰がどのように計画を立てているか。社長や人事部長、または部門長が単独で進めるのは、それなりに組織のモチベーションリスクを伴う。現場の社員が採用計画を全く知らされていない状態で、急に「はい、この人がこの分野に参画することになりましたので、宜しく」と新規採用をすると、現場の社員達は、自分達の仕事ぶりに不足や不満があるのかと誤解をする場合もある。もし、ある部門にあまりに仕事が出来ない人材がおり、交代要員を確保する必要があって、それを秘密裏に進めなければならないような状況である、ということでもなければ、原則的に現場を巻き込みながら進めるのが良い。どのような人材を取りたいのか現場の社員に説明し、或いは口頭か書面でアンケートを取り、実際に候補者との面談もさせて、現場のニーズに応える形で採用するのが良い。採用段階から、現場の社員に参加してもらえれば、新入社員が入る時には、彼らも新しい仲間を迎え入れる、心の準備は既に終わっていて、キャッチアップのOJTなども比較的円滑に展開できるだろう。
2009.12.19
六本木ヒルズの映画館。『インディ・ジョーンズ クリスタルスカルの王国』を観た。往年のファンを裏切らない、お約束演出の数々で、初めてインディ・ジョーンズを観た頃を思い出しながら楽しんだ。俺の人生に影響を与えた映画は、いくつかある。例えば『Salsa!』(1999年)は、俺がサルサを習い始めるきっかけとなったし、『ベストキッド』(1984年)を知らなかったら、空手への憧れが心の中に芽生えることがなかったかもしれない。インディ・ジョーンズを観たのは、1984年の夏。すなわち俺が6歳の時で、父の転勤で、札幌に住んでいた頃のことだ。作品は、『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』。夏と冬は、父が子供の俺をよく映画館に連れて行ってくれた。子供の頃から映画が好きで、映画を見た後は、大興奮で、映画の絵を描いたり、テーマ曲を歌ったりして落ち着きが無かった。インディ・ジョーンズについては、父がこれはきっと面白いから一緒に観ようと誘ってくれたのを覚えている。狸小路のあたりを歩いている時だったように記憶しているが、定かではない。 『魔宮の伝説』の素晴らしさは、誰もが知るとおりである。鞭を振るって、ターザンロープで、右へ左へ縦横無尽に飛び回り、仕掛けいっぱいの洞窟を探検し、目玉のスープが食卓に並び、悪玉は心臓を抜き取る黒魔術の使い手。ここにその感動を記せば枚挙に暇がない。幼年時代の俺が、喜ばない訳がない。映画を観終わって、家に家に帰れば、太めのタコ糸を母から貰って、それを鞭に見立てて、振り回して遊んでいた。この映画の主人公の職業は考古学者である。異文化を解し、歴史の謎を読み解く。俺が強く影響を受けたのはこれに関連するもので、インディ先生が見たような遺跡や洞窟を俺も見て歩きたい、いつか見に行くんだと、子供ながらにその願望を心に刻み込んだ。子供の頃に憧れたことを実現する為に大人になる、と俺に説いた先生がいたが、その一部が「現実的な形で」実現し、22歳以降(最近はご無沙汰であるが、)、エジプト、インド、タイ、インドネシア、カンボジア、ヨルダン、トルコの世界遺産登録されている遺跡を訪ねて旅をするようになった。偉そうなことを言っても、俺はただの旅行者ではあるが、それでも、このシリーズとの出会い無しに、すばらしい数々の感動と出会うことはありえなかった。インディ・ジョーンズは、俺の世界遺産巡りの先生なのである。
2009.12.19
洞爺湖サミットが本日から開催されたので、ここでも敢えて環境問題に係る記事を書いてみたい。先週土曜日に、銀行時代の友人の結婚式2次会に行ってきた。銀行を辞めてもう3年になるのだが、同期の顔ぶれを前にビールを仰ぐと、まだ自分がその銀行に在籍しているような錯覚さえも感じる。とても良い仲間である。ところで、二次会の会場に到着して、名前を告げて会費を支払い、受付を済ませた瞬間だった。同期から、「何だー、お前ノータイかよー (苦笑)」と言われた。俺はあっさり、「この資源高、温暖化、食糧難時代の到来を前にして、わざわざネクタイを締める理由はないだろう。(苦笑)」と笑い返した。同期は、悪意なくちょっとからかっただけのつもりだったのかもしれない。しかし、周りを良く見ると、面白いことに、多くの同期が猛暑の中、一生懸命ネクタイをしていて、伝統的銀行文化を守っているようであった。最後まで、ネクタイを締めているのかと思いきや、やがて柔軟性のある何人かは、ネクタイを締める伝統文化を一時放棄することに決めたのか、俺や他少数のノータイマンを見て、左右を確認しながら、そろそろとネクタイを外しはじめた。彼らはただ単に、判断の尺度がなかっただけなのかもしれない。二酸化炭素の排出削減はもはや、国と国民の義務である。「気が付いたことからやりましょう」「出来ることからやりましょう」という時期は、とっくに経過してしまっていて、いつまでも気が付かない組織や個人に、パラダイム転換を迫る時期に来ているのだと思う。ところで、テレビで洞爺湖サミットの映像を見ると、福田首相も、他のG8首脳陣もスーツの上着を着てしっかりネクタイをしていた。さぞ会場はクーラーの温度を低くしているのだろう。英国各誌が、アフリカの貧困問題を話しながら、豪華な食事を食べているシーンを厳しく非難しているらしいが、確かに食糧危機を論じるには説得力に欠く映像であった。議長国として、配慮すべきことが配慮できていないように感じるのは私だけではないと思う。
2009.12.19
「労働力」に「世界の歴史」という幅を持たせて、考えていると、奴隷制度がふと思い出された。奴隷とは、人間でありながら所有の客体、すなわち所有物とされるものを言う。風土・慣習・伝統の違いによる地域差はあるものの、有志以来、人が人を所有するという奴隷制度は、世界中どこでも見られた。1949年以降、国際連合の法規及び各国のこれに準じた法規によって、原則奴隷制度は国際的に廃止されていることになっているが、今でも世界には、2700万人の奴隷がいるという。日本から、人身売買や奴隷制度が(見かけ上)一掃されたのは、意外と最近のことで、戦後の新憲法が発布されてからだ。奴隷制、強制労働、人身売買を社会から抹消し、新しい社会へと切り替えていく過程で、労働基準法が整備されていくことになるのである。
