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毎年、この季節になるとアラスカ豆で炊く「豆ごはん」が楽しみです。母の好物でした。私たちのところでは「アラスカ豆」といいます。グリーンピースの一種らしいけれど、グリーンピースの味とは一味ちがいます。ちょっと、お塩を効かせて母を思い出しながら毎年の楽しみです。(主人は豆の嫌いな人だったので一人暮らしになって、気兼ねなく炊いてます(^^♪)母は67でなくなりました。若いころから、病弱で入退院を繰り返していました。父が外国航路の船員でほとんど家にいなかったので母は一人で私と弟を育ててくれました。だから、私たちの目には母はいつも強い人に見えていました。だけど、亡くなる数年前からはずいぶん気弱になり、「おまえたちも、もう、自分たちで生きていける。もう母としての必要はなくなった。行きたいところもやりたいことももう、何もないんだよ。」と、ときどき、さみしそうに言っていました。私も、弟も、まだまだ子育て真っ最中で、それでも、入退院のたび、弟はよく父母の力になっていましたし、私も、週に一度は顔をのぞかせるようにしていたのですが私たちの思っていた母はがらりと変わってしまったのです。そんな母の年齢が、もう目の前に迫ってきました。私の3人の子ども、それぞれに、もう、手もお金もかからなくなりました。(娘の結婚はまだまだ先のようですが・・・ (>_<))子供たちにとっても、「頼りにする母」から「思いやる母」になっているのかもしれません。それぞれの思春期の頃からはちょっと、想像できないことです。ありがたいことです。さて、私自身は、この「母としての第2ステージ」をどう生きていくのか。母ほど、体が弱いわけではなく、母のように、心配する老いていく父がいるわけではなく、時間も年金も、使い方はだれにも気兼ねしなくていいわけだし、母とは違う生き方がしたいです。子供たちにも、「母さんは、好きなことやっていつも楽しそうだな」と、安心していてもらいたいです。私自身も、子どもたちから必要とされなくなった自分をさみしいと思うのではなく、「やれやれ。ラッキー♡」と次に向かっていきたいのです。アラスカご飯を食べながら、久しぶりに母と話をしていました。「戦争を乗り越えてきた母さん、本当に、産み、育ててくれてありがとう。私は新しい時代の自立した母として母さんの分まで楽しく生きてみるからね。・・・・・・応援してね。」
2023.05.07
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1月の電気代にびっくりしたのは我が家だけではなかったようです。1月は、おおみそかから、お正月休みまで長男、次男家族が泊まり掛けできていたので普段は使わない部屋にも暖房をつけたり、お湯もだくさん使ったりしてそうじゃなくても、1年で一番電気代がかかる月なのに今年のは、この家を建ててから一番の高額請求が来て、ほんとうにびっくりしました。これじゃあ、年金だけではやっていけないかも・・・。その上、いつもはあまり使わない食洗器も朝から晩までフル活動で、そのせいか、ついに、壊れてしまいました( ノД`)シクシク…それでも、この家を建ててからずっと使っていたのでかれこれ30年近くになりますから仕方がないのかもしれません。私一人の時は、あまり使いませんが、息子たちが来ると、食洗器の力をかりなければなんともできません。孫たちも、もう一人前に大人と同じくらい食べるのですべての食器が9枚ずつ。この週末は、次男のお嫁が外泊するので、次男が3歳のまごを連れて泊まりに来ていたのですが日曜日には、そこに長男と孫たちが合流。夜は、お嫁さんたちも来て、ご飯を食べて帰ったから洗い物の山!!何気なく、「食洗器がこわれちゃったのよ」って、お嫁さんにはふっておいたんだけどな・・・・・。わが娘なら、「洗い物くらいして帰ってよ」って、いえるのでしょうけど・・・・。みんながかえったあとに、消費電力調べてみたらやっぱりすごいことになっていました。しかたがなけどね。(>_<)
2023.02.20
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5月の終わりに意を決して娘の住む京都に行ってきました。娘とは、駅近くのホテルで落ち合うことにして高速道路をノンストップで向かいました。ずいぶん久しぶりの長距離ドライブ。本当は、少し、不安もあったのですが・・・・。走り始めると、いつもの勘が戻ってきました。久しぶりに、娘とホテルで一泊。いろんな話をしました。当たり前だけど、コロナのせいで会わなかった間も娘はちっとも、変わっていませんでした。変化があったとしたら・・・・彼ができたということ。次の日、彼と3人でランチをしまいした。娘より2歳年上の彼はずいぶん、落ち着いた感じのやっぱり、やさしそうな、包容力ありそうな人・・・。女の子の割にはいちち連絡をしてこない子なのでちょっと、いろいろ心配もしていましたがまずは、元気そうで何より!そして、彼がそばにいてくれて毎日が、さみしくないようで本当に安心しました。娘たちと別れた後、一人で、植物園にいってきました。どこからか、いい匂いがしてくるなあ・・・と思っていたら・・タイサンボク初めて見ました♪すごく、素敵な香り!!つぎは、娘に、いつ会えるかな?安心したから私も、自分の暮らしをしっかり楽しんで過ごそう!!と思った京都の旅でした。
2022.06.09
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コロナで娘に会えない日々が続きます。近くにいないので仕事がうまくいっているのか、友達と楽しくやっているのか、心配だけど、何も言ってこないのはきっと、楽しく忙しいのだろうとそう、思うことにしていました。それでも、気になって、そろそろ連絡しようかな・・・と思っていたら娘から、連絡があり・・・「引っ越しするから、保証人になって」って。つい1年前くらいに引っ越ししたのに、引っ越し貧乏になっちゃうよと、思ったら「一緒に、暮らす人とね、また、あいさつに行くから」って。ずっと、願っていたこと。娘を大切に思ってくれる人がみつかりますように・・と。娘の選んだ人はどんな人だろう。娘が、心から甘えることができる人だとうれしいな。。
2022.04.05
