「霊魂論」エチカ詳解179(生と死8) プラトンの云う「魂が純粋な姿で肉体から離れたとしよう。その場合、魂は肉体的な要素を少しも引き摺っていない。何故なら、魂は其の受容体の生涯において勧んで肉体と交わることがなく、寧ろ肉体を避け、自分自身へと集中していたからである。このことを魂はいつも練習していたのである。そして、此の練習こそは正しく哲学することに他ならず、それは亦、真実に平然と死ぬことを練習することに他ならないのだ。」は、此の地球たる母星に生きる以上は「生命の育みが他者を殺伐せねば生きられない理」になっており、其れから離れんと欲すれば生命を逃れ自死を待つ境涯しか残されてはいません。ナザレのイエスがパンとワインを食するにしろ、シッダルタが牛の乳を飲むにしろ、全てが他者の生命の簒奪行為から成り立つのが生命系の宿命なのです。プラトンの云う「魂が純粋な姿で肉体から離れたとしよう。」の文言は、人間の精神の内底に潜むデカルトのコギト・エルゴ・ズム( Cogito ergo sum)を超えた深奥の日常では気付くことさえない霊魂がプラトンの云う「魂」に当たるのでしょう。