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下山路も、もみじの道、大子集落でのおもてなし、醍醐山カフェと楽しみいっぱい。ゴールは今年も甲斐黄金村・湯之奥金山博物館にご協力いただきました。解散後はそれぞれ下部温泉を楽しみ、再会を約してお別れしました。ご参加の皆様、ご協力くださった皆様ありがとうございました。大子への紅葉の道膝に優しい柔らかい落ち葉の道です。大子集落で大子出身の小山公子会員のおもてなし今年もおいしい林檎をありがとうございました。大子から上之平への道は、大子出身の方にとっては、かつての生活路であり通学路(!)です。上之平集落の会員有志による醍醐山カフェ心のこもったおもてなしに皆さん感激していました。下部温泉郷・いで湯橋からの身延山甲斐黄金村・湯之奥金山博物館での反省会:信藤祐仁館長はじめスタッフの皆様、いつもご協力ありがとうございます。第25回醍醐山一斉登山は若葉薫る2025年5月6日(火・振替休)です。是非ご参加ください。
2024.11.27
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山頂に着くと丁度お昼。東屋でお湯を沸かして熱々のカップ麺と共にランチタイムです。食後のイベントタイムは、今回は豪華な野外コンサートでした。ボーカリスト・ヤマモトミカさんとギタリストで音楽プロデューサーのYOH(藤岡洋)さんが醍醐山を愛する会の歌「希望の醍醐山」のVersion2をはじめ素敵な演奏を披露してくださいました。紅葉の下でのミニライブボーカリスト・ヤマモトミカさんとギタリストで音楽プロデューサーのYOH(藤岡洋)さん山頂の紅葉笑顔のランチタイムご家族での参加、ありがとうございます♪機材や水を運び上げ、お湯を沸かしてくださった皆様、ありがとうございました♪山頂展望台からの南山梨:五老峰・五宗山・三石山・貫ヶ岳・篠井山・十枚山・大光山・身延山・七面山・笊ヶ岳等静岡県境の山々が一望できます。YOH(藤岡洋)さん、ミカさん、素敵なコンサートをありがとうございました♪
2024.11.26
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今回の一斉登山には約50名の参加がありました。甲斐常葉駅から山頂までの様子です。JR身延線甲斐常葉駅に全員集合受付をし、恒例のカップ麺と、醍醐山を愛する会の磯野祥子会員の心尽くしのお赤飯をいただいて開会式日本山岳会山梨支部の平松清子さんの指導で朝のストレッチ本日の山頂ゲスト:ボーカリストのヤマモトミカさんのご挨拶本日の山頂ゲスト:ギタリストで音楽プロデューサーのYOH(藤岡洋)さん。これからギターを背負って登ってくださいます。落ち葉の登山道樹木の説明などを聞きながら楽しく登ります。光る山頂へ
2024.11.25
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11月23日(土・祝)からりと晴れ渡った青空の下、第24回醍醐山一斉登山が開催されました。全4回でご紹介します。まずはダイジェストをご覧ください。当日朝の醍醐山JR身延線甲斐常葉駅集合(約60名)落ち葉の登山路紅葉の山頂へ富士川展望台山頂にてヤマモトミカ&YOH(藤岡洋)山頂コンサート♪もみじの道大子集落で小山さんによるリンゴのおもてなし醍醐山カフェ甲斐黄金村・湯之奥金山博物館で反省会
2024.11.24
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新宿御苑は広さ58.3ha、周囲3.5kmの大庭園で、数少ない日本の風景式庭園の名作とされています。広大な敷地内には約1万本もの樹木が植えられていますが、特に明治元年から皇室の紋章となった菊が咲き競う菊花壇は美しく、世界に知られています。17日まで「菊花壇展」が開催されていました。現在は「新宿御苑洋らん展」を開催中です。大作り花壇・大菊「裾野の月」:一枝からなんと511輪もの花をつけています。楽羽亭タギョウショウ(多行松):ブロッコリーのようなこんもりとしたマツ。クロマツを土台に赤松を接木した園芸品種です。ヤツデ:八手 ウコギ科葉っぱを大きな手に見立て、人をたくさん招く「千客万来」の木として親しまれています。ツワブキ:石蕗 キク科フキに似た光沢のある葉から、ツヤブキと名付き、訛って「ツワブキ」になりました。
2024.11.23
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皇居外苑、京都御苑、新宿御苑は、戦前までは旧皇室の苑地でしたが、戦後「国民公園」として広く一般に開放されています。新宿御苑は、江戸時代には信州高遠藩主内藤家の屋敷があったところです。中の池旧新宿門衛所旧御凉亭(台湾閣):日本では数少ない本格的中国建築です。樹齢120年のヒマラヤスギの大木花壇中央休憩所
2024.11.22
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下部温泉に泊まって紅葉狩りはいかがですか?温泉郷の奥の湯町ホタル公園の紅葉が見頃です。公園への道下部川にかかる吊り橋
2024.11.21
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日蓮聖人ご入滅の地となった池上宗仲邸(現在の本行寺)で、死期を悟った日蓮聖人が、真っ先にお礼の手紙をしたためた相手が波木井実長公(南部実長)でした。その手紙「波木井殿御報」が、日蓮上人像のすぐ下、石段脇の石碑に刻まれています。「波木井殿御報」の碑:右側は日蓮聖人の最後の旅姿の絵。円実寺三門円実寺本堂鐘楼と四季桜鐘楼からの富士川左岸:中央は国道52号、奥は中部横断道山高神代桜の実生木旧本堂の大鬼瓦:昭和27年新築時の物。平成6年の開山波木井日円上人第700遠忌の際に本堂の屋根は全面葺き替えされました。池や四阿もありゆっくりと峡南の山川の絶景を楽しめます。
2024.11.20
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日蓮宗総本山として知られる身延山久遠寺。鎌倉時代、地元波木井(はきい)の南部六郎実長公(波木井公)は日蓮聖人を身延山に招き、御草庵ができるまでの間、自邸(波木井城)でもてなしました。波木井山円実寺は、その波木井城を波木井公が日蓮聖人に寄進し、聖人直々に命名したお寺です。波木井山円実寺:左の立像は日蓮聖人、右の坐像は波木井実長公波木井六郎実長公像:のちの法寂院日圓上人。身延山の開基で日蓮聖人を長く支え続けた大壇越でした。日蓮聖人像と三門52号線の旧道沿いの参道入口:「日蓮大上人御留錫霊場」とあります。留錫(りゅうしゃく)とは僧が留まることです。参道は虹川を渡ります。波木井氏は南部氏の一族でこのあたりの地頭でした。虹川下流。円実寺と身延山は右手になります。※壇越(だんおつ・だんのつ):サンスクリット語で「寺や僧に布施(ダーナ・dana)をして援助する者」という意味です。壇越のいる家が檀家です。ダーナは旦那の語源でもあります。
