全8件 (8件中 1-8件目)
1
熊野詣とは、和歌山県にある「熊野本宮大社」 「熊野速玉大社」 「熊野那智大社」の3つの神社を参詣することです。日本国内に約3千社ある熊野神社の総本社であり、この3つの神社の総称を『熊野三山』と呼びます。平成16年(2004年)7月に、ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』に登録されました。せっかくですので、近隣の縁ある神社仏閣にもお参りしましょう。「飛瀧神社」 「妙法山 阿弥陀寺」 「白華山 補陀洛山寺」 「阿須賀神社」に続いては「神倉神社」です。主祭神:天照大神・高倉下命創 建:景行天皇58年(128年)旧社格:村社所在地:和歌山県新宮市神倉神倉神社は、熊野速玉神社の摂社であります。神倉山の中腹に鎮座し、境内外縁は断崖絶壁になっております。神域である神倉山は、昭和33年(1958年)和歌山県指定史跡に指定されました。山上には『ゴトビキ岩』と呼ばれる巨岩が御神体として祀られております。ゴトビキとは熊野の方言でヒキガエルのことです。一の鳥居です。ここから538段ある急勾配の鎌倉積み石段を登らなければなりません。この石段は、建久4年(1193年)に源平合戦における熊野の功労を賞して源頼朝が寄進したと伝えられています。綺麗に整備された石段ではないので、かなりキツいです。写真ではわかりづらいかもしれませんが、急勾配です。手すりもないので、登るにつれて足がすくみます。でも、しんどいのも怖いのも下りの帰り道でした。。生い茂った木々から差し込む太陽の光が幻想的です。石段を登りきると二の鳥居があります。そして、二の鳥居をくぐり、上を見上げれば御神体の『ゴトビキ岩』です。急勾配の石段を登りきった達成感、御神体の神々しい存在感。感無量です。言葉では言い表せない気持ちです。自然と涙が頬を伝います。境内からさらに登り御神体のすぐ近くから、新宮市街、熊野灘を一望。最後に神倉神社のご朱印です。さて、これで私の熊野詣は終わりです。今回、熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社に飛瀧神社・阿弥陀寺・補陀洛山寺・阿須賀神社・神倉神社の計8箇所をUPしました。実際は、上記8箇所以外に、青岸渡寺・熊野三所大神社も参拝しているのですが、この2箇所については、また別の機会に紹介したいと思います。にほんブログ村釣行記 ブログランキングへ
Jan 4, 2013
熊野詣とは、和歌山県にある「熊野本宮大社」 「熊野速玉大社」 「熊野那智大社」の3つの神社を参詣することです。日本国内に約3千社ある熊野神社の総本社であり、この3つの神社の総称を『熊野三山』と呼びます。平成16年(2004年)7月に、ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』に登録されました。せっかくですので、近隣の縁ある神社仏閣にもお参りしましょう。「飛瀧神社」 「妙法山 阿弥陀寺」 「白華山 補陀洛山寺」に続いては「阿須賀神社」です。主祭神:事解男命配祀神:熊野速玉大神・熊野夫須美大神・家津美御子大神合祀神:黄泉道守命・建角美命・宮戸社・八咫烏社創 建:不詳(孝昭天皇時代)旧社格:村社所在地:和歌山県新宮市阿須賀熊野速玉大社の近くにある神社なんですが、奥まった場所にあるため、訪れる参拝者は大社に比べると全然少ないのですが、平安時代後期から12世紀前半までの中世熊野参詣では、阿須賀神社に参詣することが常であったといわれています。阿須賀神社は、熊野川河口近くにある蓬莱山と呼ばれる小丘陵の南麓に鎮座しています。阿須賀神社は蓬莱山を神体山として祀っています。蓬莱山は昭和33年(1958年)和歌山県指定史跡に指定されました。一の鳥居です。二の鳥居です。拝殿です。拝殿の奥に見える山が神体山の蓬莱山です。徐福之宮です。阿須賀神社の境内摂社です。徐福とは、始皇帝に仕えていた紀元前3世紀の中国、秦の時代の人物です。徐福は始皇帝の「不老不死の仙薬を探して来い」との命令を受けて、少年少女3000人を伴う大船団で東海に船出し、そして2度と秦に戻ることはなかったといいます。その徐福が阿須賀の地に上陸し、蓬莱山の麓に住みついて、里人に農耕や捕鯨、造船、製紙などの技術を伝えたのだといいます。徒歩で数分、北に行ったところには徐福の墓までもがあります。最後に阿須賀神社のご朱印です。熊野本宮大社 ・ 熊野速玉大社 ・ 熊野那智大社 ・ 飛瀧神社 ・ 妙法山 阿弥陀寺白華山 補陀洛山寺次はいよいよ最後です。神倉神社に行ってみましょう♪にほんブログ村釣行記 ブログランキングへ
