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浮説 徳川裏史疑隠密秘聞帳 48 徳川歴史に燦然と輝く色将軍、家斉 4 それこそ浮説なのだが、子作りの中には驚くような裏史疑が隠されていたのだよ。絶論男の家斉も連夜の大奥通いでさすがにお疲れ気味であった。 「毛饅頭饅頭を食い過ぎて、もうゲップが出そうだ、女を見るだけで腹が痛くなる。ご勘弁を、、」 大奥へ行くのを渋る日々が続くと、父治済からは叱責され、大奥の実力者の上臈やお年寄りからも不服の申し立てがあり、困った家斉は自分とよく似た御広敷番(大奥警備)の伊賀者を影武者にして種男として大奥に送り込んだのだよ。 お城敷番の伊賀者、定丸は大喜びで大奥に通い子供まで孕ませたのだよ。伊賀忍者の子が産まれたと後から知れたら大事件になるので家斉は、秘かに産まれた子を処分させた。家斉の子が産まれてすぐに死んだ者が多かった理由の一つはこのことが関係しているのかもしれないし、また、家斉に似ても似つかぬ子が産まれたことも事実であり、50人を超える子供の中には伊賀忍者の定丸の子もいたかもしれぬというと裏史疑なのだよ」 「そいつはご隠居勘繰りすぎじゃあないですか?女の方だって、家斉様に形は似てても、あれ、下の逸物がいつもと違うのじゃありませぬか?と気が付きませんかねえ、もっとも、40人も側室がいたんじゃ気が付きませんかねえ?」 「彦五郎、もうひとつ裏史疑があるんだよ。 家斉の残した傷跡のことも話をしておかねばならぬだろうな、何しろ、大奥に重きを置いていた家斉であったから、前将軍の家治が大奥女中を千人を下回るところまで縮小し、大奥の経費を三割も減らしたのに、家斉の時には再び大奥が繁栄を極め三千人もの女が大奥にいたと云われておるのじゃ。それにな、40人もいたと言われる側室の費用もどえらい金額がかかるし、55人も居た子供らにも贅沢三昧の暮しをさせていたので、幕府の財政を苦しめる一因になっていったのだ。何しろ、大奥の経費は二十万両とも云われ幕府財政全体の三割にも達していたのだ。 これじゃあ、たまらんわけだ。徳川の家臣も馬鹿馬鹿しくなって、真面目にやろうという気も失せるどころか、経費の切りつめや倹約などする気はなくなり、散漫な空気が江戸城内に蔓延したのだよ。 武士の頭領たる将軍家がこの有様では、当然のことながら、江戸の庶民にも堕落した淫風が流れ、江戸の町は享楽的、退廃的、刹那的な風潮になってきたんだな、「江戸っ子は宵越しの銭は持たねえ」 なんて、明日は明日の風が吹くといった具合の無責任な暮らし方が江戸の町に流れたんだ、彦五郎もその口じゃねえのかい」 「ご隠居、家斉様はやはり、罪なお方でございますがかわいそうでもありますな、酒は飲み放題、女はやり放題、絶倫将軍だの助兵衛将軍だの、淫乱将軍だのと悪口を浴びせられ、おまけに、徳川幕府の財政を破綻寸前にしてしまったんじゃねえ」 「彦五郎もそう思うかね、徳川家斉様は将軍在位50年で歴代徳川将軍の中では一番長いのだよ その間、ひたすら、種馬人生で励んでいたのだ。 一橋家の跡継ぎのための犠牲者ともいえるが、愛欲にまみれたその生活ぶりは、目的遂行以上に、やはり好きものじゃなかったら出来なかったんじゃねえのかな。 大御所になって60を越えてもなお、本丸の大奥とは縁を切ったかもしれぬが、西の丸にもある大奥へも足繁く通っていたというからな。 なあ、彦五郎、羨ましくもあり、悲しくもある男の裏史疑であろうが、、」 おしまい 朽木一空
2021年10月13日
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江戸 いろはかるた<ふ> 文はやりたし書く手は持たぬ「はて、あの方に、どうしても艶文(恋文)を書きたいが あたしの乱れた文字じゃ、恋も冷めちゃう、 どなたか、代筆お願いいただけますか」 代筆を頼むのも恥ずかしいと気をもむ娘さん、 ご安心くださいませ、代筆処”笑筆”がありますよ、 どんな恋でも叶えてくれる凄腕の魔法の代筆屋です。 文は読めても字の書けないお嬢様もいらっしゃいまして、 まして、恋文ともなれば、なかなか相手の心を射止めるのは 難儀なのでございます。 で、お江戸には恋文屋、代筆屋という商売が流行ったのでございま 「ごめんくださいませ、」 「はあい、どなたでございましょうか?」 「佐野三左衛門と申しますが、ご挨拶に伺いました」 「あいにく、旦那は留守でございますが、、」 「それでは 玄関帳へつけておいてくださいませ、 お帰りになりましたら、よろしく申し上げてくださいませ」 「あいにく、わたくしは字が書けませんので、 あなた様の自筆でお願いいたします、」 「いや、わたくしも字が書けないのです」 「それは弱りましたね。」 「では、こうしたらいかがでしょうか?」 「どうなさるのですか?」 「今日は伺わなかったことにいたしましょう」 江戸小噺。 笑左衛門
2025年02月19日
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寂しきかな奥方 参勤交代~隔年に 枕さびしき 御内室~江戸川柳 ~奥様のおひろひ足がねばるやう~江戸川柳 暇を持て余している奥様がゆるりゆるりと散歩している足が なにやら意味ありげでございますな、 1635年に徳川三代将軍家光によって武家諸法度が改正され、 参勤交代が制度化され、諸大名は一年ごとに江戸と領地に住むことが、義務付けられ、大名の正室と世継ぎとなる息子は、江戸に常住させられたのでございます。人質でございますね。 つまり、大名の奥方はずっと江戸住まいだったのでございます。 殿様の方は、一年ごとに領地と江戸を行ったりきたりで、 無論領地の方にも側室がおますので、女に不自由することはなかったのですが、 奥方の方は 江戸留守居役の目も光り、一年間も男日照りの日々が続くのでございますから寂しかったのですよ。 ですが、女ですもの、いろいろあったようでございます。 寛永寺や浅草寺を参詣し、中村座・市村座・森田座のある猿若町に足を延ばして 芝居見物をする。 いい男を遠くから眺めるくらいなら問題はおきませんが、 大奥 御年寄 の江島(絵島)が 歌舞伎 役者の 生島新五郎 らを相手に遊興に及んだことが露見して大奥追放された江島事件のようにならぬよう、ご注意でござるぞ、 ~時鳥(ほととぎす)よりも奥様お待ち兼ね~江戸川柳 渡り鳥よりも夫を待つ奥方の心情穏やかではござませんねえ。笑左衛門
2025年09月28日
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江戸切絵図から消された町 4 車善七と非人寄場と溜 ご隠居は二階の階段を上ると、南の障子を開けた。 「彦五郎、よく見てみな、何が見える?」 「綺麗な田圃が拡がってますね、バッタでもいるんですかい?」 「そうじゃねえよ、ほら、そこに見える藁の長屋が連なってるだろう、そこが、車善七手下の非人小屋だよ。」 吉原遊郭は二間幅のお歯黒どぶと呼ばれる汚水の溜まった堀で四方を囲まれていた。その二間幅のお歯黒どぶを挟んで、車善七の屋敷と手下の非人の住む 藁小屋(わらこや)が幾棟も並んでいた。 非人頭車善七の役所があり手下の者の居宅三百六十三軒の居宅である。さらに、田を挟んで東の方には非人寄場と溜が見えた。 「なっ、彦五郎、この絵図を見てみな、車善七の屋敷のある場所は白抜きのままだろう、弾左衛門の新町(しんちょう)とおんなじ、地図から消された町なのよ、人の目につかねえように、新町は寺の尻で隠されてたが、車善七の屋敷は。この吉原のどんどまりの羅生門河岸からしか人の目にはいらねえ場所なんだ」 東の方に見える、非人寄場とは、幕府が江戸市中を徘徊する非人を収容し、彼らに手業を教えて更生させるために、浅草の非人溜の後ろに設けられた。人足寄場にならった施設で、集められた非人は草履や草鞋づくりをさせられていたという。 その裏手が「溜」だ。絵図にも「溜」とだけ書かれている。伝馬町牢屋敷にて重病になった囚人、遠島に値する重罪を犯したが15歳に達していない者、追放刑を受けたが身元引受人がいない無宿などが収容されていて900坪の敷地があった。幕府の管理下だが、溜を管理する役人は全て非人なので、非人溜と呼ばれていた。 溜の四方も田圃だ、つまりこの場所も人目を避けるように作られていたのだ。 吉原と、二間幅のお歯黒どぶを挟んだ非人小屋には、吉原の三味の音や男女の痴情の呻き声も聞こえのだろう。だが、非人が廓に入れるのは、紙くず拾いの時か、死んだ遊女を投げ込み寺の浄閑寺に運ぶ時だけなのかもしれない。 吉原の北方には小塚原の刑場があり、非人たちは、小伝馬町の牢や小塚原(こづかっぱら)の刑場へ狩り出され、磔、獄門、埋葬など矢の者の手伝いとして残酷な任務に従事させられていた。その小塚原の刑場は「し置き場」と絵地図には記されている。 ご隠居と彦五郎、吉原の毛饅頭も食せずに、大門を潜った。 暮れ六つ(夜6時ころ)の鐘が浅草寺の方から聴こえると、吉原では、一斉に清掻(すがかき、三味線)が鳴り響いて、夜店が開き、八丁土手の両側に並んだ水茶屋の丸提燈にも灯りがはいり、その場所だけが闇の中で明るく照らしだされていた。 幕府は都合の悪い場所は囲い、人目につかぬように隠し江戸の絵図からも消した。 「なっ、彦五郎、この絵図にも、車善七の屋敷のある場所は白抜きのままだろう、弾左衛門の新町(しんちょう)と同じよ、地図から消された町なのよ、、、」 おわり 朽木一空
2021年11月20日
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塩話2 渋皮痩右衛門 初雪や 塩屋あっち舐め こっち舐め 渋皮痩右衛門はその名の通り、やせ細った体で、 とても力仕事などはできないやせ細った体つきであったが、 病に臥せった父を養うためにも働かなければおまんまが口に入らないのだった。 可愛そうだねとおっしゃるが、深川黒江町の 極貧裏長屋、通称なめくじ長屋の住民はその日暮らしにみな汲汲としている似たり寄ったりの貧乏所帯であった。 なに、今日飯が食えなくたって、明日食えればそりゃそれでいい、 なんとかならあなと、くよくよしちゃあいない。 病気の親を抱えた女子、博打狂いの親に泣かされてる家族、 子供は蜆売り、女子はつけ木売り、男は下肥汲み、 荷揚げ人足、駕籠かき、棒手振り、母親は紙屑拾いに夜鷹 みなその日稼ぎのその日暮らしだった。 さて、その渋皮痩右衛門も病の父親を抱えて、 日銭を稼がねば、おまんまにありつけない有様であり、 塩売りの棒手振りに出掛けるのが常であった。 だが、その日はあいにく昨夜から雪が積もっていて、 江戸の町は歩くのでさえ、難儀であった。 じゃあ、休んじまえばいいじゃないかと気楽におっしゃるが そうもいかない、「なあ、痩右衛門よ、雪の日こそ、客が待ってるんだ、 こういう日に商いをすれば、声もかかり塩も売れ、 普段なら40文の稼ぎが100文になるかもしれないよ、 雪道には気を付けて頑張って商いしておいで、」 「へいっ、売ってめえりやす、」 日本橋北新堀町の塩問屋赤木屋の番頭に背中を押されて 渋皮痩右衛門は塩を乗せた天秤棒を担いで店を出た。 塩問屋赤木屋の塩は下りものの十州塩田の塩ではなく、 値段の安い行徳村の塩だったので、本所深川辺りの貧乏長屋に 重宝されていたのだが、なにせ、日本橋からは 荷を担いで両国橋を渡らなければならなかった。 雪道に重たい塩の荷、案の定雪道に足を取られて渋皮痩右衛門は すってんころり、蹴躓いて転んでしまった。 真っ白な雪の上に 真っ白な塩を分撒いたのであるから、 塩がどこへ毀れたか見当もつかなくなって、 雪の中を舌で舐めまわして塩を探しているのだからいるのだから情けない。 ~塩を売っても手を嘗める~ なんてケチな話ではなく、顔中雪まみれ塩まみれなのである。 まさに~傷口に塩~ ~痛む上に塩を塗る~の様相であった。 ~蛞蝓(なめくじ)に塩~なんて故事があるが今の渋皮痩右衛門はまさに蛞蝓であった。 ~塩売りは転んだ雪をなめて見る~ ~雪の道塩屋転んで手におえず~ こんな江戸川柳があったぐらいだから、渋皮痩右衛門だけじゃなく、 塩屋の小僧が雪の道で塩の入った荷箱をひっくり返すことはざらにあつたようだ。 もし,小僧が砂糖屋の荷を担いでいたなら、 誰もが雪の中をぺろぺろ舐めまわして砂糖の在処をさがしてくれたであろうが、しょっぱくて安い塩が相手じゃ誰も振り向いてくれることもなかった。 ああ、悲しや哀れ塩売り痩右衛門 上杉謙信が塩不足に悩む宿敵・武田信玄側に塩を送って助けたという逸話が由来の、~敵に塩を送る~という話もあるのだから、 どなたか、痩右衛門に塩を送っていただけませんか? 塩屋に塩を送るだって? ちょいとそいつは~河童に塩を誂(あつら)える~とでも申しましょうか、見当違いでございましたね 笑左衛門
