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それでは、興福寺の境内をもう少しみてまいりましょう。興福寺 南円堂1はこちら 興福寺 南円堂2はこちら興福寺 南円堂3はこちら三重塔です。高さは19.1mです。康治2年(1143年)、崇徳天皇の中宮である皇嘉門院が建立しました。北円堂とともに興福寺最古の建造物で、国宝に指定されています。塔内の須弥壇には、弁財天、十五童子を祀っています。五重塔です。高さは50.1mです。木造塔としては、京都の東寺の五重塔に次いで、日本で2番目に高い塔です。天平2年(730年)、興福寺開基の藤原不比等の娘である、光明皇后が建立しました。現在の五重塔は、応永33年(1426年)頃の再建とされ、国宝に指定されています。塔内初層には、薬師三尊、釈迦三尊、阿弥陀三尊、弥勒三尊を安置しています。最後に御宝印です。御宝印は、参拝の度に重ねる方も多いのですが、私は1度だけ授かる様にしていますので、今回は新たに御宝印はいただいておりません。この御宝印は、興福寺 南円堂の御宝印で、本堂の御宝印ではございません。これで、第六番から再開した第二幕は終了です。次回は、第十番札所『明星山 三室戸寺』です。第十番、第十一番札所は、山城國ということで、京都ですね。次回、第三幕、日程はまだ未定ですが、3月中には行きたいな。行程表更新しております。過去の巡礼記録はこちらから↓熊野詣 西国三社参り 西国三十三観音霊場 ファッション・ブランド品のお買い得情報はこちらをどうぞ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
Feb 28, 2013
本堂(仮金堂)、南円堂とお参りを済ませて、境内をみてまわりましょう。興福寺 南円堂1はこちら 興福寺 南円堂2はこちら北円堂です。南円堂と同じく八角堂ですね。大きさは、南円堂より少し小さい様です。養老5年(721年)、元明太上天皇と元正天皇によって建立されました。現在の北円堂は、承元4年(1210年)頃の再建らしいです。南円堂は国の重要文化財に指定されていましたが、北円堂は国宝に指定されています。こちらの御本尊は弥勒菩薩ですね。御本尊は木造の坐像で、建暦2年(1210年)頃の作といわれ、国宝に指定されています。脇侍に法苑林菩薩と大妙相菩薩が安置されています。他には、無著菩薩・世親菩薩も安置されています。こちらは、木造の立像で鎌倉時代の作、国宝に指定されています。さらに、木心乾漆造の四天王立像も安置されており、こちらも国宝に指定されています。さて、創建時には3つあった金堂(中金堂・東金堂・西金堂)のうち、現存している唯一の金堂が東金堂です。東金堂です。中金堂の東側に建てられており、西向き(中金堂向き)に建てられています。神亀3年(726年)、聖武天皇が叔母である元明太上天皇の病気平穏を祈願して建立しました。現在の東金堂は、応永22年(1415)の再建で、国宝に指定されています。こちらの御本尊は薬師如来です。脇侍に日光菩薩・月光菩薩を安置する薬師三尊ですね。御本尊は室町時代の作といわれ、銅造の坐像、国の重要文化財に指定されています。脇侍の日光菩薩・月光菩薩は、銅造の立像で、こちらも国の重要文化財に指定されています。堂内には、他に文殊菩薩、維摩居士、四天王、十二神将が祀られています。文殊菩薩は鎌倉時代の作といわれ、木造の坐像、国宝に指定されています。維摩居士も鎌倉時代の作で、木造の坐像、こちらも国宝に指定されています。四天王は、平安時代の作で、木造の立像、こちらも国宝に指定されています。十二神将は、鎌倉時代の作で、木造の立像、こちらも国宝に指定されています。それでは、次回、もう少し境内を散策してみましょう。行程表更新しております。過去の巡礼記録はこちらから↓熊野詣 西国三社参り 西国三十三観音霊場 ファッション・ブランド品のお買い得情報はこちらをどうぞ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
Feb 27, 2013
それでは、本堂(仮金堂)でお参りを済ませて、札所本尊を祀る『南円堂』にお参りしましょう。興福寺 南円堂1はこちら南円堂です。藤原冬嗣が父である藤原内麻呂の追善のために、弘仁4年(813年)に建立しました。現在の南円堂は、寛政元年(1789年)の再建で国の重要文化財に指定されています。特別開扉がない限り、10月17日の大般若経転読会で開扉されるのみです。堂内には御本尊である不空羂索観世音菩薩が安置されています。御本尊は木造の坐像で、像高3m36cm、文治5年(1189年)の作、国宝に指定されています。他にも鎌倉時代の作といわれている木造の四天王立像が安置されています。こちらの木造四天王立像も国宝に指定されています。南円堂の隣にある堂宇には一言観音が祀られています。そのお名前の通り、一言だけのお願いを聞き入れてくれるらしいです。それでは、次回、境内を散策してみましょう。行程表更新しております。過去の巡礼記録はこちらから↓熊野詣 西国三社参り 西国三十三観音霊場 ファッション・ブランド品のお買い得情報はこちらをどうぞ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
Feb 27, 2013
