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当時の私は思いました。“それにしても何故そんな大金を部屋においておいたのだろう?”お世辞にも空き巣に狙われるような部屋ではありません、築15年以上の2DKのアパートです。私が通勤で使う車もカローラです。空き巣は家内が出産費用の40万円を押入れの中に保管していたことを知っていたのでしょうか。私はそのことを口に出してみました。「それにしても、なぜそんな大金を置いていたのか・・。」「そう、それです、大金を自宅に置かないことが大切ですが、 奥さんの場合は、出産前で精神的に不安だったようですよ、 急に産気づいたときのことを考えると、ということのようです。」警察官の説明を聞き、一応納得しましたが、やはり腑に落ちない感じ、心に何か引っかかる物が残りました。急に産気づいても、40万円の現金を持つ必要はないと思います。後で私が振り込めばよいことですし、いくらなんでも、子供を生むために病院に入ったと同時に費用を全額請求されることもないと思います。しかし、当時の私は妻をとがめることも、説明を求めることもしませんでした。初めての出産の前で不安でしょうし、家内がお金を自宅の部屋にお金を置かなければ、盗られることはなかったのでしょうが、実際に盗まれて、本人がそれを一番痛感しているだろうと思ったからです。しかも、当時の私は休みが取れず、もうすぐ子供が生まれるかもしれないというのに、職場に泊まることも多く、出産の準備を家内と一緒にしたり出産後の予定をたてたりしてあげることが出来ない状況でいました。そんなこともあり、お金を盗まれたのはショックでしたが、時期も時期なので家内のためにも早く忘れようと考えたのです。
2005年01月28日
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2DKの部屋に警察官が三人もいると、もう、それだけでそこは騒然とした雰囲気でした。入口の扉は開けられたままでした。“あー、現場検証してる・・・。”私はまず家内の姿を探し、声をかけました。「大丈夫か?」彼女は不安げな表情でしたが、それでもはっきりと頷いていました。部屋の中で荒らされていたのは三箇所だけでした。タンスの一番上の引き出し、家内の小物入れの箱、そして押入れの中。全体的にひどく荒らされた訳ではなく、まるで大切なものがどこに入っているのか知っていたかのような開け方でした。出産費用のお金は押入れの中に置かれた小物入れの引き出しの中から盗まれたということでした。私服の警官は私の顔を見るやいなやこう言いました。「まあ・・、空き巣だね。」「はい・・・。」“なんだ、挨拶もしないのか。”私は空き巣のショックも覚めやらない中、警部と名乗るその警察官の極端に常識を欠いた態度に少し驚きました。“ふーん、こいつ警部なんだ、なんで警察官て横柄な態度のやつが多いんだろう、 こいつにいたっては挨拶さえ出来ない。こういうのに育てられる部下や 子供はどうなるんだろう。“「あんまり荒らされていないんですねえ・・。」黙っているのも何なので、話題を振るつもりで言った一言が、私服警官の表情を変えました。「それはね・・。」彼はその質問を待っていましたとばかりに、得意げに説明を始めました。その表情も、声のトーンも明らかに変わり、全体的に1オクターブほどトーンが上がった感じでした。プロの空き巣は事前に何度も下調べを行い、無駄な行動は極力行わないということを、何度も説明、というより私に教えてくれました。その彼の様子は嬉しそうにさえ見えました。いまどき、そんなこと誰でも知ってるんじゃあないかなあ、と思いながら、私は「なるほど。」とか「そうなんだ。」などと相槌を入れながら、したり顔で彼の話を聞いていました。“こいつ馬鹿かも・・。”空き巣の被害にあった人間に、気遣いのかけらもなく、必要のない説明を繰り返す警察官の姿に、無駄な時間の流れを感じた私は、妻が大丈夫なら職場に戻ろうと思いました。休めばそれだけ仕事がたまってしまうのです。
2005年01月27日