2009.12.19
『プロフェッショナル 仕事の流儀 名人戦 森内俊之 VS 羽生義治』を観て、二人のライバルの集中力の高さに息を呑んだ。碁盤を挟んで対峙しているときの双方の緊張感がすごい。テレビのブラウン管を通しても感じられるくらいなので、実際その場にいる人には、余計に迫力を感じられるだろう。「永世名人」の称号を獲得した森内名人は、羽生名人に比べ、読みの速さや瞬時の判断力は鈍いと自己分析している。「しかし、どっしり相手の攻めを受け止め、緻密な読みをめぐらせて、じわじわと揺さぶる。この将棋が相手を追い込む」という。『重厚な受け』番組では、彼の姿勢をこう表現していた。一手の判断ミスが、致命傷になる将棋の世界。重厚な受けをするには、相当の自信とその背景にある実績、そして、安定した精神力が必要だろう。物事に一喜一憂していては、到底たどり着けない境地であろうと感じた。羽生義治は、いつも番組のエンディングにある質問にこう答えた。「プロフェッショナルとは、24時間、365日プロであり続けることだと思います。」出演者の回答が、しっくりこないと感じることが多いが、今日は強い共感を得られた。私はまだまだ道半ばにあることを反省した。
2009.12.19
今回のテーマは、「板金職人・国村次郎」さん。ハンマーで平らな金属板を叩いて曲面に加工していく打ち出し板金」。この技術を使って新幹線の車体を作っていく。一つのモデルを金型を使って大量生産する自動車や列車と違い、そもそも新幹線の生産台数は少ない為、打ち出し板金で対応するのだという。金型を作るとコスト高になってしまうからだ。国村さんはベテランとして、後輩の育成に余念がない。そのやり方は、まさに職人的で、例え時間がかかっても、必ず本人にやらせて、本人に考えさせる。あえて試行錯誤をさせているようにさえ見える。試行錯誤の段階を超えて、本人がコツを掴むのを待つ。それは、彼の技術習得についての信念があるからだ。「自分で掴んだ技術は逃げない」一度、悩み悩んで掴んだノウハウは、生涯使える財産となる。苦心しなければ、ノウハウは自分と同化しない。だから苦心させる。仕事が合わないからと、すぐにさじを投げてしまっているようでは、いつまでたっても、仕事の技術は身につかないのだろう。ジョブホッピングのような転職を繰り返す人を、よく目の当たりにするようになった現在に投げかける、戒めと応援の一言だと感じた。
2009.12.19
フランス系大手投信投資顧問会社のエグゼクティブと丸の内で会った時に、彼はこんな話をしていた。「学校では優秀な成績だったのに、就職して落ちこぼれてしまう若者が沢山いる。同じように転職して何も出来なくなってしまう奴が沢山いる。『俺は出来るんだ、すげえ実績があるんだ』と勘違いしているんだ。じゃあどういう奴がいいんだって、俺に聞くな。」「俺はてめえとなんて比べてねえ。幸せならばそれでいいんだ。」
2009.12.19
アクセス解析を研究すると、このブログの読者が何に注目しているかが分かる。特にポイントの高かったキーワードに「リファレンスチェック」があったので、今日はこれについて触れたい。(以前記載した関連記事 2008年6月17日(火))リファレンスとは、日本語にすると「照会」のこと。外資系金融機関の採用では、特にシニア人材(上級職員)の合否判断に多用されているが、その方法は、会社や採用責任者、リファレンスの目的等によって、おおまかに次の3つに類別される。(1)求職者にリファレンスレターを用意させる簡単に言うと、採用側が求職者に、その働き振りを知る人から照会状・推薦状のようなものを貰ってくるよう依頼するというもの。採用側で書式を用意してそれを求職者に持たせる場合が多い。就労期間の確認や当時の職務内容などについて、職務経歴書と相違がないかをペーパーベースで確認する。採用側の人事部が主導することが多い。(2)求職者に照会相手を聞き、採用側が電話で確認する採用側が求職者から過去の上司や同僚の連絡先を聞き、電話で当時の働きぶりや人柄、経歴を確認するというもの。部門長が主導して採用する場合に多い。(3)採用側が独自の人的ネットワークを利用して、電話で確認をする同業界から人を採用する場合、(2)の方法で求職者に聞かなくても、既に採用側の社内の者が求職者の昔の同僚と知り合いというケースがあり、このネットワークを利用して、採用側が独自に知り合いに連絡をして求職者の人柄や能力を確認するというもの。部門長が主導して採用する場合に多い。ちなみにこのリファレンスチェックについて、Wikipedia英語版で調べてみると、次のように説明されていた。(http://en.wikipedia.org/wiki/Reference,「Wikipedia」から引用)Work referencesIn the labour market potential employers often ask job applicants for references so that their suitability can be verified independently. The references can be a written letter but are often a contact telephone number. Employers can ask for 'professional' references which are from former employers or for 'character' references which are from people of distinction, such as doctors or teachers, who are known to the applicant and can vouch for their employability.簡約労働市場において、ある求職者を採用せんとする使用者(企業)は、適性検証の一助の為、しばしば求職者にリファレンス(照会)を依頼する。その形式は書類が主だが、時折連絡先電話番号の提出という形で依頼されうる。採用側企業は、「プロフェッショナル・リファレンス(スキルや経験の照会)」を、求職者の前の雇用主に依頼し、又、「キャラクター・リファレンス(性格の照会)」を医者や先生などに依頼する。
