全518件 (518件中 501-518件目)
休日恒例となった(?)「奥州街道早朝散歩」。回を重ねること、8回目となりました。今回は、前々回の終点・二本松を出発して、本宮町内を目指します。これまた恒例の(笑)桑折発5時42分の始発電車に乗り、6時29分、二本松着。福島~郡山間では一番乗降客の多い二本松駅だけあって、早朝にも関わらず、駅構内には結構お客さんがいたのが印象的でした。駅から200メートルほど歩くと、もう奥州街道です。街道沿いの街では「街道沿いの運送業者の仕事がなくなる」といった類の鉄道忌避伝説がしばしば聞かれますが、東北本線に限って言えば、それは史実ではありません。二本松、福島、桑折、白石、大河原… これまで私が訪れた東北本線の駅のうちその開通と同時に開業した駅は、ほぼ例外なく、宿場町の至近に設けられています(松川だけが例外)。今回訪れる本宮もその例に漏れず、宿場町の真ん中に駅が設けられています。二本松市街西部の松岡、若宮の町を抜けると、奥州街道は緩やかな登り坂にさしかかります。左手には東北本線。今回のルートの大半では、東北本線が寄り添うことになるはずです。他地域だと宿場町以外では両者が全然違うルートを走ることが珍しくないのですが。また、今回のルートのは、もちろん奥州街道ではあるんですが、その大半は、県道須賀川二本松線にもなっています。二本松市街地の少し南から須賀川市南部にかけての奥州街道のルートは、ほぼこの県道と一致するんです。その点ではわかりやすいルートではあるんですが、南福島から清水町宿に抜けた時のような意外性とかワクワク感が減殺された格好です。その須賀川二本松線に入ってから1キロほど歩くと、杉田の集落に入ります。奥州街道の宿場町でもあった集落なんですが、ここは少し変わっていて、集落の真ん中を東西に横切る杉田川を挟んだ北と南の集落が日によって交替で宿場を務めていたとのこと。従って、さほど規模は大きくない集落ですが、かなり長い区間にわたって街村が続きます。集落を出外れると、また登り坂。分水嶺に差し掛かるところで右側の眺望が開け、安達太良山の姿を見ることができます。前々回は曇天模様だったため姿を見ることができなかった安達太良山ですが、今日は快晴。頂上から裾野までハッキリと見えます。名山に相応しい姿ですが、それも「ほんとうの空」の演出があってこそなんだと実感します。分水嶺から少し下ったところから、大玉村に入ります。市町村合併流行りの昨今ですが、大玉村は北の二本松市、南の本宮町、どちらとも合併せず、当面は自立の道を歩む模様です。その姿勢については何も言うことはありませんが、村内の奥州街道の整備状況、これは明らかに劣悪です。なにしろ歩道が殆どないんですから。旧道とはいえ自動車の通行量は少なくなく、側を通られる度に肝を冷やしました。まぁ、ここの道の管理者は県だから村に文句を言っても何の解決にもならないでしょうが…ただ、沿道の景色は、さほど悪くはありませんでした。南福島から延々と続いてきた勾配の連続が尽きて田園風景となり、田んぼには黄金色に実った稲穂。そして遠景には安達太良山と、よくある日本のイナカの風景が展開します。田んぼの真ん中には東北本線の線路も見えていて、何両も貨車を積んだ貨物列車が通過していきました。30分ほど歩くと大玉村を通過。本宮町に入ります。町内に入ってしばらくは大玉村に比べて人家が増え田んぼが減る程度の変化しかなく、しかも引き続き歩道がないためますます歩きにくい状況でしたが、中心街に近づくにつれ、道幅が広くなり、商店が増え… と徐々に「町」ではなく「街」らしくなっていきます。現在本宮町は東隣の白沢村と合併交渉が進んでおり、近々福島県内13番目の市「本宮市」が誕生する予定です。また、本宮の特徴は、市街地のすぐ側を阿武隈川が流れていることです。奥州街道を軸とした福島県中通りは阿武隈川の流域ということになっていますが、実は宿場町のすぐ側を阿武隈川が流れているケースは、驚くほど少ないんです。福島とこの本宮、あと郡山の南の笹川(安積永盛)と県南の白河ぐらいでしょうか。本宮の場合は三春やいわき市平とを結ぶ岩城街道の分岐点でもありましたから、川を渡る人々の数も多かったものと推察します。磐梯熱海、猪苗代を経て会津若松へと至る会津街道との分岐点が本宮の南の街外れで、その先は再び田園風景が続きます。そんな中で目立つのが、工場の数々。奥州街道の西側を走る国道4号線沿いにもソニーなどいくつかの工場がありますが、奥州街道沿いにもパナソニックの工場があり、規模では決して負けてはいません。これらの工場進出は本宮町の財政力強化にも繋がっている模様で、本宮町の財政力指数は、確か中通りの市町村でも指折りの好数値(0.7ぐらいかな。殆どの市町村は0.4以下だから、かなりいい方)だったと記憶しています。そうそう、本宮の企業で一つ思い出しました。パナソニックの工場の少し北側、奥州街道からちょっと脇に入ったところに、今福島県政界を騒がせているスーツ会社がありました。一応、書いときます(笑)話をパナソニックに戻すと、工場から少し先に、五百川という川が流れています。この川を越えるといよいよ郡山市に入りますが、今回はここで散歩を打ち切り、近くにある五百川駅から電車に乗って、帰宅することにします。五百川駅のすぐ近くにも、アサヒビールの工場があります。さすがは工業都市本宮です。ところで、鉄道路線の近くのビール工場といえば、宮城県名取市のサッポロビール工場や同じく宮城県仙台市宮城野区のキリンビール工場にみられるように、貨物側線があるのが常。電車が来るまで時間があったのでちょっと探してみたんですが、それらしきものも、また跡も、見つけることができませんでした。最後に、福島駅を起点とした目安表を、ここに記します。ただし、これは私の脚によるものであり、決して標準的なものではないことを、お断りしておきます。【出発地点を福島駅とした場合】30分後 福島市太平寺 オークラボウル前1時間後 福島市清水町 杉妻自動車学校前1時間30分後 福島市金谷川 福島大学正門前2時間後 福島市松川町 松川町バス停前2時間30分後 二本松市吉倉(場所を特定する構造物等なし)3時間後 二本松市油井 ベイシアスーパーセンター安達店入口付近3時間30分後 二本松市竹田 家具の町竹田坂4時間後 二本松市大壇 岳下小学校入口4時間30分後 二本松市杉田町 杉田橋(杉田川)5時間後 大玉村大山 セブンイレブン大玉大山店前5時間30分後 本宮町中條 本宮郵便局前6時間後 本宮町仁井田 五百川橋北側(五百川)(五百川橋北側~五百川駅 約13分)
2006.09.24
コメント(0)
今日の仕事帰り、仙台駅に着いたのが午後8時50分のことでした。頼りにしていた仙台発8時34分の電車は無常にも出発。1時間後の9時56分発に出る福島方面への終電に乗るしか帰る術がありません。1時間も仙台駅で待っているのも退屈だから、今週リニューアルオープンした長町駅まで、寄り道することにしました。仙台発9時ちょうどの電車に乗り、約6分で長町着。高架路線の中の真新しいプラットホーム。ずいぶん様変わりしたものです。でも、以前の長町駅に比べると、逆に殺風景になったような… そうだ! キヨスクがないんだ。旧・長町駅にはキヨスクをはじめコンビニのNEWDAYS、更には立ち食い蕎麦屋まであったんですが、これらがきれいさっぱりなくなっているんです。改札を出たり入ったりするだけの駅って、何か嫌な感じです。そんな訳で新・長町駅の訪問はあっけなく終わってしまったんですが、まだまだ時間が余っているので、隣の南仙台駅までの3.2キロを、歩いてみることにしました。私の足なら、たぶん終電には間に合うでしょう。40分弱はかかったかなぁ… 南仙台駅に着いたとき、時計を見ると9時45分でした。暗い中の散歩で景色を堪能することはできませんでしたが、いい運動にはなりました(笑)
2006.09.21
コメント(0)
