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『新しい歴史教科書』(扶桑社)を斬る3
前略
「中立」についてみてみると
「そのころ(1896年)イギリスが韓国の永世中立国化を提唱した。それ以前にも駐朝ドイツ副領事ブドラーによる中立化論(1885年)があった。日本政府内にも、日本・清国・アメリカ・イギリス・ドイツの五カ国が共同で朝鮮の独立・中立を担保しょう、という井上毅に「朝鮮政略意見案」(1882年)や、日清英独による朝鮮中立国条約構想を示した山県有朋首相の「外交政略論」(1890年)がある。それらはいずれも提唱国に利害関係からロシアの朝鮮侵略を抑止するとか清国の朝鮮独占支配を牽制するとかの意図にもとづいて考えられた国際政治的道具にすぎなかった」
(『韓国併合』海野福寿著,岩波書店113~114ページ)
たしかに日本政府の中にロシアを念頭において朝鮮の中立化の考え方はあることはあった。しかし、日清戦争前の日本の主流の考えは韓国に対する独占的支配であって中立化構想ではなかった。
それをここに、ことすら中立化構想を持ち出すのは、日清戦争前からロシアの脅威があったことを強調し、その脅威をはねのけるための自衛の戦争であったことをわからせようとする戦争肯定論、自衛のための戦争論につながる。
また、中立化をいうのであれば日露戦争の時、日本とロシアの戦争にたいして局外に立ち中立であろうとした韓国の願いを踏みにじって日本は戦争を行った。すなわち日露戦争の危機がせまる中、韓国は日露の戦争に対して局外中立論を唱えた。
「中立国が国際的に認知されれば、交戦国はその国の中立を尊重しなければならない。同時に中立国は交戦国にたいして不偏不党であらねばならない。中立国が有する領土主権にもとづく権利には、領土・領水内における作戦行動の禁止、交戦国軍隊の通過禁止、交戦国の港湾使用禁止、交戦国の自国内への非難防止などがふくまれる。したがって韓国が中立国となることは、対露戦を準備中の日本にとって作戦計画のすべてを失うことを意味した。
韓国の局外中立声明を黙殺した日本は、声明発表一八日後の二月八日に戦闘行動を開始し、宣戦布告後の二月二三日に、日本軍の韓国駐屯と韓国の協力を規定する「日韓議定書」を強制調印する。韓国は中立国としての不偏不党義務を放棄させられた。・・・中立を宣言した清国(二月一二日)にたいしても日露両国は、その領土である満州を主戦場とするのである。」
(『韓国併合』海野福寿著,岩波書店118~119ページ)
中立宣言の欺瞞と第一次日韓協約
1904年(明治37年)1月21日に韓国が中立宣言をして数日後の事
日本は、黄海において、ロシアに軍隊出動を要請する手紙を携行する朝鮮人の小舟を拾い上げた。
その手紙の出処は、非公式とはいえ、中立宣言を発した外務大臣李址鎔であった。
結局、高宗には中立の意志がなかったし、中立宣言は、日本に敵対するための隠れ蓑と言う事であったわけだ。
4月19日、註露韓国公使・李範晋から、京城のロシア公使館宛の文書が押さえられた。その文書から、昨年12月頃から内応についてロシアと協定を結ぶ交渉が進んでいた事が判明した。
日本とは日韓議定書、ロシアとは内応協定と、それぞれ交渉を進めながら、中立宣言をだす韓国皇帝の不誠実や、今までの今までの実績が、韓国外交に制約を設ける必要性を日本政府に感じさせた。
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