2009.12.19
10月7日(火)。ついに日経平均株価が1万円を割った。終値は若干戻したが、1万円を切った衝撃は我々の心に深く刻まれている。ところで、同じ日に日本以上に深刻な事態に陥った国があったのを知った。アイスランドである。イギリスの北西の島国。何が起きたかは次の記事を見てほしい。(2008.10.7 NIKKEI NETより引用)「アイスランド、民間銀を政府管理下に 金融非常事態を宣言」 【ロンドン=吉田ありさ】アイスランド政府は6日夜「金融市場の混乱で我が国は危機に直面した」と非常事態を宣言し、民間銀行を政府管理下に置く法律を緊急に制定した。すべての銀行を国有化し、海外資産売却など再建策を政府が手掛ける。預金は全額保護する方針を示している。 ハーデ首相がテレビで国民に「アイスランドの銀行が6日に金融市場で資金を調達できなくなった」と報告。同国の国民総生産(GNP)の何倍もの負債を持つ民間銀行の「実質破綻」により「最悪の場合、銀行とともに国家が破産する危険もある」との認識を示した。 過去数年アイスランドの銀行は市場から資金を調達し英国など海外で事業を積極的に拡大していた。昨年以降の世界的な信用収縮で市場ではアイスランドの銀行の資金繰り不安が浮上し、政府は9月末、資金調達に行き詰まった大手銀1行を国有化。「金融危機対応でアイスランドの財政負担が膨らむ」との懸念から外国為替市場では同国通貨が急落していた。 (10:45)国家が破産する状態とはどういう状態なのか?企業が破産するのは分かる。資金繰りのショートや人材不足等で、事業の継続が不可能になり、債務が継続的に返済できない状態になることで、やむを得ずに破産手続きを取ることになる。破産が認められれば、債権者に限られた債権を分割処理していくことなる。前にも後ろにも進めないので、一旦精算するということだ。国家が破産するという状態はどういう状態なのだろう?振り返ってみるとこれまであまり考えたことがなかった。時間をかけて少し調べてみたいと思う。ところでこのアイスランド、北海道と四国をあわせた位の面積の辺境の島国のようだが、調べてみると面白い国であることが分かった。いつものようにWikipediaで調べてみる。(以下は、抜粋)「軍事について」NATOの原加盟国であるが自国軍は所持しておらず、世界でも希少な「常備軍を持たない国」である。国土防衛は警察隊と沿岸警備隊が担っている。歴史上、一度も軍隊を保有したことがなく、徴兵制を施行したこともない。かつてはアメリカ合衆国と国防協定を締結してアメリカ空軍基地(アイスランド防衛隊)を設置し、冷戦下の重要な戦略拠点になっていた。しかし冷戦終結から10数年を経た2006年、米国の「地球規模の戦力再編成の一環」による米軍の完全撤収が両国で合意に至り、約1200名の将兵とF-15戦闘機4機が段階的に撤収、ケフラヴィーク米軍基地が閉鎖された。「エネルギー政策について」1980年代からクリーンエネルギー発電への切り替えを推し進め、エネルギー政策先進国として世界から注目を浴びている。現在では国内の電力供給の約80%を水力、約20%を地熱から得ており、火力・原子力発電所は一切ない。2050年までには化石燃料に頼らない水素エネルギー社会を確立することを標榜しており、既に燃料電池自動車のバスの運行、水素ガス供給ステーションの建設が始まっている。「エネルギーについて」国内の電力は、ほぼ全てが水力発電と地熱発電によって発電されている(水力が8割、地熱が2割)。家中の電力やシャワーを温めるエネルギーを全て地熱発電でまかなったり、地熱発電所の温排水をパイプラインで引き込んでそのままお湯として利用出来る家や施設もある。また、バスや空港で水素燃料電池の導入実験を行うなど、新エネルギー導入に積極的な施策を打ち出している。「経済について」クレジットカードやインターネットバンキングなどによりキャッシュレス決済が進み、現金決済が著しく少ない(GDP比1%以下)ことで有名である。背景には、1980年代に経済の中心が漁業だったため、水産物の価格に振り回され物価がインフレとなったため、決済が不足気味の現金から小切手へ切り替わっていったことが挙げられる。「国家経済について」全体のGDPは少ないが、国民一人当たりでは世界でもトップレベル(2006年時点で世界5位)に位置する。さらに国際競争力も高く、世界4位、ヨーロッパ1位となっており、小国ながら特筆すべき経済力を持っている。産業としては、金融部門の伸びが著しく、金融、不動産がGDPにしめる割合は、26%に達している。一方、従来の主力産業であった漁業は、GDPに占める割合は6%となっている(2006年時点)。そのため、アイスランド政府は投資家の関心に対し注意を払っており、例えばサブプライム問題で世界中で金融不安が囁かれた時も、不安を払拭すべくエコノミストによる自国金融機関の安全性に関するレポートを出すなど対策を行っている。政府の財務体質は良好で、1998年以降は黒字となっている。今後も外国からの借金の返済、インフレーション抑制、農業や漁業に関する法整備、経済の多様化、国家事業の民営化などを続けるとしている。失業率は低く、2005年は2.6%となっている。初めてアイスランドのことを調べたのだが、それにしても失業率2.6%は驚くべき水準であるし、環境エネルギーを良く取り込んでいる。冬でも北欧にも関わらずマイナス3度くらいに留まるらしく、火山に護られていることがよく分かる。一度訪れてみたい国のリストに加わった。ロシアが救済案を提示している。経過を見守りたい。
2009.12.19
