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これまで44回にわたって、この 「編集者入門ミニ講座」 を連載してまいりましたが、今回をもちまして閉講と致します。 このミニ講座では、編集者を目指している人たちや、編集者ってどんな仕事をしているのだろうと思っている人たちに、普段あまり知られることが少ない その仕事について、自分自身の体験などを交えながら、ごく簡単にではありますが、ご紹介してきました。 本当は、原稿割付や校正の実際の様子などを写真でご紹介できればよかったのですが、そういう訳にもいかず、文章のみでの解説となってしまったために、読んで頂いた方にはイメージしずらくてわかりにくいところも多々あったかと思います (この点については、ごめんなさい)。 実際の編集者の仕事は、ここに記した以外にも様々なことがあります。 また、 “編集者がどこまで携わるか” ということも、その出版社によって異なってきます。そのため、私がここに記したこととは違う面も多々あるかと思います。でも、ここに連載してきたことを読んで頂くことで、編集者の仕事やその役割について、少しは知って頂くことができたのではないかと思っています。 編集者の仕事は緻密な作業の連続で、1冊の本を刊行するまでには、本当に膨大な作業をこなしていかなければなりません。でも、だからこそ、本が出来上がったときには、編集者としてたとえ何年経験を積んでも嬉しいものですし、自ら企画を立て、著者と読者を橋渡ししていく編集者の仕事は本当に楽しくてやりがいのあるものです。ですから、いま編集者を目指している人には、ぜひ、この世界に飛び込んで来てもらいたいと思います。 先輩の一人として応援しています。 この講座が編集者を目指している人はもちろんのこと、これまで編集者というものにあまり興味を持っていなかった人にもなんらかのお役に立てることができたならば、嬉しい限りです。
2005.05.29
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製本が完了すると、いよいよ待ちに待った納本です。出来上がった本が数冊、担当編集者のもとに届きます。完成した本を手にするのは、 「やっとできたな ー 」 と嬉しい気持ちになると同時に、ホッとする瞬間でもあります。 それから、しばしパラパラと中を捲って、何か問題はないかどうかをチェックします。何もなければ、まずは一安心です。 本が無事できたことを確認したら、出版契約書の作成にとりかかります (著者に執筆をお願いする際には仮契約書というものを交わすのですが、本が完成した際には、正式な契約書を取り交わします) 。 契約書には、契約に関わる細かな事項の他、著作権者名、出版権者名、発行年月日、印刷部数、印税率、献本部数などを記す欄があり、2通作って、1通を著者が、もう1通を出版社が保管します。 (出版契約書の作成を編集者自身が行うかどうかは、出版社によって様々だと思います。) 次に、献本作業を始めましょう。もうすでに、この段階では宛名書きなどの準備は整っているでしょうから、 後は 「謹呈」 の短冊を本に挟み、献本の挨拶状とともに発送します。 広告・宣伝用に、また書評用にと様々なところに献本をすることになりますが、書評の掲載や口コミで広がることは下手な広告よりも効果が大きいことも多いですから、的確な献本を行うことが大切です。 著者が遠方に住んでいる場合には郵送という形になってしまいますが、比較的近隣に住んでいるようであれば、出来上がった本 (献本分) と契約書を持って直接伺います。出来上がった本を手にした著者の喜ぶ顔を見るのは何よりも嬉しい瞬間ですが、これから この本が無事売れるように営業部とともに頑張らなければなりませんから、気が引き締まる瞬間でもあります。 こうした諸々の仕事を終えると、後はとにかく、少しでも多くの部数が売れるように販売に努めます。営業部が事前に立てた販売計画に沿って動き出すことはもちろんですが、編集者自らも (宣伝用のポップも作ったりして) 書店に足を運びます。 (この辺りは、各出版社によっていろいろと工夫があるかと思います。) また最近は、ネット書店の存在も無視できないほど大きくなり、そこへの情報提供も大切な仕事となってきました。そのため、本の内容や宣伝についての書き込みをオンラインで行ったり、カバー画像を送ったりなど、少しでも読者の目に触れる機会が多くなるようにと積極的に宣伝を行います。 編集者は、本が完成した喜びに浸っている間もなく、もう次の本の校正や原稿割付の作業に取り掛かっていかなくてはなりません。そのため、すでに刊行してしまった本に対しては、知らず知らずのうちに無関心になってしまうことがあります。しかし、出した本の販売動向をきちんと把握して、それが良くも悪くも、その結果を検討することが次の企画にも繋がることになるのですから、 “出したから、もう編集者の仕事は終り” ではなく、むしろ刊行した後こそ大切だと思います。それは、著者との関係についても然りです。 次回で、この 「編集者入門ミニ講座」 も最終回となります。
2005.05.22
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編集者は、印刷、製本という作業が進んでいる間に、献本の準備を始めます。 (前回記したように、広告の作成・掲載依頼は、この段階ではすでに済んでいなくてはなりません。) 献本には、いくつかの種類があります。 1. 著者への献本 2. 本の完成までにお世話になった方への献本 3. 書評 (広告・宣伝) のための献本 1番目は著者との契約内容にも含まれているもので、ある意味、事務的な手続きという感じもありますが、本が出来上がったという感謝の意味を込めて、その本の著者へ本を差し上げるものです。そして2番目は、例えば、引用 ・転載などでお世話になった出版社や著者、装丁をお願いしたデザイナーなどへの献本です。 3番目は、宣伝を目的とした献本です。皆さんも、新聞や雑誌などの書評欄を見たことがあるかと思いますが、ここで取り上げてくれるかどうかで、その本の売り上げ (販売動向) にも大きな違いが出てきます。書評欄に載ることで多くの読者の方々の目にとまるということもあるのですが、書店の店員の方々に関心を持ってもらうことができるということも大きいといえます。 書評で取り上げられたことを書店の方に知ってもらえると、昨今の新刊ラッシュによる “動かないものは即返品” という傾向が強い中にあっても、その本については長期的に置いて頂けるようになることがあります。また、書店によっては、 “書評で紹介された本” というコーナーを設けるなど、商品陳列にも一工夫を加えて頂くことができて、いろいろな意味で販売に大きくプラスになります。 そのようなこともあって、編集者は、書評をして頂けそうな媒体には積極的に献本を行います。正直言って、下手に広告を出すよりも、書評が載る方が圧倒的に宣伝効果があるからです。ただ、業界新聞や専門雑誌など、かなり専門的な分野に限られた媒体の書評欄に載った場合には、書店の方にもあまり大きくは興味を持って頂けないことが多いのですが、その場合でも、その分野に関心のある読者には大きなアピールになりますから、献本を惜しまず行うことが大切です。 本が完成するまでの間に、上に述べたような献本先へ向けて宛名書きなどをしておき、本が完成次第、すぐに送れるように準備をしておきます。献本というのは、このように編集者の仕事の中では一見雑用的なものにも見えるのですが、とても大切な仕事の一つなのです。
2005.05.15
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青焼きの確認が済むと、いよいよ印刷 → 製本という流れを経て本が出来上がるのですが、その本をどのように広告するかということについては、この段階になってから考えるのでは遅く、本を企画したときから ある程度考えておかなくてはなりません。 ごく一部の出版社では広告 (宣伝) 部のようなものが別にあるところもありますが、多くの出版社では、担当の編集者が広告作りから広告媒体・方法の選定、広告会社への掲載依頼までをしなくてはなりません。 編集者は本を作るだけが仕事ではないのです。 一般に、本を広告するために使われる媒体としては次のようなものがあります。 1. 新聞 2. 業界新聞 (専門新聞) 3. 雑誌 4. 専門雑誌 5. 中吊り広告 6. ダイレクトメール 7. 自社のホームページ この中で1 ~ 5については、広告会社を通して各媒体への広告掲載をお願いすることになるのですが、一般に、本が発売される1 ~ 1.5ヶ月ぐらい前には広告を作成して広告会社へ渡しておかなくてはいけません。 なぜそんなに前から広告を作成しておかなくてはいけないのかというと、雑誌を例にすると、これは当り前のことですが、その雑誌自体も印刷にかけなくてはならないために、例えば5月号の広告は3月中旬までなどというように前倒しで締め切りが設定されているのです。 したがって、本が印刷にかかって自分の手が空いてから広告会社にお願いしようなどとのんびり構えていると、その広告が雑誌に載るのは1ヶ月、2ヶ月も先になってしまって、本が発売されて書店に並ぶタイミングと全く合わなくなってしまうのです。ということもあって、広告会社を通して広告を行なうときには、かなり早い段階から広告を準備しておかなくてはなりません。 一方、6の場合は、愛読者カードなどで以前に読者登録のあった人たちへ新刊案内を送付するということが一般的ですから、上のケースとは違って、自分のところで、広告を流す日程をコントロールできることになります。また7の場合には、自社のホームページへ新刊案内を掲載するということですから、より迅速に対応することができることは言うまでもありません。 これはどんな商品についても言えることだと思いますが、限られた予算の中で、その本 (商品) にベストな広告媒体を決めるのは本当に悩む作業です。どの媒体を使うか、その媒体選定に際しての私なりの細かな基準をここに記すことは控えさせて頂きますが、 “その本の最大の読者層が一番目にする広告媒体は何か” ということを考えることが大切です。 また、広告媒体の選定とともに大切なのが、いかに魅力的な広告を作成するかということです。新聞や雑誌を見て頂ければわかりますが、本の広告が載る場所というのはだいたい決まっていて、他社の広告と並んで配置されます。したがって、多くの広告の中で、読者に少しでも印象に残るような (わかりやすく、インパクトを与えられるような) ものにするように工夫することが必要となります。 以上、ざっと広告について記したのですが、ここに記したことは初歩の初歩ともいうべきものです。上の1 ~ 7について個々に記すとなると膨大な内容になってしまいますし、また広告を作る過程などについても触れたかったのですが、ここではごくごく簡単な内容に留めさせて頂きました。
2005.05.08
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三校 (三回目の校正) のゲラを印刷所の担当者に責了 (あるいは校了) で渡してから数日すると、青焼きが出てきます。青焼きとはどういうものなのかについては以前に記しましたのでここでは省きますが、この確認作業が、本文に手を入れられる最後の機会ということになります。 まず最初に、三校のゲラを左側に、青焼きを右側に置いて、三校で入れた赤字が漏れなく直っているかを1ページずつ確認していきます。この作業で大切なことは、 1. 赤字が直っているか 2. 図やイラストが間違いなく、そして図の周辺部も欠けることなく入っているか 3. 各ページの頭とお尻の文字に、三校とのズレがないか 4. ゴミや汚れがないか (フィルム上にゴミがあると、それも青く現れるのでわかります)をチェックすることにあります。 編集者は、1、2、4については注意を払って確認するのですが、3についてはうっかりしがちです。というのも、その場所は特に赤字が入っているわけではないからです。赤字だけを確認すればよいだろうと つい思いがちなのですが、各ページの頭とお尻の文字にズレがないかどうかの確認を忘れると、思わぬことを見落としてしまうことがあります。 それは、ページの頭の文字、お尻の文字にズレがあるということは、そのページ内の文章が、たとえ数文字といえどもズレているということを意味していますから、例えば、次のようなことが起こっている可能性もあるのです。 A. ○○・・・, の ,だけ、 あるいは 「△△・・・」 の 」 だけが次の行にズレている B. 年号などの数字が2行にまたがっている C. 索引事項として拾ったものが、三校とは違うページにズレているなどなど・・・。 ズレなど起こるはずがないだろうと思われる方もいるかもしれませんが、文章に直しがあった場合、それが例えば5文字ほど減る (増える) ような直しであったとすると、その5文字分、当然文章はズレてきます。そのため、上のAやBのようなことが段落内のどこかで起こっている可能性もあります。 また、そのズレが、もしページをまたがった段落内にあると、Cのようなことが起こってしまっている可能性もあります。ということもあって、そのページの頭とお尻の文字を押さえて、全体にズレが生じていないかどうかを確認し、もしズレがあったなら、そのページは念入りにチェックする必要があるのです。 1 ~ 4についての確認作業において、もし赤字を入れなければならない箇所が出てきたら、そこに直接赤字を入れて、そのページの上のところに付箋を貼っておきます。青焼きでの修正はフィルムで直さなければならないこともあって、極力ない方がよいのですが、どうしても直さなければいけないものについては、青焼きを印刷所の担当者に戻すときに1つ1つ確認して、直しをお願いすることになります。そのため、直しの場所をすぐに特定できるように付箋を貼っておくことが大切です。 こうして青焼きの確認を終え、印刷所の担当者に戻すと、これで長かった編集 (校正) 作業はすべて終了となり、後は、印刷 ・製本 ・納本という一連の作業を待つことになるのです。
2005.05.01
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カバーデザインに対する考え方や、単行本とシリーズ本では難しさも違うということについては、 「カバーデザインについて Part.1・2」 のところで述べましたので、ここでは実際の流れについて記したいと思います。 私の場合は、カバーデザインは長年お付き合いのあるデザイナーにお願いしています。もちろん、その本その本でそれぞれにデザイナーを変えてみるという方法もあるとは思うのですが、阿吽の呼吸と言いますか、まぁ、あまり細かなことを言わなくてもいろいろとわかって頂ける部分が多いということもあって、いつも同じメンバーの方にお世話になっています。 まず、デザイナーには、その本の内容について伝えます。こんなイメージのものにして欲しい、色はこんな感じのものにして欲しいなどと、ある程度具体的に指示をすることもあれば、本の内容だけを伝えて、あとはデザイナーから何が出てくるかを待ってみる、という方法を採る場合もあります。 打ち合わせをしてからしばらく経つと、デザイナーからデザインの第1案が送られてきます。私は、それをしばし眺めた後、数日間、そのデザイン案を自分の机のいつでも見える場所に置いておきます。これは一体何をしているのかというと、素敵なデザインというのは見ていていつまでも飽きることがないという私の考えがあって、 「そのデザインに飽きるか、飽きないか」 を自分なりに試しているのです。 数日眺めているうちに、 「このデザインはイマイチかなぁ ~ 」 とか、「ここの色はもう少しこの方がいんじゃないかな ~」 などと気になる部分が出てきたところで、またデザイナーと打ち合わせをします。もちろん、この段階で仲間の編集者や営業部の人たちにも見せて、いろいろと意見を聞いておきます。 そして、修正をお願いしたデザインの第2案ができたら、また数日机の上で眺めます。そして、特に問題がないと判断したら、それを持って書店に出向きます。カバーを持って書店に何しに行くかというと、本 (自社の同じ厚さの本) にそのカバーを巻いてみて、 実際に書店で平積みをしたり棚に並べ、カバーが他社の本に負けていないか、目立つかどうかなどをチェックするのです。 社内だけでデザインを眺めていると、比較するといっても大抵は自社の本だけになってしまうので多くの本が並ぶ書店でそれが目立つ (満足できる) デザインと言えるものかどうかを確かめることが大切です。そこで、実際に棚に並べてみるのです。 そうすると、社内で見ていたときには 「これはいける!」 と思っていたデザインでも、 ・ 多くの本の中では目立たない ・ 他社のデザインと比べて見劣りがする ・ 平積みなら目立つが、棚に並べてみるとほとんど目立たず埋もれてしまうなどの欠点が見えてきます。そこで書店の店員さんの意見なども聞きながら、ポイントを頭の中で整理し、もう一度、デザイナーと打ち合わせをします。 こうして何回かの細かな修正のやり取りがあって、ようやくカバーデザインが出来上がります。最終決定に至るには、社内の会議でGOサインを出してもらわなければなりません。無事、OKが出たら、デザイナーからデザインのデータを受け取り、それを印刷所の担当者に渡して、カバーの色校 (色の調子や線数、文字の太さなどを確認するための校正) を出してもらいます。そして、色校に特に問題がなければ実際の印刷にかかり、カバーが出来上がることになります。 以上、ざっとご紹介致しましたが、これはあくまでも私自身についての場合ですから、各編集者によって、また出版社によっても異なる部分があるということは押さえておいてほしいと思います。
2005.04.24
