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死別と喪失からの再生を綴った「はなちゃんのみそ汁 青春篇」。2022年2月、文藝春秋から刊行しました。父と娘と食卓と 〜母を亡くした父娘の物語〜(日テレNEWS)「はなちゃんのみそ汁」から10年、喪失感やいじめと向き合った父娘のその後執筆中に参考にしたのが、亡き妻千恵のブログ「早寝早起き玄米生活」でした。このブログは、これからも僕が引き継ぎ、この場所に残すつもりですが、もう一度、過去に遡り、千恵の日記を振り返りたいと思っています。そこで、心機一転、引っ越します。新しいブログを開設することにしました。こちら→はなちゃんのみそ汁 Official Blogこちら→はなちゃんのみそ汁 番外篇このまま「楽天ブログ」をお読みいただいても、もちろん構いませんが、約16年分の日記は、初めてお越しになられた方にとっては、途方に暮れそうな分量です。引っ越し先では、千恵が綴った「早寝早起き玄米生活」(2006年12月〜)を少しずつ紹介していきます。公園を一緒に散歩するような気持ちでお付き合いいただければと思います。そのとき、千恵が何を考えていたのか。誰にどんなメッセージを伝えようとしていたのか。彼女の文章に、毎日ゆっくりと目を通しながら、家族の歴史を見つめ直し、未来を考える機会にしたいと思います。きっと、こうした作業は、僕にとってもレジリエンスにつながるはず。過去の日記にコメントを挟みながら、「はなちゃんのみそ汁 青春篇」に盛り込めなかった話や支えてくれた人たちとのエピソード、現在の僕と娘の日常なども織り交ぜたいと思います。まだ、千恵のブログを読めないままでいる娘にも読んでほしい。さっそく、娘が新しいブログをフォローしてくれました。娘に登録解除されないように頑張ります。家族で行った最後の温泉旅行はなちゃんのみそ汁 青春篇 父と娘の「いのちのうた」 [ 安武 信吾 ]
2022.03.19
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10年ぶりに本を書きました。「はなちゃんのみそ汁 青春篇」の書店販売が昨日、スタートしました。「一気に最後まで読みました」「読み終わった後、温かな気持ちになりました」などと、今のところ肯定的なご感想をいただいています。亡くなった大学時代の友人(本に登場する山根伸太郎)の奥様からも「覚えてくださっている方がいると思うと、涙が出ます。時間が過ぎると伸ちゃんのこと、みんな覚えてくれているのかなって。寂しくなる時があります。子どもたちが大きくなって、これから何のために生きていけばいいのか。そう思っていた時に本を読み、何だか少し前向きになれた気がします」とのメッセージをいただきました。書いてよかった。出版物は国会図書館に保存されます。伸太郎が生きた証しを活字で永久に遺せます。さっそく、「ダ・ヴィンチWeb」にはなちゃん青春篇のブックレビューが掲載されました。ダ・ヴィンチwebブックレビュー感謝!!!!!はなちゃんのみそ汁 青春篇 父と娘の「いのちのうた」 [ 安武 信吾 ]
2022.02.11
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最愛の人との死別はつらく悲しい。時には失ったものがあまりに大きくて人生の土台が揺らぐほどのショックを受け深い絶望の淵に投げ込まれてしまうこともあります。長い間、「この悲しみを心の中から完全になくしてしまいたい」と考えていましたが14年近く経った今「悲嘆を抱えたまま生きることは、そう悪いことではない」と思えるようになりました。喪失のあとに訪れる悲嘆。悲嘆からの家族の再生を綴りました。「はなちゃんのみそ汁 青春篇 父と娘の『いのちのうた』」(文藝春秋)はなちゃんのみそ汁 青春篇 父と娘の「いのちのうた」 [ 安武 信吾 ]
2022.02.11
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写真館で家族写真を撮影しませんか。先月末、そんな話をブログに書いたところ、たくさんのお問い合せをいただきました。今日、福岡市にお住まいのご家族5人を僕の実家(宮若市)の若宮写真館にご案内しました。14〜5年ほど前に仕事でお付き合いをしていた男性の家族です。まずは、家族の集合写真。撮る側、撮られる側、互いに以前からの知り合いとあって、知人の家に遊びに来たような雰囲気の中でスタート。集合写真は最初、僕がシャッターを切りましたが、途中から、子どもたちだけの写真を、あらかじめ露出などを設定したカメラで子どもたちの父親が撮影。子どもたちはお父さんにしか見せない自然な表情。ポーズが愉快で、笑顔も最高によかった。お父さん、お母さんのツーショットは、子どもたちが撮影。写真館の主である父と僕は補佐役にまわり、後半の写真はすべて親子に撮ってもらいました。想定していた以上に大盛り上がり。写真撮影って、親子のコミュニケーションを促し、やり方次第ではエンタメにもなるんだと気付かされました。そばで見ているこっちまで楽しくなりました。通常の写真館と違うのは、プリントをしないこと。好きなだけ自由に機材とスタジオを使ってもらって、画像データだけをお渡しする、というスタイルです。開店休業状態の田舎の写真館です。「お代は気持ちでOK」と言っていたのに。ちょっともらいすぎでした。でも、それだけ楽しんでくれたということで。ありがたく頂戴いたしました。来月88歳になる父も張り切っていました。年寄りの生きる力になりそうな予感がします。本当にありがとうございます。料金を決めてほしい、との声が多数寄せられておりますので、一組10,000円で撮り放題(画像データ渡し)とさせていただきます。デジタル一眼カメラはNikon、Canon、LUMIX、SIGMAからお選びいただけます。手ぶらでどうぞ。撮影ご希望の方は安武までメッセージを。はなちゃんのみそ汁 青春篇 父と娘の「いのちのうた」 [ 安武 信吾 ]
2022.02.05
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新年、振袖を着た娘と両親と一緒に家族写真を撮りました。千恵が生きているときに、僕はなぜ、娘と3人の家族写真を撮らなかったのだろうか。実家は写真館なのに。悔やんでも悔やみきれません。がんであろうがなかろうが、人はいつどうなるかなんて、誰にも分からない。千恵がいない家族写真を見ながら、千恵の言葉を思い出します。築50年の古い写真館(福岡県宮若市福丸)のスタジオで、写真撮影を体験してみませんか。いわゆるレンタルスタジオのようなイメージです。僕か父のどちらかが撮影しても良いのですが、例えば、お父さんやお母さんが、自分で家族を撮影するのもおすすめです。カメラの設定はお任せください。撮影者も一緒に写りたい場合は、シャッターレリーズもあります。セルフタイマーを使ってもいいですね。撮影機材はすべてそろっています。画像データはRAWまたはJPEGでお渡しします。ちなみに、下の画像は、手持ち撮影でストロボ未使用、JPEG撮って出しです。開店休業状態、老夫婦の店です。利益を得ようなんて気持ちはありませんので、お代も気持ちで構いません。ただし、プリントはご自分で。必要な場合は対応もできます。撮影ご希望の方は、僕まで連絡いただければご案内いたします。新刊「はなちゃんのみそ汁 青春篇」(文藝春秋)。はなちゃんのみそ汁 青春篇 父と娘の「いのちのうた」 [ 安武 信吾 ]
2022.01.22
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年が明けて1週間が過ぎました。大晦日に実家の宮若市に帰省。一泊だけして元旦の夕方には福岡市の自宅に戻りました。締め切り間際の原稿を抱えていたため、年末年始は、仕事に明け暮れておりました。やっと、ゴールが見えてきました。着手して3年。実に長い旅でした。まあ、いろいろと先方の事情もあって遅れたわけですが、遅れたことには、きっと何か大切な意味がある。そう思うことにします。画像は、昨年の「父の日」に撮影。娘がアルバイト代でイタリア料理をご馳走してくれました。娘が選んだ店は福津市の「エンゾ」。僕と千恵が結婚披露宴をした思い出の場所です。実家の父から譲り受けたハッセルブラッド。昨年、娘は「母の日」も手料理でお祝いをしてくれました。「母の日にどうして?」僕が尋ねると「ずっと、お母さん役してくれたやん」反抗期は手を焼いたけど、その一言に、すべてが報われる思いでした。僕は「母の日」も「父の日」もお祝いしてもらえるようになりました。お店には、僕たち家族の本がありました。手作りのブックカバーがうれしい。[書籍のメール便同梱は2冊まで]/絵本はなちゃんのみそ汁[本/雑誌] (講談社の創作絵本) / 安武信吾/原作 安武千恵/原作 安武はな/原作 魚戸おさむ/文・絵はなちゃんのみそ汁 (文春文庫) [ 安武 信吾 ]子どもが作る弁当の日 「めんどくさい」は幸せへの近道 [ 城戸 久枝 ]
2022.01.07