2024.11.19
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朝霧高原はその名の通り霧が多く、下部温泉側は晴れていても静岡側は白一色ということが多々ありあります。この日もまさにそうでした。晴れていれば、トンネルを抜けたとたんに、朝霧高原と富士山の素晴らしい景色が広がります。今年は夏の間に枯れてしまった葉が多く鮮やかさが今一つ・・・とはいえ、やはりこの時期ならではの美しさがあります。細い流れが下部川に集まり、やがて富士川を経て駿河湾に注ぎます。湯之奥猪之頭トンネル手前林道最高点の湯之奥猪之頭トンネル・山梨側トンネル内に山梨と静岡の県境があり、身延町から富士宮市になります。湯之奥猪之頭トンネル・静岡側:晴れていればトンネルを抜けたとたんに富士の眺望が開けます。林道記念碑:晴れていれば富士の名所です。すぐ近くにハングライダーの発地点があります。晴れた日にはこんな富士山に出会えます。飛んでいるのはハングライダーです。県営林道湯之奥猪之頭線・問い合わせ先(山梨側と静岡側で問い合わせ先が異なりますのでご注意下さい)・山梨側~県営林道 峡南林務環境事務所治山林道課(施設管理担当) 電話番号:055-240-4148・静岡側~富士宮市営林道富士宮市役所環境森林課 電話番号:0544-22-1153
2024.11.18
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湯之奥猪之頭林道の推奨速度は20キロ以下です。落石に細心の注意を払いながらゆっくりゆっくり進みます。路肩に駐車して一休みするときには熊にも注意しましょう。富士川側を振り返ります。紅葉が進んできました。こちらは静岡側「大勢の 中に我あり 冬紅葉」星野立子「ひとつ色で似ぬものばかり紅葉哉」 加賀千代女「枝々を透きて日の照る紅葉かな 」久保田万太郎南アルプス南部遠望。左から赤石岳、荒川岳。毛無山登山口:毛無山(けなしやま・1,964 m)の山梨側の登山口です。国史跡・湯之奥金山(中山金山)登山口:毛無山の山腹には武田信玄公の採掘した金鉱の遺跡があり、「湯之奥金山」と呼ばれます。湯之奥金山には中山、茅小屋、内山の三ヶ所の金抗があり、その中で最も大掛りに採掘されたのが中山金山です。
2024.11.17
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下部温泉郷を貫く1本道・県営林道湯之奥猪之頭(ユノオクイノガシラ)線は、下部温泉郷、湯之奥集落を経て、静岡県の朝霧高原へと抜ける林道です。湯之奥集落からは狭く急なつづら折りの登りになり、落石が多く、推奨速度は20キロ以下。紅葉の名所ですが、観光用の道路ではなく、注意が必要です。下部温泉神泉橋:この道が朝霧高原まで続きます。(冬期は林道の湯之奥ゲートから先、通行止め)海河原(下部川):下部温泉から湯之奥に行く途中にあります。江戸時代の大地震(富士山の噴火で知られる宝永の大地震)の遺物です。今回珍しく水が見えました。湯之奥集落:石畳とかつては水車を回していた流れが印象的です。湯之奥橋からの毛無山・大ガレの頭湯之奥橋からの毛無山・大ガレの頭:紅葉が始まっています。これから右手前の林に分け入っていきます。湯之奥ゲート:間もなく冬期閉鎖となります。ゲートから先:つづら折りの紅葉の道の始まりです。
2024.11.16
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あなたの子供は、あなたの子供ではない。彼等は、人生そのものの息子であり、娘である。彼等はあなたを通じてくるが、あなたからくるのではない。彼等はあなたとともにいるが、あなたに屈しない。あなたは彼等に愛情を与えてもいいが、あなたの考えを与えてはいけない。何故なら、彼等の心は、あなたが訪ねてみることもできない、夢の中で訪ねてみることもできないあしたの家にすんでいるからだ.....。(ハリール・ジブラーン「預言者」より)
2024.11.15
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(病気になって)何よりも好いことは、病気が一切をあきらめさせてくれることだ。病気の時には、一切のゾルレンが消えてしまう。(ゾルレン:こうあるべきだということ)「お前は病気だ。肉体の非常危機に際している。何よりも治療が第一。他は考える必要がなく、またいわんやする必要がない」と言う、特赦の休日があたえられてる。それの意識が、すべての義務感や焦焼感から、公に自己を解放してくれる。病気であるならば、人は仕事を休んで好いのだ。終日何もしないでぶらぶらとし、ふてぶてしく臥していた所で、自分に対してやましくなく、かえって当然のことなのだ。無能であることも、廃人であることも、病気中ならば当然であり、少しも悲哀や恥辱にならない。(萩原朔太郎「病床生活からの一発見」より)
2024.11.14
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甲府市にある定額山(じょうがくざん)浄智院善光寺は甲斐善光寺とも呼ばれます。金堂中陣天井には、江戸の画家・希斎によって描かれた巨大な二匹の龍がいます。竜の部分は、吊り天井で、手をたたくと「鳴き龍」(共鳴現象)が起こります。甲斐善光寺の鳴き龍は日本一といわれ、親しまれています。金堂(重要文化財)と香炉堂鐘楼堂:銅鐘(県指定文化財)は、信州から引きずって運んだ「引き摺りの鐘」として知られています。宝物館:源頼朝像、源実朝像・熊谷直実像・玄和居士像・徳川家光奉納の聖観音像・賽の河原地蔵尊・善光寺如来絵伝・木喰上人絶筆梵字阿弥陀如来像・武田信玄朱印状など、什宝の一部を、随時展示替えをしながら年中無休で公開しています。甲斐善光寺大仏本堂再興碑:焼失した本堂の再建には30年の歳月を要しました。工事の遅延を意味する「善光寺普請」の語源です。地蔵堂六地蔵: 仏教では死後の行き先が、生前の善行や悪行によって地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天の六道に分かれます。道祖神:村境、峠などの路傍にあって外来の疫病や悪霊を防ぐ神です。
2024.11.13