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メルカリで、こんなの買ってしまいました。 クラシック プー のカップとお皿。見た途端、ほしくなってしまって。 誰が使うの? 娘のこども。って、娘はまだ、結婚していません。それどころか、彼氏もいないようです。 でもね、いつかかわいい子供が生まれた時のために買ったんだよ。というと、きっと、主人は、「それ、いいね。」って、いってくれると思うんです。主人は、柄になく、プーさんが大好きだったから。 いつか、娘がお嫁に行く日を「思い浮かべるだけで涙がでるよ。」って、まだ、娘は小学生だったのによく、話していたっけね。いつかあの子も、お嫁に行って、母になる日がくるのかな。楽しみだね。その日がきても、泣かないでね。
2021.02.16
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今年の2月の誕生日に娘にもらったハオルチアこんなに大きくなりました。これは、丈夫に育った、といっていいのか間延びしているだけなのか・・・。ここまで、全国的に新型コロナの感染者が増えるとこの暮れにも、娘は帰ってこれないのかな?そう思うと、年末の掃除や片づけ、お正月の準備も、する気がおきません。やっぱり、私は、「孫より、娘!」だなあ。(大きな声では言えませんが・・・・)それでも、今年最後の分別ごみの回収だから、間に合うようにと、早起きしていたら昨日は、あろうことか、気が付いたらストーブの前でころんと転がって寝てしまっていました。ごみ出しを終えて、寒いから、ストーブのスイッチを入れた・・・までは、覚えているのですが・・・。一時間ほど眠っていたようで、目が覚めてしばらくは、自分でも訳が分からずただ、驚きました。最近は、昼間に、頭がくらくらすることも多くなりました。先日はスーパーの買い物をしていて大きな財布をどんっ!と置き忘れてしまい、優しい方が、後から、走って届けてくださったので事なきを得たのですが・・・。やっぱり、あのまま、仕事を続けていたら若い人たちに、迷惑をかけていたのかもしれないな・・・と、一人で納得しています。毎年、ちょっと遠出して、お正月用のおいしいお餅を買ってくるのですが今年は、コロナ禍でもあるし、頭がこんなでは、長距離運転も危ないし・・・で昨日の夜、楽天のスーパーセールに駆け込みでおもちを頼んでおきました。丸餅 お正月餅 ひめのもち 正月餅 杵つき玄米まるもち
2020.12.11
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娘が、京都の大学に進学したときは、さほど動揺はなかったけれど、就職となると、じわりじわりと、さみしさが押し寄せてくる。
2018.09.24
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先週の土曜日、次男が結婚しました。長い間お付き合いをしていたのでずいぶん、首を長くしてこの日を待ちました。お嫁さんとご両親の思いを汲んで我が家にしてはちょっと豪華な結婚式でした。でも、小さなころからわがままひとつ言わなかった次男があんなにうれしそうな顔をしていたので良しとしました。11月には長男に3番目の子が生まれました。女の子でした。家族が増えるのはうれしいことです。子どもたちも一人一人が自分の足で歩き始めました。私もまけずに歩いて行かなきゃ!
2017.12.15
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娘が帰省しました。駅まで迎えに行き,夜の町で一緒に食事をしました。この夏休みの間に自動車の免許を取ることになっています。教習所に払うお金も彼女がバイトで稼いだお金です。小さく,頼りないと思っていた娘がいつの間にか兄たちの時よりもしっかりものに成長しています。
2015.08.05
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弟の仕事の都合がつかず,1月だったはずの母の13回忌が延び延びになってしまいました。ようやく,15日にすることになりましたが弟の家族は甥や姪も都合がつかなくてこれないそうです。我が家は,なんとかみな都合をつけて集まってくれるようです。それで,今日京都から娘が帰ってきました。娘にとっては,この1年間はあっという間だったに違いありません。でも,私は,娘の入学式を思い出そうとしてももう,2-3年も前のことのように思えるのです。私の方も,仕事が忙しくてさみしくて,どうしようもない日などいちにちもありませんでした。なのに,娘の引っ越し,入学式,すべて数年前のようです。夕食に,娘のお気に入りのお店でピザを食べながら楽しい学校生活の話を聞かせてくれました。ところどころ,「私に似てるな」とうれしく思いながら小さい頃,しっかり向き合って話を聞いてやれなかった分,話をしっかり受け止めてあげようとうれしく聞いていました。母が亡くなる前病院に,毎日私と娘は通い続け,母はどんどん意識を失っていくのに,小さな娘は,普通に母に話しかけていました。みんなに夕食が配られているのにチューブの入った母のところに来なかった時「なんで,ばあちゃんのとこにもってきてくれないの!」と娘が起こると目をつぶったままの母がうふふと笑ったのをいまでも,覚えています。私の母もきっと,孫の成長を喜んでくれることでしょう。
2015.03.13
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今日は,娘の卒業式でした。主人がいなくなってから,小学校,中学校,高校・・と,3回目の卒業式です。思えば,私は,いつもいつも,生活の中心に仕事をおいていました。それでも,息子たちは,父親もいたし,兄弟もいたので娘ほど,さみしい毎日ではなかったと思います。娘は,兄たちと年が離れていて,話し相手にならなかったし,私の帰りがいつも遅いし,主人がいない分,食事も簡単なものしか作らなかったし,きっと,さみしかっただろうし,大切にされているという思いも少なかったでしょう。本当に,申し訳ない日々でした。卒業,おめでとう。よく,頑張ったね。もう,子ども扱いしちゃいけないね。大学,新しい世界,素敵な毎日になりますように。
2014.03.01