西国三十三観音霊場巡礼も第九番札所『興福寺 南円堂』まできました。興福寺は『古都奈良の文化財』の一部として世界遺産に登録されています。今までの記事のタイトルと今回のタイトルを見て、違和感を感じた方はいらっしゃるでしょうか?第一番~第八番までは、すべて『山号 寺号』だったんです。つまり、『○○山 ○○寺』って感じですね。今回、お参りする興福寺には山号がありません。山号は、仏教の寺院に付する称号なんですが、他にも山号のない寺院は多々あります。そして、興福寺という寺号のあとにある『南円堂』ですが、これは、興福寺にある堂宇の名前ですね。第一番~第八番までは、すべて本堂の本尊(その寺院の本尊)が、西国三十三観音霊場巡礼の主旨(札所本尊)だったのですが、ここ興福寺の本堂本尊は、釈迦如来です。そして、南円堂という堂宇の御本尊が札所本尊となります。前置きが長くなりましたが、興福寺にお参りを始めましょう。第九番札所山 号:なし寺 号:興福寺宗 派:法相宗大本山御本尊:釈迦如来 (札所本尊:南円堂 不空羂索観世音菩薩)開 基:藤原不比等御詠歌:春の日は 南円堂に かがやきて 三笠の山に 晴るるうす雲所在地:奈良県奈良市登大路町興福寺 南円堂の縁起についてはこちらで確認と。。いつもならここで、まずは山門を紹介するのですが、興福寺には山門がありません。『興福寺伽藍』参照そして、次は本堂をご紹介させていただくパターンなのですが。。こちら『仮金堂』となります。名前の通り、仮なんです。そして、この写真は現在のものではございません。『興福寺伽藍』で述べた通り、興福寺は現在、中金堂(本堂)を再建中でございます。その場所が、仮金堂の真ん前であり、写真が撮れないんですね。こんな感じです。さて、この仮金堂ですが、昭和50年(1975年)の建立とあります。この建物は、薬師寺の旧金堂を移築したもので、室町時代の作ですね。仮金堂には、御本尊である釈迦如来が安置されております。釈迦如来を中尊とし脇侍に薬王菩薩と薬上菩薩を配する形式の釈迦三尊ですね。一般的な釈迦三尊の形式は脇侍に文殊菩薩・普賢菩薩が多いですが、これは古い形式ですね。御本尊は、文化8年(1811年)の作で、像高約2.9mの木造坐像です。脇侍の薬王菩薩像と薬上菩薩像はともに木造立像で、国の重要文化財に指定されています。建仁2年(1202年)の作といわれていますから、鎌倉時代ですね。他にも仮金堂には、木造の四天王立像が安置されております。いずれも像高約2mで国の重要文化財に指定されています。それでは、本堂(仮金堂)でお参りをして、次回、札所本尊が祀られている南円堂にお参りしましょう。行程表更新しております。過去の巡礼記録はこちらから↓熊野詣 西国三社参り 西国三十三観音霊場 ファッション・ブランド品のお買い得情報はこちらをどうぞ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
Feb 26, 2013
本堂でお参りを済ませて境内を散策しましょう。豊山 長谷寺開山坊 法起院1はこちらこじんまりとした境内には、弁財天堂、庚申堂がありますね。徳道上人御霊廟ですね。十三重石塔になっています。上人沓脱ぎ石です。徳道上人が法起菩薩と化されて松の木に登られた時の沓脱ぎの石です。お賽銭がありますね、この石は、ふれると願い事がかなうと言われています。葉書きの木といいます。葉の裏に尖ったもので文字を書くと、文字が浮かび上がってきます。「葉書」の由良うとなった木ですね。法起院の葉書きの木に願い事を書くと叶うといわれています。最後に御宝印です。御宝印は、参拝の度に重ねる方も多いのですが、私は1度だけ授かる様にしていますので、今回は新たに御宝印はいただいておりません。さて、次は第九番札所『興福寺 南円堂』です。第六番札所から再開した大和國での第二幕も次で終わりです。行程表更新しております。過去の巡礼記録はこちらから↓熊野詣 西国三社参り 西国三十三観音霊場 ファッション・ブランド品のお買い得情報はこちらをどうぞ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
Feb 26, 2013
西国三十三観音霊場の番外札所となっている『法起院』にお参りしましょう。番外札所山 号:豊山寺 号:長谷寺開山坊法起院宗 派:真言宗豊山派御本尊:徳道上人開 基:徳道上人御詠歌:極楽は よそにはあらじ わがこころ おなじ蓮の へだてやはある所在地:奈良県桜井市初瀬ここ法起院は、西国三十三観音霊場巡礼の始祖であり、第八番札所長谷寺を開いた徳道上人が、天平7年(735年)に、この地で隠棲したのが始まりです。徳道上人は晩年、境内の松の木に登り法起菩薩となって遷化したと言われ、法起院の名称はそれに由来するとされています。法起院は、長谷寺の塔頭の1つで『開山坊』と称されています。山門です。長谷寺と同じく『花輪違い紋』が使われていますね。本堂です。御本尊は徳道上人です。本堂は元禄8年(1695年)長谷寺化主の英岳僧正が再建したとのことです。御本尊の徳道上人像は徳道上人自らが造ったとされています。ここにも「長谷型灯籠」が吊るされていますね。さて、一般的に寺院の本堂は南向きもしくは東向きに建てられます。しかし、ここの本堂は北向きに建てられているんです。説によると、長谷寺の御本尊に対面する様に造られたといわれています。これは本堂の屋根、通常鬼瓦がある場所なんですが、これは『隠し鬼瓦』といいます。本堂が北向きに建てられており、向かって左側(東向き)の鬼瓦は隠されております。こちらの方向には与喜天満宮があるからなんですね。それでは、本堂でお参りをして、次回、境内を散策してみましょう。行程表更新しております。過去の巡礼記録はこちらから↓熊野詣 西国三社参り 西国三十三観音霊場 ファッション・ブランド品のお買い得情報はこちらをどうぞ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
Feb 26, 2013
