醍醐山と下部(しもべ)温泉

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二代目館長日記 bnvn05さん
2022.02.16
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カテゴリ: 醍醐山を愛する会
身延町下山の妙見寺というお寺に妙見の滝にまつわる美しい伝説があります。
民間の伝承を故加藤為雄氏が巧みに文章化して妙見寺に奉呈したものを、ミスター醍醐山・詔ちゃんこと故遠藤詔示さんのとりもつご縁で「醍醐山を愛する会」がデータ化させていただきました。

遠藤詔示さん(2019年8月常幸院お施餓鬼にて)


三枝亭二郎さんの落語「醍醐山」のベースとなったお話です。最初の落語会には加藤さんの奥様もいらっしゃり、ミスター醍醐山も大喜びでした。感謝を込めて原文を掲載いたします。

--*…*--*…*--*…*

東雲の滝と妙見寺

(一)
 富士川沿いの大子山は遠い昔醍醐山と書いた。
山の西側は景勝屏風岩とそれに連なる岸壁で、富士川の急流にそば立ち、北麓を宮木・一色の里。東麓を常葉・上の平の里。南麓を波高島(はだかじま)の里がとりめぐっている。

 長者屋敷の庭に立つと、眼下に富士川の清流が輝き流れ、その向こう岸に沿って、北から南へ長く東雲(しののめ)の里がひらけ、里を抱くような入日山(いりひやま)の稜線が南から次第に高まって山頂を画き、北に流れ下って椀を伏せたような丸山の山頂へと連なっている。
 長者夫婦の一人娘は、夫婦の間に長いこと子どもがなく、もうとても子宝には恵まれないものと諦めきった頃、幸いにもうけた一人っ子であった。

(二)
 娘は、気だてはよく見目麗しく育ち、いつしか婿取りの年ごろとなった。とある晩春のある日、ふとした風邪がもとで次第に重い病となり、長者屋敷を少し下った大子の里の人々も、日夜屋敷に寄り集い介抱に手を尽くしたが、病は日々重くなるばかりであった。
 そんな日々が続いたある日、長者は入日山にかかる一筋の長い白布を引き下げたような、まだ行ったことのない東雲の滝と呼んでいる滝へ目を向けていたが、覚えず滝に棲んでいると昔から伝え聞く竜神に、娘の加護を祈っていた。
 長者は、下から吹き上げる風に乗って上がってくる富士川の川音に、ふと我に返り、富士川谷の南の空の果てに湧き上がる黒雲を見た。
 黒雲はみるみる北へ向かって谷空をのぼってきて、まぶしい昼下がりの日をかき消し、入日山の山頂も、日に輝いていた東雲の滝も、黒雲の中に消え去った。と同時に、南から烈風と共に、しのつく豪雨が襲ってきた。激しい風雨は、時と共にその勢いを増し、夜に入ると暴れ川となった富士川の轟々とした川音が、長者原に響きのぼってきた。
 娘の病に、身も心も疲れ切った長者夫婦に、この天の異変は不安の度をさらに深めさせた。

(三)
さてその夜半、夫婦は娘の枕辺で、風雨の吹きつける戸をトントンと叩く音と、「頼もう、頼もう」と言う、嵐に消されぬさわやかな声を聞いた。夫婦は怪訝な顔を見合わせたが、再び戸をたたく音とその声を聞いた。急ぎ立って大戸のくぐり戸を開けた長者は、そこに立つ凛々しい顔に微笑みを浮かべた若者と目を合わせた。

~明日に続きます。





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Last updated  2022.02.16 06:36:28
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