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千恵ちゃん、あなたは人を笑わせるのが大好きでした。そして、パクるのが実にうまかった。清水ミチコさんのファンで、彼女の持ちネタである目マンをパクっては、ブログに投稿してました。ブログの向こう側のがん患者さんとその家族の人たちを笑わせたかったんだよね。世界は大変なことになってしまいました。どこにも行けない、誰にも会えない日が続いています。千恵ちゃんだったら、今の世の中の動きをどんなふうに考え、行動したのかな。抗がん剤で免疫力が落ち、感染症予防のため、いつもマスクを着けていたあなたは、ブログに「マスクマンな日々」を綴っていました。ユーモアたっぷりに。もし、今も生きていたら、マスクを着けて「私の時代が来た」なんて言いながら、人を笑わせる投稿を続けていたのかもしれませんね。こんな時代だからこそ、笑いって大事だと思います。今日は8月5日。20回目の結婚記念日でした。今夜は、はなと2人でゆっくり食事をしたかったけど、アルバイトだってさ。先日こっそり、バイト先の飲食店をのぞきに行ったら、お客さんに注文をとっていた。普段見たことのない真剣な顔で。保育園の運動会で走っている姿を思い出しました。涙、出た。はなは18歳になりました。子育て頑張ったんだから。少しは褒めてくださいな。撮影:はな撮影:はな撮影:パパ佐世保の吉田俊道さんの菌ちゃんファームで。撮影:パパ絵本はなちゃんのみそ汁/安武信吾/安武千恵/安武はな【1000円以上送料無料】子どもが作る弁当の日 「めんどくさい」は幸せへの近道/城戸久枝【1000円以上送料無料】はなちゃんのみそ汁 (文春文庫) [ 安武 信吾 ]
2021.08.05
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19回目の結婚記念日がまもなく終わります。 今日は、ずっと昔の写真を見ていました。 もっと、いっぱい優しくしてあげればよかった。 もっと、いっぱい家族旅行に行けばよかった。 もっと、いっぱい一緒にご飯を食べたかった。 もっと、いっぱい未来を語り合いたかった。 もっと、いっぱいチューしたかった。 何気ない日常のことだけど。 何気ない日常がしあわせ。 あんたはいつまでたっても若いまんまやね。 娘は17歳。 ぼーっとしとるようで、意外としっかりしている。 よく似てる。 20回目の結婚記念日が迎えられるよう元気でいたいと思います。 8月10日は「いのちのうた第13章」。十三回忌の追悼コンサート(無観客配信ライブ)。あんたも映像で登場するっちゃけんね。楽しもうな。いのちのうた第13章 はなちゃんのみそ汁 (文春文庫) [ 安武 信吾 ] はなちゃん12歳の台所 その後の、『はなちゃんのみそ汁』 [ 安武はな ] 絵本 はなちゃんのみそ汁 (講談社の創作絵本) [ 安武 信吾・千恵・はな ] 【中古】 ママが遺したいのちのレシピ 娘・はなへ /安武千恵,安武はな【著】 【中古】afb
2020.08.05
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「命日を迎えるセラピー」(ライナス・マンディ)を読んでいます。忘れられない人の一生は、長くても、短くても、決して消え去るものではありません。命日は故人を思い起こす特別の機会であり、さらなる癒やしの機会です。また、経験から学んだこと、耐えた苦しみ、手に入れた小さな喜びなどを吟味する時です。これから、7月11日まで毎朝、繰り返し、読もうと思います。もうすぐ、家族で病と闘った6月がやってくる。ふとしたことで涙が出るかもしれないけど、それもまた供養のような気がします。新型コロナ収束と日常の暮らしが戻ることを祈りながら。僕が家族を撮影した写真の中で大好きな一枚。ピントは合っていませんが、シャッターチャンスがいい。自画自賛(笑)
2020.05.26
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「てっちゃん知っているでしょ。てっちゃんは僕のおじさんなんです」夜、遅い時間に北九州市の堀田さんから電話がありました。堀田さんは珍しく興奮していました。「てっちゃん」とは、中島哲郎さん。前日、親戚の法事で久しぶりに出会った2人は、僕たちの家族の話題に。互いに共通の知り合いだったことに気づいてなかったそうです。僕と千恵の結婚披露宴のときの写真です。千恵のきょうだいと母、アビスパ福岡の三浦選手(当時)と久永選手(同)。そして、左端の男性が、てっちゃん。20年前、てっちゃんが、北九州で雑魚料理「てつ」という飲食店を妻の久美子さん(右端)と経営していたとき、僕と千恵はその店の常連客でした。てっちゃんと久美子さんは、僕たちの仲人みたいなもの。千恵と結ばれたのは、てっちゃんと久美子さんのおかげです。泣き虫てっちゃん。披露宴では泣きながら、カントリーロードを歌ってくれました。千恵が病気になったとき、娘のはなが生まれたとき、葬儀のときも号泣。そんな心優しいてっちゃんが、千恵が他界した後、車の運転中に脳梗塞を起こしてしまいました。命は助かったものの、今、障害を抱えながら暮らしています。堀田さんとの出会いは昨年。映画「はなちゃん」の上映会を主催し、僕をゲストとして招いてくださいました。彼とは、それからのお付き合いです。「いのちのうた」にも、家族全員で参加してくれました。てっちゃんと僕は、なかなか、会えないでいたのですが、甥っ子にあたる堀田さんが、再会の場をつくってくれることになりました。3月末、てっちゃん宅で。成長した娘の姿を見て、また泣くんだろうなあ。てっちゃんに会うのが楽しみです。
2019.02.02
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コンサート終了後、ロビーでご挨拶をしていると女性2人が僕のところに駆け寄り、こう言いました。地震で家もなんもかんもなくなってしもうたけどみなさんの歌や語りに元気をもらいました。仮設住宅にずっと閉じこもりがちでした。きょうは出て来てよかったです。熊本地震の復興支援に取り組む全労済熊本県本部からの委託イベントとして開催した「いのちのうた」。そもそもは、12年前から福岡の神社やライブハウスで開催している小さな音楽イベントです。千恵の追悼コンサートとして続けてきましたが今回は初めての福岡以外での開催。しかも、経験のない大ホールでした。本当にやってよかった。やらせていただき感謝しかありません。「いのちのうた」で、いつも思うのですがステージに千恵がいるような気がするのです。今回は特に、一青窈さんの「ハナミズキ」を舞台袖で聴きながら、そう感じました。石ちゃんのパフォーマンスが会場全体を笑いで包み込み三宅伸治さんは圧巻のロックで前列のおばあちゃんたちをノリノリに(笑)本当にすごい。さすがです。トップバッターの中学3年生丸山純奈ちゃんの歌声には癒されました。彼女はきっと大スターになるでしょう。三宅さんの「何もなかった日」は2007年にステージで千恵も歌った曲。オールキャストで「♬いいことがあるといいね〜」を会場1600人のみなさんと大合唱しながらいろんなことを思い出して涙、涙。心身の両面から支えてくれたバンドメンバーの梶浦さん、渡辺さん、小屋敷さん舞台監督兼務の舛田さん、鍵盤の郡奈津子さん。比良松先生のピンチヒッターでホーンセクションに入ってくれた石橋由紀乃ちゃん全労済の和泉さん。三宅さんのいきなりの振りで歌声を披露した阿久根監督。みんな、みんな、最高です。MCを務めてくれた「よかあんばい JAPAN」の園木さん、中村さんにはいつも無理なお願いをしてばかり。個人的にお礼をしなければなりません。来年3月は東京。赤坂見附のライブハウスです。恒例の福岡は、7月13日(土)の予定。詳しくは、またお知らせしますね。アンコールのJUMP。ラスト8小節でサックスのリードが緩んだのか音がめちゃくちゃになってしまったことをお許しください。そこまでは珍しくうまく吹けていたのに(涙)次回、リベンジします。多分。何をやってもウケる。そこにいるだけでウケる。三宅さん、石ちゃん、一青窈さんのセットリスト。「スローバラードをサックスソロで演奏してよ」と三宅さんと石ちゃんからしつこく言われましたが、丁重かつ頑なに拒否させていただきました。年齢を重ね、どんどん美しくなる窈さん。以前から「いのちのうたで歌いたい」と言ってくれていました。やっと、実現しましたね。子育てと仕事で忙しい中、本当にありがとう。当日初めて顔合わせのバンドとのリハーサルで、まとまり感と完成度に驚かれていました。肌の露出がちょっと多くないかい。はながずっと会いたがっていた純奈ちゃんとのツーショット。君の夢を実現させるのがパパの仕事。ママのときもそうだったんだよ。千恵が亡くなった10年前、いのちのうた継続のきっかけをつくってくれたベースの渡辺圭一さん(右)とブードゥーラウンジの小屋敷さん(左)。ダンスユニット「はなまな」のリハーサル。ステージ後ろの幕は、矢野きよ実さんの書。純奈ちゃんの衣装がかわゆすぎる。すぐに脱ぐ石ちゃん。右は会社の後輩の佐藤デスク。奥は、よかあんばいJAPANの2人。どうしても石ちゃんの写真が増えてしまいます。撮影したくなる存在。このあと、一緒に熊本の商店街を練り歩き、大パニックになりましたが、若者たちの写真撮影に気軽に応じておりました。こんな芸能人、なかなかいません。阿久根監督と石ちゃん。いつか石ちゃんを映画に。左から、ドラムの梶浦さん、ボーカル兼ギターの三宅さん、ベースの渡辺さん、お笑い担当でボーカルの石塚さん。馬刺しと伊勢海老の刺身、辛子蓮根、赤牛うまかったです。締めはみそ汁。お約束の「まいう〜」。Bar Colonで「世界一の乾杯」。石ちゃんのおごり。オーナーの鶴田さん、また行きますね。真ん中は、トランペットの由紀乃ちゃん。深夜の路地裏を歩くバンドマンと新聞記者。三宅バンドのメンバーと。三宅さんをはじめ、梶浦さん、渡辺さん、小屋敷さんの協力がなかったら、熊本での開催はあり得ませんでした。お疲れさまでした〜。三宅伸治 TRIBUTE ALBUM ソングライター一青窈 歌祭文 -ALL TIME BEST-石塚英彦 ロケットPORU(丸山純奈)145はなちゃんのみそ汁
2018.10.21
