Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2023年10月16日
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カテゴリ: 霊魂論
真相から見た宇宙の進化
第1講 土星紀における地球の内的側面-Ⅰ
ベルリン 1911年10月31日
 去年の支部の夕べにおいて私たちが行った考察をさらに進めていきたいと思うのであれば、私たちがこれまでにお話ししてきたものとは別の何らかの概念、考え方或いは感じ方を自分のものとしなければなりません。それと云うのは、私たちが私たちの宇宙体系全体の発展を前提としない限り、人類が残してきた福音書やその他の精神的な文献について私たちが語るべきことがらは、それだけでは十分であるとはいえないと思われるからです。私たちはこの進化を私たちの惑星そのものが「土星」、「太陽」そして「月」の存在状態を通過し、ついには現在の「地球」としての存在状態を取るに至ったものとして記述してきました。私たちがこれらの基本的な原則にいかに屡々言及してきたかを思い出す人であれば、誰でもそれらが人類の進化に関するあらゆる秘教的な観察にとってもまたいかに必要なものであるかを知っています。けれども、もし皆さんが「神秘学概論」の中に記述されている「土星」、「太陽」、「月」、そして「地球」の発展段階に関する説明をご覧になるならば、そこに書かれていることは、たとえ拡張されているとはいえ、単なるスケッチに過ぎず、それ以外のものではあり得ないということを認めざるを得ないでしょう。それはある観点から描かれたスケッチに過ぎませんから。また、別の特定の観点から説明することもできます。と申しますのも、ちょうど地球の存在状態が詳細な内容を途方もなく豊かに提供するように、「土星」、「太陽」、そして「月」の存在状態についても、また、記録すべき無数の詳細な内容があるというのは当然のことだからです。とはいえ、これらの詳細についての大まかなスケッチや概要を描いてみせるということはいつでも可能なのです。ですから、今回の連続講義では、さらに別の面から進化の特徴を描いてみるということにならざるを得ないでしょう。私たちがこれらの説明すべてはいったいどこから来たのかと自らに問うとき、私達はそれらは所謂アカシャ年代記のアーカーシャあるいはアストラル光参入に由来するものであるということを知っています。私たちは、宇宙的な発展の経過の中で一度生じたことであれば、何であれ、アカシャ気質及びアカシャ実質と呼ばれる精妙な精神的実質の中に刻まれた印象を用いて、ある程度読みとることができるということを知っています。過去に生じたことがらすべてが残したこの種の刻印から、物事は過去にはどのように存在していたのかを聞き取ることができるのです。物理的な世界においては、私たちが何かを見るとき、私たちのより近くにあるものは、その詳細において、一般に明瞭とはしているけれども、それがより遠くになるにしたがってあまり明確ではなくなると考えることができます。物事が、時間的に、私たちにより近い場合にも、より遠く離れている場合に比べて、より正確な姿で現れてきます。超感覚的な能力をもって振り返るときも同様です。例えば、「土星」や「太陽」の存在状態は「地球」や「月」の発達期に比べてその概要はより不明確なものとなるでしょう。然し乍ら、一体全体何故そのようなことをする必要があるのでしょうか。何故、私たちは私たちの時代からそれほどまでに遠く離れている時代を追跡することを重要だと考えるのでしょうか。誰かが次のように問うかもしれません。「何故、この人智学者たちはそんな大昔のことを今さら持ち出すのか。私たちはそんなことに関わる必要は全くない。私たちには現在進行中のことが沢山あるのだから。」というように。しかしそのように言うのは間違っています。何故なら、時間の流れの中にかつて置かれたものは、今日においても、実りを迎え続けているからです。土星期の間に存在へと齎されたものは、単にその時代だけに、あるいは、その時代のためだけに存在したのではありません。当時起こったことは私たちの時代にまで影響を及ぼし続けているのです。とはいえ、それは人間をとりまく物理世界の中で外的に存在しているものとの関係においては、ヴェールをかけられ、見ることができないものとなっています。実際、はるか昔の古「土星」存在期に起こったことは今日では殆んど見ることができなくなっています。それにもかかわらず、いにしえの「土星」存在期は人類にとって今でも重要なのです。それが私たちにとって何故重要なのかを考えるために、次のことがらを私たちの魂の前に置いてみましょう。私たちは、私たちの存在の最奥の核は私たちが「私」と呼ぶところのものとして私たちの前に立つということを知っています。私たちの存在の最奥の核であるところのこの自我は今日の人間にとっては本当に実体がなく、知覚できないものとなっています。それがいかに知覚不可能なものになっているかということは、いわゆる「公的な」心理学の中で魂についてどのように語られているかを見れば推し量ることができます。それらはもはや自我を構成するものについてのいかなる考えも、あるいは、実際、そのような自我を示唆することができるかもしれないという考えすら持っていないのです。私は19世紀のドイツ心理学において「魂なき魂理論」という表現が徐々に使われるようになったという事実に注意するようにということを屡々言ってきました。ウイルヘルム・ヴント(Wilhelm Maximilian Wundt/1832年-1920年)の属する世界的に有名な学院ライプツィヒ大学は、ドイツ語を話す地域だけでなく、心理学について語られるところであればどこでも、大いなる尊敬を集めてきましたが、その学院が「魂なき魂理論」を流行らせたのです。この「魂なき魂理論」は、魂の特質を記述するにあたって、独立した魂の実存を前提としません。そのかわり、あらゆる魂の特質が最初に一種の焦点に集まるのです。つまり、自我の中へと集合するのです。かつて魂に関する理論に関連づけられたものの中で、これほどの愚考はありません。けれども、今日の心理学は完全にその影響下にあるのです。つまり、今日では、この概念は世界中で持て囃されているのです。将来、私たちの時代を研究するであろう文化歴史学者は、一体何故そのような理論が19世紀から20世紀に至るまで心理学の分野における最大の成果とまで見なされるようになったのかということを知るために、それらの仕事を切り抜きして利用することになるかも知れません。私がこのようなことを申し上げるのは、単に、「公的な」心理学が、自我すなわち人間の中心点に関して、いかに不明確であるかを指摘したかったからです。



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最終更新日  2023年10月16日 06時23分46秒
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