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中曽根康弘元首相のつぶやき ~日航機墜落事故などについて~中曽根康弘元首相のつぶやき ~日航機墜落事故などについて~ 』
「ふぅー」
迎え火の煙の行き先をぼんやりながめながら、中曽根は大きなためいきをついた。
またあの8月12日が訪れようとしている。
「あの時代は、あー、するしかなかったんだよ」と何度も自分に言い聞かせるように心の中でつぶやくのだった。
共産主義国家のソ連や中国の脅威から日本を守るには、日米安保の強化しかなかった。「日本を浮沈空母とする」と私がさもアメリカ側に約束したかのごとく揶揄して言われたが、実際、その道しか残されていなかったのだ。現に今の日本でさへアメリカの支配を間接的に受けていて、鳩山君があんな沖縄の小さな普天間基地さへ移転できなかったぐらいだから。
アメリカの力は強大だ。こんな強い国を相手に、なぜ我々、日本民族は戦いを挑んでしまったのか。当時の海軍はかなり客観的にアメリカや自国の軍隊の力を把握していたが、陸軍は感覚的に動き、統率力に欠ける部分が多かった。
まあ、こんな過去の話をしても仕方ないが、とにかくアメリカの力だけは見くびらないほうがいい。橋本君も周囲の知人にもらしていたが、アメリカほど怖い国はない、と言うのは本当だ。
いまだに日航機墜落のときの原因となった誘導ミサイルの衝突は我々のコントロールミスによる事故だったのだろうか、疑問が残ったままだ。
今となっては真実を解明することすらできない。
証拠はもう御巣鷹山のダムの下に眠ってしまっているのだから。
相模湾から引き上げた尾翼もいっしょに。
あの日航機のパイロットも非常に優秀だった。自衛隊機の誘導どおりに私の息のかかった者たちがいる群馬県上野村付近で墜落してくれて。
ただ実際には長野県の高天原山に墜落した、と聞いたときは、すぐ御巣鷹山とマスコミには伝えろ、と言って、群馬県警には自衛隊が処理するから手出しはしないよう命令しておいた。私の忠実な仲間と呼んでいい上野村の村長もよくやってくれた。
まあ、そのおかげで近くの秘密基地にいた自衛隊の特殊部隊がすぐに出動できて、夜明けごろまでには証拠隠滅をはかることができた。
中国の鉄道事故での証拠隠滅をあきれている日本人がいるが、日本ではそれらを影でやってて、ただ一般の人たちに見えないようにやってるだけだ。
まあ、中国のようにあからさまにやらず、巧妙に裏にまわってやっている、というわけだ。
事故当時はアイソトープ積載などいくつか理由をつけ、わざと間違った場所を教えて、救助隊の到着を遅らせたりしたからな。
ただこれも長野県警のヘリコプターが正確な位置を知らせてしまって焦ったこともあったが。
また救助に向かおうとした自衛官を射殺してすまないことをしたと思うが国の体制を保つことを優先させるのが首相の仕事だ。
村長は元海軍少佐でゼロ式戦闘機搭乗員かつ教官であったがゆえ、
特に飛行機乗りとして腑に落ちない点が多かったという。
当時の中曽根康弘首相は、群馬県上野村が自分の選挙区であるにも
かかわらず、静養中と称して上野村とほど近い軽井沢で水泳やゴルフ
などを楽しみ、事故発生時は現場に来なかった。
それに比べて黒澤村長は、現場で陣頭指揮を執り、常に遺族側に
立って親身になって対応していた。
結局、自衛隊のヘリで墜落現場に行ったのは事故から約三か月を経た
十一月四日(月)であった。その時マスコミや世論の批判に対して
「私もすぐ伺いたいと思ったが、群馬県警から猫の手も借りたいほど
忙しいので、延ばしてほしいと言われ、慰霊祭、日航人事刷新も終わり、
ひと段落した時期に改めて伺った」という理由で行けなかったと語った。
あくまでも自分のせいではなく、群馬県警の要望だということだ。
同行したのは山下徳夫運輸大臣や自衛隊関係者で、河村一男群馬県警
本部長からの状況の説明を受けて墜落現場に手を合わせ、献花した。