私の所属するサルサのパフォーマンスチームは計10名。男女それぞれ5名ずつの5ペアから成る。パフォーマンス練習が佳境に入ってくると、当然にステージの上での5ペアそれぞれの立ち位置を安定させる練習もする。前列2ペア、後列3ペア。隣のペアとの間隔を統一し、前後のペアの間隔も統一する。5ペアの並び方を変える「フォーメーションチェンジ」を経ても、シンクロナイズドスイミングのように上手に整然と並ぶ。そういう練習をする。時々サルサから気付かされるコミュニケーションがあるので、ここに記載したい。「木を見て森を見ず」という言葉がある。一本一本の木に目を奪われて、森全体を見ないことであり、ものごとの些末な一面にこだわり過ぎて、本質や全体を捉えられないことを例えた言葉である。ダンスのパフォーマンスにせよ、営業部の目標達成にせよ、「初め」は誰もが全体的な目標や成功像、目指すべき姿を多かれ少なかれ意識できている。これからする努力は、それに近づく為のものであることもそれとなくわかっている。皆が「森」を見ている状態だ。しかし、頑張っているうちに、これがおかしくなってくる。頑張って練習すればするほど、議論を重ねるほど、人間関係に摩擦が発生し始める。目標に向けた行動に関与すると、良い方向へ導こうと言葉を発すると、その行動や言葉に自分の思いが乗る。プライドが一人歩きを始める。思いやプライドが他者から傷つけられようものならば、弁護しようという気持ちが働く。誰もが「木」に近づいていくプロセスといえる。「バランス」が取れている人はそれが分かっている。最初は森を見ていたことを覚えている。段々と木に近づいてくると、立ち止まり、一歩退いて、自分の立ち位置を確認する。コミュニケーションのバランスの取れている人は、普段からそのことを意識している。自らの立ち位置を崩さずに、全体を見て踊る。全体を見てコミュニケーションを取る。我々はサルサのパフォーマンス練習をする中で、「素敵なステージを披露したい」という気持ちと「練習の経過と成果」がぶつかりあい、調和し、またぶつかり調和していくことを繰り返す、カオス的な時間と空間を通過する。「言うに易し」と、批判を浴びそうだが、ステージ上の立ち位置だけではなく、仲間とのコミュニケーションの立ち位置も確かめながら踊るのが良いのだろうと、自分を戒める。
2009.12.19
2007年2月から外資系人材サーチファームにて働いているが、それまでは日系金融機関及び日系メーカーに勤めていた。ふと、外資に入社して間もない頃のことを振り返るきっかけがあり、当時外資系エグゼクティブは日系のそれよりも随分魅力的だと、感じていたことを思い出した。少なからず学ぶものもあるので、備忘録を兼ねて記載しておきたい。1.見た目で損をしない。体格管理と清潔感を忘れない。1.年下にも敬意を払う。年齢で人を決め付けない。1.キレたら終わりであることを理解している。下を向いて我慢して頑張る。1.深刻そうにグチらない。愚痴を言いながら、それを自分で笑い飛ばす。1.「さあ行こうぜーっ」というノリで仕事を盛り上げる。1.家庭やプライベートを大切にする。金曜日の夜は家族と過ごす。1.チームで自分が一番働く。一番残業する。1.知ったかぶりをしない。知らないことを質問することに躊躇しない。1.電話交換手のように丁寧に電話応対する。1.休日がとりにくいような環境を作らない。自らも休暇を取り、部下にも取らせる。1.業界内のネットワーク作りが出来ている。社内関白になっていない。1.部下の前で疲れたといわない。1.出来たことはきちんと褒める。小さいことでもすぐ褒める。1.挨拶をする時に、握手する。毎日でも握手する。すべての外資系エグゼクティブがそうであるとは限らないし、日系にも優れた人格の持ち主がいることは分かっている。しかし、それでも外資系は狭い業界内で、社外からも評価されたり、チームメンバーからの360度評価もある為か、どちらかというとこれらが意識化されているよう感じた。
2009.12.19
昨年読んだ本を業界研究も兼ねて、最近また読み返した。人材コンサルタントに騙されるな! (PHP新書)著者:山本 直治販売元:PHP研究所人材紹介ビジネスを中心に、人材派遣業、採用アウトソーシング業、採用広告業のビジネスモデルを比較説明している人材業界の良書である。この手の業界本には、統計データや記事の根拠を記載しないものが多く出版されているが、著者が元国家公務員だけあって、それらの整理は徹底されている。大卒の4割が入社3年以内に離職している事実、今夏まで活況であった就職氷河期世代の「リベンジ転職」等、終身雇用制度の衰退を取上げながら、有料職業紹介事業所数の推移を図示している。又、人材紹介の前史と称して、江戸時代に武家や商家向けに奉公人を斡旋していた「口入屋(くちいれや)」の存在を紹介し、GHQ占領下での職業安定法制定と、有料職業紹介事業の規制緩和を説いている。業界人のみならず、転職というキーワードが気になる方には是非一度読んで頂きたい一冊だ。
2009.12.19
今週の日経新聞の記事を飾ったのは雇用環境の悪化を伝えるニュースばかりだった。例えば本日、11月28日(金)の朝刊のみからトピックスを抜粋しても、それが世界各地、日本各地に拡大しており、金融だけであったレイオフ話が、多くの業種に波及していることが分かる。「生産・投資の高速調整」粗鋼生産が5年前の水準に減産自動車7%減産工作期間4年半ぶりの水準に減産建設機械業界も7年ぶり前年割れセメント出荷は40年ぶりの低水準日興コーディアル役員削減青森4信金の合併リース取扱い約2割減韓国新興財閥「C&グループ」破綻ミタルスチール9000人削減大手電機メーカー各社 販売量及び単価共に悪化製紙大手が減産日本ノキアが社員一割を削減日本板硝子がオーストラリア工場を閉鎖小売・外食業界で値下げが加速学生内定取り消しの急増これらはすべて今日の新聞から拾った情報である(このブログでは、情報の量を伝えるべく記載しただけなので、各数値の具体的な比較対象期間及び算出根拠その他についてはあえて触れない。関心のある方は、日経新聞をご覧下さい。)→金融危機が猛烈な勢いで実体経済を押し下げている。→グローバル化で機器の波及スピードが速くなっている。2008年が、不況突入感をぬぐえないまま幕を閉じる。このままでは2009年は、負債と犯罪と自殺の増加という怖い言葉がトレンドになる、そんな悪い予感がする。このような時代にどのように、立ち向かっていくのか、その模範を探しだし、社会に示すことが必要になっていると思う。