Jan 3, 2013
熊野詣とは、和歌山県にある「熊野本宮大社」 「熊野速玉大社」 「熊野那智大社」の3つの神社を参詣することです。日本国内に約3千社ある熊野神社の総本社であり、この3つの神社の総称を『熊野三山』と呼びます。平成16年(2004年)7月に、ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』に登録されました。せっかくですので、近隣の縁ある神社仏閣にもお参りしましょう。「飛瀧神社」 「妙法山 阿弥陀寺」に続いては「白華山 補陀洛山寺」です。山 号:白華山寺 号:補陀洛山寺本 尊:十一面千手観世音菩薩開 基:裸形上人創 建:仁徳天皇の世(4世紀)宗 派:天台宗所在地:和歌山県東牟婁郡那智勝浦町浜の宮仁徳天皇の治世にインドから熊野の海岸に漂着した裸形上人によって開山されたと伝えられ、平安時代から江戸時代にかけて人々が観音浄土である補陀洛山へと小船で、那智の浜から旅立った宗教儀礼『補陀洛渡海』で知られる寺であります。本堂です。現在ある本堂は平成2年(1990年)に再建されたもので、高床式四方流宝形室町様式で造られています。本尊の十一面千手千眼観世音菩薩は、一木造の立像で平安時代の作であり、昭和57年(1982年)国の重要文化財に指定されています。本尊は秘仏となっており、1月27日・5月19日・7月10日の年3回開扉されます。他には、梵天立像・帝釈天立像は、それぞれ昭和60年(1985年)、那智勝浦町指定有形文化財に指定されております。渡海船を復元した模型です。渡海船は、船上に屋形が造られ、その屋形には扉がなく、屋形に人が入ると、入口の板を外から釘で打たれ固定されます。その屋形の四方には4つの鳥居が建っており「発心門」「修行門」「菩薩門」「涅槃門」の死出の四門を表しているとされております。渡海は北風が吹き出す旧暦の11月に行われ、渡海船は伴船に沖まで曳航され、綱切島近くで綱を切られ、朽ちたり大波によって沈むまで漂流します。渡海僧は、船が沈むまでの間、密閉された暗く狭い空間にて、ただひたすら読経し、入水往生を遂げたのです。18世紀の初頭まで、こうした渡海が続けられておりました。特に補陀洛山寺の住職は61歳になると渡海を行うことが習慣化されておりました。江戸時代以降は生者の渡海は行われず、代わって住職が亡くなると補陀洛渡海の方法にて水葬を行う様になりました。かつて補陀洛渡海をおこなった人々の名を刻んだ石碑です。貞観10年(868年)の慶龍上人から享保7年(1722年)の宥照上人までの25人が刻まれております。白華山 補陀洛山寺の御宝印です。那智勝浦町に甚大な被害を与えた台風12号が上陸する1ヶ月前にいただきました。熊野本宮大社 ・ 熊野速玉大社 ・ 熊野那智大社 ・ 飛瀧神社 ・ 妙法山 阿弥陀寺次は阿須賀神社に行ってみましょう♪最後に。那智勝浦町は2011年9月7日の台風12号により甚大な被害を被りました。被害に遭われた方のご冥福をお祈りし、1日も早い復興を願います。にほんブログ村釣行記 ブログランキングへ
Jan 3, 2013
熊野詣とは、和歌山県にある「熊野本宮大社」 「熊野速玉大社」 「熊野那智大社」の3つの神社を参詣することです。日本国内に約3千社ある熊野神社の総本社であり、この3つの神社の総称を『熊野三山』と呼びます。平成16年(2004年)7月に、ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』に登録されました。せっかくですので、近隣の縁ある神社仏閣にもお参りしましょう。「飛瀧神社」に続いては「妙法山 阿弥陀寺」です。山 号:妙法山寺 号:阿弥陀寺本 尊:阿弥陀如来開 基:蓮寂上人創 建:大宝3年(703年)宗 派:高野山真言宗所在地:和歌山県東牟婁郡那智勝浦町南平野寺伝では、唐の僧である蓮寂上人が法華三昧を修し、法華経を書写して山頂に埋経し、その上に釈迦如来を安置したのが現在の奥の院の基とされ、これを開創であるとしています。その後、空海が高野山を開かれる前の年、弘仁6年(815年)に妙法山で修行し、阿弥陀如来の極楽浄土への入口として山腹に堂を建て阿弥陀如来を本尊とし、阿弥陀寺と呼ばれる様になったと伝えられています。山門です。