上野村役場で、初めて黒澤丈夫氏と対面したことになるが、その時の
村長はおそらく険しい表情だったに違いない。中曽根氏は海軍主計
出身であり、一地方の小さな村に、まさか自分より上の階級の元海軍
少佐でゼロ式戦闘機搭乗員かつ教官がいるとは思わなかっただろう。
以前黒澤氏に、中曽根氏の軽井沢での記事を見せたところ、「だいたい
首相は最高責任者として厳粛に礼をつくし、可能な限り行動すべき
なのに、こんな(ゴルフなんぞやって)失礼千万ですよ」と言い、
これで本当に彼は軍人だったのだろうか、と首をかしげながら、実際の
ところ軍で何をしてきたのかと疑問を持ったようであった。
日航本社の社長室に通されて、高木社長と実際に会って話をすると、
山中の墜落現場にも行っていない、黒焦げの遺体も見ていない、
彼はまったく現場を見ていない様子だった。
そこで「あのような状態で、遺体を荼毘に付しては五百二十名が
浮かばれない。私と一緒に中曽根首相のところに行って直訴しま
しょう。あんたの命をかけても首相官邸に行ってください。」そう
言ったんです。そしたら、急に高木さんはブルブルと震えだして
『そうしたら私は殺される』そない言うて殺されるってね。何って
思ったら、隣に座っていた女性的な世話役も震え上がっている。
なんで?と思った。一緒になってフルフルしている。本当に怯えていた。
殺されるって、命かけての意味がわからんのか、おかしい。これは
どうしようもない状態だった」と語る。
高木社長が首相官邸に行ったら殺されると怯えていたいたという
ことは、一体どういうことなのだろうか。
「定説を覆す内容であっても説得力があり、事実と時間の系列を踏まえながら、冷静で堅実、かつ論理的な記述に感心した。必ずや反響を呼ぶものと確信する」
「日本の戦後史を物語るような著作である」
「何か自分も行動を起こさなければいけない、と心の底からそう思う作品でした」
「むさぼるように一気に読み終えた。本当にノンフィクションとして面白い本だった」
「よくぞここまで書いてくれた。群馬県民としてお礼を申し上げます。まだ中曽根氏が生きているうちに話してほしい。それでこそ本物の政治家(それとも嘘つきのままの政治屋か?)だろう」
「福島で原発事故後住めなくなった住民ですが、この上野村とほど近い片品村で避難したことを思い出しました。辛い人々の気持ちへの思いやり溢れる本でした。遺族の方々も最後まで望みをもって頑張ってほしいと願います」
●青山透子から皆様へ感謝を込めて『 重版決定のお知らせ 日航123便墜落の新事実~目撃証言から真相に迫る 青山透子 』
まず、私のような無名のノンフィクションにもかかわらず異例の1週間での重版決定に、心から皆様に感謝を申し上げます。
拙著をきっかけとして、お読み下さる人々のそれぞれの想い、当事者の無念さ、ご遺族の執念、これらが大きな原動力となって、新事実を解明することに繋がれば大変嬉しく思います。ぜひ多くの皆様に知ってほしい、あの日の事実を一緒に考えてほしいと願うばかりです。もっともっと広めて、ぜひ応援してください。宜しくお願いします。
さて、皆様にお伝えしておきたいことがあります。
あの日、偶然見上げた空の向こうに日航123便を目撃した、関係者から多くのものを見聞きした、相模湾上での赤いせん光を見た、浜に打ち上げられていた飛行機の残骸を拾った等々……。
当時、そのように見聞きしたことやモノを地元の警察や報道機関、政府関係者等に報告、または提出した人も多かったと聞きます。富士山での登山中に撮影した日航機の写真、低空飛行状態を描いた絵、そのほかいろいろあったと思います。全てそれらは、事故原因を究明する為、ということで当然のことながら役立ててほしいと願い、むしろこれで自分も少しは役に立てたのだ、と胸を張って、そういう気持ちで協力した人も多かったでしょう。しかしながら、事故調査において、本当にその気持ちを汲み、関係機関はそれを活用したのでしょうか?