子供が一生懸命歩いたから、私も歩かなきゃ(笑)今度の日曜日に、8回目の早朝散歩に出掛ける予定です。天候が心配ではあるんですけどね。今度のコースは、二本松から本宮町内を目指したいと思っています。できれば、郡山市との境目にある五百川まで行きたいです。でも、今度のコースって、特に見てみたい所がないんですよね。失礼な言い方になりますけど、名所旧跡その他スポットに乏しい地域ですからね。まぁ、本宮の町は、それなりに面白いとは、思います。江戸時代の本宮って、いわき市平、そして会津若松と直結する街道が分岐していたんですよね。今その役割は郡山が担っていますが、当時の中通り中部の中心地は、宿場町の郡山ではなくて丹羽氏10万石の城下町・二本松(郡山も、二本松藩の所領だった)。その二本松と同じく城下町だった平や若松、あと平への道中に位置する三春への街道が整備されたのは納得のいく話ですが、地形の関係からかいずれも二本松ではなく少し南の本宮を奥州街道との分岐点にしているのが、妙に気になります。私が住む桑折町は奥州街道と羽州街道との分岐点ということもあってか、「宿場町」という我が町のルーツを非常に大事にしている町です。本宮も同じように、街道を意識したまちづくりがなされていれば、嬉しいんですけどね。
2006.09.20
コメント(0)
休日ごとに行っている早朝散歩。前にも書きましたが、雨天中止がない限りは、10月8日で終了する予定にしています。しかし、意外なことに、妻から「もっと歩かないの?」とのリクエストが。確かに、奥州街道にこだわるのなら、郡山以南も歩けなくはありません。白河までの散歩だったら、お昼過ぎぐらいまでには帰宅することはできるでしょう。この場合は、初回…桑折~(東北本線)~郡山~(徒歩)~須賀川~(東北本線)~桑折2回目…桑折~(東北本線)~須賀川~(徒歩)~矢吹~(東北本線)~桑折3回目…桑折~(東北本線)~矢吹~(徒歩)~白河~(東北本線)~桑折というルートになるかな。ただ、仙台以北の奥州街道は、ちょっと厳しいかも。奥州街道に沿って走る鉄道は泉中央止まりだし、歩くとなると早朝どころか一日掛かりの行程になりそうです。でも、逆に鉄道が通っている所を選んで歩けば、松島あたりまでは行けそうです。塩竃~松島間の国道45号線には歩道が整備されていない所があるので、ちょっと怖い部分はあるのですが… 一応、ルートを作成すると、初回…桑折~(東北本線)~仙台~(徒歩)~国府多賀城~(東北本線)~桑折2回目…桑折~(東北本線)~国府多賀城~(徒歩)~松島海岸~(仙石線)~仙台~(東北本線)~桑折となるでしょうか。また、妻は「飯坂線とか阿武隈急行沿いを歩くってのはどう?」なんて提案も、してくれました。飯坂線ならば桑折~飯坂~福島間を一日で制覇できそうですが、阿武隈急行となるとちょっとなぁ… ルート的には、初回…桑折~(東北本線)~福島~(徒歩)~保原~(更に徒歩)~桑折2回目…桑折~(徒歩)~保原~(更に徒歩)~梁川~(阿武隈急行)~福島学院前~(徒歩)~東福島~(東北本線)~桑折3回目…桑折~(東北本線)~東福島~(徒歩)~福島学院前~(阿武隈急行)~梁川~(徒歩)~あぶくま~(阿武隈急行)~槻木~(東北本線)~桑折4回目…桑折~(東北本線)~東福島~(徒歩)~福島学院前~(阿武隈急行)~あぶくま~(徒歩)~角田~(阿武隈急行)~槻木~(東北本線)~桑折5回目…桑折~(東北本線)~槻木~(阿武隈急行)~角田~(徒歩)~槻木~(東北本線)~桑折となるのですが、散歩地点までのアクセスが複雑なのがネックですね。いずれにせよ、今のうちに、新しいルートを模索する必要はありそうです。
2006.09.17
コメント(4)
昨日に引き続き、今日も「奥州街道早朝散歩」に行ってきます。行き先は、前々回の終点・白石市北白川から柴田郡内を横断し、郡の東端にあたる柴田町槻木までを予定しています。が、心配なのは何と言っても天候。昨夜の雨で路面は濡れているし、雲は低いし、今は雨は止んでいますが散歩中だけは何とかもってくれ、と祈るような心境です。桑折発6時30分の電車に乗り、北白川着6時59分。散歩再開地点の篭石交差点には7時06分に着きましたが国道4号線の横断待ちに2分かかったため、実質的なスタートは7時08分でした。今回の散歩では国道4号線と3回平面交差するので、このように信号待ちで何分かのロスがあるかもしれません。篭石からちょっと東に歩くと、大河原町に入る標識があります。町の木である桜の絵と、アルファベットの「O・G・A」をデザイン化したと思われる町章が、描かれています。その標識から3分ほど歩くと、奥州街道は国道4号線から離れ、金ヶ瀬の宿場町へと入ります。閑静な家並みが1キロほど続くいかにも旧宿場町然とした佇まいですが、ここの特徴は、家々の玄関にあります。金ヶ瀬は元々、仙台藩の配下にあたる白石の片倉家が管轄する宿場町で、その時の宿の範囲は現在の集落の西側(上町)のみでした。ところが白石川の氾濫で宿場町全体が被害を被ってしまったため、仙台藩直轄でその東側に新しい町(新町)が設けられたとのことです。従って、上町の家々の玄関は片倉家の拠る白石の方を向いており、新町の家々の玄関はその逆の仙台の方を向いている、という次第。私はこの話を事前に聞いていたので半信半疑のままに集落を歩いたのですが、新しい家が多いにも関わらずその原則が現在でもさほど崩れていないのに驚きました。面白いところに昔日の面影を残す金ヶ瀬ですが、その東端では土地区画整理事業が行われており、大河原の市街地と陸続きになっています。奥州街道と国道4号線との合流地点にはみやぎ生協、ケーヨーデイツー、ユニクロ、ギフトプラザ、カワチ、洋服の青山… とどこかで見たようなロードサイドショップがズラリ。さすがに仙南地方随一の商都・大河原ですが、宿場町を通ってきた身には、いささか毒々しさを覚えます。金ヶ瀬から大河原までは奥州街道は国道4号線と一致しているようですが、そんな所を通るのは嫌なので、国道から200メートルほど南を通るちょっと広い道を歩くことにします。この道路も区画整理で新しくできたと思われますが、大河原と金ヶ瀬、宮、そして遠刈田温泉とを結ぶバスが通っているので、歩くにはそれなりの根拠があります。住宅地を歩くこと15分ほどで、大河原の町に到着。商都と呼ばれる大河原ですが、宿場町自体はさほど大きなものではありません。なんだか新興住宅地だらけの都市で、この一角だけ古いまま取り残されてしまった。そんな感じです。ちなみに、大河原の町のすぐ東側には、白石川が流れています。川に架かる尾形橋を渡れば東北本線の大河原駅はすぐですが、異彩構わず、歩を進めます。宿場町の東側もまた、新興住宅地が広がっています。住所を見ると「南桜町」「東桜町」とあります。右手には白石川の堤防がチラチラと見え、その上には桜の木が青い葉を繁らせています。ここは丁度、大河原の名所である一目千本桜の真只中。花見の季節には観光客でごった返すスポットです。それにしても、ここの町名に限らず、大河原町内には「桜」あるいは「さくら」の名を冠した医院や商店が、あちこちに見られます。地域のシンボルを大事にしている様子が伺えます。桜町の住宅地を抜けると、奥州街道は再び、国道4号線に合流します。ちなみに、このあたりは行政的には大河原町ではなく、その北隣に位置する村田町の区域です。ただし、町域は500メートルほどで終わり、東隣の柴田町へと入っていく訳ですが。村田町と柴田町との境界あたりで、奥州街道は再び国道4号線と分かれその南側を通ります。でもしばらくの間は両者は並行するので、奥州街道の沿道は国道4号線沿いに建ち並ぶロードサイドショップの裏口だらけ。なんだか興醒めです。そのロードサイドショップ街の中心に、サンコアというジャスコを核としたショッピングモールがあります。1980年にオープンした「老舗の」ロードサイドショップ。激しい流通戦争に晒されて閉店していく店舗も少なくない中で、このサンコアは今なお地域の核として、頑張っているようです。サンコアから500メートルほど歩くと、奥州街道は北に向きを変え、国道4号線と直交します。ここの信号待ちが長かった… どうやら車両感応式の信号だったらしく、3分以上は待ちぼうけを食ってしまいました。信号を渡った先が、船迫の宿場町です。文献によっては奥州街道は大河原から白石川を渡って柴田町役場のある船岡を経、再び白石川を渡って槻木へ出るという、東北本線や船岡を経由する旧国道4号線に沿ったルートを指し示すものが見られ、それを参考にいくつかのサイトで「船岡にある船迫宿」探しが試みられたりしていますが、ちょっといただけません。