さて、長谷寺の続きとなります。豊山 長谷寺1はこちら 豊山 長谷寺2はこちら豊山 長谷寺3はこちら 豊山 長谷寺4はこちら五重塔です。昭和29年(1954年)建立で、桧皮葺、高さは31.39mあります。戦後日本に初めて建てられた五重塔です。開山堂です。長谷寺の開基である徳道上人を祀っています。最後に御宝印です。御宝印は、参拝の度に重ねる方も多いのですが、私は1度だけ授かる様にしていますので、今回は新たに御宝印はいただいておりません。これで、第八番札所は終わりです。さて、次は第九番札所『興福寺 南円堂』なんですが、その前に長谷寺の開基であり、西国三十三観音霊場巡礼の始祖である、徳道上人の御廟所となっている『法起院』に行ってみましょう。法起院は、長谷寺の塔頭寺院であり、その所縁から西国三十三観音霊場の番外札所となっています。行程表更新しております。過去の巡礼記録はこちらから↓熊野詣 西国三社参り 西国三十三観音霊場 ファッション・ブランド品のお買い得情報はこちらをどうぞ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
Feb 24, 2013
さて、長谷寺の続きとなります。長谷寺の開基は徳道上人ですが、その基礎を築いたのは、道明上人といわれています。豊山 長谷寺の縁起はこちら豊山 長谷寺1はこちら 豊山 長谷寺2はこちら豊山 長谷寺3はこちら本長谷寺です。朱鳥元年(686年)、興福寺の道明上人が、天武天皇の為に初瀬山の西の丘に三重塔を建立したのですが、ここに堂宇を建て、「銅板法華説相図」を安置しました。「銅板法華説相図」は、国宝に指定されており、現在は、奈良国立博物館に寄託されております。三重塔跡です。「三重塔址」と彫られた石柱があります。道明上人が建立した三重塔があった場所ですね。三重塔は、豊臣秀頼によって再建されたのですが、明治9年(1876年)に火災により焼失しました。道明上人御廟塔です。さて、まだまだたくさんの堂宇があるのですが、次回で長谷寺を終わりにしましょう。行程表更新しております。過去の巡礼記録はこちらから↓熊野詣 西国三社参り 西国三十三観音霊場 ファッション・ブランド品のお買い得情報はこちらをどうぞ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
Feb 24, 2013
では、本堂でお参りを済ませ、境内をまわってみましょう。豊山 長谷寺1はこちら 豊山 長谷寺2はこちら愛染堂です。御本尊は愛染明王ですね。天正16年(1588年)観海上人が建立とのこと、安土桃山時代ですね。大黒堂です。御本尊は大黒天ですね。慶安3年(1650年)の再建、江戸時代の前期ですね。こちらの大黒天は、4尺5寸の立像です。約136cmで米俵の上に立っているお姿ですね。左側には鬼子母神、右側には愛染明王と弁財天が祀られています。弘法大師御影堂です。こちらはまだ、新しいですね。弘法大師の入定1500年御遠忌を記念して、昭和59年(1984年)に建立された様です。弘法大師といえば、真言宗を開いた宗祖なんですが、真言宗といっても、いくつかの宗派がありますよね。この宗派ができた経緯は、かなり長く説明しなきゃなので省きますが、ここ長谷寺は、真言宗豊山派の総本山なんですね。真言宗豊山派ということは新義真言宗系になるので、興教大師堂もあるんですね。興教大師堂です。御本尊は興教大師(覚鑁)ですね。それでは、少し長くなりましたので、今回はここまでにして、残りはまた次回に紹介しましょう。行程表更新しております。過去の巡礼記録はこちらから↓熊野詣 西国三社参り 西国三十三観音霊場 ファッション・ブランド品のお買い得情報はこちらをどうぞ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
Feb 22, 2013
それでは、本堂にお参りしましょう。豊山 長谷寺1はこちら本堂は御本尊を祀る正堂と礼堂が密接している、いわゆる双堂(ならびどう)形式で建てられており、正堂・礼堂・相の間から成っています。写真左手の登廊を上がりきり、鐘楼を出た所から見た本堂です。本堂と鐘楼の間に見えるのが礼堂ですね。本堂は木造建築物としては、東大寺の大仏殿に次ぐ規模なんですが、こちらから(東側から)撮ると本堂の大きさが伝わりづらいですね。こちらは本堂を西側から撮りました。こちらの本堂は南向きに建てられており、本堂の南側に礼堂が密接して建っております。現在の本堂は徳川家光の寄進を得て、慶安3年(1650年)に再建され、国宝に指定されています。そして、南側(礼堂側)からですね。京都の清水寺と同じ懸造(舞台造)なんです。この礼堂の奥に正堂があります。舞台造ですね。相の間にはびんずるさんがいました。正堂に安置されている御本尊、十一面観世音菩薩は、天文7年(1538年)に再興されたもので、10mを超える大きな木造の立像です。普通、十一面観世音菩薩の右手は数珠を持ち垂下した状態が多いのですが、こちらの十一面観世音菩薩は右手に錫杖を持っています。右手に錫杖を持つのは地蔵菩薩に見られる像容ですね。独特の形式なので「長谷式十一面観世音菩薩(長谷型観音)』とよばれてるみたいです。こちらの御本尊は国の重要文化財に指定されています。それでは、本堂でお参りをして、次回、境内を散策してみましょう。行程表更新しております。過去の巡礼記録はこちらから↓熊野詣 西国三社参り 西国三十三観音霊場 ファッション・ブランド品のお買い得情報はこちらをどうぞ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
Feb 22, 2013