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再校を印刷所に入れてしばらくすると、三校 (三回目の校正刷り) が出てきます。三校は校正作業としては一般に最後といえるものです。 そのため、著者の校正は再校までで、三校からは編集者が最後の確認をしていきます。念のため、著者には校正の控えを渡しておき、何か間違い等に気がついたときにはすぐに連絡を頂くようにします。 三校では、これまでと同様、一つ前のゲラ (ここでは再校) の赤字が正確に直っているかどうかを確認します。特に、再校で著者の大きな直しがあったページは、追加の文章が本文とうまく繋がっているかどうか、図との位置関係は大丈夫かどうかなどをチェックしましょう。 付き物関係の校正のやり取りについては特に触れませんでしたが、本文の校正と同様、初校・再校と進めていきます (ただし、多くの場合、本文と別工程で進めていくことが一般的です) 。そして、この三校において本文と付き物の校正がすべて足並みを揃え、本1冊分のゲラが整うことになります。 再校との照らし合わせが済んだら、ページに関わるものについてのチェックを始めましょう。 まず、目次です。各章や節のページに間違いはないかどうか、一つ一つチェックしていきましょう。次に、索引です。再校に著者の直しが入ると、索引として拾った語句が三校では違うページにずれていたり、中には、その語句自体が本文からなくなっていることもあります (著者の書き換えや削除によって) 。ですから、これも慎重にチェックをしていくことが大切です。 最後に扉、奥付を確認しましょう。著者の略歴・名前に間違いはないか、初版発行日はこれで大丈夫か (この日付は製作部に確認することも必要です) 、ISBNコードに間違いはないかをチェックします。 これで、三校のゲラの確認はすべて終了しました。当然のことながら、この段階で、図やイラストについても校正が済んで仕上がっていなくてはなりません。そして、そのデータを、トレース会社・イラストレーターからMOやCD-ROMの形で受け取っておきます。もちろん、それらのデータを社内のパソコンで開いて確認することを忘れないようにしましょう。 あとは、台割表と刷り位置指定書の準備です。印刷所では、16ページを1単位として (これを1台と言います) 1枚の紙に印刷していきます。そして、それ以下のページは2で割れる数を単位として、以下、8、4、2ページがこれに続きます。ですから、例えば160ページの本は10台ちょうどということになりますし、162ページの本は10台と2ページということになります。このようなことから、奇数で終わる本というものはありません。 もし、仮に全体が奇数ページになってしまった場合には、白 (しろ) と呼ばれる白紙のページを入れるなどして偶数ページになるようにします (白紙にはせずに広告を入れたりすることも多いです) 。ということで、台割表とは、1冊全体を16ページを単位として区分けし、用紙1枚に印刷されるページを割り振るための指示書と言えるものです。 刷り位置指定書は、版面 (本文が印刷されている領域) を紙のどこに置くか (例えばA5版の本なら、そのA5の領域のどの位置に版面を置くか) を指定するものです。 具体的には、柱を天 (てん:上の意味) から何cmのところにもってくるか、のどアキ (本の中心の繋ぎ目をのどと言います) は何cmにするかなどを指定して、「この位置に配置して下さい」 と印刷所に指示をします。 さぁ、これで準備は整いました。以下のものに怠りがないか、いま一度確認しましょう。 ・ 三校のゲラ ・ 図版とイラストのデータ ・ 本文中で使う写真類 ・ 台割表 ・ 刷り位置指定書そして、これらに問題がなければ、それを印刷所の担当者に、「これで責了として下さい」 と言って渡します。責了とは、まだ三校には若干の直し (赤字) があるけれども、それは印刷所の責任で直して校了 (校正を終了) として下さいの意味です。もし、三校に赤字が1つもなければ、「これで校了です」 と言って担当者に渡すことになります。 責了の次には青焼きが出てきますが、青焼きの作業について触れる前に、次回はカバーデザインの完成までについて簡単に記すことに致します。
2005.04.17
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前回は、付き物の中でも、扉・目次・索引・奥付について記しました。今回取り上げる序文も、これらと同じく付き物と言われる部類に入るのですが、その本の著者の思いや読者へのメッセージが込められているという点で、 他のものとは少し違う位置にあるかと思います。 なお、 「序文」 は、「まえがき」 や 「はしがき」 などと書かれる場合もあります。 序文は、一般に、 ・ どんなことについて書いたのか ・ どんな目的で書いたのか ・ 読者対象は誰か ・ どんなことに注意して読んで欲しいのかなどの内容が書かれているもので、扉と目次の間に置かれます。 皆さんも、書店で手にした本を買うかどうか判断する際に、その本の序文にざっと目を通すと思います。1ページの半分も満たないような極く短い分量の序文では著者の意図が伝えきれない場合もあるでしょうし、反対に、4ページも5ページもずらずらと書かれていると、この著者は何が言いたいのだろうかと、読者にあまり良い印象を与えず、逆効果となってしまう場合もあります。 ということもあって、序文のボリュームは2、3ページというのが一般的だと思いますが、そこに読者を引き付けるような文章が書かれていれば、手にした本を買ってもらえる可能性も高くなります。序文の原稿は、著者が本文の原稿を脱稿したときに一緒に頂ける場合もあれば、初校、再校と校正が進んでいく中で、著者が原稿作りをしていく場合もありますが、上のようなことを考慮しながら、適当なボリュームに書いて頂くようにお願いすることになります。 通常、本文の内容は著者の筆の力に頼ることになりますが、序文については、コマーシャル的な要素を含めることもあって、編集者もかなり力を入れて原稿をチェックすることが大切です。 (場合によっては、著者と共著になるぐらいに編集者が書き直しをすることが必要になることもあります。) もちろん、そうは言っても、あまりに売り込みというのがあからさまの文面では読者もうんざりしてしまいますから、そこは注意が必要です。 初校、再校、そして付き物と進んできました。次回は、いよいよ三校 (校正作業としては、一般に最後といえるもの) の作業について記すことに致します。
2005.04.10
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1冊の本を構成しているものの中で、本文以外のものを、付き物 (つきもの) といいます。それぞれ具体的には、扉、序文 (次回に解説) 、目次、索引、奥付などを指します。これからの解説は、お手元に本を用意して頂くとわかりやすいかと思います。 扉 (とびら) 本を開くと、まず最初に、書名・著者名・出版社名などが書かれたページが出てきます。これが扉 (とびら) とよばれているものです。本によっては、この扉のページも独自に洒落たデザインにしているものもありますが、一般的には、本のカバーや、カバーを剥がした本体 (クロスとよばれる部分) の書名・著者名・出版社名の配置と同じデザインになっているものが多いです。 本の中の構成が、例えば、○○編、△△編、××編、・・・などのようにいくつかの編に大きく分かれているような場合には、各編の最初のページをその編のタイトルページにすることがあります。 つまり、このページは、これから始まる “編” の扉と言えるものです。このように本文中に設ける扉のことを、一番最初の扉とは区別して、中扉 (なかとびら) とよびます。 目次 (もくじ) 目次は、その本の構成を一目で示す案内板のようなものであると同時に、この本を理解する上で著者が重要と思っているポイント (項目) が並んでいるため、編集者にとっても、また読者にとっても、とても大切なものと言えます。 本を買おうとする読者は、書店で本を手にとって少し立ち読みする際に (またネット上で購入する際にも)、必ず目次をチェックします。ただズラズラと各章のタイトルを並べたような目次では、決して読者の購買意欲を高めることはできません。目次がしっかりとしているというのは (見た目にもわかりやすく、またレイアウトにも工夫が見られると) 、その本の骨格が最初にしっかりと示されているということですから、それだけでも、読者に良い印象を与えることができます。 とかく編集者は本の中身のことに夢中になりがちで、目次作りをおろそかにする傾向があります。目次も決して手抜きをせず、読者に少しでも好印象を与えられるような工夫をする、ということを心掛けることが大切です。 索引 (さくいん) 教科書、参考書、専門書、マニュアル本 (解説本)、辞書など、主として読者が学ぶために読む (必要な) 本には索引のページがあります。読者の立場からすると、自分の知りたい情報 (事項) が索引に拾われているかどうかが、その本を買うかどうかの1つの目安になります。そのため、実際には本文中にきちんと解説されているのに、索引に自分の知りたい事項が拾われていないと、買うかどうかの判断の際に、「この本には自分の知りたいことが書かれていないかもしれない」 という誤解を持たれてしまうことにもなります。 したがって、上に挙げたような内容の本の場合には、編集者は著者と相談しながら、この本の読者が調べるであろう (引くであろう) と考えられる言葉 (事項) については、索引事項としてきちんと拾っておくことがポイントとなります。そういう意味からも、その本の中に出てくるキーワード (重要語句) は必ず拾い上げて索引事項に入れることが大切です。 奥付 (おくづけ) 奥付には、著者のプロフィール、出版社、印刷会社、製本会社の名前、本の発行年月日、ISBNコードなどが書かれています。その本がまだ増刷されていなければ (つまり、初版であれば) 1つの発行年月日しか書かれていません。そして、増刷を重ねるようになると、初版の発行年月日の下に増刷をした月日が加えられることになります。ということもあって一般的には、奥付の発行年月日は、その本がどれだけ売れているかの1つの目安にもなります。 著者のプロフィールをどこまで載せるかは、基本的には著者の判断に任せることになります。しかし、本の種類や内容によっては、著者のプロフィールが大きな看板となる場合があります。その著者のこれまでの経歴や過去の著作物の紹介などが、その本の内容への期待感を高めるということもあるからです。そのため、その種の本の場合には、編集者は著者と相談の上、宣伝効果も考えたプロフィール掲載をすることが大切です。 以上、ごく簡単にですが、付き物について紹介してきました。これを読まれた後に、実際にいろいろな本を開いて見比べて頂くと、「本によってそれぞれ違うものだな ~ 」 と、新たな発見をして頂けるのではないかと思います。 次回は、今回紹介しなかった、序文について記したいと思います。
2005.04.03
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著者から、 「再校が済んだ」 との連絡が入ると、編集者は校正を受取りに著者の所に出向きます。 (郵便であれば、著者から再校の済んだゲラが送られてきます。) 著者の校正は再校までというのが一般的であり、この校正が著者の直接の赤字が入る最後ということになります。もちろん、三校 (3回目の校正のことで、主として編集者のみが行なう) で新たに気づいたことを著者に確認して赤字が入ったり、著者が手元に置いてある控えのゲラを見直しして、追加の赤字を言ってくることもありますが、基本的には、これが著者校としては最後となります。 さて、再校のゲラを確認する際に最も大切なことは、初校を要再校で印刷所に入れる前に行なったことの繰り返しですが、大きな修正や削除、図の追加や削除があるかないかということです。大きな修正や削除がなければ、まずは一安心といったところです。 次の作業は、これも初校のときと同じく、著者の赤字を一つ一つ確認していき、わからない点があれば著者に確認していきます。一般的に、校正というものは回数が多くなるほど赤字が減っていくので、再校は初校よりも赤字の程度は減っているはずですから ( “はずです” と書いたのは、再校でも真っ赤にしてくる著者も中にはいますので) 、赤字のチェックは少し楽になります。 本文の赤字と一緒に、図の中にも赤字が入っていないか忘れずにチェックしましょう。特に、写真などの場合に、「この写真、もう少しサイズを大きく (あるいは小さく) して欲しい」 などのコメントが入っていることがあります。その際は、再度、写真のトリミングをして縮率を指定し直すことが必要となります。 当然のことながら、写真 (あるいは図) のサイズが変われば本文にズレが生じるので、どのくらい文章が動くのかを計算して、なるべくページをまたがって文章が流れ込まないように、うまくレイアウトを行なうことがポイントです。これはなぜかというと、文章が何ページにもわたってズラズラとずれていくことになると、思わぬ問題が起こることがあるからです。 これまでにも何度か例は挙げましたが、ここでまた一つの例を挙げると、最初は本文の半ばぐらいにあった小見出しが、このズレによって、いつの間にか一番下の行に来ていたりなど (見出しが一番下の行にポツンとあるのは問題外です)。 ですから、このようなことを防ぐためにも、なるべくなら、そのページの前後でズレを吸収するようにレイアウトを指定し直すことが大切となります。 次に、著者の赤字によって、各章の終わりのページ (ノンブル) がズレないかどうか確認しましょう。例えば、いま1章の終わりのノンブルが10で、2章が11から始まっていたとしても、1章のページ数が1ページ増えて11になったら、2章以降が全部ずれてきてしまいます。 「なぁ ~ んだ、ただノンブルがずれるだけでしょ」 と思うのは大間違いで、たとえば、見開き (本を開いた状態) で左右のページに図を入れていたりすると、このたった1ページのずれによって、どちらかの図は次ページにずれてしまい、見開きにはならなくなってしまいます。ですから、細部にわたって、気を抜いてはいけないのです。 これらの確認作業が一通り終了したら、再校のゲラに要三校 (3回目の校正を出して下さい、の意) と書いて、印刷所の営業担当者に渡します。 (社内でDTPを行なっている場合は除きます。) 次回は、付き物 (つきもの) と呼ばれる、扉、目次、索引、奥付などについて記したいと思います。 なお、序文も付き物に属しますが、これについては、その後に記すことに致します。
2005.03.27
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印刷所に初校 (1回目の校正のゲラ) を入れてからしばらくすると、次に再校 (2回目の校正のゲラ) が出てきます。 初校を棒組み (本文のみをズラズラと組ませ、図を入れていないスタイル) で組ませた場合には、この再校で初めて、本文中に図のスペースが空けられて、実際の仕上りのスタイルに近いものになります。もし、図のトレースが本文の初校よりも先に校了になった場合には、要再校でゲラを印刷所に渡す際にトレースの完了した図のデータも一緒に渡せば (トレースも同じ印刷所にお願いしている場合は除く) 、再校では図が組み込まれてくることになります。そして、図がまだ仕上りまでいっていなければ、再校では図の入るスペースだけが空けられてくるのです。 (なお、初校から図の組み込みを行なうこともあることは、前に初校のテーマのところで記しました。) 再校では、初校のゲラを左側に、再校のゲラを右側に置いて、初校の赤字がすべて直っているかを一つ一つ確認していきます。初校は、著者の赤字が最も多く入る校正であり、そのため、赤字がかなりグチャグチャに書き込まれていることもありますから、直し漏れがないかどうか、慎重に校正を進めていくことが必要です。 初校との照らし合わせがすべて済んだら、次に、本文と図の位置関係 (レイアウト) を確認していきます。初校から図の組み込みを行なった場合には、そのときは適切な位置にあった図も、著者の赤字によって、相応しくない位置 (図は元の位置のままであっても、それに対応する文章、例えば 「上の図を見ると・・・」 の文章が次のページにずれてしまっていたりなど) になってしまっていることが多々あります。そのため、図の寸法を確認しながら文章と図を入れ替えるなど、読者が最も読みやすいスタイルになるように赤字を入れていきます。 なお、再校で図のスペースを入れた場合には、組版のオペレーターが適切な位置に図のスペースをとってあるかどうかを確認し、図が最適な位置になるようにレイアウトを修正していくことが必要となります。 これらの作業が済んだら、次に、ノンブル (ページの番号のこと) がきちんと通っているか、各章の柱に間違いがないかどうかを確認します。こうしてすべてのチェックが終了したら、初校で行なったのと同様に、再校のゲラを本のように読んでいく作業 (素読み) を行ないます。 初校で赤字が多く入っていると、その部分の文章が元の文章と意味の上でうまくつながっていなかったりすることもよくありますから、慎重に読み進めていくことが大切です。そして、読んでいく中で、疑問点や質問箇所が出てきたら、初校のときと同様、鉛筆で書き入れていきます。 最後まで読み終えたら、それを著者のところに持っていき (あるいは送付して) 、著者に再校をお願いします。なお、ここで著者にお願いすべきことは、再校では極力、大幅な修正 (特に、文章や図の削除) は遠慮して頂くということです。なぜなら、折角のレイアウトが、またガタガタになってしまい、三校 (3回目の校正) で、また一からレイアウトをし直さなくてはならなくなるからです。(もちろん、どうしても大きな修正が必要だと著者に言われれば、それは従うことになるのですが。) だからこそ、初校の段階で、著者にしっかりと読み込んでもらうことが大切となるのです。 次回は、著者から戻ってきた再校のゲラへの対応ついて記したいと思います。
2005.03.19
