Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2022年01月26日
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カテゴリ: 絶対存在論
神の存否-302
 スピノザは人間の個々の人生の精神を、「無限定な持続の間」続くと表現しています。つまりは、精子は発生からその各々が生物学的には有に固執しようと努め、運よく着床に成功したものが生き残り、卵殻を食い破ります。然し乍ら、受精・受胎・誕生、それ以降のどの段階から精神が発生するのか、疑問が昂じます。「精神」なるものの概念が物理科学の認証された諸々の概念を超えないからです。物理科学が生命神秘を明かしたときには解決されることがあることを夢見ます。何れにしろ、人間は其れ自身は生じた時を認識せず、滅びの時も認識しない存在だということです。
 定理九 精神は明瞭判然たる観念を有する限りにおいても、混乱した観念を有する限りにおいても、ある無限定な持続の間、自己の有に固執しようと努め、かつこの自己の努力を意識している。
 証明 精神の本質は妥当な観念ならびに非妥当な観念から構成されている(この部第三部の定理三 精神の能動は妥当な観念のみから生じ、これに反して受動は非妥当な観念のみに依存する。で証明したように)。したがって精神は(この部第三部の定理七 おのおのの物が自己の有に固執しようと努める努力はその物の現実的本質にほかならない。により)妥当な観念を有する限りにおいても非妥当な観念を有する限りにおいても自己の有に固執しようと努める。しかも(この部第三部の定理八 おのおのの物が自己の有に固執しようと努める努力は、限定された時間ではなく無限定な時間を含んでいる。により)ある無限定な持続の間自己の有に固執しようと努める。ところで精神は(第二部定理二三 精神は身体の変状〔刺激状態〕の観念を知覚する限りにおいてのみ自分自身を認識する。により)身体の変状〔刺激状態〕の観念によって自己を意識するのであるから、したがって精神は(この部第三部の定理七 おのおのの物が自己の有に固執しようと努める努力はその物の現実的本質にほかならない。により)自己の努力を意識している。Q・E・D・=此れが証明すべきことであった。
 備考 この努力が精神だけに関係する時には意志と呼ばれ、それが同時に精神と身体とに関係する時には衝動と呼ばれる。したがって衝動とは人間の本質そのもの云々。自己の維持に役立つすべてのことがそれから必然的に出て来て結局人間にそれを行なわせるようにさせる人間の本質そのものにほかならない。次に衝動と欲望との相違はといえば、欲望は自らの衝動を意識している限りにおいてもっぱら人間について言われるというだけのことである。このゆえに欲望とは意識を伴った衝動であると定義することができる。このようにして、以上すべてから次のことが明らかになる。それは、我々はあるものを善と判断するがゆえにそのものへ努力し・意志し・衝動を感じ・欲望するのではなくて、反対に、あるものへ努力し・意志し・衝動を感じ・欲望するがゆえにそのものを善と判断するということである。



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最終更新日  2022年01月26日 06時10分05秒
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