続いては、西国三十三観音霊場の根本霊場といわれる、第八番札所『豊山 長谷寺』にお参りしましょう第八番札所山 号:豊山寺 号:長谷寺宗 派:真言宗豊山派総本山御本尊:十一面観世音菩薩開 基:道明上人・徳道上人御詠歌:いくたびも 参る心は はつせ寺 山もちかいも 深き谷川所在地:奈良県桜井市初瀬豊山 長谷寺の縁起についてはこちらで確認西国三十三観音霊場の開祖である『徳道上人』が開かれたお寺ですね。西国三十三観音霊場の縁起についてはこちらで確認まず、始めに、ここにお参りする際には、時間に余裕を持ってきていただきたいです。本当に見どころが多いので、結構時間かかります。仁王門です。明治18年(1885年)の再建です。国の重要文化財に指定されています。仁王門に掲げられている寺号額です。後陽成天皇の御宸筆です。仁王門をくぐり本堂までは、『登廊(のぼりろう)』を登っていきます。この登廊は、緩やかですが399段あり、上廊・中廊・下廊の3つにわけれています。長歴3年(1039年)春日大社の社司中臣信清が、子の病気平癒の御礼に造ったもので、中廊・下廊は、明治22年(1889年)の再建で、国の重要文化財に指定されています。天井に吊るされているのは長谷型灯籠といいます。長谷寺には至るところに、この長谷型灯籠があります。鐘楼です。登廊を上がりきったところに建てられています。鐘楼に吊り下げられているのは『尾上の鐘』です。撞き方は、紐を下に引くんですね。平常はお坊さんしか撞けないのですが、東日本大震災で命を落とされた被災者の供養のため、参拝者が祈りのために自由に突くことができるんです。『年を経ぬ 祈る契は初瀬山 尾上の鐘の よその夕暮れ』新古今和歌集の藤原定家の歌ですね。尾上の鐘は他人の為に鳴るんですね。さて、それでは次回、本堂でお参りしましょう。行程表更新しております。過去の巡礼記録はこちらから↓熊野詣 西国三社参り 西国三十三観音霊場 ファッション・ブランド品のお買い得情報はこちらをどうぞ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
Feb 22, 2013
本堂でお参りを済ませて、境内にある他の堂宇もお参りしていきましょう。東光山 龍蓋寺1はこちら三重塔です。まだ新しいですね、昭和61年再建とのことです。龍蓋寺には元々、三重塔があったのですが、文明4年(1472年)に倒壊したらしいです。そして、解体され部材は現在の仁王門に転用されているんだって。この三重塔は、弘法大師千百五十年御遠忌を契機に514年ぶりに再建されたみたい。大師堂ですね、これも比較的新しいですね。どこにも説明がないのですが、50年くらいですかね。お堂の前にある像は『稚児大師』と書いています。弘法大師の幼少期のお姿ですね。小さいお子さんは、身体健全を祈願して撫でるといいんですよね。開山堂です。寛政9年(1797年)建立とのことです。300年以上前の建立ですが、屋根は修理した様でまだ新しいです。安置しているのは阿弥陀三尊です。阿弥陀如来を中尊として、左脇侍に観世音菩薩、右脇侍に勢至菩薩という三尊形式ですね。こちらの阿弥陀三尊は、三尊とも坐像ですね。最後に御宝印です。御宝印は、参拝の度に重ねる方も多いのですが、私は1度だけ授かる様にしていますので、今回は新たに御宝印はいただいておりません。他にも見所はたくさんあるんで、また休憩して紹介しましょう。これで第七番札所は終わりです。次は第八番札所、西国三十三観音霊場の根本霊場といわれる、『豊山 長谷寺』へ向かいましょう。行程表更新しております。過去の巡礼記録はこちらから↓熊野詣 西国三社参り 西国三十三観音霊場 ファッション・ブランド品のお買い得情報はこちらをどうぞ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
Feb 20, 2013
それでは、第七番札所『東光山 龍蓋寺』にお参りしましょう。西国三十三観音霊場参拝済の札所はこちら第六番札所山 号:東光山寺 号:龍蓋寺宗 派:真言宗豊山派御本尊:如意輪観世音菩薩開 基:御詠歌:けさ見れば つゆ岡寺の 庭の苔 さながら瑠璃の 光なりけり所在地:奈良県高市郡明日香村岡 東光山 龍蓋寺の縁起についてはこちらで確認仁王門です。慶長17年(1612年)の再建で、国の重要文化財に指定されています。石碑には『岡寺』と記されていますね。寺号額には『龍蓋寺』と書かれています。よく、正式な名称と一般的に知られている通称があったりするんですが、ここ龍蓋寺は、「岡寺」「龍蓋寺」の2つの寺号があるんです。正式には東高山真珠院龍蓋寺というお寺なんですが、宗教法人としての登録名は「岡寺」なんですね。本堂です。文化2年(1805年)建立です。御本尊の如意輪観世音菩薩は、塑像(土でできた仏像)としては、日本最大の仏様で4.85mあります。寺伝によると、弘法大師が、日本・中国・インドの三国の土を混ぜ合わせて造ったといわれ、国の重要文化財に指定されています。また、御本尊には胎内仏として、31.2cmの如意輪観世音菩薩像が納められていました。胎内仏も国の重要文化財に指定されており、現在は京都国立博物館に寄託されています。そして、本堂脇には「びんずるさん」それでは、本堂でお参りをして、次回、境内を散策してみましょう。行程表更新しております。過去の巡礼記録はこちらから↓熊野詣 西国三社参り 西国三十三観音霊場 ファッション・ブランド品のお買い得情報はこちらをどうぞ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
Feb 20, 2013