32年間もそれを保管、ということで他の人達の目に触れないようにされているだけかもしれません。
それらは皆さんのものですから、返してもらう権利があります。
実は、その際にお礼という名目でお金の入った封筒をもらった、という報告をしてくれた人が随分前にいらっしゃいました。特に関係者の中で、口止め料とも受け止めかねないような相手からの威圧を感じて、お金をもらってしまって後悔している、という人もいます。
逆に、そういうことが一切なかったから言いに来た、または今まで黙っていたが決心をして、という方は全くそれとは関係ありません。良心に従っただけですね。
しかし、ある人は「関係機関に報告をしたら、お礼ということで封筒を持ってきた人がいた。そして、事故原因を調査中なので、他言無用と言われた。そのお金は何だか使う気持ちがしなかったので、災害義援金として寄付した」という人もいらしゃいました。
これらのことについて、ちょっと冷静に立ち止まって考えてみたいと思います。
まず、そういう状況を経験したかもしれない人たちに、是非とも知っておいてほしいことがあります。
こういった違法な契約や約束は、守る必要もなく、お金を返す必要もない、ということです。
なぜ、違法なのでしょうか。法律の専門である弁護士の先生方にお聞きした内容を書いてみます。
「事故原因の解明は、民間機の航行の安全、乗客の生命・身体・財産の安全を確保するという『公の利益』に資するものであり、これを妨げようとする約束は、民法90条にいう『公の秩序または善良な風俗(公序良俗)』に違反するものであり法的には無効」の可能性が高い、ということです。
そして「違法な約束の対価として金銭を支払った者は、約束が無効であっても金銭の返還を要求できない(民法708条・不法原因給付)」ということになります。
つまり、相手が警察であっても政府関係者であっても、報道機関であっても、その証拠や情報をもらって事故原因究明に役立てずに、逆にそれを妨げるような口止めがあったとするならば、それは明らかに違法行為だ、ということになります。
従って、もらった側は、そんな違法な約束を守っていつまでも黙って隠す必要もなく、ましてやお金を返す必要もないということになりますね。
この点をよく考えて、貴方の人生とあの日を思い出して32年間をぜひ振り返ってください。
そして、あの飛行機に乗ったために自分の人生を強制的に終わらせられた人々の想いを汲んで、33回忌の弔い上げとして、あの日を語る人たちがもっともっと増えてくれることを願っております。
また関係者であるならば、弔い上げとしてあの世の人達から罪を問わない今年が最後のチャンスとなります。事実を直視し、本物のプロとして語るその時、本当に心が安らぐのではないでしょうか。
8月6日は広島原爆の日です。
あの日の記憶を言い続ける努力こそが私たちの平和を築くのだと思います。
今朝の新聞に、今広島を訪問中の故チェ・ゲバラ氏の長男でカミーロ・ゲバラ氏の言葉が掲載されていました。
とても印象深い言葉でしたので、ここに書かせて頂きます。
「景色は変わったがここで起きた事実は変わらない。人々は殺りくのために存在しているのではない。多くの人が広島へきて、世界の現実を知ってほしいーカミュ―ロ・ゲバラ」
多くの人達が上野村を訪れて、そこで何があり、どうして520名が亡くなったのか、一人ひとりに考えてほしいと心から願います。
●管理人からのお願いと注意事項
たくさんの応援、有難うございます。
なお、管理人からのお願いです。このサイトは、自分の本を売り込んだり、他人の本をけなす場ではありません。そういう書き込みは当然のことながら公開されませんのでご了承下さい。また、他人のハンドルネームと酷似したものを使用し、あたかもその人であるようにして書き込む人がいますが、これは明らかに違反行為です。調査した結果、違う方であることがわかっております。また複数を装った書き込みも同一人物であることもわかっております。相手様にも迷惑が掛かりますので、今後ありましたら、しかるべく対応をとらせていただきます。
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