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高校生の娘が過去に風疹の予防接種を受けていたかどうかが分からなくなったので、母子健康手帳を取り出し確認していたところ、珍しく娘が興味深そうに横からのぞき込んできました。 1歳6カ月のページ。「子育てに困難を感じることがありますか」の問いに、ママが「何ともいえない」に丸をつけているのを見て苦笑いする娘。 「ちょうど、がんが再発したころやったけんね。ママは、はなを抱っこできんことが悲しそうやった」と理由を説明。 我ながら見事なフォロー。 さらにページをめくる。5歳まではしっかりと子育ての記録が書き込まれてあったけど、6歳からは白紙のまま。 それを見た娘が「ここで終わっとるやん。なんか涙が出てきた」 切なくもあったけど、母子健康手帳をテーブルの真ん中に置いて、久しぶりに親子でゆっくりと会話ができました。 「8年間の闘病、よくがんばったと思うよ」 「パパにとっては長かったやろ」 「どうして?」 「だって、ママもつらいだろうけど、家族も同じくらいつらいんじゃないの。つらいことって、長く感じるじゃん」 確かにね。 でも、つらいことばかりじゃない。あらためて娘に伝えようと思います。
2018.10.17
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「はなちゃん、(あなたの人生は)これからいい人生だと私は思います」「あなたは立派なお嫁さんになるわよ」娘のはなは、緊張しながら、大女優からの温かいメッセージに聞き入っていた。2016年2月9日、NHKの報道番組「クローズアップ現代」に出演した。テーマは「ガンを“生ききる”〜残された時間 どう選択〜」。スタジオには、全身にがんが転移している俳優の樹木希林さんがゲストで生出演。その希林さんが、涙を拭いながら、はなに語りかけてくれたのだ。希林さんは見事に「生ききった」と思う。「生ききる」とは、どう生きるかのお手本を残された人に示すこと。そう感じた。僕も死ぬ間際まで生ききりたい。希林さん、心からご冥福をお祈りいたします。
2018.09.17
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いつも、どこに行くにも娘と一緒でございました。幼い娘を背負って、東奔西走した日々が懐かしゅうございます。ところが、高校生になった娘は、平日の帰宅は遅いし、休みの日も化粧なんかしやがって、外に出たっきり、なかなか帰って気やしません。娘は思春期ど真ん中。どこで覚えてきたんだか。うざいとか、キモいとか。親子の情なんてありゃしねえ。まあ、そんな関係が健全だってことは、わかっちゃいます。でもね。父一人娘一人。つらいときも、寂しいときも、これまで助け合って生きてきたのに。切ないってもんじゃないですか。最近のおいらはロンリーファーザー。若かりし頃、天神界隈で「バックハグのしんちゃん」との異名を持っていた色男も寄る年波には勝てず、休日の過ごし方さえ、どうすりゃいいのかわかりません。霜降りの焼肉3切れ食べると腹いっぱい。キュウリのぬか漬けにホッとします。何々。そんなつまんねえ、口上はどうでもいい?ご無礼いたした。CHEER! daysの父の子育て第2話。お目汚しでございますが、どうか、読んでくださいまし。安武信吾さんとはなちゃんの、今。あれから10年、父の子育て 第2話
2018.09.17
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もう10年たったのか。あの頃は、こんなに笑える日が来るとは思わんかったなあ。この世に生まれてきてくれた娘には、感謝しかない。生きてさえいれば前に進める。これでいいのだ。とーちゃん、今は幸せ。安武信吾さんとはなちゃんの、今。あれから10年、父の子育て 第1話
2018.09.16
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いのちのうたを企画したのは亡き妻千恵。骨肉腫で亡くなった福岡県大牟田市の中学生猿渡瞳さんを追悼するため、2006年、彼女が好きだった曲を千恵が歌い遺族に聞いてもらったのが始まりだった。いのちのうた(2007年)以前、東日本大震災復興支援事業に一緒に取り組んだ全労済の担当者が熊本に異動。その直後に熊本地震があった。今度は、熊本の被災地支援活動を手伝ってもらえないか、と打診があった。福岡の「いのちのうた」を熊本でも、という提案だった。熊本地震復興支援活動「いのちのうた」10月20日午後1時、熊本市民会館。出演は三宅伸治さん、石塚英彦さん、一青窈さん、丸山純奈さん、ゲストに田口淳之介さん。サポーターは梶浦雅弘さん(Dr.)と渡辺圭一(Ba.)さん。はなもダンスを披露します。入場無料(申し込みが必要)。誰かが見てくれているんだなあ。1600人の会場は初めてだけど、高揚感しかない。※恒例の福岡「いのちのうた」は、9月7日です。いのちのうた(2007年)
2018.08.06
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日本テレビのななちゃん(鈴江奈々さん)が、5年ぶりにわが家を訪れました。美しい。昔は髪が長かった。今はお母さんです。娘と一緒に、みそ玉を作りました。楽しそうです。完成!この模様は、本日2月2日午後4時~5時(約12分間)、ニュースエブリで放送される予定です。※放送は関東ローカルです。手軽に作れて、キレイに効く!みそまる (生活シリーズ) [ 藤本智子 ]みそまるはなちゃん12歳の台所 その後の、『はなちゃんのみそ汁』 [ 安武はな ]
2018.02.02
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きょう、娘の中学校で「弁当の日」が行われた。ルールは、献立から箱詰め、後片付けまで子どもだけでやること。親は一切手伝わない。口出しもしない。香川県の竹下和男先生が提唱した食育の取り組みだ。四国で始まったのは2001年。今では全国で約1800校の小中学校が取り入れている。亡き妻千恵が、4歳の娘にみそ汁作りを教えたのも「弁当の日」の取り組みを知ってからだった。「ひとつ作るのも、2つ作るのも一緒やけん、パパの分も作ってあげるね」「パパ、世界一おいしい弁当だったよ」保育園の遠足で、僕が初めて作った弁当を娘が完食してくれたことを思い出した。料理が人を幸せにしてくれることを幼い娘が教えてくれた。あれから9年。パパからの「完食返し」。奥の部屋から千恵が見ている。絵本 “弁当の日”がやってきた!! [ 竹下和男 ]
2017.11.07
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今秋、親子で、福島県会津若松市(10月7日、會津風雅堂大ホール)といわき市(10月8日、いわき芸術文化交流館アリオス中劇場)に行くことになりました。友好紙の福島民報社の主催。会社を通じての依頼でした。「はなちゃんのみそ汁」の上映会とパネルディスカッションがあります。娘とは2度目の福島。「子どもがつくる弁当の日」の提唱者、竹下和男先生も一緒です。「弁当の日応援プロジェクト」の一環で、入場無料。新しい出会いがありそう。楽しみです。問い合わせは、福島民報社会津若松支社=0242(28)6900写真は、以前、コープおおいた主催で行われた竹下先生とのトーク。こんな感じでやります。
2017.08.30
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今年の「いのちのうた」は、9月18日(祝)です。会場はアーリービリーバーズ(福岡市中央区天神3-5-19)。そもそもは、亡き妻千恵が、骨肉腫で亡くなった少女の追悼コンサートとして始めた音楽イベント。今年は10回目です。はなとパパも、ステージで少しだけ演奏します。わが家の“法事”を盛り上げてください。皆様の来場をお待ちしています。追記最近、スロージューサーで作ったニンジンジュースで絶好調です。ヒューロムのH-AAがおすすめです。もう、やめられまへん。【野菜セット付】最新モデル!ヒューロムスロージューサー H-AA 1台【ポイント10倍】【送料無料】【にんじんジュースセット付】【低速ジューサー】【コールドプレスジューサー】【hurom】【HAA】【日経新聞】
2017.06.27