さて、本堂や各堂宇をお参りして、もう少し境内を散策してみましょう。壺阪山 南法華寺1はこちら 壺阪山 南法華寺2はこちら先日、UPした『壺阪霊験記』の舞台となったお寺ということなので、境内には、沢市、お里に関するものも多くあります。お里観音と書かれてますね。沢市霊魂碑です。お里沢市像です。この向こうの谷に沢市とお里は身を投じたんですね。こちらは本堂に展示されている、沢市が使用したとされる杖です。説明書によると、この杖に触れると夫婦仲が円満になるとのことです。最後に御宝印です。御宝印は、参拝の度に重ねる方も多いのですが、私は1度だけ授かる様にしていますので、今回は新たに御宝印はいただいておりません。他にも見所はたくさんあるんで、また休憩して紹介しましょう。これで第六番札所は終わりです。次は第七番札所『東光山 龍蓋寺』へ向かいましょう。行程表更新しております。過去の巡礼記録はこちらから↓熊野詣 西国三社参り 西国三十三観音霊場 ファッション・ブランド品のお買い得情報はこちらをどうぞ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
Feb 18, 2013
本堂でお参りを済ませて、境内にある他の堂宇もお参りしていきましょう。壺阪山 南法華時1はこちら三重塔です。明応6年(1497年)の再建とされ、国の重要文化財に指定されています。多宝塔です。平成14年(2002年)落慶との事ですから、まだ新しいですね。大日如来を御本尊としています。大師堂です。御本尊は弘法大師ですね。まだ、境内には、灌頂堂や慈眼堂など他にも堂宇があり、全長20mの天竺渡来大観音石造、全長8mの天竺渡来大涅槃石造、身丈10mの天竺渡来大釈迦如来石造などがありました。各堂宇をお参りして、もう少し境内を散策してみましょう。行程表更新しております。過去の巡礼記録はこちらから↓熊野詣 西国三社参り 西国三十三観音霊場 ファッション・ブランド品のお買い得情報はこちらをどうぞ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
Feb 18, 2013
さて、いよいよ第二幕です。第一幕では五番札所までお参りしましたので、今回は六番札所から再開です。それでは、第六番札所『壺阪山 南法華寺』にお参りしましょう。西国三十三観音霊場参拝済の札所はこちら第六番札所山 号:壺阪山寺 号:南法華寺宗 派:真言宗系単立御本尊:十一面千手千眼観世音菩薩開 基:弁基上人御詠歌:岩をたて 水をたたえて 壺阪の 庭にいさごも 浄土なるらん所在地:奈良県高市郡高取町壺阪壺阪山 南法華寺の縁起についてはこちらで確認先日、UPした『壺阪霊験記』の舞台ですね。ここは、一般には壺阪寺の通称で知られています。仁王門です。石碑にも壺阪寺と記されていますね。建暦2年(1212年)の建立です。元々は、別の場所に建てられていたのですが、防災上の見地から平成15年に現在の場所に移動しました。禮堂です。こちらは本堂の御本尊を礼拝するために建立されたものです。本堂である八角堂に密接しており、両堂の間には隔壁がありません。室町時代に再建されたもので、国の重要文化財に指定されています。本堂です。形が八角形となっており、八角堂と呼ばれています。江戸時代に再建されたもので、日本で初めて建立された八角堂ともいわれています。御本尊の十一面千手千眼観世音菩薩は、室町時代の作で、寄せ木作りの坐像です。それでは、本堂でお参りをして、次回、境内を散策してみましょう。行程表更新しております。過去の巡礼記録はこちらから↓熊野詣 西国三社参り 西国三十三観音霊場 ファッション・ブランド品のお買い得情報はこちらをどうぞ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
Feb 17, 2013
本堂でお参りを済ませて、境内にある他の堂宇もお参りしていきましょう。西国三十三観音霊場【紫雲山 葛井寺1】はこちら大師堂ですね。真言宗のお寺では当然の様にありますね。大師堂の南側に弘法大師の修行像が建てられています。 他には阿弥陀堂もありました。こちらは出世地蔵大菩薩です。商売人、いろんな分野で出世を願う人がお参りしますね。専心龍乗観世音菩薩ですね。一心に集中して一つのことを祈れば叶えられるといわれています。最後に御宝印です。御宝印は、参拝の度に重ねる方も多いのですが、私は1度だけ授かる様にしていますので、今回は新たに御宝印はいただいておりません。他にも見所はたくさんあるんで、また休憩して紹介しましょう。これで第五番札所は終わりです。次は第六番札所『壺阪山 南法華寺』へ向かいましょう。大和國ですので奈良県ですね。過去の巡礼記録はこちらから↓熊野詣 西国三社参り 西国三十三観音霊場 ファッション・ブランド品のお買い得情報はこちらをどうぞ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
Feb 6, 2013
西国三十三観音霊場も、ようやく五番札所です。一番から三番の紀伊國、四番の和泉國、そして今回は河内國です。それでは、第五番札所『紫雲山 葛井寺』にお参りしましょう。西国三十三観音霊場参拝済の札所はこちら第五番札所山 号:紫雲山寺 号:葛井寺宗 派:真言宗御室派御本尊:十一面千手千眼観世音菩薩開 基:行基御詠歌:参るより 頼みをかくる 葛井寺 花のうてなに 紫の雲所在地:大阪府藤井寺市藤井寺紫雲山 葛井寺の縁起についてはこちらで確認ここは街中にある平地ですので、石段もなく参拝は楽ですね。南大門です。四脚門です。こちらはお寺の西門となります。豊臣秀頼により再建されたものといわれており、葛井寺で現存する最古の建物とされ、昭和28年、国指定重要文化財に指定されています。本堂です。江戸時代に再建されたものですね。御本尊は、春日法師の作で、半丈六の脱活乾漆造り。乾漆像の中でも保存状態が良好で、大阪府唯一の天平仏として、昭和13年、国宝に指定されています。本堂須弥壇上、本尊厨子の右には、欅の一木造りの「聖観世音菩薩立像」が安置されており、本尊厨子の左には、松の一木造りの「地蔵菩薩立像」が安置されています。それでは、本堂でお参りをして、次回、境内を散策してみましょう。行程表更新しております。過去の巡礼記録はこちらから↓熊野詣 西国三社参り 西国三十三観音霊場 ファッション・ブランド品のお買い得情報はこちらをどうぞ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
