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歴史から消された「日本初の女性天皇」がいる。その名は、オキナガタラシヒメノミコト(気長足姫尊)、すなわち、神功皇后(じんぐうこうごう)という――。第14代・仲哀天皇の后であり、仲哀天皇の崩御後、子の第15代・応神天皇が即位するまで、およそ70年にわたり摂政として国を治めたとされる伝説の女傑だ。
神功皇后が卑弥呼と同一人物であるという説は今も根強くある。日本最古の正史『日本書紀』には、卑弥呼の名前が一度も登場しない一方で、神功皇后の破天荒な生きざまは丸々一巻を割いて綴られている。
神託を受けて政(まつりごと)を執り、九州の熊襲(くまそ)をなぎ倒し、さらに、赤子を身ごもったまま海を渡り、新羅、百済を従えたとされる「三韓征伐」を成し遂げるなど、多くの武勇伝を残しているが、あるときを境に、その「存在」そのものが歴史の表舞台からはじき出され、令和のいま、日本人の記憶から消し去られてしまったのだ。
江戸時代の頃、神功皇后は歌舞伎や浮世絵でも描かれるほどの国民的ポップスターとして英雄視されており、明治に入ってからも、近代紙幣の顔となり、長らく庶民から親しまれるなど、初代・神武天皇にも勝るとも劣らない抜群の知名度を誇っていた。
それほどの歴史的スターがなぜ、「ないもの」とされたのか。
その背後には、近代国家の成立過程で進められた「皇統の再編」という政治的意図があった。明治政府は、男系中心の国家観を確立するため、神武天皇を頂点とする歴史像を構築し、その過程で神功皇后の存在を体系から外していったのだ。
しかし、その痕跡を完全に消すことはできない。
『日本書紀』には「神功天皇」と記された箇所が残り、『常陸国風土記』『扶桑略記』『神皇正統記』などでも「第15代天皇」(女帝)として記録されている。
それにもかかわらず、大正15年(1926)、皇統譜の編纂に際し、正式に歴代天皇から除外されてしまうのだ。
神功皇后は実在したのか? それとも、日本が近代化を推し進めるうえで「不都合な存在」として歴史から葬られたのか――?
シリーズ累計60万部を超える『天皇論』の著者、漫画家・小林よしのりが、神功皇后の生きた古代日本を壮大なスケールで描き、日本建国史の謎に迫る超・神話スペクタクル!

■神功皇后の実績
神功皇后は生涯、東アジアの平和のみを願い
尽力したが、当時の国際情勢により、すべて
秘したため、現代人から全く誤解されている。
たとえば、高句麗等に攻められ国が亡びそう
になった百済が、倭に救いを求めた際、神功は
他地域をカバーする倭軍とは別途、百済兵の
カゴに乗り、対高句麗戦の第一線近く(朝鮮
半島の奥・ソウルより北)に、たった三人で
出動し、軍事をなした。霊媒――審神者シス
テムにより、天照大神以下七柱の神が、神功
が失神して出現し、神は空中から全体的戦況が
見えるので、百済各隊からの伝令に敵の状況を
教え、軍令を出した。
かくして、百済は対高句麗戦に勝った。肖古
王が遠識があり軍神だったというのは、実は
神功のことなのである。
記念として百済王世子(王子)は七支刀、七子
鏡を造って王に捧げ、お礼に同じ物を倭に持っ
てきた。七支刀は石神神宮、七子鏡は応神天皇
陵に収められている。七子鏡は百済に謀反し
反乱していた七国を平定して百済に贈呈した
ことへの領収証である。七支刀は、倭から韓国
へ宝物をとりに行ったとの誤解をさけるため、
神功が折った。


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さそい水さん