2009.12.19
気が付けばワインに凝り始めて早1年が経とうとしている。1年弱で集めたラベルは、43枚。そのほぼすべて1000円~2000円の手頃な価格帯のものである。そのうち常用ワインとなった銘柄は二つ。「ペインター・ブリッジ ジンファンデル」と「コノ・スール ピノ・ノワール」だ。前者はカリフォルニア産の濃厚でコクのある赤ワインで、後者はチリ産の滑らかでフルーティな後味の良い赤ワインである。私は多分週にワインを1本飲んでいる。ボトル1本だ。春先、一番飲んでいた時でも、週に2本程度に抑えていた。ほとんど自宅で飲む。少し高価なワイングラスを2つ買って、妻と一緒に晩酌している。ワインのつまみはその時のおかずで済ませることが殆どだが、自分がスーパーに夕食の食材を買いに行く時は、大体決まってピスタチオを買う。一袋200円~300円くらいで3回に分けて食べる。一度に食べる量は小鉢に1杯程度。すなわちこれで一週間持つ。ピスタチオは葡萄酒のコクや風味を邪魔しない。ワインで潤った舌にピスタチオを転がすと乾いた豆の風味が上品に拡がる。ワインのつまみに困った時は、一度試して欲しい。
2009.12.19
NHKの番組が好きである。最も好きな番組が、「プロフェッショナル 仕事の流儀」。今週のテーマは騎手の武豊さん。日本競馬界のエリート。武一族の出自は鹿児島の武家(薩摩藩士)であり、日本でも有数の競馬一族の出自である。私は過去に2度しか競馬に行ったことがないが、今回のテーマは心に響くものが多かった。競馬の主役は馬である。しかし、馬は何も分かっていない。レースにおけるペース配分やコース取りについて「当然」分かっていない。騎手はその馬をコントロールして勝利に導くことが求められる。武豊さんは、コントロールに際して、馬になるべくストレスをかけないようにしている。レース前に騎乗してからは、馬上で姿勢を変えることはしない。レース後は自分の出たレースの映像を研究して、レースの内容を研究する。こういう小さいことをこつこつとしっかりやるように心がけているという。「いい騎手になりたい」最高の騎乗は何なのか。この問いを追いかけ続けるが、馬はしゃべらない。だから、正解は一生分からない。武さんを突き動かすのは、良い騎手になりたいという一途な思い。周りのほかの騎手は関係ない。ただ、自分が良い騎手になりたい。周りに流されることなく、自分のやるべきことをやっていく。主体的で芯のある思いが、その勝利と成長を助けているのだと感じた。一方で、会話が出来て相互意思疎通のできる人間同士が社会で「レース」に勝とうと思う時、どのようなコミュニケーションが行われるであろうか。ふと考えさせられた。
2009.12.19
派遣社員や契約社員の削減のニュースが連日続いているが、日本経済新聞社のまとめによると正社員のボーナスも減少に転じたそうだ。減少幅は0.8%。減少に転じるのは実に6年ぶり、つまり2002年以来だ。ボーナス額が回復するのはいつか?基準給与にも影響はでてくるのか?2010年新卒学生に企業は門戸を広げるのか?雇用不安はまだプロローグを終えたばかりである。
2009.12.19
本経済新聞の記事で「ミドルの苦境は社会にどんな影響を与えるか?」について言及しているものがあった。アメリカの社会経済学者へのインタビュー記事だった。現在の不況でもっとも影響を受けているのは、中産階級であり、彼らの受ける精神的変化がひいては社会問題に発展しているという。実際には中産階級ならずとも、苦境に立たされているものは皆辛いのだが、中産階級の労働人口の多さと、ネガティブな面に流れたときの反発的なエネルギーの大きさのことを言いたかったのではないかと勝手に推測している。「失業の経験は激しい心理的苦痛をもたらす。40歳を超えていればなおさら。アルコールがらみの犯罪や離婚といった問題と雇用問題の関連は明らか。」「社会学が予測する伝統的なパターンは、不安に駆られた失業者が極右などの過激思想に走ること。」これらの分析が正しければ、雇用問題のケアや景気政策の舵取りだけを追求するのではなく、安全防犯対策を強化し、社会混乱が最小限になるよう、まずは外堀を固める準備が必要となるだろう。
2009.12.19
年末年始になると、急に支出の増えるものがある。それは食費である。学生時代や独身時代は年末年始と言っても、あまり浪費しなかったように思える。せいぜい1回か2回友人と飲みに出かけたり、映画を見るくらいだった。しかし、結婚してからは年末も年始も食材にお金をかけるようになってしまった。マグロの刺身や良質な牛肉を買ったり、焼き豚を買ったり。日本酒を買い、ワインを買い、ビールを買うと、外食を立て続けにするほどの出費ではないが、1ヶ月の食費予算3万円はわずか10日程度で底をついてしまう。実際、12月24日に食費を入れる財布に3万円を入金しておいたのだが、三が日で0円になってしまった。「内食」にもかかわらず減りのペースが早いと感じている。普段から節約志向で生活してはいるものの、クリスマスや年末年始は家族でそれなりのご馳走を食べたい。年末年始は一年間の苦労をねぎらい、新年の抱負を考えつつエネルギーを充填する期間と決めている。それゆえに、ずいぶん浪費してしまったと後悔する訳ではない。仕事初めとなり、正月ムードも抜けつつある中、2009年の年末も家でうまいご馳走を食べよう、また1年頑張ろうと、軽くなった財布に誓うのだった。
2009.12.19