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武田信玄が北信濃で、越後の長尾景虎(上杉謙信)と「川中島の戦い」を繰り広げていた頃、その戦火は信濃善光寺にまで及びました。信玄は信濃善光寺の焼失を恐れ、永禄元年(1558)、御本尊善光寺如来像をはじめ、諸仏寺宝類を現在の地(甲府市善光寺・当時の板垣の郷)に奉遷しました。武田氏滅亡後、御本尊は織田・徳川・豊臣氏を転々とし、信濃善光寺に戻り、甲斐善光寺では前立仏を御本尊として今に至っています。山門(重要文化財):1754年(宝暦4年)に焼失し、1796年(寛政8年)に再建されました。桁行約17m、梁間約7m、棟高約15m、堂々たる重層建築です。山門(重要文化財):門の両脇には未完成の金剛力士(仁王)像が安置されています。参道からの金堂(重要文化財):善光寺建築に特有の撞木造(しゅもくづくり)で、総高27m、総奥行49m。日本有数の木造建築です。金堂(重要文化財):金堂下には、「心」の字をかたどる、お戒壇廻りがあります。金堂(重要文化財)西面 金堂(重要文化財)東面
2024.11.12
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善光寺の御本尊は、一光三尊阿弥陀如来(善光寺如来)です。このご本尊は白雉5年(654年)以来、住職ですら見られないという絶対秘仏で、身代わりとして「前立(まえだち)本尊」(重要文化財)が造られました。おなじみの7年に1回の御開帳は、正式には「善光寺前立本尊御開帳」といいます。善光寺本堂(国宝):源頼朝や武田信玄、徳川家康も訪れた由緒あるお寺です。善光寺本堂(国宝)東側面山門(三門)重要文化財:国内最大の栩葺(とちぶき)建造物です。五間三戸二階二重門、屋根は入母屋造りです。山門手前の六地蔵:衆生が輪廻を繰り返す六つの世界(六道)に現れ、迷いや苦しみから救ってくれる菩薩です。山門南東のぬれ仏(延命地蔵):享保7年(1922)造立。八百屋お七の冥福を祈って、吉三郎が立てたという伝説もあります。「観音の み手が咲かせし冬桜 」渡辺恭子信濃路のりんご園:長野県は青森県に次ぐリンゴの産地です。(ちなみに世界で1位は中国、2位はトルコ)
2024.11.11
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「一生に一度は参れ善光寺」「牛にひかれて善光寺参り」・・長野県の善光寺は誰もが知る由緒あるお寺です。日本で仏教が諸宗派に分かれる以前からの寺院であるため、無宗派の単立仏教寺院です。宗派の別なく、また性別や身分の差別なく救われる霊場として、古から絶対的な人気を集め、現在も年間約600万人もの参拝者が訪れます。善光寺本堂(国宝):火災の度に再建され、現在の本堂は宝永四年(1707)の再建で、江戸時代中期を代表する仏教建築です。善光寺:約5万9000平方mの境内に、大勧進・大本願と39の宿坊からなる大寺院です。善光寺本堂(国宝):高さ約27m間口約24m奥行約54m。東日本最大級の木造建築です。大香炉:3組の獅子が支える香炉から出る煙を身体にあび、身を清め、無病息災、病気平癒を祈ります。歴代回向柱納所:七年に一度の御開帳には毎回松代町から回向柱が寄進され、本堂前に立てられます。観進:善光寺の御本尊・「一光三尊阿弥陀如来像」は絶対秘仏です。ここには7年に1回御開帳される前立(まえだち)本尊(重要文化財)が安置されています。経堂(重要文化財):堂内には八角の輪蔵があり、その中に仏教経典を網羅した一切経が収められています。経堂(重要文化財):宝暦九年(1759)建立。五間四方宝形(ほうぎょう)造り。斗(ます)と肘木(ひじき)で構成される枓栱(ときょう)が軒桁を支えています。
2024.11.10
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下部温泉駅から下部温泉郷への道の法面(のりめん)の工事が始まりました。この道は大正時代に険しい岩場を開削してできた新道で、開削道路の請負者・旭定次郎の名に因み、「旭町通り」と呼ばれています。旭町通り:左の崖の上に旧道、右側は下部川。下部温泉からの旭町通り:正面は醍醐山明治末期の下部温泉郷の人口はわずか160人。その小さな温泉場に、富士川舟運と、人と馬がやっと通れるだけの険しい山道を旅して、年間2万人もの湯治客が訪れていました。人々がどんなに新道を熱望したかが想像できます。昭和20年代後半の旭町通り:道幅が徐々に拡幅され、多くの人家が建ちました。労苦の末5年がかりで開通した新道の記念碑が道路わきにあります。開削道路記念碑「記念碑の碑文」下部鉱泉は古来より神秘的の霊湯にして千有余年間泉浴及び内用に供せられ幾千万の難病者を救済せしこと枚挙に遑(いとま)あらず ゆえに一般社会の渇仰する所なりしかれども交通機関たる道路橋梁完(まった)からず 為に来浴者の嘆声(たんせい)を聞くや久しここにおいて時の村会議員石部惟三氏の提出により 村会決議を経て 県費補助のもとに大正五年十二月二十四日起工下部波高島間の道路の開鑿(かいさく)橋梁の架設に着手せらるも字(あざ)滑岩の畳々たる岩石 その他数か所の切り下げ 橋臺(きょうだい)等の難工事に加ふるに物価の暴騰に際会し 請負人はもちろん道路委員並びに温泉営業者は多大の犠牲をはらい五か年にわたる長期歳月を費やしようやく大正九年十二月十五日竣工を見るに至れり今や車馬往来の便 物資運搬の利 前の峻坂(しゅんぱん)険路に比すれば霄壤(しょうじょう)*に啻ならず*これ委員の献身的努力のいたすところにして生彩奕奕(えきえき)*たるこの碑は長きに当時を追懐せして もって不言の教訓たるや必(ひっ)せり よってその功績を永久に胎(のこ)すと云爾(しかいう)**霄壤(しょうじょう) 天と地ほどの違い*啻ならず(ただならず) それどころではない *奕奕(えきえき) 非常に美しい*云爾(しかいう) これにほかならないという〆の言葉。音読の際は「うんじ」旧道:石川家邸宅址の石垣法面の工事に伴って、新道脇のお水神さんが旧道脇に移されました。お水神様
2024.11.09
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福地山修禅寺(ふくちざんしゅぜんじ)は伊豆の修善寺(しゅぜんじ)にある曹洞宗のお寺です。大同二年(807)、真言宗の開祖である弘法大師空海によって開創され、歴史を経て、戦国時代に北条早雲によって再建され、曹洞宗となりました。鎌倉幕府二代将軍源頼家の菩提寺であり、その頃修善寺と呼ばれていたことが地名の由来となっています。修善寺温泉街:正面が外湯の「独鈷(とっこ)の湯」、奥が「筥湯(はこゆ)」と仰空楼(望楼)竹林の小径:平成9年度都市景観最優秀賞受賞。夜はライトアップされます。修禅寺遠景:修善寺の名前の由来となった禅宗のお寺です。修禅寺:大正天皇が皇太子時代に「東海一の庭園である」と言われたという庭園(通常非公開)が11月22日(金)から12月1日(日)まで公開されます。修禅寺:源頼家が幽閉され非業の死を遂げたお寺です。岡本綺堂の戯曲「修善寺物語」で知られる頼家ゆかりの古面が宝物館に納められています。修善寺川:地元では桂川と呼ばれます。「伊豆の踊子」に登場する湯川橋付近で本流の狩野川と合流します。桂川には五つの赤い橋が架かっています:渡月橋(とげつばし)別名:みそめ橋・虎渓橋(こけいばし)別名:あこがれ橋・桂橋(かつらばし)別名:結ばれ橋・楓橋(かえでばし)別名:寄り添い橋・瀧下橋(たきしたばし)別名:安らぎ橋五つの橋全てを願をかけながら渡ると、恋が実るといわれています。