2024年05月20日
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王子の狐 伊勢屋稲荷に犬の糞なんて江戸の町は揶揄されておりすが、 伊勢屋という名の店は木綿や紙・荒物・椿油・菜種油・茶などを商う「伊勢屋」の看板が目立が小間物屋、炭屋、油屋、質屋、味噌屋、そば屋とどこにでもがざいまして、 「ちょいと、伊勢屋に行ってくる」じゃ、どこへ行くのかわからねえくらいでございました。 江戸の町じゃ、野良犬がウロウロしていて、道から店の前から神社仏閣にも、 遠慮なしに犬の糞が転がっておりまして、 小僧の朝一番の仕事は犬の糞片づけだったそうでございます。 稲荷、お稲荷さんも数えきれないほどございました。 大名や旗本の屋敷内に、武家屋敷にも、町屋の屋敷にも、旅籠にも、 料理屋にも、出会い茶屋にも、裏長屋にも、稲荷神社がございました。 吉原遊郭には五つもの稲荷神社が祀られていたのです。 屋敷内に稲荷社を勧進できない庶民は辻々の角にお稲荷さんを祀っておりましたし、裏長屋の狭い路地にも必ずお稲荷さんはございました。 そのお稲荷さんには神様のお使いと云われている狐がいらっしゃいまして、 好物の油揚げをお供えして、願い事を祈願していたのでございます。 ところが、神の使いのお狐様にも人を騙す悪戯好きの狐もいたのでございます。 コンコンコン、それが王子の狐と呼ばれておるのでございます。 関東八州の稲荷神の総社の王子稲荷神社には、 稲荷の使いである狐が榎の下で身なりを整え、初詣をする狐火の行列が見られるという言い伝えがございます。 さてさて、その王子の狐の悪戯話でございます 大名屋敷へ出入りの道具屋の定七が 殿様から毛巾着を頼まれたのでございます。 定七は王子の稲荷の帰りに本郷の露店に立ち寄り、狐の皮の煙草入れと、狐の尻尾を煙管入れの筒にしたものを買い求めた。案外と安く買えたので、これで今日の小遣いはできたとばかり、居酒屋の暖簾を潜って上機嫌で酒をたっぷり飲み、ついでに小僧の土産にまあるい唐の芋を二つばかり買い、 暮れ方の江戸の町をふらついていると、「旦那、どこへ行きなさる、駕籠はいかがかな、」と、駕籠屋がしきりに勧めた。「市ヶ谷まで百文でよいか、」 エイホッ、エイホッ、 籠賃を値切って駕籠に乗り、お茶の水の近くまで来た、 その時、後ろを担いでいた駕籠屋が肩を替えようと 立ち止まった拍子に定七の着物からはみ出していた、 狐の尻尾の煙管入れに気が付いて、 相棒に「これ見ろ」と、目くばせをした。 二人は不思議そうな顔で、「お客さま、あなたは王子からの帰りだとおっしゃいましたが、市ヶ谷はどこまでいらっしゃるのでございますか?」と、聞いたのだ。「茶の木稲荷の側だよ。」と、答えた。茶の木稲荷は将軍様や大名、旗本からも尊崇を集めている 立派なお稲荷さんだったので、駕籠屋は大いに喜んだ。「おいっ、相棒、今年は運がいいぞ、もし、旦那お願えがございますだ、」 「何だ酒手(心付け)か?」「とんでもねえ、旦那のようなたっといお方にそんなことを申しちゃ罰が当たりますよ、どうぞ、わたしめらに福をお授けくださいませ、」はて?俺を狐と勘違いしてると、道具屋の定七も気が付いて、 腰を探って、狐の尻尾を振って見せ、うまく狐になりすました。 駕籠が市谷亀岡八幡宮・茶ノ木稲荷神社の前に着くと、 定七は重々しい仕草で、「これは.由緒ある擬宝珠(寺院の廻縁の欄干飾り)の玉だ、とっておけ、」と、唐の芋をひとつづつくれてやったそうだ。駕籠かきの二人は「ありがたや、ありがたや」と、伏し、拝みながら別れていったとさ、その様子を藪の陰から見ていた王子の狐が二匹互いに目を合わせて、「今のを見たか。」「うん、人間にはかなわねえ、、」 江戸小噺より、笑左衛門脚色
2024年06月04日
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笑左衛門残日録 88 朝顔談義 1 「旦那様、ほら、朝顔が咲いてますよ、、」 某の柳原の隠居所の竹垣に今朝 朝顔が咲いていたのを見つけて お筆は上機嫌であった。 「涼し気に咲く朝顔を見ていると、 昼間の暑さを忘れてしまいそうですわ。」 某と、お筆、縁側で茶を飲みながら朝顔を眺めていた。 ~人の家を 借りて蕣(あさがお)さかせけり~ そんな正岡子規の俳句があったな。 ~朝顔に つるべ取られて もらい水~ なんて優しい気持ちの俳句もありましたね。 加賀千代女というひとの俳句そうだが、それを茶化した川柳もござるぞ、 ~朝顔に ふり向く千代のから手桶 ~ 千代さんが名句を詠んだものだから、水が汲めなくて恨めしそうに井戸を振り返っているのですかねぇ、 ~翌年は 千代井戸端を去って植え ~ なんて江戸川柳もあるんだ、もらい水しなくていいように、 朝顔をほかの場所に植えるってことかな~ 拙者とお筆が朝顔談義しているうちに昼近くなった。 そこへ、彦五郎がやってきた。「ご隠居、朝顔はいかがですかな?」「何、彦五郎、朝顔の荷売りをやってるのか? もう昼だ、売れ残ったんだろう?」 「さすがご隠居の御明察の通りでございます、 なにせ、一斉に花が咲いてしまうものですから、 朝顔売りの棒手振りが足りなくてを頼まれましてねぇ、 ~あさがおぉ~ へいっあさがおぉ~ 綺麗な花のあさがおだよおぉ~ と、朝早くから声を涸らして町中を売り歩くんですが、 何しろ、朝顔というやつ名前の通り、昼になれば もう萎んじまいますから、朝が勝負なんでございます。 まだ、夜が明ける前から、四つ手の籠に朝顔の鉢を並べて、 両天秤で担い売りをして歩き、昼前までに売り切るのでございますよ、 うまく売りさばけなけりゃ、足が出て商い損になっちまうんでございます、それでご隠居に助けていただきたくてね、、」 「彦五郎、見てごらん、この隠居所の竹垣にも 朝顔はちゃんと咲いてるよ、、」 「ご隠居、垣根に咲いた平凡な朝顔とはちょいと違いますよ、 見て下せえ、この朝顔の顔の面々、 大輪の朝顔、花の形や色にも色々ありましてね、 変化朝顔と呼ぶんでございますが、珍しい朝顔の面々、 これが江戸風情ってもんですよ、」「あら、彦五郎さん、形も色も様々で楽しいわねえ、、」 「そうでございましょう、朝顔も珍品ともなれば、目玉が飛び出しそうな値段がつくのでございますよ、」 お筆はすっかり彦五郎の籠の中で咲いている朝顔に 心を奪われて目が釘付けになっていた。 ~人もなし 蕣(あさがお)の垣根 蔦の壁~正岡子規 ~朝顔や あしたはいくつ 開くやら~正岡子規 笑左衛門
2024年06月30日
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定斎屋(じょうさいや) ~ええっ、 定斎(ジョサイ)でござい~ 暑い夏が来て町の衆がへばった頃に 聞こえてくるのが定斎屋の売りの声であった。 暑気あたり、夏負けしない、腹痛など、夏の諸病に効能があるという 定斎の薬売りの行商で、 定斎屋の売り子は、茶色のはっぴ、腹掛、股引、脚絆、 草鞋掛けで、商売柄、どんなに暑い日差しに照り付けられようとも、 笠など被らず、薬の効能の宣伝のため、日射病などに罹るものかという心意気 で江戸の暑中を売り歩いたのである。 ~薬能を笠に着て居る定斎売り~ ~江戸川柳 ~定斎屋は 色の黒いのが自慢なり ~ 江戸川柳 定斎屋は三人が一組で、 二人が小さな柳行李のような容器を方からぶら下げて歩り歩き、 一人が相当重そうな漆塗りの古風な薬味箪笥一対を これもがっしりした樫の棒で担いで、 ゆっくり腰で調子をとりながら歩く。 薬箱の抽斗(ひきだし)についた金環が その歩みにつれて、 カッタ、カッタといい音が鳴るのは わざと、いい音がするようにこしらえてあるのだった。 カタカタカッタ、カタカタカッタ、 と、鐶(かん)が揺れる音が響くと、町の家々では 「ああ、定斎屋がきたな」と知るのである。 定斎という薬は、堺の薬問屋村田定斎が、明の薬法から考案した煎じ薬で、 この薬を飲むと夏負けをしない、夏期の諸病に効能がるといわれ、 定斎屋は江戸の夏の風物詩であったのだ。 ~定斎屋が来たかと思う 新世帯 ~ 江戸川柳 ~当分は 昼も箪笥の鐶(かん)がなり~江戸川柳 仲睦まじく遠慮もしない蜜月の新婚さんが 昼間からお元気で、箪笥の鐶が揺れている様子ですかね、 ああうらやまし、、 笑左衛門
2024年07月25日
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江戸 いろはかるた ろの巻 論より証拠<ろ> 「彦五郎、論より証拠とはどういうこったい?」 「奉行所のお白州じゃ、証拠より自白でございますよ、 ですからね、番所に引っ張られた咎人の口を割らせるために、 拷問にかけて 口を割らせるんでございますよ、 だからねえ、ご隠居、やっちゃあいねえのに、 苦し紛れに、へいっ、おそれいりやした、、 なんて、頭を下げちゃいけませんや、 なんてったって、証拠より論(自白)でございますからね、」 「口先でなんだかんだと申し開きを重ねるよりも、証拠を出したほうが 事件はすんなり解決しますよっていう、奉行所に対する嫌みが 論より証拠って諺かな」 「そうですよ、証拠といったってでっち上げの偽証拠つくるなんざ、 同心や岡っ引きの得意技でございますからね、 ですがね、北町奉行の遠山様のお白州じゃ、罪人が<どこに証拠があるんでえ、あるんなら見せてもらおうじゃないか、>と、居直って啖呵を切ることがよくあるんでございますよ、すると、遠山金四郎様、階段を二段下がって、<じゃかましいわい、あの夜咲いた遠山桜、まさか見忘れたとはいわせねえぜ、> と、片肌脱いで桜吹雪の彫り物を見せるんでございますよ、 それを見た罪人は、 <へえ、おそれいりやした、>と首を垂れるのでございますよ、 これぞ、いくら言い訳を並べたてても逃れられない、 <論より証拠>というものでございますな、」「なるほどね、ところで、伝蔵長屋の熊さんが、 岡場所の女に入れあげて、銭を貢いだんで、 <くやしい~!>と、かみさん偉い剣幕でに噛みついたそうだ。 熊さん、なんだかんだと云い逃れようとしたが、 岡場所に褌忘れるなんてへまをしちまった熊さん、 ぎゃふん、論より証拠でございましたな、」 ~誰の子でぃ かかあだけ知る 証拠なし~拙作 ~入れ墨を 証拠に見せる 金四郎、~拙作 ~褌に ついた紅こそ 証拠かな~拙作 笑左衛門