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前回まで、原稿 (特に、本文) の割付から初校までの流れを解説してきましたが、今回は図のトレースやイラストの作成について記したいと思います。 著者から図やイラストの原稿を受け取った編集者は、まず、その図やイラストが著作権を侵害していないかどうか判断します。著者は文章そのものを書くことについては慣れているのですが (慣れているという表現は適切ではないかもしれませんが) 、必ずしも絵心があるとは言えません。そのため、他の本の図やイラストをコピーし、それに修正を加えて原稿とする著者の方もいます。 これが、編集者を悩ますことになります。当然のことですが、他の本からの無断引用 (たとえ改変したとしても) は著作権の侵害に当りますので、使う場合には、その本の著者と出版社にきちんと引用・転載許可を取り、その図の脇に出典を明示しなければなりません。しかし、たとえ許可を頂けたとしても、全体の過半数以上が引用では、本の印象としてはあまり良いものとは言えないと思います。(これはあくまでも私の考え方ですが。) そこで編集者は、著者から受け取った図やイラストの原稿を見て、 1. どうしても引用せざるを得ないもの 2. 新たに書き起こすことが可能と判断できるもの 3. 著者のオリジナルのものに分類していきます。 まず1については、引用・転載許可願い書を作成し、必要な手続きをとることになります。2の場合は、まず、その一つ一つについて、“この図で伝えたいことは何なのか” ということを著者に確認していきます。そして、“その伝えたいこと” を明確にした上で、それが伝わるような図を新たに書き起こすように著者にお願いをします。もちろん、きれいな図を描いてもらう必要はなく (きれいなほど良いのですが) 、手書きでラフに描いてもらっても構いません。 時には、編集者自らが描いて、「こんな感じの図にしてはどうでしょう?」 と、それを著者に確認して進めることもあります。またイラストの場合は、どんなことを伝えたいのかを著者に聞き、それをイラストレーターに伝えて描いてもらうようにします。 図は本の顔になりますので、できるだけ見栄えが良くなるように工夫をすることが大切となります。そこで編集者は、著者から頂いた図原稿の一つ一つについて、例えば次のような一工夫を入れていきます。 ・ 図が立体的に見えるように、あるいは、必要な部分が強調されて見えるように、アミ線 (アミカケ) を入れる。 ・ 色で区別する。 そして、図についての指定が済むと、それをトレースを専門とする会社や印刷所のトレース部門に入稿し、それが出来上がってくると、本文と同じように校正をして、著者に見てもらうことになります。(私の場合、イラストの作成は、これまで付き合いのあるイラストレーターにお願いしています。) 図というのは、読む人の理解を深めるため (時には、その本を資料として価値を高めるため) に入れるものですが、その本の印象を決定づける重要な要素となります。 入門書や啓蒙書であれば、なるべく工夫を凝らして見た目にわかりやすくし、読者に易しい本という印象をもってもらうようにすることが大切です。また専門書であれば、なるべく新しい資料に基づく図を作成して入れるなど、読者に新しさを伝えることも必要です。 見栄えの良い図になるように工夫をするという作業は、編集者として何年経験を積んでも、毎回悩むことなしには進めることができない難しいものの一つと言えるでしょう。
2005.03.13
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初校のゲラを著者に渡してからしばらくすると (最初に、いつ頃までにゲラを戻して下さいと伝えておく必要がありますが) 、著者から 「校正が済んだ」 との連絡がメールや電話で入ります。そこで日程を決め、著者の所に直接ゲラを頂きに伺います。 (なお、著者が遠くに住んでいる場合には、郵送でやり取りすることが多くなります。) 著者から直接ゲラを受け取るときには、特に何か分量の多い原稿の追加や、図・イラストの追加・削除があるかどうか、念のため、その場で確認しておいた方がよいでしょう。 というのは、大量の追加があった場合には、その部分の原稿がきちんと揃っているかどうかが気になりますし、あまりに原稿の追加が多くなった場合には、それが当初の狙いに沿ったものになっているかどうかのチェックも必要となるからです。 また、図やイラストに追加・削除がある場合には、どの図が追加でどの図が不要となるのかを著者に確認するとともに、もし図に通し番号を付けている場合には (例えば図1.1 のように)、番号にズレが生じるかどうかも確認しておく必要があります。 著者からゲラを受け取って自分のデスクに戻ってきたら、次に、以下のことを確認します。 1. 渡したゲラが不足なく揃っているか 2. 著者の赤字 (直し) の程度はどうか 3. こちらで書き入れた鉛筆書き (質問や疑問) に漏れなく答えてくれているかそして、もしも答えてくれていない箇所が見つかり、それをそのままにしておくと再校 (2回目の校正) のゲラを出稿するときに影響を与えそうなら (例えば、本文の行数に変化を与えそうなど)、著者に確認をしなくてはなりません。特に大きな影響を与えるものではない些細なものであれば、 再校で確認し直せばよいでしょう。 なお、初校を前回説明した “棒組み” で組んだ場合には、この段階でゲラに図のレイアウト指定 (図の縦横の大きさを記して、そのスペースを空けるように指示する) を行ないます。 すべてのチェックが終了したら、初校のゲラに “要再校” (ようさいこう: 初校の赤字を直して、再校を出して下さいの意) と書いて、印刷所の営業担当者に渡します。 (社内でDTPを行なっている場合は除きます。) こうして初校の作業は終了し、印刷所からの再校を待つことになります。
2005.03.05
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割付した原稿を印刷所に入稿してしばらくすると、印刷所から初めての校正刷りが出てきます (校正刷りのことを “ゲラ” ともいいます)。校正刷りは、印刷所のオペレーターが、著者の原稿を編集者の割付・組規定に従ってタイピングして組み上げたもの (これを “組版” といいます) を出力して、A4やB4の紙にプリントアウトしたものです。 初校のゲラのスタイルには、次の2つのタイプがあります。 1つ目は、棒組みといって、初校では図の入るスペースは空けないで、文字だけをズラズラと組んでもらうスタイルです。これは主として、図が多く入る本のときに、私は採用しています。 ほとんどの場合、初校では大きな赤字 (修正や削除) が入ったり、著者から新しく図が追加されたり、あるいは反対に図の削除の指示があったりするので、いまの段階で本文と図の位置関係が適正であっても、赤字のために図の位置がガタガタになってしまい、図の移動の指示のための赤字を加えなければいけなくなるなど、折角のゲラが赤字のオンパレードになってしまうからです。そのため、図が多い原稿の場合には、初校は棒組みにして、再校で図のスペースを空けるようにします。 2つ目は、初校から図のスペースを空けるスタイルです。これは上とは反対に、それほど図の数が多くない場合に採用しています。本当は、初校からこのスタイルで進められれば編集者としても楽なのですが、図が多い場合には上のような理由でそうもいかないのです。 図は、著者の図原稿をもとにトレース (きれいに書き起こすこと) をします。 トレースを専門に行う会社もありますが、いまは多くの印刷会社がトレース部門をもっていることもあって、本文の原稿と一緒に図の原稿も渡すというケースも増えています。ただし、図といってもイラスト風のものであれば、「このイラストレーターにお願いしたい」 というものも中にはあるので、それは個別に判断していきます。 初校のゲラの話の中で、“図のスペースを空ける” と書きました。もし、同じ印刷会社に原稿の組版と図のトレースをお願いすれば、初校 (棒組みではない場合ですが) で本文中に図を組み込んでもらうことができるので、本文と図を一緒に校正できるということになります。もちろん、図のスペースだけを空けておいてもらって、図は別個に校正刷りを出してもらうということもできます。 初校での編集者の実際の作業ですが、著者の原稿を左に、ゲラを右に置き、一字一句の照らし合わせをしていきます。このときに重要なことは、あくまでも一つ一つの活字を照らし合わせていくことで、決して “文章を読んではいけない” ということです。読んでしまうと、頭の中で文章が流れてしまって、文字を飛ばしてしまうということが起こるからです。そのため、まずは読まずに、くどいようですが、一字一句の照らし合わせをしていきます。 次に、素読み (すよみ) を行います。素読みとは、原稿は脇に置いておき、ゲラを本として読んでいくものです。素読みに臨む際に最も大切なことは、この本を読むであろう読者のレベルに自分を落とし込んで、読者の視点に立って読んでいくということです。 これは一つの例ですが、例えば、自分が経済学については入門者レベルよりも詳しいとしましょう。もし、このレベルのままで目の前の 「経済学を初めて学ぶ人のための入門書」 のゲラを素読みしたら、必ずと言っていいほど、「これはわかる。この用語も当り前。やさしいな ~」 と感じて、よっぽどのことがない限り、素読みのゲラに鉛筆書きは入らないことでしょう。 自分には知識があるのだから、わかるとか、やさしいと感じるのは当り前です。そうではなくて、この本はいったい誰に読んでもらいたいのかという、当初の企画の趣旨を常に意識しながら読み進めなければいけないのです。ですから、たとえ自分に知識があってわかることであっても、その本の読者レベルに立って、 ・ ここは、このように書いた方がわかりやすくなるのでは? ・ この表現の方がよいのでは? ・ この文章の主語がわかりにくいのでは? ・ この用語は、少し説明を入れた方がよいのでは? ・ 似たような表現が繰り返されていますがOKですか?などといった様々な質問や疑問を、気になった箇所に鉛筆で書き込んでいくことが大切です。決して、「まぁ、いいか、このくらいなら。」 と妥協をしてはいけません。原稿でも読み込んだでしょうが、原稿よりもゲラの方が “より客観的に読める” ということもあり、ゲラになったら、より徹底的に (眼力で紙に穴を開けるくらいの気持ちで) 読み込みをしていく姿勢が大切となります。 原稿との照らし合わせ、素読み、といった編集者の一連の作業が済んだゲラは、初校に対する注意事項などを書いた手紙を添えて、著者のところに直接持っていったり、あるいは郵送で送り、著者に初校をお願いするということになります。 Part.2 では、著者から戻ってきた初校に対する編集者の対応について記すことに致します。
2005.02.26
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単行本とシリーズ本では、カバーデザインについての考え方も違ってきます。単行本では、1点1点ごとにその都度デザインを考えていけばよいのに対して、シリーズ本では、シリーズ全体を通して、最初に決めた基本となるデザインで統一していくのが一般的だからです。 (もちろん、そのベースとなるデザインに、さらに1点ごとに異なったデザインを付加するということをすることもあります。) ということもあって、単行本とシリーズ本でどちらがデザインを決めるのが難しいかと言えば、同じデザインでずっと通して行かなくてはならないシリーズ本の方が難しい (時間をかけて練らなくてはならない) ということになります。 単行本のカバーデザインでは、当然のことですが、その本自身にマッチしたデザインというものを考えていくことになります。ですから、例えば子供向けの本であれば、その本に出てくるキャラクターや、シーンの一部を思わせるような風景をカバーデザインに取り入れてみたり、また一般向けの本では、中身からは離れて、その本自身の雰囲気を高めるようなデザインというものをデザイナーと共に考えていきます。 一方、シリーズ本では、 ・ あるコンセプトのもと、狙っている読者層は同じであるが、1点1点は異なったテーマであること ・ 一度シリーズが動き出したら、その後は、長期間に渡って同じデザインで統一していかなくてはならないことといったことがあるため、 “ある特定の何かを連想させるようなデザインというのは良くない” ということになります。あくまでも、中身を離れて、シリーズ全体のイメージを高められるようなものが望まれてきます。そのため、シリーズのカバーデザインでは、 1. 飽きのこないデザイン 2. 「このカバーは、このシリーズだ」 と読者に深い印象を与えることができるようなデザイン 3. シリーズのブランド価値を高めることができるような、また愛されるようなデザイン 4. シリーズとして書店の棚に並んだときに、目に飛び込んできやすいデザイン 5. 書店に長きに渡って置いていても、照明でなるべく抜け落ちないような色使い (これは色の問題ですが) などのことに重きをおいて考えていくことが必要となります。 前回、カバーデザインが本の売れ行きを左右することもあると書きましたが、カバーデザインを失敗してしまうと、せっかく中身が良い本であっても、読者や書店に悪いイメージ (デザインが良くないな ~ とか、このシリーズは売れないな ~ などといったイメージ) が作られてしまうので、営業戦略上も大変不利になります。 逆を言えば、デザインにインパクト (これは極端な言い方かもしれませんが、脇に抱えて持って歩きたくなるようなデザインとか) があって、そのシリーズの最初のラインナップの売れ行きも好調となれば、ブランドイメージも向上します。そして、これから出る本に対しての読者や書店の期待感も高まり、良いイメージを持って頂けるようになります。 もちろん、本は中身が一番に大切なことは言うまでもありません。これがうまい例えと言えるかどうかわかりませんが、洋服でも、いくらその素材 (生地) が良くてもデザインが良くなくては売れないと思うのです。同じようにして、単行本であればその本自身、シリーズであればシリーズ全体を一つと見て、それを一番うまく表現できるようなカバーデザインを求めていくことが大切ではないか、と私は思っています。
2005.02.19
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皆さんは、本を、内容よりもそのカバーデザインに惚れ込んで買ったという経験はあるでしょうか。私自身について言えば、書店で立ち読みしてみて 「まぁまぁの内容かな~ 」 というものでも、そのカバーデザインがとても気に入ってしまうと、つい買ってしまうということがよくあります。 カバーデザインは本当に難しい。商品の売れ行きが、そのパッケージデザインの良し悪しによって影響を受けることは、一般によく知られていることですが、同じように、本のカバーデザインが、その本の売れ行きを左右することもあります。 “編集者はカバーデザインの発案に関わるべきかどうか” については、おそらく、編集者によっていろいろな意見があるかと思います。ここで言っていることは、“デザイナーが出してきた案について口を出すかどうか” ということではなくて (デザイナーが出してきた案に意見をするのは当然のことなので) 、 “デザイナーも考えるが、編集者自身も案を考えるべきか” ということです。 「編集者自身も考えるべきだ」 という立場は、こつこつと編集作業を進めてきた本が、最後の最後にカバーデザインで台無しにされてしまってはやり切れないし、 「本が書店に並ぶまでは編集者がすべてに関わるべきだ」 ということもあるかと思います。確かに、そのとおりだと思います。ただ、ここが難しいところなのですが、編集者は、とかく本の内容そのものだけを表すようなデザインを求めてしまう (考えてしまう) 傾向にあるのではないか、ということです。 本来、デザインというものは、一旦それ (本で言えば、その内容) を踏まえた上で客観視し、使う (読む) 人たちの心 (関心) をそのモノに向けて動かすこと (私は芸術家でもデザイナーでもないので、うまい表現が浮かばないのですが) が目的と思うのです。 例としては良くないのですが、いま、次の2つのカバーデザインを想像してみて下さい。 1. アニメのキャラクターが描かれたデザインの、弁護士向けの六法全書 2. 絵が一切なく、白地に小さな活字でタイトルのみが書かれたデザインの、マンガ本1のデザインが成り立つ (採用される) 可能性はゼロに近いと思われるのに対して、2では、 「マンガ本としてはあまりにシンプルなデザインだけど、大人には人目をあまり気にせずに読めていいかも」と思われた方もいるのではないでしょうか。 なぜ1の方は厳しいと見られたのかというと、 “アニメのキャラクター” と “弁護士” にほとんど接点を感じないからだと思います。そこで、もし上の本が “弁護士向けの” ではなくて “法律を初めて学ぶ人のための” 内容だったらどうでしょう。 今度は、読者対象とデザインとの関係が少し身近になって、 「これはアリかも」 と思う方はいるのではないでしょうか。では、2の方はどうでしょう。もし、上のマンガ本が “明らかに小学生向け” の内容であったら、デザインに否定的な意見の人が増えるのではないでしょうか。 このように、カバーデザインを考えるに当っては、 “その本を読もうとするであろう読者の期待感と付かず離れずのデザインにする” という視点が大切な要素の一つであると思っています。そして、この “読者の期待感と付かず離れずのデザイン” というものをデザイナーに掴んでもらえるように、その本についてデザイナーと話し合う過程こそが、編集者がカバーデザインで関わるべきことではないか、というのが私の思っているところです。
2005.02.12
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原稿の割付を終えた編集者は、次にそれを組版するために、指定の印刷所に入稿します。(今は、社内でDTP (デスクトップパブリッシング) を行なっているところも多いのですが、ここでは印刷所で組版する場合について記すことに致します。) その際、編集者は、組規定書というものを原稿と一緒に付けて、印刷所の営業担当者に渡します。 いま、皆さんの手元に何冊か本がありましたら、開いてそれぞれを見比べてみて下さい。(ただし、同じシリーズの本などは除いて下さいね。) 開いてみるとわかるように、本によって、縦組のものがあったり横組のものがあったり、そして、さらに、 ・ 1ページ当りの字数や行数 ・ ページ番号 (これをノンブルと言います) の位置や書体 ・ 本文が書かれている領域 (これを版面と言います) の上や下 (上のことを天、下のことを地と言います) に小さな活字で書かれている、章やセクションのタイトル (これを柱と言います) の位置や書体なども、それぞれ違っていることに気づくかと思います。 編集者は、どのようなスタイルの本に仕上げるかを考えて、「この原稿を組版するときの基本スタイルは、これです」 ということが印刷所のオペレーターにわかるように、その設計指示書を作ります。これが組規定書と言われるものです。組規定書には、上に挙げたようなものの他に、本のタイトル (入稿時は仮題のことが多いですが) や刊行予定日なども記します。 最近は原稿を手書きで執筆する著者は少なくなり、ワードやTEXなどのソフトを用いて執筆する方が大変多くなりました。手書きの原稿の場合は、オペレーターはそれこそ一つ一つ打ち込んでいかなければならないのですが、今は著者自身が自分の原稿を入力したデータを予め用意しているため、印刷所に原稿を入稿する際に、このデータファイルも一緒に渡すことで、組版のスピードアップが可能となりましたし、オペレーターのタイプミスも格段に減りました。もちろん、このデータファイルをただ渡しただけでは、オペレーターには、その原稿をどんなレイアウトに組んだらよいのかがわかりませんから、編集者は原稿をプリントアウトしたもの (これをハードコピーといいます) に、前回述べたような割付を行なう必要があるのです。 そして、 原稿のデータファイル 割付したハードコピー (原稿) 組規定書の3つを印刷所の営業担当者に渡して、原稿の入稿が完了となります。