「求人倍率」昨年12月26日に発表された厚生労働省の調査によると、11月の正社員の有効求人倍率は0.50倍となり、概算で2人に1人にしか正社員就職の道がない実態が浮き彫りとなった。雇用形態別に正社員及びパートタイマー、そして全体の状況を確認すると次のようになる。(正社員)・正社員有効求人倍率:2007年11月 0.63倍→2008年11月 0.50倍(0.13倍の減少)・月間有効求人数:2007年11月 928,867人→2008年11月 769,593(159,274人分の減少。前年同月比減少率17%)※正社員の有効求人倍率は正社員の月間有効求人数をパートタイムを除く常用の月間有効求職者数で除して算出しているが、パートタイムを除く常用の月間有効求職者数には派遣労働者や契約社員を希望する者も含まれるため、厳密な意味での正社員有効求人倍率より低い値となる。(常用パートタイマー)・常用的パートタイム有効求人倍率:2007年11月 1.31倍→2008年11月 1.04倍(0.27倍の減少)・常用的パートタイム月間有効求人数:2007年11月 626,449人→2008年11月 529,612(96,837人分の減少。前年同月比減少率15.5%)(全体(新規学卒者を除きパートタイマーを含む場合))・有効求人倍率:2007年11月 1.00倍→2008年11月 0.76倍(0.24倍の減少)・月間有効求人数:2007年11月 2,114,004人→2008年11月 1,675,889人(438,115人分の減少)更に同省の発表によると、都道府県別では最も求人倍率の高いのが群馬県で1.36倍、最も低いのが沖縄県で0.32倍となった。ちなみに東京都の有効求人倍率は1.07倍。群馬県の求人倍率の高さは、高崎市に本社を移転したヤマダ電機が牽引しているが、本社で全国採用の受付をしており、その数値を申告していることから、実数とは異なるという指摘が内外から出ている。「失業率」今度は失業率に目を向けてみると、2008年11月の完全失業率は3.9%と前月比0.2%上昇した。2007年11月はどうだったかというと、3.7%だから飛躍的に悪化したとは言えない。ちなみに更に前の2006年11月は4.0%だった。参考までに日本以外の主要国の失業率は次の通り。・韓国(11月) 3.3%・アメリカ(11月) 6.7%・カナダ(11月) 6.3%・イギリス(10月) 6.0%・ドイツ(10月) 7.1%・フランス(7月~9月) 7.3%・イタリア(4月~6月) 6.8%再び国内に目を戻して、世帯主との続柄別に失業率を見てみると、世帯主の完全失業率が2.4%に対して、世帯主の配偶者2.3%、その他の家族6.7%。そして単身世帯の完全失業率は4.9%。世帯主の失業率は若干ながら増加傾向にあり、これが更に上昇するようであれば、生活資金難による離婚や家庭内犯罪など社会問題が増える恐れがある。
2009.12.19
本日の日本経済新聞の経済教室(山内昌之 東京大学教授の記事)は、大変勉強になった。冒頭の一部をここに引用したい。「純粋な物欲と対立する概念としての禁欲の精神こそが、冨だけを追及する貪欲や拝金主義を抑制できる」(マックス・ウェーバー)マックス・ウェーバーは論文『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の中で、カルヴァン派の予定説が資本主義を発達させた、という論理を主張している。カルヴァンは、宗教改革の立役者で、『予定説』とは、神に救済されるかどうかは、教会への寄付等による「善行」をどれだけ積んだかには関係なく、救われるものと救われない者とに既に予定されているとする説。全能の神に対して人間が徹底的に無力であるという考えを背景に説かれたものといわれている。これでは、人々が救われるか救われないかはわからぬままの為、毎日を虚無的に過ごすしかなくなってしまうのであるが、カルヴァンは同時に「職業」は神から与えられたものであるとし、神に与えられた仕事に禁欲的に没我的に打ち込み、その結果得た資産を備蓄することをよしとした。こうして、禁欲的労働(世俗内禁欲)に励むことによって社会に貢献し、この世に神の栄光をあらわすことによって、自分が救われているという確信を持つことができるようになる、という一巡の社会思考システムが築かれた。マックス・ウェーバーは、この過去の歴史的転換を分析し、カルヴァンの影響を受けたプロテスタントが、暇を惜しんで少しでも多くの仕事をしようとし、その結果増えた収入も享楽目的には使わず更なる仕事のために使おうとした為、結果的に資本主義を発達させた、という論理を展開したのである。カルヴァン派といえば、イギリス国教会の改革を唱えたプロテスタントの主力グループであり、市民革命の担い手として歴史に登場している。イギリス本国での弾圧を逃れるべく、1620年にメイフラワー号で渡米したのもピューリタンである。確かにこうして歴史を辿ってみると、資本主義は必然的にアメリカ及びヨーロッパを中心に発展していったことが分かる。マックス・ウェーバーは、資本主義論について、信仰が薄れ、資本主義を内側から駆動する精神が弱体化すると、営利追求が自己目的化すると説き、営利主義者の人々を「精神のない専門人、心情のない享楽人」と批判し、将来を悲観したという。
2009.12.19
昨日に続いて日経新聞の経済教室で刺激を受けたトピックで、今日は中東の失業率から話を始めたい。山内昌之東京大学教授の記事によると、「テロや暴力温床をはぐくむ若年者の失業問題を抱えるイスラム圏は、2009年の世界を展望する上で、隠れたもう一つの焦点とな」りそうだ。人口問題といえば、日本では少子高齢化を連想するが、イエメンの出生率6.2を筆頭に、来たアフリカを含めた中東ではむしろ多子若齢化が進んでいる。(中略)世界人口のうち、4分の1を占めるムスリム市民は、2030年代には3分の1に達するのだ。人口増は不完全雇用というひずみを生み出す。中東では人口の6-7割を25歳未満が占める。これこそが20%台半ばという世界最高の失業率を中東で生む背景に他ならない。(斜体は引用部分)同教授によると、今後10年は新規学卒者が就職できずにそのまま失業者になってしまう状態が続くという。90年代の控えめな数字でも、24歳以下の失業率は、エジプトで24.5%、ヨルダンで28.5%に達している。「ユース・バルジ」(過剰なまでに多い若い世代)の問題が、失業問題・貧困問題を経て犯罪やテロ等の凶悪な社会問題へと発展する一因となっている。テロの根絶には、この点にも注目しなければならないようだ。
2009.12.19