お寺なんですが、鳥居になってますね。山の中に造られた古いお寺の山門は鳥居になってることがあるんです。本堂です。昭和56年(1981年)原因不明の火災により本堂が消失し、現在の本堂と本尊は昭和59年(1984年)に再建されたものであります。元の本堂は、永正6年(1507年)建立で和歌山県指定文化財に指定されていました。鐘楼です。熊野では、死者の枕元に供える3合の枕飯が炊き上がるまでの間、死者の霊魂は、枕元に手向けられた樒(しきみ)の葉を手にして妙法山に参詣し、鐘を衝くと伝えられており、阿弥陀寺の鐘は『亡者の一つ鐘』と呼ばれています。現在の鐘は延宝6年(1678年)の再鋳造と伝えられ、那智勝浦町指定有形文化財に指定されています。現世安穏と先祖菩提のために、生前に一度は衝いておくべきと伝えられています。納骨髪堂です。平安時代から鎌倉時代にかけて盛んに行われた「蟻の熊野詣」といわれる熊野参詣の旅人達が、極楽浄土へ行けることを願って毛髪をここに納めました。その後、室町時代から現代に至るまで亡き人の菩提を弔うために人々が遺髪や遺骨を納めていきます。紀南地方の人々は、その宗旨に関わらず「お髪上げ」といい妙法山を訪れます。火生三昧跡です。平安時代の法華支持者である応照上人が火生三昧(焼身による捨身行)をおこなった遺構と伝えられております。応照上人は、すべての衆生の罪を我が身に負って、その罪ごと身体を焼き尽くすことを志し、食を断って心身を浄化した末、薪の上に座し、紙の衣をまとい、自ら火を放ちました。身体が燃え尽きるまで読経の声がやむことはなかったと伝えられております。妙法山 阿弥陀寺の御宝印です。那智勝浦町に甚大な被害を与えた台風12号が上陸する1ヶ月前にいただきました。熊野本宮大社 ・ 熊野速玉大社 ・ 熊野那智大社 ・ 飛瀧神社次は補陀洛山寺に行ってみましょう♪最後に。那智勝浦町は2011年9月7日の台風12号により甚大な被害を被りました。被害に遭われた方のご冥福をお祈りし、1日も早い復興を願います。にほんブログ村釣行記 ブログランキングへ
Jan 2, 2013
熊野詣とは、和歌山県にある「熊野本宮大社」 「熊野速玉大社」 「熊野那智大社」 の3つの神社を参詣することです。日本国内に約3千社ある熊野神社の総本社であり、この3つの神社の総称を『熊野三山』と呼びます。平成16年(2004年)7月、ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』に登録されました。せっかくですので、近隣の縁ある神社仏閣にもお参りしましょう。まずは、熊野那智大社の別宮となります「飛瀧神社」に参ります。主祭神:大己貴命創 建:不詳所在地:和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山飛瀧神社は熊野那智大社の別宮であります。那智滝自体が御神体であるため、本殿は存在せず拝殿もありません。境内より直接滝を拝むことになります。神武天皇が大滝を神として祀り、大己貴命の御神体と仰ぎ、後に飛瀧権現と称し、今日の飛瀧神社となったといわれております。一の鳥居です。拝所です。本殿は存在せず拝殿もありません。落差は133mに及び、落差日本一であります。昭和47年(1972年)国の名勝に指定されました。華厳滝・袋田の滝とともに『日本三大名瀑』に数えられております。毎年、7月9日と12月27日に御滝注連縄張替行事が行われます。延命長寿の水です。滝の飛沫に触れることにより、延命長寿の霊験があるとの伝説もあります。こちらの杯で延命長寿の水をいただきます。飛瀧神社のご朱印です。5年前に参詣したときにいただきました。熊野本宮大社 ・ 熊野速玉大社 ・ 熊野那智大社次は阿弥陀寺に行ってみましょう♪最後に。那智勝浦町は2011年9月7日の台風12号により甚大な被害を被りました。大勢の方が亡くなられ、この那智大瀧も、本日現在、元通りにはなっておりません。被害に遭われた方のご冥福をお祈りし、1日も早い復興を願います。にほんブログ村釣行記 ブログランキングへ
Jan 1, 2013