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妻の千恵が他界し、このブログを閉鎖しようと思ったとき、助産師の内田美智子先生から、止められました。「あんたたちのような親子は世の中にたくさんおる。奥さんが亡くなっても残された家族は元気で楽しく暮らすことができる。そんな未来が必ず訪れる。そのことを千恵さんが残したブログにあなたの言葉で伝えていきなさい」伝えられたかどうか、分かりませんが、8年間、細々と書き続けました。ブログのほかにも、講演で全国を駆け回ったり、娘は子ども向けの「みそ汁教室」の講師を務めたり。がんで身内を亡くした家族と寝食をともにする癒しの場「海のイスキア」も開設しました。でも、ひとつだけ、やってなかった、というか、意識的に避けていたことがあります。幼い子をもつ、がん患者のお母さんと正面から向き合うことです。つまり、闘病中の千恵と同じ立場の人を物心両面からサポートすること。おそらく、全国でも例がないその活動に取り組む1人の医者と出会いました。金城舞さん。彼女は、乳腺外科の医師です。外科医といえば、極めて多忙な職業。僕の高校の同級生は医大を卒業した後、外科医として働いていましたが、「このまま、この仕事を続けていたら自分が死んでしまう」そう言って、彼は、数年後に他の医療の仕事に就きました。そんな激務をこなしている彼女が僕にこう言ったのです。「今、とてつもない勢いで乳がんの若い母親が増えている。できるだけ治してほしいから、最善の治療を提供する。でも、治療が長引き、使う薬がなくなってしまうこともある。そんなとき、母親は、子に何かを残そうとする気力も体力もない。同じ子をもつ母として、じっとしていられなくなった」彼女は、友人らとNPOを設立し、がん闘病中のママとその家族を支えるためのクラウドファンディングを開始しました。データを見なくても伝わってくる現場の危機感。彼女の話を聞いていると、仕事がきついとか、休みがほしい、とか言っている自分が恥ずかしくなりました。僕も全力で応援するつもりです。以下、彼女からのメッセージです。この秋より、[子育て中にがんになり、不安を抱えながらも精一杯生活をされているママと、その小さな心を痛めているかもしれないお子さんを少しでも笑顔に、そして安心を感じていただけるようなサポート活動]を始めました。現在、想いを伝えながら少しずつ支援してくださる方を募っておりますが、11月28日から[私たちの活動を継続運営し、必要とされる方に情報をお届けするための資金を募る]クラウドファンディングを開始いたしました!「びょうきのママをささえ隊」一口サポーター募集この活動を始めた経緯や熱い想い、そして支援を必要とされている方の現状は下記のプロジェクトサイトを見てみてください‼︎私たちが支援したい、がんと向き合うママたちの中には、シングルマザーの方や高い治療費で経済的に余裕のない方もいらっしゃいます。その方たちも不安なく参加していただけるように、イベントなどの参加費は極力抑えて開催します。子育ても治療も、張り詰めた思いで頑張っているママたちが、ホッと一息つくことのできる場作り、また笑顔で前を向くことができるきっかけ作りを、スタッフ一同精一杯頑張ってまいります。1人でも多くのママとお子さんをサポートできるよう、この情報の拡散など、応援をよろしくお願いいたします。「びょうきのママをささえ隊」一口サポーター募集是非、応援お願いします。============現在、以下でも情報発信中ですので、ご覧になってください。癌のママと子どもの支援 | 不安が安心に変わるブログがんのママの【不安解消】知恵袋www.facebook.com/mama.sasaetai
2016.11.28
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段ボールコンポストを使い始めて2カ月半。家庭ゴミが半分以下に減ったような気がする。以前、千恵と購入した段ボールコンポストは、3カ月もたてば、水分でぼろぼろになった。今回使用しているのは、JA糸島アグリ店の「すてなんな君」。まず、シートを敷いた段ボールに基材を投入。このシートがあるから、段ボールが痛まず長持ちする。そこに生ゴミを入れて、かきまぜる。きのうは、温度が45度まで上昇。これまでの最高は55度。「あったかーい」と楽しそうな娘。くせになりそう。
2016.11.25
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昨日は、丸一日、フリータイム。話題の映画「この世界の片隅に」を娘と観た後、午後からは、ずっと前から行きたかった新宮町のIKEAへ。休日とあって、家族連れが多く、駐車場に車を止めるのにひと苦労。入ってみて、まず、広さにびっくり。人の多さにびっくり。商品を安く提供するためのセルフサービスが特徴のIKEA。提案型の展示コーナーを歩くだけでも楽しく、機能的でデザインも好みのものが多い。しかし、時計は午後4時を回り、そろそろ帰って、夕食の支度をしなきゃならない。来客用の布団購入が目的だったが、システムに不慣れなうえ、レジには行列ができている。後ろ髪を引かれる思いで、店を出た。で、行きつけのニトリへ。ふとんの種類もたくさんある。スタッフの説明も丁寧だ。ふかふかの羽毛掛け布団と、マットレスがいらない4層構造の敷き布団を買った。店内滞在時間は、わずか15分。試しに、自宅で横になってみた。5秒で眠ってしまいそうだ。大満足。12月にお越しになられるあの人には、この布団で寝ていただこう。4層ボリューム敷ふとん シングル(4ソウボリューム S) ニトリ 【送料無料・玄関先迄納品】かるふわ羽毛掛ふとん シングル(UL-16 S) ニトリ 【送料無料・玄関先迄納品】
2016.11.24
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週末に休みがとれたので、3年ぶりに、お世話になっている新潟の女性歯科医のところに遊びに出かけた。2日間、全力で遊び、疲れ果てて帰宅した昨夜、風呂も入らず布団の中に潜り込むと「パパ汚いよ。疲れているときこそ、お風呂じゃないの」と娘の指摘。どんどん、ママに似てくる。写真は上越新幹線の中。自撮り上手な娘。新潟銘酒「八海山」。日曜日には、蔵見学に行きました。やばいぞ、このうまさ。お歳暮にどうぞ。【日本酒ギフト】『 新潟銘酒 八海山 大吟醸 300mlサイズ 1本ギフト箱入 』上棟式の引き出物にお祝い、粗品やプチギフト、記念品クリスマスプレゼント、父の日ギフト母の日、誕生日プレゼント用にもお奨め!
2016.11.21
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僕と娘の暮らしをモデルに、わが家の10数年後を描いた短編小説がある。「こーちゃんのおみそ汁」7本の短編をまとめた単行本「あつあつを召し上がれ」(新潮社)の中に収録されている。著者は、作家の小川糸さん。2011年に出版された本。久しぶりに読んだ。幼いころに母、秋子を亡くした呼春(こはる)が嫁ぐ日の朝、父親にみそ汁をつくる。母親に教わったみそ汁。父のためにつくる最後のみそ汁。もし、自分が生まれてこなければ、母は命を落とすことはなかったのでは。そう悩む娘に父は、こう答える。「確かに、出産したことで、秋子は体力を落としたかもしれない。でも、呼春が生まれて再発するまでの数年間は、本当に僕たち夫婦にとっては、天国だったんだ。その時に、人生のすべての喜びを、思う存分、味わったんだ。それに、もし、こーちゃんがいなかったら、お父さんは一人で淋しくて、耐えられなかったよ。だから、すべてはなるようになっているんだと思う」いつか、そんな日が僕たち親子にも訪れるかもしれない。』」文庫本もあります。あつあつを召し上がれ [ 小川糸 ]
2016.11.18
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娘のはなと特別養護老人ホーム「ラ・ポール有田」(福岡市)で、講話をしてきました。「はなちゃんのみそ汁」上映後のアフタートークです。この1年で多くの場数を踏んだ娘。どんな質問にも、それなりに答えられるようになりました。イベント終了後は、出口でお礼のご挨拶をします。娘は、記念撮影を求められることが多く、目が合うと、涙をポロポロと流し始めるお年寄りもいらっしゃいます。ハグをして、しばらく話をして、握手をして。次の人も、同じように目に涙がいっぱい。娘は、とても良い経験をさせていただいています。ありがとうございます。[DVD] はなちゃんのみそ汁
2016.10.05
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こういうのは、ブログで公開するのはどうかなと思うのですが、近況報告も兼ねて、ということでお許しを。7月2日午前11時から福岡市南区高宮のアミカスで講演します。参加者のみなさまには、主催者から特製クリアファイル(はなちゃんのみそ汁の作り方)のおまけつき。申し込みはメールで:yasutake.kouen@gmail.com
2016.06.24
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娘のはなが小学生のころほしがっていた卵焼き用の小型フライパンをネットで注文した。弁当にちょうどいい。ちょっとおしゃれなやつ。卵1個でも、ふっくらと厚焼き卵が作れる優れものだ。小泉誠 あんばい ambai アンバイ 卵焼き器 フライパン コンパクト 鉄 ファイバーライン こびり付きにくい 焦げ付きにくい IH対応 日デザイン賞受賞ambai 玉子焼 角小(卵焼き器)自宅に届くのが待ち遠しい。卵焼きは、はなの得意料理のひとつ。わが家には、卵焼き用の小型フライパン(角)がなかったため、はなは弁当を作るとき、「重い、重い」と言いながら、いつも、大きな丸い鉄製のフライパンを使っていた。こどもの日のプレゼントにしようと思う。でも、思春期ど真ん中の娘(中学2年)。想定外の反応も考えられる。今はダンスや勉強に忙しく、「何それ」などと言われかねない。もうちょっと、早く買ってあげればよかったか。なんか、微妙だぞ。
2016.04.21
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ヤフー映画評にたくさんの星をいただき、ありがとうございます。ユーザーレビューを読みながら、「なるほど、そういう見方もあったのか」などと感心させられてばかりです。はなちゃんのみそ汁※よろしければ、評価のクリック、コメント書き込みをどうぞ〜。振り返ると、撮影の前倒しという前代未聞のクランクインに始まり、カメラマンの寺田さんが抗がん剤治療を中断して加わってくれたこと、この映画化のきっかけを作ってくれた村岡プロデューサーの入院、音楽のズンさんには大変なご苦労をおかけし、阿久根監督にも随分と無理を言いました。さまざまな困難を乗り越えて、ここまできました。役者さんたちは、映画宣伝のため不慣れなバラエティー番組に出てくださり、昨年末のプロモーション活動では自分自身が過労でダウン。娘を心配させてしまいました。ちょっと矛盾しているかもしれませんが、命の尊さを伝える映画なのに、スタッフみんなが命懸けだったと思います。さて、その映画も、全国上映第2週に突入しました。これまで映画館に足を運んでくださった皆様には、この場を借りて厚くお礼申し上げます。あとどのくらいの期間、映画館で上映してもらえるかわかりませんが、引き続き、皆様のご支援をよろしくお願いいたします。2016年1月20日時々、旦那連載「はなパパの食べることは生きること」
2016.01.20
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娘が朝日新聞の「ひと」に掲載された11日の朝。筑豊に住む母から電話がかかってきた。「東京の友達から、はなちゃんが朝日新聞に載っとるって電話があったとたい」「そうよ。コンビニで買っておいで」「西日本新聞には同じ記事は載らんとね」「そりゃそうくさ。他社の新聞には同じ記事は載らんよ」「そんなら買わないかんね」「読んであげてよ。写真もかわいい」「そりゃ、買わないかん」「文章もうまいよ」「はなが書いたとね?」「はなが書くわけないやん。朝日新聞の記者が書いとるったい」「あーそうたいね。新聞やけんね」「悔しいけど、俺より記事がうまいっちゃんね」「そりゃ、あっちは新聞記者やけん、うまかろう」「俺も新聞記者なんやけど」「あーそうやったかいな」電話を切って、思いました。映画「はなちゃんのみそ汁」で、高畑淳子さんが演じる母にそっくりだと。連載「はなパパの食べることは生きること」
2015.12.11
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久しぶりの完全休日。朝食は、娘の手作りモーニングセット。目玉焼きとチーズをのっけたトーストに、ふかし芋とサラダ。教会に行って巡礼にお越しになった直方・田川地区の皆さんとバーベキューして。バレーボールして、汗かいて。午後から、がんで入院中の知人を見舞いに行って。バルコニーの掃除して。リビングに戻るとそこには、映画「はなみそ」試写会で観たあるシーンと同じ色が広がっていた。僕がピーナッツ食べながら新聞読んでいて千恵がソファで気持ちよさそうに横になっていてはなが、お絵描きをしていたんだよな。起き上がった千恵が、「さ〜てと。夕食は何つくろうか」と言った。特別なことは何もなかった。だけど、平和だった。夏の終わりのころだったように思う。あのときと同じ。連載「はなパパの食べることは生きること」
2015.10.19
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千恵が歩くことさえ難しくなっていたころ。僕は、新聞社の出版編集の部署にいた。タカコ ナカムラさんと千恵の共著の本を作ろうと考えていた。タカコさんは、千恵が尊敬する料理家。僕は、本が完成すれば、千恵の病気が治ると信じていた。公私混同も甚だしかった。でも、残念ながら、時間が足りなかった。あれから7年余。娘のはなが、著者として出版を引き継いでくれた。タカコさんも喜んで引き受けてくれた。はなは、1年前から、千恵が作った料理と思い出を振り返りながらメモをとっていた。撮影は、あのころから製作スタッフとしてお願いするつもりだった東京在住のカメラマン野口 修二君。当時から、千恵が料理をしている写真もたくさん撮りためてくれていた。本は11月に発売予定。タイトルは「はなちゃん12歳の台所」に決まった。昨夜、出版元である「家の光協会」の編集者から本の初校が届いた。ページを開いた。コラムには家族のエピソードが満載。料理は懐かしく、いろんな場面がよみがえる。本作りにかかわってくれたみんなの思いが詰まっている。レシピ本だというのに、読んでいるとなぜか泣けて、時々、笑える。「あいつの供養になるかな」などと、物思いにふけるシルバーウィーク前半の朝。連休中、この初校と出来立ての絵本を持って、墓参りに行こうと思う。【楽天ブックスならいつでも送料無料】はなちゃん12歳の台所 [ 安武はな ]こちらは、9月17日に講談社から発売された絵本。【楽天ブックスならいつでも送料無料】絵本はなちゃんのみそ汁 [ 安武信吾 ]
2015.09.20
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本日、9月1日から西日本新聞の生活面で、連載「はなパパの食べることは生きること」が始まりました。毎週火曜日掲載です。尊敬するペコロス岡野さん、大好きな伊藤比呂美さんと同じ面です。たいへん光栄でございます。妻の千恵が他界して7年。泣いたり、笑ったり、泣いたり、泣いたり、いろんなことがありました。親としてまだまだ未熟な僕が、失敗ばかり繰り返しながらも、娘のはなは、今春、中学生になりました。よく育ってくれたものです。「えらいぞ、自分」と言ってやりたいです。(誰か言ってよ)連載では、娘との暮らしや人との出会いで感じたことをつづります。病気を患い、日勤職場に異動して以来、12年ぶりの記者の仕事です。このブランクはとてつもなく大きい。本を書くのとはまったくの別物。全然書けない自分の筆力のなさに、かなりショックを受けています。こんな自分に編集委員の辞令を出した会社は勇気があると思います。「こら、あかんばい。不評で打ち切り」なんてことになりませんように。皆様のご支援(定期購読)にかかっております。娘に飯を食わせるため、未来を担う子どもたちのため、連載を読んでくださるあなたのために。どれだけお役に立てるかどうか、やってみなければ分かりませんが、もうひと踏ん張り、がんばりたいと思います。皆様の温かい突っ込みと激励をお待ちしています。どうぞ、どうぞ、よろしくお願いいたします〜。
2015.09.01
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過去のメールを整理していたら、単行本を執筆したときの編集者とのやりとりが出てきた。安武信吾さま続きの原稿、ありがとうございます。これから拝読します。結局スターバックスも電波通じなかったみたいですね……お役にたてずすみませんでした。これからいちばん大変な部分かと思いますが、こちらでお手伝いできることはまかせていただいて、まずは心のいちばん深いところをのぞきこんで、すべてを書ききってくださるのをお待ちしております。文藝春秋S様 W様先日は、お昼、ごちそうさまでした。有意義な時間でした。こんなことやってて大丈夫なんだろうか、と思いつつ、作業をしていたのですが、お2人にお会いして少し気が楽になりました。あの後、汐留のビルの谷間で作業をしました。ブログは5月下旬までを拾いました。どの日記も、読者にとって意味のないものでも、ぼくたちにとっては意味があるもので、落とすことができず、結果、とんでもない枚数になっております。5月の日記はつらいです。今日も、福岡のシアトルズベストで、涙をぼろぼろ流しながらの作業となりました。あと、5月末~6月上旬の分を付け加えたら、ブログ編は終了です。これから先が、本当に、思い出すのがつらい執筆になります。あす、岐阜に出張です。自宅での最後の闘病記は、記録がありませんので、思い出しながらの作業になります。ブログの残りは、出張後にピックアップします。まったく整理されていませんが、とりあえず、今日までの分を送ります。しばらく、執筆に集中している間、ブログ編の見せ方、料理の仕方、ご検討ください。安武信吾結局、すごく苦しんで書いた自宅での闘病記は、編集担当者とデスクの判断で、大幅にカットされた。それで、よかったのだと思う。最初の原稿は自宅のパソコンに残っている。いつか、読んでみようと思う。新聞連載に使えるかな。いや、やっぱ、やめとこう。
2015.07.15
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昨日は、千恵の命日でした。比良松先生、タカコ先生、安枝さん、山本夫妻がお参りに来てくれました。タカコ先生と夜、久しぶりに飲みました。映画の話、ホールーフードのこれから、ドキュメンタリーの製作、娘の将来など。娘には、あそこの教会で結婚式を挙げさせたい、とか。郷土の「寒北斗」うまかったし、会話も楽しかった。なぜ、楽しかったのかというと、どの会話の中にも必ず、千恵が登場するから。ぼくはやっぱり、千恵が好きなんだなあ、と思いました。命日が明けた今日の午前は、大名町教会で追悼のミサを神父様にお願いしました。娘は、部活の大会のため欠席。初めてのことです。身内でたったひとりのミサでしたが、自宅に帰って来た娘が、「パパ、今日はごめんね。でも、はなはいつもより長く、朝のお祈りをしたよ」それで、じゅうぶん。ミサのあとは、ソファで3時間ぐらい眠りました。きょうは、なーんもしてません。夜は、2007年の「いのちのうた」で、三宅伸治さんと千恵が二人で歌った「何にもなかった日」の録音を何度も再生しながら、娘の作った肉じゃがをつまみに、パパは、焼酎飲んでます。ものすご、よか休みです。
2015.07.12
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9月からの新聞連載の準備のため、過去のブログやメールのやりとりを読み返している。千恵が他界した直後、まったく仕事が手につかなかったころ。僕は出版部で編集の仕事をしていた。あのころ、どんなことを考え、何をしていたのか。ふらふらしながらも、手掛けた本は、熊本の食肉センターで働く坂本義喜さんと牛のみいちゃんの物語「いのちをいただく」だった。千恵の看病のため、しばらくの間、本の編集作業が中断していた。著者は助産師の内田美智子先生、監修は九州大学の佐藤剛史先生。2008年11月14日、剛史先生とメールで、以下のようなやりとりをしていた。メールの内容は、本の第2部「いただきますということ」の構成についてだった。安武さん先日はお疲れ様でした。昨日、安武さんも蒲江の村松さんにお会いしたそうですが私も会いました。こんな話をされていました。------------最近、小学校に招かれて講演に行く。そこで「命をいただく」という話をすることがある。子どもたちから「せっかく育てた魚を殺すのに かわいそうにならんの?」と聞かれることがある。きっぱりと「それは思わん」。この魚は、お客さんに喜んでもらおうと思って大切に育てた魚。だから、お客さんが喜んでくれるために魚を殺すことはかわいそうに思わん。でも、その魚が食べ残されたりしたら「かわいそうやな~。 せっかく育てた命を…」と思う。だから子どもたちに言う。「食べ物を残したらいけん。 食べ物を粗末にしたらいけん。 命を粗末にしたらいけん。 いただきますをちゃんといおう」-----------ということで、西園長、八尋さんにつづく候補は村松さんでいかがでしょうか。今日も市役所前にいるので取材をしようと思ったらできますが写真は、やっぱり海の前で撮りたいですね。12月に取材をかねて蒲江にいこうかと思います。佐藤剛史村松さん、よかこと言う。酒の席だったと思うが、その言葉をすかさずキャッチする剛史先生もさすがだ。第2部には、村松さんのほか、高取保育園の西園長、むすび庵の八尋さんも登場している。この本の完成を一番待ち望んでいたのは、千恵だったのかもしれない。佐賀県三瀬村の諸井和美さんに、この本の絵を依頼したのは千恵だった。出版祝賀会には、ホールフードスクールのタカコ先生、子どもがつくる弁当の日の提唱者、竹下和男先生もお祝いにかけつけてくれた。余興では、つきさんが「めまん」の格好をして、踊ってくれた。つきさんは、その後、千恵と同じ病で亡くなった。題字は、はなの文字。帯には、六本松さくら(千恵のハンドルネーム)の言葉を遺した。たくさんの人の思いが詰まった本に仕上がった。僕の再出発となった一冊。さて、と。連載の執筆が全然、進みません(笑)【楽天ブックスならいつでも送料無料】いのちをいただく [ 内田美智子 ]
2015.07.10
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娘が中学校に入学して1カ月半。吹奏楽部に入部しました。部活に習い事のジャズダンスとアフリカンダンス。ときどき、ギターとピアノとボイストレーニング。忙しい中学生です。でも、娘はとても充実した毎日を過ごしています。朝は寝坊することも、たま〜にありますが、台所に必ず立ち、食事が済んだら新聞一面コラムの書き写しと英語の学習。夕食も毎日ではありませんが、ぼくと一緒に作ります。そんな娘が、夕食の後、ノンカフェインの紅茶をいれながら、ぼくに言いました。「幸せだね〜」。娘が「幸せだね〜」と言ってくれるから、ぼくも幸せです。※我が家ではこの時間を「ほののんタイム」と呼んでいます。娘は音楽が大好きなふつうの中学1年生で、私たちは、ふつうの日常を送っております。この1年、親子で病気もまったくしておりません。夜9時半に就寝する娘は、心も体も健康です。娘がこの世にうまれて12年。嵐のような日々もあったけど、いま、家の中はとても穏やかな時間が流れています。千恵と一緒に模索しながらたどり着いたこの生活スタイルが、ぼくたち親子には合っているのだと思います。以上、近況報告でした。
2015.05.14
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映画「はなみそ」の撮影が終わりました。4月5日、ぼくと娘もクライマックスのコンサートシーンの撮影にエキストラとして参加させていただきました。主演で千恵役の広末涼子さんが舞台に立ち、あのときと同じ色のドレスを着て歌ったのです。口パクではなく、生の声で。歌は、この映画のために一青窈さんが書き下ろしてくれた作品でした。カメラの位置を変えながら、十数回、同じ歌を繰り返し歌い続けた広末さん。コンサートホールが静まり返り、その都度、すすり泣きの声が漏れてきます。すごかった。会場全体が大きな愛で満たされました。曲が終わるたびに、ひとつ前の席にすわっていた一青窈さんと顔を見合わせ、涙をふきふき、「いかん。これは、いかんですね」と泣き笑い。歌を聴いて震えるほど泣いたのは、いつ以来だろうか。千恵が住吉神社能楽殿で、「今の自分」を語り「ハナミズキ」を歌ったとき以来だったかもしれません。撮影が神奈川県相模原市のコンサートホールだったため、九州の知り合いには、エキストラ出演の呼びかけを控えていたのですが、「無理してでも来てよ」と声をかけるべきだったと後悔するほどでした。撮影後、広末さんの楽屋を訪ねると、ぼくとはなに語りかけてくれました。「千恵さんがステージに来てくれていましたね」。ぼくの役を演じた滝藤賢一さんは、「安武さん、俺たちはやれるだけのことはやったよ。きっといい映画になる。間違いない」と、太鼓判を押してくれました。タイトなスケジュールの中、早朝から深夜までがんばってくれたスタッフと役者さんたち、エキストラのみなさん。建設会社勤務の合間に金沢から出てきて出演してくれた「腐ったみかんの方程式」の直江喜一さん。助産師役の内田美智子先生。病院に薬をもらいにきた患者役を演じた竹下和男先生。大刀洗の大女優、末次由美さん。ご協賛いただいた企業の皆様、会場を提供してくれた多くの方々。「みそ汁隊」として、撮影のランチタイムに差し入れのみそ汁をつくってくれたタカコさん、うもちゃん、すけちゃん、武田さん。メイキング担当のVINさんからは、「親が子に遺せるもの」をあらためて考える機会をいただきました。そして、六本松の小さな焼肉屋で出会ったことが縁で、この物語の映画化に動いてくれたプロデューサーの村岡さんと、ぼくの呼び出しに嫌な顔ひとつせず、台本を書く前にしっかりと話を聞いてくれた阿久根監督に感謝。忘れてはならない撮影監督の寺田さんへの感謝の言葉は、別の機会にしっかりと書かせていただきます。所ジョージさんが、「人生は50歳からがおもしろい」と言ってました。ぼくも50歳になって、生きていることが楽しいと感じられるようになりました。数年前までは考えられなかったこと。きっかけはすべて、人との出会い。それをつないでくれたのは千恵。はなは、そこにいてくれるだけで、ぼくに幸せを感じさせてくれます。公開は、12月(福岡と東京で先行上映)。1月から全国ロードショーです。同時期公開予定は、スター・ウォーズとのこと。製作費は完敗ですが、作品に込めた思いと情熱は負けておりません。【楽天ブックスならいつでも送料無料】はなちゃんのみそ汁 [ 安武信吾 ]
2015.04.09
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6年前、同業他社の記者から一通のメールが届いた。「直接会って、話をお聞きしたい」彼は、がんで亡くなった少女の物語の記事を書いているとき、偶然、このブログに出合い、「心を震わされた」と言った。6年前のきょう、千恵の誕生日の前日。そのブログとは、ぼくが酒に酔って書いた千恵へのメッセージだった。******************************さくら、誕生日おめでとう。※「さくら」は千恵のハンドルネーム1月28日で、34歳だね。初めて会ったのは、さくらが22歳のとき。まだ、大学院に通っていたころ。あれから12年たったのか。早いなあ。就職祝いをしたのは、津屋崎のイタリア料理店「エンゾ」。シェフのお父さんがやっている窯場で、湯のみを一緒に作ったね。ぼくは、湯のみに「宗像魂 心の教育」って書いた。さくらは、たんぽぽの絵を描いた。踏まれても、踏まれても花を咲かせるたんぽぽ。さくららしい絵だった。それから、いろんなことがあった。当時、さくらと付き合っていた彼とぼくは闘った。別れさせてしまった。つらい思いをさせてしまったかもしれない。沖縄にいるぼくの先輩が東京にいたころだった。ダメだったら、1人で東京に来い。一緒に泣いちゃる。成就したら2人で来い。財布はいらん。すべてまかせろ。先輩はハイアットの最高のホテルをとってくれて、連日、東京を巡りながら、ごちそうしてくれた。浅草で撮った写真、いまでも大事に持ってるよ。先輩、お金を使いすぎて、ぼくらが帰った1週間、水を飲んで生活してたそうだよ。いつか恩返し、せんといかんね。そんな幸せはつかのまだった。25歳のとき、乳がんが見つかった。抗がん剤、リンパ浮腫、脱毛。苦しかっただろう。8年間、よくがんばったね。素敵な出会いもいっぱいあった。みんなに支えてもらった。ぼくは今も支えてもらっている。さくらに、いちばん、感謝しなければいけないのは、ムスメを産んでくれたこと。いのちがけの出産だった。はながいなかったら、ぼくは今頃、どうなっていたか分からない。いま、はなのために生きることができる。そのはなも、もうすぐ小学校1年生。高取保育園の卒園式、草ヶ江小学校の入学式。天国から見ていてね。ぼくは、多分、ぐちゃぐちゃになるだろうな。絶対、無理。恥ずかしいことになってしまうけど、許して。さくらの34歳の誕生日のきょうから、少しずつ、君と出会ってからの12年間を振り返ることにした。つらくて、悲しい作業になると思うけど、がんばるよ。さくらが、どのように生きて、どのように死んでいったか。やっぱり、形にしたいと思うんだ。さくらが伝えたかった思いも、仲間と一緒に紡いでいく。ぼくの命が燃え尽きるまで、それだけは続けていきたい。やっと、そう思えるようになった。ちょっとは成長したかな。はな、毎朝、みそしる作ってるよ。ママのお祈りも続けてる。ピアノも日課。ママみたいに歌が上手になりたいんだって。「ママのこと、いっぱい話そう」。そう言って、保育園の送り迎えの車の中では、はなと2人で、いつもママの話しをしながら大笑い。さくらは、ほんとにおもしろかった。そして、最高にやさしかった。誕生日、覚えてたよ。えらいでしょ。いつも、うっかり忘れてて、怒られたもんね。さくらが大好きなアンジーで、花、買ってくるから。34歳、おめでとう。 ****************************** 記者から届いた一通のメールが、きょうに至るまで、まったく想定していなかったさまざまな出来事が起こる出発点だったように思える。記者は、ぼくたち家族の話を記事にした後、千恵を支えてくれた助産師の内田美智子先生、千恵の作った詩に曲をつけてくれたローマの古木涼子シスター、千恵が命が燃え尽きるまで情熱を傾けたホールフードの提唱者で料理家のタカコナカムラさんを取材してくれた。千恵が生きていれば、1月28日で40歳。今朝、その記者から、件名に「ハッピーバースデー」と書かれたメールが届いた。安武様これにてシスター、内田先生、タカコ先生の3部作の完成です。すべて千恵さんのおかげです。改めてお礼申し上げます。【楽天ブックスならいつでも送料無料】はなちゃんのみそ汁 [ 安武信吾 ]
2015.01.27
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夜の11時を過ぎました。いつもは9時に就寝する娘が珍しく起きています。きょうは、佐賀市文化会館で、一青窈さんのコンサートがありました。「はなちゃんとはなちゃんのママに捧げます」と言って歌ってくれた曲が、一青窈さんのアルバム「私重奏」にも収録されている「パパママ」。♪ママの涙みたの。はたったの一度だけでした。よく頑張りましたね弱音を吐きませんでしたねパパのことを とても 愛していましたね♪歌の出だしでノックアウト。もうダメです。今朝も、この曲をCDで聞いて泣いたパパでした。楽屋で、一青窈さんが、はなにプレゼントを渡してくれました。手紙が添えられていました。はなちゃんへこれからもたくさんの人を笑顔にしてください。私の歌を愛してくれた千恵さんに感謝します。はなちゃんの家族に出会えて良かった! 窈広末涼子さんも、映画の製作発表記者会見で「命をかけて千恵さんを演じたい」と抱負を語ってくれました。滝藤賢一さんは、千恵が最期まで大切にしていた「無敵バッジ」を身につけてくれています。みなさんが、今この世にいない千恵を感じ、千恵の話をしてくれる。ぼくは、それがただうれしくてうれしくて、たまらないのです。
2015.01.12
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24時間テレビの放送後、取材や講演の問い合わせが相次いでおりましたが、ひと月が過ぎて、ようやく、落ち着いた感じがします。きのうは、会社を卒業された先輩から「はなちゃんも連れておいで」と誘われ、夕食をご一緒させていただきました。先輩は今、がんの治療中。「はなみそ」を読んでくれたそうです。「お前が大変だったときに、俺は何もしてやれんかった」と泣きそうな顔で謝罪されました。こうやって、誘っていただくだけでも、ぼくはうれしいのです。ぼくの方こそ、入社したときからずっとお世話になっているのに、不義理ばかりしてごめんなさい。「はなちゃんは、どうや。いじめられたりしとらんか」と、娘のことも心配もされておりました。本がドラマ化されたことで、多くの皆様から、同じようなことを聞かれます。「うわついているのではないか」とのご指摘もあります。漠然とした不安です。根拠はないのですが、よく、分かります。ドラマの最後にひまわり畑に父と娘が登場するシーンがあります。ぼくは、脚本を読んでいたので、放送前から知っていました。番組のために上京する前日、はなが小学4年のときに描いたひまわり畑の絵を思い出しました。ドラマの翌日、ぼくたちは日本武道館で生出演の予定でした。「はなちゃん、日本武道館にひまわり畑の絵を持って行こうか」と、娘に提案したところ、「パパ、余計なことはせんでいい。ドラマだけでじゅうぶん」と却下されました。うわついているのは、パパのほうでした。心配されている皆様。娘は多分、大丈夫です。今朝、先輩から電話がありました。「きのうの余韻に浸っとるぜ。いい時間やった。来てくれて、ありがとう。はなちゃんの本は神棚に飾っとるからな」こんな素敵な人たちに囲まれています。ぼくたちは多分、大丈夫です。はなちゃんのみそ汁 文春文庫 / 安武信吾 【文庫】
2014.10.04
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今、娘と学校の話をしています。いっぱい悩みがあるみたいです。小学6年生ですからね。当たり前です。聞いていると、結構、重いです。じっくり耳を傾けて、明日からどうすればいいか、2人で考えたいと思います。つらいけど、なぜか楽しい。親であることを感じさせてもらっています。「ブログを更新してください」というコメントをたくさんいただきました。千恵が死んで、ブログを閉鎖しようと思いました。それから、6年が経ちました。書きながら、私たち親子が、みなさんに支えられていたことに気づきましたやっぱり、これからもブログを書き続けます。間が空くかもしれませんが、ぼちぼち、書きますね。ありがとうございます。はなちゃんのみそ汁(文春文庫)
2014.09.04
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きょうは帰宅が遅くなったので、晩ご飯は娘と行きつけの食堂へ。カウンターに座ると隣に知人の女性がひとりで飲んでいた。女性は60代。半年前にご主人をがんで亡くされ、今はマンションで一人暮らし。「あんたやから話せるんやけどね」女性は、そう切り出すと、ご主人の思い出を語り始めた。楽しかったこと。苦しかったこと。許せないほど、悔しい思いをしたこと。女性は30分ほど一気に話し、最後にこう言った。「あの人とは、いろいろあったけど、会えるんだったら、今すぐにでも会いたいよ。私はやっぱり、あの人が大好きやもん。年下なのに、なんで私より先に死んだんやろか。ねえ、いつまで、この苦しみは続くんやろうか」ぼくは、「そうですね」「きついですね」を繰り返すだけ。気のきいた言葉は、何も見つからなかった。娘が眠そうな顔をしていた。ぼくは、お勘定を済ませ「じゃあ、きょうはこの辺で」と言って席を立った。「あー、すっきりした。また、話相手になってね」女性はぼくと娘に笑顔で手を振ってくれた。「人生は刻々変わり、家族の状況もあなたも変わり・・・。その中で、人とのつきあい方もつきあう相手も刻々と変わっていく。それが人生ではないでしょうか」数日前、新聞に掲載されていた詩人の伊藤比呂美さんの言葉を思い出した。「あのころが一番きつかったね。でも、もう大丈夫。今は幸せ」。そんなふうに振り返ることができる日が必ずやってくると思う。ぼくにできることは、話に耳を傾けること。一緒にご飯を食べること。8月9日(土)と10日(日)の2日間、福岡県福津市津屋崎に「海のイスキア・夏」を開設します。津屋崎の旧家で、ともに過ごし、語り合う集いの場。娘と一緒に、みそ汁づくりの準備をして、お待ちしています。海のイスキアはなちゃんのみそ汁(文藝春秋)はなちゃんのみそ汁(文春文庫)【楽天ブックスならいつでも送料無料】はなちゃんのみそ汁 [ 安武 信吾 ]
2014.07.29
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音楽とは、あまり縁のない人生だった。聴くのは以前から好きだったが、演奏なんて、とんでもなかった。千恵と出会って、その喜びを知った。「いつか、家族で演奏しようよ」と千恵が言っていた。ギター、ドラム、カホン、サックス、最近はジェンベでアフリカンも。あいつが、ぼくを音楽のとりこにした。2007年10月の「いのちのうた」で、よしこさんと千恵が歌った。千恵の語りと歌を聴き、ぼくは舞台袖でわんわん泣いた。千恵は「やりきった」と言った。ぼくは、まだまだ、何年も歌い続けてほしかった。はなが、もっと大きくなるまで。7月12日は、七回忌コンサート「いのちのうた」。7年ぶりに、hanautaのよしこさんとMASAHAさんも出演する。いのちのうた千恵の代わりに、はながステージに立つ。よしこさんと歌う。こんな日が来るなんて、まったく想像もしてなかった。2008年7月、千恵が他界した。途方に暮れるとはこういうことなんだ、と思った。アルコールに依存していた日々。闇の中にいた。光はどこにも見当たらなかった。もう、終わりと思っていた。けれども、はなが「いのちのうた」で、千恵と同じようにステージに立つ日が訪れようとしている。あんなに小さかったはながピアノを弾きながら歌う。おまけの人生、万歳。生きてて、よかった。いのちのうた2014年7月12日(土)午後3時〜ゲスト:中村耕一、矢野きよ実、古木涼子出演:三宅伸治、hanauta、梶浦雅弘、渡辺圭一、安武はな会場:ザ・ブードゥーラウンジ(福岡市中央区天神3-2-13天神センタービル3階)前売券3,000円(+ワンドリンク500円)当日券3,500円(+ワンドリンク500円)※小学生以下無料チケットぴあ Pコード233-299メール予約:voodoo_fukuoka@yahoo.co.jp(公演日、タイトル、お名前、連絡先、枚数をご記入ください)問い合わせ:ザ・ブードゥーラウンジTEL092-732-4662はなちゃんのみそ汁(文藝春秋)
2014.07.09
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今朝、娘は人生最高の笑顔で家を出ました。「学校まで手を振りに行くぞ」と玄関を出ると、「お願いだから、それだけはやめて」と制止されました。嫌がる娘を思いっきり抱きしめて、すりすりして、マンションのエレベーターの前で見送りました。待ちに待った修学旅行。目的地はママの故郷、長崎です。家族で行った思い出のハウステンボスもコースに入っています。数日前から、準備物のチェックをしていました。なんと、娘は班のリーダーになったそうです。まとめ役ができるのか、やや不安です。旅行前にはちょっとした悩みもありました。お小遣いは、4,000円までと決まっているのですが、同級生から、「一緒に5,000円持って行こうよ」と声をかけられたらしく、「持って行かなかったら、仲間はずれにされるかも」と心配していました。結局、「嫌われてもいいや」と同級生の誘いには乗らなかったみたいです。こんな小さな決断の積み重ねが成長につながるのでしょう。娘にとっては短い一泊二日ですが、パパにとっては長〜い一泊二日。あす夕方帰宅したら、思いっきり、すりすりしてあげましょう。
2014.06.04
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妻が病で他界して6年になります。数年間は喪失感に苦しみ、先のことなど何も考えることができませんでした。「時間が薬」と誰かが言いました。「そんなこと、あるもんか」と思っていましたが、今は、小学生の娘と幸せな日々を過ごしています。振り返ってみると、薬は時間だけではありませんでした。夜を徹して酒に付き合ってくれた人、登山や旅行に誘ってくれた人…。多くの友人たちに助けてもらいました。そして、当時5歳の娘が作った朝食のみそ汁が、ぼくに「もう一度、生き直す力」を与えてくれました。ぼくは、心を病んだ人たちの癒しの場として知られる青森の施設「森のイスキア」を思い出しました。主宰の佐藤初女さんは、訪れた人と一緒に台所に立ちます。調理をしながら、苦しい胸の内に耳を傾けます。一緒にご飯を食べる。話を聞く。アドバイスはありません。初女さんは、うなずき、肯定し、寄り添うだけなのです。それは、ぼくが友人たちにしてもらったことと同じでした。昨年、友人たちへの恩返しのつもりで、パートナーや家族を亡くして苦しんでいる人たちに呼びかけ、津屋崎で寝食をともにする1泊2日の集いを開きました。泣いて笑って、語り合いました。それぞれが、明るい未来を予感する2日間を過ごすことができたと思います。これから「海のイスキア」を目指し、仲間たちの力も借りて、一人でも多くの方に寄り添う場をつくりたいと思います。まずは、2014年は春夏秋冬、計4回の開催。今年も津屋崎でお会いしましょう。海のイスキア
2014.05.17
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「はなちゃんは笑顔がいいね」周囲の人から、そう言われるのが、ぼくは一番うれしいのです。これからも、ずっと笑顔で。提供:家の光撮影:Katsuさん【送料無料】はなちゃんのみそ汁 亡き母と娘の約束 [ 安武信吾/安武千恵/安武はな ]
2014.03.27
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帰宅すると、娘がニコニコ顔だった。体育の授業のサッカーで、人生初のゴールを決めたらしい。「はな、ゴールを決めた後ずっと、ふなっしー状態やったとよ」その言葉に喜びの爆発度合いがうかがえる。さて、本題。きょう1月28日は、ママの誕生日だ。「ママが生きていたら、誕生日とゴールのお祝いが一緒にできたのにね」「いくつだっけ?」「39歳じゃない?」「そういえば、今年の7月11日は七回忌やね」「うん、早いね」会話の流れで、天神のライブハウス「ブードゥーラウンジ」の小屋敷さんに電話。「命日の翌日、7月12日に追悼コンサートやってもいい?」「いいですよ」というわけで、千恵の七回忌コンサート「いのちのうた」の日程が即、決まったのである。出演者は、ぼくの心の中で、すでに確定している。三宅伸治バンドのドラムは梶浦雅弘さん、ベースは渡辺圭一さん。沖縄からは久しぶりのhanautaに、講演は助産師の内田美智子先生。ゲストはローマの古木涼子シスター。きっと「いのち」を歌ってくれると思う。三宅さんを通して千恵が手にした「無敵」バッジの製作者、矢野きよ実さんも名古屋から駆けつけてくれる。心の通じ合う人たちが集う。歌う。いかん。想像しただけで、泣けてきた。【送料無料】まだ見えなくてもあなたの道は必ずある [ 古木涼子 ]【送料無料】お母さんは命がけであなたを産みました [ 内田美智子 ]
2014.01.28
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レントゲンの画像に目を凝らした。一瞬、息が止まった。左肺に小さな影がくっきりと映し出されていた。パソコン画面を見つめ続ける医師の深刻な表情。ぼくの顔を見ないまま、医師はこう続けた。「念のため、呼吸器内科の外来で専門医に診てもらった後、CTをとりますか」「腫瘍ですか」「分かりません。ただ、その可能性は、ないとは言えません」看護師がすぐに呼吸器内科に連絡をとってくれた。「正午に内科の外来に行ってください。予約が取れました」考える間もなく、ぼくは、人間ドック専用フロアの6階から、呼吸器内科がある1階に向かった。頭の中が真っ白だった。窓から見える空も曇っていた。呼吸器内科の医師はレントゲン画像を見ながら、「うーん、はっきりと影が写っていますね。現状では何とも言えません。CT検査の準備をしましょう」ぼくは「心配ないですよ」という言葉を期待していた。だが、医師は言ってくれない。あのときも、そうだった。ぼくは、千恵が、乳がんの告知をされた13年前の7月を思い出した。患者が安心するようなことを、乳腺外科の医師はなかなか言ってくれなかった。CTの撮影が終わった。看護師が、ぼくにカルテを手渡し、ニコッと微笑んだ。「5階のレストランで食事を済ませてきてください。ゆっくりいいですよ。食後に結果をお知らせしますね」看護師の優しさが、一層不安を煽った。千恵の告知のときは、結果を聞くまで、ぼくは食事が喉を通らなかった。今回、自分の場合は食べることができた。千恵が再発を繰り返し、その都度、家族で困難を乗り越えてきた経験があるからだろうか。不安がないと言えばウソになるが、思った以上に、ぼくは冷静だった。でも、食事をしながら、いろんなことを考えた。そういえば、半年ほど前から咳き込むことが多くなったなあ。もし、がんだったら、はなにはどのように説明しようか。家に帰っても、普通に接しよう。入院したら、ばあちゃんに来てもらうか。じいじの食事が心配だなあ。ローンはどうしようか。通帳は整理しておかなきゃ。生命保険の受取人は娘でいいよな。こんなときのために、遺書って書いておいたほうがいいんだな。仕事はなんとかなるやろ。とりあえず、今夜ははなと一緒にうまいもん食おう。そして、最後に思った。千恵ちゃん、助けてよ。まだ、はなを置いて、死ねるわけないやろ。強気と弱気が行ったり来たり。やっぱり、ぼくは何にも成長していなかった。食事を終えたところで、始業式から帰宅したはなからの携帯電話が鳴った。「パパ〜。きょうは遅くなると〜?」「きょうは人間ドックやけん、今、病院におるったい。夕方までには、終わるよ」「やった〜! パパ、今夜は何が食べたい?ごはん、一緒につくろうね」「おー、そうやね」そう言って、ぼくは携帯を切った。娘の声を聞いた途端、涙があふれ出てしまった。「ヤスタケさーん。診察室へどうぞ」ぼくは、ドキドキしながら画像をのぞきこんだ。画像をスクロールしながら、医師は言った。「なーんも、ありまっせんね」「えーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!」「まったくないっ!」「いったい、なんやったんですか! あの影は?」「うーん、なんやろね。乳首かな?」「チクビーーーーーーー?????」「いやあ、滅多にないんですが、写ることがあるんですよ。ヤスタケさんの場合、画像で確認できた影は、左側だけだったから『まさか』と思ったんだけど。まあ、よかったですね。ご安心ください」自宅に戻って、はなに一部始終を話した。はなは、「はあ〜?チクビ?」と首を傾げ、直後に「パパ、めっちゃウケる〜」と腹を抱えて大笑いした。つられて、ぼくも一緒にゲラゲラ笑った。ふたりで笑ったら、腹が減った。ここ最近の暮らしを振り返ってみた。生活が、やや乱れていたような気がした。お酒を飲む機会も増えている。仕事も講演も遊びも、ちょっと、詰め込みすぎだ。千恵の警告に違いない。「油断したらいかんけんね〜。はなちゃんがおるっちゃけんね。あんたが頼りやけんね〜。分かっとるやろうね〜」そう言っているに違いない。身が引き締まった。深く反省。しかし、だ。なぜ、乳首は左右にあるのに、左の乳首だけがレントゲンに写っていたのか?それは、謎のままだ。左右の乳首の大きさが微妙に違うのが原因だろうか。位置に関係があるのか。色の濃さだろうか。それは、だれにも分からない。考え始めると、ますます腹が減ってきた。昨日の夜、はなと一緒に見に行った映画を思い出した。「謎解きはディナーのあとで」めし食ってから、謎を考えればいい。そのうち、きっと忘れるだろう。よっしゃ、今夜は、カツ丼だ。カツ丼食ったら、下剤飲んで、あすは第2ラウンドの大腸内視鏡検査だ〜。こわいなあ〜(泣)。
2013.09.02
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なんだか、もうすでにぼくは感無量です。リハーサルなんですけど。千恵が毎年うたっていた「いのちのうた」で、はなが歌う。いいことがあるといいね7月11日、来てくれた人、みんなに、いいことがあるといいね。
2013.06.30
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