Howard Moskowitzのペプシ味覚テストの話を思い出しました。どのくらいの甘さが完璧かの調査を頼まれたMoskowitzがデータの分散のあまりのめちゃくちゃさに思い悩み、あるときふと思いついたのが、the perfect Pepsiではなく the perfect Pepsi'sを探すべきなのだ、と思い当たったというのです。つまり、人々の好みはあちこちの散らばっていて平均値を求めることはあまり意味がない。それよりも、いくつかのグループに分けてそれぞれの平均を追及すればよい、という感じでしょうか。この考え方を応用したのがPregoのスパゲティーソースだそうです。今まで一種類しかなかったスパゲティソース市場に、Pregoは何十種類もの味を導入して、大成功を収めたとか。好みの分散、関心の分散、その一つ一つの好みや関心が大手を振って歩けるようになった、これがロングテール社会の出現した理由ですよね。tomooさんはこれを格差社会とくっつけるわけですが、もちろん僕も格差社会の存在は認識してますが、それは世界では常に存在していたわけで、日本がようやくそれにのみ込まれ始めただけじゃないんでしょうか。日本的バックラッシュの理由は、失われつつあるものに対する郷愁では?一方で、日本的なものが一つのマーケティングの対象になっているのは確かで、一つのユニークな味として売れるわけですから、この現象と郷愁の現象とがダブっているのでは?
(2007.01.06 03:10:25)
たびたびすみません。 「Code and other laws of Cyberspace」の翻訳本「Code-インターネットの合法・違法・プライバシー」でLawrence Lessig教授は「1996年に公開された、『インディペンデンス・デイID4』というひどい映画があった。宇宙人の侵略のお話だ。宇宙人が登場すると、地球人たちの多くは、よろこんでそれを歓迎する。こういう理想主義者にとって、悪意があると考えるべき理由はまったくないので、これまでにただの夢でしかなかったものに対して、概してよろこびが広がる。でも宇宙人があらわれてまもなく、宴たけなわのころに、雰囲気が変わる。いきなり地球の指導者たちはこの宇宙人たちが友好的ではないことに気がつく。それどころか、かなりの敵意をもってやってきたのだから・・・」「ここでの私の話も同じだ。われわれは、『インディペンデンス・デイ』の地球人が宇宙人をむかえたのと同じくらい、ネットを歓迎してよろこんでいた。それがわれわれの生活の中で拡大するのを、その最終的な影響を考えずに受け入れてきた。でもどこかの時点で、われわれも脅威の可能性を理解するようになるだろう。サイバー空間がそれ自身の自由を保障するものではなく、むしろコントロールのためのすさまじい可能性を抱えていることを理解するだろう。そしてそのときになってわれわれは問うことになる:どう対応したものか、と」