2024.11.08
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今回の山頂ゲストはボーカリストのヤマモトミカさんとギタリスト、音楽プロデューサーのYOH(藤岡洋)さんです。Youtubeで、藤岡洋さんが作曲した【醍醐山を愛する会テーマソング「希望の醍醐山」ver.2】がヤマモトミカさんの歌で醍醐山の景色と共に公開されています。おなじみの「希望の醍醐山」と共にver.2もよろしくお願いいたします。♪「希望の醍醐山」作詞:磯野とみ子 作曲:北杜幸一 歌:北杜幸一♪「希望の醍醐山ver.2」作詞:磯野とみ子 作曲:藤岡洋 歌:ヤマモトミカ【山頂ゲスト】◯ヤマモトミカ:ボーカリスト2022年4月「Fishes are laughing」「My Princess」リリース後レコーディングメンバーでTHE JUMPIN' JUNGLE PARADISEを結成。2023年「Holiday Eve」「甘い幻想」、2024年「虚空のサークル」をリリース。現在、東京を中心にライブ活動中。2024年9月、ソロで「星の王子様(君に逢える丘)」をリリース。◯YOH(藤岡洋):ギタリスト、作詞・作曲・編曲家、音楽プロデューサー。主なサポートアーティスト:小柳ゆき、GAO、五條真由美、コニー(ザ・ヴィーナス)、綾小路きみまろ、千葉マリア、三好鉄生、下地暁、宮沢和史(ザ・ブーム)他。2022年からポップロックバンドTHE JUMPIN' JUNGLE PARADISEのギターリストとしても活動中。
2024.11.07
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北杜市明野町は日照時間日本一を誇り、夏には40万本のひまわりが咲き競います。美しい秋の夕暮れをご覧ください。左から甲斐駒ケ岳・鋸岳・大岩山・雨乞岳八ヶ岳:左から編笠山・権現岳・阿弥陀岳・赤岳・横岳左から櫛形山・甘利山・千頭星山・鳳凰三山(薬師岳・観音岳・地蔵岳)左から鳳凰三山(薬師岳・観音岳・地蔵岳)・早川尾根・アサヨ峰・栗沢山・甲斐駒ケ岳茅ヶ岳とハイジの村野菜畑:左から兎藪・金ヶ岳・茅ヶ岳、黒富士・太刀岡山左から鳳凰三山・早川尾根・甲斐駒ケ岳・鋸岳左から鳳凰三山・早川尾根・甲斐駒ケ岳・鋸岳・大岩山・雨乞岳、手前 中山明野からの醍醐山(左):醍醐山・高ドッキョウ・篠井山・身延山
2024.11.06
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登山家には芸術家が多くいます。文学、絵画、写真、音楽・・・山の魅力の表現方法は多様です。山梨県在住の環境デザイナー・中田雅弘の描く山の世界をお楽しみください。「小池新道からの弓折岳」(新穂高温泉奥)中田雅弘氏:イラストレーター、画家、フォトグラファー、詩人。「未踏峰のベースキャンプ」(東チベット)「ジャンダルムとの融合」(奥穂高岳)「行者小屋の広場では」(八ヶ岳)「ホワイトアウトの山スキー」「みくりが池新雪のころ」(室堂)「雪解けのほだか」(上高地 大正池)
2024.11.05
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瑞牆山(みずがきやま・2,230m)は全山が黒雲母花崗岩で形成されている、奥秩父西端の名峰です。この山の麓(標高900m)に1.1ヘクタールの広さを持つ「みずがき山自然公園」があります。みずがき湖は金峰山を源流とする塩川に建設されたダム湖で紅葉の名所として知られています。みずがき山自然公園みずがき山自然公園手前からの瑞牆山「このもより かのも色こき 紅葉かな」与謝蕪村みずがき湖と鹿鳴峡大橋ツタウルシ:蔦漆 ウルシ科ウルシの仲間では最強の「かぶれ成分」を含み、触れるとひどいかぶれを起こします。ハウチワカエデの黄葉ウルシの紅葉
2024.11.04
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總持寺(そうじじ)は永平寺と並ぶ曹洞宗の大本山です。管長(宗門の代表)は、永平寺と総持寺の貫首(住職)が2年交代で務めています。總持寺は元亨元年(1321)、能登に瑩山紹瑾禅師によって開かれ、1911年(明治44年)に鶴見に移転してきました。(能登には總持寺祖院があります)約50万平方メートルの広大な敷地の中に、多くの堂宇と鶴見大学があります。石原裕次郎のお墓やアントニオ猪木のブロンズ像があることも広く知られています。【総受付】香積台(こうしゃくだい):香積とは、香気が充満している世界のことで、禅門では食事を調理する庫院(くいん)、庫裡(くり)を意味します。大本山總持寺開山太祖 瑩山紹瑾禅師700回大遠忌相承(そうじょう):お釈迦さまの教えを受け、行い、継いでいくこと。教えは人種、性別、年齢を問わず相承され、相承の輪は国境を越えて広がり続けています。三松閣(さんしょうかく):能登の祖院にあった三本の龍形の松にちなんだ名前です。檀信徒研修道場、各種セレモニーの会場で宿泊施設もあります。大祖堂:太祖瑩山(けいざん)禅師と高祖道元禅師、二祖・峨山(がさん)禅師をはじめ、歴代の諸禅師の頂相(ちんそう・肖像画や彫像)を安置し、諸尊牌をも奉祀する霊場です。仏殿(大雄宝殿):中央の須弥壇上に禅宗の本尊である釈迦牟尼如来を祀っています。「胸なりてわれ踏みがたし 氷よりすめる大雄宝殿の床」与謝野晶子向唐門(むかいからもん):勅使門です。総持寺は後醍醐天皇以後、歴代天皇から勅願寺として仰がれました。
2024.11.03
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瑞牆山周辺には、木暮祭の会場である金山平(かなやまだいら)という地名でわかるように金鉱のある一帯で、戦国時代には武田氏によって金が掘られていました。坑道跡らしき穴は「魔子の人穴」と呼ばれています。魔子からの瑞牆山魔子からの瑞牆山展望台からの瑞牆山全景展望台からの木賊峠魔子の人穴 魔子の人穴内部魔子の人穴入口「おもうからあるのだそこにわたくしはいないいないばあこれが顔だよ」望月裕二郎
2024.11.02