2024年08月25日
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江戸いろはうた 7<へ> 屁を放って尻窄める 「屁を放って尻窄めるとは、屁の音や匂いが出た後で、 尻をすぼめめてみたとて手遅れですよ、 失敗した後で、隠したり、取り繕っても無駄ですよ、ていう ことの例えでございますね、 お武家様が松の廊下で屁なんぞ放ったら、 一大事、切腹者になるやもしれませぬ。 そこへいくと、ご隠居なんざ、慌てませんね、 長屋の者は遠慮なく屁のひりっぱなしでございますね、 そこで、一句ひねりました・ ~屁を放って 尻も締まらぬ 隠居かな」 「そうよ、屁にも身分があってな、 長屋じゃ屁と呼ぶが、宮中じゃ<お鳴らし>と呼んだそうだ、 それがおならになったそうなのじゃ、」 「ところで、屁負比丘尼(へおいびくに)という女中がいることは知ってるかい?」 「高位の奥方や姫君にとって屁を漏らすなどという醜態は死活問題 屁負比丘尼という付き人が身代わりになってる話ですよね、 くだらねえ仕事でもこれがなかなか難しいようで、 屁負比丘尼は、ぼおっとしたり、居眠りもできないのです。 おならの音を聞きつける耳の良さに加え、演技力も必要で、 奥方や姫君との阿吽の呼吸で、 周りの者に気づかれないように絶妙の間で、 ~お恥ずかしながら私がいたしました~ と、顔を赤らめ小声で平伏するのだそうです。 さらに古参の屁負比丘尼ともなれば、屁だけでなく、 奥方や姫君のはしたない行為、あらゆる粗相の 身代わりとなるのだから 頭がさがりますねえ、」「人形町の大商家ではな、奥方がふかし芋が大好きでやめられず、 一日中、所かまわず屁をこくので、 亭主は困り果て屁をするための部屋 <屁屋>を作ったというのだよ、屁屋が部屋の語源だなんていうひともいるよ」「じゃあ、部屋の中なら屁をこいてもいいってことですね。」 「絵巻にも<屁合戦絵巻>なんていう本があって、 ~腹が減っては屁はできぬ~ なんて洒落てるが、 まあ。江戸人は屁が好きだ。庶民は屁を嫌っちゃいないね、 むしろ屁と遊び、喜んでるるねえ、」 「面白い屁といえば、何といっても 両国広小路の 曲屁の名人、霧降花咲男でしょうかね、 放屁の長さや連発なんて単純なものじゃねえ、 姫の屁、殿様の屁、坊主の屁などと放屁の身分仕分け、 旋律を奏でるのは当たり前、屁による犬や鶏の鳴き声の真似、 屁で歌舞伎や浄瑠璃の人気演目を一幕演じ、 でんぐり返ししながら<ぶうぶう>と屁をひって水車を模す、 など、にわかには信じがたい屁の神業で 江戸の庶民の度肝を抜いているそうですぜ、」 「そうよ、その花咲男のことを平賀源内が風來山という筆名で <放屁論>という本にしてるのだが、その一説がこれだ。 ~糞尿は肥料として万民を養うが、屁というのは放屁した本人がしばし腹がすっきりだけでなんの役にも立たず、 音すれど、太鼓や鼓のように傾聴するもんでもないし、 匂いはすれど伽羅麝香(きゃらじゃこう)のような香として使えるわけでもない。 だが、花咲男ときたら2寸足らずの尻穴から出る屁で歌舞伎や浄瑠璃の芝居を演じ、観客を”屁威光(閉口)”させる。これは本当に”屁柄者(手柄者)“だ~ まあ、屁なぞは確かに、無益無能なものだが、 人を楽しませ、人を苦しめ、 身分によって差がある屁は奥深い世界のようでございますな。」 ~屁を放ち 尻窄まぬ 尻もあり~ 拙作 ~ 音だけは 屁負ったが 臭い別~江戸川柳 ~花嫁は 一つひっても 命がけ~江戸川柳 ~屁をひって嫁は雪隠出にくがり~ 江戸川柳 笑左衛門
2024年09月20日
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江戸いろはうた 8<と> 年寄りの冷や水 ~みずやぁ~ひゃっこいみずやぁ~ 「今日も暑いね、水売りが来てるな、冷や水でものもうじゃないか、」 江戸の町には冷たい水に砂糖を加えた一杯四文の冷や水売りがいて、大変な人気だったのですが、 「ご隠居、いけませんよ、<年寄りの冷や水>ってえ 俗諺がるじゃねえですか、 岡場所も、富士山詣も、大酒大食い大会も駄目、 町内のことに出しゃばっても駄目でございますよ、 ~老いの木登り~ ~年寄りと釘頭は引っ込むがよし~ 町内の者はみんなそういってますよ、」 「ちぇっ、面白かねえ、けどよ、彦五郎、 ~年寄りと紙袋は入れねば立たぬ~なんて俗諺もあるよ、 腹に食いものを詰めなきゃ年寄りは動かねえってことよ、 そう年寄り扱いばかりするんじゃねえよ、 跡継ぎに家督を譲って、隠居願を出して50過ぎに隠居する武士もいるが、お城勤めにも、奉行所にも、70歳、80歳、いや90歳過ぎてお役人を務めてる旗本はいくらでもいるじゃねえか、 お武家様だけじゃねえぞ、 百姓だって、60歳になれば隠居組に入るが、 なに、それから村の百姓代や長老として相談役であり、助言役であり、村の書き役も兼ね、村祭りを仕切り、領主との交渉も任されておるのだ、 ~年寄りの冷や水~などと云われながらも頼りにされてるぞ、 村の大事の決定役でもあり、村人に小言もいいながら、死ぬまで村の大役を果たすのだぞ、」 「ですがねご隠居 ~年寄りの達者春の雪 ~なんて俗諺もございましてね、 春の雪が消えやすいように、年寄りの元気さも長続きはしませんや、 なにしろ、棺桶に半分足を突っ込んでるようなもんですからね、」 「だが彦五郎、徳川御三家の常陸水戸藩の第2代藩主徳川光圀様、そうよあの水戸黄門様をみてごらんよ、 62歳で隠居し、隠居所の西山荘を建てて隠棲したが、 それからも、田畑を耕し、年貢も治めたというのだ。 また、五代将軍徳川綱吉が天下の悪法の<生類憐みの令>を発布するや、将軍に直接苦言をし、嫌みなことに、将軍に犬の毛皮を送り付けたというじゃないか、 それだけじゃない、光圀が江戸に上った時、 重臣の藤井紋太夫を楽屋で刺し殺す事件まで起こしている。 紋太夫の高慢な態度に堪忍袋の緒が切れたのか、光圀の失脚を企んでいたためか、真相ははっきりせぬが、まだまだ武士の矜持を持ってる 生命力溢れていた爺さんじゃないか、 まっ、その 所為(せい)で、将軍家からはうるさい爺だと疎まれていたようだがな」 「好々爺の水戸黄門様も、子供のころからやんちゃで、元服前から遊郭へ通ったり、刀の切れ味を試すため辻斬りをしたこともあったほどだといわれてますね、」 「まあ、水戸黄門様は若い時も年取ってからも元気だからのう、 水戸の黄門様などと煽てられ、 ~おせっかい焼きのただの隠居爺ですぞ~ などと下手にでてから、 ~この紋所が目にに入らぬか~ と、平伏させ、~天下の副将軍、水戸光圀様であらせられるぞ~ と、本性を現し、事件を解決しながら行脚したそうだがな、 <年寄りの冷や水>どころか<年寄り達者物語>じゃな、 ~井戸水で 体清めて 左様なら~拙作 ご隠居も水浴びには十分ご注意を ~年寄りにゃ 冷や水でなく 熱燗を~拙作 某、体のために熱燗を水代わりにすることにいたすぞ、 笑左衛門
2024年09月25日
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江戸いろはかるた <よ> 葦の髄から天井を覗く 「葦(よしず)の髄(ずい)から天井を覗く、てえことは、 葦の茎の細い穴を通して天井を見たところで、すべてを見渡すことはできはしねえってことよ、 大家の権兵衛みてえに、狭い見識を棚に上げて、 やれ徳川幕府の終わりは近いとか、 京の都では長州が勝(まさ)ってるとか、 黒船がやってくるとか、さんざん店の者に蘊蓄(うんちく)を垂れ、 挙句、人の行く末の見当をつけるなんてえことは、愚の骨頂ってことでございますな、」 「したり顔の大家の権兵衛も悪い人じゃねえんですがね、」 「もう少し見識を深めてから、意見すればよかろうに、 いかんせん覗いてる穴がせますぎるわな、」 「ですがね、ご隠居、夏の暑い日に鶯谷あたりの 小ざっぱりした竹柵の小さな隙間から 小粋な家の庭をのぞき見しますてえとね、お妾さんでしょうかね、 芸者上がりの粋な姐さんが盥(たらい)に身を沈めて、 行水する姿なんぞは、そりゃあ色っぽくてよく見えるんでございますがねえ、」「こらこら、彦五郎、北町奉行の遠山金四郎様は 性犯罪に容赦はねえぞ、 湯屋の女風呂覗いて江戸払いになった者もおるぐらいだ。」 「おおこわっ、竹輪の穴から隣のかみさんのおよねさんお 寝姿を覗くくらいなら岡っ引きも目を瞑ってくれますかね、」「葦の髄から天井を覗くの諺の俗諺は随分転がってるぞ、 それだけ、狭い見聞で大きな問題を論じる御仁が多いってことでございましょうか、 ~管を以て天を窺う~ ~針の穴から天を覗く~ ~火吹竹から天を見る~ どうも狭いところから覗くのが好きなようで、、 ~貝殻で海を量る~ したり顔で、この貝殻なら海は広いなと見当をつけたりして、 ~井の中の蛙大海を知らず~ なんて諺も意味は似ておりますな。 ~かあちゃんの 湯文字の中に 親父いる~拙作 ~竹穴の 向こうに見える 裏長屋~拙作 ~江戸城が 小さく見える けつの穴~拙作 笑左衛門
2024年11月05日
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江戸いろはかるた<つ> 月とすっぽん/月夜に釜を抜かれる「空に浮かぶ月と泥の中にいるすっぽんじゃあ、比べ物にもなりません、まさに雲泥の差とでも申しましょうか、徳川将軍様と裏長屋の伝助爺さんでございましょうかね、」「北町奉行遠山金四郎様と南町奉行鳥居耀蔵様の違いどころじゃありませんね、 博徒のくせに御用を預かる街の壁蝨の十手持ち、すっぽんの黒熊の親分がすっぽんなら、町人の味方義理と人情の神田明神下の銭形平次親分がお月様でございますね、」 「でもご隠居、すっぽんは一旦噛みついたら死ぬまで離さねえって言われてますぜ、黒熊の親分も下手人を捕縛したら、二度と離さねえ御用聞きでございますよ、」 「相手が本当の悪人なrそれもいいが、まっとうな商人や堅気の衆が噛みつかれたらたまったもんじゃねえよ、 いいかい、彦五郎、耳を澄まして聞くんだぞ、 泥亀が池に飛び込んだ時の音が ~すっぽんっ~て言ううんだ、すっぽんの黒熊親分なてえのも所詮は泥亀よ、、」 「ところでご隠居、もう一つの、月夜に釜を抜かれるとは、月夜の晩にかみさんを寝取られるってえことですかい?」「まあそれもあるだろうが、綺麗な月夜を見ている間に、釜(だいじなもの)を盗まれるってことだな、 油断大敵、鳶に油揚げをさらわれるってところかな、」「月夜ってえのはなかなか油断ならねえ奴でございますな、」「そうよ、彦五郎みてえに、月夜に誘われ、飲み遊び 浮かれてる者を月夜鳥(つきよからす)っていううんだ、 気を着けな、」「へいっ、月夜に提灯(無駄なこと)にならねえように いたしやす、」 ~ 名月や 池をめぐりて 夜もすがら ~ 芭蕉 ~名月を 取ってくれろと 泣く子かな ~ 一茶 ~女房はすっぽん女郎はお月さま~ 江戸川柳 ~おまえさん すっぽんぽんだよ お月様~拙作 笑左衛門