考えてもみて欲しいんですが、橋を架けるのが困難な時代に開かれた奥州街道が、白石川ほどの川を短距離の間に二度も渡るはずがないのです。船迫宿はあくまで白石川の北岸・船迫にあり、船岡とは何の関係もありません。船迫の宿場町もまた、大河原同様新興住宅地に囲まれた形で、残っていました。ここの特徴は道路が極端にジグザグしていることで、Z字状のクランクが二つ、更に直角に曲る箇所が一つあります。どうしてこんな街路なのか? 地図を見る限りでは恐らくは地形的な問題だと推察していましたが、現地を歩く限りではあくまで平坦で、地形が原因ではないことは瞭然です。宿場町の東端に中世の居館跡があったから、おそらくはそこの領主が、このような複雑怪奇な道路を設計したのでしょうか。謎が残る船迫を抜けると、周囲は久々の田園風景。しかしここで三度現れるのが国道4号線だったりして、またもや信号待ちとなります。今日は信号待ちで何分損しているのかなぁ。 でもって、信号の先がまたまた新興住宅地だったりするから、大河原や柴田って本当に住宅都市だよな、とある意味感心します。ところがここの新興住宅地、これまでの新興住宅地とは少し違っていました。地域内にある公民館では船迫の歴史がまとめられた掲示板が設けられていたし、それより何より、奥州街道を住宅地のメインストリートとして残してくれていました。今日の行程では奥州街道を記す案内板の類にはこれまで一度もお目にかかれませんでしたが、こんな所で見られるとは意外でした。新興住宅地が尽きると、奥州街道は再び国道4号線に接近します。ただし今回は交差も合流もせず、高架を走る国道4号線のほぼ直下を細々と通ります。天下の奥州街道が国道の築堤に踏みにじられたみたいであまり気分は良くありませんが、右手には白石川が流れ、眺めは悪くありません。その白石川も、この先の宿場町・槻木で、阿武隈川と合流します。そして、合流地点近くに架けられた白幡橋のたもとから先が、今回の終点である槻木の町となります。槻木といえば宮城県人の多くが連想するのが、「山崎製パンの工場があるところ」というものです。工場は、奥州街道の東側150メートルほど離れたところに建っていますが、あまりにも大きな建物なので沿道が住宅地であるにも関わらず、視界から見失われることがありません。その威容はまさに「槻木城」といった雰囲気です。槻木駅に着いたのは、9時31分でした。北白川から2時間半歩いたことになりますが、その間、心配した雨は、降り出すことがありませんでした。その点はラッキーでした。最後に、白石駅を起点とした目安表を、ここに記します。ただし、これは私の脚によるものであり、決して標準的なものではないこと、また、白石市福岡深谷付近のルートは「単なるバス通り」であり、奥州街道かどうかの確認が取れていない(多分違うだろうなぁ…)ことを、お断りしておきます。【出発地点を白石駅とした場合】30分後 白石市福岡長袋 白石市北保育園入口付近1時間後 白石市福岡深谷 禮讃寺前1時間30分後 蔵王町宮 宮小学校前2時間後 蔵王町宮 宮交仙南バス椚林バス停付近(国道4号線と東北新幹線の直交地点)2時間30分後 大河原町金ヶ瀬 みやぎ生協大河原店前3時間後 大河原町字町 大河原中学校前3時間30分後 柴田町北船岡 サンコア前4時間後 柴田町東船迫 船迫公民館前4時間30分後 柴田町槻木白幡 山崎製パン仙台工場入口付近(槻木白幡~槻木駅 約5分)
2006.09.17
コメント(4)
昨日飲み会だったにも関わらず、今朝は5時少し前にきちんと目覚めました。秋分の日まであと1週間。空はまだ薄暗いのによく起きれたなぁ… と自分でも感心するやら呆れるやら。とにもかくにも、今日は「奥州街道早朝散歩」の日。前々回の続きで、福島市松川町をスタートして、二本松の街を目指します。まずは桑折発5時42分の始発電車に乗って、松川まで。片道切符が480円。ずいぶん遠いところまで歩いたものです。6時20分に、松川着。列車にはチラホラとお客さんが乗っていましたが、松川で降りたのは私だけでした。松川はかつて国鉄川俣線が分岐した比較的構えの大きい駅ですが、お客さんの姿はないわ、跨線橋にポスター一つ貼ってないわ、時間帯的な問題もあるでしょうけど改札に駅員はいないわで、どこもかしこもがらんどう。淋しい散歩の出発となりました。前々回も書きましたが、松川駅は松川の町から2キロほど東にあります。となると、駅と街との間は田園風景が定番、というイメージがありますが、松川の場合は若干違い、家並みが途切れずに続いています。駅から500メートルほど西側に北芝電機という東芝の関連会社の工場があり、そこに関わりのある人たちが住んでいる模様です。特に駅寄りの地域は街灯にもれなく北芝電機の広告が書いてあったりして、ちょっとした「北芝電機の企業城下町」の様相を呈しています。駅から歩くこと25分で、ようやく前々回の終点・松川町のバス停前に到着。ここからは奥州街道を二本松へと目指します。松川では今、町の西方約2キロのところにある東北自動車道福島松川PAでスマートIC(ETC専用車のIC)が期間限定的に設けられていて、町中にはその案内板が目立ちます。これまで二本松~福島西間にはICがなかったのでETC専用とはいえICが設けられるのは非常に嬉しいことなのですが、残念なことにICへの取り付け道路が未整備な状況です。松川本町(もとまち)の交差点でここを曲がってくれと案内された脇道は、大型車が通るのがやっと(すれ違いは不可能)の狭い道。正式にICを設置するのであれば、バイパスの整備は不可避でしょう。実はその狭い道が奥州街道だったりします。旧国道4号線は真っ直ぐに二本松を目指していますが、奥州街道は松川本町の交差点を西に入り、更に次の角を南に曲がり、旧4号線と並行する形で南に向かっています。旧4号線沿いの松川の町は旧宿場町という印象がイマイチ希薄なところなんですが、奥州街道に入ると、古い家屋がそこかしこに建ち並んで、歴史のある町だと感じさせます。そのなかに「奥州街道 八丁目宿」という看板を掲げた旅館がありました。実は松川の宿場町は「松川宿」ではなく「八丁目宿」といいます。松川という地名は1876年に八丁目他2村が合併してできた、比較的新しい地名で、元々ここはは八丁目村の八丁目宿。福島の城下町が整備される以前は米沢街道の分岐点でもあり、また江戸時代後半の文化・文政期には俳諧、狂歌などの町人文化が流行を見せ、これらを総称して「八丁目文化」と呼ばれていたということです。しかし今現在の松川の町は、その面影はあまり見られません。10分も歩くともう町はずれで、田園風景が広がります。更に5分ほど歩くと境川という小さな川が流れていて、そこが福島市と二本松市との境界線。広かった福島市にようやく別れを告げることになります。ところで、今二本松市と言いましたが、実はこの地域は、昨年12月まで安達郡安達町でした。合併によって地域がどのように変わったのか、あるいは変わっていないのか、確められればな… と思っています。しかし何より驚いたのは、前方にそびえる丘陵。これを越えなきゃならないのか、とちょっと不安になります。前々回に続き、ちょっとした山登りとなりました。それほど急峻ではありませんがダラダラと続く登り坂を、しばらく登ります。周囲は田畑に雑木林に家屋少々といった風情。道行く人などありやしません。いや、いました。前方に集団登校している小学生の一群が。今日は学校は休みのはずですが授業参観でもあるらしく、皆制服を着て(福島の小学校の大半は制服着用なのだ)歩いています。ゆっくり歩く一群を、スタスタと追い越します。すると、「おはようございます!」と元気な挨拶。嬉しいですね。こういうの。安達の子供は非常に礼儀正しいです。更に少し歩くと、雑木林が目の前から消え、眺望が開けます。目の前には一直線な下り坂。ずいぶん登ったんだなと感心する一方で、更に先にめをやると、またまた長々とした登り坂があるではないですか。一難去ってまた一難とはまさにこのこと。