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「魔子(まこ)」は、瑞牆山(みずがきやま・2,230m)の前衛の山です。先日ご紹介した木暮祭の今年のパンフレットに以下の文章が掲載されています。【魔子の人穴の話むかし、金峰山の近くに魔子の山とよばれる異様な山があったとさ。この山には、今にも妖怪が飛び出してきそうな不気味なほら穴があったとさ。村人はこの穴を魔子の人穴とよび、決してこのあたりには近づかなんだ。それはな、もっとむかし、この山に魔子(まご)じじいという大男がおったんじゃ。そいつのからだといったらそれはがんじょうでな、鳥やけものを食べ、村里へ出てきては家畜をぬすみ、時には赤ん坊までもさらっていったそうじゃ。ほら穴の入り口には、骨が積み重なり、奥からは生臭い風が吹いてくるそうな。子どもがいつまでも泣いたりすると「魔子じじいが来るぞ」と言えば、ぴたりと泣き止んだそうじゃ。(須玉町歴史資料館「すたまの民話」より)*平成 7 年の調査でこの魔子の洞穴は古い鉱山の坑道だとわかりました。実は、この伝説は、江戸時代に、この鉱山に人を近づけないようにするために、創作されたのではないか、と考えられています。】魔子への道:白樺林を行く林の中からの瑞牆山「山暮れて 紅葉の朱を 奪いけり」与謝蕪村「立ちまじる 松真青なり 山紅葉」水原秋櫻子「青苔にほつりほつりと落つる花」 日野草城魔子の山山頂(1,700m):山頂が二つあります。魔子の山山頂(1,700m):二つ目の山頂。苔むす林:湿気が多いことを示します。
2024.11.01
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本遠寺はお万様の寺として知られています。お万の方(養珠院)は徳川御三家のうち、紀伊家の藩祖頼宣、水戸家の藩祖頼房の生母(つまり水戸黄門の祖母)です。お万の方は、自分が亡くなったら、篤く慕った日遠上人の御廟の近くに埋葬するよう遺言しました。亡くなった翌年の承応3年(1654年)、頼宣により養珠院の墓所が遺言通り本遠寺の日遠上人の御廟近くに造営されました。徳川家の勢力が偲ばれる当時の最高の材料と技術が駆使された墓所で、山梨県の文化財に指定されています。徳川家康側室養珠院墓所【山梨県指定文化財】:紀伊家の藩祖頼宣の命によって造られただけあって、紀州藩が派遣した石工が造ったと推定されています。宝篋印塔は関西形式で、正面の石門と周囲の玉垣の細工は山梨県内では類例がありません。徳川家康側室養珠院墓所【山梨県指定文化財】:真ん中に見えるのが関西形式の宝篋印塔です。徳川家康側室養珠院墓所【山梨県指定文化財】:地元の石ではなく、わざわざ笛吹市一宮町の京戸山産の御影石を使っています。開山御廟:江戸時代、日蓮宗の「宗門中興の三師」に数えられた心性院日遠の墓所です。開山御廟:心性院日遠は身延山久遠寺を隠退した後の慶長14年(1609年)にお万の方の帰依を受けて本遠寺を創建しました。江戸時代のお墓、大正時代の灯籠、令和の今朝の生花。養珠院お萬さま洗足の井戸:伽藍の建築中に現場を見に来たお万の方が、足を洗ったと伝えられる井戸です。お万の方は江戸時代の日蓮宗発展の礎を作った人といわれ、各地に史蹟が残されています。
2024.10.31
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本遠寺はお万の方の力によって徳川幕府の庇護の下に栄え、日蓮宗本山(42ケ寺)の一つに数えられ、末寺21ヶ寺を擁する大寺院となりました。お万の方が女人禁制であった七面山(身延山を守護する七面大明神が祀られている山)に登った最初の女性だったことから、女人信仰の道場としても多くの参拝者がありました。本堂と並んで鐘楼堂も国の重要文化財です。本遠寺鐘楼堂【国指定重要文化財】:慶安3年(1650年)建立。入母屋造、檜皮葺、桁行3間梁間2間。江戸時代初期の御堂建築の遺構として大変貴重な建築です。本遠寺鐘楼堂【国指定重要文化財】:2層共に柱だけの吹き放しで2層目の外周には高欄が周り、二重垂木、多重の木組みなど格式の高い建物です。本遠寺鐘楼堂【国指定重要文化財】:袴腰を付けず、柱を内転びとして一階を開放する珍しい形式の楼造鐘楼です。鐘楼からの本堂。正面奥に見える白い塔は宝蔵。本遠寺宝蔵(宝物館):徳川家の葵の御紋があります。かつては多くの宝物を収蔵していたそうです。五社神社:身延山の鎮守の神・七面大明神も祀られています。
2024.10.30
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身延町大野にある大野山本遠寺(ほんのんじ)は、日蓮宗由緒寺院(本山)の一つです。慶長14年(1609)に身延山久遠寺を隠退した心性院日遠上人が、徳川家康の側室お万の方(養珠院)の帰依を受けて創建しました。3代将軍家光から260石余の寺領を与えられ、紀州藩主徳川頼宣によって堂宇の造営、改修が行われるなど格式の高い大規模な寺院でしたが、慶応3年(1867)の火災によって多くの伽藍を失ってしまいました。火災を免れた本堂と鐘楼は、国の重要文化財に指定されています。大野山本遠寺仁王門:正面が本堂。仁王様は「素直な心で仏様の知恵に従ってゆきなさい」と諭しているそうです。大野山本遠寺本堂【国指定重要文化財】:慶安3年(1,650年)建立。入母屋造、檜皮葺、桁行5間、梁間7間。大野山本遠寺本堂【国指定重要文化財】:江戸時代初期の大規模な日蓮宗寺院の本堂建築の貴重な遺構です。大野山本遠寺本堂【国指定重要文化財】(お万の方の墓所への石段から):素朴にして精緻。どっしりと落ち着いた佇まいに心奪われます。お万の方の墓所からの本堂屋根:平成14年から平成20年にかけて解体修理を行い、屋根を当初の檜皮葺(ひわだぶき)に戻しました。本遠寺仁王門阿形像(右)那羅延金剛(ならえんこんごう)力士本遠寺仁王門吽形像(左)密迹金剛(みっしゃくこんごう)力士本遠寺の大クスノキ【身延町指定天然記念物】:推定樹齢300~350年。樹高19m、幹囲7.3m。神木としてあがめられ、葬儀の際には葬列がこの木を右回りに3回廻ります。
2024.10.29
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木暮祭は昭和35年以降、地元増富ラジウム峡観光協会・山梨県山岳連盟・日本山岳会山梨支部からなる碑前委員会が主催しています。前夜祭では上村英司北杜市長の挨拶もありました。碑前祭会場主催者挨拶:増富ラジウム峡観光協会 小森良直事務局長主催者挨拶:山梨県山岳連盟 小宮山稔会長主催者挨拶:日本山岳会山梨支部 古屋寿隆支部長来賓挨拶:公益社団法人日本山岳会 橋本しをり会長来賓挨拶:木暮理太郎翁の功績を語り継ぐ会 浅海 崇夫事務局長生誕地の群馬県太田市から毎年参加頂いています。講話:「明治期、金峰山に登った人たちと紀行文」内藤 順造 氏(山梨県山岳連盟 顧問・日本山岳会山梨支部 顧問)金山ラーメン「金龍花」オープン:金山山荘隣で土日のみ営業です。