2024年11月25日
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煤払い ~すすたけぇ~ 煤竹の荷い売りの声が江戸の町に響き、町々の木戸番の番太郎の店でも焼き芋と煤竹を並べて売っている。 12月13日は将軍家御奥の煤払いすなわち大掃除の日であり、それに倣って、江戸の町のどの家も煤払いの大掃除をしない家はないので、誰も彼もが煤払いに駆り出され、お手伝いが終われば、祝儀を頂き、酒肴の振る舞いに満腹になるのだった。江戸の年末の行事の中でも忙しくて楽しい日であった。 餅搗き(もちつき) 正月の餅は諸侯旗本などの武家や、寺社、豪商などでは 屋敷内で奉公人と餅を搗くが、 江戸の町屋では、釜、蒸篭、臼、杵、の餅つき道具を持ち歩く、餅つき屋に頼んで家の前で餅をついてもらうのを引きずり餅といった。 年も迫れば、明け方まで威勢のいい餅つきの音が響き、 ああ、正月がもうすぐだという気分にもなる 江戸の師走の風景であつた。 だが、誰もが引きずり餅を頼めるわけでもなく、 菓子屋に餅をついて貰うのを賃餅というが、 菓子屋も正月の菓子を作るので忙しいの、なかなか引き受けてもらうのも大変なようで、 そうなると、あちこちで開かれている 「歳の市」で買い求めることになるのだった。それでも、手に入らぬ貧乏人の店人には大家が餅を配ってくれるのが江戸の人情というものである。 除夜の鐘 さてさて、大晦日になったぞい、 神社にでも行って、来年の願い事でもしてくるか、 おいおい、除夜の鐘はな、願い事に行くんじゃなくて、 108個も抱えてる煩悩を消しにいくのじゃ、 笑左衛門
2024年12月30日
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穏やかな隠居の正月 隠居暮らしも三年も過ぎれば、尋ねくる人も少なくのんびり 独り本など読んで静かな正月になる さみしくなんかねえぞ!、一人酒飲む正月 人生いろいろ 女も色々 浮気男を振ってはみたが、ちょいと淋しい独り酒 江戸の町じゃ、女一人に男二人、 おとこなんて、江戸の町じゃ捨てるほどいるわいな、 姫はじめ さて、おとみ、姫はじめといこうじゃないか、 はて、おかみさんに叱られちゃいますよ、うっふん、、 正月くらいは許してくれるだろうよ、、 あらまあ、不義密通の姫はじめ 今年も描きます 味で勝負のへた絵ですが、 笑左衛門
2025年01月05日
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江戸 いろはかるた <え> 得手に帆を揚ぐ (えてにほをあぐ) 「江戸湊には、諸国から来た帆舟(ほせん)が 何艘も浮かんでますね、江戸は江の入口、海の玄関ですからね、 品川あたりから沖を見れば、帆を張った帆船が幾つも浮かび、 その周りを和船が行ったり来たり忙しそうに動いているさ、」 「帆舟は風の吹くのを待ってるんですかい?」 「そういう船もあるだろうがね、 大阪からは菱垣廻船、酒樽を運ぶ樽廻船などの大型の帆舟で荷を運んでくるんだが、大きな船じゃ、江戸の掘割を走れねえから、 沖合で、小型の船に積み替えてるんだよ、 積み替えられた荷が魚河岸、米河岸、大根河岸、材木河岸、 塩河岸、などの86か所の河岸へ運ばれて荷揚げされてるんだ。 だから、ほれ、船の出入りで湊は忙しそうだろう、」「ご隠居、帆舟は風が吹かなきゃ動けませんよね、」「だからね、風が吹きだしたら、その絶好の機会を逃さずに帆を張って、海上を航行するのが肝心要なんだよ、 時を失うべからず、今が好機だってえ具合にね、 得手に帆を揚げるとはまあそういうことだよ。 似たような諺に<順風満帆> <追風(おいて)に帆を上げる> 何てえのもあるがね、」「ご隠居あっしなんかはね、同じ帆舟ならば ~舟は帆任せ、帆は風任せ~ ~船は帆でもつ、帆は船でもつ~ お気軽そうで、楽しそうで、あっしの舟は風任せでございますよ。」「おいおい、帆舟は遊船じゃありませんよ、」 ~帆をあげず いつまでもいる 嫌な客~ 拙作 ~帆も張れぬ さっさとお帰り 銭不足~ 拙作 ~順風満帆 そんな時代もあったのに~拙作 ~帆はねえさ 櫓を漕ぐ掉さす 江戸の舟~拙作 笑左衛門
2025年03月26日
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忍草外伝 翁と忍犬 13 ~十両とお狐さんと にらめっこ~ 神田時雨町の源平店の端にはお稲荷さんが祀ってあった。 そのお稲荷さんの御前には毎朝油揚げが置かれていた。 表店のコンコン豆腐の亭主伍平が供物として置いていくのだった。 <お狐様、今日も無事で商いできますように、ぱんぱんっ!> 伍平はもともと源平店で母親の面倒を見ながら、 小網町の老舗の豆腐屋笹雪の手代として奉公していたのだった。 奉公してた頃にも、 <おっかあのことよろしく頼みます、だぱんぱん> と、笹雪の残り物の油揚げをお稲荷さんに寄進していた。 ある日の朝、いつものように、油揚げをお稲荷さんの前に置こうとしたら、なんと、十両の入った胴巻きがお稲荷さんの前に置かれていた。 気弱で正直者の伍平はびっくり仰天、町内の自身番に届けようとしたが、 <こりゃ、この銭は母親思いで、正直者の伍平にあげるのだ、 大家や番所に届ける銭ではないんだ、伍平のために使うのだよ、> 洞の中からお狐様の声がたしかに聞こえたのだ。 伍平はお狐様から頂いた十両の銭で表店に コンコン豆腐の店を開いたのだった。 正直者の伍平の作る豆腐は味が濃く大豆が生きていて、 今にも崩れそうに柔らかいが、箸でつまむことができ、口の中に入れると舌の上でとろけてしまう美味だと、時雨町ではコンコン狐豆腐の評判がすこぶるよかったのだ。 伍平はお狐様への義理を忘れるようなことはなく、 毎朝、お稲荷さんの掃除をし、できたての油揚げを三枚お稲荷さんに献上しているのだった。 源平店の者は夜の明けぬうちにコンコン豆腐の伍平が 熱々の油揚げ三枚を毎日寄進することは知っていて、 誰というわけでもなく、順番に油揚げのご相伴に預かっていたのだった。 その日はおきぬが油揚げを貰える番だったので、 明け六つ前の朝にお稲荷さんの前に来てみると、 湯気の立っていた油揚げの前に、十両の入った麻袋が置かれていたのだった。 <あら、どうしよう、ねこばばしちゃおうかしら、 伝助親分に知れたら、打ち首かしら、> 邪(よこしま)な心もちも刹那浮かんだが <いけないわ、そうだ、大家さんに渡して長屋を救ってもらおう!> おきぬはお狐様にぽんぽんと手を叩いてお辞儀をした。 「貧乏人にお稲荷様からのご進物です」 おきぬは猫糞などせず、銭の入った麻袋を大家の源平に届けた。 <狐か狸のいたづらか。それとも鼠小僧か?> <どっちだって、かまいやしない、ここりゃあ、ありがたや ありがたや、棚から牡丹餅、瓢箪から駒だ> 大家の源平は天にも昇る有頂天、 <この銭で、源平長屋は救われる!万歳万歳!> 一両は4000文、10両は40000文という庶民にとっては 目ん玉の飛び出るような大金だったのである。 大家の源平は店者が溜めていた家賃をすべて、 地主の権蔵に届け、残った銭を長屋の者みんなに配ったのだった。 その日夜遅くまで、源平長屋では宴が開かれ、上や下への大騒ぎだったということだ。 おきぬには、小次郎が銭袋を置いたのではないかという勘働きがしていた。 <小次郎がが長屋に来てからいいことばかりおこってるわ> 源平長屋にも春がやってきたようだった。 <長屋の皆の衆、銭は天下の回りものだろう。> <てやんでい、その銭は小次郎様が届けたんだよ!> てなわけで、何とか源平店はつぶされずに済んだのだ。 まあ、よかった、よかった、目出てえな、、 <銭は使い方で善にも悪にもなるものだ> 長屋の屋根には朱をこぼしたような 真っかな夕焼けがあたり、 おきぬの頬を照らし、屋根を突き抜けて 長屋のみんなを温めているようでもあった。 つづく 朽木一空
2025年06月22日
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忍草 外伝 忍犬物語 追記 ~夕暮れに 犬の涙か 江戸の町~ 犬公方と呼ばれた五代将軍徳川綱吉様の 生類憐みの令は天下の悪法と云われているが、 猫には悪いが、犬にとっちゃ、お犬様と崇められて悪い気はしない、 有難い御法だったのさ、 あれから、はや150年の月日が過ぎ、徳川も12代将軍家慶様になりましたが、 綱吉様以来、犬は人に食されることもなくなり、 人間とは相棒として仲良く暮らすことができているのございます。 友として、番犬として、猟犬として、大奥などではお犬様待遇の愛玩犬としてして暮らしているのです。 <大奥の犬なんぞは犬の恥だ!> 犬に対する暴挙は減ってはいるが、相変わらず、石をぶつけたり、 店の小僧に箒で払われたりもしていた。 <犬には犬の矜持ってものがあるんだよ!> 江戸の町じゃ、飼い主のいない野良犬がほとんどで、 お稲荷様に置かれたお稲荷さんは食べるし、寺の墓前のお供え物は 仏様のお下がりだと、団子もおにぎりもは食うし、 悪い犬は酒も飲んでしまうという有様だ。 <なに、犬が食わなきゃ鴉かネコか鼬に食われちまうだけだ> 寺の坊主も墓石までぺろぺろ舐めて墓石が綺麗になるので、 目を瞑ってくれていた。 だが、江戸の夜は闇であり、夜目のきかない 人間は夜道では野良犬を極端に怖がっていたので、 夜の江戸では犬は嫌われ者であったのだ。 辻斬り、試し斬り、酔っ払い、痴漢らの 人の悪行の方がよっぽど多いのにである。 お犬様に、犬侍だ、ワン公だなどと、蔑むんではなりませぬぞ。 火付け盗賊改方の鬼平なんぞは、密偵になれという時に、 狗(いぬ)になれなどと犬を侮辱しおって、けしからぬ御仁だ。 今は犬と人間は信頼しあい、感謝しあって平等、共生しているのでござる。 犬の忠義、可愛さ、治癒力によって、助かった御仁も 枚挙にいとまがないのでござりまする。 忍犬もまたその中の一人だったのかもしれませんな。 <てやんでぃ、犬に論語か> 忍犬追記 朽木一空
2025年07月13日