Feb 6, 2013
本堂でお参りを済ませて、他の堂宇もお参りしましょう。槇尾山 施福寺1はこちら境内には本堂以外に、観音堂、大師堂、不動明王護摩堂がありました。他に、救世観世音菩薩立像、子育地蔵菩薩坐像、智慧如来坐像、六道観世音菩薩立像がありました。それでは、仁王門から境内までの間に建てられている堂宇をお参りしましょう。愛染堂です。かつて、勤操僧正がこの寺に住んでいるとき、空海(弘法大師)が訪れてきて、寺で修行し、延暦12年(793年)20歳のとき、この場所で剃髪し得度したという。また、大同2年(807年)唐より帰朝後再び、入京が許されるまでの約2年間、真言宗を開くための思索をここで行ったといわれている。愛染堂の中には、愛染明王、勤操僧正像、弘法大師像が安置されている。愛染堂の前には、「弘法大師御剃髪所跡」と銘のある石碑が建てられてます。弘法大師御髪堂です。弘法大師の剃髪した髪が納められているといわれています。他にも大日堂、虚空堂がありました。最後に御宝印です。御宝印は、参拝の度に重ねる方も多いのですが、私は1度だけ授かる様にしていますので、今回は新たに御宝印はいただいておりません。これで第四番札所は終わりです。次は第五番札所『紫雲山 葛井寺』へ向かいましょう。河内國ですので次も大阪ですね。過去の巡礼記録はこちらから↓熊野詣 西国三社参り 西国三十三観音霊場 ファッション・ブランド品のお買い得情報はこちらをどうぞ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
Jan 31, 2013
西国三十三観音霊場の一番から三番札所までは紀伊国、つまり和歌山県でしたが、第四番札所は和泉国、大阪府にあります。それでは、第四番札所『槇尾山 施福寺』にお参りしましょう。西国三十三観音霊場及び参拝済の札所はこちら第四番札所山 号:槇尾山寺 号:施福寺宗 派:天台宗御本尊:千手千眼観世音菩薩開 基:行満上人御詠歌:深山路や 檜原松原 わけゆけば 槙の尾寺に 駒ぞ勇める所在地:大阪府和泉市槙尾山町槇尾山 施福寺の縁起についてはこちらで確認さて、ここ施福寺は、西国三十三観音霊場の難所の1つでもあります。登山口から緩やかな山道を歩いていきます。10分ほど歩くと仁王門に到着です。仁王門です。仁王門をくぐってから本堂までは急勾配の石段がつづきます。自然石で作られた石段で道幅も狭く、かなりキツいです。途中、いくつかの堂宇がありますが、あとで紹介しましょう。30分以上かけて、ようやく境内に到着です。本堂です。元々は真言宗のお寺として栄え、弥勒菩薩を御本尊としていた様ですが、現在は天台宗に改宗し、千手千眼観世音菩薩を御本尊としています。こちらの御本尊も秘仏ですね、真言宗と天台宗のお寺は、秘仏が多いですね。こちらは本堂の裏手になります。御本尊と背中合わせの位置に馬頭観音が祀られているんです。花山法皇が粉河寺から施福寺に向かっていたとき、日が暮れ道に迷って困っていると、馬が現れ花山法皇を道案内したという伝説があるんですね。それでは、本堂でお参りをして、次回、他の堂宇もお参りしてみましょう。過去の巡礼記録はこちらから↓熊野詣 西国三社参り 西国三十三観音霊場 ファッション・ブランド品のお買い得情報はこちらをどうぞ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
Jan 31, 2013
さて、本堂や各堂宇をお参りして、もう少し境内を散策してみましょう。風猛山 粉河寺1はこちら 風猛山 粉河寺2はこちら出現池です。童男大士は柳の枝を持ち、白馬に乗ってこの池に現れたと伝えられています。童男大士は病気平癒の霊験あらたかな仏として知られており、祈願して成就すれば、祈願した人はこの池に鯉を放す習慣があるらしいです。出現池の上に安置されている童男大士石像です。阿弥陀露坐仏です。文久2年(1862年)作の阿弥陀如来坐像です。平成9年、粉河町指定文化財(現:紀の川市)に指定されています。仏石です。二つの石碑の前に置かれており、文久3年(1863年)の作とされています。釈尊の足形を刻んだもので、その大きさは偉大な人徳を表しているという。石碑は江戸時代の僧、願海上人の筆といわれています。忌明地蔵です。 永禄7年(1546年)作、石造地蔵菩薩立像。忌が明けると、故人の極楽往生を願って参るらしいです。平成8年、粉河町指定文化財(現:紀の川市)に指定されています。他にも、法華塔・身代わり地蔵・水向地蔵・子育地蔵などありました。最後に御宝印です。御宝印は、参拝の度に重ねる方も多いのですが、私は1度だけ授かる様にしていますので、今回は新たに御宝印はいただいておりません。他にも見所はたくさんあるんで、また休憩して紹介しましょう。これで第三番札所は終わりです。これで、紀伊國にあります一番~三番札所は終了です。次は第四番札所『槇尾山 施福寺』へ向かいましょう。和泉國ですので大阪ですね。過去の巡礼記録はこちらから↓熊野詣 西国三社参り 西国三十三観音霊場 ファッション・ブランド品のお買い得情報はこちらをどうぞ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ GUCCIのバッグ・パンプス、アンテプリマのワイヤーバッグ、CHANELのソープ・キーケース・サングラスに加えて本日はヴィトン中心にご案内します。セレブ御用達ブランド多数出品中!
