Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2023年03月16日
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カテゴリ: 霊魂論
「神秘学概論」読解
49 :第二の自己-1
記:シュタイナーはたとえば呼吸法を用いた「行法」等を批判的に述べていたりするが、そうした在り方は身体と結びついた感覚的知覚等に依存しているため、精神修養及び身体養生の実践と「霊的現実」の実相体験とを取り違えてしまう恐れがあるからであると理解する。たとえば断食行や苦行等によって身体そのものの機能をできるだけ働かせないようにして身体から意識をもったまま離れる「心身離脱の行」というような行にしても現代人の在り方にとっては誰にも推薦できるものではない。ともすれば、精神学情、心理学的に危いものが潜んでいるかもしれない。たとえ、そうすることで「低次の自己」を克服することができたとしても、自分をただ「高次の」現実において存在させることだけを目的としてしまい、この生そのもの営みをさまざまな仕方で深めていくことにはならないだろう。
 シュタイナーの示唆している行は、現代及び現代人の意識状態にふさわしいものであるということができる。ちなみに、シュタイナーはそうした「」行に関して、たとえば著書「神智学の門前にて」等において、東洋の行法やキリスト教の行法などについても説明しているが、シュタイナーの示唆している行法は薔薇十字的な行法である。薔薇十字的な修行の本質は、「真の自己認識」であるとの言がそれを示す。(『神智学の門前にて』イザラ書房/P178)
 然し乍ら、その「真の自己認識」においては、日常的に自分だと思い込んでいる「低次の自己意識」を克服する必要がある。自分を見つめる必要があるといっても、日常的な「低次の自己」をいくら見つめたところで見えるものは身体に結びついた低次の自己意識以外のなにものでもない。重要なのは高次の自己認識なのである。
 高次の自己認識は、「日常の自我のなかには、高次の自我は存在しない、高次の自我は、外なる世界すべてのなかにある。星、太陽、月、石、動物のなかに存在するのである。あらゆるところに、私たちのなかにあるものが存在する」というときに始まる。もし仮に、誰かが「私は、わたしの高次の自己を育成したい、私は隠棲したい。わたしは物質のことなど、なにも知りたくない」というなら、その人は、その人自身の高次の自己が外界のいたるところにあり、自分の高次の自己は外界にある大きな自己の一部に過ぎないということを知らないのである。「霊的」な治療法は、この過ちを犯しており、往々にして命取りになる。物質的なものは存在しないのだから、病気も存在しないという考えを、病人に教えるのである。これは、誤った自己認識にもとづいた、非常に危険な考えである。(同上/P181)
 「低次の自己認識」の自覚のないままに、容易にそれを克服したと思い込み、ただ「高次の自己認識」を求めるという在り方は「真の霊的現実」をゆがめた 幻影・幻想・錯覚・幻覚をそこにつくりだしてしまうことになるだろう。重要なのは、確実な仕方で「真の霊的現実」へと向かうことのできる魂の力を育てていくことなのである。このことを踏まえた上でシュタイナーの霊的修行を見る。



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最終更新日  2023年03月16日 06時03分27秒
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