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左衛門残日録 102命の始末 人生の始末は自分でつけたいものだ、 笑って暮らして迷惑かけずに死ねればそれでいいなどと、 達観したようなことをほざいてはみたものの、 日増しに身体のあちこちが軋み不具合が出てくる、 重たい、かったるい、すぐに疲れる、 記憶力も判断力も鈍ってくる、 少しづつ死の淵に近づいてゆくのが解る。 年を重ねるということはそういうことなのだ。 ~人間五十年 下天のうちをくらぶれば 夢幻の如くなり~ まあ、江戸人は凡そ五十年というところが人生の相場なのだ。 還暦の六十を過ぎ、生にしがみつくつもりもない筈なのだが、 ふと、淋しくなる、悲しくなる、涙が毀れたりする。 誰でも死ぬのだ、死なずに生きてきた人に出会ったことはない。 覚悟を決めろ!さすれば。楽になろうよ、 「毎日なにをしておるのでございますか、暇を潰しているだけではないのですか、! ご隠居とは随分といい身分ですな、」 「お主、暇を潰すのが、どれほど憂鬱なのか知らぬのか」 「ご隠居、それは贅沢病ではあるまいか」 「若造にはわかるまいが、暇つぶしは贅沢ではない、懊悩煩悶の日々なのじゃ、 死にそびれた秋の蚊が死ぬこともできずにうろうろしているだけなのじゃぞ、 哀れ蚊と呼ばれて生を晒している、お主にできるかな」 「そうでござっかか、大儀でございまする、 恐悦至極にござりました」 ~おいぼれが 死に方を問う 箕輪土手 桜花散り 崩れゆく雲 ~ 笑左衛門
2025年08月27日
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笑左衛門残日録 98 秋の憂いの隠居 その五 口はばったかいことを言うつもりもねえが、 ご隠居、いつまで生きるつもりでぃ、、 ううむ、隠居して、もうこの先の人生は祭りのおまけだとさばさばしていたつもりであったのだが、、、 死ぬるということが悲しくなることもなるし、 生きてく未練というものふつふつと湧いてもくるのだ。 終曲短歌にて候~手を取って 相対死にが 羨まし 女人もみえず 一人で死ぬるか~~よかったか 面白かったか 死ぬ間際 生きた意味さえ 知らず散る~笑左衛門
2025年09月14日
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天保の師走歳の市 ~なけなしの 銭を握って 歳の市~ ~歳の市 縁起だるまと にらめっこ~ ~縁起物 人ごみもまれ 歳の市~ 「何もしねえでも暦はめ繰られ年の暮れはやってきて、 向こうから正月がやってきやがる、」 「浮の助、煤払い(大掃除)が終わって、すっきりすれば、 いざ師走だ!江戸の町は忙しいぞ、」 ~来たわいなァぁ、門松門売りに~ご調宝大小柱ごよみ、綴ごよみ~の暦売りの呼び声、いろんな物売りの呼び声がせめぎあうのが江戸の師走の町だ、 神棚にお供えするお神酒徳利の口飾りを売る行商人に古いお札を集めて歩く「札納め」も暮れの風物詩だね、 物売りも借金取りたても一年の締めくくり、勝負の時だ怠けちゃおれない。 それに年の瀬になると角付も色々やってくる。 手に太鼓やササラ(竹製の楽器)、拍子木を持ち鳴らしまくって、 ~節季候、節季候、めでたい、めでたい~節季ぞろぞろ、さっさござれや、さっさござれや~ などと門の前で囃し立てる。正月準備で忙しくてもお構いなし、投銭(ぜに)を貰うまでは帰らない。 仕方ねえから米か銭を与えてさっさっと追っ払っちまうしかない。 門付けの呼び声が聞こえたら、ああ、正月ももうすぐだと感じるのだから こんな風景も江戸の年の瀬の風物詩になっている。 「ご隠居、歳の市へ足を運びませんか?掘り出し物がありますぜ、」「そうよな、江戸歳の市は、14、15日が深川八幡境内、17、18日が浅草観音境内、20、21日が神田明神境内、22、23日が芝神明境内、24日が芝愛宕神社下、26日が麹町平川天神境内、25日~30日が薬研堀不動尊の納めの歳の市だ、 そのほかにもあちこちの神社仏閣で歳の市は開かれているがね、」 「ところで、浮の助は歳の市で何を買おうってんだい、」 「へえ、まな板に米櫃、若水を汲む桶ってところですかねえ、」 「歳の市にいけば何でも並んでるからな、」 江戸の町の暮の歳の市はどこもたくさんの人で賑わう、 深川や浅草の市じゃ、人人人で、まるで芋洗い状態、群衆夥しく歩くのもままならぬほどだ。 鴨を探してる<掏り>の餌食になって毎年泣く人がいる、気を付けなきゃあぶねえよ。 歳の市じゃ、注連(しめれん)飾りのしめ飾りに三方、神棚の宮桶類だけじゃねえ、 餅台、羽子板、凧、毬、などや縁起物や 餅、海老、昆布、鯛、鰹節などの食べ物、 まな板、柄杓、手桶、笊、包丁などの台所の什器、 さらには、着るものや、植木まで生活雑貨なんでも売られてる。 そりゃあ、にぎやかなんてもんじゃない、 なんてったって歳の市、納めの市だから、売る方も買う方も気合の入り方が違うから、威勢のいい売り声が飛び交い客も目の色を変えて品定めをする。 売り子も普段とは全く別の顔をしていて、客の方もつられて浮き浮きし、つい 巾着の紐も緩むというもんだ。 「さあて、どこの歳の市に参りましょうかね、 もたもたしてると、正月が来ちまいますよ」 笑左衛門
2025年12月28日
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お江戸ぶらぶら 新宿百人町、忍者の暮らす町「ところで、彦五郎、内藤新宿に百人町ってえ町があるのを知ってるけえ、、」「百人町ですか、きれいどころの芸者が百人揃ってるんですかい?」「そうじゃあねえんだ、徳川家康公が江戸に幕府を開いた時、内藤新宿の名にもなった内藤清成が鉄砲隊を率いて江戸入りの先陣を務めたそうだ。 その、内藤清成が率いていた伊賀組鉄砲百人組同心の屋敷、「大久保百大繩屋敷」(拝領された敷地)があった場所なので、百人町と呼ぶんだよ、(現在の新宿百人町) 百人組組屋敷の敷地は間口10間(18メートル)に対し、奥行きが200間(360メートル)と南北に細長い敷地なんだ、敷地の中には組屋敷はもちろん、鉄砲の射撃場もあるんだ。 耳を澄まして聞いてみな、ばあぁん、ばあぁんと鉄砲の音が聴こえてこねえかい。銃や火器の扱いに慣れた忍の衆による実戦部隊が行われてるんだ。 その、百人組と呼ばれた鉄砲組百人隊は江戸城の将軍直轄の軍団で、その鉄砲術は抜群の腕前を誇っているのじゃ。 伊賀百人組と呼ばれているように、彼らはそもそも「伊賀忍者」たちだったのじゃよ、伊賀町という伊賀者が住む組屋敷も四谷にはあるんだよ、そうよ、この町には、伊賀の忍者が住んでいるのよ、気をつけろ、」「へええ、ですが、もう戦さ何ぞありませんがね、忍者がまだこのお江戸にいて、やることがあるんですかい?」「儂もそう思うがな、、よしっ、四谷御門の方へ足を延ばそう、」 甲州街道に沿って、外堀内の番町には旗本屋敷があり、その外側には百人組の組屋敷が作られ江戸の守りを固めていた。「では、百人町にある皆中神社でもお参りしようか」「また、神社ですかご隠居、」 「百人町の皆中(かいちゅう)神社はな、皆中(かいちゅう)、すなわち、~みなあたる~という意味じなんじゃ。鉄砲百人組の1人がこの皆中稲荷に参拝したところ射撃が上達し、百発百中の腕前になったということじゃ、で、儂もな、ご利益がありますように祈るのだ、、、」「ご隠居、まさかこの百発百中の神社にお参りして、子作りするつもりじゃあないでしょうね」「ふっふっふぅ、だがな、彦五郎よ、世の中てっえのは、いつまでもいいことが続くわけじゃなえんだ。 家康公が幕府を開いて以来、すでに二百年が過ぎ、その間、戦もなくなり、泰平の世となった江戸では、鉄砲や戦闘など武力を使う仕事もなくなり、時間を持て余す、貧乏な武士が増えたのだよ、」 とはいえ武士は武士、「武士は喰わねど高楊枝」と言われるくらい気位が高く、武士としてのそれなりの体裁を整えなくてはならず、そのためには銭が必要で、下級武士のほとんどが、借金をしてやり繰りしていて、あとは、内職をして食い扶持を補っているのだよ。 百人組っていうのは、内藤新宿の二十五騎組の他にも、大久保に伊賀組、青山に甲賀組、市谷に根来組、と、江戸には四組があり、その百人組もみな内職をしていた。 甲賀組は青山で傘張りの内職をし、根来組は牛込で提灯を作り、伊賀百人組は千駄ヶ谷の組屋敷で鈴虫やコオロギの養殖や虫カゴ作りを内職にしていた。 ここ、内藤新宿の組屋敷では、鉄砲百人組の二十五騎組が組屋敷の庭や垣根でツツジを栽培していて、花の盛りともなれば武家の奥方から庶民まで多勢の見物客が押し寄せるほどの人気で、いい内職になっていた。 祖先が忍者だからかが、みな卓越した技術を持っていて、どの組の内職も評価が高かいのだよ。 それにしても、あの黒装束の忍者がねえ、傘張や、虫の養殖、ツツジの栽培で食い扶持を得なければならないとは、、忍者もつらいですなあ、、 ご隠居の内職は 子作りでございますか? 笑左衛門
2020年12月19日
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江戸いろはうた 4<に> 憎まれっ子世にはばかる 1 「この俗諺(ぞくげん)の頭はなんといっても、 旗本奴の水野十郎左衛門でございましょうね、 旗本の次男三男の不平不満分子を手下にした大小神祇組を率いて、 大仰な髪形にビロード襟のはでな着物、髪を大なでつけにした大髷に 大鍔(おおつば)に無反(むそり)の長刀を閂差(かんぬきざ)しにして、手足を振り上げて江戸の町を闊歩(かっぽ)してた、 豪放磊落な傾奇者でしたねえ、 真夏に綿入れを着て<寒い寒い>と火桶を抱え、 寒中に帷子(裏地のない着物)一枚で<暑い暑い>と扇子を使う天邪鬼ぶりをみせて度肝をぬかし、旗本という特権を笠に着て傍若無人の振る舞いで江戸の町を我が物顔でのし歩くだけならまだしも、 遊廓を根城として、博奕、喧嘩、辻斬りなどの狼藉を働いていて、 奉行所の同心も手出しができなかったてえひでえ話でございましたねえ、 それだけじゃねえ、町人の間からも旗本奴ばかりに好き放題はやらせねえ、と、町奴と呼ばれた愚連隊もいましたねえ、 暴虐行為の旗本奴に対抗し庶民の町人の味方として、 <弱きを扶(たす)け強きを挫(くじ)く>の仁侠だと嘯いていた。 侠気をもって江戸市中に勢力を張った遊侠の徒男伊達などと 江戸庶民から煽てられ、華美異装な服装で市中を横行した幡随院長兵衛や唐犬権兵衛らが親分でしたね、 そんな輩が、世にはばかるのもていげいにしてほしかったですね、」 「だが、幡随院長兵衛は水野十郎左衛門のだまし討ちされちまうし、 旗本奴の首領の水野十郎左衛門も若年寄の土屋数直によって、切腹させられ、子分どもの旗本奴200人余も捕らえて処罰されちまって、ここのところ、江戸もだいぶ静かになったじゃねえか、」 「そうでござんすが、それでも悪の方が蔓延ってるようで、 旗本奴や町奴を真似た愚連隊がまだまだ江戸の町には のさばってるようですぜ、」 「彦五郎、憎まれっ子ってえのはな、子がつくんだから子供のことよ、 つまり、すばしっこくて、意地悪いくらいの方が 出世し、成功するって戒めのようだぜ、」 「道理でご隠居、あっしなんぞは誠実一筋、 裏も表もねえ正直者なので、出世しねえわけでござんすね。」 ~いい子いい子じゃ 出世は出来ぬ 憎まれてこそ 男道~拙作 ~世渡りは いい子だけでは つとまらねえ 夢も出世も ありゃしねえ~ 拙作~わんざくれ ふんぞるべいか 今日ばかり あすは烏が かつかじるべい~ 水野十郎左衛門辞世の歌、 注 わんざくれとは退屈しのぎの戯れの意、 終いまで憎まれっ子ではばかっておりましたようで つづく 笑左衛門