2024.10.28
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10月20日(日)山梨県北杜市須玉町の金山平で、第65回木暮祭・碑前祭が厳かに開催されました。木暮理太郎(1873-1944、群馬県生まれ)は、田部重治と共に奥秩父を開拓してその魅力を広め、「奥秩父の父」と称されます。著書には「山の憶い出」等があり、第3代日本山岳会会長も務めました。毎年10月の第三日曜日に、日本山岳会の有志によって顕彰碑の前で「木暮祭」が行われており、今年も多くの山岳関係者が集まりました。金山平からの金峰山木暮碑:昭和25年5月、ここより奥に建立されましたが、昭和34年台風被害で崩壊、昭和35年10月現在地に建立され、第1回木暮祭が開催されました。第65回木暮祭会場木暮理太郎の出身地・群馬県太田市から。金山平会場からの金峰山山頂昭和25年、顕彰碑建立時:昭和34年の台風で崩壊するまでは、瑞牆山・金峰山がそっくり見える場所にありました。金山平:紅葉始まる金山平:今年は猛暑だったせいか例年より紅葉が遅れています。
2024.10.27
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鶴峠~奈良倉山~松姫峠~鶴寝山(「関東の富士見百景」)~大マテイ山~小菅の湯のコースは、長距離ですが快適なコースです。11月上旬には美しい紅葉に覆いつくされます。ブナの大木が多い山です。大マテイ山という山名は「大迷い」または「大惑い」の転訛といわれます。大マテイ山山頂1,409m:山頂は森の中で展望はききませんが、紅葉の名所として知られます。「瓜食(は)めば子ども思ほゆ 栗食めばまして偲はゆ」山上憶良大ダワ分岐:ここから稜線沿いに西側に大菩薩峠があります。稜線からの分岐:山沢川に下り小菅の湯へと向かいます。山沢川:小菅川は日本で初めてヤマメの養殖に成功した川です。支流である山沢川はその種沢として禁漁区になっています。山梨県北都留郡小菅村山沢:絵のように美しい集落です。
2024.10.26
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松姫峠は、武田信玄の四女・松姫が、武田家滅亡の際にこの厳しい峠を通って落ち延びたことに由来します。松姫は武蔵国横山宿(八王子)まで逃れ、その後、曹洞宗の名刹・心源院で出家して22歳の若さで信松禅尼となりました。今に伝わる八王子織物の種を蒔いた人としても知られています。松姫が通った道は、現在多摩川源流トレイルランコースにもなっています。 大菩薩山系遠望ホウノキ:朴の木 モクレン科「ほう」の意は「包」で、大きな葉に食べ物を盛ったことからの命名です。「栗の樹下髪を叩いて蟻落す」高澤良一松姫峠:村道松姫峠線は土砂崩れ発生のため当面の間、全面通行止めとなっています。「栗のいが 落ちる いのちの音たてる 」寺田京子鶴寝山(つるねやま・1,368m):大月市の「秀麗富嶽十二景」の1つに選ばれています。晴れれば富士の眺望が見事です。
2024.10.25
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小菅村(こすげむら)の人口は約720人。人口約1400万人の東京都を支える重要な水源地です。小菅村は面積の約95%を森林が占め、村外の様々な企業と連携して水源涵養林を守っています。奈良倉山・鶴峠登山口(標高880m):上野原駅からバスがあるので、東京からの登山客に人気があります。JTの森:尾根の分水嶺から東側は広葉樹、西側は針葉樹が植林され、両極端な山林を形成しています。JTの森 広場:北側の多摩川水系と南側の相模川水系の分水嶺になっている重要な尾根です。 カラカサタケ:唐傘茸 ハラタケ科無味・無臭で従来から食用とされますが生食は禁物です。ブナの林:白い幹と緑の葉のコントラストが大変美しい場所です。 奈良倉山山頂(1,349m)奈良倉山山頂からの富士山:この日はあいにくの曇り空でした。大月市選定秀麗富嶽十二景の5番山頂の景色です。松姫峠へ
2024.10.24
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甲斐百山の1つ奈良倉山(1,349m)は、山梨県大月市と北都留郡小菅村の境にあります。 大月市と小菅村を結ぶ松姫峠の前後は、つづら折りの難道路でしたが、2014年に県内2番目の長大トンネル・松姫トンネル(1番は雁坂トンネル)が開通したことで時間が短縮されました。深城(ふかしろ)ダム:大月市七保町の一級河川葛野川(かずのかわ)の多目的ダムです。洪水調節、水道用水の確保などの他、水力発電も行っています。シオジの森ふかしろ湖:シオジ【塩地】とはモクセイ科の落葉高木で、深城ダム上流域に天然林があり、古くから水源涵養林となっています。小金沢公園:深城ダム建設に伴い27世帯が水没し、大月市内の代替地に移転しました。故郷の碑・謝恩碑等が残されています。小金沢公園:紅葉の時期は特に美しい景観です。松姫トンネル:右が松姫トンネルで全長3066mあり、小菅村へ抜けます。左が松姫峠へ向かう奈良倉トンネルです。道の駅こすげ 多摩源流温泉 小菅の湯:高アルカリ性温泉で「美人の湯」と評判です。道の駅こすげ 源流レストラン(左):小菅村の川の幸、山の幸をふんだんに使った料理を提供しています。道の駅こすげ 物産館: 地元の野菜や特産品を数多く取り揃えています。
2024.10.23
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鶴岡八幡宮にはかつて、三つの鳥居をくぐり太鼓橋で源平池を渡って入っていきました。現在太鼓橋は通行禁止ですが、今も人気の撮影スポットです。源平池(源氏側):頼朝の命で作られた池です。右の源氏池には産(三)を表すよう島が3つ、平家池には死(四)を表すよう島が4つ浮かんでいます。奥に見える赤い橋は旗上弁天社。旗上弁天社へ:源氏池の中の島に鎮座しており、赤い橋を渡ってお参りします。頼朝の旗上げにちなみ、源氏の二引きの旗に願をかけます。旗上弁天社:現在の社殿は文政年間の古図をもとに復元したものです。中国人観光客から拍手喝采を浴びていた鳩のオジサマ・・・。た、確かに鳩は八幡大菩薩のお使いですけれども・・。あげていたのは何だったのでしょう。。太鼓橋:源平池に架かる橋です。元々は赤い橋で、北条氏の流れをくむ赤橋家は、この橋の名に由来します。常緑の松と太鼓橋と舞殿と本宮・・・世界中の観光客から人気の撮影スポットです。
2024.10.22