東側を走っている旧国道4号線も東北本線もこれほどの勾配はないはずなのに、どうして奥州街道だけが山坂越えなきゃならないんでしょうか? このルートを街道に選んだ先人を、一瞬怨みます。それでも何とか身体を動かし、二番目の登り坂もクリア。その後しばらく細かいアップダウンが続いてから、奥州街道は二本柳の宿場町に入ります。二本柳の宿場町は長さ300メートルほどしかなく、非常に小規模なものです。が、道の両脇には堀が流れ、旧家の軒先には「奥の細道 二本柳宿 ○○屋」と屋号が書かれた看板が掲げられるなど、できる限りの範囲で旧態を残そうとの意志を感じます。二本柳を過ぎると、奥州街道は旧国道4号線と急接近します。しかし両者は合流も交わりもせず、そのまま二本松まで並走します。向こうは旧国道ながら沿道にロードサイドショップが建っていたりしていかにも「いまどきの道路」然としてしますが、奥州街道は車両のすれ違いができるかどうかという細道。差は歴然としています。しかしそんな奥州街道も、旧安達町の南端にさしかかると、様相が一変します。道の両側に家並みが途切れずに続き、二本松の城下町の外延といった風情になります。旧安達町出身の画家で高村光太郎の夫人でもある高村智恵子の生家も、この一角にあります。現在残されている生家は1992年に復元、再建されたものですが、立派な造りであり、往時からこの界隈が二本松城下の北側入口として栄えていたのだろうと推察されます。そう言えば、智恵子の生家の先には「馬出町」なんて地名もありました。その馬出町を過ぎると、いよいよ二本松の城下町。二本松の街は丘陵を挟んで南北に離れていて、奥州街道はまず北側の根崎・竹田地区へと入ります。この界隈は鉄道からも国道のバイパスからも見放されて寂れているとの話を聞きましたが、なかなかどうして、そのことが逆に昔の街並みを残す結果となっていて、歩き甲斐があります。でも、そんな界隈でやっぱり目立つ建物は、やっぱり大七酒造の本社でしょうか。昔は南東北から北関東にかけてのあちこちの山に設けられた「酒は大七」の看板(今ではだいぶ減りました)、今はきもと(き=生、もと=酉へんに元)こだわった本格的な日本酒造りで知られる大七ですが、本社の建物がまたすごい。造り酒屋の建物といえば純和風の造りに正面玄関には杉玉が定番なんでしょうが、大七の本社はなんと赤レンガの壁と洋館風。柱には蔦が絡まり、ヨーロッパのワイナリーのような外観なんです。奥州街道は、大七の少し先にある交差点で左に折れ、丘陵を越えます。その道のまたすごいこと! 安達の丘陵よりも急峻です。しかしそんな急坂にも商店や家屋が張り付いているところが、さすが二本松。しかも奥州街道の両側には、家具屋さんが軒を連ねていたりします。二本松はタンスをはじめ家具の産地でもあるんです。坂道には「家具の町 竹田坂」の看板が並んでいました。その竹田坂を越えると、南側の市街地。特に二本松駅に近い亀谷(かめがい)、本町(もとまち)の商店街は、多少古びてはいますがそれなりに活気を感じる街並みに見受けられました。今日は気温がさほど上がらなかったせいか、それほど汗をかいていません。頑張ってもっと南まで歩こうかなとも思いましたが、明日も歩く予定だし腹八分目。本町の南にある二本松駅から、帰宅することにします。最後に、福島駅を起点とした目安表を、ここに記します。ただし、これは私の脚によるものであり、決して標準的なものではないことを、お断りしておきます。【出発地点を福島駅とした場合】30分後 福島市太平寺 オークラボウル前1時間後 福島市清水町 杉妻自動車学校前1時間30分後 福島市金谷川 福島大学正門前2時間後 福島市松川町 松川町バス停前2時間30分後 二本松市吉倉(場所を特定する構造物等なし)3時間後 二本松市油井 ベイシアスーパーセンター安達店入口付近3時間30分後 二本松市竹田 家具の町竹田坂(竹田坂~二本松駅 約15分)
2006.09.16
コメント(0)
先月から続けている「奥州街道早朝散歩」。一昨日で、第5回まで行きました。北は仙台、南は郡山をゴールとする予定(そこから先に行ってしまうと早朝散歩じゃなくなっちゃうんです・苦笑)なので、南北あと3回ずつは歩けそうです。とりあえず、今後の日程と歩く予定の場所を記してみると、第6回(9月16日)福島市松川町~二本松市中心部第7回(9月17日)白石市北白川~柴田町槻木第8回(9月24日)二本松市中心部~本宮町五百川第9回(9月30日)柴田町槻木~名取市館腰第10回(10月1日)本宮町五百川~郡山市(南側ゴール)第11回(10月8日)名取市館腰~仙台市(北側ゴール)となります。雨天順延の可能性も加味すれば、なんとか10月中旬までには、ゴールすることができそうです。これまで歩いた所を地図に赤ペンで記入しているんですが、5回も歩くと、結構な長さになるんですよね。正確な距離はわかりませんが、東北本線の松川~北白川間が55.8キロありますから、恐らく60キロ前後は歩いているでしょうか。それでもまだ、同じく東北本線で郡山~仙台間は125.1キロありますから、行程としてはまだ半分未満。一日でも早く、この区間の地図を赤ペンで埋めたいものです。休日が待ち遠しいなぁ…
2006.09.12
コメント(0)
今日は、2週間ぶりの「奥州街道早朝散歩」。前々回の終点・白石駅前から、同じく白石市の東端に位置する北白川駅を目指します。前々回と同様、いつもは出勤に利用している桑折発6時30分の電車に乗り、白石着6時51分。ここから散歩がスタートしますが、白石駅から白石の街の北端にある白石川の河畔までは前々回に歩いたので、実質的な起点は、白石川に架かる白石大橋ということになります。このように、奥州街道は白石市内で白石川を渡りその北岸を柴田町槻木まで20キロばかり東進しますが、東北本線は槻木の手前まで白石川の南岸を通ります。従って、今回のルートは確かに通勤経路に沿うものではあるのですが、沿道の景色はいつも見ているのとはまったく違うもの。その意味では、新鮮さ万点の行程です。白石大橋を渡ると、福岡の集落に入ります。白石の街の外延となっており、かなり長い間沿道には住宅が建ち並んでいます。このあたり、国道4号線は奥州街道の北側を東北自動車道と並行して走っており、地方の小都市では極めて珍しい4車線の道路同士の並走・共演がみられるんですが、奥州街道は我関せずといった風情でクネクネと細かいカーブを描きながら北東に進みます。30分ほど歩くと、奥州街道は国道4号線と合流。久しぶりに4号線を歩きます。前々回も越河~白石間でところどころ4号線を歩きましたが、その時は2車線。今回は4車線とあって、側を通るクルマのスピードも、若干速いように感じます。この辺に、旧道はないかなぁ… 左右を見渡してみると、児捨川という何だかいわくありげな川を渡った先に、これまた気になる脇道を発見。しかも、道路の先の方向表示を見ると「白石市立深谷小学校」の表示があるではないですか! ひょっとして、この道奥州街道かも… というのも、奥州街道沿道の地域では、小学校や郵便局、JAなどの地域を代表する施設は街道沿いにあるケースが多いことを、経験で知っていたからです。その道が本当に奥州街道なのかどうかはともかくとして、「その先を見たく」なり、脇へと入ってみることにしました。丁度4号線との分岐点の所に馬鹿でかい駐車場を誇るダイナムというパチンコのチェーン店がありその敷地脇を通過するのにずいぶん時間がかかりましたが、あとは田んぼの只中の一本道。ひなびた風景をテクテク進みます。5、6分歩いた先でしょうか。沿道に公民館があり、その前にはなんとバス停が! しかも宮城交通(厳密には宮交仙南バス)の停留所です。白石市を走るバスは経営合理化のあおりを受けてその多くが白石市民バスへと移管されてしまったんですが、ここはまがりなりとも宮交のバス。しかも行先を見ると、白石駅前から奥州街道の宿駅である蔵王町宮、蔵王町の役場がある永野を経て東北自動車道のインターチェンジがあることで知られる村田町まで行く路線じゃないですか! やっぱりこの道路が奥州街道なんじゃないかとの感を強くします。公民館を過ぎるとほどなく東北自動車道の真下をくぐり、目の前には深谷小学校が。小さな小学校でした。小学校の前からは道路に歩道が登場。