2005.02.04
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原稿を一通り読み終えた編集者は、その原稿に割付という作業を行なっていきます。割付とは、本文全体のレイアウトを考えて、その仕上りになるように、原稿に設計図を書き入れていくようなものと言えます。具体的には、 1. 見出し文字について、書体や大きさ、配置を指定する 2. 本文自身のアクセントを考えながら、本文の活字の大きさや書体、配置を指定する 3. 図をどこにどのように配置するかを指定するなどといった作業を指します。 割付に当っては、まず、その本全体の仕上りのイメージを頭に描くことから始めます。そのため、その本を読もうとする読者をイメージすること、その本の位置づけなど (入門書か教科書的な本なのか、あるいは専門書なのかなど) も考える必要があります。もちろん、これらのことは、本を企画した時点で決まっていることではあるのですが、割付に入るときに、今一度、自分自身で整理することが必要です。 全く同じ原稿であっても、割付の仕方によって、その本の読みやすさや印象は全くと言っていいほど変ってしまいます。このことは、本の編集者でなくても、自分でホームページやブログを立ち上げている人ならば経験していることだと思うのですが、例えば、同じ原稿を、 レイアウトA 見出し : ポップな感じの書体で、本文の活字よりも、かなり大きなサイズ 本 文 : 文章で強調したいところは、その前後の行間を広く空けて、見出しに負けないくらいの大きさに、あるいは罫線で囲んで 図 版 : 本文との間隔もゆったりとって、中央にドーンと配置 レイアウトB 見出し : ゴシック体で、本文よりも少し大きなサイズ 本 文 : 全体を通して、大きな変化はつけずに同じような調子で 図 版 : 基本的に、左右どちらかのワキに配置の2つのレイアウトで組んだとします。上のAとBのレイアウトで組まれた2冊の本をパッと見て、どちらが易しそうな印象を持つかといったら、おそらく皆さんの多くがAの方を選ぶのではないかと思います。 (ここでは、第一印象をどう思うかということで考えて下さい。) つまり何が言いたいのかというと、その本の狙いや読んで欲しい読者層をきちんと押さえて、それに合ったレイアウトをしていかないと、レイアウトの方向性を間違ったがために、売れるものも売れなくなってしまうことが起こるということなのです。 これは一つの例ですが、あなたが今、何かあるテーマについて勉強したいと思っているとします。最初は、まず入門書レベルのようなものから読んでみようと考えるかと思います。そして、それを一通り読破して、さて、いよいよ本格的に専門的な部分を勉強してみようと考えたときに、例えばレイアウトAのような本だと、 「この本は入門書みたいで、専門書としては頼りない内容かも・・・」 という第一印象を持つのではないでしょうか。 “内容自体は、あなたのような方に読んで欲しいレベルであるにもかかわらず” 、レイアウトから受ける印象で、読者に買われなくなってしまうということが起こります。逆を返せば、たとえ難しい内容の原稿でも、レイアウトの工夫次第で、読者に易しい本という印象を与えることもできるということになります。 “原稿の内容、読者対象に合ったレイアウトを考える” というのは言葉で言うほど簡単なことではなく、特に編集者として駆け出しの頃は、仕上りの状態がイメージできずに、なかなか思うように割付ができなかったり、割付して入稿した原稿が組版されたゲラを見て、指定があまかったことに気がついて直したりということがよくあります。もちろん、経験を積んだ編集者であっても、ゲラを見てから、 「やっぱり、こっちのスタイルの方がいいかなー」 と思い直して、赤を入れることはよくあることです。 「読んでもらいたいと考える読者の方々に手にとってもらえるレイアウトは、これだ!」 と答えを導き出せるような方程式があればどんなに便利だろうとは思うのですが、こればかりは、多くの経験を積んで、多くの本を参考にして、そしていっぱい悩んで、自分なりの方程式を見つけていくしかないのかなーと思ったりもする、今日この頃です。
2005.01.27
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編集者が原稿の割付やゲラの校正のときに使っている主な道具としては、 1. 赤ペン と 修正液 2. 級数表 と 歯送り表 3. 書体見本帳 4. 色見本帳 (カラーチャート) 5. 辞書などがあります。 赤ペン (赤ボールペン) は編集者の必需品といいますか、これがなくては仕事になりません。原稿の割付 (レイアウトや文字の指定) やゲラ (校正刷りともいいますが、割付した原稿を、その指定に従って組版して出力したもの) の校正のときには、この赤ペンを使って行います。そして、修正液。間違って入れてしまった赤字を消すのに使います。書籍の編集部は雑誌の編集部に比べて比較的静かな雰囲気にあるので、耳を澄ましていなくても、仲間の編集者が修正液の容器をカチャカチャと振っている音が聞こえてきます。 級数表は、文字の大きさを指定するために使う道具です。普通の書籍では、読みやすさなども考慮して、11 ~ 14級 (級は Q とも書きます) ぐらいの大きさの文字がよく使われています。級とは文字サイズの単位のことで、1Q = 0.25ミリに相当します。なお、文字サイズの単位としては、ポイント (P とも書きます) もよく使われます。ちなみに、1P ≒ 0.3528ミリ で、ポイントと級の関係は 9P ≒ 13Q となっています。また、歯送り表は字間や行間 (文章と文章の間) を計るための道具ですが、この説明は少し込み入りますので、ここでは省略致します。 書体見本帳は、いろいろなタイプの書体が載っている、文字のカタログのようなものです。書体には、皆さんがよく知っているゴチック体や明朝体をはじめ、様々なものがありますが、編集者は、レイアウトやデザインを考えながら、いろいろなタイプの文字を使い分けていきます。いま手元に新聞や雑誌などがあったら、広げて見て下さい。ゴチック体の見出しに明朝体の文章など、文字を使い分けることで、読者の方が読みやすいように、そして目につきやすいようになどの工夫をしていることに気づくかと思います。使う文字のタイプを変えることで、文章にアクセントを入れることができるのです。(日頃、皆さんも、レポートなどを書くときに見出しに太い文字を使ったり、強調したい文字のタイプを変えたりなどの工夫をしているのではないかと思います。) 色見本帳 (カラーチャート) は色のカタログともいえるものです。本文を多色刷りにするときには、見本帳を見ながら使う色を指定していきます。同じように、カバーのデザインで色の組み合わせを考えるときにも、この見本帳を使います。全く同じ内容の本であっても、使う色によって本の印象が変ったり、読みやすさやわかりやすさが変ってくるので、色の使い方はとても重要なのです。 辞書は、国語辞典、漢和辞典、英和 (和英) 辞典 (その他の言語の辞典) 、広辞苑、学術用語集など、いろいろなものを使います。そんな中、原稿を読んでいて時々困ってしまうのが、専門用語です。著者の方がきちんとした専門用語 (その分野において、一般的なものとして使われている用語) を使って頂ければよいのですが、なかには、あっちの辞書、こっちの辞書といくら調べてもわからないような専門用語 (正確には、専門用語に見えるような言葉) が原稿に書かれていて、著者によくよく質問してみると、その方自身の造語だったりして・・・。「私が今まで調べていた時間はいったいなんだったんだー 先生、それはないでしょうー」 と思わず言いたくなるようなときもあったりします。 この他、上では特に挙げませんでしたが、定規、付箋、ハサミ、ペーパーセメントなどなど、いわゆる一般的な文具ももちろん使います。なかでも付箋は、原稿やゲラを読んでいく途中で、著者に質問すべき箇所があったページに貼ったり、また後で確認した方がよい箇所に貼ったりと、いろいろですが、付箋がゲラに山のように貼られていくと、正直、「まいったなー こりゃ」 と思ってしまうこともしばしばです。 最後に、「大工さんが自分の大工道具を常日頃から大切にしているように、編集者も、自分の編集道具は大切にしなければならない」、と自分自身へ反省も込めて言い聞かせ、今回は、ここまで。
2005.01.20
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前回は、「読みやすい文章にする」 ということについて触れました。この作業の中で編集者が行っているもう一つのこととして、 “用字と用語を統一する” というものがあります。 著者の原稿には、同じ言葉なのに、前の方では漢字だったのが途中からひらがなになっていたり、用語の表現に不統一があったりと、いろいろな問題点が見つかります。そこで編集者は、それをある一定の基準で整えていきます。 (ただし、この整理の基準は編集者によっても違いますし、同じ編集者でも、それぞれの原稿に応じて整理の仕方を変えたりもします。) 以下に、いくつか簡単な例を示しますが、これはあくまでも私の場合ということで理解して下さい。 1. 漢字にするのか、ひらがなにするのか、あるいはカタカナにするのか 例1 : 「AはBと呼ばれている。」 “呼ばれて” の表現は、まさに声に出して呼ばれているような場面ではよいかもしれないのですが、 「一般に、そのように言われている」 という意味に近いのであれば、 “呼” をひらがなにして、 「AはBとよばれている」 とします。 例2 : 「これはねじです。」 “ねじ” という言葉の前後がひらがなだと、周りの言葉に埋没してしまってわかりにくいということがあります。そこで、 “ねじ” を “ネジ” とすると、 「これはネジです。」 となって、“ネジ” という語がはっきりとわかるようになります。ちなみに、ねじを漢字にすると “螺旋” となるのですが、これはパッと見て読みにくく、漢字の上にルビをふる必要があるでしょうし、 “ネジ” の方がよいだろうと判断します。 2. 同じことを指している用語は同じ表現で統一する 例1 : 「携帯電話は大変便利である。・・・ そして最近は、小学生でも携帯を持っている。」 “携帯” という用語が “携帯電話” を指していることは読者の方にも明らかにわかると思うのですが、用語の統一という観点から、 「そして最近は、小学生でも携帯電話を持っている。」 と直します。 例2 : Microsoft は巨大企業である。・・・しかし最近は、マイクロソフトも・・・。 それぞれの文は不自然というわけではないので、“Microsoft” か “マイクロソフト” のどちらかに統一します。ただし、他にも会社名がたくさん出てきて、たとえばカタカナ表記が多いという場合には、そちらに揃えた方がよいだろうと判断します。 用字と用語の統一では、読者が少しで読みやすいように “表現” を整理していきます。しかし、実際の作業では、上のように簡単に統一がはかれる (方針が決まる) ものではなくて、横組みと縦組みの違いで英字をカタカナにするか、そのままでいくかどうか悩んだり、「これは漢字の方がいいなー。 でも、ここまではひらがなで統一してきたし・・・。 やっぱりひらがなの方がいいかなー。」 と何度も原稿を戻って読み返したりしながら、作業を進めていきます。 今度一度、手元にある本を、表現の統一がなされているかどうかということに少し注意して読んで見て下さい。 「あれ? さっきは漢字だったのに、ここはひらがなになってる」 などというところが見つかるかもしれません。 たぶん、見つかると思います。でもそれは、その本の編集者が統一すべきところを見過ごしたのかもしれませんが、もしかしたら、意図的にそのようにしたのかも・・・。本当のところは、担当の編集者のみが知り得ることですね。 次回は、ちょっと道からはずれるのですが、編集者が普段の編集作業で使っている道具 (文具) を紹介してみたいと思います。
2005.01.13
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著者から完全原稿を受け取った編集者は、その原稿が、読者にとってわかりやすく読みやすい文章になっているかに細心の注意を払いながら、再び、読む作業に入ります。そして、読みを進めて行く中で、著者にとっての完全原稿であっても、編集者から見ると、手を入れた方がよいと判断される箇所がたくさん見つかってきます。 どんな箇所が見つかるのか、ざっと挙げると、 1. 主語、述語の関係がよくわからない。 2. 接続詞がない、あるいは適当でないため、文章と次の文章がうまくつながっていない。 3. 文章が何行にもわたってずらずらと続き、適度な改行がない。 4. 全く同じ文章が繰り返し出てくる。(これは手書きの原稿には見られず、wordやtexなどの文章作成ソフトを使った原稿に多く見られます。おそらく、文章をコピーやペーストしているうちに、削除をすべきところをそのままにしてしまったためでしょう。)などといったものがあります。 「著者の書き上げた原稿に、こんなに不備があるの?」 と思われる方もいるかもしれません。もちろん、読みやすく、流れるような文章を書く著者もおりますので、著者の方すべてがそうとは言いません。しかし、そういう著者の原稿でも、上に挙げたような箇所が少なからず見つかります。 確かに、著者は原稿を書き上げるまでに何度も何度も自分の原稿を読み直しては書き直し、という作業を行なっています。しかし、そうして自分の原稿に向き合っているうちに、自分の原稿を客観的に読むという視点がなくなってしまい、結果として、原稿の不備に気づかないということが起こってしまうのです。 そこで編集者は、原稿の中の上に挙げたような箇所について、次のような直しを入れていきます。 A. 明らかにおかしく、この方が良いというものは赤ペンで直す (書き込む)。 B. この方がよいと思われるが、著者に確認した方がよいと思うものは鉛筆で書き込む。 ここでは、特に具体例を挙げて、読みやすい文章とはどういうものかについて書くことは省きますが、このAやBの書き込みがあまりに多くなった場合には、もう一度、その原稿を著者に戻すことも必要となります。しかし、著者の校正 (これについては機会を改めて解説致します) のときに見てもらえば済むと判断される程度であれば、次の作業へと進めて行きます。 著者の原稿に手を加えるということは、編集者としての経験を積んでくれば一見簡単なようにも見えますが、実は非常に神経を使う作業なのです。というのは、著者によって、文章のリズムや言葉の言い回しが違う (個性がある) からです。そのため、Aという著者の原稿で直した言い回しを、Bという著者の原稿でも同じように直してしまっていいかというと、そう単純にはいかないのです。 初めて本を書く著者や、まだそれほど執筆経験のない著者の原稿の場合には、ある程度、編集者の方で主導権を握って読みやすい文章に直していくことも必要です。(ただし、内容に手を入れるということではありません。) しかしながら、特に、執筆経験の豊富な著者の原稿と向き合う場合には、著者の文体の癖 ( 「くせ」 という表現は適切ではないかもしれませんが) を把握した上で、直しを入れていくことが大切となります。 これは私が編集者として5年目ぐらいのときだったと記憶していますが、杓子定規に、それまでの編集者としての経験だけを頼りに文章に手を入れてしまったために、執筆経験の豊富な著者から、「私の文章に勝手に手を入れるな!」 と、カミナリを落とされたことがありました。大変苦い経験をしたのですが、その著者の方のお蔭で、“著者の文体の癖を知り、そして生かす” という視点も大切なんだということを学ぶことができたと思っています。 著者の原稿を読んで、読者が読みやすいような文章にするという作業を行なっている時間は、編集者にとっては、著者の原稿と格闘している時間といえるのかもしれません。表現が悪いかもしれませんが、私は、いつもそんな感覚を持ちます。日頃、文章を読むことに慣れた編集者にとっても、とても神経を使う、そして脳にいっぱい汗をかく (体にも汗をかきます) からでしょうね。 きっと。
2005.01.05
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編集者は、著者からの最初の原稿 (1次原稿) が当初の狙い通りになっているかに細心の注意を払いながら、しっかりと時間をかけて読み込んでいきます。そして、文中に疑問点などがあれば直接書き込みし、全体を読んでの感想やコメントは手紙に記して、原稿と共に著者にお渡しします。 この1次原稿が、幸いにも、ほぼ編集者の思い描いていたようなものになっていれば、あとは文章の細かなところの手直しなど全体のブラッシュアップをお願いして、原稿の完成を待つことになります。そして担当編集者は、著者に最後のひと踏ん張りをして頂くようにと、適当な間隔を見ながら励ましの声をかけるなどして、原稿の仕上げに向けて著者をサポートしていきます。 しかし、もしこの1次原稿がこちらの思っていたようなものになっていなかったときには、その原稿の出来栄えに応じて、編集者はいくつかの判断を迫られることになります。 例えば、原稿が当初の狙いとは違ったものにはなっているが、この原稿自体は本として出す価値がある、と判断できる場合があります。こうした場合、担当編集者は社内で臨時の編集会議などを開きます。そして、原稿が当初の企画からは ずれたところにあることを説明した上で、しかしこの原稿自体は別の本としては出す価値がある、という自分の考えを述べ、このまま別の本として出すか、それとも、当初の狙い通りになるように著者に書き直しをしてもらった方がよいか、編集部内で意見を戦わせることになります。最終的には、担当編集者の意見が尊重されますが、前者と後者では全く狙いの違った本になるため、ここでの決断は、編集者として大いに悩むところです。 その一方で、1次原稿があまりに魅力に欠けると言わざるを得ない場合もあります。こうした場合は、もう一度、著者と膝を詰めて話し合い、当初の狙いなどを再確認した上で、改めて一から書き直しをお願いすることになります。これをお願いすることは、(特に、編集者として駆け出しの頃は) とても勇気のいることなのですが 、前回記したように、著者に原稿の書き直しをお願いすることができるのは、唯一、編集者なのですから、ここは心を鬼にして、言うべきことはきちんと言わなければいけません。 最終原稿を頂くまでには、著者と何度も様々なやり取りがあります。その一つ一つについてここで触れることは省きましたが、上に書いたように、編集者は、時には著者に対して厳しいことも言わなくてはならないこともあります。だからこそ、編集者にとって大切なことの一つは、“著者に信頼される人物となること” だと思っています。