2024年09月05日
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江戸いろはかるた<ね> 念には念を入れよ「用心の上に用心を重ねよということなら、誰を置いても、徳川家康公でございましょうな、 何しろ、石橋を叩いてもなお渡らず、というくらいですからね、」「家康公はな、竹千代と呼ばれた幼少の頃は織田家、今川家で人質として預けられ、岡崎城に戻れたのは19歳の時だったそうで、若い時の難儀続きで辛抱強くなったといわれておるな、 戦国の世で、今川義元、武田信玄、織田信長、豊臣秀吉ら、戦国武将の生き死にや失敗を糧に教訓を得たのであろうな、 元来短気だった性格もすこぶる用心深くなったのだそうだ。 信長 秀吉 家康の戦国三英傑の歌によく性格がよく表れている詩があるぞ、 ~鳴かぬなら殺してしまえ ホトトギス 信長~ ~鳴かぬなら泣かせてみよう ホトトギス 秀吉~ ~鳴かぬなら 泣くまで待とうホトトギス 家康~ 家康は、我慢、忍耐の人だということがよくわかる、~徳川家康は、将軍就任僅か二年で1605年に将軍職を3男の徳川秀忠に譲り、駿府に隠居した裏にも家康の用心深い策略があったのだ。 大御所として実権を握り続け、1615年大坂の陣で徳川を脅かす豊臣氏を滅ぼし、江戸城には将軍秀忠を置き、 家康は江戸幕府開府後も西国の大名に対し政治権力を維持するためには大阪、京都から江戸へ上る途中にある駿府城はにらみを利かせるのに都合がよく、その駿府城を大改修して大御所として居座り江戸との二頭政治を行ったのだ。 戦国の世は何が起きるかわからぬ、万が一家康自身が討たれることになっても秀忠が生きていれば徳川家は安心でき、もし江戸で将軍秀忠に不測の事件が起きても駿府城には家康が構えている。 まさに、転ばぬ先の杖じゃな、 家康の用心深さ、念には念を入れろの教訓が生かされているな、」「ご隠居、臆病な家康公は江戸城に抜け道まで作ったとかいううわさ話も聞きましたがね、」 「どうやらその噂も本当らしいな、 江戸城から半蔵門に抜ける抜け道があり、 いざという時には甲府城へ逃げられるように 甲州道の脇を徳川の親藩や旗本で固めておる、 八王子千人隊もいざという時の役に立つように配置したのじゃそうだ」「なるほど、そこまで慎重な家康様は珍しいほどの75歳までの長生きでございましたが、病にも用心深かったのですかね、」「そうだね、家康は健康には人一番気を使っていたのだ、 栄養にも配慮し、食事にも気を使っていたそうじやな、 医術にも深く精通していた家康は、自ら調合した 薬や精力剤を飲んでいたそうだからな、医者も顔負けだったそうだ。 家康は患った際にも、医者の見立てだけでなく、 自分で調薬して病気を治していたそうだからな、」「ご隠居も自ら薬を調合した薬を作れば、長生きできますよ、 どくだみ草、いたどり、よもぎ、たんぽぽ、おおばこ、 大川端で摘まんでまいりましょうか、」「だがな、彦五郎、長生きしたとて、必ずしもいいことばかりではなかったようだぞ、 徳川家康公の残した名言はいかにも家康らしいものがあるぞ、 ~人の一生は、重荷を負うて遠き道を行くが如し~ ~急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし~ ~心に望みおこらば困窮したる時を思い出すべし 及ばざるは過ぎたるよりまされり。~ ~不自由を、常と思えば、不足なし~ ~堪忍は無事長久の基 怒りは敵と思え~ ~及ばざるは過たるより勝れり~ ~得意絶頂の時こそ隙ができることを知れ~ ~戦では強い者が勝つ、辛抱の強い者が~んんん、、勉強になったわい、、 笑左衛門
2024年11月30日
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江戸いろはかるた<の> 喉元過ぎれば熱さを忘れる 「あっちっち、 ごっくんと、熱燗を呑んでも、喉元あたりを過ぎちまえば、 熱さ忘れてもう一杯とくる、 まあ忘れやすい呑兵衛のことでしょうか、 それとも、髪結いで剃刀(かみそり)がのど元過ぎてほっとしてる威張り腐った奉行所の与力様の心境でしょうかね、よっぽど恨みを買っていたんでしょうかね。」「まあそいう御仁もおるだろうがな、 喉元過ぎれば熱さを忘れるとは、苦しいことも過ぎてしまえば、その苦しさを忘れてしまうってえことだな、 厠で唸って唸って糞を絞り出してすっきりすりゃぁ、 踏ん張った苦しみもすっ飛んじまうってところかな、」「じゃあ、かかあが赤子ひねり出した時とおんなじでござんすね、 ご隠居、あっしもね、 江戸に迷い込んだ頃には苦労なんてもんじゃない、 寝るところもない、腹の皮が背中にくっつくほど腹を空かし、 おまけに、岡っ引きには虐められる、 そんな苦労の時もありましたが、さるお方に 拾われて助かりましたが、 このごろじゃあ、そんな恩義も忘れてしまってましたよ」「受けた恩を忘れちゃならねえよ、 義理も廃ればこの世は闇よなんて歌まであるくらいだ。」 「喉の野郎によくいいかせておきやすよ、」 ~暑さ忘れて陰忘る~ ~雨晴れて笠を忘る~ ~病治りて薬師(医者)忘れ~ なんて俚諺(りげん)もございますね、 では拙者も一句 ~熱燗も 与太話して すぐ冷める~ 拙作 ~厠では 唸ってだせば 極楽に ~ 拙作 ~店賃を 待った大家に 尻を向け~ 拙作 笑左衛門
2025年01月20日
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笑左衛門残日録101秋の憂いの隠居 その八~あら楽し思ひは晴るる身は捨つる浮き世の月にかかる雲なし~大石良雄~あの世にも粋な年増がゐるかしら~三遊亭一朝 ~宗鑑はいづこへ行くと人問はば ちと用(癰)ありてあの世へといえ~山崎宗鑑 ~この世をばどりゃお暇せん香の 煙とともに灰さようなら~十返舎一九 ~盥(たらい)から 盥へうつる ちんぷんかん~小林一茶こんなひょうきんな辞世の短歌を詠む心境で死にたいもんですね、 臨終短歌を詠みまする ~土左衛門 なにがおかしくて ぶよぶよ白く 苦楽も水に 流して浮かぶ ~ ~仕方ねえ 産まれたことは 恨まねえ 己でちゃんと 命の始末 ~ 残日録の引き際もあとわずかになりて候 笑左衛門
2025年09月24日
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忍草 (しのぶくさ)26-13 ~江戸の町 忍草を摘む 江戸幕府 潜む長屋は 八百八町 ~ 白蛇に抱かれた奉行 4奉行の心にゃ鬼が住み、貧乏長屋に蛇が住む、 忍草もついでにかくれんぼ、てやんでぃ、瓢箪がでいじょうぶだとおどけてるよ、 商店の裏には狭い路地を挟んで、石置き屋根のいくらか傾いでいる裏長屋があった。 世間ではでかい白蛇が住んでいるので蛇抜け長屋と蔑んで気味悪がっていた。鳥居耀蔵は、汚らしいものを見るような目付きで蛇惚長屋をを遠目で覗き見した。 手足が異常に長く頭のでかい異形な老人を見ると、一瞬躊躇った。 このような世界があったのか?自分の生きる世とは雲泥の差だった。「お主が木戸番か?お前の姿は随分と異形で、滑稽を通り越して見苦しいぞ!怪しい者よなぁ」 きっと、鳥居耀三の蝮の目が睨みつけると、 木戸番の蜘蛛左はさっと身を翻すと長屋の屋根に跳んだ。すばしこい猿のような動きだった。 それを見た鳥居耀三はますますこの蛇惚長屋が胡散臭く見えてきた。「ええいっ!この長屋、怪しい臭いがぷんぷん臭うぞ、構わぬ、それ、探索始め! 逆らう者には縄を打て!」岡っ引き、下っ引き、柄の悪い小者が一斉に長屋の中へなだれ込む。木戸をぶち破り、ずかずかと長屋の中に入る。六畳一間分しかない長屋では隠れる所もあるはずもなかった。「なんでぇ、なんでぇ、取締だってぇ、見たままの長屋だよ、隠れる所なんかありゃぁしねえよ」「黙れ下郎が!お上に逆らうのか!」「すっとこどっこい、ご改革だかなんだか知らねえが、 贅沢してるのはどっちでぃ、手前なんざ、兎に蹴られて死んじまえぃ!」 どたばたには、慣れっこの長屋の住民も黙っちゃいなかった。 岡っ引きの権六が目くじらを立てた時、「どぎゃあぁ!」という悲鳴が聞こえた。 さっきまで威勢の良かった柄の悪い手下の男たちが怯えて、震えている。長屋の奥の井戸の方から、六尺をこえる大きな白蛇が紅色の目を光らせながら、割れた舌をシュルッシュルッと出しながら体をくゆらし、威嚇しながら 向かってきたのだ。「お奉行様、鳥居様、ほら、あそこに大白蛇が。あっしは大抵のものには驚かねえが、あいつだけは薄気味悪い、ご勘弁を!」 大白蛇は長屋の路地を真直ぐに鳥居耀蔵たちのいる木戸の方へ這ってくる。だが、さすがは鳥居耀蔵、臆してはいない。しかと白蛇の紅色の眼を睨み付け、腰の刀の柄を握る。「狼狽えるでない、筒切りにして、煮しめにでも食ってやろう!」上段の構えから、大白蛇に刀を振り下ろうそうとしたその時、「白蛇様、いけません。こっちにおいで」娘がその白蛇に叫ぶ、すると、白蛇はさっと頭を返して、するっするっと、娘の足元まで這う、鳥居耀蔵の刃は空を切って、無残にも、どぶにかかったはめ板に突き刺さる。白蛇は絡みつくように娘の体に登り、娘の顔をぺろっと舐め、紅い眼で鳥居耀蔵を睨む。「いい子にしてないといけませんよ」と娘はその白蛇の頭を撫ぜる、白蛇は娘の胸の中でおとなしくしている。不思議な光景だった。みな、あっけにとられていた。娘は、にっこり笑い、凛とした涼しげな眼で、鳥居耀三を恐れもせずぬ軽くお辞儀をした。掃き溜めに鶴、とでもいおうか、美しい姿容をしていた。まだ若い、十五六だろうか。鳥居耀蔵はどぶの臭いに辟易しながらも、その娘から眼が離れなかった。娘の名はお蝶と云った。薬種問屋蛇惚屋の主人であり、蛇抜け長屋の家主でもある、伝蔵の娘だった。白蛇の頭を撫ぜて平然としている。こんな女は始めて見たのだった。鳥居耀三は出世のためやむなく大身大名松平家の江戸家老の娘を嫁に迎えていた。ぶすで、気が強く、わがままでやきもち焼きが強く、何かといえば「殿にご注進いたしますぞ」「いつ、破婚して帰家してもよいのだぞ、」 と、主人の鳥居耀三を脅す始末だ。出世のための辛抱だった。 鳥居耀三の奉行所の強面とは裏腹に女房には頭が上がらなかった。 老中に登りつめるための出世のための辛抱だった。 鳥居耀蔵は世間から蝮の耀三と恐れれていた。 <蝮の耀蔵と白蛇のお蝶、こいつは案外いい相性かもしれない> むらむらしてきた。下半身の蝮が首を擡げていた。お蝶が堪らなく欲しくなった。 どんな悪辣な手段を使っても、欲しいものは必ず手に入れるのが鳥居耀蔵だった。 危うし、お蝶! つづく 朽木一空
2026年05月03日