が大学入試を受けたのは、今から12年前であるが、センター試験で受験生に迷惑をかける状況は、今も昔も変わらぬようである。受験生は長い月日をセンター試験対策に費やしているのだから、大学入試センターも各試験会場もこれに応えて欲しい。双方とも「受験産業」で働いて給料を貰って生きているのだから、センター試験運営のプロとしての自覚を持っていただきたいものだ。さて、大学入試本番シーズンで、受験生は心身ともに辛いところだろう。大学入試の思い出といえば、昼食のことである。試験会場で食べる昼食は必ず弁当にした。食べ過ぎて眠くなってはいけないので、いつもフレンチトーストを2枚だけ持参した。食べ過ぎて試験中に便意を催すようでも困る。トーストはお箸を持たないので、「ながら勉」に適している。試験本番の時はこれを食べると、あらかじめ決めておくと試験に集中できる。特にアイデアをお持ちでない方には、是非参考にしてもらいたい。
2009.12.19
厚生労働省は、年金(厚生年金)の所得代替率が50%を2105年まで維持できると試算した。これは、先日(2月23日)の社会保障審議会(厚労相の諮問機関)年金部会で、5年に1度実施する公的年金の財政検証の結果を提示したものである。所得代替率は2038年までに50%まで下がるが、その後2105年までその50%を維持できるとみている。このような突込みどころ満載の理論値が出てくるのは、年金部会でこれを計算するという仕組みがうまくいっていないからだと思う。まず新聞各紙が言うように、前提条件が甘い。積立金の運用利回りを4.1%としている。2004年度想定時運用周り3.2%、2001年~2007年運用実績利回りは2.3%。4.1%の根拠が分散投資である。これは流石に通用しない。第一に、過去の分析の甘さで年金部会の信用は既に失われている。第二に、年金資産は既に分散投資をされているはずであり、今まで分散投資をしてきた実績が2.3%だったことを受け止められていない。よほど画期的なアセットアロケーションを想定しているのだろう。第三に、金融は崩壊を辿っている。どう回復していくのか、世界中が知りたがっている。どう運用すればよいかも、世界中のファンドマネージャーが探っている。でも先が見えないから困っているのである。どうして、こんなばかげた数値をわざわざはじき出すのか?50という数字を死守する為に、逆算して作成したとしか思えない。次に提示パターンの乏しさである。要は厚生労働省の諮問機関として年金部会が今回所得代替率の報告をまとめた訳だが、同部会が多くの検証パターンを開示してもいいと思うし、又、国の他の機関が所得代替率を別の見地から算出しても良いと思う。マンパワーが足りているのかどうかは分からないが、それこそ野党が算出して国会で発表しても面白いと思う。たった一つの機関が、大々的に発表をしてそれを信じろというのは無理がある、否、国にとってもリスクがあると思われる。最後に、所得代替率の算出結果に政策が反応していないように見える点である。50%を維持できるから、どうするのか?50%を維持できないならどうするのか?そういう将来の絵を描けずに数字だけ発表されても、国民は戸惑うだけである。その数字に対するアクション案をいくつか盛り込んで貰わないと、統計データを有効に活かせていることにならない。数字をはじき出すだけなら、民間企業にゆだねても良いのではないか、とさえ思ってしまう。いずれにせよ、世代間格差は現在の20代~30代半ばを中心とした「派遣切り」だけではなく、年金部分でも改めて明らかになった。先駆者には敬意を払わなければならないが、老いた既得権者達のみが無事に天国にゴールできて、後輩世代に果実が残らないような社会では、安定した発展を望めるはずがないと思う。この世代間の格差は今に大きな社会問題となり、世代間紛争に発展するのではないかとさえ、危惧している。これが私の大きな間違いであることを願う。
2009.12.19
assertive 【アサーティブ】という言葉がある。辞書的な意味は「断定的な、断言する、自己主張が強い」等であるが、この記事では、アサーティブを「対等な自己主張を行うこと」として取上げていきたい。この言葉は、勝間和代さん著『断わる力』(文春文庫)の中で知ったものである。勝間さんはこの著作の中で、「断わること」をしないことが、いかに生産性向上を阻害するかを説明している。「断わること」をしないことは、結果としてプライベートの時間や自己研鑽の時間を蝕み、組織内にストレスを蔓延させ、組織も個人も疲弊してしまうことを説明している。いくつかの組織で働く中で、私自身も感じたことがあるが、組織内には明らかに不自然な規制の継続や、趣旨の不明な作業ステップがあり、しかも組織内の者たちが見知らぬ顔でこれらを「嫌々」踏襲している事例が多々ある。更に厄介なのは、これらに対して異を唱えようものならば、「変わり者」「物事が分かっていない人」「組織人非適格者」のレッテルを知らぬ間に貼られ、犬猿されることが少なからずある。assertive(=対等な自己主張を行うこと)はこれに立ち向かう為の言葉であり、考え方である。言葉の理解と考え方が分かりやすいので、この著作の中に紹介されていた、特定非営利活動法人アサーティブジャパンの「アサーティブを考える時の12の権利」を引用させて頂きたい。1.私には、日常的な役割から自立した一人の人間として、自分の為の優先順位を決める権利がある2.私には、賢くて能力のある対等な人間として、敬意を持って扱われる権利がある3.私には、自分の気持ちを言葉で表現する権利がある4.私には、自分の意見と価値観を表明する権利がある5.私には、「イエス」「ノー」を自分で決めて言う権利がある6.私には、間違う権利がある7.私には、考えや気持ちを変える権利がある8.私には、「わかりません」と言う権利がある9.私には、欲しいものを欲しい、したいことをしたいという権利がある10.私には、人の悩みの為を自分の責任にしなくてもよい権利がある11.私には、周囲の人から認められることに頼ることなく、人と接する権利がある12.私には、アサーティブでない自分を選択する権利がある私は時々、自分の考えを主張することに戸惑いを感じる。外資系のカルチャーでは、発言は尊重される空気があったが、日系企業ではまず「業に従う」ことが求められていると感じる。義務は増えるが、決定権限や自由に使える経営資源が増えるわけではない。それでも、気が付いたことは言葉にして相手に訴えていく自由はなくしてはいけないと思っている。