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証明写真。毎度の事ながらこいつにはしてやられる。認めたくないのだ。これは何処ソコに在住の誰ソレです、と証明する筈のその顔が自分に言わせると、全くの別人なのだ。どこと言えず不自然に力の入った珍妙な表情を浮かべた世間一般では自分と証明されるこの人物像・・・普段、自分が鏡で見かける顔が実は幻想でこっちが本物だとしたら・・・いや、いや、まさか。 そんな筈はない。祈りにも似た心持ちである。いずれにしても、更新された免許証と共にこの顔とまたしても数年付き合わなければいけないのだ。ここ数年インターネットの普及がめざましく自分も及ばずながら活用させていただいている次第ではある。このインターネット、自宅に居ながらして手軽に情報収集ショッピング、そして、メール等により日本はおろか世界中の人々と通信会話ができるという大変便利で素晴らしいものであるがその反面、お互いの顔が見えないことからつい礼儀を欠いてしまい相手に不愉快な思いをさせてしまったりちょっとした文面、言葉の行き違いから誤解が生じてしまうなどという場面に出くわすことが少なからず見受けられる。ここでは、そのネットを通じて起こり得る証明写真にまつわる救われない悲劇をひとつとり上げてみたいと思う。ネットバンクというものがある。これは24時間取引可能なネット上の銀行であるがここに自分が口座を新規開設せしむる為それに差当たっての所用手続きに挑むとする。従来の口座開設では、まず銀行に出向いて行き専用の用紙を貰い必要事項を記入、署名捺印の後身分証明書とともに窓口に提出という方法が一般的であったのだが。昨今では、自宅に居ながらして申し込み用紙の作成に至るまで出来てしまいそれに署名捺印し、身分証明書の写しと共に郵送となる。つまり誰とも顔を合わさずに手続きが遂行出来るのだ。ここで間違いを犯してしまう。最もポピュラーな身分証明書として、常日頃持ち歩いている自動車運転免許証、これを選択してしまうのだ。例の写真付きを。必要にせまられコピーされた異人の顔は、白黒になることによりよりいっそうの奇妙さを増し、陰影は強調され劇画さながらに色付けされることになる。こうして見事に仕上がった連続通り魔婦女暴行強盗殺人詐欺恐喝窃盗犯のような顔からはどうひいきめに見ても街角で出くわした際に「こんにちは」などとにこやかに挨拶を交す人柄など、窺い知る余地は微塵もないのだ。そんなこんなで何の前触れも無く申し込み用紙と共に送られて来るその写真を受け取り手にした人はどう思うだろうか?いや、いや、処理事務を担当されてる方々とてヒマではない。写真になぞ気をとられてる余裕はないだろう。何せ日本全国から殺到する膨大な数を捌き処理しなければならないのだからそんな暇は持ち合わせてないはずである。だけども登録作業のうえで証明書の写しの真偽の確認申し込み用紙と照らし合わせ、住所、氏名の相違の有無そのくらいは目を通すだろう。その時なのだ。その事務員の方がもし運悪く、自分のその指名手配写真をチラリと見てしまったらどうだろう?そして、それまで処理機械と化していたその人がふと我に返りその極悪非道な顔と住所氏名を併せて脳裏に焼き付けてしまったとしたらどうだろうか?その人の頭の中には、この何処ソコの誰ソレという人は悪人面とインプットされてしまうことになる。それは誤解なのだ。先程、顔を知らぬ相手との間における誤解云々の例を挙げたがこちらの場合は問題の解消、打開策はいくらもある。それに引き換え、今回の件に関して言えば前述のソレとは真逆の位置にあり問題の解決策は皆無。世にも恐ろしい顔だけが知られその他には一言の言い訳も許されないのである。自分はこの様な悲劇を起こさない為にも免許証更新当日には毎回「今度こそは」と意気込んで出かけるのだが力が入りすぎるのか、やはり毎回してやられるのだ。学生時代のクラスの集合写真。ここにも救われない顔が幾つかあった。自分はその類いではなかったのだが当時はいわゆるツッパリ(*1)全盛の時代でそういう連中は、こぞって一種独特のスタイルを以て自己の存在をアピールしていた。チリチリパーマにより金タワシの様になった頭髪の両サイドを不自然になで付け巨大なリーゼントを拵え後ろ髪はストレートで簾のようにうすく長い。変形学ランにボンタンと呼ばれたダボダボのズボン爪先の尖ったエナメル紳士靴。そして写真撮影の際には、片足を一歩前に出し体は斜め45度、ポケットに両手を突っ込みうつむき加減で小首を傾げ、眼光鋭く睨みをきかせる。女生徒の場合は、長め若しくは短めのスカートで頭髪は当時流行の聖子ちゃんカット(*2)こちらもややうつむき加減で両目をぱっちり開け目一杯ブリッ娘(*3)するのである。こうした意気込みとは裏腹に出来上がった写真を見てみると学年に一人二人は必ずいるのだ、救われない顔が。