Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

2024年04月07日
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カテゴリ: 霊魂論
ルドルフ・シュタイナー(GA230)
創造し、造形し、形成する宇宙言語の協和音としての人間/Der Mensch als Zusammenklang des schaffenden,bildenden und gestalteden Weltenwortes 翻訳紹介(翻訳者:yucca)
第10講    1923年11月9日  ドルナハ
・真の人間認識の必要性
・各進化期に人間に与えられたもの:地球進化期…運動機能に関するもの、月進化期…新陳代謝に関するもの、太陽進化期…律動(呼吸・循環)的経過に関するもの、土星進化期…神経・感覚に関するもの
・人間と鉱物、植物、動物の関係:人間が摂取する鉱物質のもの、植物質のもの、動物質のものは体内でそれぞれ、熱エーテル、空気状のもの、液体状のものに移行する固体的なものに入り込んでいくのは人間的なもののみ
・人間の呼吸、炭素の働き:炭素は炭酸となって吐き出されるときに人体内にエーテルを残していく・新陳代謝組織は常に人間を病気にする傾向を持つ
・循環は絶え間ない治癒プロセス
・呼吸のリズムは宇宙のリズムと一致し、循環リズムを制御する

・これを眺める高次ヒエラルキアの満悦が神経ー感覚組織を貫いて精神的進化の力を形成する
・真の合理的な治療学の体系は新陳代謝から出発すべきである
・教育芸術と医学
・全体的な人間認識から医学体系が生み出される必要性
・人体おける栄養摂取経過、治癒経過、精神的経過の相互移行
・血液のなかで起こるべきプロセスが他の場所に入り込むと炎症徴候が生じる
・神経のなかで起こるべき経過が他の場所に入り込むと腫瘍形成への衝動が生じる
・教育学における病理学的ー治療学的認識の必要性
・教育芸術的治療において物質的なものの治癒作用を知ることの有益さ
・銅をはじめ、鉱石形成の持つ治癒作用
・外なる自然の治癒プロセスと人体組織の治癒プロセスの関係

挿入図:
Kosmische Impulse:宇宙的衝動



Aether:エーテル
Kohlensaeure:炭酸
 これらすべてはすでに新陳代謝組織のなかで準備されています。けれども新陳代謝組織は人間の組織として宇宙全体のなかに組み入れられています、それ自身だけで存在することはできないのです。新陳代謝組織はそれ自体だけでは存在することができません。つまりこれは第三のものとして人間のなかに原基(Anlage)として形成されたのです。神経ー感覚組織のための第一の原基は古い土星の時代に、律動組織のための第二の原基は古い太陽の時代に形成され、これらの他の組織が形成されたあとはじめて、新陳代謝組織が人間のなかにもたらされることができました。なぜなら新陳代謝組織だけでは存在できなかったからです。さしあたり自らの意志による運動を除外すれば、新陳代謝組織は、人間にとっての宇宙の関係のなかで食物摂取とみなされます。けれどもこの栄養摂取そのものはそれだけで存在することはできません。人間は栄養摂取を必要としますが、栄養摂取は栄養摂取それ自体だけでは存在できません。と申しますのも、人間における新陳代謝そのものを研究すると、皆さんは明日以降の講義で人間の全生体機構にとってこれがいかに不可欠かごらんになるでしょう。新陳代謝組織は、人間を病気にしようというあらゆる可能な傾向に浸透されているのです。内的な、つまり外的な損傷によって生じたのではない病気の原因を、私たちは常に新陳代謝組織のなかに捜さなくてはなりません。したがって真に合理的(ラツィオネル/rationell)な病気観察を行なおうとするひとは、新陳代謝組織から出発しなければなりません、そして本来新陳代謝組織における個別のどんな症状に対しても、お前はいったいどのような道にいるのかと問わなければなりません。私たちはある種の物質を私たちのなかでデンプンや糖その他に変化させますが、私たちが、口のなかでの食物摂取について、食物の加工についてのあらゆる現象を取り上げるなら、私たちが口中でプティアリン(唾液アミラーゼ/Ptyalin)によって食べ物を覆うことを取り上げるなら、さらに進んで、胃のなかでのペプシン消化(Einpepsinieren)を取り上げるなら、さらに進んでやはり消化組織のなかでの代謝産物の加工、これはリンパ管へと移行し、血液へと移行するのですが、こういう加工を取り上げてみるなら、私たちはどんな個別の経過も探究しなければなりませんし、考察されるべき無数の経過があります。膵臓分泌液と代謝産物との混合、胆汁と物質との混合その他、個々のどんな経過に対しても私たちは訊ねなければなりません、お前はそもそもいったいどうしようというのかと。するとここの経過はこう答えることでしょう、私だけだったら、私は、人間をいつも病気にさせるようなプロセスなのですと。いかなる新陳代謝経過も人間の本性においては最後までいくことを許されておりません、と申しますのも、どんな新陳代謝経過も、それが最後までいくと、人間を病気にしてしまうからです。人間の本性は、新陳代謝経過がある段階でストップされる場合のみ健康なのです。もしかしたら最初は宇宙の仕組みの上での愚行とも思われかねないこうしたこと、人間においてはそれが途中で止められなければ人間を病気にしてしまうであろうものが開始されるということ、これを私たちは明日以降の講義において、聡明の最たるものとして知るようになるでしょう。けれどもさしあたり当面は、事実にしたがってこれを観察してみましょう、私たちが新陳代謝経過のひとつひとつをその本質にしたがって内的に研究するとき、それらが私たちに、私たちは生体組織全体を病気にする途上にありますと答えるだろうということを考慮しましょう。そもそも人間のなかに新陳代謝を存在させようとするだけで、別のプロセス、それ以前に原基のなかで発達していなければならない別のプロセスが存在せねばなりません、そしてそれは循環のなかに存在している経過で、それは循環の経過です。循環経過は絶えず治癒するプロセスを含んでいます。したがって、実際のところ人間を次のように描写することができるのです、人間は古い月進化の間に患者として生み出されたが、古い太陽進化の間に人間自身の性質のなかにあらかじめ医者が派遣されていたと言えると。古い太陽進化の間、人間は人間自身の性質に関して医者として生み出されたのです。患者の前に医者が生じていたというのは、宇宙進化において非常に慎重なことでした、なぜなら、古い月進化の間に、人間そのもののなかに患者がつけ加えられたからです。人間を正しく描写しようとするなら、新陳代謝経過から循環経過へ、むろん衝動として循環経過の根底をなすものすべてへと上へ進まなければなりません。もっとも広い意味において、ある物質はより早い循環を、別の物質はより遅い循環を引き起こします。私たちのなかには実際まったく小さな循環経過もあります。何らかの鉱物的物質を取り上げてみてください、金を、銅を取ってみてください、これがあるやりかたか別のやりかたで、内的にか、あるいは注射その他によって何らかの方法で人間に服用されれば、これはすべて、循環のなかに何らかのものを形成し、変化させ、健康にするよう働きかける云々といったことのきっかけとなるものです。そして、人間の本来の治癒プロセスをのぞき見るために知っておかねばならないことは、人間の周囲にある個々の物質が、循環変化に関して人間のなかで誘発するものは何かということです。つまり私たちはこう言うことができます、循環は絶え間ない治癒プロセスであると。皆さんがそうしたいと思われるなら、皆さんはこれを算出することもできると申し上げたいのです。皆さんに申し上げたことをよく考えてみてください、人間は平均して毎分18回呼吸します。これは宇宙にきわめて規則的に適合していて、一日の呼吸数は、太陽年を通じて運行する際の太陽の循環リズムが作り出すのと同じ数になります。しかし太陽はその春分点が25920年で全体を一巡します。人間は中年期において平均一日に25920回呼吸します。脈拍はこの4倍です。別の循環、もっと内的に集中した循環は新陳代謝の影響を受けています。呼吸の循環は、人間と外界との外的な交流に対応するもの、外界との相互関係であるものです。この呼吸リズムが絶え間なく循環リズムを制御して、それが4倍を保つようにしなければなりません、さもないと、人間はその循環リズムとともにまったく不規則なリズムになってしまいます、103680(*25920の4倍)という数にならずにです。これは宇宙の中に何ら対応するものを持たないものです。そうなると人間は宇宙からまったく引き離されてしまいます。新陳代謝は人間を宇宙から引き離し、宇宙から疎外します、そして呼吸リズムは絶えず宇宙のなかに引き込みます。呼吸リズムによる循環リズムのこの切り離しと結合のなかに、皆さんは、人間のなかで絶えず行なわれている原治癒プロセスをごらんになるでしょう。けれども、実際あるしかたで体全体に入り込んで継続していく呼吸プロセスを、あらゆる内的な治療とともに、ある種もっと精妙なしかたで助けなくてはなりません、呼吸プロセスが人間のいたるところで循環プロセスを制御し、これを宇宙との普遍的な関係に引き戻すようにです。したがって私たちはこう言うことができます、人間は本来下方からは常に病気になる傾向を持ち、生体の中間の組織、循環組織において絶えず健康を維持する傾向を開発しなければならないため、私たちは食物摂取から治療へと移行する、と。このように私たちの生体の中間の組織では絶えず健康にする衝動が生じていることにより、この衝動はまさに頭の神経ー感覚組織に向かって何かを残していきます、こうして私たちは第三のものとして神経ー感覚組織に至ります。それでは私たちは神経ー感覚組織のなかにどんな力を見出すでしょうか。私たちは神経ー感覚組織のなかに、いわば医者が私たちのなかに残していった力を見出します。この医者は一方においては、下の新陳代謝プロセスを健康にするように作用します。けれども新陳代謝組織を健康にするような作用をすることで、医者は全宇宙のなかで今やある評価に定められていることをします。私は皆さんに何ら空想的なことを申し上げているのではなく、徹頭徹現実であることをお話ししているのですが、この経過、つまり私たちのなかで、絶え間なく下方に向かって健康にするプロセスが起こっているという経過は、高次ヒエラルキアの満悦(Wohlgefallen)を呼び起こします。これは地上世界に対する高次ヒエラルキアの歓びです。ヒエラルキア存在たちは下を見下ろして、地上的なものから人間のなかへと流入していくもの、物質の地上的な特性によりそこにとどまっているものから、病気が上昇してくるのを感じます。彼らは、地上的なものから作用する諸力、循環する空気その他のなかにある諸力の衝動が、絶え間なく健康にするプロセスであるようすを見ます。これが高次のヒエラルキアの満悦を呼び起こすのです。




gesuntheit:健康
krankheit:病気
 さて今、いわばもっとも威厳に満ちた精神的(霊的な)研究対象としてこの太陽系の境界に置かれた宇宙体を手がかりに皆さんが何を研究できるか、思い浮かべてみてください。この中心にあるのは、それが地球上に集中されていると考えると病ませる力である諸力を自らのうちに秘めているものであり、周囲には、健康をもたらす回転する諸力が示されます。そしてこういう事柄に感受性のあるひとには、土星の環について、人間はその内部にいるので地球を囲んでいるもののなかにはそういう刻印を知覚できないのですが、回転する健やかさであるものが見えます。この土星の環は、天文学者たちがそれについて語るものとは本質的に異なる何かです。この土星環は回転する健やかさであり、土星の内部は、もっとも純粋な集中において見れば、病んでいくもの、病気にさせるものなのです。このように、この太陽系の最も外側の端に置かれている土星では、私たちが絶えず新陳代謝と循環組織を通じて私たちのなかにもたらしているのと同じプロセスが起こっているのが見られます。しかも、私たちがこれをはるかに見るとき、私たちの霊的眼差しはとりわけ第二ヒエラルキアと第一ヒエラルキアの世界に導かれることもわかります、第二ヒエラルキア、キュリオテテス、デュナーミス、エクスシアイの世界、第一ヒエラルキア、セラフィム、ケルビム、トローネの世界です。私たちが霊的眼差しをもって土星と土星環に注意を向けるとき、私たちは、ご満悦で、とでも申し上げたいようすでこの病ませることと健やかにすることをみはるかしているこの上位ヒエラルキアに導かれるのです。この満悦、これが今や宇宙万有における力となります。高次ヒエラルキアのこの満悦がこうして私たちの神経ー感覚組織を貫いて流れ、その内部に人間の精神的(霊的)進化の力を形成します。これはいわば、人間のなかで絶え間なく起こっている治癒から開花してゆく力なのです。したがって、第三に精神的(霊的)進化が得られます。
  1 新陳代謝(Stoffwechsel)     栄養摂取(gesuntheit and krankheit)
  2 循環(Zirkulation)        治癒(Heilung)
  3 神経ー感覚機構 精神的(霊的)進化(Nerven-Sinnesorganisation/Geistige Entwickelung)
 今、人間を土星時代、太陽時代、月時代を通じて記述してみますと、私たちはこう言わなければなりません、人間は最初宇宙から生み出された精神(霊)であり、これが自らのうちに癒す者を生じさせ、それによって宇宙的な患者を受け容れることができるようになる、と。そして、これらすべの共同作用を通じて、地球上に、自らの意志による運動をする人間であるものが作り出されるのです。人間認識の個々の部分はどれも、私がここで申しましたことの根底にあるものによってインスピレーションを与えられなければなりません。誰かが治療学の体系を、真に合理的な治療学の体系を確立しようとすると考えてみて下さい。この体系はいったい何を内包しなければならないでしょうか。皆さんは新陳代謝経過から出発しなければならないでしょ。その他のものは、せいぜい前提であることができるのみです、これについてはさらにお話ししていかなければならないでしょうけれども、解剖学的なもの、これは精密な解剖学的なものであってもですが、これは固く形成されたものなので、出発点であることができるにすぎません。これはすでに自らを人間的に作っているのです。けれども新陳代謝経過は、そのなかに常に病気をもたらすものに移行する傾向が知覚されるように、まず最初に医学の合理的な体系によって研究されなければなりません。したがって確立することができる今日の医学体系は、まったくもって、新陳代謝組織から、すなわちまず最初に正常な新陳代謝経過から始められねばなりません、そして、そこから、内部の病気がもっとも広い意味での新陳代謝から生じてくるという可能性が認識されるようにならなければいけないのです。さらにそこから、律動プロセスが作り出すものについて詳しく認識することよって、本来の治療学であるものも生じてこなければなりません。したがって、今日の医学体系においては、新陳代謝経過の研究から開始されなければならず、次いでそこから、人間の律動的経過の領域で起こっているすべてへの移行がなされなければならないのです。そしてそのとき、人間の精神的(霊的)な原基の健康な発達の前提となるのは、治癒する諸力から発してくるものの認識である、ということが示されることで、全体の一種の戴冠とでも申し上げたいものが達成されるのです。今日皆さんが治癒プロセスから出発しなければ、どんな教育も見出すことはできません、つまり、人間の精神の本性を健全に発達させるどんな芸術もまったく見出せないのです。と申しますのも、治癒プロセスとは、人間の精神的(霊的)経過を育成する場合には純粋思考のなかで用いられなければならないものを、人間の中心性質に適用することに他ならないからです。教育芸術家は物質的なものに凝縮した、エーテル的なものに凝縮した治癒経過である力を用いて、精神的(霊的)なしかたで最初から最後まで活動しなければなりません。教育芸術において私がある子どもに何かをするとすれば、それは何か精神的(霊的)なものを根底に持つ経過です。私がこの経過を移動させて、私が精神的(霊的)なものにおいて実行することを、何らかの物質的なものあるいはあるプロセスを適用することによって実行するとき、このプロセスあるいはこの物質が薬剤(治療手段)なのです。こう言うこともできるでしょう、医学とは人間の精神的(霊的)な治療処置を下方の物質的なものへと変容させることである、と。当時イギリスの聴衆のために行なわれた教員講座において私が示唆いたしました事柄を思い出してくだされば、教師が行なうことにおいて一種の普遍的人間的療法が開始されているということ、あれやこれやの教育上の措置は、のちの年齢になって不健康な新陳代謝の沈殿あるいは不規則な新陳代謝の吸収を引き起こすということに、私がいたるところで注意を喚起していたことがおわかりになるでしょう。つまり、教育者がすることが、下方に継続されて、治療をもたらすのです。そして治療のもう一方の対であるもの、下から上を目指すもの、これが新陳代謝経過なのです。つまり皆さんは、今日、全体的な人間認識からひとつの医学体系が生み出されなければならないこともおわかりでしょう。そうすることができます。そう感じているひともいます。とは言え、こういう医学体系が事実上形成されてはじめて何かが達成されるのです。現在、これは最大の急務のひとつです。皆さんが今日、治療学の手引き書をごらんになると、たいていの場合、新陳代謝組織から開始されていることはないか、あるいはあっても極めてまれ、ということがおわかりになるでしょう。しかし、新陳代謝から開始されなければなりません。さもないと、そもそも病気の本性がどこにあるのか、診断するすべを学べないでしょう。よろしいですか、以上のことはやはりすべて、事実上、栄養摂取経過が治癒経過に、治癒経過が精神的(霊的)経過に、そして再び精神的(霊的)経過が治癒経過に移行しうるということなのです、あるいは、精神的(霊的)経過が直接新陳代謝障害を引き起こすなら、精神的(霊的)経過もまた、人間の生体の中間組織によって癒されねばならない段階に移行しているのです。これらはすべて、人間のなかで互いに入り交じって移行し合っています、そして人間の全生体機構が、ひとつの驚くべき変容なのです。たとえば、人間の血液のこのすばらしい循環全体のなかに見られる経過を取り上げてみてください。これはいったいどんな経過でしょうか。さて、まず最初に、血管のなかを流れる血液を、他の人体組織からまったく切り離されていると把握してください、人間の形姿を、そうですね、血管組織を、そして筋肉組織として繋がっているものを、骨組織その他、つまり固い形成であるもの、そしてこれを貫いて液体状に流れているものを把握してください。私たちは液体的な状態、血液にとどまりましょう、もちろんまだ別の液体性も存在するのですが、血液にとどまりましょう。この流れる液体のなかで、この内部で絶え間なく起こっているのはいったいどんなプロセスでしょうか。絶え間なくプロセスが起こっています。液体状の血液のなかで起こっているこの同じプロセスが、今やいずれかの側に向かって、人間のなかの、壁あるいは骨格あるいは何か堅固に形作られたもの、形成物でのみありうるものに襲いかかることもあります、すると、血液のなかに入れられるべきものが、血管壁あるいは筋肉あるいは骨の内部のどこか、あるいは何らかの被覆器官のなかにあることになります。するといったいどういうことになるのでしょう。このときそれは、炎症徴候(Entzuendungserscheinungen)への衝動となります。私たちが炎症徴候の衝動としてそこここに見出すもの、私たちは絶えずこれを液体状の血液のなかに正常な経過として見出します。このとき炎症において現われてくるもの、これは、常に流れる血液のなかで起こっていなければならないのに、正しくない場所に、すなわち形成された固い場所に押しやられた経過なのです。絶対的に正常な、健康なプロセスが別のふさわしくない場所に配属されて置かれるのは、病気をもたらすプロセスです。そして神経組織のある種の病気は、人体組織全体のなかで血液組織の反対の極として置かれている神経組織が、血液中では正常なプロセスへの移住という体験を強いられるということなのです。血管の通路においては正常なプロセスであるこれらのプロセスが神経の通路へと侵入していくと、神経の通路は、これはきわめてわずかな侵入の場合でも起こることですが、まさしく炎症性の発端であるところの炎症に捉えられ、私たちは病んだ神経組織のさまざまな形を獲得するのです。私は、神経のなかには、血液のなかとはまったく異なる経過が、反対の経過がある、と申しました。血液のなかには燐的な[phosphorig]ものに向かっていく経過があります、それが燐的な経過として、血液を取り囲むもの、あるいは血液に隣接するものを捉えるとき、これはまさに炎症的なものに至る経過です。皆さんが神経の通路における経過を追求して、これらが別の隣接する器官や血液のなかにも入り込んで移動していくとき、人間にはあらゆる腫瘍形成[Geschwulstbildung]への衝動が生じます。これが血液のなかへともたらされ、その結果血液が不健康なしかたで他の器官を養うと、腫瘍形成が起こるのです。したがって私たちはこう言うことができます。いかなる腫瘍形成も人体組織における正しくない場所で変容させられた神経プロセスであると。おわかりのように、神経のなかで進行することは神経のなかにとどまらなければならず、血液のなかで進行することは血液のなかにとどまらなければなりません。血液に所属するものが、隣接するものへと移動すれば、炎症が起こります。神経に所属するものが隣接するものに移動すれば、腫瘍形成という通俗名のもとに総称されうるありとあらゆる形成が起こるのです。けれども、まさに神経組織のなかの諸経過と血液組織のなかの諸経過の間に、正しいリズムが生じなければなりません。一般に私たちの呼吸リズムが血液のリズムとコントラストをなしているのみならず、私たちの循環する血液のなかには、それが血液から出ていくと炎症経過となるような繊細な経過もあります。呼吸が血液循環とある関係になければならないように、この繊細な経過も隣接する神経のなかで起こることとある関係になければなりません。そして血液リズムと神経リズムの間でこれが妨げられる瞬間、それはまた立て直されねばなりません。ごらんのとおり、こうして私たちは再び治療法の分野、治癒プロセスの分野に入っていきます。このすべてが皆さんに、人間のなかにはすべてが存在していなければならないということを示します、つまり最も多く病んでいるものも、別の場所で健康なものであることができるために存在しなければなりません、それは単に正しくないプロセスによってまちがった場所にやってきただけなのです。と申しますのも、それがまったく存在しないとしたら、人間は生きていけないでしょうから。人間は炎症を患うことができなかったら、生きていけないでしょう、なぜなら、炎症を呼び起こす力は常に血液のなかになければならないからです。私がしばしば、人間が本来認識において獲得するものはすべて真の人間認識から生じてこなければならない、と申しましたとき、このように考えていたのです。ここで皆さんは、そもそもある教育学が、こんなにも上へ向かって、と申しますか、抽象に走ってかなり無意味なものになっている理由がどこにあるかおわかりでしょう。本来教育学というものは、人間のなかのある種の病理学的なプロセスと、その治癒の可能性を出発点とするよう押し進められなければならないのです。脳疾患とその脳疾患の治癒可能性を知っているとき、粗雑なもののなかに、これがまた別のしかたによれば繊細であるのはもちろんですが、これが物質的な経過である、ということに関連して私は「粗雑な」と言うのです。脳の治療処置のなかに、教育芸術においてまさに厳密に実行されなければならないものがあるのです。したがって、将来真の教員養成機関を設立するなら、実際一方で教師たちに病理学的ー治療学的なものを教えなければならないでしょう、ここで教師たちは、まず思考をより具象的なものを手がかりに訓練するでしょう。なぜなら彼らが本来の教育学において理解すべきもののためには、物質に根ざしているものを手がかりにするほうが多いからです。そしてまた、教育芸術的治療処置において、あれこれのものがどのように作用するかを知ることほど、治療にとって、とりわけ内的な病気の治療にとって有益なことはありません。と申しますのも、物質的なものへの架け橋を見出せば、まさに教育的なものにおいてどのように治療するべきかというしかたで、薬をも見つけることができるからです。たとえば、子どもたちに見られる、消化システムにおける障害に起因するある種の怠惰な徴候に教育的に対処するために、正しい教育的手段が見つかるとき、まったく奇妙な内的傾向が得られます、もっとも、真に教育のなかに生きる場合であって、表面的に学ぶだけでほんとうは学校が終わったら夕方には「公共酒場」に座り込み学校であったことは忘れてしまうほうがいい、という場合でないのはもちろんですが。そのときこのような子どもに与える措置のしかたから、頭の経過の全作用、頭の経過と下腹部の経過との関係全体、とでも申し上げたいものを見ていく傾向が得られます。そしてさらに、鉱物学において、たとえば、銅が土壌中であれこれのものを形成するとき、銅において起こっている経過を研究するなら、それはほとんどこのようになります、銅があれこれの銅鉱石になるときに銅が行なうことすべてにおいて、つまり鉱石が銅鉱石あるいは他の鉱石になるこの生成において、次のように思われるのです、つまり、教育者であるお前が男の子や女の子とともにやっていることを、銅の力は土の中でやっているのだ!と言われるように。自分が行なうことの模像がまぎれもなく銅プロセスのなかに見えるのです。そして、教育者として、ひとが行なうことについて、直観的な、感情と本能にかなった明解さを獲得し、さらに魅惑されつつ自然をながめて、本来外では自然が大規模に教育的に治療処置していることを知るのはきわめて魅力あることです、つまり何らかの石灰プロセスを通じて何か良くないことが起こる可能性のあるいたるところに、何らかのしかたで銅プロセスが組み込まれているということを知るのは。そう、この銅プロセス、他の地球プロセスの内部のこの鉱石形成プロセスのなかにも、絶え間ない治癒があるのです。ですから、どこかで黄鉄鉱あるいは何か他のものを見つけて、これはまさに正しい方法で人間を治療処置するときと同じだと言うのはすばらしいことです。このように自然の霊たちは、ヒエラルキア以下、皆さんにお話ししましたあの元素霊たちにいたるまで、他ならぬ生命のなかにも病気をもたらす阻害するプロセスとして登場してくる可能性のあるものを、癒し手として治療処置しているのです。こうなると実にもう、もはやこれは読み取り以外の何ものでもありません。と申しますのも、外で起こっていることを見るとき、そしてあれこれの物質を薬剤とみなしたり、あるいはそれを薬剤として加工するとき、ひとは単に立ってこう問いかけるからです、鉄はどこに現われているか、鉱脈のなかのあれこれの金属はどこに現われているかと。このとき環境を研究するなら、何らかの金属的なものがそこかしこに、自然によるあれこれの加工をされて現われるときはいつも、その内部に治癒プロセスがあるのだということがわかります、つまり、それを取れ、それを人間の生体組織のなかへと継続させよ、そうすればお前は、外なる自然がお前の前に示してくれた治療法を生み出すのだ、ということです。そうです、実際のところ、宇宙(世界)を貫いていくことはすべて、栄養摂取するもの、癒すもの、精神的(霊的)なものを正しく研究することです、と申しますのも、自然においては、絶えず病がもたらされ、絶えず癒されているからです。外において自然は、偉大な宇宙的治癒プロセスです。私たちはただ自然を人間に応用しなければならないだけです。これはマクロコスモスとミクロコスモスの驚くべき連関です。私が若干の皆さんに、あれこれの形式で語ってきましたことは実際、深い真実なのです、
   お前自身を認識しようとするなら
   あらゆる方向に向かって宇宙を見るがよい。
   宇宙を認識しようとするなら
   お前自身のあらゆる深みをのぞき見るがよい。
