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とうとうクルマを手放すことになった。私は高齢者にはまだ遠いが、いろいろな事情が重なり手放さざるを得なくなった。学生時代の二輪車時代も含めると、40年以上途切れることなく運転してきた自動車が自分から無くなってしまうことに、なんともいえない寂しさを感じる。喪失感と言ったほうがピッタリくるかな。でも、歩きや自転車利用によってクルマ頼り生活では見えなかったものも見えてきた。今真夏の時期にクルマなしで移動するのは大変だ。外は灼熱地獄。土の無くなった道路の暑さはハンパない。そんななかを日傘をさして高齢者が買い物などで歩いているのだ。常にクルマに乗って移動していれば、そうした歩きで移動する人の大変さはわからない。これは部屋のエアコン暮らしでも同じ。人のいる空間で、そこにある大量の熱を身の回りから排出しているのだ。排出された熱は、あるいは二酸化炭素はどこかへ消えてしまうわけではない。大気へと流出し続け、地球の温暖化、急速な気候変動をもたらしている。これは原発の使用済核燃料の処分の問題とも通ずる部分がある。人は危険なものやその状態が自分の身近になければ、その問題に真摯に向き合おうとはしない。今の自分の生活の利便、都合だけを求めるのだ。とくに日本人には「みんないっしょに破滅なら、そんときゃそれでいいじゃん!」みたいな感覚の人が多い。先の大戦時の感覚、“一億総玉砕”みたい。日本人の心性は実のところそう変わってないのだ。人類文明の行く末になにがあるのか。私には想像がついている。国際機関などがその危機を訴えて、つねに警告を発しているが、各国政府で実際にとられている対策は大部分情緒的なものだ。人はその欲望に歯止めをかけることはできない。みなが破滅するまで、欲を生きることは続く。キリストや釈迦はその破滅を回避するため、特殊なソフトウェアを開発しそれを人にインストールしようとしたが、どうもうまくいかなかったようだ。いまだに地上に物質的理想郷を作ろうとしている人間。その様子をどこかから見つめる至高者は何を思うか。審判は、この人類繁栄の時代にきっと下される。クルマよ、お世話になりました 米モータリゼーションの歴史と未来 [ ケイティ・アルヴォード ]
2019.08.17
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以下は、2011年4月5日に「私には予感があった」と題して別サイトに掲載した日記だ。--------後からこう言うのもなんだが、私には大災害の予感があった。いや、東北太平洋沖の大地震が予知できたという意味ではない。「なんか変だ。何かが起きるのでは」という予感だ。その根拠は天気だ。昨年の11月頃から妙に好天が続き、1月いっぱい、そして2月の上旬までまとまった雨が降らなかった。「妙に雨が降らないな。何か天変地異があるのでは」と何気なく考えていたのだ。そして、東日本大震災が起こった。偶然だよ、と言われるだろうが、天気の動向は大地や海の変化と無関係ではない。私はなんらかの連関性があると思っている。異常気象はまだ続いている。例年なら、3月中旬には雨の日が増えていき、気温の上昇とともに、一雨ごとに春の到来を実感できるものだが、やはり妙に雨の日が少ない。強風がけっこう吹いており、大気の入れ替えは行われているようだが、春が近づいてきたという実感がない。日本は今、全体として温帯から亜熱帯へと気候変動が起こっているので、春・秋が消滅しつつあるのかなとも思うが、さらなる災難に見舞われるのではと、胸中密かに不安を抱き続けている。--------その後これまでに、地震や豪雨による大きい災害が毎年のように続いている。ここのところ太平洋側では雨が降らず、また妙な好天が続いている。杞憂にすぎなければいいのだが、ちょっと心配だ...気候変動の事典 [ 山川修治 ]
2019.01.18
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横須賀観音崎沖での模擬自然葬(海洋散骨)に参加してきた。快晴で波も穏やか。絶好の実施日和だった。当家には葬式の前例が無く、墓もまだない。いろいろ考え、自然葬も選択の一つかなと思い、その実際の感じをつかみたいとの思いがあった。船は海上を30分ほど走っただろうか、沖合3キロほどのところで模擬葬は実施された。う~ん、あまりにもあっけない処理。これは納骨ではなく、生命の残りをその故郷へともどす、海(自然)に同化させるということだから、「処理」といってもいいだろう。ただ、事前に思ってたほどの感慨がなかった。なにかが足りないなぁと考えると、それはやはり宗教者のことばかなと。短いフレーズでもいいから、擬似焼骨を投げ入れる前に“送りのことば”がほしいなと思った。それが無いなら、自宅の庭に埋めても同じだ。自然に帰すということに変わりはない。形式、儀式に凝り固まり余分なお金をかけた華美な葬式は嫌だが、死者を弔い送るには、墓は必要としなくても、やはり一つの形が必要なのかなと実感した。送りのことばを発するのは、必ずしも宗教者でなくともよいと思う。家族でも親族でも、そのときの代表者でもいい。撒く焼骨自体に霊は無くとも、送ることばがあったほうがいいと思う。<実施した観音崎沖>NPO法人「葬送の自由をすすめる会」のホームページ
2015.10.12
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5月18日放送TBSテレビ「噂の東京マガジン」の噂の現場コーナーで取り上げた話題が興味深かった。2000年頃に長野県の上高地へ人為的に持ち込まれたとされるゲンジボタルを、環境省が駆除の方向で検討中というのがその内容。ありのままの自然を大切にしてきた上高地にはホタルはいらないという意見に対して、生態系などに影響がないのであれば駆除しなくてもよいのではという意見、双方の意見があるなか、さあどうすべきなんだという悩ましい問題。環境保護、生態系維持という原則からすれば、通常は駆除も致し方ないということになる。しかし問題のホタルは、川から離れた小さな池の限られた一帯にだけ住み着いており、今のところ生態系への影響、人的被害もないということである。また、同じ長野県の志賀高原でも同じようにホタルが住み着いた場所があり、ここでも最初は人為的に持ち込まれたとみられているが、それは明治の頃のようで、すでに相当の期間が経過して定着し周囲への影響もないことから、ここでは逆に天然記念物とされているということであった。上高地での件を持ち込んだのはホテル関係者と思われるが、番組による現地でのインタビューでは駆除に反対の声が多いようであった。いわく「あんなにカワイイのに...」だ。この言には人間のエゴというか、愚かさが露呈されている。もしホタルが毒蛇だったらどうだろう。毒蛇でなくとも、他地域の特殊なゴキブリとかムカデとか、そういう類の生物だったらそれが環境に悪影響を及ぼさなかったとしても、おそらくみなが「早く駆除せい」となるだろう。これは人が人を扱う態度と本質的に同じところがある。物事の本質を捉えず、見た目のイメージ、好き嫌いで価値判断をするという愚かな癖で、これが人類史上繰り返し起きた悲劇の大きな原因の一つとなってきた。さて、実際にはどうしたものだろう。環境省の回答は、有害性(影響度)、期間(定着度)、その他を考慮して個別に検討されるとしている。一応、今の環境保護制度の原則の下、駆除の方向性は取りやめず、学術的な一定の期間環境への影響を観測する(様子を見る)というのが妥当だろう。志賀高原での前例を踏まえるべきであり、さりとて将来に起こることは予測できないので、駆除の方途も否定することはできない。公がそれを認めれば、害がなければ他生物を持ち込んでもいいという誤った風潮が広がる恐れがあり、秩序維持が保てなくなるからだ。
2014.05.20
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東北地方太平洋沿岸域で被災した方々に心よりお見舞い申し上げます。私は神奈川県の湘南地域に住んでいるが、ここでも一時津波警報が続き緊迫した時間があった。神奈川県の人口は約900万人、湘南地域だけでも300万人くらいはいるかな、もし相模湾で10m級の大津波が発生したらと思うとゾッとする。人口数と密集度から、事前の警報があっても非難がスムースに進むとは思えず、一日で数万人規模の犠牲者がでてしまうのではないだろうか。「文明は脆いもの」、私は改めてそう思った。もっとモノが欲しい、もっと金が欲しい、もっといい思いがしたいと望んで何を手に入れても、自然の力の前にそれはあっけなく崩れ去ってしまう。世界のいたるところで神の警告が表れている。金やモノの追求だけで幸せを維持していこうとすることへの警告。改めて言う必要もないが、地球上の資源は有限だ。それを、先進国中心にわれ先にと獲得競争に明け暮れ、その中には戦争をしてでもという意気込みで取り組む国もある。また、大規模な自然災害は地球による人類への反撃なのでは、とも考える。「人間よ、君たちは自分の脚を自分の歯でかじっているのだよ」と。聖書にある「大洪水(ノアの箱舟)」や「バベルの塔」のエピソードを思い起こす。人間は、はてしない欲望を追求してはいけない。神になろうとしてもいけない。どんなに知恵を働かせても、人はおのれの手で水一滴を作り出すこともできないのだ。我が身の内の崇高な魂を知覚せよ。神の子ならばけっして死を味わうことはない。【送料無料】2012 スタンダード版
2011.03.13
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わたしは時折夕刻にウォーキングをしているが、今日はじめて電動バイクに遭遇した。陽は落ちて、あたりは夜の暗闇にすっかり包まれていた。30mほど先の交差点から自転車が左折してきたと思ったら、自転車にしてはやけに加速がいい。近づくと“ヒューン”と低い機械音がしてそれはわたしの横を走り去った。「電動バイク」だった。音の静かさに、後ろから来たら身体に近づくまでそれが電動バイクとは気づかないだろう。化石燃料に限りがあり、CO2も減らさなければならないということで、昨今自動車の電動化が進んでいる。しかし、わたしは電気自動車の普及に懐疑的である。インフラ整備(充電スタンドなど)に相当時間がかかるだろうというのが主たる理由で、むしろ、ユーザーは自動車から離れる(乗るのをやめる)という選択をしていくのではないかと予測している。話を戻して電動バイクの件だが、あれを現行の原付免許で乗れるということに、わたしは少し危惧を覚える。少し前に、ハイブリット車の高い静粛性が耳の不自由な人にはやや脅威であるとして問題になったことがあった。電動バイクにも同様の不安があると思う。電動バイクに乗る人には、その特性を十分に理解し、歩行者に気づかれにくい点を常に意識して運転するよう、補強教習が必要ではないか。自動車における環境対策は、燃料変革だけではいけないと思う。電気自動車
2010.10.14
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エコポイントの商品がやっと届いた。7月10日に申請書を送って、届いたのが10月27日だから三か月半以上かかった。エコポイント事務局のホームページには、「商品のお届けには1~2か月程度の時間を要してます」なんて書いてあるけど、正確じゃないね。自分はインターネット申請をしたうえで申請書類を送っており、書類の不備による返送もなかったから早いだろうと思っていたけど、やはり公的機関のやることはノロい。申込希望が集中している「クレジット会社の商品券」を申し込んだことも時間のかかった原因かな。でも、同時期に同じものを申し込んで二か月内に来ている人もいるんだよな。まあ、とにかく無事届いて安心した。商品をネコババされたかと思っていたよ。「エコ」でトコトン得できる本
2009.10.27
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鳩山首相が国連で発表した「温室効果ガス25%削減」が大きな波紋を呼んでいる。各国首脳からはおおむね支持を受けたと思うが、日本国内の産業界は戸惑いを隠せないだろう。また庶民にとっては、それが政策として具体的に生活に影響を及ぼすまでは実感がわかない。国連でのスピーチは、まず、日本国の「先進国としての存在感」のアピールにあるので、これを今の段階で、個別の政策論議の詳細にまで詰めて否定的に断ずることは無益と思う。ところで、「成長の限界」という研究報告がある。ローマクラブから委託を受けた国際チームが、資源・人口・軍備拡張・経済・環境破壊などの全地球的な問題を精査し、成長の限界と破局を回避するための人類のあり方を提言したレポートだ。その最も新しい報告『成長の限界 人類の選択』(ダイヤモンド社)に、ハッとさせられた提言がある。それは、「これから必要なのは、成長ではなく発展である」というものだ。成長と発展、発展の中には成長という意味も含まれるが、〈よい変化を遂げる〉という意味合いが強いだろう。恐竜の滅亡が頭に思い浮かんだ。恐竜の滅亡の原因のひとつには、行き過ぎた成長〈巨大化〉ということがあると、私は考えている。現在陸上には恐竜のような大型動物は存在しない。それには理由があるはずだ。それに、大型恐竜が滅亡した一方で、木々を飛び回っていたような小型恐竜は形態の変化を遂げ、「鳥」となって生き残っているのだ。地球の生命力、その自己防衛力は人間の力をはるかに上回っていると、私は思う。あくまでも地球に敵対し打ち負かされるか、地球と共生しよい変化(発展)を遂げ、より高次の存在になって持続するか、それは私たち自身のあり方にかかっているのだ。成長の限界人類の選択
2009.09.27
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野生のメジロを捕獲して、自宅で飼育していた72歳の男性が「鳥獣保護法」違反の疑いで書類送検されたとの新聞記事を目にした。記事を読むかぎり、この男性は個人的にメジロの鳴き声を楽しんでいただけのようで、商取引のために乱獲している悪人ではないようだ。この男性宅の前を通りかかった警察官が鳴き声を聞き、違法飼育が判明したとのこと。男性の行為を擁護はしないが、少し同情するね。高齢者にとっての日々のささやかな楽しみとして、昔なら違法なことではなかった事。人間が秩序なく増え続け、環境破壊と貨幣経済の隆盛のはてに動植物は犠牲となり,人間自身も息苦しい生活を強いられている。記事には「警官お手柄」とあったけど、問題の本質はけっして「法」ではない。男性はおそらく不起訴か起訴猶予となるだろう。うおみのとりみのブログ素材
2009.09.17
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経済産業省が公費で不要携帯電話の回収事業を始める。使い終わった携帯電話やPHSをリサイクルに出すと、抽選で賞金や景品をもらえるという制度だ。携帯電話に使われている希少金属の「発掘」を目指すのが目的で、同省は参加企業を募集中。事業は10月末にもスタートし、来年3月までとのこと。私もわが日記で提唱していたが、実現してうれしい。事業が始まったらさっそく申し込みたい。レアメタル超入門
2009.08.21
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最近の科学調査によると、東京都心部では地上だけでなく地下でもヒートアイランド現象が起きているという。暖められた大気や地表の影響が地下にまで及んでいるというのだ。大きな原因のひとつに、土面が消えたことがあるのではないだろうか。ビルの建設や道路のアスファルト化で、土面に沁みこむ雨水の量は江戸時代ぐらいと比べたらものすごく減っているはずだ。よく言われるようにプラネット・アースは精巧な機械以上の機能を有しており、地形や土壌、生物、環境すべてが自然のありようによって形成されてきた。それを人為的に変えているのだから異常現象が起こるのは当然なのだ。地中に沁みこむ雨水が環境に及ぼす影響は相当大きいはずで、当然地下の冷却効果も果たしていたはずだ。最悪予測だが、都心部ではやがて大規模な陥没が頻発するのではないだろうか。雨水が沁みこまずに乾燥化が進む土中はかなり脆くなっているからだ。雨水を沁みこますハイテク-アスファルトが開発されたと聞いているが、温暖化緩和のために土面の広範な復活を行政施策として進めたらどうだろうか。
2009.05.20
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ここのところ「VHSテープ」の処理(処分)に取り組んでいる。VHSテープをたくさん溜め込んでいる人が大勢いると思うけど、みんなどうしているんだろう?ハードディスクやDVDへの録画が主流になってきているはずだから、整理しようと思うはずだけど、単に捨てちゃってるのかな。数が多くて、整理が結構面倒なんだよな。一応保存用にと録画したものばかりなので、中身を見てから廃棄か保存かを決めてるんだけど、観なおすのに時間がかかる。残しておくにも、画質が悪いのでDVDへのダビングもしたくない。今使っているDVDレコーダーがVHSテープも対応なので、厳選して、どうしても捨てられないものだけ残すことにした。それにしてもかなりの廃棄量。食べることも出来ないし、分解しないから土に埋めるわけにもいかない。なんかいい再利用の方法ないのかな~。
2009.05.04
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フランスが1960~96年の間に、サハラ砂漠や南太平洋のポリネシア域環礁で実施した核実験は計210回にもなるという。実験に携わって被曝した可能性がある兵士や作業員は15万人に達するといい、周辺住民も加えれば被曝者はさらに広がる。フランス政府はこれらの被曝者に対して大規模な補償を実施する方針を明らかにした。まずは1千万ユーロ(約13億円)を拠出するとのこと。また、長年繰り返してきた「核実験は安全で被害者は存在しない」との態度を改め、これまで機密扱いだった核実験情報も公開するという。呆れるね。安全なら「なぜ自分の国の地下で実験しなかった」と言いたくなるよ。実験場では、今も強い放射能を帯びた機材が多数放置されているというんだから、環境汚染が非常に心配だ。地球への補償はどうしてくれるんだ。それでも、核廃絶に向けて一歩前進なのかな。
2009.03.26
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「フリーガン」 ???過激サッカーファンのことかと思いきや、NYマンハッタンの街中でスーパーマーケットのごみ箱をあさる集団とのこと。彼らはホームレスではない。大量生産・大量消費の仕組みに異議を唱え、ごみとして捨てられている食料を持ち帰って自家消費している市民グループだ。日本でも廃棄される食糧が大問題となっているが、NYでは経済危機以降も食料品店の捨てるごみがまったく減っていないといい、フリーガンは増え続ける一方だという。(朝日新聞)この行動は支持したいね。自分もやってみたいと思うけど、ちょっと勇気がない。その分自宅では食料はきちんと食べきり、魚の骨や皮ぐらいしか捨てないようにしている。今経済危機は「百年に一度の~」とか「未曾有の~」といった言われ方が定番になっているが、私はまったくそう思っていない。むしろ、〈大量生産・大量消費〉といった先進国の愚に対する警告であり、持続可能な社会への健全な動きとみている。21世紀における神の見えざる手は〈貨幣経済の行き過ぎと過ち〉からの回避を導いているのであり、市場原理至上主義の見直しを促しているのだ。
2009.03.04
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経済産業省と環境省がレアメタル(希少金属)の回収強化に乗り出した。小型家電製品などはほとんどが焼却か埋め立て処分だそうで、これらを見直し回収・再利用を進めたいようだ。特に携帯電話などは大部分がユーザーの手元に残ったままらしい。私も旧使用機をそのまま保管している。どうせならいくらかでもショップが買い取ってくれないかな。そうすれば短期間で大部分の埋もれた携帯電話が回収できると思うけどね。携帯電話会社が費用を出したくないんなら、政府がその分の予算を組んでくれてもいいんじゃないの。今海外からレアメタルを調達するのは大変なんだから。将来へ向けて〈IT立国〉を維持するための必要経費だろ。
2008.08.25
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ちょっと前になるが、NHKのドキュメンター番組で「スペシャル~沸騰都市」というのがあった。その第1回目に採り上げられたのがアラブ首長国連邦のドバイだった。競馬ファンには「ドバイワールドカップ」などでお馴染みの国だが、そのドバイ、石油依存の経済から脱却を図り、砂漠の都市開発によって世界中から巨額の投資マネーが流入し空前の不動産バブルに沸いている。砂漠に林立する巨大なビル郡の光景は異様だ。私は聖書に出てくる「ソドムとゴモラ」の話を思い出した。神の怒りを買って滅亡した都市だ。今異様な投機熱によりとてつもない金で動いているドバイは、まさに現代の「ソドムとゴモラ」ではないのか。番組内のインタビューに答えたある投資家や建設従事者も現在の投機熱の将来を危惧している。バブルは必ず弾けるのだ。世界一の高さを標榜する建設中の超高層ビル「ブルジュ・ドバイ」。それは現代の「バペルの塔」にほかならない。仏教には「少欲知足」という言葉がある。質素であること、それが長続きの条件なのだ。
2008.05.23
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環境NGOの「グリーンピース・ジャパン」が記者会見で示した宅配便の鯨肉は、どうやら同NGOが宅配業者から盗んだもののようだ。同NGOは過激な活動で有名だが、窃盗も行なうのか。彼らの環境保護に対する理念はわかる。地球環境を破壊し続ける人類の所業に歯止めをかけなければならないと考える人はけっして少なくないだろう。だか、目的のためなら手段はどうでもいい、たとえそれが犯罪でも-というやり方では万民の理解は得られない。同NGOは「環境保護」に名を借りた犯罪集団だと多くの人は見放すだろう。過激な活動をしたからといって、人類の地球環境破壊をただちに止めることができるわけではない。地球を守るためには、すべての人間の考えと行動が変わることが必要なのだ。ほんとうに地球を守る活動をしていると自負しているなら、真の手段を見極めてほしい。キリスト・イエスや釈迦は犯罪など行なわずとも、多くの人間の考えと行動を変えたのだ。
2008.05.18
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中国の胡錦濤主席が来日して「パンダ外交」が話題になった。動物園で子どもたちに夢を与えるというのは大事だけれども、絶滅危惧種なんだからそっとしといてあげたらどうかなぁ。一番適した自然環境のなかで自由にのびのびと暮らすのが幸せだと思うけどねぇ。私は「動物園」というものに基本的に反対だ。自然のなかであるがままに生きるのがもっともいいことだ。もし人間が檻のなかに入れられて、水と食料はただで与えられても、一生を見世物として生きなければならないとしたらどうだろう。動物にだって生存権はある。自由に生きる権利はある。人間のエゴはいつまでも通用しないぜ。人間が神の家畜になることだってありうる。
2008.05.07
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6日夜の日本テレビ番組『モクスペ・世界ウルトラハンター』はよかった。世界の各地で今もなお、伝統の狩りで獲物を捕獲する人々の映像に夢中になった。あの懐かしい、アフリカの「ブッシュマン」も登場。しかし、彼らの集落も今は現代文明の波に覆われている。服を着て、食べ物も政府の配給を受けるなどしている。粗末な家の前で太陽電池パネルに繋がれたラジカセで音楽を聴いている人がいるのには驚いた。伝統的な狩りをしている人は今や村に二人だけということだった。一番驚いたのは、ヘビの穴の中に自分の手や足を突っ込んで噛ませ、そのまま抜き出してニシキヘビのような大蛇を捕らえるという仰天狩人。・・・そこまでやるか。しかも、そのヘビの肉は貴重なタンパク源でご馳走というからスゴイ。生きていくのは大変だなぁ。さらに、極寒の北極氷上で犬ぞりを使い泊り込みの狩りに出るイヌイット。寝るための小さな小屋を作るのだが、それが見事。氷をブロック状の板に切り出し、それを器用に円柱タイプの部屋に組み立ててテント代わりに使うのだ。このなかに寝れば寒風を防ぐことができ、暖かいという。それでも零下20度、外は零下40度以上の世界だ。いったい零下20度のなかで眠れるものなのだろうか。人間ってすごい。狩りの後には、どの狩人たちもみな共通して、自分たちに〈いのち〉を与えてくれた神への感謝の気持ちを表すことをしきたりとしていた。そんな彼らの自然に対する慈しみの心と、自分たちを生かしてくれる目に見えない偉大な力への畏敬の念。日本人が忘れてしまった、もっとも大事なものを思い起こさせてくれる映像であった。
2008.03.07
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飼い主の都合によって犬や猫を捨てたり、自治体に処分依頼する事例が全国で増加しているという。全国の自治体で約12万匹の犬と23万匹ぐらいの猫が殺処分されている。犬猫が自治体の回収車に収容される様子はテレビの報道番組などでしばしば取り上げられるが、自分の運命を悟ったかのような彼らの哀しい表情はあまりにかわいそうで見るに堪えない。動物の命は人間のものではない。殺すことが許される唯一の理由は「自分が生きるために食べる」ということだけだ。身勝手な都合でペットを捨てたり、処分依頼する飼い主は「生き物のいのち」をあまりにも軽視していないか。愛情を持って飼っているというなら、最後まで面倒をみてあげてほしい。それができないなら飼うべきではない。行政はせめてペットの飼育を免許制にしたらどうだろうか。聖書では、人間が生まれながらに持っている罪を書いている。いわゆる〈原罪〉だ。これは正しいと思う。地球環境の破壊も、他の生物の駆逐も人間が行なっている。人間の存在自体が罪。やがて、神による2回目の人類殺処分が行なわれるかもしれない。そのとき、ふたたび『箱舟』は用意されるのだろうか。『箱舟』に乗せられる人間はいるのだろうか。
2008.01.27
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鳥インフルエンザウイルス(H5N1・致死率60%)は次第に変異し、新型インフルエンザとなって人から人へと感染を広め、パンデミック(感染爆発)に至る危険性があり、もはや問題はそれがいつ起きるのかということだという。鳥インフルエンザウイルスの問題がこれほど深刻なこととは知らず、二夜連続の同番組をみて驚愕の思いで満たされた。以前、感染した鶏がすべて土中に廃棄される様子などをニュースでみていたが、どこか他人事のような感覚でそれほど深刻なこととは思っていなかった。新型インフルエンザに対応するワクチンがあらかじめ用意できないこと、その生成もすぐにはできないことが人類の弱点なのだが、これは今最大の関心事である環境問題と同じだろう。人類の文明はいともたやすく壊れやすい仮初の道具なのだ。やはり、運命をその手に握っているのは神以外にはありえない。
2008.01.13
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3日にテレビ東京で放送された『ガイアの夜明け~新春特別版』では、人類の存続と地球の危機の現実を改めて考えさせられた。漁獲資源問題の代表格゛マグロ゛の確保。バイオ燃料に端を発したトウモロコシなどの穀物争奪戦。大豆栽培によるアマゾン熱帯雨林の消滅。とりわけ私が驚いたのは、仏領ニューカレドニアでのニッケル開発事業だ。世界でレアメタル争奪戦が繰り広げられていることは知っていたが、ニューカレドニアでの実態をみて驚いた。地上最後の楽園とも謳われるかの島は、現地住民の自給自足と観光収入で成り立っていると思っていた。ところが、日本企業の資本も参入しているブラジルの開発業者は、ニッケルの産出のため島の原生林を広範囲に伐採し土を掘り起こしている。島のあちこちで森林が消失し赤土の露出した無残な様子が目立つ。雨が降れば赤土は海に流入し珊瑚の生態系を破壊する。この事態に島の原住民は立ち上がった。開発業者に対し抵抗運動を続けている。だが問題解決は単純ではない。抵抗運動をしているのは高齢者が多い。若者にとっては開発企業は優良な働き口である。島を破壊している企業活動は、一方で島民の雇用も生んでいるのだ。算出されるニッケルの多くは日本へ輸出されるという。振り返って、自室を見渡すと、テレビ・ステレオ・DVDレコーダー・パソコン等々ニッケルを使った製品がずらり。我々の豊かな暮らしは他国の犠牲によって成り立っているのか。申し訳ない気持ちになりながらも、それらのモノをすぐに手放すことができない自分に、「いったい、どうしたらいいの。」と考え込む。人間の欲望を押さえ込むことは無理だ。世界規模での人口制限もその術がない。今地球規模で起きている危機を根本的に解決する方法はない-と私は考えている。将来どのような結果が導き出されるにせよ、ことが成し得るのは神だけだ。人間ではない。
2008.01.04
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朝日新聞の記事に、オーストラリアの次期労働党政権の環境相に指名されたピーター・ギャレット氏が紹介されていた。彼は元ロック歌手という異色の経歴を持つ54歳。環境政策を中心に政治活動を続けてきたようだが、政治家に必要な確かな眼をもっているかどうか。彼は日本の調査捕鯨に対し、「科学に名を借りた虐殺」と非難し、「阻止するためにあらゆる法的手段を取る」と明言している。かつて、イルカを虐殺しているなどとして日本人が非難されたこともあった。どうも白人にとっては、クジラヤイルカは犬や猫と同様に人間の友達ともいえる存在で、その友達を殺す日本人は許せないという反日感情があるようだ。しかし私には、彼らが「動物を殺す」ということの意味を理解していない無知か偽善者としか思えないのだ。人間であれ、他の動物であれ、他者を殺すことが許される唯一の理由は何か。それは、「自分が生きるために食べる」ということである。日本人は理由もなくクジラを殺してきたのではない。食用のため、その他どの部位もほとんど捨てることなく生活に利用してきたのだ。近年生息数の減少が指摘され、絶滅の恐れもあることから商用捕鯨を中止し調査捕鯨に限定している。それはまさに「食べる」ための行為であって、虐殺ではない。そもそも白人は日本人よりも長い肉食の歴史がある。牛や豚などの家畜と呼ばれる動物は自由に屠殺されてもよいが、クジラやイルカは特別な存在だから殺してはいけないというなら、それこそまさに命に対する差別、大いなる偽善といわざるを得ない。「虫けら」という言葉があるが、これも神仏を恐れぬ人間の思い上がりだ。すべての生命に価値の差はない。もし人間が神に近い存在、選ばれた存在というなら(私はそう思わないが)、それは「すべての生命の価値を理解できる」という理性、その一点に尽きる。
2007.12.02
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テレビ朝日「報道ステーション」の特集ニュース。地球温暖化は相当深刻な事態になっているようだ。スイス国アルプスの白い氷河が驚くべき速さで融解しているとのレポート。そのスピードはおよそ百年前の5倍だという。解けた氷河は大きな湖を形成するのだが、近年、氷河の決壊により湖の水が土石流となって下方の町村を襲い甚大な被害をもたらしている。地球温暖化に歯止めをかけるのは困難だが、まずは私たち一人ひとりがこの事態を深刻な危機と捉え、自らの生活態様を見直すこととしよう。(追補)翌日の放送では、排出ガス削減へ向けてのスイスでの具体的な取り組みが紹介された。観光地として有名なツェルマットでは、街への自動車の乗り入れが全面的に禁止され、街中で走れるのは電気自動車だけ。その電気自動車も所有できるのは事業を営んでいる人だけで、個人の所有は禁止されているという徹底ぶりだ。スイスでも都市部では多少事情が違うかもしれないが、金さえ払えば電気もガスも使い放題の自由悪大国゛日本゛とはだいぶ違う。連邦共和国として、地方自治が完璧に機能しているスイス国の取り組みに感銘を覚えた。『美しい国づくり』とは、まさにこういうことをいうのだろう。
2007.08.20
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連日、台風被害の報道が絶えない。地球温暖化の影響がますます懸念される。アメリカ南部を襲ったハリケーン゛カトリーナ゛による被害は日本のそれをはるかに上回っているが、なぜカトリーナという名前をつけたのか?女性名だと思うが、その理由になんとなく興味がある。日本人の感覚からすれば、アメリカのカトリーナという名前の人は決していい気持ちはしないと思うのだがどうだろう。日本で台風に、一般によくある名前をつけたりしたら、気象庁に苦情が殺到することだろう。そんなわけで、今回の台風14号にあえて名前をつけるなら、さしづめ゛ゴリエ゛か。
2005.09.07
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今年もまたアルゼンチン共和国杯ははずしたか・・・・グラスポジションはどうもスタートからあまり行きっぷりがよくないように見えた。単に2走ボケといえばそれまでだが、青嵐賞と比較して前半超スローな流れからレース全体を俯瞰すると、ひょっとしたらダンスインザムードなどのようにスローな流れを嫌うのかもしれない。今回は初の一線級との対戦で試金石。もう一戦見てみたい。今年は災害の年となった。年後半に入って、台風の多さと地震により異様な環境変動を思わせるような雰囲気だ。この状況をみていて、70年代の「日本沈没」という小説を思い出した。小松左京氏の作品で劇画やテレビ・映画にもなり、当時社会にかなりのセンセーションを巻き起こした。「日本沈没」という言葉はその頃流行語にもなっていたのだが、21世紀に入り最近の日本の情況から、この言葉がにわかに深刻な響きをもって思い出されたのだ。「日本沈没」は文字通り日本列島の沈没であったが、21世紀の『日本沈没』は゛日本人゛そのものの沈没になるかもしれない。
2004.11.07
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NASAの火星探査車オポチュニティーの調査によると、火星には過去に大量の水があったらしいことがわかった。そして、水があったなら生命もと、やはり想像してしまう。だとしたら、火星は未来の地球の姿?知的生命体が文明を作り、やがてそれによって滅ぶ。そして荒涼とした赤い土の死星がそこに残る。悲観的と言われそうだが、今人類の向かっている方向は間違いなく゛破滅゛の二文字だ。あらゆる社会現象がそのことを示している。そのことを少しも憂えない人がいたら、その人はよほど幸運に生まれついたのであろう。これは人間が、人間だけがこの地球に特殊な存在としてあることの宿命だ。キリスト教でいうところの゛原罪゛というのは確かにあるのだろう。でも、ひょっとしたら火星の地底深くに、滅亡を免れて進化を遂げ生き延びている知的生命体がいたりして・・・・・
2004.03.03
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NASAの火星探査車スピリットが写した、荒涼とした火星地表のカラー写真に魅せられた。「火星の赤い土」なんて表現はSF小説や漫画などでよく出てくるのだが、そのたびになんとなく想像していたイメージが「ああ、確かにそうなんだな」と納得できるチョットした驚きだ。それにしても科学や技術の進歩はすばらしい。それが、人間や他の動物そして地球そのものを破滅・破壊へと向かわせているのが事実なら、かつて想像しかできなかった他の星の姿を発見できるのもまた事実なのだ。私は満月を見上げるたびに、あそこで一年ぐらい暮らしてみたい。そして、いままで見上げていた月から逆に地球を見下ろして何事か考えてみたいなどと本気で考えてしまうことがある。それが火星であってもいい。私は、人間は恐竜と同じ運命を辿ると信じているが、恐竜と違い、その運命を回避できる可能性もあると考えている。その可能性を導きだすのは、唯一、人間の゛英知=心゛だ。滅ぶも生き残るもただそれにかかっているのだ。
2004.01.07
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今日は暑かった。さらに最高気温更新か。仕事で横浜へ行き関内を歩いたのが昼時で、道路のアスファルトの照り返しが強烈で倒れそうになった。日本の未来都市にはもっと木々や土を増やさなければならない。土が減ったので大雨の水を吸収できず、街中に洪水が現れるのだ。そして土が流れないように木々も増やす。緑の住空間は精神的にもよい。自然が持っている機能をもっともっと都市に融和させるべきだ。地球は生き物だ。人間は地球を利用するだけでなく、これからは常に地球と共生するという考えで生活しなければならない。
2003.09.03
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三年前に部屋のエアコンが壊れて以来、私はエアコンなしで夏をすごしている。冷房に浸りきっていた頃はエアコンなしの生活など耐えられまいと思っていた。しかし、なければないで済むものだ。考えてみれば、週のうち五日は仕事で事務所のエアコンに浸っていられるのだから、トータルではひと夏で暑さに耐え忍ばねばならない時間はそれほど長くはない。「人間は、いかなることにも馴れる動物だ」というドストエフスキーの定義は確かに真実だ。
2003.08.07
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