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10時に,京都につきたかったので朝の5時半に家を出ました。ついたのは,9時半。娘が,ネットで探していた物件を見て,学校にも近いし,安いし,コンビニやスーパーも近くにあるし,不動産屋さんのお兄さんのおすすめもあってそこに決めてきました。上の二人は男の子だけれど,風呂掃除や,ゴミ捨てやいろいろと手伝わせてきましたが,年取って生まれた末娘の時は,手が足りていて何も手伝わせてきませんでした。それが,一人で暮らせるのでしょうか?きっと,本人より,私のほうが不安なんだと思います。家に帰りついたのは4時半でしたが,一日に8時間は,くたびれました。特に,帰路はしんどくて,一瞬いねむりして,ハッとしました。主人が守ってくれました。次からは,もっと,休み休み行こうと思います。ETCの割引もあるので,ふたりだったら,新幹線で行くよりも2万円近く安上がりですもの。
2014.02.11
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娘の17回目の誕生日でした。 主人とともに、祝ってあげれたのは10歳まで。 息子たちも忙しくなって いつのころからか、私とふたりの ショートケーキでのお祝いが続いていました。 今年も、息子はあれこれと忙しくていませんでしたが、 小さなホールケーキを買ってきました。 ローソクをつけてハッピバスデーを歌って 娘がろうそくの火を吹き消しました。 私からのプレゼントは2冊の本です。 すき好きノート/谷川俊太郎【RCP【送料無料】わたしの読書ノート [ 山脇 百合子 ]どちらも、書き込んで自分で作る本です。 特に、「すき好きノート」には 「素敵!!」と感激してくれました。 最近は、あのころのあどけなかった娘も 生意気な口もきくようになりました。 主人はどんな思いで見ているのかな? 主人がいなくなってからは、 私が叱ると、お布団の中でしくしく泣いていた小さな娘。 最近生意気になったのも、 たくましくなった証拠でしょうか。
2012.12.15
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先週の水曜日は、娘の16歳の誕生日でした。「部活で遅くなったので、高校まで迎えに来てほしい」とメールを受け、ちょっと、遠回りして、学校帰りに迎えに行ったりしたのでケーキも買えないままでした。それでも、「どこか、ケーキ屋さんは開いていないかな」・・と思っていると、普段はあまりいかないケーキ屋さんがまだ開いていました。そこで、娘と私と、きっと今日も夜中にかえってくるだろう次男にひとつずつ小さなケーキを買いました。買った後で、「そういえば、お誕生日にはいつもケーキはワンホールのだったっけ。 ろうそくを立てないバースデイケーキなんて ちょっと、かわいそうだな」・・・って、思いましたが、もう、遅かったし、プレゼントは、きっと娘が喜ぶだろうものを用意していたのでまあ、いいか・・・・と家路につきました。二人で ホットプレートで焼き肉をして、二人で ろうそくのないケーキをたべました。娘は何もいわなかったけれど、息子たちはこの頃まで、ずっと5人でわいわい誕生日を祝っていたのに、娘は、5年生の時からずっとさみしい誕生日でかわいそうに思いました。娘はいまでも、大皿に盛った料理を 家族5人でわいわい食べていた記憶が一番楽しかった記憶だといいます。どうか、娘に これからも、素敵なお友達と、そして、将来は、娘の事を 心から長く愛してくれる旦那様を授けてやってください。これが、私の 一番の望みです。
2011.12.18
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遅くに帰って、冷凍のものや、買ってきたもので何かお腹に入るものを誤魔化して作るから、娘も半分ふてくされています。何を聞いても「いらな~い。」「知らな~い。」「分からな~い。」私が帰るまでに、スナック菓子や冷蔵の肉まんなどを食べているから食欲もなくなってしまっています。時々、小さくため息が聞こえるのは、気のせいでしょうか?そんな娘に、「いつも、ごめんね。」そんな言葉はでてこずに、「せっかく、作ったのに、ちゃんと食べてよ!」なんて、ふくれっつらの私。そういえば、たまに、テレビを見て、娘が笑ってるくらいで笑い声なんて聞かなくなったな~。主人は、なにかしらいつも、冗談をいってみんなを笑わせてくれてた。子供や私の話を うんうん と聞いてくれたり時には、それって違うだろう・・と真剣に意見を言ってくれたり。今の、我が家には それがありません。私は、自分の仕事にいっぱいいっぱいで主人のしてくれた役目をかわってしてあげることができていません。今日、娘の学校の三者懇談で、担任の先生が、「もっと頑張らなきゃ、志望校にうからないぞ」と言った後、「おまえに厳しく言うのはな、おまえならやればできると思うからだ。 ずっと学級委員をしてくれているけれど、 みんながどうしてお前を選ぶのか 考えてごらん。 みんなも、お前を信頼しているからだよ」と少し厳しい口調で言ってくれました。そしたら、娘が、ポロポロポロッと 大粒の涙を・・・。主人なら、きっと、娘にそういってあげていたんだろうな。でも、私は、ずっと、そういうこと言ってあげてこなかった。毎日、学校に行ってくれさえすればいい・・・どこかにそんな気持ちがあったと思います。二人の兄とは年が離れているので今は、気持ちを話せる間柄でもなく、娘には、私しかいないのに。小さな娘が心配だといっていた主人や私の父母の言葉がよみがえります。
2010.10.20
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昨日、夜遅く、お嫁ちゃんからメールと、上の写真が届きました。長男が、海で、溺れていた人を助けたんだそうです。3人の子供の中で 一番手がかかり、大人になって、結婚してもなお、一番心配な長男ですが、主人がいっていたように、社会が彼を育ててくれているのかもしれません。昨日は主人とおいし~ビールで乾杯しました(*^_^*)
2010.05.29
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午前中は娘のことが気になりながらも、仕事に行ってきました。昼から休みをもらって帰るはずでしたが、ちびっこたちの給食の用意が心配で全員にいきわたるまで見届けてきたら家に帰ると2時前でした。「A子、だいじょうぶ?」「うん、だいぶ熱が下がったよ。 でも・・・・・・。」「????????」「でも、お兄ちゃんが、39度あるって、2階で寝てるよ」「ええっ!!!」夕べも遅く帰ってきて、「とうとうA子ももらってきちゃったのか~」なんて、のんきそうにいってたのに。ニ階にあがると、例によってすっごい部屋の中で次男が寝ていました。「母さん、とりあえず、おなかすいたよ~」の声で一安心・・・と思いきやその顔は真っ青です。「しんどくないの?真っ青な顔してるよ。」というと、「少し、頭は痛いけど、いたって元気。 おなかすいたよ~~~~」ですって。いま、娘と次男をそれぞれの部屋に閉じ込めて(?)雑炊たべさせてます。食べ終わったら、次男を病院につれていかなくっちゃ・・・・・。手ごわいインフルエンザですが、私は おばさんパワーで はねかえしてやる~~~~
