真実一路

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2025.05.08
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テーマ: キリスト教(19)
カテゴリ: 映画

第七の封印 【4K修復版】 [ イングマール・ベルイマン ]

この作品はベルイマン監督の作品中もっとも知られている作品ではないか。なんといってもあの黒いローブを身にまとった白い顔の男という死神のイメージが有名。主人公の騎士がその死神と命の取引をするという、いかにも西洋的で神秘的な作品だ。チェスで対決する中世の騎士と死神を通して「神の存在」を問うた作品ということなのだが、初見では話がちょっとわかりにくい。死神が目の前にいるのに、その死神に「神を知っているか?」と問うところなどなんか妙な感じで、この死神はアントニウス(騎士)の自殺願望(分身)なのかもしれないのだけど、ラストに来て彼の居城での最後の晩餐の様子はさらに不自然な空気に満たされている。謎解きに挑戦するような気持ちで久々の鑑賞。

そのラストの晩餐シーンは作中もっとも不可解な場面になっている。晩餐の場に死神が現れたとき、ある1カットの後に食卓上のアントニウスの前の杯が消え、さらにその後の1カット後にはそれまであった肉らしき食べ物を入れていた大き目のボウルが忽然と消えている。アントニウスの妻はずっと新約聖書のヨハネ黙示録を音読しているので片付けるはずはない。このときの間を考えても、他の女が片付けたとも思えない。私の解釈では、実はアントニウスと仲間たちは森の中ですでに死んでおり(その描写はないが)、居城に着いた一行は彼らの霊体と思われる。晩餐の場は死神を待つ控えの間であり、たぶんこの世とあの世の踊り場なのだ。その後場面は変わって旅芸人夫妻と子のシーンになり、そのとき夫ヨフは死神と死神に引き連れられる騎士と従者ら(の死の舞踏)を幻視するのだが、そのなかにアントニウスの妻はいない。つまりアントニウスの妻は夫が帰るより前にすでに死去していたということだ。

この物語では登場人物それぞれに、人の類型が割り当てられている。神の存在に疑いを持ち信仰に苦悩する騎士アントニウス、それとは対照的に実存主義一徹の従者ヨンス、姦淫に耽る鍛冶屋の妻や座長、強欲で心の汚れた神学者、そして純朴な旅芸人夫妻と子。聖書には「天国に入るには、無垢な幼子のようでなければならない」とのキリストの言葉がある。この旅芸人家族が死神の魔の手から逃れられたことは、信じる者への“福音”による恵みなのだろう。しかしながら、私には神の沈黙に苦悩する騎士の気持ちがよくわかる。私も迷える子羊だから。小さな教会で自身の心情を吐露し告解する騎士の姿は、私自身のこれまでの生き方、考え方に重なる部分があった。しかし同時に、私の中にはヨンスの部分もある。冷静で冷めた実存主義も捨てられないのだ。この映画のとおり、欧州の中世においても現代と同様に神の存在に関する考えは、人によって内心いろいろと複雑なものがあったのだろう。

この映画が製作された時代(1957)、世界は不穏な空気に包まれていた。東西冷戦による核兵器開発の競争が大国に広がり始め、世界が終末に向かうのではないかと、暗い不安が人々の心に浸透していった時代だった。14世紀の欧州では黒死病(ペスト)が猛威を振るった。この疫病による異様な死者の大発生は当時の人々に世界の終末を予感させたはずで、ヨハネ黙示録の内容に真実味を与えたかもしれない。ベルイマン監督は核拡散という現代の脅威を中世の黒死病大流行になぞらえ、聖書の黙示による終末観を媒体として、ひょっとしたら預言者になったような気持ちも少しは手伝って、その危機を作品で訴えたということなのかもしれない。





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Last updated  2025.05.08 16:30:35 コメントを書く


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