2004.12.24
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編集者は、刊行予定を睨みながら、著者に対して原稿の催促を行なっていきます。そして、何ヶ月、何年という日々を経て、いよいよ、待ちに待った最初の脱稿の日を迎えることになります。とはいっても、この脱稿というのは、完全原稿が出来上がったということではなくて、「一応一通り書き上げたので、読んでみて欲しい」 という段階のもので、いわゆる1次原稿と呼ばれるものです。 出版社では、著者が最初に書き上げた原稿にいきなり割付作業をして組版に入るようなことは極めて稀で、そのまま本にするようなことはまずありません。担当編集者は、著者が書き上げたその原稿が、当初の狙い通りになっているかをチェックする必要があり、この作業がとても重要な意味を持ちます。そのため、この段階の原稿をしっかり読み込み、気になる箇所にはコメントを入れて、一度、原稿を著者に戻します。そして、完全脱稿に向けて、最後の仕上げに取り掛かってもらうことになります。 編集者は、まだ世に出ていない その原稿の最初の読者であり、また唯一、著者に原稿の書き直しをもお願いすることができる役を持った、とても責任ある立場にあります。だからこそ、たとえ1次原稿とはいえ、原稿を手にしたときにはとてもうれしいものですし、またその一方で、「さあ、心して読まなくては」 と身が引き締まる瞬間でもあります。 1次原稿を読むときにポイントとなることは、 1. こちらが思い描いていたような内容となっているか 2. 当初の読者ターゲットをはずしていないか 3. 全体のボリュームはどうか (本にしたときに、ページ数はどのくらいになりそうか) 4. 著者権上の問題はないかなどのような点です。 1 は、最も大切なチェック項目といえるでしょう。まず何よりも、その原稿の内容が、こちらがお願いしたようなものになっているかどうかが重要なポイントです。これは私の拙い経験ですが、多くの著者の方は、最初は当初の狙いを頭に入れて書き始めて頂けるのですが、時が経つとともに次第に筆に力が入ってしまい、ついつい独りよがりの方向に進みがちです。(だからこそ、日頃の原稿催促がとても重要な役割をするのですが。) そういうこともあって、まずは何よりも、こちらが思い描いていたような内容になっているかどうかに注意を払って原稿を読んでいくことが大切な作業となります。 2 は 1 とも関連するのですが、たとえ内容的には良いとしても、それがターゲットに設定した読者層をはずしているようではいけません。これは少し極端な例ですが、中学生に読んで欲しい内容の本ということで当初お願いしたのに、出来上がった原稿が大学生ぐらいでないと読みこなせないような難しい表現 (話のレベル、感情表現、使っている漢字、等々) で書かれていては困ります。もしそうした箇所があれば、中学生がわかるような表現に直してもらう必要があり、編集者の方で、「ここは、このような表現にしてはいかがでしょうか」 と原稿にコメントを入れていくことになります。 3 は、定価の問題とも絡んでくる大切なチェックポイントです。例えば、中学生に読んで欲しい内容の本ということで、上の 1、2 の点についてはクリアーしたとしましょう。そして、現在の原稿枚数から本にしたときの総ページ数を計算したら500ページぐらいになって、このままでいくと、自分の出版社では定価が5000円近くになりそうだということを、これまでの経験から担当の編集者が予想したとします。中学生に5000円近くの本を購入してもらうのはそう簡単ではないということは想像できますから、いまのままでは、原稿枚数が多すぎるという判断に至ります。こうした場合、なるべくコストを抑えるような制作方法の模索も行いますが、それでもなお定価の問題がクリアーできそうもないと判断した場合には、せっかく書いて頂いた原稿ですが、ここは心を鬼にして、著者に原稿を削るようにお願いすることが必要となります。(なお、定価の決め方は出版社の規模や販売力 (1回の刷り部数) によってかなり違ってきますので、500ページだと必ず5000円近くになるということではありません。) 4 は、細心の注意を払わなければならない点です。昨今は、原稿執筆を手書きで行う著者は稀で、word や tex などのソフトを使って原稿を書いて、フロッピーやメールで送ってくる方が増えてきました。また、インターネットによって、さまざまなことを簡単に調べることができるようになって、その調べた内容を容易に自分のパソコンに保存しておくことができる時代となったために、あまり深く意識せずに、他人の文章や図を自分の原稿にコピーやペーストしてしまい、時間が経つとともに、それがあたかも自分のオリジナルの原稿のように思い込んでしまって脱稿に至る、というケースも出てきています。しかも、原稿のどの部分が他人のものをコピーしたものなのかを見分けることは難しく (たまたま、その編集者が以前にどこかで読んだことがある文章、見たことがある図が混ざっていれば判断がつくのですが、そうでなければ、他人のものからの引用かどうかを見分けることは至難の技です)、編集者を悩ませます。そのため、この点についても、日頃の原稿催促で著者に注意を促すことが必要となります。他人の著作物を無断で使用することは違法であるということを、常に頭に入れておいてほしいところです。 今回は、編集者が1次原稿 (著者からの最初の原稿) を読むときに注意しなければならないことなどを簡単に紹介しました。実際の原稿読み込み作業では、まだまだ他にもさまざまなことに注意を払いながら読み進めることになるのですが、ここでは、「著者から原稿を受け取ったら、すぐに取り掛かって本にするわけではないんだな ~」 ということだけでも知って頂ければと思います。
2004.12.16
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著者への正式な執筆依頼が済むと、編集者に待っている次なる仕事は、著者が原稿を脱稿するまで、刊行予定のスケジュールを睨みながら、原稿を催促していくことです。 ここでいう催促とは、「先生、原稿まだですか。もう締め切りが近いのですが。」 といった差し迫った状況でのことではなく、「先生、その後、ご原稿の進行状況はいかがでしょうか。がんばって進めて下さい。」 という、“進行状況のチェック” と “著者への励まし” などを意味しています。 編集者が原稿を催促する方法としては、 1. 電話をする 2. 手紙を書く 3. e-mailを送る 4. 訪問をするなどがあります。ただ、どんな方法を用いるかについては、これがベストというものはなく、その著者に応じて異なる方法を用いるというのが一般的だと思います。 催促の方法として最も用いられるのは、何と言っても、“電話をする” というものです。電話を掛ける際に最も配慮しなければならないのは、その著者の生活習慣や予定がどのようなものかということです。例えば、執筆は専ら夜にするという習慣を持つ著者に、午前中の早々から催促の電話を入れたりするのは、その著者から見ると 「あいつは非常識な編集者だ」 ということになってしまいます。また、本来の仕事 (例えば、昼間は会社勤めをしているなど) と原稿執筆の2つの仕事をこなしているような著者の場合には、仕事中に会社に原稿催促で電話をするのは、やはり著者から見れば迷惑なことでしょう。電話というのは、リアルタイムで著者と連絡がつくという便利さがある反面、相手の現在の状況をわからぬままに、こちらの勝手な都合で相手をその場に拘束するという負の面もあることを頭に入れておかなくてはなりません。 手紙は、相手の都合の良いときに読んでもらえるということで、著者にとっては好都合なのでしょうが、編集者にとっては、「あの手紙、読んでもらえただろうか」 と気になって仕方がないということもあります。これは私ごとで、いまとなっては笑い話なのですが、まだ編集者として駆け出しの頃、なかなか電話連絡のつかない著者がいて、原稿催促の手紙を出したことがありました。そして、その手紙を読んでもらえたかどうかが気になって気になって仕方なく、後日、その著者へ電話を入れて連絡が取れたのですが、「先生、お手紙は届きましたでしょうか。・・・ 届いておりますか。それは良かったです。ご原稿の進行状況の確認のことでお送りさせて頂きましたので、ご覧下さい。・・・ では。」 と、せっかく著者と連絡が取れたにもかかわらず、手紙が無事届いたことにホッとして、その確認をしただけで電話を終りにしてしまったことがあったのです。そして、この電話のやり取りを耳にしていた先輩の編集者に、「おい、いまの電話はいったいなんだったんだい?」と、呆れ顔で言われてしまったことをいまでも覚えています。 読んでもらえたかどうかが気になるということと、連絡が一方通行で著者の進行状況をこちらが掴むことができないという欠点はありますが、手紙 (特に、手書きの手紙) を書いて送るということは、私の経験では、著者に対してとても良い方向にはたらくということが言えます。これは、その著者へのこちらの気持ちが肉筆を通して伝わるということもあるのかな~ とも思っています。そういうこともあって、毎回ということではありませんが、特に執筆が思うように進んでいない著者に対しては、手紙を送ることもしています。 e-mailは、現代の通信手段としては大変便利なものなのですが、これを原稿催促の主要な手段として用いることには、私は賛成できません。これは私の受け取り方なのかもしれませんが、単なる事務的な連絡や、友人や親しい仲間同士で交わすのは良いと思うのですが、貴重な時間を割いて原稿の執筆をして頂いている著者に対して、その催促に使うのは、あまりに事務的な確認作業をしているようで、私自身にはかなり抵抗があります。もちろん、著者がe-mailで構わないと事前に了解をしているならば問題はないとは思いますが。でも、それでも、e-mailでの原稿催促はなるべく控えるべきではないかというのが私なりの考えです。 4番目の “訪問をする” というのは、当然のことながら、事前にアポを取ってからということです。単に、進行状況の確認のためだけということであれば、上に挙げたような手段でもよいと思いますが、著者がよほどの遠隔地に住んでいない限りは、定期的に著者のところに伺うというのは、編集者の原稿催促の鉄則です。原稿を依頼するときまでは何度も足を運んだのに、その後は、ただ電話や手紙だけで催促をするというのでは、著者をあまりに大切にしていないということになります。それと、“編集者は著者の良き相談相手にならなければならない” ということもあるのです。著者が執筆に行き詰っているときには励ましの言葉を掛けたり、これからの話の展開についての方向性を確認したりもします。また、必要な資料があるとなれば、助手として著者の変わりに動くことも必要なので、御用聞きに行くというような意味もあります。 原稿催促は、その本の刊行スケジュールを考慮して、タイミングをはかって行っていきます。当初の企画通りの方向で執筆が進んでいるか、脱稿予定はいつ頃になりそうかなどを著者とのやり取りで確認し、だいぶ書き上がってきたということであれば、それをもとに編集者は本の刊行日を設定し、おおよその脱稿日を立てます。そして脱稿日に向けて、編集者は、催促と次の催促の期間を少しずつ狭めていきます。この頃には、著者に対しても刊行予定日などをお話して、脱稿に向けて最後の詰めの作業を進めて頂くように、著者に対してプレッシャーを掛けることもします。 私自身は、著者に対して原稿催促をするとき、緊張をしますし、気を使います。そして、いまは電話をしても大丈夫な時間帯か、前回の催促からどのくらい経っているか、そのときはどのような話をしたか、著者から頼まれていた資料探しはなかったかどうか、などが頭の中で駆け巡ります。そういった緊張感を持った中で、順調に原稿執筆が進んでいるというご返事を著者から頂けたときは、とてもうれしいものです。もちろん中には、蕎麦屋の出前ではないですが、「いまやってます、やってます」 というカラ返事だけを聞かされるときもありますが、それはそれで良し、としています。少しでも、こちらの気持ちは伝えることができたと思っていますので。
2004.11.28
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本の企画を立て、それが企画会議で承認されると、いよいよ執筆候補者への原稿依頼を行います。「執筆候補ということは、依頼してみて断られたら、企画会議で折角承認されたものも白紙になってしまうの?」 と思われる方もいるかと思います。確かに、もしその編集者が、執筆候補者へ事前に何のコンタクトもとっておらず、企画が通った後に初めてお会いして、そこで原稿執筆を断られたとなると、折角の企画もまたゼロからスタートか、あるいは、何度も足を運んで執筆のご返事が頂けるまでがんばってみる、ということになります。 私の場合は、企画書作りをしている過程で、執筆を依頼したいと考える方に事前に手紙を書き、お会いして、執筆の打診をするようにしています。手紙は、「いま、○○○のような本を考えております。・・・ ぜひ一度先生にお目にかからせて頂き、お話を伺いたいのですが・・・。」 のような内容のもので、ここには、執筆をお願いしたいとは直接には書きません。ただ、これは私のこれまでの経験ですが、著者の方も、出版社の編集者が訪ねて来るとなると原稿依頼のことだろうということは薄々感じておられるようで、中には、挨拶もそこそこに第一声が、「原稿の依頼でしょう?」 と、こちらが切り出す前に著者の方から言ってくる場合も多々あります。 お会いして伝えるべきことは、まだ企画の段階で正式な依頼というものではないということを前置きしながら、先生に、ぜひ○○○についてご執筆をお願いしたいという、編集者の想いです。そして、ご執筆に対する先生のお気持ちを伺います。その場ですぐにご返事を頂くようなことはせず、ぜひ前向きにお考え頂きたいのですが・・・、というようなことで執筆の打診をし、日を改めて、ご返事を頂くようにします。もし幸運にも、お話をしている中ですぐに前向きなご返事を頂けた場合には、企画書の仕上げに取り掛かり、企画会議でのプレゼンに全力を注ぎます。 時には、お話をしている中で、その場で、執筆は無理との即答を頂くこともあります。こうした場合、これはテーマや著者の人柄などにもよるのですが、私の場合はこれらを考慮の上、次の3つの方針で考えるようにしています。 1. 時間を置いてから、また改めてお伺いし、こちらの気持ちを伝えていく。 2. 迂闊には口に出すことはできませんが、どうしても無理という感じであれば、同じような分野で活躍している方や書けるような方がいるかどうかを伺って、推薦して頂く。 3. その執筆者でなければ成り立たないような企画であれば、一旦企画を白紙にもどして練り直す。 編集者は、著者候補の方から1回無理と言われたからといって、すぐに引き下がるようではいけません。その程度であれば、企画に対する編集者の想いも、大したことがなかったということです。何度も手紙を書いたり、お伺いして、それでも難しいようであれば、上の2、3のような方向で行くのも致し方ないと思いますが、それまでは、何度もトライしてみる姿勢が大切です。 これは私の拙い経験ですが、何度も何度も断られ続けていた先生から、ある時突然にお電話を頂き、「あの原稿のことなんだけど、前向きに考えてみようと思う」 とご返事を頂いたことがあって、そのときには涙が出るほど嬉しかったことを覚えています。 以上のように、私は、企画書作りの段階で執筆の打診をして著者の前向きな姿勢を確かめ、それから、企画会議でのプレゼン・承認・正式な執筆依頼へと進めています。(もし不運にも企画が通らなかったときには、私の力不足で企画が通らなかったことの謝罪を著者の方にしています。) ここで書いたことはあくまでも私なりの方法であって、執筆依頼に至るまでの過程は、編集者によっていろいろとあるかと思いますが、企画を実現したいという熱意と、ぜひ執筆して頂きたいという自分の気持ちを著者候補の方に伝えていくということは、編集者にとって共通した、とても大切な姿勢だと思います。
2004.11.21