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源頼朝の祖先頼義は、京都の石清水(いわしみず)八幡宮を鎌倉の由比ヶ浜の浜辺(由比郷鶴岡・現在の鎌倉市材木座)に勧請しました。その後、源頼朝が鎌倉幕府を開き、篤く崇敬していた八幡宮を現在地に祀り、源氏だけでなく、幕府や東国社会の守護神として武家の崇敬を集めました。日本で最も多い神社である八幡信仰神社の中で、宇佐八幡宮、石清水八幡宮と共に三大八幡宮のひとつとされ、現在は初詣だけで250万人、年間では1000万人以上が参拝する人気神社です。舞殿(下拝殿)と楼門:八幡大菩薩のお使いとされる鳩の意匠があちらこちらに見られます。探してみましょう。舞殿(下拝殿):静御前が義経を想って舞った若宮廻廊跡に建ちます。下拝殿から見上げる大階段と楼門楼門:この奥に拝殿とつながった本宮(上宮)があります。お参りはしましたが写真は撮れませんでした。扁額の八幡宮の「八」は鳩が向き合う形になっています。若宮(下宮)重要文化財:本宮の御祭神応神天皇の子(若宮)である仁徳天皇を始め、履中(りちゅう)天皇・仲媛命(なかつひめのみこと・応神天皇の皇后)・磐之媛命(いわのひめのみこと・仁徳天皇の皇后のひとり)の四柱の神様がお祀りされています。若宮のビャクシン(柏槇)鎌倉市天然記念物:植え込みでよく見るイブキの大木です。源実朝が宋から苗を取り寄せて植えたとされる古木です。丸山稲荷社(重要文化財)へ:丸山と呼ばれた丘の上に稲荷社が祀られています。鶴岡八幡宮の中で最も古い室町期の社殿です。商売繁昌を願って奉納された赤い旗で囲まれています。
2024.10.21
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由比ガ浜から鶴岡八幡宮に向かうと、1キロ以上手前で車道の真ん中に一ノ鳥居が現れます。あまりに大きく端正なので、コンクリートかと思い通り過ぎてしまいがち。実はこちら、江戸時代初期にはるばる備前国(岡山県)から海路で花崗岩を運んで造られた鳥居で、「鶴岡八幡宮大鳥居」として国の重要文化財に指定されています。一ノ鳥居:治承4年(1180年)に頼朝が建立し、後にたびたび再建されました。この鳥居は徳川三代将軍家光誕生の際、「備前国の犬島にある石で一ノ鳥居を造れ」という八幡大神からの夢のお告げがあったことに因み、家光の子・四代将軍家綱の代に完成しました。二ノ鳥居:三ノ鳥居まで段葛(だんかずら)と呼ばれる参道が続きます。二ノ鳥居側は道幅が広く、三ノ鳥居側は狭く作られ、遠近法を利用して参道を実際よりも長く見せています。三ノ鳥居:頼朝が西行法師にばったり出会ったと伝わる場所です。三ノ鳥居側から見た参道(若宮大路):頼朝が正室・政子の安産を祈願して造らせた参道で、平安京の朱雀大路を模しています。桜の名所です。三ノ鳥居からの本宮:正面は太鼓橋大階段の上からの若宮大路:真っすぐに由比ガ浜へと続きます。
2024.10.20
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連日、国の内外からの多くの参拝客でにぎわう鶴岡八幡宮。かつては大階段脇の大銀杏がシンボルの1つでした。建保7年(1219年)、源頼家の子で八幡宮の別当を務めていた公暁(くぎょう)がこの銀杏の木に隠れて待ち伏せ、大階段の13段目に降りてきた源実朝を殺害したという伝説から「隠れ銀杏」とも呼ばれていました。樹齢800年とも1000年余ともいわれ神奈川県の天然記念物だった大銀杏は、2010年(平成22年)3月10日、春の嵐によって根元から倒れてしまいました。木の切株から、あらたに芽が生えてくることを蘖(ひこばえ)といいます。残った根からはたくましく蘖が育っています。それとは別に倒壊の5日後、倒れた幹のうち根元から高さ4メートルまでが、石段に向かって7メートル左に移植されました。移植は成功し、その幹からもたくさん新しい芽が出ています。移植された大銀杏の幹:たくさんの蘖(ひこばえ)が見事な再生を知らせてくれます。
2024.10.19
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三島スカイウォーク(正式名称:箱根西麓・三島大吊橋)は、静岡県三島市にある日本最長の歩行用の吊橋です。箱根火山の裾野の谷をまたいで富士山や駿河湾が望め、2015年暮れの開業からわずか9ヶ月半で100万人が渡ったという人気観光地で、現在は外国人観光客からも「映えスポット」として人気です。そびえる主塔の高さは44m、鋼管を曲げるという技術的に難しい加工がされています。長さ400m、高さ70.6m、歩道幅1.6m。三島スカイウォークと相模湾橋の向こうには、アスレチックなどたくさんのアクティビティがあります。雲の向こうに富士山橋上からの相模湾橋を渡る人がみんな注目しハラハラするロングジップスライド:往復560m。2021年度グッドデザイン賞(商業のための建築・環境)を受賞しています。細くて驚く主塔の根本部分:吊り橋は、スリルを味わえるよう、適度に揺れる設計にしてあるそうです。2017年度グッドデザイン賞(土木構造物)を受賞しています。丘の上のイートインコーナー:屋外でピクニックできる場所もあります。
2024.10.18
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登山道は小枝の落下で若干荒れていましたが、ほぼ綺麗になりました。11月23日(土・祝日)の第24回醍醐山一斉登山に是非お誘い合わせてご参加ください。展望台から:醍醐山のピークの1つ・西山越しに富士川を隔てて身延山系の山々が見渡せます。一斉登山の頃には紅葉が見事でしょう。「山道わからなくなつたところ石地蔵尊」種田山頭火ニホンジカによる皮剥ぎ被害:年々酷くなってきています。「くち木とな おぼしめされそ榎茸」服部嵐雪「山栗をひろふ間山を忘れけり」外川玲子ザクロ:石榴 ミソハギ科大子(だいご)がかつて人里だったことを教えてくれます。「藤の実は 俳諧にせん 花の跡」芭蕉花が終わっても枯れても散っても全てが詩歌になります。雨上りの沢:この沢を渡ると間もなく上之平集落。登山が終わったことを実感します。
2024.10.17
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「山道人あり、芒、山の新道作る人なり」 荻原井泉水ヒノキ林:かつては畑だったところに植林されました。「いが栗を地蔵の膝でわりしよな」 青嵐チカラシバ:力芝 イネ科しっかりした雑草で、抜くにも刈るにも力が要ることからこの名があります。「きらめきて山雨すぐ止む秋薊 」芝 由紀猛暑だったせいでしょうか。青い落ち葉が多いように思います。「彼らの話 山道の人らにてすぎし」栗林一石路雨上がりの山頂:一斉登山のイベント会場です。
2024.10.16
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雨は一粒一粒ものがたる人間のかなしいことを生けるもののくるしみをそして燕のきたことをいつのまにかもうすやすやと眠つてゐる子ども妻はその子どものきものを縫ひながらだんだん雨が強くなるので播いた種子が土から飛びだしはすまいかとうすぐらい電燈の下で 自分と一しよに心配してゐる