熊野詣とは、和歌山県にある「熊野本宮大社」 「熊野速玉大社」 「熊野那智大社」の3つの神社を参詣することです。日本国内に約3千社ある熊野神社の総本社であり、この3つの神社の総称を『熊野三山』と呼びます。平成16年(2004年)7月、ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』に登録されました。主祭神:熊野夫須美大神創 建:不明(仁徳天皇時代)旧社格:官幣中社所在地:和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山かつては、那智神社・熊野夫須美神社・熊野那智神社などと名乗っていました。近世末期の那智大社には数多くの社僧坊舎があり、明治6年(1873年)に県社に指定されるとともに那智神社と称し、さらに熊野夫須美神社と改称しました。大正10年(1921年)に官幣中社に昇格し、熊野那智神社と改称し、昭和38年(1963年)に熊野那智大社と改称し今日に至ります。一の鳥居です。拝殿になります。社殿が並んでいます。社殿及び鈴門と端垣は、天正9年(1581年)の堀内氏善との戦いで消失した後、嘉永7年(1854年)の再建とされており、平成7年(1995年)国の重要文化財に指定されております。社務所前の山桜、本殿脇の枝垂桜は和歌山県指定天然記念物に指定されております。社殿手前の樟は樹齢800年を超える平重盛の手植えと伝えられています。熊野那智大社のご朱印です。5年前に参詣したときにいただきました。熊野本宮大社 ・ 熊野速玉大社これで、熊野三山(「熊野本宮大社」「熊野速玉大社」「熊野那智大社」)参詣となりますが、せっかくですので、近隣の縁ある神社仏閣にもお参りしましょう。次は飛瀧神社です♪最後に。那智勝浦町は2011年9月7日の台風12号により甚大な被害を被りました。被害に遭われた方のご冥福をお祈りし、1日も早い復興を願います。にほんブログ村釣行記 ブログランキングへ
Jan 1, 2013
熊野詣とは、和歌山県にある「熊野本宮大社」「熊野速玉大社」「熊野那智大社」の3つの神社を参詣することです。日本国内に約3千社ある熊野神社の総本社であり、この3つの神社の総称を『熊野三山』と呼びます。平成16年(2004年)7月、ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』に登録されました。主祭神:熊野速玉大神・熊野夫須美大神創 建:景行天皇58年(128年)旧社格:官幣大社所在地:和歌山県新宮市新宮1871年、近代社格制度のもと熊野速玉神社として県社に列格、大正4年(1915年)官幣大社に昇格しました。一の鳥居です。本宮大社と違いこちらは鮮やかに朱塗りされています。拝殿になります。社殿が並んでいます。高さ20m、幹回り6mのナギは、樹齢1,000年以上で平重盛手植えと伝えられ、昭和15年(1940年)国の天然記念物に指定されました。ナギとしては日本最大級で熊野速玉大社の御神木とされています。最後に熊野速玉大社のご朱印です。5年前に参詣したときにいただきました。熊野本宮大社はコチラ次は熊野那智大社へ参ります♪にほんブログ村釣行記 ブログランキングへ
Jan 1, 2013
熊野詣とは、和歌山県にある「熊野本宮大社」「熊野速玉大社」「熊野那智大社」の3つの神社を参詣することです。日本国内に約3千社ある熊野神社の総本社であり、この3つの神社の総称を『熊野三山』と呼びます。平成16年(2004年)7月、ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』に登録されました。主祭神:家都美御子大神・熊野坐大神・熊野加武呂乃命創 建:崇神天皇65年(紀元前33年)旧社格:官幣大社所在地:和歌山県田辺市本宮町本宮1871年、熊野坐神社として国幣中社として列格し1915年に官幣大社に昇格しました。一の鳥居です。朱塗りされておらず、鮮やかさはないですが、厳かな雰囲気を感じます。社殿が並びます。こちらも朱塗りの鮮やかさはありません。熊野独特の建築様式で、重要文化財に指定されています。現在の社地は山の上にありますが、明治22年(1889年)の大洪水で流されるまで、社地は熊野川の中洲にありました。現在、旧社地は『大斎原(おおゆのはら)』と呼ばれ、日本一高い大鳥居(高さ33.9m、横42m、鉄筋コンクリート造、平成12年完成)が建っております。ほんとに大きいですね。祀られている上四社は現在の社地に再建されましたが、中四社と下四社の社殿は再建されず、旧社地に2基の石祠が建てられております。最後に熊野本宮大社のご朱印です。5年前に参詣したときにいただきました。次は熊野速玉大社へ参ります♪にほんブログ村釣行記 ブログランキングへ
Dec 31, 2012
全8件 (8件中 1-8件目)
1