Jan 29, 2013
さて、本堂でお参りを済ませて、他の堂宇もお参りしましょう。風猛山 粉河寺1はこちら盥漱盤です。安永4年(1775年)粉河鋳物師蜂屋薩摩掾五代目源正勝の作品。平成7年、粉河町指定文化財(現:紀の川市)に指定されました。千手堂です。2008年から2010年にかけて、花山法皇一千年忌を記念して、西国三十三所のすべての札所寺院において、秘仏の結縁開扉が行われました際、本堂の御本尊に代わりに217年ぶりに公開された千手観世音菩薩が安置されています。他には、歴代の紀州藩主とその縁の人々の位牌が安置されています。平成8年、国指定重要文化財に指定されました。童男堂です。延宝7年(1679年)の建立とされ、千手千眼観世音が姿を変えたといわれる童男大士が本尊として祀られています。昭和40年、和歌山県指定文化財に指定されています。まだ、境内には、丈六堂・行者堂・六角堂・太子堂・不動堂・地蔵堂・念仏堂など多くの堂宇があります。各堂宇をお参りして、もう少し境内を散策してみましょう。過去の巡礼記録はこちらから↓熊野詣 西国三社参り 西国三十三観音霊場 ファッション・ブランド品のお買い得情報はこちらをどうぞ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 本日は、GUCCIのバッグ・パンプス、アンテプリマのワイヤーバッグ、CHANELのソープ・キーケース・サングラスをご案内しております。セレブ御用達ブランド多数出品中!
Jan 29, 2013
西国三十三観音霊場の一番から三番札所までは紀伊国、つまり和歌山県にあります。それでは、第三番札所『風猛山 粉河寺』にお参りしましょう。西国三十三観音霊場及び参拝済の札所はこちら第三番札所山 号:風猛山寺 号:粉河寺宗 派:粉河観音宗総本山御本尊:千手千眼観世音菩薩開 基:大伴孔子古御詠歌:父母の 恵みも深き 粉河寺 ほとけの誓い たのもしの身や所在地:和歌山県紀の川市粉河風猛山 粉河寺の縁起についてはこちらで確認国道24号線から少し入ったところに大門があります。大門です。規模は和歌山県では高野山、根来寺に次ぐ大きさといわれています。宝永4年(1706年)の建立とされており、平成8年、国指定重要文化財に指定されています。大門をくぐり、少し歩くと中門があります。現存の中門は、天保3年(1832年)の建立とされ、門には四天王が安置されています。平成8年、国指定重要文化財に指定されています。中門に掲げられている山号額です。第十代紀州徳川家藩主徳川治宝の直筆といわれています。本堂です。現存の本堂は、享保5年(1720年)に再建されたもので、江戸時代中期の寺院建築の代表的建造物とされており、平成8年、国指定重要文化財に指定されています。本尊の千手千眼観世音菩薩は西国三十三ヶ所では最大であるといわれており、内陣の厨子の中に安置され、秘仏となっています。日本の仏教寺院では、本尊が秘仏である場合、「お前立ち」と称する代わりの像を本尊厨子の手前に安置する場合があるが、粉河寺においては「お前立ち」像も秘仏なんです。2008年から2010年にかけて、花山法皇一千年忌を記念して、西国三十三所のすべての札所寺院において、秘仏の結縁開扉が行われましたが、粉河寺の本尊像はこの際にも公開されることはありませんでした。代わりに本堂横にある千手堂に安置されている千手観世音菩薩が公開されました。この千手堂の千手観世音菩薩も秘仏で、公開されたのは217年ぶりのことでした。それでは、本堂でお参りをして、次回、他の堂宇もお参りしてみましょう。過去の巡礼記録はこちらから↓熊野詣 西国三社参り 西国三十三観音霊場 ファッション・ブランド品のお買い得情報はこちらをどうぞ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 本日はGUCCIのバッグ・パンプス、CHANELのソープ・キーケースをご案内しております。セレブ御用達ブランド多数出品中!
Jan 28, 2013
さて、本堂でお参りを済ませて、他の堂宇もお参りしましょう。紀三井山 護国院金剛宝寺1はこちら鐘楼です。宝亀2年(771年)に建立、天正16年(1588年)に再建されました。明治41年、国指定重要文化財に指定されています。六角堂です。寛延年間(1750年)頃の建立とされています。大師堂です。多宝塔です。紀三井寺に現存する建物では最古のものです。 明治41年、国指定重要文化財に指定されています。楼門、鐘楼、多宝塔は、朱も鮮やかですが、数年前に修復されたばかりですね。以前、ブログに登場した賓頭廬尊者ですね。賓頭廬尊者についての記事はこちら最後に御宝印です。御宝印は、参拝の度に重ねる方も多いのですが、私は1度だけ授かる様にしていますので、今回は新たに御宝印はいただいておりません。ここは、まだまだ多くの堂宇があり紹介しきれないんですね。他にも見所はたくさんあるんで、また休憩して紹介しましょう。これで第二番札所は終わりです。次は第三番札所『風猛山 粉河寺』へ向かいましょう。過去の巡礼記録はこちらから↓熊野詣 西国三社参り 西国三十三観音霊場
Jan 27, 2013