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出版社の営業部では、本が完成すると、出来上がった本を書店に配本してもらうために、取次に新刊見本 (完成した本のこと) を持っていきます。取次会社は数社ありますが、日販とトーハンの2社が2大大手と言われていて、ここでは、ほとんどの本がパターン配本とよばれる方法によって配本部数・配本する書店・配本日が決定されています。 取次会社のホストコンピューターには、その出版社の過去の売上げ実績・国内の類書の売上げ動向・書店ごとの売上げ実績などの膨大なデータが蓄積されています。営業マンが新刊見本を持ち込むと、取次の担当者はこれらのデータをもとにして、 「この出版社の、この分野の本ならば、ここの書店に何部配本して、合計で何部配本する」というものをはじき出します。もちろん営業マンが、「この本については、これこれこういう理由で、特にこの書店には多く置きたい」 などの申し出をすれば考慮されますが、そうでなければ、コンピューターによって自動的に、配本する書店・部数が決定されていきます。 パターン配本はとても合理的なシステムではあるのですが、その一方で、読者の方々には不満を与えている部分もあります。 日頃、皆さんは、「町のどの書店に行っても、同じような品揃えで、個性がないなー」 とか、「なんで家の近所の小さな書店には読みたい本や売れ筋の本が置いてないのかなー」 などと言った感想を持ったことがあるかと思います。学園都市や主要都市の駅前の大きな書店などは人も多く集まり、それだけ書店の売り上げも大きいので、配本から新刊が並ぶまでのスピードも早く、また1冊の新刊について何冊もの配本がされていきます。 その一方で、お店の規模に応じて配本する本のパターンが自動的に決まってしまうというシステムのために、来客数も限られて売上げ部数の小さい、地方の小さな書店では、新刊の配本が後回し (大書店に行き渡ってから) になったり、店主が個別に注文をしないと欲しい新刊が入ってこないということが起こります。これが、「パターン配本は合理的 (お店の規模が大きく、人が多く集まるところに集中させる) ではあるけれど、弊害もある」 と言われているものです。 そうした背景がある中で、ときどき町の中に、小さくてもとても個性的で素敵な書店を見つけることがあるかと思います。そうした書店では、パターン配本だけに頼らずに、店主自らが出版社に直接本の買い付けに行ったり、注文をして (この場合は、返品が利かなくなります)、お店の充実に努めています。きっと、ご苦労も多いかと思います。(もし、近くに個性的な書店さんがあったなら、ぜひ店主さんに苦労話でも聞いてみて下さいね。) 本は、再販制度のもとで、その多くが委託販売という形で書店に配本されていきます。皆さんも書店で本を開くと、スリップ (書名・著者名・出版社名・返品期限・回転数などの情報が書かれた長方形の紙) が挟まっていて、レジで支払いのときに、店員さんがそれを抜いていることを知っているかと思います。委託販売では、半年間や1年間などのある一定期間、本を書店に置いてもらって、売れなければ、スリップに書かれた返品期限内に返品、売れたら、そのスリップをもとに取次に再注文をします。(例えば、その書店の仕入れが2回目ならば、スリップの下の回転数が2となって、書店に届きます。) ただ昨今は、書店に届く新刊の点数があまりに多いために棚のスペースを確保することが難しく、大規模書店でない限りは、そのまま売りっぱなしにして再注文はしないというところも多くあります。 営業部では、営業マンごとに担当エリアを決めて、日々、書店回りを行います。そして、自社の本が少しでも多く売れるように、本の置いてある場所をチェックして、少しでも目立つようにしたり (ポップを付けたり)、売れた本の注文 (再注文) が滞っていないかなどを店員さんと確認します。また、特別販売のイベントの企画を考えて、店員さんに提案したりします。 毎日、膨大な量の新刊が発売され、書店に配本されています。そうした中で、いかに自社の本の売上げを上げていくかが、営業部の腕の見せどころとなってきます。そのため、書店の店員さんたちと頻繁にコミュニケーションをとって仲良くなり、一緒になって売り場作りをしていくといったことが日々の重要な業務となっています。また、店員さんたちから得た情報を次の本の企画に生かせるように、それらの声を編集部にフィードバックしていくことも大切な仕事です。 これまで3回にわたって、編集部・製作部・営業部の仕事について、極く簡単に紹介してきました。紙の種類や印刷方式、掛け率のことなど、まだまだ解説すべきことは山ほどあるのですが、ここで記したことが、これから出版社を目指す人たちにとって入門的な知識となればと思います。
2004.11.14
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製作部の仕事を説明する前に、編集者が著者から原稿を受け取った後はどのような流れになっているのかを簡単に説明します。 初校 → 再校 → 三校 → 責了(校了)→ 青焼き → 印刷 → 製本 → 配本 → 書店 初校から三校までは、校正の回数を意味しています。一般に書籍の場合は、3回の校正を経て、責了 (もう赤字がほとんどないので、三校で入れた赤字は印刷会社の責任で直して校正は終了として下さい、の意味) となります。責了後、印刷会社は製版 (紙に印刷するための版下フィルムを作ります) を行い、そのフィルムに特殊な光を通して感光紙に文字を写し出します。これを青焼き (青色をしているので) といいます。 編集者は、ここで最後のチェックを行います。責了で入れた赤が直っているか、何かエラーが起こっていないか、汚れがないか (青焼きはフィルムに光を当てて感光紙に写したものなので、フィルム上にゴミや傷などがあると青く写ります) などをチェックし、OKとなれば、いよいよ印刷作業に入ります。印刷会社では、すべての印刷が終了すると、それを出版社の指定した製本会社に納め、製本作業を経て、待ちに待った、本が出来上がります。 一般に、出版社の刊行した本を書店に並べるためには、取次会社 (本を書店に配る会社) を通さなければなりません。国内には、日販とトーハンと言われる2つの大手取次会社があり、ほとんどの本は、この2つの取次会社による配本によって書店に運ばれています。多くの出版社は東京都内に集中していますので、都内で早い所であれば、配本日 (取次会社が書店に本を運ぶ日) のその日には、書店で本を買うことができます。地方では、これも場所にもよりますが、書店に並ぶのに配本から3日くらいかかるところもあります。各書店にはトラックで本を運んでいるということもあって、現状では致し方ないのかなとも思っています。 製作部の仕事は、 1.その本にどんな紙を用いるか、上製 (じょうせい:ハードカバー) にするか並製 (なみせい:ソフトカバー) にするかなどの最終確認を編集者と行う。 2.製作にかかるコストの計算を行って原価計算表を作成し、定価会議の準備をする。 3.責了日を編集者に確認し、その後の、配本に至るまでのすべての工程の日程の管理、調整を行う。 4.増刷が決まった本などについて、現在の版に誤植や修正があるかどうか、著者に確認を行う。 (これを製作部が行うかどうかについては、各出版社によって違うかと思います。)といったもので、校正作業が終了した後に、編集者からバトンを受けたような形で、配本日に至るまでの進行管理を行っています。 このように、編集者は著者とのやり取りがメインの仕事となるのに対して、製作部は洋紙会社・印刷会社・製本会社とのやり取りがメインの仕事となっています。本の刊行は年間の刊行計画に従って行われていますので、例えば、11月の下旬刊行と予定しておりながら、遅れ気味になってくると、製作部から、 「その本は、本当に11月下旬に間に合うのか? もう、ぎりぎりだぞ。大丈夫か?」 と、確認・催促の連絡が入ったりして、私たち編集者は冷や汗ものだったりします。 (私は、毎回と言っていいほど、催促されています。反省しております。) 編集・製作を経て、本の完成です。そして次は、本の宣伝や売り込みを行う営業部の出番です。次回は、営業部の仕事についてご紹介したいと思います。
2004.11.07
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これまで数回にわたって編集者の仕事について書いてきましたので、改めて述べるまでもないことですが、編集部は編集者とよばれる人たちが所属している部署で、その仕事は、企画を立て、執筆を依頼・催促して原稿を編集し、本や雑誌を年間の刊行計画に従って出版していくことにあります。ただ、一口に編集部といっても、書籍の編集部と雑誌の編集部では、かなりの違いがあります。 書籍の場合は、基本的には、その本の企画を立てた編集者が一人で編集作業を進めていきます。1冊の本が刊行になるまでの期間は、出版社・出版物のスタイルによってかなり違ってきますので一概には言えませんが、著者の完全原稿を頂いてから、およそ3~4ヶ月ぐらいかかるのが一般的だと思います。書籍の編集部では、編集者一人一人がそれぞれ異なった本の編集を進めているということと、刊行までの期間が長いということもあって、比較的静かな雰囲気の中で仕事が進められています。また出版社によっては、編集部の中が部門や分野ごとにさらにいくつかの編集部に分かれているところもあり、各部門の責任者として、編集長 (あるいは編集責任者など) とよばれる人が置かれています。 これは私ごとですが、部門の編集責任者といえども、自分自身の企画した書籍の編集業務は他の編集者と同様、もちろん行っています。立場上、自分の部下 (私自身はこうした表現を使ったことはありませんが) に当る編集者の仕事の進行状況や刊行計画のチェック、そのほか様々な相談を受けるなどのことはありますが、私も一編集者であることには変りはありません。 一方、雑誌の場合は、1冊の雑誌の中の各コーナーごとに担当の編集者がいて、その上に、その雑誌を総括する編集長がいる、というスタイルが一般的です。また、現場に出て行って取材をする人、写真を担当する人、連載記事のライターなど、1冊の刊行までに多くの人たちが関わっています。雑誌の場合は週刊、月刊、季刊などの種類がありますので、まさにその名の通りの期間で刊行までもっていく必要があります。雑誌の編集部は、締切りの迫った原稿や掲載する写真についての電話や打ち合わせのために多くの人の出入りがあったりと、かなりせわしなく雑然とした光景が見られます。 このように、同じ編集部であっても、書籍と雑誌では仕事の進め方や部内の雰囲気がかなり違いますし、また出版社ごとに、その社風や刊行している分野によって、それぞれの編集者に求められるものは少しずつ違ってくるかもしれません。しかし、編集者としての役割は基本的に同じだと思います。自分の属する編集部でしっかりと編集技術をマスターし、編集者としての経験を積んでいくことで、将来どういった編集部に属することになったとしても、迷うことなくやっていけると思います。 編集者を目指している方で、いまはまだ、ただ漠然と、 「出版社に入って編集者になりたい」 と考えているレベルであれば、もう少し具体的に、「自分はどんな分野で活躍したいのか」 を考えてみることから始めてみて下さい。出版社選びも重要なことですが、まずはその前に、自分が手がけていきたい分野を明確にすることの方が、より大切なことだと私は思います。 次回は、製作部の役割と仕事についてご紹介したいと思います。
2004.11.01
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出版社の組織の中で、直接、本の刊行に携わっている部署には、大きく分けて 1.編集部 2.製作部 3.営業部の3つがあります。大手の出版社では、これ以外に、企画部、校閲部、デザイン部、広告部など、さらに細かく部署が分かれているところもありますが、多くの出版社は、だいたい上の3つの部署で構成されているかと思います。 (なお、その他、総務部や経理部などの部署もありますが、本サイトの趣旨から、ここでは省かせて頂くことに致します。) 中小の出版社の場合は、採用募集の段階から 「編集部員募集」 など部署を限定して募集を出すことが多く (この場合は、大体が欠員が生じたときに行う募集です)、採用となれば、最初からその部署の一員として仕事に就くことになります。しかし、一般的な新規採用の場合には、面接で 「編集職を希望します」 ということであっても、1年目は上のいずれかの部署に配属になるかと思います。 「編集希望なのに、編集部には行けるとは限らないの?」 と思う人もいるかもしれませんが、欠員募集でない限り、1年目から必ずしも編集部に配属になるとは思わない方がよいかと思います (特に、大手の出版社の場合)。最初から何としても編集部に入りたいのであれば、上に書いたように、「編集部員募集」 と欠員募集で求人をしているところを受けた方がよいでしょう。もちろん、そこが自分の希望する分野の書籍や雑誌を刊行しているということが条件となるかと思いますが。 1冊の本が書店に並ぶまでには、 企画 → 執筆 → 編集 → 印刷 → 製本 → 広告 → 配本 → 書店 → 営業という大きな流れがあり、この一連の流れの中で、上の3つの部署が協力して仕事を進めています。編集者は、企画・編集の仕事だけをしていればいいのではなく、この流れの中で具体的にどんな仕事が行われているのかを把握していると同時に、時には印刷所に出向いたり、書店に営業に回ったりしなくてはいけません。 したがって、編集者は、上の1~3のどの部署の仕事についても経験しておくことが理想的と言えるかと思います。採用する側は、そのことをわかっていますから、「編集希望」 であっても、最初はいろいろな部署で経験を積ませることを考えるのです。ですから、たとえ最初に編集部に配属にならなくても腐らずに、「編集者になるためのステップの一つ」 と思ってがんばってほしいと思います。 これから3回にわたって、それぞれの部署の役割と仕事についてご紹介していきたいと思います。
2004.10.24
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皆さんが、ある分野についての専門書を読もうと思うのはどのようなときでしょうか。これは一つの例ですが、例えば、今まで営業部にいた方が、初めて経理部に配属になったとします。経理の仕事も一つ一つ見ていくと様々なものがありますが、多くの方は、まずは 「経理の仕事にはどんなものがあるのか、とにかくざっと知っておこう」 ということで、いわゆる 「入門書」 レベルの本 (「初めての・・・」 とか 「・・・入門」 の類) を読むことから始めるかと思います。そして、実際に経理部で一つ一つの仕事をこなしていく中で、これについて、より深い知識が必要と感じ始めると、今度は、その分野について詳しく書かれた、いわゆる “経理を仕事にしている人向けに書かれた書” を読むようになるかと思います。 上で書いた “ ” の部分に注目して頂きたいのですが、読者は、「自分の直面している問題や課題を解決したい」 とか、「今よりも、より上のレベルのことを知りたい・学びたい」 などといった思いから、“初心者向けに書かれたものではなく、より高度な専門的知識を得られる書” を求めるようになります。この一連の流れは人として自然な欲求かと思いますが、編集者としては、このステップに注目することがポイントになります。 つまり、専門書とは、上のような読者の欲求を満足させるレベル・内容の書ということができ、そうした層にターゲットを絞り、企画を立てることになります。したがって、専門書のマーケットは、その分野によって極端に違ってきます。例えば、経理の業務に関する専門書であれば、仕事に従事している人口も多く、マーケットも非常に大きいものがありますし、毎年、経理の仕事に新しく配属されてくる人の数も考慮すると、何版も版を重ねる (増刷) ことも大変期待できることがわかります。また、例えば、文学や哲学といった分野になると (これは、皆さんもだいたい想像がつくかと思いますが)、この分野の専門書を求める方は確実にいますが、そのマーケットは大変小さく、よほどの名著でない限り、何版も増刷を重ねていくということはあまり期待できません。 しかし、その一方で、科学・技術の分野のように、大学・企業の研究者や理工系の大学の学生など、専門書という大きな枠組で見ると、それを求める方の人口は非常に多いのですが、個々の分野に注目して注意深く見ないと、本を出したのにあまり売れないという失敗をする分野もあります。それはどういうことかというと、例えば、すでに基礎研究も固まり、各大学や企業で産業への応用が研究されている分野や、いわゆる大学の講義で学生が学ぶような分野などになると、各分野の専門書を読む人の数も多いのですが、まだまだ基礎研究の段階のレベルの分野になると、この分野の研究をしている人たちは日々論文を読むことがメインであり、まだ充分に確立していない分野を本にまとめることは時期尚早ということが言えるのです。この当りを見極めることも、編集者として大変重要な視点になります。 編集者が専門書を企画する際に注意すべきことは、その本を出すことの価値をどのようのに判断するかということにあります。たとえマーケットが小さく増刷は期待できなくても、「この本を出すことで、その分野を陰で支えていく」 という出版社の姿勢・編集者の思いを世に示したいという場合もあるからです。この考えは大変重要なことなのです。出版社も私企業ですから、当然、利益を上げなければなりませんが、「増刷を重ねられるような売れる本と、その分野の発展を陰から支えていくような本」 のバランスを常に考えながら企画を立てていくことが、編集者には求められるのです。 著者にとっては、読者の要求も高いところにあるということもあって、自分の専門とするところを思いっきり書けるという点で、これまでに述べた啓蒙書や入門書と違って、比較的書きやすいということがあります。編集者としては、その分野の執筆をお願いするのに最も相応しい方を見つけ出すとともに、執筆者にその本を出すことの意義をきちんと伝えて理解して頂くこと、そして、(得てして、各分野のリーダー的な研究者は多忙な日々を過ごしているので)、事務的に電話で原稿催促をするのではなく、時にはちょっと顔を見せに行ったり、励ましの手紙や電話をするなど、多忙な日々の中にあっても原稿執筆を少しでも進めて頂けるようにお願いしていくということが大切になってきます。 これまで3回に分けて、啓蒙書・入門書・専門書について書いてきました。どれも極く簡単に、そして私なりの見方で書いたものであって、出版社によって、また現役の編集者の方々でもそれぞれ考え方が違うところが当然あるかと思いますが、これから編集者を目指す方々にとって、少しでも参考になればと思っています。
2004.10.17
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入門書は、その分野についての専門書よりも敷居をグッと低くして、初めてその分野に触れる人に易しく解説をすることを目的とした書、ということができます。(何をもって専門書とするかの基準は難しいですが、その分野についての専門用語が特に詳しい解説もなく本文中に出てくるようなレベルの書、とお考え下さい。) ただ、販売上の戦略として、少しでも多くの読者に手に取ってもらいたいがために、タイトル付けのテクニックとして、内容的には充分に専門的で初めて読む人にとっては難しいレベルの本であっても、その分野の類書が多い場合には、タイトルに 「入門」 と入れることで易しい本という印象を与えるようにする、というようなことをしている書もあります。これまでに、「入門とあるから買ったのに、読んでみたら難しかった。タイトルに偽りありだなー」 と感じたような本は、あなた自身のレベルが入門書を読むレベルにも達していなかったのではなくて、上のような理由によるものだと思います。 皆さんが、「○○入門」、「入門 ○○」 といったような書名の本を読もうと思う動機はいろいろあるかと思いますが、きっと、「入門なら、自分でも読めるかな」 とか 「いきなり本格的な本を読むのはしんどいから、まず入門書でも読んでみるか」といったものであるかと思います。そういった読者の動機もあり、入門書は専門書よりも売れやすいというところがあります。 当然、編集者もこの点は把握しています。私の場合は、ある分野についての本の企画を立てる場合 (啓蒙書ではないという場合ですが)、まずは 「その分野の入門レベルの書」 の企画を練り、そして、それにつながるレベルの書として 「本格的な書」 の企画も一緒に考える、というように一つのセットで考えることが多いです。 その大きな理由は、その1冊のみということで 「入門書」 というものを考えると、著者が読者の期待 (入門書なんだから易しい内容だろうなという期待) を裏切るレベルの内容の原稿を執筆してきた際に、「この原稿は入門レベルといえるかどうか」 の判断が難しくなるからです。そのため、(実際はアイディアだけで終わってしまうことの方が圧倒的に多いのですが) 入門書を企画するときには、「この入門書の後には、1ステップ上の内容の本も出す」 ということを頭に置くようにしています。こうすることで、著者の原稿を見たときに、「ここの内容は上のレベルの書に譲る部分では」 とか、「もう少し易しく噛み砕いて書いて欲しい」 といった判断がつきやすくなるということがあります。(これはあくまでも、私のやり方ということで理解して下さい。) 編集者が如何に著者とコミュニケーションをとって、原稿を目的のレベルにもっていくかということが大変重要な作業となります。そのためにも、「編集者は、その原稿の最初の読者である」 という大きな使命と責任を背負っていることを決して忘れてはいけないと思っています。