2009.11.09
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今、娘の通う中学校は新型インフルエンザのため、次々と学級閉鎖されています。娘のクラスにも患者さんはいるものの、人数が多くないので学級閉鎖にはなっていません。夕べ、それを、ぶつぶついってる娘。何を期待してるんだか・・・・・そんな娘が、例によって朝寝坊しているので私は、朝一番に予約しておいた美容院へ。美容師さんとの話題は、やっぱりインフルエンザ。そのあと、持って行った「ダライラマ著」の本を堪能して美容院を出るとき、時計を見たら、まだ10時。ちょっと、遠回りして、街で買い物でもしようかな・・と思って家に電話したら・・・・・・・・・誰も、でません。その時、ちょっと不安がよぎりました。夕べ、娘が、「かぜっぽいのでお風呂やめとく・・」っていってたからです。とりあえず、買い物はとりやめにしてすぐ家に帰りました。娘は、まだ、ふとんの中。顔を見ると、真っ赤になってます。熱を計ると、39度を超えていました。とうとう、新型インフルエンザが我が家にも来てしまいました。すぐに、当番医につれていくと、娘の同級生の男の子も来ていました。検査の結果、二人とも、新型。お医者さんの話によれば、昨日も娘の学校の子供たちがたくさん来たそうです。「きっと、来週は私のクラスが学級閉鎖だわ。」・・と、娘が、ぽつり。昨日までは、学級閉鎖になったら、しこたま家でのんびりしようなんて考えていたのにこれでは、しんどい学級閉鎖になりそうです。「薬の副作用が心配なので、2日間は眼を放さないでください」・・といわれました。高いところからの転落にも気をつけて、なんていわれたのでおふとんを下の部屋に敷きなおして娘を下で寝かせています。一人で寝かせるわけにはいかないので、明日は、午後から休みをもらって帰ってこようと思います。そして、私も感染しないように充分気をつけなきゃ・・。上の二人と違って小さいころからほとんど熱をださない子だったので、高い熱は心配です。なんとか、熱だけでも、早く下がってほしいものです。
2009.11.08
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今日は長男の結婚式でした。私は、連日のプール指導のせいか、金曜日から調子を崩して、昨日の夜まで頭痛にみまわれどうなることかと思いましたが、なんとか今朝には頭痛もとれて、無事、今日の日を迎えました。両家とも、ごく身内だけの小さな会でしたが若い二人にとっては夫婦道のスタートラインが引けてとてもいい日になったと思います。義父、義母にとっても、嬉しい日になったと思うので次は次男、末娘の結婚式を夢見て長生きしよう!と思ってくれたら嬉しいです。私の弟は、長男がいろいろ問題の多かった子だったこと、主人を亡くしてからの私のことなど思うと涙が止まらない・・と号泣してくれていました。となりに主人がいたらどんなに喜んだだろう・・と思って少し涙も出た私ですがさみしい我が家にかわいい家族が増えたうれしさでいっぱいでした。あちらのお父さんは、お祝いの言葉の途中で声を震わせておられました。その想いも、息子がきちんとうけとめて幸せな家庭を気づいていってほしいと思います。最後に、二人からの思いがけないプレゼントがありました。かわいいくまさんでしょ!何と、このくまさんは、長男の生まれたときの同じ体重と身長になっているんです。息子のはずっしり重かったけど、生まれたときのあの感動を思い出しました。私と主人が歩いた道をまた、息子たちも歩いてゆくのです。ゆっくりゆっくり、ながく、ながく、二人を味わいながら歩いていってほしいです。
2009.07.05
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6月に入ると、父の日に何をおくろうか・・・と楽天さんを見て考えていました。私の父にはいつもカステラを送っていました。父の日特製ハニーカステラ 1D号一人暮らしの父にとって、ちょっとしたあさごはんにもなるし、なにより、昔人間だからカステラってとても栄養満点の御馳走だと思っていて毎年喜んでくれていました。甘い物に目がないお義父さんには これ↓。甘さ控えめで、銀寄栗の素材の甘さがひきたちます【丹波篠山大福堂 銀寄栗ようかん(大)】丹波篠山特産の銀寄栗を丹波小豆で包み込んだ皇室献上和菓子前に出張で丹波に行った時に見つけた大福堂さんの和菓子。だけど、すっかりわすれていたのです。3人の子供たちにとっての大事な父親のこと。そう主人のことです。あわてて昼前に、娘と二人で、冷えたビールとするめをもってお墓参りに行きました。お墓に手を合わせて目を閉じるとピーーーーン、と見えたのです。まっすぐな、これ以上まっすぐはないというくらいのまっすぐな強い線が3本。あまりにまっすぐだったのでおもわず目を開けてしまってしまった!と思ってまた眼を閉じたけれど、もうありませんでした。何の線だろう。お墓の石の線かな?と思ってみたのですがお墓の石の線はあんなにまっすぐではありません。たしか、以前にも一度ここで見たような・・・。子供のころ大好きだったまっすぐなまっすぐな線のイメージ。夜、また始まる1週間に備えてはやく寝ようとしていたら久しぶりに長男がやってきました。「今日は父の日だからね」・・と、冷えたビールを仏壇に供えて手を合わせていました。職場でちょっとしたトラブルがあり、心配していたのですが何とかなりそうということでほっとしました。「結婚しても、しばらくは好きなことし続けたいから 子供は作れないよ・・・」などと言っていました。「お父さんも同じようなこと言ってたけど 子供ができたらそれなりに上手に節約して遊んでたよ」いろいろあって高校を卒業していない長男は「どんなに頑張ったって所長どまりだもんな。」とぽつんとこぼしていました。主人がいたらどういってあげるんだろう。「正直にやってれば、なんとかなる、なる。」私には、そんなことしか行ってあげられないけれど・・・。彼の心にしっかり語りかけてやってよね!