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嘘は好きではありませんし、ましてや、お金のことで家内に欺かれるのは、我慢ならないことです、しかし、私は嘘をつき続けた彼女の心情を想像せずにはいられません。彼女が私に秘密で多額の借金をしていたことが発覚した時に思い出されたのが、先ず、この私名義の消費者金融のカードを渡したことでした。そして、次々と、今までに起きたことや、ちょっとした不自然な出来事が一本の糸で繋がってゆくように、思い出されてきました。こんなこともありました、本人に確認をとっていませんし、する気もありませんが、この出来事も、彼女による嘘だったのかもしれないと考えると、私はとてもやるせなくなりました。私たちは最初に暮らし始めたG市で一年半ほど過ごし、会社から異動の辞令が下されたため、地元の横浜市に戻ってきていました。家内のお腹には子供がおり、臨月を迎えていました。そして幸運にも、昇格人事が二回も続き、私は店長になっていました。その事件は、私が店長会議に出席しているときに起こりました。家内から会議を行っている会場に私宛に連絡が入り、その内容を聞き、私は驚き、目の前が少し暗くなるような感覚を覚えました。“家に空き巣が入り、出産費用の40万円を盗まれてしまった。”その知らせを聞いてすぐに私は上司の許可をとって、急いで帰宅しました。部屋に戻ると、すでに警察が来ていました。私服の警官が一人と制服の警官が二人いたのを覚えています。
2005年01月26日
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もともと消費者金融は利用したくなかったし、借金も完済していたので、私はそのカードを処分しようと思いました。そのことを何気なく、妻に話すと、当時の私にとって以外な答えが返ってきました。「K社のカードが出てきたけど、もう使わないから処分するよ。」「え、捨てるの?」「うん、必要ないし、今度何かお金が必要なときは銀行から融資を頼むとか、 そうなるでしょ。」「・・・・・。」「うん?」「それ、捨てるの待たない?」「どうして?」「病気とか、急にお金が必要になったときに役に立つかもしれないし、 普段使わなければ問題ないなら、一応、とっておいた方が良いと思うんだけど。」「・・・・なるほど、確かに、50万までなら、サッと借りれるしね。」「イザというときに・・。」「分った、とっておこう。じゃあ、これは君が持っててくれる?無くしそうだから、でも、いつでも出せるようにしておいてくれるかな、やはり持ってて気持ちが良いものじゃあないし、貯えができればやはり処分したいから。」 「分った。」そんなやりとりだったと思います。当時の私は、なんの疑問も持たず、彼女にそのカードを渡しました。最初から彼女はそのカードを使って、借金の補填に当てるお金を借りるつもりだったのでしょう。いくら私が彼女の思惑を知らず、無知だったとはいえ、何故、もっと疑問を持たなかったのでしょうか、しかも、私は自分でいずれは処分をするようなことを言っておきながら、そのカードの存在は瑣末な日常の中で忘れ去り、一度も彼女にそのことを確認したことはありませんでした。我ながら、だらしのない話です。このように、当時から今までを振り返ると、お金に関して腑に落ちないことが家の中で、たた発生していたと思います。彼女が莫大な借金をしていたことが発覚した今、ようやく、分ったことですが、おそらくそれらは全て彼女の借金が原因だったことによることばかりだったのではと思います。真偽はわかりませんが・・。とにかく、それらは彼女に借金があるがゆえの信号であったと私は考えているのです。数年間にわたり、何度もその信号はあったと思います。でも、私は気づかなかったのです。誰でも、嘘をつくことはあると思います。とある本には、人は一日のうちに何度も嘘をついていると書いてありました。私も嘘をつくことはあります。嘘は好きではありませんし、ましてや、お金のことで家内に欺かれるのは、我慢ならないことです、しかし、私は嘘をつき続けた彼女の心情を想像せずにはいられません。
2005年01月22日
