Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2024年08月28日
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カテゴリ: 霊魂論



「精神科学と医学」 第四講 1920年 3月23日 ドルナハ*1998.11.21.改訳 本講:本文・解説
第四講●解説 ■5 腺から引き出した形成力としての魂生活
●5 腺から引き出した形成力としての魂生活
5.人間の魂的霊的生活における体験は、我々が腺から引き出した形成力である。
*ここでシュタイナーは、以下とても興味深いことを述べています。
 唾液の分泌、腸内の粘液分泌、母乳の分泌、尿の分泌、精子関連の分泌など、なんらかの「腺」の分泌が起こる場合、私たちはその「腺」から力を取り出し、魂生活のための諸力としているというのです。つまり、自らの「下部」における腸菌群落、植物化プロセスから形成力を引き出し、私たちはそれによって思考しているというわけです。そうした「下部」における腸菌群落、植物化プロセスにおける形成力は、外的な自然の植物相に潜在している諸力でもあります。しかし、私たちの「下部」における腸菌群落は、外部の植物相とは異なっています。外部の植物相においては、思考は植物の内部に潜在したままなのですが、私たちは腸菌群落からその形成力を奪って思考の力に変えています。もし腸菌群落の形成力を奪わなければ、思考ができないのです。こうした洞察によって、人間と植物薬との関係を見ていく必要があります。更にこれに加えてもうひとつ注意していただきたいことがあります。おそらく皆さんも日常経験から、こういう事実があるのを御存知と思いますが、この事実がまたしても十分に評価されていない事実であり、健全な科学においてはこういう事実の正しい評価こそ重要なことなのです。つまりこの事実というのは、皆さんがある特定の器官について考える瞬間、もっと良い言い方をすれば、その特定の器官に関連する考えを抱く瞬間に、この器官にある種の活動が起こるということです。人間においてわき起こってくるある種の考えと、唾液分泌、腸内の粘液分泌、母乳の分泌、尿の分泌、精子関連の分泌などとの関連を、ここにもまた未来の学位請求論文のための豊かな領域があるのですが一度研究してみてください。これらの生体組織の現象と並行して現れるある種の考えがどのようにして起こってくるのか、研究してみてください。ここで目にしているのはどのような性質の事実なのでしょうか。皆さんの魂生活に特定の考えが生じると、それと並行して生体組織の現象が起こってくるのではないでしょうか。これはどういうことなのでしょうか。皆さんの思考のなかに生じてくるものは、まるごと器官のなかにあるのです。つまり皆さんがある考えを抱いてそれと並行して何らかの腺分泌が起こる場合、その考えの基礎を成している、そう考える基礎となる活動を、皆さんは腺から取り出しているのです。皆さんがその活動を腺から分離させて実行し、腺をそれ自身の運命にゆだねると、腺は自身の活動に没頭して分泌をおこなうわけです。この分泌が妨げられているということはつまり、そうでなければ腺から排除されるものが、思考がそれを結びつけたことによって腺と結びついたままになっているということです。ここで、形成活動が器官から思考のなかに入り込んで現れてくるということを、いわば明白にご理解いただけると思います。私がそのように考えなかったとしたら、私の腺は分泌しなかっただろう、と言うことは可能なのです。すなわち、私は腺から力を奪い、これを、この力を私の魂生活に移行させる、だからこそ、腺は分泌をおこなう、ということです。ここで皆さんは人間の生体組織そのもののなかに、私が今までの考察で申しあげてきたことの証明を見出せるのです。つまり、私たちが霊的・魂的生活において体験していることは、私たちの目の前にある他の自然秩序のために分泌された形成力に他ならないということの証明です。外的な植物相として外的自然のなかで私たちの腸菌群落(*腸内植物相)に並行して発達するものを通じて、外部の他の自然のなかで起こっていることのなかに、まさにこの内部にこそ、私たちが自らの腸菌群落から引き出した形成力が潜んでいるのです。皆さんが戸外で山の植物相を、草原の植物相を眺めるとき、本来は次のように言わなくてはなりません、このなかには、表象のなかに生き、感情のなかに生きているときに、皆さんが思考のなかに発達させる諸力が潜んでいるのだと。したがって、皆さんの腸菌群落は外部の植物相とは異なっています。外部の植物相からは思考が取り去られる必要はないからです。外部の植物相において思考は、茎、葉、花と同様に植物の内部に潜んだままなのです。ここで皆さんは、花や葉のなかで支配しているものと、皆さんが腸菌群落を発達させるときに皆さん自身のなかで起こっていることとの親近性について理解を得られるでしょう。このとき皆さんは腸菌群落に形成力をゆだねず、腸菌群落から形成力を奪い去るのです。これを奪い取らないとしたら、皆さんは思考する人間ではあり得ないでしょう。皆さんは、外部の植物相が持っているものを、自らの腸菌群落から取り去ったのです。上記に述べられたようなことを、動物相においても洞察することが必要です。人間と植物薬との関係を見ていくだけではなく、動物に関係した治療をも見ていかなければなりません。人間は、その外部の動物界において「形態を与える諸力」を、自らの内部における「腸内動物相」から取り去っています。そのこを認識することで、治療用血清について正しく理解することができるのです。動物相の場合においても事情は変わりません。こういうことを洞察することなくしては人間と植物薬との関係に行き着くことが出来ないのと同様、外部の動物界において形態を与える諸力を、人間は自分の内部の腸内動物相からは取り去ったのだということについて意識しなければ、治療用血清の使用に関して正しい理解に至ることはできないのです。このように、治療薬についての正しい理解のためには、人間とその環境との関係を真に洞察しなければなりません。そうでなければ、意味のないことが、治療において大真面目に行なわれてしまうことになります。このことからおわかりだと思いますが、このように人間とその環境との関係を本当に見据えないことには、理性、つまりこうした事柄の体系学は不可能なのです。さらに私はもうひとつ、非常に重要なことを皆さんに指摘したいと思います。少し前に滑稽にも至る所で唾を吐くことが禁止されたとき、はなはだひどい状態になりましたが、あれを共に体験された方がここに多数おられるかどうかは存じません。ご存じのように人々はこの唾吐き禁止によって結核を撲滅しようとしたのです。さて、この唾吐き禁止が滑稽なのは、これは誰もが知っておくべきことでしょうが、病原菌、結核菌は、ごくありきたりの分散した太陽光によりきわめて短時間で殺されてしまうので、しばらくしてから痰を調べてみると、少ししか時間がたっていなくても、痰のなかにはもう結核菌はいなくなっているからです。太陽光は即座にこの病原菌を殺すのです。ですから、通常の医学上の前提が正しい場合でも、こういう唾吐き禁止はなおもきわめて滑稽なことと言えるでしょう。このような禁止行為はせいぜいのところ、ごく一般的な衛生という面では意味もあるでしょうが、最も広義の予防医学にとっては意味のないことなのです。
参考画:人間の植物化



   (第四講解説●5・了)

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最終更新日  2024年08月28日 06時37分58秒
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