2009.06.22
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4300グラムで真昼間にうまれた次男。生まれてすぐ入院して大変だったけれど、その後は本当に手のかからない子でした。先生方からもそういわれ、だけど、逆に目立つところもないのか懇談なども「問題なし」・・の数分でおわっていました。(兄の方は、特別に何度も私が呼び出されていましたが・・)その彼がちょうど人生のひとつの節目高3の時主人が亡くなりました。私の反対を押し切って進学をやめ、警察学校に入った彼が主人という目標を失い、がっくりときて、体も不調をおこし、学校をやめ、しばらくはじっと家に閉じこもっていました。その彼も、その後、専門学校に行きながらバイトをし、好きなバイクに乗り、彼女もできて彼らしく、私に何の手も煩わせずに青春を謳歌しています。昨日、就職のことで少し話しました。「就職にはいろんな条件があるけど・・・。」と彼。「でも、それを全部満たしてくれる仕事なんてないよ。 その中で、どの条件だけははずせないかって、考えてみなきゃ」と私。「それで、いろいろ考えたんだけど・・。 ぼく、結局、父さんと何もできなかったから・・。」「?」「父さんと、釣りに行こうっていてたのも、山でバイク教えてやるっていってたのも、ラジコンのヘリ飛ばしに行こうって行ってたのも、結局できなかったから。父さんには軽蔑されるかもしれないけど、ぼくは休みの日に家族と一緒に過ごせるような、休みの日のことを一番優先して考えてみたいなって思ってる。」 彼が小さい頃は息子たちを連れてお弁当持って、海に山に、遊園地に、いろんなところへ連れて行ってくれた主人ですが、二男が中学生になったころから、職場が忙しくなり、土日も出張しているか、くたびれてごろりと一日中横になっているか・・という主人でした。息子ももう、主人の後を追いかける歳ではなかったし、野球で忙しかったから、そんな風に思っているとはおもってもいませんでした。「とりあえず、ちょっと、焦ってきてる。本腰入れて就職先、考えなきゃ...」そしてひとこと、「今つきあってる彼女って神社の娘なんだ。神社に婿養子っている手もあるかもな・・・(^.^)」なんだって!!!聞いてないよぉ!ちょっと、びっくりの私でした。まっ、なるようになるでしょう・・・。(~_~;)
2009.05.08
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娘が作ったスイートポテトです。今日は長男と、そのフィアンセのお誕生日のお祝いをしました。それで娘が二人へのプレゼントにスイートポテトを焼いたのです。私はフィアンセに「私の娘になってくれた記念に」と、ダイヤの指輪をプレゼントしました。本当は婚約指輪として長男が贈るものなんだけれど結婚式は二人の力でするといってる長男には指輪を買う余裕がなくあちらのご両親が、結納も要らないといってくださったので婚約指輪・・という名目でなく私からプレゼントしました。一緒にいた義父母も「家族が増える」と喜んでくれました。「Kがここにいたら・・・・・。」と義父は声を出して泣いていました。「今日はそれをいわない約束だったでしょう」と、義母はそれをたしなめながらやっぱり涙声になっていました。私は、そこに主人を感じていたのでつらくはなかったです。ただ、子供たちはこうして一人一人独立して行くんだな・・ってそれがちょっと、さびしかったです。
2009.03.14
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今日は娘の誕生日です。生クリームが得意ではない娘のリクエストで今回はこんなお誕生日ケーキ(?)にしました。あまりにお花のところがきれいなので「ここだけは食べずに取っておこうよ!!」・・・って、ホントに幼稚な13歳です。今日は母の7回忌でもありました。母が亡くなってからの6年の間にいろんなことがあったからお経を聞きながらそんなこと考えていました。母はさぞかし私のことを心配してるだろうな・・と。そしたら、母の声が言うのです。「おまえは大丈夫。 しっかり歩いて行けるよ。 毎日をおまえらしく、楽しんで行きなさい。 おまえなら大丈夫。」ちょっと意外でした。びっくりしました。私のことを、可哀そう可哀そう・・と母はつらがって心配しているとばかり思っていたからです。そしたら、朝のうち雨が降っていたのにお墓につく頃にはとてもいいお天気になりました。そのあと、海の見えるお店で食事をしましたが海がとってもきれいに光っていました。なんだか、今日で元気がいっぱい充電できたみたいです。すがすがしくうれしい一日でした。,/center>
2008.12.14
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次男が今日で二十歳になりました。今週の私は風邪をひいてとても調子が悪く、昨日今日は、保護者との懇談があったのにまったく声が出ず、帰りもおそくなり夕食作りもままならず、本当に自分で自分がいやになる1週間でした。それでも、今日は次男の誕生日。彼の好きなチョコレートのケーキを探して3件のケーキ屋さんをめぐりました。彼は4300gで生まれた巨大児。けれど、長男に比べてよくなく赤ちゃんでした。「大きいからお乳が足りていないのでしょう」ということだったけれどかれのおなかの中では異変が起きていたのです。それがわかったのが2週間目。おむつをあけるとおへそを中心におなかが赤く大きく腫れあがっていました。敗血症の疑いがある、と即入院し、ちょうどクリスマス日、「今夜が峠です」といわれたのをいまでもはっきり覚えています。その時わたしは祈りました。