歩きやすくなります。このあたり、右手には相変わらず東北自動車道や国道4号線。そしてその周辺に広がる工業団地が見えていて俗っぽいんですが、道の周囲、特に左手には田んぼが広がっています。しかも平地ばかりでなく、山の麓の斜面いっぱい、田んぼが造れそうなところはすべて田んぼが広がっているんです。その向こうに見えるはずの不忘山が霧に隠れて見えないのが残念ですが、広々とした風景に圧倒されます。禮讃寺という山の斜面に墓地が建ち並ぶこれまた風情ありげなお寺の前を過ぎ、家老内という所でT字路を右に折れます。気のせいなのか、今来た方向を逆に戻っているような錯覚を受けます。案の定、東北自動車道の下を再びくぐったのでやっぱりここ奥州街道じゃないのかなぁ? と疑問を蒸し返していると、後からバスがやってきました。行先表示を見ると、やっぱり村田行です。自信を回復して歩を進めると、前方に蔵王町宮の集落が見えてきました。ようやく、白石市から脱出です。宮は蔵王町の役場所在地じゃないので越河や斎川のような小さくてひなびた宿場町なのかと思っていました。が、集落の中に入ってみると、意外に規模が大きいです。街灯に「宮商店街」の表示がありましたがそこまで栄えてはいないにせよ、日用品ならここで揃うぐらいに商店が充実しており、信用金庫の支店まであります。どうやら、集落の近く、国道4号線沿いに工業団地があることや、集落内に比較的大きな病院があり「病院城下町」の側面を持っていることが、宮を衰退から救っているのでしょう。宮といえば、語らなければならない人物がいます。かつて宮小学校の訓導(教師)を務めていた小野さつきという人物が、それ。師範学校を卒業し1922年に宮小学校に赴任した彼女は、野外学習のため連れ出した先の白石川で、3人の児童が川で溺れているのを発見。川に飛び込んで2人の児童は救出したものの最後の1人を助ける前に力尽きてしまい、殉職したとのことです。まだ21歳の若さだったそうです。その史実を記す石碑が宮小学校の正門前に今も残り、集落内の寺院には「小野訓導墓所」を示す看板が建っていました。深谷に入る前の児捨川といい、宮の小野訓導といい、このあたりは子供と川との関わりが何かと強い地域です。宮から真東へ1キロ少し歩くと、久々に国道4号線と合流。相変わらず4車線の広い道で、右手には工業団地が広がっています。が、それもほどなく終了。工業団地が尽きると、4号線は2車線に車線減少します。周囲の風景も、右手には白石川、左手には山が迫り、峻険とまではいかないまでも寂しいものに。東北新幹線が真上からこれらをまとめて横切るのを見、更にしばらく歩くと、北白川駅までの道が分岐する篭石交差点。目の前には一目千本桜で知られる隣の大河原町に入る標識が見え「もう少し歩きたい!」との衝動に駆られますが、歩きはじめてもう2時間。そろそろここらで限界でしょう。北白川の駅は、篭石の交差点から白石川を渡った先にあります。篭石は蔵王町ですが北白川は白石市。せっかく一生懸命歩いて白石市を脱出したと思ったら、あっけなく逆戻り。お釈迦様の掌の中で飛び回る孫悟空のような心境になります。北白川駅までの道は、歩道もない狭い道なのに、結構クルマの通行量が多く、歩くのはちょっと危険かもしれません。白石市中心部の東側からだと国道113号線~白石市白川犬卒塔婆(すごい地名だ…)~北白川駅前を経由した方が国道4号線を通るよりも大河原方面に早く到達できるので、抜け道として利用されているようです。最後に、白石駅を起点とした目安表を、ここに記します。ただし、これは私の脚によるものであり、決して標準的なものではないこと、また、白石市福岡深谷付近のルートは「単なるバス通り」であり、奥州街道かどうかの確認が取れていない(多分違うだろうなぁ…)ことを、お断りしておきます。【出発地点を白石駅とした場合】30分後 白石市福岡長袋 白石市北保育園入口付近1時間後 白石市福岡深谷 禮讃寺前1時間30分後 蔵王町宮 宮小学校前2時間後 蔵王町宮 宮交仙南バス椚林バス停付近(国道4号線と東北新幹線の直交地点)2時間10分後 蔵王町宮 国道4号線篭石交差点(北白川駅入口)篭石交差点~北白川駅…約8分
2006.09.10
コメント(2)
こちらの日記で「奥州街道早朝散歩」の次回ルートについて書きましたが、更にその次の回のルートについても、ちょっと気になります。実行日は、今月の16日か17日になるかな? 半月も先の話ですが、地図を見ながら楽しみにしています。ちなみにルートは、こちらの続きで、福島市松川から二本松市中心部までを予定しています。奥州街道上を歩くのは10キロほどですが、松川駅から松川の町(八丁目宿)まで2キロほど歩かなければならないから、正味の歩行距離は12キロほど。2時間少々の歩行時間を予定しています。このルートで非常に興味深いのは「旧道の旧道」があること。バイパスの国道があって街道だった旧国道がある… 奥州街道ではこれが標準的な道路形態なんですが、松川から二本松にかけては、東側に高速道路と見まがうような立派な国道4号線があり、更に西に向かって旧国道、奥州街道が通るという3層構造になっているんです。例えば松川の町は、旧国道を通ると「これが旧宿場町なのか?」と思ってしまうぐらいあっという間に町を過ぎてしまうんですが、実は松川の旧宿場町はその西側の奥州街道沿いに広がっているんです。この辺の旧奥州街道は歩きはもちろんクルマでも通ったことがないので、来訪が非常に楽しみです。あと、二本松の街並みもまた、気になりますね。白石の中心部を歩いた時に予想していたよりも規模の大きい街だなと思ったんですが、丹羽家10万石の城下町だった二本松も、期待できそうです。特に、二本松駅がある中心街から丘を挟んで北側にある根崎や竹田の街並み。あまり通ったことがないだけに、どんな所だか訪れるのが楽しみです。
2006.09.01
コメント(0)
先週、今週と連続して土日に行ってきた「奥州街道早朝散歩」。来週は休日が日曜だけの上、その日は野球観戦に行く予定のため、お休みとなります。次回は再来週、9月10日の日曜日、こちらの散歩の終点・白石から大河原までを歩く予定です。距離はおよそ15キロ。これまで経験したことのない長丁場になりますが、頑張って歩きたいと思います。散歩までまだ日数があるので、沿道の地図を見ながら、どんな所だろう? と軽く調べものをしています。白石~大河原間は電車通勤で毎日通っていますが、白石川を挟んで東北本線は南岸、奥州街道は北岸を通っているので、実はあまり馴染みがないのです。調べていて驚いたのは、白石から6キロほど歩いたところにある宮(刈田郡蔵王町)という宿場町について。ここ、笹谷街道の起点だというんですよ。笹谷街道といえば仙台市太白区長町から柴田郡川崎町、県境の笹谷峠を経て山形市へと至る、現在の国道286号線にほぼ相当するルートを思い出すんですが、元々の笹谷街道はこの宮が起点で、蔵王町役場のある永野を経て川崎、笹谷峠、山形へと至るルートだったとか。つまり、仙台と山形とを結ぶのではなく、羽州街道と同じく山形から江戸へと至るルートの一端を担っていた訳で、事実、天災などの事情で羽州街道が不通になった時は、山形、秋田の大名は笹谷街道を通って参勤交代をしたこともあるということです。それは全然知らなかったなぁ。宮については白石市の越河や斎川同様「小さな宿場町」的なイメージしかなかったんですが、分岐点の町とあれば、ひょっとしたら往時をしのばせるものもいろいろあるのかもしれませんね。再来週が待ち遠しいです。
2006.08.29
コメント(0)