西国三十三観音霊場の一番から三番札所までは紀伊国、つまり和歌山県にあります。青岸渡寺に続いて、第二番札所『紀三井山 護国院金剛宝寺』にお参りしましょう。西国三十三観音霊場及び参拝済の札所はこちら第二番札所山 号:紀三井山寺 号:護国院金剛宝寺宗 派:救世観音宗総本山御本尊:十一面観世音菩薩開 基:為光上人御詠歌:故郷を はるばるここに 紀三井寺 花の都も 近くなるらん所在地:和歌山県和歌山市紀三井寺紀三井山 護国院金剛宝寺の縁起についてはこちらで確認国道42号線から少し入ったところに楼門があります。永正6年(1509)再建、明治41年、国指定重要文化財に指定されています。さて、楼門をくぐると境内までは、約230段の石段です。この石段については、興味深い由緒がありますので、またの機会に。本堂です。現存の本堂は宝暦9年(1759)に建立されたもので、昭和49年、和歌山県指定文化財となっています。本尊、十一面観世音菩薩(秘仏)が大光明殿内の厨子内に安置され、胎内には為光上人が刻んだ千手観世音菩薩(秘仏)が納められています。本尊の十一面観世音菩薩と秘仏の千手観世音菩薩は、共に明治30年、国指定重要文化財に指定されています。他には十一面観世音菩薩、梵天、帝釈天も安置され、十一面観世音菩薩は、明治30年、梵天、帝釈天は明治32年、国指定重要文化財に指定されています。それでは、本堂でお参りをして、次回、他の堂宇もお参りしてみましょう。過去の巡礼記録はこちらから↓熊野詣 西国三社参り 西国三十三観音霊場
Jan 26, 2013
さて、本堂でお参りを済ませて、他の堂宇もお参りしましょう。那智山 青岸渡寺1はこちら宝篋印塔です。元享2年(1322)の造立とされ、現在、見られる形は鎌倉時代以降に成立したものといわれています。昭和28年国指定重要文化財に指定されました。鐘楼です。元享4年(1324)の建立といわれています。イヌグスの大木です。 昭和40年、和歌山県指定天然記念物に指定されています。如宝堂です。馬頭観音、大黒天並びに六福神を安置しています。水子堂です。三重塔です。他にも、阿弥陀堂、滝宝殿、写経蔵、尊勝院など立派な建物もあります。最後に御宝印です。御宝印は、参拝の度に重ねる方も多いのですが、私は1度だけ授かる様にしていますので、今回は新たに御宝印はいただいておりません。これで第一番札所は終わりです。次は第二番札所『紀三井山 護国院金剛宝寺』へ向かいましょう。過去の巡礼記録はこちらから↓熊野詣 西国三社参り
Jan 26, 2013
西国三十三観音霊場の一番から三番までは紀伊国、つまり和歌山県にあります。それでは、第一番札所『那智山 青岸渡寺』から巡礼してみましょう。西国三十三観音霊場についてはこちらから第一番札所山 号:那智山寺 号:青岸渡寺宗 派:天台宗御本尊:如意輪観世音菩薩開 基:裸形上人御詠歌:補陀洛や 岸うつ波は 三熊野の 那智のお山に ひびく滝津瀬所在地:和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山那智山 青岸渡寺の縁起についてはこちらで確認ここは「熊野那智大社」と隣接しております。参道口から山門までは、約470段の石段を登らなければなりません。山門です。昭和8年(1933年)の建設で、木造金剛力士立像が安置されております。木造金剛力士立像は、湛慶の作(鎌倉時代)と伝えられております。平成2年、和歌山県指定文化財となっています。本堂です。現存の本堂は、織田信長の軍勢によって焼き討ちされた後、天正18年(1590年)に豊臣秀吉が、弟秀長に再建させたものであるといわれております。桃山時代の建築様式を伝えている南紀で一番古い建物であり、明治37年、国指定重要文化財に指定されています。本尊は秘仏であり、前立ちの如意輪観音坐像が安置されており、厨子も明治41年、国指定重要文化財に指定されています。本堂再建の際、豊臣秀吉より寄進された日本一の大鰐口。重量450kg、直径1.4m。鰐口にはその再興の趣旨がきざまれています。昭和47年、那智勝浦町指定文化財に指定されています。それでは、本堂でお参りをして、次回、他の堂宇もお参りしてみましょう。過去の巡礼記録はこちらから↓熊野詣 西国三社参り
Jan 25, 2013
こんばんわ~。今回の旅、目的の一つに『西国三十三観音霊場』を巡礼するというのがあります。まぁ、一気に回れないので、長い年月かかるかも知れません。すでに、行く先々で、面白い発見があり、寄り道ばかりしてる状況ですので。。少しずつ写真と資料の整理をしながらUPしていきます。大丈夫ですよ~。飽きない様にチョコチョコ休憩入れま~す♪西国三十三観音霊場と言っても、神社仏閣に興味なければ???ですよね。では、簡単に『西国三十三観音霊場』についてのお話。養老2年(718年)、大和長谷寺の徳道上人は、病のため仮死状態になったとき、夢の中で閻魔王に出会い、「おまえはまだ死ぬ事を許さない、世の中には、悩み苦しむ人々がたくさんいる。その人々を救うために、三十三箇所の観音霊場をつくり人々に巡礼をすすめなさい。」といい、起請文と三十三の宝印を授かり現世に戻されました。しかし、世間の信用が得られず、巡礼は発展しませんでした。徳道上人は機が熟すのを待ち、授かった宝印を中山寺の石堰に納めました。それから約270年後、花山法皇が紀州国の那智山で参籠していた折、熊野権現が姿を現し徳道上人が定めた三十三の観音霊場を再興するように託宣を受けました。そして花山法皇は、中山寺で宝印を探し出し、西国三十三観音霊場を再興させました。その際に那智山を一番とし近畿各地の観音様を巡拝されましたので、那智山青岸渡寺が一番札所となりました。これが、西国三十三観音霊場の由緒になるんですが、三十三という数については、観世音菩薩が衆生を救うとき、三十三の姿に変化するという信仰に由来するといわれており,西国三十三箇所の観音霊場を巡礼参拝すると、現世で犯したあらゆる罪業が消滅し、極楽往生できるといわれております。全ての霊場にて御宝印をいただいた納経帳などは、閻魔王が授けた御宝印ということから極楽浄土への招待状ともいわれており、死者の棺に入れる習慣もあります。というわけで、まずは第一番札所から巡礼を始めてまいります♪そして、各札所で授かる御宝印はこちらの納経帳に。そして、各札所で納める納札も準備。それでは、行ってきま~す♪過去の巡礼記録はこちらから↓熊野詣 西国三社参り
Jan 25, 2013
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