「どうか、神様、みんなの寿命を10年ずつ短くしていいから この子にあげてください。」って。彼が大きかったから、病気の進行も早かったのだが彼が大きかったから治療に耐えることもできたのだろう・・と医師が言われました。そして次男は元気になったのですが、後日、私は主人にひどくしかられたんです。「ぼくやちょびっとの寿命を分けてあげることはかまわないが、 父母や祖父母たちの寿命までわけてもらおうなんて そんなことは頼むべきじゃない・・」って。主人が、その時本気で怒っていたので、とても印象に残っています。だから、主人が亡くなったとき、彼は自分ひとりで寿命を次男に与えたのかしら・・と思ったくらいです。(このことは だれにもいっていませんが)その後、次男は自衛隊にいた主人の後を追って警察学校に入り、(その時はもう主人がいなかったこと、学校での教育に彼が疑問を持ったことなどで、彼は入学後しばらくして辞めましたが)主人が乗っていたのと同じバイクを買って乗ったり、主人のつりざおを持って釣りに行ったり、主人の後を懸命に追いかけているのがよくわかります。「父さん、今日で20になりました。 やっといっしょにビールが飲めるよ」と、次男は私がお祝いに買ってきたビールを3つのコップに分けてつぎ、乾杯しました。うちでは二男と主人がチョコレートのケーキ好き。ケーキを切り分けていたらめずらしく娘が「お母さん、その大きなチョコここにのっけてよ。」というのでのせてあげたら、娘はそれをもって、主人の仏壇に供えていました。父さんがいたらな・・・。もっともっと、大きな笑い声がこの部屋にいっぱいになったことでしょう。ビールも私が「いいかげんいしなさい!」というまで次男と飲み続けていることでしょう。さみしさはみんな感じてるけれど、それはだれもいわない。子供たちは、明日に向かって・・・!!
2008.11.28
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昨日、主人の親友M君が来てくれました。ふたりは、中学校の柔道部で一緒になり、一緒だった期間は中学の3年間だけなのにそれ以降無二の親友になったようです。主人が私たちの結婚を一番に報告したのもMくんにだったようですが、同じ日、同時にMくんも、「付き合っている人がいて結婚するんだ」と主人に報告したそうです。そのM君がひさしぶりに訪ねてきてくれたとき、娘が玄関にでました。Mくんはわたしにとっても同級生なので私も気兼ねなく話せます。なつかしい主人の話やら、いまのお互いの家庭のことやら話して雨の中、いっしょにお墓参りにいってくれました。Mくんが帰った後、娘が言うのです。「あのおじさんが来たとき、 一瞬、とうさんが帰ってきたって思ったよ。 パッとみたとき、すっごく、よく似てた。 もう、心臓止まるかと思ったよ。」やっぱり、いつも待ってるんだね。たった一度でもいいから わずか1分でもいいから 帰ってきてほしいよね。母さんもそう思ってます。
2008.09.22
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期末試験が終わった娘は「どこかつれてって~」とせがみます。でも、いまいち、外に出る元気がない私。それでもじっとしてたらいいこと考えないので朝は庭の草抜き。(隣のご夫婦の会話、聞こえてきちゃう・・。)昼からはパンとケーキを焼いてオーブン大活躍。台所粉だらけ・・・。(在庫の粉、また少し減りました)そういえばどこかに、オーブン粘土があったっけ・・と娘に粘土遊びを誘ったんだけれどのってきてくれないのでひとりで ぶたさん作りました。さて、お盆にのせて、二つ並べて乾かしていたら娘が2匹の豚さんをこんな風に置き換えてました。これって、父さんブタと、甘えっ子のすえっ娘ぶた?それともビールの好きなだんなブタと仕事と子供ばかり見てご主人ほったらかしてた奥さんブタ?こんな日は 父さんがいたら「A子、公園に行こう!」って、誘ってくれてたのにね。さみしいのはわたしだけじゃない。
2008.07.06
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今日は娘の卒業式でした。勤務校では去年担任した子供たちが今日卒業するのでそちらにも出席したかったのですが市内同じ日なのでやむをえません。やはり卒業式だけは、わが子優先です。どうしても女の子がほしかった私がもうあきらめようと思った時に思いがけなく授かった子。妊娠に驚き、喜んだのもつかの間、ずっと大きくならず、心臓の鼓動も弱く、「このまま成長せずおなかの中で亡くなっていくだろう」といわれ母子手帳ももらえず、職場に報告もできず、主人に言うと、「しかたがない。あきらめよう。」なんでそんな簡単にいえるの?・・と初めて主人に泣きながら大声をあげた。その後もだらだらと少量の出血が続いていたのに5か月に入る頃、ぴたっととまり、それからは、お医者も驚く勢いで大きく育っていきました。そんな子だったので主人も私も、もう男でも女でもどうでもよかったのです。だから、産まれても、その顔からてっきり男の子だとばかり思っていました。お医者も 最近はおなかの中にいるときに告げているケースが多いし、ちょっと、あとの処置が大変だったのですっかり性別を言い忘れて、私が、うぶ着をきたわが子が女の子だと知ったのは生まれて何時間も後のことでした。けれど、待望の女の子だったはずなのに、彼女が生まれてからわたしはゆっくり彼女に向き合うことはあまりなかったのです。彼女が生まれて間もなく中学に入学した長男が、そこでたびたびパニックを起こし、いろいろと相談機関を回るうちに、広汎性の発達障害があることがわかりました。