Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

2022年07月17日
XML
カテゴリ: 絶対存在論
神の存否-473
 エチカ第四部 人間の隷属あるいは感情の力について(第一項 ー 第三二項)
  付  録  第二六項から第三二項
 第二六項 自然の中で我々は人間のほかに、その物の精神を我々が楽しみうるような、また、我々がその物と友情あるいはその他の種類の交際を結びうるような、そうしたいかなる個物も知らない。ゆえに我々の利益というものを顧慮すれば、人間以外に自然に存するものをすべて保存するようなことは必要でない。むしろそれらをその種々多様な用途に従って保存したり、破壊したり、あるいはあらゆる方法でこれを我々の用に順応させたりするように我々の利益への顧慮は要求するのである。
 第二七項 我々が我々以外の物から引き出す利益は、まず我々がそれらの物を観察したり、それらの物の形相をさまざまに変化させたりすることによって得られる経験と認識とであるが、そのほかには何といっても身体の維持ということである。この点から見れば、身体のすべての部分がその機能を正しく果しうるようなふうに身体を養いはぐくみうるものが何より有益である。なぜなら、身体が多くの仕方で刺激されうることに、また多くの仕方で外部の物体を刺激しうることにより適するのに従って、精神は思惟することにそれだけ適するからである(第四部定理三八 人間身体を多くの仕方で刺激されうるような状態にさせるもの、あるいは人間身体をして外部の物体を多くの仕方で刺激するのに適するようにさせるものは、人間にとって有益である。そしてそれは、身体が多くの仕方で刺激されることおよび他の物体を刺激することにより適するようにさせるに従ってそれだけ有益である。これに反して身体のそうした適性を減少させるものは有害である。及び、第四部定理三九 人間身体の諸部分における運動および静止の相互の割合が維持されるようにさせるものは善である。これに反して人間身体の諸部分が相互に運動および静止の異なった割合をとるようにさせるものは悪である。を見よ)。しかしそうした種類のものは自然の中にきわめて僅(わず)かしかないように見える。ゆえに身体を必要なだけ養うためには、本性を異にする多様の養分を取らなければならぬ。実際、人間身体は本性を異にするきわめて多くの部分から組織されていて、これらの部分は、全身がその本性上なしうるすべてのことに対して等しく適するためには、したがってまた精神が多くの事柄を把握することに等しく適するためには、たえず種々の養分を必要とするからである。
 第二八項 しかしこれを調達するには、人間が相互に助け合わない限り、個々人の力だけではほとんど十分でないであろう。ところですべての物が簡単に貨幣で代表されるようになった。この結果として通常貨幣の表象像が大衆の精神を最も多く占めるようになっている。人々は、金銭がその原因と見られないような喜びの種類をほとんど表象することができないからである。
 第二九項 しかしこうしたことは、欠乏や生活の必要から金銭を求める人々についてではなく、貨殖の術を学んでこれを誇りとするがゆえに金銭を求めるような人々についてのみ非難されるべきである。もともとこうした人々は習慣上身体を養ってはいるが身体の維持についやすものを財産の損失と信ずるがゆえに出し吝(お)しみしながら身体を養っている。これに反して金銭の真の用途を知り富の程度を必要によってのみ量る人々は、わずかなもので満足して生活する。
 第三〇項 このように、身体の諸部分をその機能の遂行に関して促進するものが善であり、また喜びは人間の精神的および身体的能力が促進され増大されることに存するのだから、このゆえに、すべて喜びをもたらすものは善である。しかし一方、物は我々を喜びに刺激する目的ではたらいているのでなく、また物の活動能力は我々の利益に従って調整されるものでなく、最後にまた喜びは大抵の場合主として身体の一部分にのみ関係するのであるから、このゆえにおおむね喜びの感情は(もし理性と用心とを欠くならば)過度になり、したがってそれから生ずる欲望もまた過度になる。これに加えて、我々は現在において快適なものを感情に基づいて最も重要なものと思い、そして未来のものを精神の等しい感情をもって評価することができない。第四部定理四四の備考および定理六〇の備考を見よ。
 第三一項 迷信はこれと反対に悲しみをもたらすものを善、喜びをもたらすものを悪と認めているように見える。だが、すでに述べたように(第四部定理四五の備考

 第三二項 しかし人間の能力はきわめて制限されていて、外部の原因の力によって無限に凌駕される。したがって我々は、我々の外に在る物を我々の使用に適合させる絶対的な力を持っていない。だがたとえ我々の利益への考慮の要求するものと反するようなできごとに遇っても、我々は自分の義務を果したこと、我々の有する能力はそれを避けうるところまで至りえなかったこと、我々は単に全自然の一部分であってその秩序に従わなければならぬこと、そうしたことを意識する限り、平気でそれに耐えるであろう。もし我々がこのことを明瞭判然と認識するなら、妥当な認識作用を本領とする我々自身のかの部分、すなわち我々自身のよりよき部分はそれにまったく満足し、かつその満足を固執することに努めるであろう。なぜなら、我々は妥当に認識する限りにおいて、必然的なもの以外の何ものも欲求しえず、また一般に、真なるもの以外の何ものにも満足しえないからである。それゆえに、我々がこのことを正しく認識する限り、その限りにおいて、我々自身のよりよき部分の努力(人間本性の欲望)」は全自然の秩序と一致する。
 記:スピノザの定義する人間本性の欲望とは、敢くまで人間の精神の秩序を理法に従う限りにおいて、善性にあるとの性善説をとる思想だと云えましょう。


                                     第四部 終り



哲学・思想ランキング





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2022年07月17日 06時02分57秒
コメント(0) | コメントを書く
[絶対存在論] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

プロフィール

cap-hiro

cap-hiro

カテゴリ

キーワードサーチ

▼キーワード検索

バックナンバー

2026年05月
2026年04月
2026年03月
2026年02月
2026年01月
2025年12月
2025年11月
2025年10月
2025年09月
2025年08月

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: