Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2024年08月08日
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カテゴリ: 霊魂論



「精神科学と医学」 第二講(本講・解説) 1920年 3月22日 ドルナハ
●第2講 解説

第2講解説・全体概要
 心臓論。上部と下部の均衡器官としての心臓。人間の生体組織の二元性。病気の形状。新陳代謝プロセス優勢の現れとしてのヒステリー。感覚プロセス優勢の現れとしての神経衰弱。結核:素質と感染。経過と治療の個々の徴候の意味。

第2講・解説第1回
 ここから第二講に入ることになります。第一講ではこの講義の前提となる姿勢と視点が語られていましたが、その全体からさらに進んで、まずは「人間の本質において支配的なある種の二元性」に着目しながら、人間の本質へとアプローチしていくことになります。第一講では、動物とは違って、人間では、負荷のかかっている力に、さらに垂直方向の力と結びついて平行四辺形の力が働いていて、それは骨組織だけではなく、筋肉組織についても、重要な視点が提供できるということが述べられていましたが、ここではその視点がさらに、心臓学へと向けられていきます。昨日選択しましたような出発点から先に進んで、「人間の本質において支配的なある種の二元性」に着目することにより、さらに人間の本質へと徐々に迫って行きたいと思います。すでに昨日気づかれたように、私たちは、動物においては未だ負荷のかかっている力を、ある種の垂直方向の力と結びつけて平行四辺形を成す必要があり、筋肉の反応においてもそれに相応した類似が見られます。この人間の骨組織と筋肉組織の研究における考えかたをさらに追究すると、その追究の際に今日経験がすでに与えることのできること全てを助けにすると、おそらくは骨学、筋肉学からすぐさま、医学にとって従来なされていたよりも意味のあることを為すことが可能でしょう。けれどもとりわけ困難なのは、人間の認識を、今日心臓学から出発する時に医学が必要としているものと結びつけることです。私が申し上げたいのは、骨学、筋肉学において初めてその構想を示すものは、心臓学に関して培われてきた見解において根本的に生じてきたということです。通常、心臓は血液を送り出すポンプであるととらえられています。そのポンプであるということを説明するために、その力学的構造が問題にされているのです。しかし、その観点を疑ってみることが必要です。心臓の活動というのは、「原因」ではなく、「結果」だといえるのです。つまり、心臓はポンプとして血液を送り出しているのではないのです。と言いますのも、そもそも一般に人間の心臓について、まずはこれに限定しようと思いますが、どのような見解が持たれているのでしょうか。心臓は血液をさまざまな器官に送り出す一種のポンプであるというふうに見られています。そしてこの「心臓」というポンプ機構を説明すべく、あらゆる興味深い力学的な構造が考案されているのです。さてこの力学的な構造は、胎生学に全く矛盾しているのですが、この力学的心臓論を実際に疑ってみること、少なくとも通常の科学においては制御しないにしても、この心臓論をもう一度制御することに留意されてはおりません。心臓観においてとりわけ考慮せねばならないことは、後日お話することは、最初に観点として示す必要があったことを、少しずつ裏書きしていくかたちになると思いますので、まずは概略を述べましょう。この心臓というものは全くもって、一種の活動している生体組織と呼ばれうるようなものではないということです。なぜなら、心臓の活動は原因ではなく、結果だからです。この、心臓はポンプではないということを理解するために、人間の生体組織での活動において生じる二元性に着目しなければなりません。二元性というのは、呼吸プロセスと消化プロセスとの間の対立であるといえます。栄養分の摂取、消化、血液中の移動ということを見ていくならば、栄養分を取り入れる血液の活動と空気を取り入れる呼吸の活動の間の相互作用にまで、栄養の消化ということを追求することができるのです。呼吸プロセスと消化プロセスの対立においては、何かが均衡しようとします。液体状になった栄養素と呼吸を通じて気体の形で生体組織に取り入れられたものとの間に生じる相互作用がありますが、この相互作用は、お互いに働きかけあう力のなかで生じ、その互いに働きかけ合うものが、心臓において、互いの働きかけを妨げあうのです。この原則が理解できるのは、皆さんが人間の生体組織におけるあらゆる活動の間に生ずる二元性に着目する時のみでしょう。すなわち、栄養分の摂取に関係する活動、さらに栄養分の消化に関わる活動と、直接かあるいは血管を通じての、栄養分の血液中への移動に関わる活動、これらの活動間に生じる二元性です。いわば生体組織内で下から上へと、栄養分を取り入れる血液と空気を取り入れる呼吸との間にまず生じる相互作用まで栄養分消化を追求できるからです。その際観察される経過を正確に見るなら、実際正確に見さえすればよいのですが、呼吸プロセスに中にある全てのものと、最大範囲の消化プロセスの中にあるものとの間に、ある種の対立があることがおわかりになるでしょう。ここでは何かが互いに均衡をとろうとします。謂わば、お互いに渇望し合うものが、相互に満たし合おうとするわけです。もちろんもっと他の表現を選ぶこともできるでしょうが、先に進むにつれて、もっと良く理解できると思います。液体状になった栄養素と、呼吸を通じて気体の形で生体組織に取り入れられたものとの間にまず生じる相互作用があります。この相互作用が厳密に研究されねばなりません。この相互作用は、お互いに働きかけ合う力の中に生じます。そしてこの互いに働きかけ合うもの、これがいわば、心臓においてその互いの働きかけを妨げ合うのです。心臓は、生体組織の下部の活動である栄養分の摂取、消化と生体組織の上部の活動である呼吸という、上下の活動の滞留器官として存在しているのです(*「滞留器官」というのは、原文ではStauorganとなっていて、Stauはせき止めるもの、澱み、渋滞、それを動詞化したstauenはせき止めるということorganは器官という意味です。)。心臓の活動は、液体養分と外部から取り入れられた空気との間の相互作用の「結果」だということなのです。血液をポンプのように送り出す「原因」ではなく、「結果」として考察していく必要があるわけです。ここで少しシュタイナーの論とは別に少し付け加えておきますが、東洋医学などでいわれる「心経・肝経」というのが「心臓」や「肝臓」などの臓器そのものを指しているのではないといわれるのと関連するのではないかと思われます。これについては、今後少し探りながら、その関係を見ていくつもりです。心臓はひとつの滞留器官(Stauorgan)、つまり、私がさらに生体組織の下部の活動と呼びたい栄養分の摂取、消化と、呼吸をその最下部の活動に組み入れたい生体組織の上部の活動、この上下の活動の滞留器官として存在しているのです。ひとつの滞留器官が組み込まれているわけで、その際本質的なことは、心臓の活動は、液体状になった栄養素、すなわち液体養分と、外部から取り入れられた空気との間の相互作用の結果であるということです。心臓に表現されている全て、心臓において観察されうる全ては、まずは力学的な意味で、ひとつの結果として考察されねばならないのです。この観点において、心臓の活動の力学的な基礎について、オーストリアの医師、カール・シュミット博士は1892年の「心臓の動悸と脈拍の曲線」という論文で、心臓をポンプ的なものであるとはとらえているものの、心臓の動きと心臓の動悸という経過全体を水流によって動かされるひとつの流れの結果としてとらえています。唯一有望な発端は、少なくともこの心臓の活動の力学的な基礎に注目することです。この口火を切ったのが、オーストリアの医師であるカール・シュミット博士でした。彼は北部のシュタイアマルクの医師で、”ウィーン医学週報”の1892年15号から17号に彼の「心臓の動悸と脈拍の曲線」が掲載されたのです。この論文にはまだそれほど多くのことが含まれてはいませんが、少なくともここにひとり、扱うべきは通常のポンプとしての心臓ではなく、ひとつの滞留装置としての心臓なのだと、自らの医療実践から気づいた人がいたことは言っておかなくてはなりません。シュミットは心臓の動きと心臓の動悸という経過全体を、水流によって動かされる水撃ポンプとして想定しています。カール・シュミット博士の論述に内在する真理はまさにこの点なのです。心臓の活動であるもの全てを、液体の流れと気体の流れ、ここでは象徴的にこれらを流れと呼びますが、これらの互いに入り込んでいく流れの結果として把握する時初めて、力学的なものに近づくのです。心臓はつまり、ひとつの感覚器官なのだといえます。心臓は、人間の上部の活動が下部の活動を知覚、感受することを可能にするための感覚器官なのです。眼は外界の色彩現象を知覚するように、心臓は、下半身で起きていることを知覚しているのだといえます。結局のところ、心臓とはいったい何なのでしょうか。つまるところ、心臓とはひとつの感覚器官なのです。たとえ私たちが心臓の感覚活動であるものを直接は意識しないとしても、つまり心臓で起きていることが、識閾下の感覚活動に属するものであるとしても、やはり心臓は、いわば人間の上部の活動が、人間の下部の活動を知覚し、感受することを可能にするために存在しているのです。ちょうど皆さんが眼によって外的な色彩現象を知覚するように、皆さんは、もちろん暗い下意識においてではありますが、皆さんの下半身で起きていることを心臓を通じて知覚しているのです。結局のところ心臓とは内的知覚のための感覚器官なのです。心臓はそういうものとみなされねばなりません。
参考画像:Heart



   第2講解説・第1回  了

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最終更新日  2024年08月08日 11時20分09秒
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