その後、高校へ進学してもパニックはひどくなるばかりで、学校からの呼び出しの日々。彼は3回も高校へいきなおしましたが、結局最後の学校もパニックを起こして退学させられました。そんな中、私の母が倒れ、寝たきりになってしまいました。娘を連れて毎晩の病院通いが続きました。(H15年に他界。)長男と母のことがあったので娘は いつもいつも主人と一緒でした。お風呂も、寝るのも、テレビを見る時も。ラッコの親子のようにいつもいつも、おなかの上にのっかっていました。その後も主人の看病、父の看病・・・でまったく彼女のことはかまってやっていないのです。「いつまで いっしょにお風呂に入ってくれるかな~?」と主人はよくいっていましたが、最近急に胸が膨らみ始め、ちと反抗期の兆しも見え始めました。「これ、絶対に友達に言わないで。 私、育毛剤のにおいが好きなんだ。 寝てると、父さんの方から ふわ~っと匂ってきてた、あのにおい。」最近、ぽつりと娘が言っていました。私にはその匂いが思い出せないのですが・・・。
2008.03.19
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昨日、ちょっとしたことで、娘と「言った、言わない」の議論になりました。最近、本当に物忘れが多いので「ごはん食べながらお母さんにいったよ。 2回もいったよ。」と娘に言われたら、本当にそうかもしれない。と思ってしまいました。でも、思いだそうとしても、真白。何も思い出せないのです。それで、ずいぶん、そんな自分がショックでしたが、ひょんなことから、娘が言っていないのに私にウソをついていたことが分かってしまったのです。思わず大声をあげて、娘にどなり散らしてしまいました。あまりに激しくどなったので娘は何も言えず、立ち尽くしていました。それに追い打ちをかけながらその日のこととはまったく関係のないことまで、次々と大声で怒鳴る私。叱りながら、途中から、自分で分かっていました。相手は、娘じゃない・・・ってこと。情けなくて、はがゆくて、でも、誰のせいにもできないそんなもやもやが体の中でぐるぐるしててできるなら、全部吐き出したいのだけどどう吐き出していいのか、どこにぶつけたらいいのか。結局半日、娘は私に口がきけませんでした。だぶん、娘に対して、こんなに怒鳴ったことは初めてだったと思います。それも、娘にしてみれば、なぜ、そんなに別人みたいになって怒るの?と、理解できなかっただろうと思います。反省します。もっと、上手に 気持ちの整理をしていかなきゃ。
2008.03.02
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仕事がひと段落しました。いつも、今日の日は自分のしごとの閉めで精いっぱい。それが、やっと終わって家に帰ったとき、子供たちが持って帰っている通知表をみてあげるのをすっかり忘れてしまうのがいつもの私です。それでも、主人がいたころは主人が帰るなり、子供たちを呼んで「通知表はどうだった?」といって見てくれていました。彼は いいところをいっぱい見つけてくれて「うちの子にしては なかなかやるなあ・・」と子供たちをほめてくれていました。さて、今回も家に帰るなり、私の父のベッドのそばでごろりとしている娘に「ごろごろしてないで、冷蔵庫からレタスとトマト出してあらってちょうだい!!」と、つぎつぎ仕事をふっかける私。そうしていたら、日中父の介護をしてくれている私の弟が「姉ちゃん、○ちゃんの通知表、◎がふたつふえてたんだよ。」と教えてくれる。「姉ちゃんの帰りがおそいから、〇ちゃんはおみそ汁も作ってくれてるんだよ。」って。それで、やっと、私も終業式なら 子供も終業式だったことを思い出す私。1学期はちょっと暗くて心配でスクールカウンセラーとも懇談を進められた〇子だったけれど、なぜか、9月の後半からは目に見えて明るくなったと、先日の個人懇談で先生が言われていた。9月の後半から、こうして父の家で食事をとり、私の弟が〇子の相手をしてくれていることがきっと、○子の気持ちをみたしてくれているんだろうな。明日から冬休みなのでむすめにもしっかりむきあわなければ・・・・。
2007.12.21
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今日は娘の12歳の誕生日。父さんがいなくなって2度目の誕生日。今日は次男も遅くまでバイトにいってるので私と二人っきりの誕生日。このまえ、とある本で「16歳までに肉親の死を経験した子は なんらかの心的障害をもつようになる。」と書いてありました。16歳までに、何度も肉親の死に直面した子ほどその可能性は大きいとも書いてありました。毎日楽しそうに学校に通い、めそめそしない娘のことを私はずっと放っていました。でも、きっと、深く傷ついているのでしょう。そんな彼女が作ったミニパンです。学校の図書館で本を借りてきてひとりでつくっていました。私が、味見して「なかなかおいしいね」というと「たべちゃだめ。 これは、じいちゃんにあげるんだから」彼女が1年生の時に 彼女のばあちゃんである私の母が、5年生の時に 父親がそして今度はじいちゃんが・・・・・・。自分のことばかり考えていないで小さな娘の気持ちもしっかりささえてあげなければ・・・・。
2007.12.14