2004.10.09
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私が担当している分野の本では、啓蒙書・入門書・専門書の3つの種類を常に頭に入れながら企画・編集を行っています。これは読者ターゲットをどこに置くかということを考える作業の中で必要となる分類なのですが、広く一般の方に読んでもらいたいなら啓蒙書として、その分野について初めて学ぼうという方に向けたものなら入門書として、そして、高度な専門知識を学びたいという方に向けては専門書としてのように、企画する本の位置づけを明確にすることが大切となってきます。 啓蒙書は、その読者層が広いという意味で、編集者にとっては難しい本作りと言えます。本作りにおいては、常に読んで頂くであろう読者の顔 (層) を想像しながら一つ一つの作業を進めなければなりませんが、まずなんといっても、著者に執筆をお願いするときに、その難しさに直面することになります。 これは当り前の話ですが、たとえ執筆をお願いしたいテーマが決まっていたとしても、それはどんな人が読む本なのか、その企画の意図が明確にならないままに著者へ執筆依頼に行くことなどできません。啓蒙書でまず一番難しいのは、この点であり、読者イメージをいかにうまく執筆をして頂く方に伝えられるかということがあります。 一般に啓蒙書は、そのテーマについて初めて触れる方・そのテーマに興味をもっているけれど本格的な本を読む前の下準備として読んでおきたいという方を対象にした書、という位置づけにあるかと思います。その点で、編集者と著者には、読者が読みやすいようにレイアウトを考えたり、少しでも敷居を低くするような工夫と書き方が求められます。 また、本のページ数や装丁、版の大きさなどについても、読者が手軽に読める本だということを感じて頂けるように考慮しなくてはなりません。 ページ数は、読者にある程度の満足感を与えながらも、書店でパッと見て最後まで読み切ることができるであろうということを感じて頂かなくてはならないということを考慮すると、これは私の拙い経験ですが、だいたい200ページ前後が妥当かと思っています。もう少し具体的な数字で言うと、120、130ページだと少し物足りないかな、250ページを超えると重いだろうな (重さのことではなくて、最後まで読み終えることができるだろうかと買うときに悩むだろうなということ) ということがあるかと思います。装丁や版の大きさについては、親しみやすい感じのカバーデザイン、手軽に持って歩けるサイズ・通勤電車で片手で持って読めるサイズと重さかどうか、などの点についてが考慮すべきこととして挙げられます。 以上、簡単に書きましたが、啓蒙書作りにおいて編集者が一番大切なことは、読者イメージ・内容のレベルを執筆者にいかに伝えるかということ、そして、原稿の脱稿まで、ターゲットとする読者イメージからのズレがないように執筆者とコミュニケーションを重ねていくことにあるかと思います。
2004.10.03
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ある程度、テーマとなるものが固まりつつあると、次の段階としては、それを単行本とするか、あるいはシリーズ化するかということを考えていきます。 最初から売れなかったときのことを考えるのはどうかと思われるかもしれませんが、単行本とシリーズ本では、当然のことながら、抱えるリスクに大変な違いがあります。単行本の場合は、結果としてその本の売れ行きが芳しくなかったとしても、その1冊のことで済むのですが、シリーズの場合はその後何点も続いて本が刊行されていくわけですから、刊行したものの売れ行きが芳しくないとなった場合には、書店の方には売れないシリーズだなと判断されてしまいますし、担当編集者はもちろんのこと、会社としても大変辛い状況に追い込まれます。ですから、シリーズ化するかどうかの判断は、何度も何度も議論を重ね、慎重に判断しなくてはなりません。 単行本で行こうか、シリーズ化しようかと迷った場合、私の場合には、これまでにない新しいテーマの場合は 「まず単行本を出してみる」 という方法を採ってきました。これは一つにはリスクを最小限にするということもありますが、最も大きな理由は 「単行本の売れ行きで市場の反応を探り、それによって、将来のシリーズ化の可能性を検討するため」 です。 また、特に新しいテーマでない場合でも、著者の方に合わせて本の体裁に独自性を出したいと考えるならば、単行本で行くことにしています。なぜなら、シリーズの場合、カバーデザインはもちろんのことですが、シリーズの趣旨、レイアウトなどを最初に設定した形で出していくことになり、それなりに制限が生まれてくるからです。そのため、「この本は、こんなカバーデザインにしたい」 、「この著者には、ある程度ページが増えてもいいから思いっきり書いてもらおう」 などの独自性を込めたいときには、単行本の方が企画として立てやすいということがあります。 では、シリーズ化することの良さはなんでしょうか。それはまず第一には、読者や書店へのアピールの大きさが挙げられます。大型のシリーズであればあるほど、注目の度合いも高まります。読者の立場からすると、自分が興味のある分野の本がシリーズとして何冊も刊行されることは大変嬉しいものです。そして、出版社としては、そのシリーズに多くの読者ファンを作ることができれば、次に刊行する本の販売においても、販売戦略上、それを強力な武器することができます。またラインナップが揃ってくると、書店の棚でも目立つようになりますし、書店側からも、シリーズとして継続して置きたいなどの注文を頂けるようになり、かなり目立つ形で置いて頂けるようにもなります。(単行本と違って、返品を控えて頂けるようにもなります。) シリーズ名がある程度市場に浸透するようになってくると、執筆依頼の話も比較的スムースに行くことが多くなります。それは一つには、すでにシリーズの本として刊行したものがあるため、それを見て頂くことで本のイメージを伝えやすいことと、こういうファンが多く読んでいるということをお話していく中で、執筆に前向きになって頂くことができるからです。単行本の場合は、それこそ企画書一枚を持って執筆依頼に向かうのですが、シリーズの場合は多くの話題を持って執筆依頼に向かえるということがあります。 これらがシリーズ本が単行本と違って大きな威力を発揮する点ですが、その反面、シリーズの売り上げが芳しくない場合には、書店にも、そして執筆依頼にも多大な影響が出てくるようになります。これは当り前の話ですが、売れないシリーズを、ただでさえ場所の奪い合いになっている書店のスペースに、ずらっと並べて置こうとする所はありません。そのため、シリーズの一冊なのに単行本と同じような扱いとなってしまい、シリーズとしてではなく、その本の分野の棚に並べられるようになってしまうことが多くなってしまい、シリーズとしての強みは発揮できなくなってしまいます。 また、売れ行きの良くないシリーズの一冊として執筆をお願いするということは、編集者としても大変心苦しいものですし、結果として、シリーズの継続の可否も含め、執筆依頼にも大きな影響を与えるようになります。(幸い、私は、まだこの経験はありませんが。) だからこそ、最初のラインナップの出来が、シリーズが成功するか否かを決定づける大きなポイントとなってきます。 「新たなシリーズを打ち立てる」 ことは、編集者として何年経験を積んでも(経験を積めば積むほど、その大変さがわかるようになるので)大変勇気のいる大きな決断ですが、結果として、多くのファンをもつ 「シリーズ」 として認められるようになったときには本当に嬉しいもので、単行本の成功とはまた違った感動を味わうことができます。
2004.09.25
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溜め込んだ情報を頭の中で振るいに掛けて整理していく過程で、「こんなテーマはいけるかもしれない」 というものが、おぼろげながら見えてきます。もちろん、まだこの段階では企画というには程遠いもので、あくまでもアイディアの段階です。大切なことは、このアイディアを、企画という形にまでもっていけるかどうかということです。 ここからは、このアイディアを煮詰める日々が始まります。まずなんといっても、編集者にとって最大の関心事は、「このテーマに興味を持っている人たちがいったいどのくらいいるだろう?」 ということです。 編集者であれば誰でも、「事前に読者数が把握できれば、どんなにすばらしいだろう」 と思っていることでしょう。読者数を正確に予想することは、とても難しいことです。と言いますか、これは不可能と言ってもよいかと思います。しかしそれでも、編集者はできる限りの情報を集めて分析し、およそどのくらいの読者が見込めるかの予想を立てることが大切な作業となります。なぜなら、これはあまりに当り前の話ですが、編集者の単なる自己満足で誰も見向きをしないような本を作ってしまったなら、執筆をお願いした著者の方にも申し訳ないですし、会社は在庫の山を抱えることになってしまうのですから。(もちろん、自身の評価も下がります。) 一般的には、編集者の単なる自己満足と思われる企画は、企画会議でボツになってしまいます。「この本は絶対いけますから!」と、担当編集者が自信を持って言えることは何よりも大切なことですが、潜在読者はどのくらいいると考えているのかと聞かれて、「それは全くわかりません」 ではお話になりません。たとえ確実な数字は言えなくても(確実な数が掴めないことぐらい、皆わかっているのです)、例えば、こういうテーマに関心を持っている人が多い、この執筆者のファンは多い、これを勉強している人、これから学ぼうとしている人が増えているなど、わかる範囲でできる限り読者数を掴むように努めることが必要です。 ただし、ある程度実績を挙げてきている編集者が出した企画の場合は、「今度の企画は読者数は掴みにくいが、こいつが言うのだから、ここは賭けてみるか」 ということで企画にGOサインが出ることがあることも否定はしません。 「読者数の予想法」 なる本があったなら、すぐにでも買いたいところですが、最も簡単に自分の考えている本についてのおおよその読者数を探る方法としては、 テーマで探るのであれば、自分が考えているテーマと類似する、他社の本のこれまでの売行き動向を見る 執筆者で探るのであれば、執筆をお願いしようと考えている方の、既刊本の売行きを見るというものがあります。 これらは、あくまでも、ざっと読者数を測るというための物差しであって、現実にはそう簡単にはいきません。その理由を書き始めると長くなりますが、一つは、読者の嗜好は変りやすいというものがあります。これは、あなた自身を考えて頂いてもわかるかと思うのですが、ついこの間までは○○のテーマに興味があって何冊も買って読んでいたのに、いつしか関心が薄れて、いまは△△のテーマに夢中で・・・といった感じでしょうか。つまり、本の場合、「このテーマなら固定層として確実にこのくらいはいる」 ということがとても掴みにくく、読者は、あっちのテーマ (著者) へふらふら、こっちのテーマ (著者)へふらふらと常に流動している、ということがあります。 「無名の著者を発掘して、ヒットを出したい!」、「類書のないテーマだからこそ、自分が一番に手掛けたい!」、「これはロングセラーを狙いたい!」 などなど、編集者の熱意と夢は尽きないのですが、こうしたものほど、いかに読者数を測ることが難しいか、少しわかって頂けたのではないかと思います。
2004.09.14
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日頃、私がアイディアノートに書き記している様々な情報も、それを書き留めている時は、それまで留め込んだ情報との間に何の繋がりも見えていません。というのも、私の場合は、「企画に結びつくかどうかわからないけれど、なんとなく関心があるなー」 というレベルからが、アイディアノートに書き残す基準だからです。つまり、情報を書き留めるという作業においては、特にあれこれとは考えずに、私の触覚に触れたものは、とにかく書くようにしています。 ところが、頭の中に 「何らかのフィルターをもつ」 と、ノートに記しておいた雑多な情報が振るいに掛けられ、その中から、企画に繋がるアイディアの芽が見えてきます。 「何らかのフィルターをもつ」 って、何? と思われる方もいるかもしれませんが、これはうまく説明できません。強いて言うとすれば、次のようになるでしょうか。 前々回に、「編集者は四六時中、企画のことを考えています。意識しようがしまいが、常に頭のどこかで、次の企画のネタを追い求めています。」 と書きました。日々、「・・・のテーマで誰々に書いてもらったらどうか、・・・の切り口でシリーズにまとめたらどうか、・・・の人たちにこんな本はどうか」 などと考えをめぐらしているのですが、この一つ一つの思考過程が、結果的に、「頭の中にフィルターをもつ」 ということになっていると思うのです。 具体的に言うと、例えば、「ITをテーマに、何か新しいスタイルで本ができないかなー」 と、ふと考えが浮かんだりすると、これが一つのフィルターとなって、アイディアノートに書き留めておいた雑多な情報がサーッと振るいに掛けられ、ヒントになりそうな情報が姿を現してきます。そして、これまで繋がりの見えなかった情報がリンクして見えてくるようになります。 次の段階として、この振るいに掛かった情報やキーワードをもとにして、アイディアの整理を始めていきます。 もちろん、ここまでのステップで終わってしまい、企画の前段階であるアイディアの形までにも至らないものがほとんどですが、私の場合、こうした作業をいくつも繰り返しているうちに、そこから次の本のアイディアの芽が形作られていきます。
2004.09.06
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前回の続きですが、編集者は情報収集のためにセミナーや学会に出席して専門家のお話を聞くことはもちろん、自らアポイントをとって、専門家の方々を訪問することがあります。 では、本の編集者が専門家の方を訪問する、その目的とはなんでしょうか。 私に関して言えば、大きくは次の3つを挙げることができるかと思います。(1) 温めている企画について、第三者から意見を聞くため 企画は、とかく自己満足に陥りやすいのです。周りの人を納得させるだけの大きな自信と理由があるのならよいのですが、そうした理由もないままに、「この企画は間違いなく絶対に売れるぞ!」 と自分自身で思い込んでしまうと、仲間の編集者からの否定的な意見も耳に届かず、一人よがりの企画となってしまう恐れがあります。 そこで私の場合は、何人かの専門家の方々にお会いして、温めている企画についてそれとなくお話を聞いて頂き、自分の企画の方向性が間違っていないかどうかを確認したり、場合によっては軌道修正をするなど、企画を よりブラッシュアップするようにしています。 もちろん、こうした相談ができるのは、私の人脈の中でも特に親しくして頂いているごく一部の限られた方で、言わば私のブレイン、アドバイザー的な存在となって頂いている方々です。そうでなければ、本来外部に漏れてはならない企画の話など、うかつにはできません。(2) キーワードに隠れた(その先に広がる)分野を探るため 日頃アイディアノートにメモしているキーワードの中で、特に気になるもの (気になるとは、「本のテーマとしていけるかも!」 と思うもの) については、自分でできるだけ掘り下げて調べます。そしてその上で、そのキーワードの分野で特に重要と思われる方を探り出し、お話を聞かせて頂く機会を持ちます。 そこでは、そのキーワードについて、その先に広がる話題や周辺分野などについて、お話を伺います。そこで思わぬ企画のヒントを得たり、その方からまた別の方をご紹介して頂いたり、私にとって、この訪問はとても有意義なものといえます。(3) 人脈を広げるため (2)でお会いする方々は、将来、執筆をお願いする可能性もあります。そこで、いろいろとお話を聞く中で、その方が特にどのような分野を得意としているのか、その方の繋がり (仲間) にどんな方がいらっしゃるのか、人となりはどうか、お話はうまいかなど、できるだけその方の情報を引き出すように工夫するとともに、執筆に前向きかどうかなど、その感触を掴むようにしています。 なお、これと関連することですが、編集者にとって、多くの人脈を持つこと、そして、いろいろな意味でアドバイザー的な存在となって頂けるような方を持つことは、とても大切なことです。そうした方を持つことができれば、たとえ自分の調べたい分野がその方の専門でなくても、相談にのって頂くことで、その方の繋がりで、また別の方をご紹介して頂けることもあり、人が人を呼ぶからです。 以上、前回と今回の2回にわたって、「企画のための情報源」 ということで、ごく簡単に書いてみました。本の編集者と言っても、担当している分野によって情報源も様々あるかと思います。だからこそ、自分なりの、自分だけの情報源を見つけるように努力することが大切だと思います。
2004.09.01