昨日は結局、午後9時には就寝しました。おかげで休養バッチリ! 目覚まし通り、4時40分には起床しました。今日の「奥州街道早朝散歩」は、こちらの続きで、福島市中心部をスタートして福島市南部の金谷川を目指します。福島から金谷川までは、学生の時に一度だけ、歩いたことがあります(参照)。確かその時は南福島の南にある伏拝交差点金谷川の北側入口(NEC近辺)までは国道4号線を歩いたと記憶していますが、今回はあくまで奥州街道を歩く予定。決して勝手知ったる道ではないので、道中が楽しみであり、またそれなりの注意が必要です。桑折発5時42分の上り始発電車に乗り、5時56分福島着。ここから、早朝散歩再開です。駅東口から300メートルほど東に歩くと、旧道へ。ここからまっすぐに南へと歩きます。平坦な上歩道も整備され、歩きやすい道です。福島の旧市街の南端にある信夫橋を渡ると、左手前方に日東紡の工場が見えてきます。現在は本社機能を東京に移していますが、登記上はこの工場が本社所在地となっています。国道115号線を地下道で渡り、更に南の南福島へ。この界隈は学生が多く住んでおり昔は私もよく遊びに出たものですが、街並みは意外なほど以前と変わっていません。学生街なら新しいアパートやお店ができているものだと思ったんですが、最近の学生は、ひょっとしてここを避けて住んでいるのかなぁ? ちょっと淋しいです。南福島の駅前を通過すると、登り勾配となります。ここから金谷川、いやその南の松川までは、アップダウンの連続になります。歩く脚にも、自ずと力が入ります。その勾配を登りはじめて3分ぐらい経った地点でしょうか。沿道に、妙な看板を目にします。看板には左右に二つの矢印が描かれており、右へ行くと旧奥州街道、左へ行くと旧国道4号線との表示が。え!? それは知らなかった。このあたりの奥州街道は伏拝の交差点で国道4号線と交差した後はその南の蓬莱ニュータウン入口を経由して清水町宿へ… というルートだとばかり思っていたんですが、どうやら違うようです。ちなみに矢印で示された奥州街道は、クルマ1台がやっと通れるぐらいの細道で、しかも急勾配。散歩どころか山歩きの様相すら呈しています。どちらを歩こうか… ちょっと考えますが、あくまで奥州街道へのこだわりを守り、急坂を登ってみることにしました。奥州街道は、予想以上の急坂でした。それでも沿道には住宅が張り付いています。何もこんなところに家を建てなくてもいいのに、と余計な思いを巡らせます。それでも一歩一歩登るごとに眺望がきいてきて、その点ではいい気分でした。福島市街の真南にあたるから、きっと夜景もきれいなんだろうなぁ。しばらく歩くと住宅は一件残らず姿を消し、何時の間にやら公園に突入していました。名前を見ると「共楽公園」とあります。こんな所に公園があることもまた、まったく知りませんでした。遊具も一通り揃っており、結構大きい公園です。公園からチラチラと見える福島の景色もまた、なかなか面白いものでした。しかし公園を過ぎると、道の周囲には何もなくなります。雑木林に竹林、そして時々畑という感じ。時折下界が見えますが共楽公園ほど眺めは良くなく、新旧国道4号の路面ばかりが目立ちます。10分近く歩いたでしょうか。ようやく人家が見え、人里が近いことを思わせます。山中を歩いていて人家を見つけると嬉しくなるものですが、そんな私のささやかな喜びをブチ壊すように突然眼前に現れたのは、なんと大きなラブホテル。こんなところにラブホテルがあったっけ? と怒り半分に考え込みますが、思い出してみれば伏拝交差点の少し南に、そんなのがあったっけ。で、ホテルのすぐ近くを通る国道4号線には、小さな陸橋が架かっていました。そうか、あれが奥州街道だったんだと一人納得。しばらく歩くと、件の陸橋が登場。私の推察が間違っていなかったことが証明されます。渡ろうとすると、対岸(というのか?)から1台の軽自動車が接近し、なんとラブホテルに入っていくではありませんか(笑)時計を見るとまだ6時55分。早朝から元気だこと、と思いながらクルマを見ると、運転席の男性、そして助手席の女性と、思いっきり目が合いました。3人に流れる気まずい瞬間…陸橋の先は、雑木林が消え、田畑と人家ボチボチといった農村チックな風情になります。そんな景観で唯一異彩を放っているのが、杉妻(すぎつま)自動車学校の建物。私の通っていた大学の指定校で友人も何人かここのお世話になってましたが、実物は初めて目にしました。それにしても、この自動車学校を目にしてついつい思ってしまうのが、「杉妻」という漢字の訓み方。南福島からこのあたり一帯はかつて信夫郡杉妻村と呼ばれていたのでその名がついたんでしょうが、杉妻村の訓みは「すぎのめ」で、南福島にある小学校も「すぎのめ小学校」なんです。どうしてまた自動車学校だけが「すぎつま」なんでしょう。よくわかりませんが。自動車学校から先は人家が徐々に増え、蓬莱から来た旧4号線とも合流。ここが清水町宿です。とは言うものの、宿場町にしては少し淋しい印象は拭えません。「町」と名のつく地名ですが街村と呼ぶのが相応しいぐらいです。清水町宿から1.5キロほど南にある浅川新町(若宮)宿も、また同じ。ふたつを合わせてようやく一人前の宿場町という規模です。その浅川新町宿を過ぎると、福島大学の正面入口です。福島大学の入口というとキャンパスを挟んで西側に位置する金谷川駅から入るのが一般的で利用者数も恐らくそちらの方が多いと思うんですが、正面はあくまでこちら。大学移転当時(1979年)の旧国道4号線はまだ現役の国道でしたから、こういう措置が取られたんでしょう。たった2、30年前の事とはいえ、それなりの歴史を感じます。ところで、今日の散歩は、福島大学のある金谷川を終点にするつもりでいました。ところが時計を見ると、7時半。まだ出発してから1時間半しか経ってません。もう少し先まで歩こうと、気持ちを切り替えます。新たな目標は、金谷川から3キロ南にある松川の町です。相変わらず起伏の多い道をテクテク歩き、松川の町に入ったのは、8時のことでした。これで徒歩2時間。そろそろ散歩を切り上げようかと思います。でもここで気になるのは、帰りの足。松川の駅は町から2キロほど東に離れており、そこまで歩くのも億劫です(←散々歩いてきたのに・笑)。そこで、町中にあるバス停の時刻表を覗いてみると、なんと8時13分発の福島駅東口行という好便が! 迷わず、これに乗ることにしました。ちなみに、この便は松川町のすぐ北にある新興住宅地・美郷ガーデンシティや蓬莱ニュータウンを経由します。美郷を通るのは初めて、蓬莱もかれこれ10年ぶりぐらいでしょうか。街道歩きとは違ったワクワク感があります。このあたりまで来ると、帰りの行程も「小さな旅行」ですね(笑)最後に、福島駅を起点とした目安表を、ここに記します。ただし、これは私の脚によるものであり、決して標準的なものではないことを、お断りしておきます。【出発地点を福島駅とした場合】30分後 福島市太平寺 オークラボウル前1時間後 福島市清水町 杉妻自動車学校前1時間30分後 福島市金谷川 福島大学正門前2時間後 福島市松川町 松川町バス停前
2006.08.27
コメント(0)
さて、3度目の「奥州街道早朝散歩」です。5時40分に起床し朝食(カレーパン1個・笑)を摂った後、いつもは出勤に利用している桑折発6時30分の電車に乗って前々回のゴールだった峠の小駅・貝田まで。貝田着6時39分。ここから散歩の再開です。先日も記したように、貝田から200メートルほど歩くと、もう県境。ここから先は宮城県白石市で、今日のゴール予定の白石駅まで、白石市内を延々と歩くことになります。もっとも、分水嶺=県境という訳ではなく、県境から先も、緩やかな上り坂がしばらく続きます。300メートルぐらい歩いた先でしょうか。国道4号線と東北自動車道とが立体交差する箇所があって、そこが分水嶺。あとは下り勾配となります。下り坂を少し歩くと、旧道との分岐点に差し掛かるので、迷わずそちらへ。旧道に入るとすぐに、宿場町の集落に入ります。ここは、越河(こすごう)宿。仙台藩南端の宿場ということもあってか、家々が結構立派なのに驚きます。でも、しばらく歩いていると、言っちゃなんだが家屋がだんだん粗末というか、歴史を感じさせないものになっていく(苦笑)藩境に近い家々が立派なのは、やはり警備のためなのか。それとも何事にも華美を旨とする伊達家流の見栄なのか。いや、理由はもう少し別のところにあるのかもしれません。この越河にも東北本線の駅があるんですが、宿場町から2キロほど北の地点に設けられているんです。そのため、明治時代以降は集落自体が駅の方へと北に移動していった可能性があります。その証拠という訳ではないですが、越河では、地域の中核をなす小学校もJAも宿場町と駅のほぼ中間に位置しています。