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気がついたら もう2ヶ月も更新していなかったのですね。2ヶ月の間、何をしていたかというとひたすら、仕事をしていました。ついこの間は 東京に出張にもいったり・・・・。そして、その間に 警察学校に入った次男が「考えていたところではなかった・・」と家に帰ってきたり、6年生の娘が ちょっと落ち着かなくなって スクールカウンセラーに相談したり・・・。次男は「父さんを安心させたいとその一心だった。 あのとき、母さんや周りの人の話をもっと聞いておけばよかった。」・・とのこと。彼にとって、一番好きだった父が亡くなり、警察学校にいる目的を失ってしまったのでしょうか。娘は SCがいうのには、父親の死をいまだ受け入れられない状態で家族の暮らしがすっかり変わってしまったので不安になっている・・とのこと。どちらにしても、長い間、わたしは 子供たちどころではなかったから。ふたりとも、よく ここまで がんばってくれたなって思います。まだまだ、わたしも大丈夫ではないけれど、これからは、子供たちの方へ きちんと向いてあげなければ・・と思っています。仕事はこの2年間がブランクになったようで自分らしい働きはできませんが、去年にくらべたら、少しずつ勘が戻ってきているような気もします。ふと、足を止めると、今もじっと 主人のことを思ってしまうので「あっ いけない。」と仕事に戻るようにしてきました。そうこうしてるともうすぐ7月。1学期も後半です。七夕・・。織り姫と彦星。お願い。夢に出てきてね。がんばってるんだから、ごほうびくれてもいいでしょ。
2007.06.24
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久しぶりの日記です。長いこと、深い海の底に沈んでいました。自分から 浮上しようと もがく元気もなかったのでひたすら、気持ちのままに どよ~んと沈んでいました。幸せなことに、最悪でどん底の日に限って、なぜか古い友達やら先輩やらが 手紙や届けもので声をかけてくれました。それも みな 励ましの言葉ではなく、「落ち込んで当たり前、しばらく、何もせず ゆっくりしていたらいい・・」といってくれたので 本当にありがたかったです。気がついたら、自信がなかった仕事もなんとか年度末のめどもつき始めました。気がついたら、いままで背を向けていた子供たちのことをあれこれ心配する母にもどっていました。気がついたら、外は すっかり春の気配でした。息子が高校を卒業しました。形式だけの高校の卒業式で泣くなんて思っていなかったのですが、答辞の言葉の中に、「いままで優しい愛でつつんでくれた両親・・」という言葉があり、主人と息子が音楽やら自動車やら釣りのことやらを楽しそうに話していたシーンを思い出してすっかり自分の世界に入り込んで涙がとまりませんでした。顔も性格も一番主人にそっくりの彼ですが ひとつだけちがうのは 心に決めた彼女がいないこと。父さんがその歳には しっかり心に母さんがいたからね♪(それがよかったんだかどうだか・・・・←息子の声)
2007.03.04
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クッキー作ろう!!と 娘がうるさくいうのでいろいろと 忙しかったわたしは「そんなに作りたいんだったら、一人でやりなさい。 お母さんは忙しいんだから・・・。」と、つれなくいってしまいました。しばらくして 様子をみにいってみるとあとは オーブンにいれて 焼くばかり・・・というまで なんとか 一人でやっていました。思ったより、白い粉で部屋が汚れているということも無く・・・。オーブンにいれて 焼きあがったクッキーの中に天使の形のクッキーが2枚。「これは絶対にたべちゃだめ。」クッキーのにおいにつられてきた兄たちにくぎをさしています。「だれかに あげるの?」「秘密!!」どうするのかな・・・と思っていたら娘が寝たあと 仏壇にいくとそこに 二人の天使が供えられていました。 父さん、ほら、涙光ってるよ。まったく、涙もろいんだから・・。
2006.11.05
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主人のことで 子供たちのことはまったくほったらかしにしていました。次男は高3ですが、病院に泊り込んでいた私が夏休みの3者懇談にかけつけると、なんと、彼は 私達にひとことの相談も無く、「大学入試はやめる。」と、先生にいっていたのです。「警察官になる。」え~~~~っ。聞いてないよォ。そういえば、それは中学のころからの 彼の夢のひとつではありましたが、それにしても、大学にいってからでも遅くないじゃない。何ひとつ親に相談も無く、先生とどんどん話を進めていたことに私は もう、びっくりして、その場で反論すらできませんでしたが、病院に帰って主人に話すと、主人は 少しもおどろかず、「自分できめたんだから、それもいいじゃないか。 もう、息子のことは 何も心配しなくていい。 全部息子に まかせとけばいい。」と静かにいうだけでした。それでも、わたしは心配で「一次試験の日は 「がんばれよ。」と背中をおしてあげてよ」と頼むと、「いや、その必要は無い。 あいつは あいつで やっていくから。」というのです。そして その通り、息子の試験日を待たずに 主人は逝ってしまいました。 兄弟の中で 一番主人に似ている次男はお葬式の日には 朝からもどして真っ青になりながらも私の隣にたって皆さんに御礼の挨拶をしてくれました。けれど、その後は 試験前だというのに、ぼーっとしていてずい分心配しましたが、彼は その受験票を 主人の写真の前において 今日の日をまっていたようです。何とか、一次試験は 見事パスしました。お父さん、次の 2次試験も 見守っていてあげてね。「いいや。ぼくの力なんか必要ない。 あいつはあいつで どうにかやっていくよ。」と、主人は いつものように 笑っています。
2006.10.12
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