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忍草 (しのぶくさ) 26-18儚さも 悲しからずや 忍草 伊賀の野辺には 春きたりなり おっと、汚桜金四郎の巻 2 魑魅魍魎 江戸城は伏魔殿 妖怪かい?化けものかい? 老中は妖術使いでございますね、 庶民の長屋にも、貧乏神や座敷わらし、 幽霊にお化けお岩さんも現れますが、人を落とし込むような野暮な人はおりませんよ、 江戸城御用部屋の上之間で老中首座の水野忠邦は陰鬱な表情で 他の老中や下の間に控える若年寄りの顔をなぞるように眺めていた。「こやつらも、いつかは儂の寝首を掻こうと狙っていいるのであろうな、」己の昇進のために猟官運動や賄賂、謀略を目いっぱい使って老中の座に座ることができたことの裏返しで疑心暗鬼になっていたのだろうか、 将軍徳川家斉のもとで頭角を現し、文政8年に大坂城代となり、文政9年に京都所司代となって侍従・越前守に昇叙し、11年に西の丸老中となって家斉将軍の世子・徳川家慶の補佐役を務め、天保5年には本丸老中に任ぜられ、同8年に勝手御用掛を兼ねて、同10年に老中首座まで上り詰めるとんとん拍子の出世街道を歩んできた。 だが、老中となれども、大御所徳川家斉公の放漫な財政に打つ手を見出せないまま、 幕府に強い危機感を抱いていた。 十一代将軍徳川家斉在世中は天保の三侫人と云われた水野忠篤、林忠英、美濃部茂育、 をはじめ家斉の側近が権力を握っていて、水野忠邦の幕政改革の意見は無視され続けた。 天保8年に家慶が第12代将軍に就任し、ついで天保12年1月に大御所・家斉の薨去を経るや、 間髪を入れず、水野忠邦は家斉の旧側近たちを罷免、追放し、 遠山景元、矢部定謙、岡本正成、鳥居耀蔵、渋川敬直、後藤三右衛門らを登用して天保の改革に着手したのだ。 ここまで、順風漫歩に老中首座まで上り詰めたが、その間には賄賂、調略、謀略の限りを尽くして生きた。 いずれ其の火の粉が降りかかって老中首座の座を追われる日が来るかもしれない不安に苛まれていた。 徳川の家臣は誰もが疑心暗鬼の渦の中で、いつその座を追われるかもしれない不安と戦っていたのだった。 水野忠邦が登用した水野三羽烏の一人鳥居耀三は天保の改革の先頭に立って働いてくれたが、いかんせん、人望がなかった。 諜報やおとり捜査で厳しい取り締まりをし、謀略を張り巡らせる腹黒奉行であり、蝮の耀三、妖怪と呼ばれ、人を裏切りることも平気な男であった。水野忠邦は鳥居耀三の腹の底に蠢く黒い虫を見抜いていた。 <必ずや老中に登りつめ徳川幕府を意のままに動かすのだ!> 老中の座から引き下ろそうと企んでいる危険な男だ <いつ寝首を搔かれるやもしれぬ、今、手を打つ時だ!> 甲賀飯道山の調薬の妖術師下柘植薬左衛門に <鱗蝮の調合を依頼した。鰻の鱗と肝に阿呆薬を調合した秘薬で、 飲めば肌が蝮の鱗状態になる> という効能のある秘毒薬の調合を五百両で頼み込んだのだ。鳥居耀三が水野忠邦の罠にかかり、白蛇に抱かる時に飲まされ、臍下から腿に蝮の鱗ができた粉薬がその鱗鰻薬だったのだ。 水野忠邦が鳥居耀三の臍下が蛇腹になっていることは当然のことお見通しだった。 いざという時の天下の宝刀に仕える。「鳥居よ、奉行たるものが臍下に彫り物をしていては示しがつかぬ、 袴を下ろして見せよ!」 この一言と脅せばよい。これで一安心であった。 だが、もうひとり、天保の改革にも何かと難癖をつける北町奉行の 遠山影元がいたのだ。この男も油断がならなった。 吹上げ御所においての公事上聴(将軍が裁判を見学すること)で、 遠山影元の裁判を見学した将軍家慶は、江戸庶民から名奉行だと評判の高かった 遠山影元の鮮やかな取り調べ裁判にすっかり感服し、 <奉行たるべき者、左も右もこれ在るべき事> と、べた褒めで、将軍家慶の厚い信頼を受けたのである、 大名、老中の間でも、遠山は名奉行であるという評価は 江戸城中に広まっていたのだった。 水野忠邦にとっては目の上のたん瘤になっていたのである。 <遠山に刺青をして身動きできぬようにしてしまおう、 儂に逆らうようなら体にある刺青を暴露すれば失脚せねばならぬだろう、」 水野忠邦は<草>の元締である伊賀曲崖郷の柘植孫太夫に <遠山影元の肩から腕にかけて桜の入れ墨を入れてもらえぬかな> と。使者を送った。<三百両でお受けいたそう> 返事が来ると、間髪を入れずに伊賀曲崖郷に三百両届けた。 蛇抜け長屋のぽん吉という名で潜んで暮らす伊賀のくノ一、霞のお銀に<遠山影元の肩から腕にかけて桜の入れ墨を彫れ> というけったいな秘命が下ったのは間もなくであった。 お銀もまた、あの水猿の鯉兵衛の暮らす蛇抜け長屋に辰巳芸者のぽん吉という仮の姿で 身を隠して暮らしている<忍草>だったのだ。 つづく 朽木一空
2026年05月20日
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江戸切絵図から消された町 3 お歯黒どぶと羅生門河岸 「さて、彦五郎、腹の虫も治まっただろうから、もう一か所,見て回わろうか」 ご隠居と彦五郎は 一膳飯屋で深川飯を食い、少々酒も入れた体で、山谷掘りに沿った土手八丁(日本堤)を吉原の方へ向けて足を進めた。 土手の両側には水茶屋がずらっと並んでいた。遊客は吉原へ行く前に、心を落ち着かせようとでもいうのか、一休みできる店で湯茶を飲むのだった。茶屋の中には看板娘を置いて、評判となる店もあるという。 ご隠居と彦五郎も腰を降ろして湯茶を一杯呑んだ。 まだ、暮れ六つには時があるのに、角帯を締めた粋な形(なり)の遊客や武士が吉原に向けて、茶屋の前を通りすぎていった。 「真昼間から吉原とは、随分、お武家様もいい身分でございますね、」 「そうでもないさ、大名家の武士は里に女房子供を置いて江戸に来てるので、股間が淋しいのだ。かといって、大名家の家臣では夜の外出ができず、まして外泊など許されないので、昼間に吉原に足を運ぶのだよ。 また、それを目当てに、吉原では昼八つ(午後二時頃)には遊女が昼店に出るのだそうだ。、さて我らも出陣と行こうか」 「ご隠居、ありんす、ざんすの吉原ですね、、へっつへっへっ、なんてっても、吉原にゃあ、5千人もの遊女がいるそうですからねえ、」 「まあ、遊郭に入りことは入るが、穴には入らねえよ、、」 「なんですか、それじゃあ、饅頭の皮だけ食べて餡子はお預けってことですかい?」 八丁土手の見返り柳を折れて、衣紋坂を下っていく。 衣紋坂には編み笠茶屋が並んでいて、そこで編み笠を借りるのだ、廓内で女郎を品定めする時にはこちらの顔は見せないのが粋な遊び人なので、手拭いのほっかぶりじゃ、様にならねえので編み笠は人気があった。 二人は吉原大門口を潜った。大門の左側には面番所という隠密廻り同心が常駐している番所があり、右側には四郎兵衛(しろべえ)会所という監視所があり、怪しい者に目を光らせていた。 大門からまっすぐに伸びた大通り、仲の町通りには引手茶屋(ひきてぢゃや)」がずらりと並んでいて、遊客に声をかけていたが、ご隠居は迷うことなく、その仲の町通りをずんずん歩き、突き当りの手前の左側、京町二丁目の木戸を潜った。 京町通りの路地へ入ると、左右に張り見世が並んでいて、遊客たちが女郎の品定めをしていたが、ご隠居はその遊女に目もくれずにどん詰まりの方まですたすたと歩いていった。 この辺りの張り見世は裏がお歯黒どぶに接していて、羅生門河岸といわれている吉原でも最下層の遊女が相手をする場所だった。 「気をつけな、彦五郎、腕を引っ張られねえようにな、」 遊女が路地に出て、遊客の袖を引っ張り、強引に店に連れ込もうとする。 花の吉原とはいうものの、華やかな花魁(おいらん)のいる世界だけではなかった。京町二丁目の一番奥の吉野家という店の前で、やりて婆が笑左衛門を見ると、 「おや、今日は二人だね、おまけしてふたりで揚代は400文だよ、」 葉の抜けた老婆が遊女だった、はじめて羅生門河岸に足を踏み入れた彦五郎はなんだか薄気味が悪かった。 「部屋を少しの間借りるだけだ、相手はしなくてもいいよ、はいっ400文」 鉄砲女郎とも呼ばれる最下層の女郎は一発100文が相場だったので、やりて婆は歯の抜けた顔で笑った。 吉原遊郭は敷地面積二万坪余りあり、遊女が逃げ出さないように廻りをぐるっと二間幅のお歯黒どぶが囲んでいて、どぶには汚水が流され悪臭を放っていた。 出入り口は大門のみで、面番所と四郎兵衛会所が見張りをしている、閉ざされた町であった。五千人は住んでいるだろう女たちだが、囲いの外に出ることは許されていなかった。 つづく 朽木一空
2021年11月18日
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江戸いろはかるた<こ> 子は三界の首枷~こはさんがいのくびかせ~ 「ご隠居、ずいぶんと物騒な諺でございますな、、 親はいくつになっても、何処へ行っても、子供が気にかかり、 一生自由を束縛されるてえことですよね、こりゃ、たまらねえや」 「だがな彦五郎、裏返せば、子供のための苦労は苦にならねえってことだよ、 子宝って言うくらいだからね」 「~子宝脛(すね)が細る~なんてえ諺もございますよ、 確かに子は宝かもしれねえが、親は脛が細くなるほど苦労するってことですよね、だから、捨て子が多いんじゃねえんですかい?」 「まあそういうこともあるだろうが、 お江戸じゃ、捨て子だって放っちゃおかない、 里子として預けられたり、貰われたりして、町のみんなに可愛がられて 育てていくんだよ、 彦五郎のように子供を持ってない浮雲には ~持たない子には苦労はしない~ てえ、諺がぴったりだ」「そうはいいますがね、、 ~子が無くて泣くは芋掘ばかり ~ 子芋がついていなくて困るのは芋堀りだけで、 苦労の種である子どもなんぞはいないほうがいいってえ俗諺もございますがね、」 「それきたんじゃ、この歌で締めようかな、、 ~銀(しろかね)も金(くがね)も玉も何せむに勝(まさ)れる宝子に及(し)かめやも~ (銀も金も玉もどれほどのことがあろうか。どんな宝も子供には遠く及びはしない。) 万葉集の中の山上憶良の歌だ、どうでい、、 ~子に過ぎたる宝なし~ ~子に勝る宝なし~もういっちょう、 ~千の倉より子は宝~ 子供可愛い俗諺はキリがねえようだよ、 笑左衛門
2025年02月23日