2024.10.15
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2024.10.14
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日蓮宗総本山身延山久遠寺では、宗祖・日蓮聖人の命日10月13日にあわせ、今年で743回目となる宗祖御会式を11日(金)から3日間行いました。12日夜には、恒例の万灯行列が行われ、地域住民や信者ら約1,000人(29団体)が参加しました。万灯行列は、日蓮聖人入滅の際、周囲の桜が一斉に咲き揃い、弟子信者がこの桜の下で聖人を偲んだという言い伝えに由来しています。細長い竹等に和紙で「満開の桜」を表現した花飾りを付けた万燈を引き、太鼓や笛の音を響かせながら、総門から三門までの約2キロを練り歩きました。全国の万燈講をはじめ身延町内外から桜花を飾り付けた万燈29基が、「南無妙法蓮華経」やお囃子の響く中、ゆっくりと身延山門内を行列しました。万燈が集結した久遠寺本堂では、勇壮で華やかな万燈奉納儀式が盛大に開催され、参加者一同で日蓮聖人の供養を行いました。万燈行列には多くの地元の若者が参加し、笛や太鼓のお囃子が鳴り響き、華やかに纏(まとい)が振られ、季節外れに一斉に咲いた桜を表現して日蓮聖人を偲びました。
2024.10.14
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富士川クラフトパークにある富士川・切り絵の森美術館では、12月22日まで、企画展『鶴岡さゆり現代切り絵展』~蝶と不思議の森~を開催中です。鶴岡さゆりさんは、独学で動物や花などを主なモチーフに、質感や重量感を紙だけで表現する「現代切り絵アーティスト」です。醍醐山を望む、清々しい自然の中の美術館へ是非お出かけください。現代切り絵アーティスト・鶴岡さゆりさん紙芝居やTシャツのデザインも手掛けています。現代版紙芝居「ジャックとまめの木」:YouTubeの手作り紙芝居&読み聞かせのチャンネル「よもよもチャンネルで、楽しいおはなしをお届けしています。3000匹の切り絵の蝶の乱舞眼に哀愁のある狼:一番手間がかかった作品だそうです。鶴岡さゆりギャラリートーク:作品や制作秘話などをお話しします。11月2日(土) 13:30~12月7日(土) 13:30~
2024.10.13
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富士川クラフトパークにある富士川・切り絵の森美術館では、12月22日まで、企画展『鶴岡さゆり現代切り絵展』~蝶と不思議の森~を開催中です。鶴岡さゆりさんは名古屋市を拠点に活動している「現代切り絵アーティスト」です。1万匹の「蝶の森」など55作品をお楽しみください。7000匹の蝶が出迎えてビックリ!壁面展示を合わせると1万匹の蝶に出会えます。蝶が舞う不思議な森を歩きます。「そして森はうまれた」蝶の舞う森には花模様の麒麟など不思議な動物たちが現れます。毛並みの緻密さと微妙な色合い、目の清らかさに心打たれます。「月下繚乱」「C」:この絵の中に猫は何匹いるでしょう?鶴岡さゆりギャラリートーク:作品や制作秘話などをお話しします。11月2日(土) 13:30~12月7日(土) 13:30~
2024.10.12
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下部温泉郷の温泉街の奥に、湯町ホタル公園があります。下部川の清流を引き込み、初夏には美しいホタルの乱舞が見られます。湯町ホタル公園湯町ホタル公園入口公園内を流れる透き通った水の源流は下部川です。下部川:水温の低い清流です。この堰堤の流れの一部がホタル公園に引かれています。水の中では、ホタルの幼虫の唯一の餌となるカワニナが育っています。草の束は、カワニナの餌となる野菜屑をイノシシなどの他の動物から隠しているのです。キャベツを食べているカワニナ:固い部分はちゃんと残します。カワニナのいるところには、泥の上に線状の蜷の道(になのみち)があります。そこに野菜屑を沈めます。来年の初夏、素敵に蛍が舞いますように。秋の下部温泉郷へ♪
2024.10.11
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紅葉の山頂でロック♪是非お誘い合わせてご参加ください。【山頂ゲスト】◯ヤマモトミカ山と渓谷社、小学館等のアウトドア系雑誌モデル、グラフィックデザイナーからボーカリスト 養成所を経て2014年Micah(ミカ)名義でソロボーカリスト として活動開始。2017年12月「Your Brand-new Self」初リリース後、ロックバンドでのライブ活動開始。日田音楽祭、雑誌WEROCK、地方FM、都内・長崎・岡山・徳島・沖縄等のライブハウスに出演。2019年三貴哲成(三好鉄生)バックボーカルとしてレコーディング参加。2022年4月「Fishes are laughing」「My Princess」リリース後レコーディングメンバーでTHE JUMPIN' JUNGLE PARADISEを結成。2023年「Holiday Eve」「甘い幻想」、2024年「虚空のサークル」をリリース。現在、東京を中心にライブ活動中。2024年9月、ソロで「星の王子様(君に逢える丘)」をリリース。◯YOH(藤岡洋)ギタリスト、作詞・作曲・編曲家、音楽プロデューサー。1988年から三好鉄生のバックバンド参加をきっかけにプロミュージシャンとしてのキャリアをスタート。スタジオやテレビなどでのギターやコーラスワークをはじめ、NHK、TBS、日テレ、テレ東等の番組主題歌提供、CM・映画音楽、アーティストへの楽曲提供およびプロデュースなど、幅広いスキルで活動中。1999年に徳間ジャパンからDeji-fraとして、2000年にはポニーキャニオンからMad Aliceとしてメジャーデビュー。NHK新人歌謡コンテスト、ミュージックスクエア、日刊ヒット等の音楽番組、雑誌、全国のFM出演多数。2001年那覇国際通りテーマソングコンテスト優勝。2015年ハードロックカフェ全世界コンテスト日本代表。主なサポートアーティスト:小柳ゆき、GAO、五條真由美、コニー(ザ・ヴィーナス)、綾小路きみまろ、千葉マリア、三好鉄生、下地暁、宮沢和史(ザ・ブーム)他。2022年からポップロックバンドTHE JUMPIN' JUNGLE PARADISEのギターリストとしても活動中。
2024.10.10
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