という訳で、越河の集落は奥州街道に沿って南北に細長く広がっているんですが、その北の方、越河駅寄りの一角に、「佐藤人形」のネオンを掲げた建物があります。夜間にここを通過する時など真っ暗な集落の中でこのネオンだけが真っ赤に輝いていて異彩を放っており、なんでこんなところに人形屋が? と常々思っていたものです。今回その社屋の前を通ることができたのでどんな所だろう? と見てみると、社屋の入口には「佐藤弓太刀製造所」の看板が。推察するに、元々は狩猟用具を製造していたようで、副業で人形の製作もしていたら何時の間にやら主従が逆転していた、といったところでしょうか。あと、越河にはもうひとつ、なんでこんなところに? と思わせる建物があります。集落から2キロほど北、旧道と国道4号線が合流した先にある「ウェディングホールはんざわ」という結婚式場。周囲には人家もなくこれまた妙なところにあるんですが、こちらもまた、隣に「和風レストラン はんざわ」なる食事処があって、食事処 → お祝い膳の提供 → ひいては披露宴の場所の提供 という発展を遂げていったのではないかと推察されます。ちなみに、その和風レストランのメイン料理は、鯉料理。鯉といえば、レストランの少し北にある馬牛沼で、鯉の養殖を行っています。レストランの食材も、ここで仕入れてるんでしょうか? 沼近辺はちょっとした休息所のようになっていて食堂や地元で採れた農産品の直売所があったりするんですが、沼そのものは「鯉供養碑」なるものが建っていたりしてちょいと不気味な部分もあったりします。しかし、鯉供養碑ぐらいで驚いてはいけなかった。馬牛沼から更に北へ1キロほど行き、再び国道4号線と旧道とが分岐した先にある斎川宿の南側入口では「孫太郎蟲供養碑」なるものを発見。なんじゃいマゴタロウムシって??? 帰宅してから調べてみると、孫太郎虫(蟲)とはヘビトンボの幼虫で、昔は干して疳の虫薬としていたんだとか(参考)。斎川は、その名産地であったようです。と、妙な供養碑連発で驚きましたが、斎川宿自体は、非常に落ち着いた感じのいでたち。しかも、比較的大きい宿場だったようです。時計を見ると既に8時近く。もはや早朝とは呼べない時間帯で集落内にも人の姿がチラホラとみられますが、どうにも気になるのはお年寄りしか見かけないこと。夏休み中の子供はまだ寝ているのか。それとも子供がいないのか。ちょっと気になるところです。斎川宿を過ぎると、再び国道4号線に合流。貝田から続いた下り勾配はこのあたりでようやく終わり、平坦でまっすぐな道を白石まで向かいます。2キロほど歩くと今度は白石市中心部を通る旧道が分岐。とは言うものの、曲がりなりにも50年前から市制施行している旧城下町・白石のこと。旧道沿いには新興住宅やらアパートやらが立て込み、しかもどういう訳か警察署まで移転してたりして、往時をしのぶものは殆ど残っていません。でも、白石の中心街に入ると、逆に様相が変わります。本町(もとまち)の商店街は歴史を感じさせる寺院や白石名産の温麺(うーめん)の製造所がちらほら見られ、昔から栄えていたことをしのばせます。もっとも、シャッター通りと化しつつある地方都市の中心街の例に漏れず、白石の中心街もまた、最近は苦戦続き。15キロほど北東にある大河原町や柴田町のショッピングセンターにクルマで買い物に出る市民も少なくないそうです。本町で再び時計を確認すると、8時41分。ちょうど2時間で、貝田から白石まで歩いたことになります。本町から白石駅まではすぐなので早速電車に乗って帰りたいところですが、そこはローカル線。福島方面への列車は9時38分発までないので、しばらく奥州街道沿いに、白石市内を散策することにします。地図で見ると、白石市内の旧道は、中心街を南北にまっすぐ突っ切っているように見えます。ところがそれは旧国道4号線であり、奥州街道のルートは、市街の南にある田町の交差点を曲って1本東側の通りに入り、そこから本町、中町の商店街を通り抜け、突き当たりを今度は国道113号線に西へと向かい、亘理町、更に旧4号線と直行して城北町を通り抜け、城北町西端の新町バス停のところで北に折れて白石川の川べりを進み、旧4号線の白石大橋の西側で白石川を渡る、というものでした。その通りに、歩いてみました。中町は近代的なアーケード街なので昔日をしのばせるものはありませんでしたが、亘理町や城北町は、ナマコ壁、あるいは洋館風の商店が見られ、なかなか趣のある町でした。一番印象に残ったのは、亘理町にある白石第一小学校の校門です。素朴な石造りの校門なんですけど、造りがどこか「寺子屋風」なんですよね。ああいう校門、他ではなかなか見られないんじゃないかなぁ? あと、城北町から見える白石城の復元天守閣もまた、良かったです。復元天守閣というとどこかケバケバした印象を受けるんですが、白石のは自然に、街とマッチしてましたね。ところで、こちらの日記で記した目安表、福島駅~白石駅間ということで、書き直しておきます。ただし、これは私の脚によるものであり、決して標準的なものではないことを、お断りしておきます。【出発地点を福島駅とした場合】30分後 福島市桜木町 福島競馬場正門前1時間後 福島市本内 福島本内郵便局前1時間30分後 福島市・伊達市境界 幸橋(摺上川)2時間後 桑折町成田 曙ブレーキ福島工場前2時間30分後 桑折町上町 桑折駅入口3時間後 国見町塚野目 公立藤田病院入口3時間30分後 国見町森山 県北中学校前4時間後 国見町貝田 貝田宿南側入口4時間30分後 白石市越河 越河宿(白石市民バス越河中央バス停付近)5時間後 白石市越河平 白石市立南中学校入口5時間30分後 白石市斎川 斎川公民館付近6時間後 白石市上久保 セブンイレブン前6時間20分後 白石駅着なお、白石駅から城北町~白石川河畔までは、約20分です。
2006.08.26
コメント(6)
3度目の「奥州街道早朝散歩」、いよいよ明後日となりました。スタートは初回のゴールだった貝田駅、ゴールは白石駅と決めてはいるものの、どのルートを通ろうか? 未だに悩んでいます。こちらの日記にも書いたとおり、このあたりの旧奥州街道は、旧宿場町の越河、斎川、そして白石市内を除いては国道4号線と一致するルート。早朝でも大型車が遠慮なしに通るし、特に越河と斎川との間はちょっとした休憩所となっている馬牛沼付近を除いて歩道が整備されているかどうかイマイチ微妙な区間なだけに、歩くのがちょっと怖い感じがします。迂回路らしいものも見当たらないしなぁ… と地図を見ながら思案していると、一筋の光明を発見。越河と斎川との中間に、中学校があるではないですか。となると、国道4号線は中学生の通学路ということになる訳で、ならば歩道がまったくないなんてことは多分ないだろうな(ただし、路肩がちょっと広くなっただけの歩道しかないケースも想定されますが)、と推察します。実際に歩くのも面白いけど、地図を見ながらあれこれ推察するのも、結構面白いものですね。
2006.08.24
コメント(2)
一昨日、昨日の「奥州街道早朝散歩」の続きを、来週以降にも行う予定でいます。まず手始めに出掛けるのは、一昨日の終点・貝田まで電車で行き、白石へと歩く約12キロの道のり。今度の土曜日に出掛けたいと考えています。越河、斎川といかにも宿場町らしい集落を通りかつ片倉家の城下町だった白石の街をゆっくり見ることができるので歴史好きの私には嬉しいものがある半面、両集落及び白石市中心部を除いては国道4号線を歩かねばならないのがネック。この辺の国道4号線って、歩道が整備されていたっけ? いまいち不安です。大型車には十分注意せねば。続いての散歩は昨日の終点・福島まで電車で行き、15年ほど前に私が住んでいた金谷川を目指します。体力がもてば、今度の日曜日に行けるかな?南福島までは平坦なルートなんですが、そこから先はアップダウンの連続。距離的には10キロあるかないかですが、息が切れそうな区間です。あと、この区間、旧道とはいえ特に福島方で交通量が結構多いんですよね。やはりクルマには気をつけなければならないでしょう。再来週の土日は所用があって散歩はできそうにないんですが、それ以降の週は、以下の行程で考えています。【第5回目】 白石市~大河原町 約13キロ【第6回目】 福島市金谷川~二本松市 約14キロ【第7回目】 大河原町~柴田町槻木 約8キロ【第8回目】 二本松市~本宮町五百川 約13キロ【第9回目】 柴田町槻木~名取市 約14キロ【第10回目】 本宮町五百川~郡山市 約10キロ【第11回目】 名取市~仙台市 約11キロう~ん、今秋中に全部歩けるかな? なるべく頑張ってみたいとは思いますが(笑)
