Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2018年12月09日
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カテゴリ: 夢有無有
「霊魂論」エチカ詳解45
 ヘーゲルの論理は「A乃至B」かの正誤二重論法である弁証法に最大の特徴が見い出せます。言い換えればヘーゲルの論理には始めから敢えて結論を求めず最終結論には行かないで、最終結論其のものに至るまでの論理構成其のもののプロセス「AそれともBか」を弁証法の根拠とし物事の思考論理の根底だとするのです。スピノザのように始めが終わりでもある思想では、まるでキリスト教の神学概念であり、実体即概念に即していないのだと断言します。スピノザの論理思考の実体は主体ではないという正・反・合の{正(テーゼ)}である筈だとはしますが、其れもヘーゲルが「AそれともBか」の弁証法から見れば、スピノザが主張する実体が精神だけでなかったところが不充分であり至らなかったと結論するのです。弄(ひねく)れば、ヘーゲルとしては、気に入らないところがあるというのはもっての幸い、都合上では思う壷かも知れません。何故なら、其の気に入らないところに気付く自分の偉さが確認出来るからです。「此のような愚者がいるから私は賢明なのだ、理由はスピノザの思考の不足に気付くということ、其の事実が私は既にそういう不足を克服しているっていうことだから」。まるで「そくらてすの「無知の知」の語彙其のものです。より正確にいえば、スピノザは実体が同時に精神であり物体即自然だからということを主張するからだと例示します。ヘーゲルのスピノザを物足らないとする理由は数学を好む{エチカ」の演繹法に起因しますす。同一性は始めから出してしまうことは誤謬なのだ。だから、そうした同一性に至るプロセスを産み出すような始まりを思考として取り入れなければ結論は出せない。ヘーゲルにとっての主体としての精神は、まずは不足しているのだが、実は単に不足しているというより、そこから発展していくような出発点、それがヘーゲルにとっては主体としての精神だった。これは物質ないしは自然ではだめである。なぜなら、物質はそれ自体は動かないからだ。それは主体ではない。また、既に述べたように、スピノザのような実体でもだめである。それは動かないからであると。然し乍ら、実体が動かないとすることは大宇宙がエントロピー(Entoropi)によっての崩壊若しくは再生を知らなかったからこそ主張し得るものであり、いかな「論理」の王者も此の件に関しては弁証法論的な再考が必要なのかもしれません。



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最終更新日  2018年12月09日 06時32分06秒
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