Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

2023年07月09日
XML
カテゴリ: 霊魂論
第五講 シュトゥットガルト 1907年 12月26日 序・1 秘学的記号・形象の象徴や記号の意味
序:人間の環境への態度。事物の背後にある魂的・霊的なものの開示としての世界。動物、植物、鉱物の魂的・霊的なもの。アストラル界にある動物の集合自我とその基本要素としての叡智。人間・自我の根本要素としての愛の養成。植物界、鉱物界の苦痛と喜びの感情。秘学の修練においては単に形象を観照するだけでなく、内的に体験せねばならないとする。卍と五芒星の隠された意味。
 今回の連続講義では、いくつかの秘学(オカルト)的記号や形象についてお話するつもりですが、その際、これらの象徴や記号の意味、意義が単に知性だけではなく、感情や心情と親密になるようにしていこうと思います。
1:皆さん全員がご存知のように、神秘学(独: Okkultismu)や神智学(独: Theosophi)においては、さまざまな形象や記号が使用されています。そして、このような記号や形象を解釈するのに、しばしば多大な機知と思弁が費やされていることも周知の事実です。さて、今回の連続講義は、こうした機知や思弁の多くが不適切であり、そもそも思弁や機知というものは、秘学的記号や象徴の本当の意味に近づく力を有していないということを示してくれるでしょう。神秘学者にとって、決して単に一般的な手引き書や著作で言及されているようなものが記号や象徴であるのではなく、通常は殆ど予測しもしないようなところに、非常にしばしば秘学的記号や象徴が見い出せます。やはり、民族に根ざす神話や物語の中に深い秘密のオカルト的な真理が隠されているのです。このような神話や伝説を解釈する際に通常屡々犯されている過ちは、端的に言って、あまりに多大の機知、思弁が費やされていることです。あまりにも分別的、理性的に深い意味が追求され過ぎていると言っていいほどなのです。4回の連続講演では、このテーマを汲み尽くすことはできず、警句的に扱うことができ得るのみですが、それでも、ここで取り扱うことを、秘学的記号や象徴の高次の世界に対する関係、つまりアストラル界及びデヴァチャン界ないし霊的世界と呼ばれるものに対する関係について表象を形成することができるように描いてみたいと思います。
記:神秘学(しんぴがく)は、オカルティズムまたはオキュルティスム(仏: occultisme、英: occultism、独: Okkultismus)の日本語訳の一つである。オカルト主義、隠秘学(おんひがく、いんぴがく)、玄秘学とも呼称される。Geheimwissenschaft の日本語訳でもある。ご存知のように、日常の言語においても、何か高次に在るものを解釈しようとするとき、非常にしばしば特定の具象的な比喩が用いられます。例えば、認識や洞察に比喩を用いようとする時、「光」とか「認識の光」という言い方をします。私たちの言語のこういう単純な表現の背後に、時折、何か途方もなく深いものが潜んでいます。このような表現を用いるひとは、少からずその起源をまったく意識しておらず、従って例えば光という比喩がどういうふうに認識や洞察と関係づけられているのか、全然考えてもいないのがほとんどです。彼らは、今日詩人が比喩を用いるように、それを比喩とみなしてるのです。もし神秘学においてこのような比喩的な意味のことだけを考えるとするなら、まったく道を誤ることになります。物事は遥かにもっと意味深いのです。今日の言語において象徴的と言われているもの、比喩的と言われているもの、あるいは寓意(アレゴリー)という表現で示されているもの。これらはたいてい間違った道に導くものです。ある記号は恣意的に何かあるもののために選ばれたのだと、安易に考えられています。神秘学において、記号は決して恣意的に選ばれることはありません。神秘学においてある記号がひとつの事柄に用いられるときは、常に深い関連がそこにあるのです。けれども、人間が神秘学の観点から見て、自らの環境に対してどのように位置づけられているかについて、少し立ち入ってみければ、神秘学の記号・形象と高次の世界とのこうした関連について真に明確にすることはできないでしょう。神秘学、あるいは今日神智学として知られている神秘学の基礎的な部分が、いつかより深い意味で、世にその使命を果たすときには、これはまだやっとのことで始まったばかりなのですが、いつの日にか、私たちの生活と文化のあらゆる支脈が神秘学の真理と衝動に貫かれるようになった時には、人間の感情、感覚生活全体、寛容への位置づけ全体が本質的に変化してしまっていることでしょう。今日の人間が外界に対してどのように位置しているか示そうとすれば、次のように言わなければなりません。この数世紀来、人間は格別に外界に対して非常に抽象的、合理的、唯物的な関係をつくりあげてきたと。今日野原を行く人は、春でも夏でも秋でも、たいてい眼前に現れるもの、感覚が受け取ることのできるもの、知性が感覚知覚から結合できるものを見ています。その人に美的な天分があれば、何か詩的な感受性があれば、彼はその知覚を感覚及び感情で満たし、ある自然の出来事の場合には悲しみや苦しみを、また別の場合には高揚や喜楽を感ずるのです。然し乍ら、今日の人間の場合、無味乾燥な感覚的知覚が詩的及び芸術的な感情に転ずるときでも、それは本来、神秘学によって今や頭脳、理性や知性にではなく、魂と心に与えられねばならないものの端緒にすぎません。神智学が単に物質界、アストラル界、デヴァチャン界のあらゆる出来事の思索的な要約を与えてくれるだけでなく、私たちの魂に深く親和的になり、魂が前とは違ったふうに受け入れられ、感じられ、学ぼうとするようになった時、はじめて神智学は人生における重要な要因となるのです。とりわけ私たちが明確にしておかなければならないのは、神智学と神秘学を通じてすでに昨日の記念講演で強調したことが現実にますます起こってくるということです。つまり、人類は感覚に現れてくる外界において表現されているもののなかに、事物の背後に魂的、霊的なものとしてあるものが自らを開示する顔貌、身振り、表情を見てとるようになるのです。私たちは、地球の外部で起こっていること、つまり星々の運動の中にも、霊的、魂的なものの表現を見出すことを学んでいくでしょう。例えば、ある人の手の動きやまなざしの中に何か魂的なものが見出せるように。このようにして私たちは例えば晴れていく大気の中に、空気、水、土を真に浸透している霊的諸存在の内的な経過の外的な顕現を見ることを学んでいくのです。



哲学・思想ランキング





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2023年07月09日 06時10分07秒
コメント(0) | コメントを書く
[霊魂論] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

プロフィール

cap-hiro

cap-hiro

カテゴリ

キーワードサーチ

▼キーワード検索

バックナンバー

2026年05月
2026年04月
2026年03月
2026年02月
2026年01月
2025年12月
2025年11月
2025年10月
2025年09月
2025年08月

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: