子供と一緒に成長しよう! 三歳から日記が書ける子をめざして
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私は物には念がこもると思っています。ある「物」が私の手元に届くまでに係わったすべての人や、土地などの環境、そして目に見えない何かなどの念がこもっていると思っています。だからできるだけ誰がどんな思いで作ったのかわからない食べ物は食べたくないと思っています。冷凍餃子の騒動のときにも日記に書いたと思うのですが日本の人たちにおいしいと思って欲しい!と心を込めて作ってくれたものならありがたくいただきたいと思います。しかしながら、日ごろの恨み言やら早くこんな仕事なんか終わればいいと思ってみたり嫌な気持ちでいる手で包んだ(かもしれない)餃子を私は食べたくないし、それを選ぶ必要もない。もしもそういう状態で作られたものばかり毎日食べ続けていたら、そういう作った人の負の心の念が溜まってきて、食べた人の心に影響を及ぼすほどになるかもしれないと思っています。最近うちはあまり肉類が食事に出ることがありません。食についていろんな勉強を続けてきて肉食がなぜよくないかなどの理論を知った上で。「肉はあまり必要ではない」という結論に達したからです。(現時点での結論。)たまには食べたいとは思うし、そういう時は楽しみ、感謝していただくようにしています。しかし日常的に食事として出す料理に肉がはいっているということはほとんどありません。理由は肉は特に必要でないからです。あえて他の動物の大事な命をいただいてまで毎日肉を食べ続ける必要を感じないからです。こうして肉食から遠ざかってみて最近思うことがあります。物に念がこもるとしたら一切れの肉に念はないのか?と。豚や牛は、人間を憎んでないのか?命を奪われたとき、それに携わった人間を恨まなかったのか・・・?人間に殺され続けた種族が積年の恨みを人間に対してもっていたりしないのか?もしも憎しみを持って死に、その憎しみが肉体にこもっていたら・・・。毎日肉を食べているとその念が蓄積し人を憎み世の中を恨む心が食べている人に沸いてくる・・・なんてことがないとは言い切れない。あるいは前回は平和な森で自然に暮らし一生を終えた動物が、次にこの世に生まれてみたら親は近くに見当たらないし小屋に入れられて外に出ることもなく。それでも窮屈な中でも兄弟と一緒に楽しく生きよう、と思った矢先に兄弟全員首をはねられた、その後自分の肉体を見てみたら雑に扱われバラバラにされ食べられることもなくただ捨てられた。その豚が次に人間に転生したら生まれてきた目的を忘れ前世の記憶で人間を恨み人間を殺す凶悪な犯罪を犯してしまう。・・・なんてこともあるかもしれないとそんな恐ろしいことも想像してみたり・・・。(なぜ人間が人間を殺し、その体をバラバラにしようとなぜ思うのか、この疑問をずっと考えてたのもあります。)まずいだのなんだのと文句を言って感謝のかけらもなく平気で食べ物を捨てる、今の日本の人たち。命をいただいてる、食べさせていただいて生かしていただいている、と言う感謝の心がなければどんなものも食べたらいけないと私は思います。肉を一切食べるな!とは思いません。肉も、肉類以外の物も気軽に当たり前のものとして口に入れるのではなく。今の日本の人たちには食べ物に関して考えるべきことがたくさんあると思います。人は食べなくても生きられるそうです。☆ ☆ ☆ ☆ ☆ふ~ん、と思ったら・・・→人気blogランキング いつもありがとう! ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2008年06月03日
コメント(7)