 皆さんはしかしこれをあらゆることに応用することができます、人間を治療しようとするなら、宇宙をあらゆる方向に向かって見よ、宇宙がいかにあらゆる方向に癒しを繰り広げているかに目を向けよ。宇宙の秘密を病気と治癒のプロセスとして認識しようとするなら、人間の本性のあらゆる深みを見下ろせ。ーー皆さんはこれを、人間存在であるすべてのものに応用することができます。そして皆さんは大いなる自然に眼差しを向け、人間をこの大いなる自然との生き生きとした関係のなかで見なければなりません。今日慣れ親しまれているのはこれとは別のことです。可能な限り自然から離れ、視線さえも自然から遮断してしまうものが作り出されます、と申しますのも、調べようとするものは小さな机の上のガラスの下に置かれるからです、目は自然を眺めることはなく、そのなかを覗き込みます。視線さえも自然から断ち切られるのです。ひとはこれを顕微鏡(Mikroskop)と呼びます。これはある意味で顕無鏡(Nulloskop*1)と呼んでもよいかもしれません、大いなる自然から断ち切られているのですから。それに、その下でこれを拡大したとしても、実際のところ精神的(霊的)認識にとっては、自然のなかの経過が生じたときに起こるであろうことと同じであるということをひとは知らないのです。それでもひとつ考えてみてください、皆さんが、人間の何かごく小さな一部を、それを観察することができるように、その内部で拡大しますと、皆さんが実際この人間の小片によって行なうであろうことは、皆さんが人間をばらばらに引きちぎったり引き裂いたりするとき、人間によって皆さんが行なうであろうことと同じなのです。皆さんはプロクルステス(☆1、*2)よりもずっとおぞましいものでしょう、もし皆さんが人間をそのようにばらばらに引きちぎり引き裂いて、{顕微鏡の}円筒の下でそのちっぽけな物体が拡大されるように人間が拡大されるとしたらです。それでも皆さんは、そこにまだ人間がいる、とでも思われるのでしょうか。そこにまだ人間がいるなどと言えないのはもちろんでしょう。同様に顕微鏡の下には真実はないのです。拡大された真実はもはや真実ではなく、見せかけの形成物です。ひとは自然から離れてはならず、自分自身に眼差しを閉じこめてもいけません。もちろん、すべては他のことのためには有益でしょう。とは言え、真の人間認識であるものにとって、それは何よりもまず、この真の人間認識から大いに逸脱していくものなのです。真の人間認識は私たちが示唆しましたように求められなければなりません。それは栄養摂取経過から治癒経過を経てもっとも広い意味での人間教育、世界教育に通じていかなければなりません、栄養摂取から治癒を経て文明と文化へ、と私たちは言うことができます。と申しますのも、これはすべて、人間において栄養摂取のなかに集中されている物質的経過の、また常に回転するものに由来し、人間において律動的経過のなかに集中されているものである治癒経過の、さらに、上からやってきて人間において神経ー感覚プロセスを通じて集中されているもの、これらの下の基盤のようなものだからです。このように宇宙は三段階に打ち建てられています。このことを私は皆さんにまず一種の基礎としてお話ししたいと思いました。さらにこの上に構築していきたいと思います。私たちが実際にこのような出発点から上昇して、いわば実際生活における事柄の取扱いであるもの、さらにヒエラルキア認識へと移行されうるものへと入っていけることを見ていきたいと思います。
□編註
☆1 プロクルステス(Prokrustes):ギリシア神話で別名ポリュペモンあるいはエレウシスのダマステス。ポセイドンの息子で、客をベッドに寝かせ、ベッドが短すぎるとわかると、その客のはみ出た四肢を切り落とし、そうでないときは、客の手足を引き伸ばした。
□訳註
*1 顕無鏡(Nulloskop):NulloskopのNull(ヌル)はゼロのこと。
*2 プロクルステス:ギリシア語では「引き伸ばす男」の意。エレウシスの宿屋の主人で、旅人を鉄のベッドに寝かせては、旅人がベッドより小さいとはみ出した部分を切ってしまい、長さが足りないと背丈を引っ張って伸ばして殺してしまう。英雄テセウスによって殺される。
ブルフィンチ『ギリシア・ローマ神話』(大久保博訳 角川文庫)など参照。
(第10講終わり)
参照画:Prokrustes




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最終更新日  2024年04月07日 08時04分31秒
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