2006.08.21
コメント(6)
昨日の貝田行きに味を占めた私。今度は旧国道4号線を南に向かって出発します。出発時間は昨日と同じ午後5時。昨日は水筒類を持たずに行った私ですが、今日は妻がペットボトルを持たせてくれました(笑)やたらと細長い桑折の宿場町を抜けると、田園風景が展開。が、伊達市伊達町に入ると再び住宅街に入ります。しかしその家並みは、桑折と違って古い家屋が少ないのが特徴です。伊達(長岡)は旧国道4号線に面してはいますが奥州街道の宿場町ではなく、今のJR伊達駅ができてから交通の要衝として栄えた町。そして近年は福島市のベッドタウンとしても発展し、中通り北部では珍しく人口が増加基調にあります。むしろ宿場町らしい景観を見せてくれるのは、伊達から摺上川を渡った先にある瀬上でしょう。1902年に町制を施行したと記録にあるから比較的大きな宿場町だったと推察されるし、それを示すかのように家並みに混じって蔵が目立ちます。また、町並みに醸造業の業者が目立つのも、瀬上の特徴です。瀬上から先も、旧国道4号線をひたすら南下します。取りたてて特徴のない住宅街を通り抜けると、松川に突き当たり旧道はここで跡切れてしまいます。仕方がないので、ここだけはすぐ東側を通っている現・国道4号線に移動し、松川を渡河します。ここから先は福島市の中心部。福島市のシンボル・信夫山が、すぐ目の前にそびえています。福島市中心部も旧国道4号線、ないしは旧奥州街道の跡をたどろうと思っていたんですが、詳しい資料を得る機会がないままに来てしまいました。とりあえず、1971年に廃止された福島交通軌道線の跡=旧道と勝手に解釈し、歩を進めます。この道は旧電車通りと呼ばれていて、今でも軌道が走っていた時代を思い起こさせるように商店街が残っています。旧電車通りに入るとまず目につくのが、大きな福島競馬場。今日はイベントがあるようですが、さすがに早朝だけあって人通りは殆どなく、いつも忙しそうに交通整理をしている警備員の姿もありませんでした。競馬場を過ぎると、いよいよ商店街。ただ、沿道の町の様子を見ると、商店街の「質」は町によって若干違うような印象を受けます。まず、競馬場のすぐ南にあるのが、浜田町の商店街。かつては福島大学教育学部、現在は福島東高校や福島大学附属中学が所在する学園町で、商店の構成も飲食店の割合がやや高めの印象。昔は古本屋もあったと記憶していますが、今もあるのかなぁ? 見逃しました(笑)その浜田町のすぐ南にあるのが、豊田町の商店街。浜田町と豊田町とは現在国道114号線によって隔てられていますが、江戸時代はここが福島城下の境目であり、豊田町は城下最北端の町でした。今でもその面影はわずかながら残っていて、往時をしのばせる雰囲気の旅館なんかがあったりします。豊田町から先は、北町、上町(うわまち)、大町、本町(もとまち)、栄町と軌道線のルートに沿って進み、福島駅に到着。到着時刻は、7時31分。桑折~福島間の距離は約13キロだから、おおよそ時速5キロで歩いたことになります。ところで、昨日、今日と2日間で福島~貝田間を歩いた訳ですが、この区間の奥州街道を歩く際のおおよその時間の目安を、とりあえず示しておきます。ただし、これは私の脚によるものであり、決して標準的なものではないことを、お断りしておきます。【出発地点を福島駅とした場合】30分後 福島市桜木町 福島競馬場正門前1時間後 福島市本内 福島本内郵便局前1時間30分後 福島市・伊達市境界 幸橋(摺上川)2時間後 桑折町成田 曙ブレーキ福島工場前2時間30分後 桑折町上町 桑折駅入口3時間後 国見町塚野目 公立藤田病院入口3時間30分後 国見町森山 県北中学校前4時間後 国見町貝田 貝田宿入口付近(貝田宿入口付近~貝田駅 約10分)
2006.08.20
コメント(2)
前の日記に書いた通り今朝は早朝散歩をしたので、帰宅後は一目散にシャワーを浴び、服を着替えました。そして、家族全員が起きたところで、朝食。朝食後は、子供たちが外で遊びたいというので、近くの公園まで連れ出します。このところの子供たちの遊びは激しさを増すばかりで、帰宅後は私も含めて全員汗びっしょり。本日2度目の着替えと相成ります。その後は冷房の効いた部屋で昼食、昼寝となり、とりあえずは小康状態を保ちますが、今日は夕方6時に人と会う約束があるため、出掛ける前に本日3度目の着替え。そして帰宅後入浴して4度目の着替え… と着せ替え人形のような一日となりました。おかげで、我が家の洗濯機はフル稼動。洗濯はもっぱら妻が行っているので、妻は朝から、洗濯だけで大忙しの状態でした。でも今日は、終日暑かったおかげで洗濯物も乾くのが早いこと! 夕方3度目の着替えをした時に着た服をよく見ると、なんと今朝の早朝散歩で着た服でした(笑)
2006.08.19
コメント(0)
数日前にこんな日記を書いたんですが、今朝、ものは試しとばかり、2時間ぐらい歩いてみました。行先は、福島県と宮城県との県境に位置する貝田駅。自宅のある桑折町からは9キロほどの道のりです。日記にコメントを寄せてくださったエッセッセさんのアドバイスに従い、貝田駅発の上り列車(7時01分発)に乗ることを想定して、朝5時に自宅を出発。やや早足で、国道4号線の旧道を、北へ北へと向かいます。陽が昇ったばかりの道って久々に歩きましたが、クルマの通行も殆どないし、気持ちいいものですね。病み付きになっちゃいそうです。でも、さすがは農村地帯。早起きして農作業に励む人を何人か見掛けました。時計を見ながら、更に北へと進みます。桑折町と国見町との境界(公立藤田病院そば)で30分経過、国見町藤田の町並みを抜けて国道4号線に面した国見町立県北中学校前で1時間経過。自分の足の目安も、明らかになってきます。そして1時間半が経過したところで、たどり着いたところは貝田の旧宿場町。集落が何度か大火に見舞われたとかで往年の家屋こそ殆ど残っていませんが、旧4号線沿いにズラリと並ぶ家並みは旧宿場町そのもので、タイムスリップしたような気分になります。そんな貝田の集落を通り抜けると、目的地の貝田駅。時計を見ると、6時41分。予定より若干早い到着です。余った時間を使って、駅のもう少し先まで歩いてみることにしました。駅から200メートルほど歩くと県境の標識があるので、とりあえずはその先まで行ってみたいと思ったんです。標識の先まで歩き一応宮城県に足を印した上で、再び貝田駅へ。無人駅ですが地元住民の方が丁寧に手入れしており、なかなかきれいな構内です。そんな構内で「勝利の一杯」といきたいところでしたが、あいにくアルコール類が手に入りそうな貝田駅前ではなかったので、とりあえず駅の自販機でアクエリアスを買い、グイッと飲み干しました。
2006.08.19
コメント(2)
最近、自宅から一日中歩いたらどこまで行けるんだろう? と夢想する時があります。理論上は、1時間で4キロ、1日で30キロぐらいは歩けるかな? 北なら宮城県の大河原、南なら福島県の二本松あたりまでは行けそうです。でも、一日中歩いたら、相当疲れそうだなぁ(苦笑) 1日だけだったらガマンできそうですが、2日、3日と続けて歩くのは、相当しんどそうです。時間と体力があれば、何日もかけて東京とか、青森とか、行ってみたいと思うんですけどね。ちなみに、いままで一番長い距離を歩いたのは、確か20歳の時でしたか。友人と飲み会をやって午前様になってしまい、福島市の中心部から当時住んでいた金谷川の自室まで歩いて帰った時のこと。片道にして10キロ近い距離だったと思うんですが、かかった時間は2時間ぐらい。帰宅する頃には陽が昇っていました。最低でも、このぐらいの距離は、歩いてみたいなぁ。とりあえずは、徒歩で宮城県との県境を跨いでみたいと思ってます。
2006.08.13
コメント(2)
全518件 (518件中 501-518件目)