Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2018年12月16日
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カテゴリ: 夢有無有
「霊魂論」エチカ詳解52
 スピノザの目的論批判については、言葉通りに其の儘受け入れても誤謬は一切ないのでしょうか、甚だ疑問にも想えます。其の疑問に解明を求めるならば、スピノザの認識論は必須となるでしょう。スピノザは「我思う、故に我在り」の自己内精神から世界を見詰め直したデカルトを批判して、世界其のものの自然である神のみが実体であるとして、そこからすべてを理性によって自己内精神に演繹するという方法論理を組み立てます。帰納法に対する演繹法とも言えましょう。スピノザの思考によれば、神が唯一の実体である以上、精神も身体も、その神の二つの異なる属性に他ならないことになります。デカルトもスピノザも共に機械的自然観がとってかわる。デカルトやスピノザは、いずれも自然科学的・数学的思考を身につけながら、目的論的思想を排除していますが、其の出発点から終結に至る道順は真っ向逆です。デカルトの認識が自己内精神から始まるのに対してスピノザは主書「エチカ」において、表象を「第一種の認識」、理性を「第二種の認識」、直観を「第三種の認識」と三分類し。人間は自然の一部であるから、外部から様々な影響を受けるが、人間の精神は先ず自分の身体の変状についての観念を持たざるを得ないが、これが第一種の認識である。この観念は人間の身体と外部の本性を共に部分的に持つものであるがゆえに「認識の欠如」の観念を含む。従いて、第一種の認識に基づくデカルト流の方法的懐疑は認識の欠如を含むゆえ決して明証性・確実性を有するに至ることはない。しかし「人間の身体と外部の本性を共に部分的に持つということは、本性を共通にする部分についての普遍的な認識をすることは出家得、これを第二種の認識と呼ぶ。さらに、個物の本性に関する認識を第三種の認識と呼び、真と偽の区別は第二種ないし第三の認識に基づきなされる。」としています。此の「第三の認識」こそが世界の認識の果であって原点なのです。世界内存在たる人間は古物としての様体は勿論のこと、精神。理性も神の様体の延長であるから「直感知」で以って世界を捉えることを可能と看做しています。釈尊の無我の境地」、禅修行を踏んだ東洋の哲学至宝の「直感知」が此れです。スピノザのアジア思想の博学に驚かされる次第です。



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最終更新日  2018年12月16日 08時26分09秒
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