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編集者は、日頃どのようにして、企画のためのアイディアを得ているのでしょうか。これは編集者によって、それぞれ自分のやり方があるかと思いますが、主な情報源としては、下に挙げたようなものがあるかと思います。 1.新聞 2.雑誌 3.書籍 4.インターネット 5.セミナー・学会への出席 6.専門家への取材ここでは、私がこれらを使って日頃どのようにアイディアを得ているか、簡単にご紹介したいと思います。 自宅で購読している新聞には必ず目を通します。(これは、どなたでもやっていますよね。) それから、社内には数社の新聞が毎日届きますので、それらについては、ざっと見出しだけに目を通します。 (毎日続けていると、これだけでも世の中の動きが掴めるようになるものです。) そして、気になった見出しには付箋を貼っておき、後でじっくり読むようにしています。特に興味をもった記事はファイルしたり、ノートにキーワードなどをメモしています。 雑誌は、自分の担当分野に関連したものはもちろんのこと、生活情報誌、男性誌、女性誌、インテリア雑誌、旅の雑誌、・・・と、それこそジャンルを問わず何でも目を通しています。 (「アンテナはT型に!」でしたよね、皆さん。) ここでも、気になった記事はファイルしたり、ノートにメモしています。書籍は、自分の興味ある分野、担当分野のものを読むことは大切なことですが、1冊の本を読破するにはそれなりに時間とパワーが必要ですし、また、日々刊行されるすべての本に目を通すことなど到底不可能なことです。そこで、たとえ本は読まなくても、自分の担当分野に関連する本の新刊情報・近刊情報はできるだけ掴んでおくようにしています。 インターネットは情報収集の強力な武器ですが、私は主に検索のために使っています。ノートに書き溜めたキーワードを打ち込んで、その周辺の話題を調べます。また、その分野に頻繁に登場するような方は将来の執筆者となる可能性もあるので、名前と所属など、わかる範囲でメモしています。 セミナーや学会への出席は、次の3つの点で得るものが大きいと言えます。 (1) いま一番ホットなテーマについて、その道の専門家の話を聞けること。 (2) 会場に来ている方々の人数や年齢層で、そのテーマへの関心の度合いと、そのテーマを本にしたときの読者層を大雑把であるが掴むことができること。 (3) 専門家の方々との名刺交換などで、相手に自分を知って頂くことができること。 ここでは本当に極々簡単に書きましたが、アイディアノートに書くときには取捨選択をせず、とにかく気になった情報はすべて書き残すようにすることが大切です。 6番目に挙げた 「専門家への取材」 については、次回、述べたいと思います。
2004.08.27
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編集者は企画を立てなければならない。もっと正確に言うと、編集者となったからには、その職を去るまで、企画を立て続けなければなりません。「企画を立て続けること」、これは本当に大変しんどい知的作業ですが、無から有を生み出す企画という作業は、編集者として最も楽しい作業でもあります。 本というのは、その1点1点が新商品です。「何を当り前のこと言ってるの?」 と思うかもしれませんが、例えば、ある編集者が年間に12冊の本を出したとすれば、その編集者は、月に1冊の割合で新商品を出したことになります。一般に、編集者は同時に何冊もの本の編集作業を進めています。こんなことを書くと、常にアイディア豊富な編集者の方には笑われてしまうかもしれませんが、本の刊行が進み、手持ちの企画 (企画会議を通って、すでに著者の執筆が進行中のもの) が減ってきたり、他の編集者が会議で企画のプレゼンを重ねている中で自分の企画がしばらく皆の前に出せないときは、正直言ってあせりを感じることもあったり・・・。(これは、私だけかもしれませんが。) 編集者は四六時中、企画のことを考えています。意識しようがしまいが、常に頭のどこかで、次の企画のネタを追い求めています (これははっきり言って、職業病です。) そして、ここで大切なことは、「常にアンテナをT型に張っておく」 ということです。これはどういうことかと言うと、アンテナを縦に張ってしまうと、自分の好きな分野・得意な分野だけに関心をはらってしまうようになってしまうからです。特に編集者になったばかりの頃は、どうしても自分の関心あるテーマだけに目が行ってしまい、その結果、どうしても企画が先細りになってしまいます。 「この分野については誰にも負けないぞ」 と言えるくらいに自分の得意分野をもっていることは、とても大切なことです。でもその上で、編集者は様々なテーマに広く浅くでも関心をはらうようでなければならないのです。そうした中で、ちょっとした思い付きをメモに残し、煮詰めていた企画に またアイディアが加わり、一つの企画が生まれてきます。 最初は難しいかもしれませんが、「アンテナをT型に張る」 ということを、編集者になる前のいまの段階から意識して試みて下さい。そうしたなかで、いままで別々に感じていたもの同士の間に意外なリンクを発見する自分に気づくときがくるかと思います。
2004.08.23
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日本国内には、大小合わせて(一人で起業しているところも含めて)、約4000の出版社があると言われています。そして、そのうちの約8割以上が東京に集中しています。 数多くの出版社の中から、ただ漠然と自分の希望する出版社を探し出すのは大変なことです。と言いますか、漠然としか探せないようであれば、本当に自分は出版社に就職をしたいのかどうか、もう一度よく考えた方がよいでしょう。これは何も出版業界に限ったことではなく、自分のやりたいこと、進みたい方向をしっかりと持っていないと、それは面接で見抜かれてしまいます。あなたが編集者をめざしているのであれば、なおさらのことです。 いきなり厳しいことを書いてしまいましたが、出版社についての情報を得るのに一番手っ取り早い方法は、その会社のホームページを見てみることです。そして、そこに並んでいる書籍の一覧(図書目録)を見ることで、その出版社が力を入れている(得意としている)分野がわかります。また、会社案内や会社の歴史などを見ることで、社風も少しは掴むことができることでしょう。 いまは多くの出版社が採用情報を自社のホームページに掲載していますので、当然のことながら、そこは要チェックです。ただし、ここで一つ注意があります(と言いますか、結構重要な注意です)。それは、出版社はホームページの更新が遅いところが意外と多い、ということです。同じ業界の人間として誠に言いづらいことなのですが、中には半年近くも更新がされていないところ(新刊が出ているのに)や、採用情報のところでも、「今年の採用は締め切りました」とあって、それが去年のものだったり・・・。ということもあって、出版社自身は採用募集をしているのに、その情報がホームページには出ていなかったりすることもあるので(これは結構あります)、ホームページを見る際は、頻繁に更新がされているかを、まず何よりも先にチェックして下さい。 上に記したようなこともあって、たとえホームページに採用情報が出ていなくても、電話で問い合わせをしてみることが必要です。これは、ホームページに採用情報が出ているところについても言えることで、少しでも早く、そして確実な採用情報を掴むためには、その出版社に直接電話をしてみるのが良いと思います。また、出版社の方の電話の応対一つでも、その会社の社風を少し感じとれると思います。
2004.08.20
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テレビドラマでは、出版社の編集部が舞台となることがよくあります。見ていると、みんな忙しく部内を動き回ったり、取材へと向かったり、いろいろな人と会ったり、・・・。現役の編集者が言うのもなんですが、カタカナで書くと、「アクティブにクリエイティブな仕事をしていて、カッコいいなー」というところでしょうか。でも、実際のところは・・・。 いきなり夢を壊すようで申し訳ないのですが、正直言って、編集者の仕事の大半は、とても地味なものです。(編集者の具体的な仕事については、これから少しずつ紹介していきたいと思っています。) ただ、出版社の中でも雑誌の編集部は確かに(学術系の雑誌は例外として)、ドラマに近いところもあることは否定しません。でも、ドラマには、編集者の仕事の多くを占める、原稿を読んでコメントを入れる、ゲラの校正をする、などといったシーンは全くと言っていいほど出てきません。(完全なデスクワークで会話もないですから、当たり前の話ですが。) 何が言いたいのかというと、もしあなたが、「ドラマを見て、編集者はカッコ良さそうだから」というイメージで、ただそれだけの理由で編集者をめざそうと思っているのであれば、「編集者をめざすのは、やめておいた方がいい」ということです。 企画を立てる、企画会議でプレゼンをする、原稿の依頼・催促に行く、デザイナーやイラストレーターとコミュニケーションを取りながら、編集者がすべての進行管理を行う、などなど、ドラマでいうところのカッコよく見える部分もあります。でも実際は、編集者の仕事の大半はデスクワークで、一人で何冊もの原稿を同時進行し、それらの原稿を読んで割付して、なかにはコメントを付けて書き直しをお願いしたり、出てきたゲラの校正をして、・・・。毎日がこの繰り返しです。一言で言うと、「地道にコツコツ」といったところでしょうか。でも、だからこそ、本が出来上がったときには自分の子供が誕生したようで、本当にうれしいものです。 大手の出版社では、通常一人の編集者が行う仕事を分業していることもありますが、多くの出版社では、企画から本の完成までの一連の作業を担当の編集者がこなさなければいけません。 「編集者は職人である。」 これから編集者をめざす皆さんには、ぜひこのことを頭の片隅に入れておいてほしいと思います。
2004.08.18
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出版社の多くは、中小企業です。社員数が50人であれば、出版業界では大企業に属するといっても言い過ぎではないと思います。(ですから、ここでの「中」というのは、30人くらいの規模の会社と思って下さい。) 他の業界の人から見れば、また、就職活動のためにいろいろな会社の会社案内を読んでいる学生さんから見ると、「社員数が50人で大企業だって?」と驚くことでしょう。 昔から、「出版社は電話と机が一つあればできる」と言われてきました。今の時代は、これにネット環境が必要となるでしょうが。とにかく、出版社は少人数のところが圧倒的なのです。社員数10~20人はざらで、10人以下のところも山ほどあります。もちろん、それこそ電話と机一つで一人で起業している人もいます。 また、大ベストセラーを出している出版社、人気のシリーズを出し続けている出版社が小企業なんてことは、この業界ではよくあることです。私も学生時代に、「こんな立派なシリーズを次々に出しているなんて、すごいなー。 きっと、大きな会社なんだろうなー。」と思って、その会社の社員数を調べてみたら25人と書かれていて、「えっ! 25人?」と驚いた経験があります。出版社は、その多くが少数精鋭なんです。 前回の日記にも書いたように、多くの出版社は欠員が出たときにのみ、求人募集をします。毎年定期採用を行っているところは、ほんのわずかの大手の出版社だけです。そのため、「何が何でも自分はこの出版社に入って編集者になるんだ!」とがんばってみても、運悪く、「昨年は募集していたのですが、今年は採用の予定はありません」ということがよくあるのです。 私も、デスクで校正をしているときにたまたま取った電話が入社希望の学生さんからで、「昨年は募集を行っていたんだけどね。今年は採用の予定がないので・・・」と言ったときに、電話の向こうの学生さんの声が急に小さくなってしまって、こちらも内心、「ごめんね。」と謝ってしまいたいぐらいでした。 希望の出版社に入るためには、もちろん採用試験に通らなくてはいけませんが、その前に、残念なことですが、運・不運もあるのかなーと思います。
2004.08.16
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一部の大手出版社を除いて、一般に出版社は、それぞれに得意分野を持っています。ビジネスの分野に強いところ、歴史や文学の分野に強いところ、語学の分野に強いところ、科学技術の分野に強いところ、・・・ 。したがって、例えば、あなたが文学の分野の編集者になりたいと思っているならば、当たり前のことですが、その分野を多く手掛けている出版社をめざすのがベストです。逆に、「自分はどんな分野でもこなしてみたい!」というのであれば、大手の総合出版社をめざすべきでしょう。ただし大手の場合は、それこそ社内に様々な分野の部署があるので、必ずしも自分の希望のところに配属されるとは限りません。(もちろん、それを覚悟で入社を希望したのでしょうが。) 「出版社はそれぞれに自分の得意分野を持ち、その得意分野の出版に最大限の力を注いでいる。」このことは、出版社にとって、とても重要な意味を持っています。 それは、大きく次の3つが挙げられるかと思います。1:少数精鋭で出版活動ができること。2:1にも関連しますが、特定の分野に特化することで、会社の持つ経営資源を集中させることができること。3:得意分野を持つことで、読者や書店の方に、「この分野なら、この出版社が強い」というブランドイメージを持って頂けること。 実は、この3つのことが、出版社への就職を希望する人たちにも、とても重要な意味を持っているのです。1:少数精鋭のため、多くのところが定期採用は行わず、欠員が出たときにのみ募集する。2:上の2、3の理由から、出版社は新しい分野への進出にはとても慎重である。だからこそ、就職活動をする段階から、自分の希望する分野を明確にしておく必要がある。(もちろん、入社して編集者として何年も経験を積み、そこで新分野の企画を打ち出すということもあり得るが、それには、編集者として経験と実績が必要となる。) なお、出版社に限らず、どんな会社もそれぞれに得意の分野を持ち、自社のブランドイメージの形成に力を注いでいることは言うまでもありません。
2004.08.14
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私が編集の学校に入ってみようと考えた理由は3つありました。1:とにかく、編集者の仕事について知りたかったから。2:半年間の修了まで通って、もしも授業がつまらないと感じたなら、編集の仕事は単なる憧れで、自分には合わないのだろう、という進路の見極めのため(いま思うと、ちょっと浅はかな考えだと思いますが。)3:課程を修了すると、学校が出版社への就職のパイプ役をしてくれるから。 半年間の夜学生活では、出版社の業務、編集者の役割・仕事、そして、原稿割付、校正など実際に編集者が行っている作業など、様々なことを学ぶことができました。これらはとても勉強になりましたが、私にとって最も貴重な財産となったのは、同じ教室で学ぶ多くの人たちとの出会いでした。 夜間部には私のような大学生もいましたが、その多くは、昼間は他の仕事をしていて編集者をめざしている人、出版社で編集部以外の部にいて、春から編集部に異動になるので勉強に、という人など、様々な経歴をもつ人たちでした。そこで私は出版社の営業部に勤める一人の方と出会い、「自分は将来、出版社に入って編集者になりたい!」と言うと、「僕は営業部の人間だから編集の仕事はアドバイスできるほど詳しくない。今度、うちの出版社の編集者を連れてくるから、話を聞いてみたらいいよ」と言ってくれたのです。そして、この夜間部修了までの半年間に、私は現役の編集者から何度もアドバイスを受けるという、大変貴重な経験を積むことができました。 ここではサラッと書いてしまいましたが、出版社と言っても、一部の総合出版社を除いて、その多くは、ある分野に特化した(強い)専門出版社なので、就職活動をする前に、「自分はどんな分野の本を作りたいのか、自分の希望する分野に強い出版社はどこか」ということを明確にしておかないといけません。ただ漠然と、「出版社に入って編集者になれればいい」ではいけないのです。
2004.08.13
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「自分は将来どんな職業に就きたいのか、いったい何がやりたいのか」と、いろいろと自問自答を繰り返していた大学2年生の頃、地元の図書館で、「編集者になるには」という1冊の本に出会いました。本は好きでよく読んではいましたが、正直言ってそれまでは、本を作るという職業があることなど思いもしなかったので、「こんな職業があるのか!」と感動したことを今でも覚えています。それからというもの、「編集者ってどんな仕事をするのだろう、どうしたら編集者になれるのだろう」と様々な本を読んだり調べたりという日々が始まりました。そして、いろいろと思い悩んだ末に、「編集者の仕事を知るには、そうしたことを教えてくれる専門の学校に行くのが一番手っ取り早いのでは」という考えに至りました。そして、大学3年生の9月、その道ではあまりにも有名な、ある学校の夜間部に入学しました。猛烈に忙しい、大学と専門学校のダブルスクール生活が始まりました。
2004.08.12
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はじめまして。Cafe Wienです。将来、出版社に就職して編集者になりたいと思っている学生さん。そして、今は他の職業に就いているけれど、夢は編集者と思っている方。そんな皆さんに、「編集者とはどんな職業なのか」、「1冊の本が誕生するまでに、編集者はどんな仕事を行っているのか」などなど、編集者の世界を少しでもご紹介できればと思っています。ただ、私は書籍の編集者なので、新聞や雑誌の編集者とは仕事の流れなども違っているところがあるかと思います。その点で、その方面の編集者を目指している人たちには不満のところも出てくるかもしれません。でも、学生時代に編集者という職業に憧れ、編集者についてもっともっと知りたいと感じていたあの頃の自分を思い出し、同じ思いを抱いている人たちに、自分のこれまでの拙い経験が少しでも役立てばと考えています。日々更新ということにはいかないと思いますが、ぶらっと立ち寄ってもらえたら幸いです。
2004.08.11
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