Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

2021年08月19日
XML
カテゴリ: 絶対存在論
神の存否-143
 スピノザの主著「エチカ」は定理二九の備考では、能産的自然と所産的自然を取り上げます。能産的自然(natura naturans)とは、通常我々が思う自然は人間を含めての天地間の万物或いは宇宙を指しますが、此の自然界を哲学的に区分けしたのが、イブン・ルシュドに発し、スピノザなどにより展開された生み出された結果としてある自然界概念の所産的自然に対し、所産的自然を生み出す力としての自然を概念として設けたのが、ドゥンス・スコツス、エリウゲナに発し、イブン・ルシュドが展開し、コペルニクスの地動説に同調して汎神論をとり異端とされたG・ブルーノ(Giordano Bruno/1548―1600)、B・スピノザが主要概念としたほか、F.シェリングもその自然哲学に用いた語句です。多くの場合は、神や絶対者に等しいとされますが、M.デュフレンヌのようにこれをただ自然の有機的生産力の意味で用いる学者もいることも頭に留め置きたいものです。
 備考 先へ進む前にここで、能産的自然および所産的自然をどう解すべきかを説明しようというよりはむしろ注意しよう。というのは、前に述べたことどもからすでに次のことが判明すると信ずるからである。すなわち我々は能産的自然を、それ自身のうちに在りかつそれ自身によって考えられるもの、あるいは永遠・無限の本質を表現する実体の属性、言いかえれば(定理一四の系一 これからくるきわめて明白な帰結として、第一に、神は唯一であること、言いかえれば(定義六 神とは、絶対に無限なる実有、言いかえればおのおのが永遠・無限の本質を表現する無限に多くの属性から成っている実体と解する。)により、自然のうちには一つの実体しかなく、そしてそれは絶対に無限なものであることになる。これは我々がすでに(定理一〇の備考 たとえ二つの属性が実在的(レアリテル)に区別されて考えられても、言いかえれば一が他の助けを借りずに考えられても、我々はそのゆえにその両属性が二つの実有あるいは二つの異なる実体を構成するとは結論しえないことであるで暗示したことである。および定理一七の系二 第二に、ひとり神のみが自由原因であることになる。なぜなら、ひとり神のみが、単に自己の本性の必然性のみによって存在しかつ単に自己の本性の必然性のみによって働く。したがってひとり神のみが自由原因である。)自由なる原因として見られる限りにおいての神と解さなければならぬ。これにたいして所産的自然を私は、神の本性あるいは神の各属性の必然性から生起する一切のもの、言いかえれば神のうちに在りかつ神なしには在ることも考えられることもできない物と見られる限りにおいての神の属性のすペての様態と解すると述べます。
 上記の「エチカ」定理二九の備考能産的自然と所産的自然を解するに、神存在は完璧なものでは有るけれども、凝り固まった個物などではなく、内相は絶対意識・絶対意思・絶対存在として成り立ったものではなく内在的に変化を具有していることもあり得るかも知れません。



哲学・思想ランキング





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2021年08月19日 06時12分21秒
コメント(0) | コメントを書く
[絶対存在論] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

プロフィール

cap-hiro

cap-hiro

カテゴリ

キーワードサーチ

▼キーワード検索

バックナンバー

2026年05月
2026年04月
2026年03月
2026年02月
2026年01月
2025年12月
2025年11月
2025年10月
2025年09月
2025年08月

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: