Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2023年10月30日
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カテゴリ: 霊魂論
真相から見た宇宙の進化
第3講 太陽期における地球の内的側面と月期への移行-Ⅰ
ベルリン 1911年11月14日
 私がこれまで二回の講義の中で指摘しようとしたのは、私たちの宇宙におけるあらゆる物質的な現象の背後には何か精神的なものが横たわっているということでした。熱や流れる空気の現象の背後に見いだされる精神的な現実を特徴づけようとしたのです。私は、そのような特徴を皆さんに伝えるために、私たちの進化発展における遙かなる過去にまで遡らなければなりませんでした。私たちはまた、物質的な宇宙の根幹をなす精神的な文脈を記述するために私たち自身の魂の生活をのぞき見ました。いずれにしても、何かを特徴づけようとするときには、それに用いるアイデアはどこか別の場所から取ってこなければなりません。言葉だけでは不十分です。明確なアイデアそのものが必要なのです。私たちが言及しなければならない精神的な文脈は、現時点で人類が経験するものから、つまり、今日の人間が知ることができるものから遙かに隔たったところに横たわっているということを私たちは見てきました。ですから、この文脈を理解するためには、私たちは滅多に見い出されることのない状況、一般に、私たち自身の魂や精神の生活においては理解されることのない文脈を呼び出さなければなりません。私たちは、外的で物理的な火や熱の顕現からは遠く離れた、熱や火の状態の最も深い性質を探求しなければならないということを見てきました。確かに、私たちが犠牲、それも特定の存在による犠牲、すなわち「地球」の進化における古「土星」状態の間に私たちが出会った存在であり、そして当時、その犠牲をケルビームに捧げた存在であるところのトローネによる犠牲を宇宙における火と熱のあらゆる状態の本質と同一視するととき、それは今日の人間には御伽噺のように聞こえるに違いありません。けれども、本当の意味で語るならば、それが宇宙進化におけるその時点で生じたとき、熱あるいは火の状態で外的、幻視的に私たちの前に現れるあらゆるものは犠牲から構成されていると言わなければならないのです。同様に、私たちが流れる空気あるいはガスと呼ぶところのあらゆるものの背後には、何か非常に遙かなるもの、つまり、私たちが与える徳、精神的な存在たちが彼ら自身の存在を献身的に注ぎ出すと呼んだものが横たわっているということを私たちは前回に指摘しました。あらゆる風のひと吹き、あらゆる空気の流れの中に存在しているのはこれなのです。外的、物理的なものとして知覚されるものは、実際には、幻想であるマーヤに過ぎません。私たちは、幻想から精神的な現実へと進んだときにだけ、正しい考えを持つことができるのです。火や熱や空気は、人が見る鏡に映った人間のイメージの中に人間が存在していないのと同様に現実的なものとしては存在していません。つまり、鏡に映った像が、人間との関係で言えば、本質的には幻影であるのと同様に火や熱や空気は幻影であり、ちょうど現実の人間が鏡の中のイメージと関係しているように、その背後にある真実が現実なのです。真実という現実の中に私たちが探し求めるのは火や空気ではなく犠牲であり与える徳なのです。私たちは与える徳が犠牲に付け加えられるのを見たときに古い「土星」の生活から「太陽」の生活へと上昇しました。私たちの地球による第二の体現の中に私たちが見い出すのは、私たちの発達における本当の状況へと私たちを一歩近づけるような何かです。そして、ここで私たちは、もう一度、幻想の世界に対抗する真の現実の領域に属する概念を導入しなければなりません。それは、私たちが私たちの進化発達における実際の状況を取り上げる前に、ある特定の概念を獲得しなければならないということです。
 次のようにして、この概念に近づいてみましょう。人間が外的な生活の中で何かを行い、あるいは何かを達成するとき、一般にその結果は彼または彼女の意志衝動からもたらされます。人間が何をするにしても、それが単なる手の動きであれ、偉大な行為であれ、その活動の背後には意志衝動があります。ある人物に何かをさせたり、何かを達成させたりするように導くあらゆるものは、そこから放射して来ます。そして、強力で力に満ちた行い、例えば、治癒や恵みをもたらす行いは強い意志衝動から来る.
あまり重要でない行いはより弱い衝動から来ると云われるかも知れません。一般に、私たちは行いの程度は意志衝動の強さにかかっていると考えがちです。けれども、もしも私たちが私たちの意志を強化すれば、私たちは世界の中で何か重要なことを達成するだろうと言うならば、それはそれである程度正しいに過ぎません。ある地点を越えれば、もはやそうではないのです。驚いたことに、人間が遂行し得るある一定の行い、特に、精神的な世界に関連した行いは、私たちの意志衝動の強化に依存していないのです。もちろん、私たちが住んでいる物理的な世界においては、行いの程度は確かに意志衝動の強化に依存しています。つまり、より多くのことを達成しようとすれば、より多くの努力が必要となります。けれども、精神的な世界においてはそうではなく、寧ろその反対なのです。精神的な世界において最も偉大な行いを達成し、最も偉大な結果をもたらすためには、前向きな意志衝動の強化が必要なのではなく、むしろ、ある種の身を引くこと、諦めが必要なのです。私たちは、最も些細な純粋に精神的なことがらに関しても、この仮定に則って前進することができます。私たちは、私たちの切なる望みを働かせたり、それに没頭したりすることによってではなく、私たちの意志を抑え、望みを抑制し、それらを満足させることを諦めることによって、一定の精神的な成果を達成するのです。(*中庸)



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最終更新日  2023年10月30日 06時10分06秒
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