日々学び、力を蓄えているのであれば、社会に貢献する為にもそうでなければならないと思っている。同じように悩みや疑問を抱える方の為に、更に勝間氏の一文を紹介したい。(以下、勝間和代,『断わる力』,(文春文庫)から引用)――何故、断わる力を手に入れなければならないのかをもう一度、社会という見方から整理をして、締めくくりたいと思います。もともと、私たちに断わる力が必要な理由は、私たちの時間と能力が有限だからです。しかし、その能力と時間を無駄遣いし、周りの要請に流されるまま、深く考えられていない指示に従ってしまうことも可能です。大方の場合において、その指示が間違っていないので、大きな失敗は生みません。しかし、少数のリーダーに意思決定を任せ、あとの人たちが空気に流された意思決定しかしなくなり、断わる力を発揮できないようになると、何が起きるのでしょうか。 それは、政治の暴走であり、官僚の暴走であり、企業の暴走であり、メディアの暴走であり、強者の暴走です。実際、さまざまな形で、細かい利権争い、実質的な天下り、不自然な規制継続、利益を目的とした食品偽装や不正流通、広告主の圧力によるメディア報道の偏りなど、不都合が起きています。これは、私たち1人1人が過去に比べて断わる力、NOという力を失いつつあるサインなのかもしれません。どの不祥事や不正においても、意思決定プロセスで誰かが異を唱えれば止まったかもしれないはずのものが、たとえ異を唱えた人がいたとしてもそれが多数はとなることが出来ず、間違った方向性が押し通されてしまったのです。――
2009.12.19
前回の記事に登場したY氏(私の上司)はよく「感動させることだ」と叫ぶ。クライアントを、社内を同僚を感動させて、彼等を動かしたいというのだ。大変支持できる考えで、個人的に好きだ。
2009.12.19
マネジメントのYさんという方がいる。今の私の上司である。彼は、仕事をする上で「恐い」と思うのは良くないという。トラブルを抱えた時や、厳しく激を飛ばす上長の下で働く時、或いは自分自身の仕事に自身を持てない時、しばしば人は、不安に駆られ、不安が恐れへと勝手に成長していく。Yさんは「『恐い』と思うと、仕事がうまくいかない」というのだ。恐いと適切な判断が出来なくなってしまう。恐いと思考が真っ暗になるので、全体が見えなくなる。自分のすぐ目の前も暗くてよく見えないから、はじめの一歩を踏み出せなくなる。真っ暗だから、たった一つの光が見えるとそれにしがみついて離さなくなってしまう。実は他にも光は複数あるかもしれなくても、しがみついたものに執着してしまう。しがみついたものが、ベストな選択でない場合は充分ありえる。こうして人は適切な判断が出来なくなってしまう。恐いのは良くない。だから恐くなんかない、なんでもないさと思った方がいいと言う。なんでもないさと思っていたほうが、適切な判断をできるという。トラブルを抱えても、なんでもなくて、きっとうまくいく。厳しい人間関係の中にあっても、なんでもないさと思って、過ごしていた方が、ダイナミックに自分を発揮できる。自分に自信が持てないときも、なんでもないさと思って、やるべきことをやっていた方が、仕事がうまく回る。Yさんのおっしゃるとおりだと思った。
2009.12.19
既に公開から1週間近く経過しているが、総務省統計局のホームページで2009年2月分の労働力調査を見ることが出来る。これによると、完全失業者は299万人で昨年より33万人増加している計算になるという。完全失業率は4.4%。男女別には、男性は1月4.2%→2月4.4%。女性は4.1%→4.4%。働く意欲のある女性の失業が足を速めて来ているのか。又、完全失業者のうち、求職の理由は次の通りで、この不況下就業者が、転職や離職を控えている状況が推知できる。(1)勤め先都合 94万人で昨年より33万人増加(2)自己都合 96万人で7万人減少更に驚くのは、年齢階級別の完全失業者数である。15歳~24歳の完全失業率は8.9%と他の年齢階層に比べて異様に高い。15歳~24歳 完全失業率8.9%25歳~34歳 5.9%35歳~44歳 4.2%45歳~54歳 3.5%55歳~64歳 3.8%次いで、25歳~34歳が5.9%。いわゆるロストジェネレーションが入るのがこの年齢階層。若い人がなかなか就職・再就職できない状況になっているのだろう。次に有効求人倍率に目を向けると、2009年2月は更なる悪化が明白になっている。なんと正社員の有効求人倍率は0.37倍。3人に1人分しか求人がない計算だから、失業者や転職希望者には相当苦しい。非正社員を含んでも0.59倍。米GMの破産申請も間近ではないかと恐れているが、これは津波となって米国全土に広がり、米国全土の景況をより冷やし、外需依存の日本にその余波を広めることになる。新聞各紙が取り繕ったような記事を出しているが、まだまだ悲観論から脱却するのは早い。考えられるリスクに警戒し、支出を減らす、勉強をする、マジメに働くなどの日々の生活努力を怠ってはいけない。
2009.12.19
大人とは何だろう。大人になるというのは、どんなことを指すのだろう。私が19歳の時に、小論文の授業でこんなテーマが話し合われた。20歳になって、成人式を迎えること。お酒やタバコが周囲から認められること。子供を授かり、親になること―。当時約30名の教室で、様々な意見が出た。でも私が一番納得して、受け入れられたのは、次のフレーズだった。「大人になるというのは、子供の頃に夢見ていたことを実現する力を備えること」子供の頃は身体的能力が高くない。子供の頃は知識がまだない。子供の頃は経験がない。子供の頃は経済力jが無い。子供の頃は社会的信用が無い。子供の頃は、色々な制約を受けてやりたいことをなかなか実現できないもの。でも、子供のうちに時間をかけて勉強し、運動し、自らを鍛え、周囲の信頼を得て、仕事を得て、お金を得て、自分のやりたかったことを実現していくのだという。ただ単に年をとって、働くようになるのが大人になるということではないのだと、諭された。素敵な考え方だと思った。
2009.12.19
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