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毎日の仕事が終わり。帰宅するのは午前零時から三時の間でした。彼女は、必ず起きて、食事の準備をして待ってくれていました先に寝ていたことはなかったと思います。まだ子供がいなかったので生活パターンを完全に私に合わせていたようです。当時の私は職場で、新しい上司との折り合いが悪く、また自身の従業員への指導が厳しすぎたため、店舗内で皆から嫌われており、それでも、自分のやっていることは間違っていないと考え、かたくなに、やり方を変えずに、状況を変えられないまま、馴染めない土地柄とも相まって消耗し続けていました。そして、けだるい表情を引きずったまま帰宅すると、妻は昼間の出来事の愚痴や自分の話ばかり私にします。彼女の話を聞いて、そして今度は私が仕事の話をすると、相槌がひとつ入っただけで、また彼女が自分の話に切り替える、結局私の話はほとんどないまま、彼女の話がつづいてゆく、仕事もなく、他人とほとんど接することがないのでそうなるのでしょうか、そんな毎日の決まった会話の展開にも疲れ、段々と私はあまり彼女の話を聞かずに、“うん”“そうだね”と相槌ばかり打っているような感じになりました。そんな雰囲気の毎日だったと思います。二人で暮らし始めてから、一ヶ月ほど過ぎたころだったでしょうか、休みの日に、自分の持ち物を整理していると、結婚前に借金をした消費者金融のS社のカードが出てきました。もともと消費者金融は利用したくなかったし、借金も完済していたので、私はそのカードを処分しようと思いました。そのことを何気なく、妻に話すと、当時の私にとって以外な答えが返ってきました。
2005年01月11日
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私の部屋の近くに、2DKの部屋を借りて、私たちはそこに移り住みました。東京から電車で一時間三十分くらいの小さなG市という町でした、その町では、車での移動が主流のため、足(車)のない妻のために、駅に近く買い物のできる物件を探すのに苦労しました。でも、地元の横浜に比べると家賃が安く、私の会社から出る家賃補助額の範囲内で、毎月の支払いが済んだのを覚えています。そこでの生活は「バラ色の新婚生活」という訳にはゆきませんでした。妻も私も、二年近く、私は一人身のころから数えるとそれ以上、その土地で暮らしましたが、そこに馴染めることはありませんでした、それは、その土地一帯の車のマナーの悪さ、スーパーや飲食店などの、従業員の接客態度の悪さなどが原因でした。自分達が生まれ育った神奈川が、特別良い土地柄だとは今でも思いませんし、私の実家が近い川崎などは、今はわかりませんが、私が子供の頃は、全国有数のガラの悪さだと土地の人たちが認めるほどでした。しかし、その土地での生活は、どこに出かけても腹を立てることが多かったのを覚えています。始めのうちは、自分達の気のせいではないかと考えていましたが、三ヶ月も過ぎると確信を持つようになりました。私たちは月に二度三度くらいは、妻の実家に戻りましたが、その度に、その土地と地元との違いを痛感し、家内が妊娠してからは、真剣にその土地から離れることを考えていました。そして、以前に紹介した新店での私の勤務状況は、直属の上司が換わることによって全く違うものになっていました。細かい部分はお話しませんが、そこでの二年の間に、私は胃を壊し、痔を患いました。胃を壊した頃は、常に痛みがあり、激痛が走るため食事をすることが難しく、口の中がただれていたため、しばらくの間は毎日、口内に麻酔を病院でかけてもらってから冷めたおかゆなどをたべていました。麻酔なしでおかゆが食べられるようになった頃、以前から傾向のあった痔が悪化し、座っていることができず、排便の度に出血がひどくなり、一時期は血が止まらないほどでした。仕事による不規則な生活とストレスが原因と、それぞれの医者から診断を受けました。最低でも一週間は休みをとるように言われましたが、私は休まず働きました。今思えば、そこはきちんと休むべきだったと思いますが、当時の私は、父と別れる間際に言われた言葉が頭から離れず、何をするにも力が入り過ぎていたようです。その時も強い人間でありたくて、仕事を休むことや、弱音や愚痴は御法度と自分の中で強く思い込んでいました。
2005年01月07日
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