ポーズ、ファッションはバッチリキマってるものの鋭く、若しくはぱっちり見開かれた筈の両目がタイミングを逃したのか半開きの白目状態になっていたり虫でも飛んできたのか目線だけがあらぬ方向を向いていたりくしゃみかアクビでももよおし、それを無理に押さえた結果からか小鼻が押し拡がってる状態だったりもうこれ以上は無いだろうと思われる程間抜けな顔滑稽な姿なのである。数年で更新される免許証ならまだしも後々後世にまで残る場所でその様な醜態を晒してしまった彼らの心中は察するに余るものがある。やり直しの利かない一発勝負。運、不運。そして勝ち組と負け組。大袈裟ではあるが、まさに人生の縮図を垣間見た感である。ま、デジカメが普及した現代においては撮影したその場で確認撮り直しが出来る為、その様な悲劇も少なくなってるのかもしれないが‥免許証に関して言えば、ひとつ提案がある。撮り直せとは言わない。 せめて裏面の備考欄に「この写真は写りが悪く、本人の印象とは多分の食い違いが認められる」などと申し開きが出来る場所を設けて頂けないだろうか?*1 横浜銀蠅をはじめとする不良ムーブメントから生まれた言葉。 不良の事。*2 今から25年程前の松田聖子の髪型。当時は猫も杓子もこれ だった。*3 実際はそうではない(かもしれない)のに可愛さを強調し 猫を被る様。松田聖子の涙の出ない泣き顔から生まれた言葉。
2005/11/29
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俺の車の中は散らかっている。当然ではあるが、ゴミをこまめに捨てないので溜まっていく。「これ程簡単にお金が溜りゃあねぇ・・・」なんてさびれた商店の婆さんのボヤキみたいなセリフは置いといてこのゴミの山(って程でもないが)これは俺のやさしさの表れなのだ。車の中というのは、ある意味自分だけの領域でありそれを城とするなら主は自分であり、そこでは王様なのだ。だから、自分なりの節度をもって不快に思うなら片付けるなりすればいい。しかし、ここで問題が出てくる。「自分の城をキレイに保ちたい」大変立派で結構な心構えだけれどもたとえば、道沿いにある草の生い茂った空き地中央分離帯の生垣の上、流れの止まった水面などで見掛ける空き缶、吸殻、コンビニ弁当の容器読み終わった新聞、雑誌、エロ本はたまた使用済みパンツに至るまでの様々なゴミの数々。これらは明らかに前述の動く城から排泄された糞尿であり本来、他人の迷惑とならない領域の中或いは然るべき場所にて処理されなければいけないものなのだ。車のドアひとつを隔てた向こう側は、天下の公道であり人類共有の場所。一歩外へ踏み出せば、王様の定義は跡形も無い。だから、車内をキレイにしたい→外に排出すればよい。という身勝手な考え方は誠に遺憾とするところでありそのような輩が横行する世の中というのは実に嘆かわしい限りである。王様である自分にしたって、招き入れた客人に「ここは俺の城だ!我慢せい!」などという横柄な考えは無く適度に掃除などを施して、最低限失礼のないように努める位の気遣いは持ち合わせてるつもりではある。こんなことを書くと、道徳や環境問題についての持論を唱えたいのかなどと思われるかもしれないが、断じてそうではない。今、ここで声を大にして言いたいのは、自分の正当性である。自分の場合、ゴミを捨てない、撒き散らさない。だから車内が汚い。 散らかり、イコール、やさしさ。つまりこう言いたいのだ。車内の汚れ散らかりはやさしさの表れだ、と。
2005/11/27
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ナナちゃんが逢いに来た。 そう思った。彼女が天に召されてから数日後車のフロントガラスに残った小さな足跡明け方、夢うつつの中で聞こえた細くかん高い鳴き声。これまで近所で子猫の姿など見たことがなかったので半信半疑ながら、そう思った。だけども、それらはちゃんとこの世に存在していた。黒い親猫に連れられた3匹の子猫。縞々2匹に黒1匹、大きさはナナちゃんと同じ位。あ、そうか、こいつらナナちゃんの兄弟だ。瞬間的にそう思った。 そうに違いない。実際、黒いのは彼女に顔が似ている。何だか嬉しくなった。親しみを覚えた自分は彼らに餌を与えてみた。空腹だったらしく親猫共々、カリカリと音を立て一心不乱に食べている。完全な野良猫なのであろう人なれしていなくちょっとした音にも敏感に反応して逃げ腰になるので動作のひとつひとつにも気を遣い、極力物音を立てない様息を潜めてそれを眺めた。近所の手前もあるし、無責任に野良猫に餌をやるのはどんなもんだろうか? そう思いながらも姿を見れるのが嬉しくてその日から餌を与えるようになってしまった。二週間もすると、相変わらず警戒はしてるものの子猫の方は、餌を食べて夢中になってる時は触ることが出来るまでになってきた。ただ、それは食べている時のみに限ってでふと我に帰ると驚いて逃げたり、フーッと威嚇したりする。自分はこれまで、仲良くなりたい一心で急激な動作を避けなるべく驚かせないよう彼らと接してきたのだけどその時どんな心持ちだったのか3匹の中の縞々を1匹、首根っこを掴んで摘み上げてみた。単に抱き抱えてみたいという気持ち半分大袈裟だが今生の別れになっても構わんという気持ち半分だったかもしれない。とにかく摘み上げてみた。当の子猫本人、一瞬おとなしくしてる様に見えたものの我に帰るとものすごい勢いで暴れ出し驚いて放した手から逃れると半狂乱で家中を駆け回り、疾風のごとく逃げ去っていった。子猫はナナちゃんよりも少し重く感じられた。彼女が生きてたらこの位になっていただろうか?そう思うと、人なつっこく可愛かった姿が思い出され堪らない気持ちになった。もういい! これで分かった。お前らはナナちゃんの代わりにはならん!そもそも考えてみればこいつらは彼女を見捨てた張本人なのだ。風邪をひいてて、眼病を患ってて腹の中に3種類の寄生虫をもってた彼女を間引いたに違いないのだ。野良猫の世界は厳しいのかもしれん。なりたくて野良になったのではないかもしれん。だけど、俺はそんなことは知らん。真夏の道の上、小さくて、弱々しく不安げに鳴いてた彼女の姿を俺は忘れん。俺はお前らを許さん!野良猫、そう、お前らはクソの役にも立たん野良猫なのだ。クソといえば、お前らの処構わぬ糞害に俺は憤慨しているのだ。恩をクソで返すのか!それに親猫!子猫よりも我先にと餌を食らいやがって、恥を知れ!威嚇とおねだりを織り交ぜたお前らの声には、もううんざりだ!自分はその黒い親猫を「黒胡麻ゲボヨーグルト」と名付けた。これは自分が、黒胡麻プリンを欲しているにも拘らず黒胡麻ヨーグルトなるものを食した際ゲボの様にマズかった(失礼)という体験から由来している。奴が黒いこと、それに加え最前に述べた諸々の恨み辛みからささやかな復習の意味を込めて命名したものである。通常は略して「ゲボヨーグルト」と呼ぶことにする。その日から彼らに餌を与えることを止した。あれから一ヶ月位経過しただろうか。時々彼らを見かけると、密かにホッとして元気か?などと心の中で声かけている自分がいたりもする。先日、夜中に例のおねだりと裏の住人の餌を与えているらしい声を聞いた。案外、餌付けしていたのはウチだけじゃなかったのかもしれない。これで飢えることもないわけだ。何だか肩の荷が下りた気がした。なんにしても、よかった、よかった。相変わらずの糞害を除けば・・・ヲシテネ。
2005/11/25
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その昔、身体が弱かった。保育園や幼稚園の頃、よく風邪をひいたりして病院に通った。注射を打たれてはよくピ-ピー泣いてた。その日も注射を打たれるべくケツを出してるチビの俺に先生が言った。「男は泣くな」って。ハナタレ弱虫の中にもその男とやらがあったらしい。俺は泣くのをぐっとこらえた。 泣かなかった。先生はそんな俺にこう言った。「君は強いなぁ、金太郎さんみたいだな!」正直、嬉しくて何だかホントに自分が強くなった気がしたよ。そして、その金太郎ってのはステキにカッコいいものなんだろうって信じて止まなかった。だがしかし、だがしかし、それから暫くしてからのことその金太郎の姿を知った時のショックつったらなかった。おかっぱ頭のてっぺんハゲ、服は着てるんだか何だか分からん菱形の布切れ一枚。アサガオのつぼみみたいなのがチラチラ、後ろから見ればケツは出てるし、想像を絶する奇妙なシロモノだったんだ、これが。ま、確かにお話の中では強いんだろうし、昭和一ケタ生まれの爺さん先生にとっては最高の褒め言葉だったんだろうけどね。なんだか納得いかんかったよ。「世の中こんなもんか」その時すでに悟ったかもなぁ・・・でもないか。
2005/11/20
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9月19日、天使のようだったナナちゃん、本当の天使になってしまった。 無邪気でやんちゃで本当にかわいい奴だった。 出会った頃は風邪をひいていたりで、弱々しく声も出ない位だったけど 一緒に過ごした二ヶ月の間に体もひとまわり大きくなって 見違える様だった。 元気に育っていくのが楽しみだったよ。 いつもゴロゴロ甘えて、後をついてまわってた。 もっと遊んでやればよかったなぁ。 そうする時間はまだまだ沢山あると思ってた。 予期しない突然の事故だったんよ。 目を離した自分を責めたよ。 まだなんも分からん赤ちゃんだったのに。 結局なんもしてやれんかったんかなぁ・・・ 話に聞く様な暖かくて素晴らしい場所があることを信じたい。 ちゃんとその場所に、天国に居るかー?
2005/11/15
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