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忍草 外伝 翁と忍犬 11 ~放たれし 忍犬行く手 江戸の悪~ 自身番屋の油障子には吟味与力黒川左門の姿が揺れて映っていた。 お縄をかけられ、番屋へ連れてこられ、 与太郎は、剃刀与力の厳しい吟味を受けていた。 だが与太郎は頑として、 <十両の入った袋は拾ったんだ> としか言わず、あとは口に閂であった。 だが、それでは与太郎の嫌疑は晴れそうにもない。 しかも吟味方与力は冤罪たらしの剃刀黒川左門なのだ。 万事休すであった。十両盗めば死罪なのである。 北町奉行遠山金四郎は腑に落ちなかった。 盗まれた金子は百両である。だが、与太郎が拾ったと言い張るのは 十両である、あとの九十両はどこへ消えたのだ? <与太郎百両もの金を盗むことなどできやしない、 まだなにか裏があるぞ!> 遠山金四郎は黒川左門には内文で 陰葉退蔵と忍犬小次郎に再吟味を命じたのだった。 自身番では岡っ引きの伝助親分も 頭を抱えていた。伝助も与太郎のことはよく知っていた。 たしかに、のろまで、ぬけ作だが、嘘をついたり 悪いことをするような男じゃなかった。 いつもニコニコしていて、どぶ浚いや、井戸浚い、厠の掃除など人の嫌がることを嫌な顔もせずに引きうけて、ちっともいい気にならない人間だったのだ。腑に落ちねえな <腑に落ちねえな、だが、与太郎の分が悪すぎらあ> 陰葉退蔵と小次郎が自身番屋に顔を出すと、岡っ引き伝助は、 「盗んだ現場を見た者は誰もいねえ、ただ質屋の前に 手拭が一枚落ちていただけでさ、それもどこにでもある手拭で、 手掛かりにもなりゃあしねえ」 「親分、ちょいとその手拭をお借りしますね、} 退蔵翁は、その手拭を手にすると、忍犬小次郎に嗅がせた。 <伝助親分、手拭で盗人がみつかるかもしれねえよ!> 小次郎が地面に鼻をこする様にして、動き出した。 神田から、泉橋を渡り上野山下町の美鶴屋という 小汚い小料理屋に辿り着いた。 <伝助親分、お手配を!> 盗人の根城は北町奉行所の捕り方に囲まれ、 ひとたまりもなく盗賊五人が縄をかけれられ、盗まれた金子の内、 八十両が見つかった。 捕り物も片付き人気の消えたがらんとした盗賊の塒(ねぐら) だった裏庭の一角に小次郎が鼻をこすり、 <ここほれわんわん!>と、退蔵に目遣いした。 小次郎が前足で勢いよく掘ると土の中から十両の入った麻袋が出てきたのだ。 遠山金四郎は横目でそれを見ていたが、手を軽く振りながら、 退蔵に意味ありげな目配せをした。 <褒美だ、とっておけ!> と、退蔵は読み取った。 質屋藤兵衛は盗まれて帰ることはないだろうと、 諦めていた百両の内の八十両が戻って大いに感服していた。 与太郎が拾っておきぬに渡した十両についても 目を瞑ることになった。 この胸にジーンとくる出来事に尾鰭がついて、 江戸中から喝采を浴び、遠山の金四郎が江戸庶民の味方! 名奉行金さん!と呼ばれる所以の一つになったのでもあった。 <よっ、名奉行遠山の金さん!!> ところで、 <小次郎が掘った十両はどうなるんでいl> <てやんでぃ、ちゃんと役に立つってことよ、 銭は天下の回りものだからよ、> 茜色した雲が嬉しそうな顔をして 金四郎の体の中でも真っ赤な夕焼けを感じていたのだった。 つづく 朽木一空
2025年06月15日
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忍草 外伝 翁と忍犬 18~尾を垂れて 泪こらえて 忍犬~ 退蔵は翁独楽を作り、小次郎は土間でうとうとしてた昼下がり、 源平店を訪ねてきたのは四谷伊賀屋敷の柄藤重左衛門であった。 桑名宿の外れで、伊賀忍者寒月才蔵から、 密書を届けるように頼まれた相手だったが、 退蔵が四谷の伊賀屋敷を訪ねた時には行方知れずだった男である。 <今になってどうして?> 陰葉退蔵には得心がいかなかった。 「退蔵翁どの、まことにぶしつけではあるが、 忍犬、小次郎に伊賀の密命が下ったのだ。」 <いまさら、、>「陰葉翁どのに預けておったが、小次郎はご存じの通り、伊賀の忍犬だ、 伊賀の上忍の命には逆らえぬ、それが宿命じゃ、」 そう言うと、柄藤重左衛門は二本の指を口に当てて指笛を吹いた。 <ピッ!> 長屋の土間に寝そべっていた小次郎がすくっと立ちあがった。 <ピッ!>小次郎は伊賀の指笛に敏感に反応した。 <ピッ!>座、<ピッ!>臥<ピッ!>、動、<ピッ!>静、 <ピッ!>廻、<ピッ!>そして、嘘をつかない犬の尻尾までが 小次郎の意図に反して呼応してしまったのである。 小次郎は首を擡げ、退蔵爺を悲し気なまなこでみつめた。 「見ての通りじゃ、退蔵殿には間尺に合わないことで、 まことにかたじけなく存じますが、 忍犬小次郎には天命があり、伊賀の里へ帰らねばならぬのじゃ、 こらえてくれ」 陰葉退蔵翁は唖然としたまま返事もできずに、空を見つめていた。 小次郎の目から真珠のような水滴が毀れるのを退蔵翁は目にした。<てやんでぃ、人間(ひと)並みに泪なんか流しやがって! 犬に泪なんぞは似合わねえよ!> このまま、爺さんの褌を洗って暮らすのも不憫じゃねえか、 飼い犬に手を噛まれたわけじゃねえ、何をくよくよ川端柳 だ水の流れを見て暮らすってえ歌があるじゃねえか。小次郎の人生を縛り付けといちゃいけねえな、 爺の命もそう長くはねえんだ、小次郎よ、何処にでも行くがいいさ! ~犬が西向きゃ尾は東~ってえことよ、> 日を空けずに、小次郎は伊賀の里へ帰っていった。 陰葉退蔵翁と、柄藤重左衛門が品川宿で見送った。 陰葉退蔵翁は小次郎がいなくなると、 生きる気力が薄れているのを感じていた。 小次郎との暮らしは刺激もあって、愉快で楽しかった、 短い月日だったが、中味がぎゅっと詰まった年月だった。 武士の暮らしなんぞとは月とすっぽんだった。 長屋の部屋でひねり独楽を弄りると、独楽は 沈む夕陽をはねのけようとでもしているようにいつまでも回り続けていた。 江戸の町の闇夜には、犬の遠吠えが聞こえるのが常で、 退蔵には犬の遠吠えを聞くたびに胸が抉られる思いであった。 ~犬去りて 遠吠え淋し 江戸の夜~ だが、世の中捨てたもんじゃねえ、 人も犬にも世間にも流転が常である。 陰葉退蔵翁が居眠りから覚めると、 長屋の土間に小次郎が寝ころんでいるではないか、 <えっ!小次郎、帰ってきたのか?> 小次郎はゆっくりと尾を振って、退蔵の目をじっとみた。 <小次郎、お前がいれば江戸の町も助かるよ> <もう忍犬なんてお役御免でぃ、> 小次郎は伊賀へ向かう途中、箱根の関所で、問答無用、 役人の野犬狩りにあい、危うく鉄砲で撃たれるところだった。 必死で逃げるうちに、人間への不信が押し寄せてきたのだった <ええい!もう、人間なんぞの飼い犬にはならねえよ! 伊賀の帷(とばり)を捨て、抜忍犬になってやろう、> 小次郎は、忍犬を捨てて、野良犬となって、 退蔵翁と暮らす決心をして、夜陰言紛れて江戸へ戻ってきたのだった。 <退蔵翁もおいらがいなくちゃ、つまらねえだろうからな> <てやんでぃ、犬のくせに生意気いいやがって> 陽はすでに西の空に傾き、遠くの山裾からわずかに 覗く夕陽の残り灯が 退蔵翁と小次郎の上にやさしく差し込んでいた。 よかった、よかった、 おしまい 朽木一空
2025年07月09日
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< へえ、松右衛門でござい>「 吉松、銭乞う者は今度はどんな野郎だ!」 「へいっ、貧乏が褌引きずって歩いてるような 小便の替わりに涎をたらした痴れ者でございます。」 「だいたい、今日は何人目の門付けだい?」 「へいっ、朝方岡っ引きの伝八親分がいらして、銭八文、 昼前に虚無僧に米二合、、昼過ぎに鳥追唄の三味線女に四文銭ですから、 四人目でございます。」 「まったく困ったもんだ、街道筋の大店で門付けすればいいものを、 裏街道の小さな店に目を着けやがって、」 「旦那様、表通りの大店にはちゃんと、 非人頭の松右衛門の判が押してある門付無用の「仕切り札」を門口に貼っていますし、そうでなくとも、門付けを追っ払う用心棒がついてますからね、裏道の店に来るんでしょうかね、」 履物屋<足丈夫>の店は金杉橋から芝口橋を通って江戸へ向かう 東海道筋の源助町にあるのだが、街道筋の表店ではなく、裏通りの 草鞋をぶら下げた小商いの店だったのである。 「へえ、松右衛門でござい」と、言うだけで、あとはにやにやと 笑ってるだけでございます、」 「なに吉松、松右衛門だと? 困ったもんだな、今日はもう無理だから 帰ってもらいな、」 為蔵に命じられた小僧の吉松は松右衛門と名乗る男に、、、 「だめだ!銭も米もだせないと、ご主人が言ってるんだから、 帰んな、大通りのもっと大きな店にいきな、」 そう云われても、図体がでかくて、顔にぶつぶつができていて、 身汚い格好で家の門を叩く痴れ者はにやにや笑うだけで <へえ、松右衛門でござい>というだけで、 店の前から動こうとはしなかった。 「しょうがねえな、これじゃあ商いになりやしない、」 為蔵は松右衛門に根負けして、4文銭を握らせても店の前から立ち去ってもらった。 「吉松よ、松右衛門てえお人は江戸じゃあ、車善七様につぐ勢力を持っている非人頭なのだよ、 江戸の南半分の品川溜を支配し、三十幾つかの小屋とその小頭を配下に持つ非人頭で、品川宿北宿の外れの品川寺(ほんせんじ)脇の立派な屋敷(非人頭の役所)に住んでいる方で、店前でうろうろするようなことはお天道様が西から出てもあり得ねえことなんだよ、今さっきまでいた<へえ、松右衛門でござい>と、 くどくどと繰り返し言うのは偽り者の仕業なのだよ。」 「本物の松右衛門さまはお忙しい方なのだ。 斃牛馬処理に目黒川での皮鞣(なめし)河川不浄物片づけ、 東海道筋はもちろん、町中往来の死人、犬猫馬などの死物を 取り片づけ、すべて、道路上に穢れのないように取り締まっておられ、 町中を日々うろついている物貰いや乞食の取り締まりもしておるのだ、 そのおかげで、江戸の町は穢れずにすんでいるのじゃ、 実際の仕事は松右衛門配下の小屋者が仕事をするのだが、 その頭が松右衛門で様なのよ、女太夫や願人坊主や物貰いの乞食と一緒にしちゃ、 天に唾するようなもんだよ。 松右衛門様には恐れ入るだろう、 吉松も、店の前の犬の糞の片づけぐらいで目くじらをたてちゃ、 笑われちまうよ、 「へえ、犬の糞も猫の糞も文句を言わず片付けます、」 「吉松よ、松右衛門様の仕事はそれだけじゃねえんだ、 松右衛門様配下の非人達は溜め御用役で、 江戸町奉行所から小伝馬町牢の病人などが送られてくる品川溜(罪人収容所)支配、品川仕置場(鈴ヶ森刑場)の雑事や罪人仕置き手伝い、 あるいは江戸流入の潰れ百姓(野非人)の刈込みや追い返し、盗人やキリシタン、捨て子などの見張りなど、多岐に渡る仕事を受け持っておるのじゃ、」 「そんな松右衛門様を語る偽者とは許しがたいことですね、」 「だがな、吉松、<へえ、松右衛門でござい>と云われれば、 偽者の語り者とはいえ幾ばくかのものを与え、 江戸の町を綺麗にしてくれる松右衛門様に江戸の商人は感謝してるんだ、 そこがお江戸の人情ってもんなんだよ、」 「そうでございましたか、 旦那様、掃除水汲み飯炊き旦那様の褌洗い、店を綺麗にしてる 小僧にも感謝ですね、はい、おこづかい、、」笑左衛門
2025年07月16日
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江戸噺 上野山下 けころ 2 亀松と兎吉は褌の下の息子の期待が溢れそうになっているのを感じながら 上野山下へ足を踏み入れた。 大通りには飲み屋、一膳めし屋、煮売り屋をはじめ、芝居小屋や見世物小屋が軒を並べていて、粗雑な活気に溢れていてた。 「さすがに、山下町ですな、神田や日本橋辺りとは空気が違うようだな、」 「兎吉よ、淫らな町の臭いがが垂れ込めてて、 我が息子も精気を貰って元気づきやがったぜ、」 「そこの煮売り屋で一杯やって景気づけしとこうか、」 亀松と兎吉おかめという店の縄暖簾を潜って腰を下ろした。 右も左も、ギラギラとした欲望を溢れさせんばかりの目をした男たちが 酒を口にして頬を赤らめ高揚していた。「亀松、おいら、痩毒(梅毒)が心配になってきたぜ、 山下町のけころ(遊女)のほとんどは痩毒に罹っている話を聞いたことがあるよ、痩毒に罹かりゃ、髪が抜けたり、鼻や顔が崩れるってきいてるからな、『はな(鼻)散る里は吉田鮫ヶ橋』『材木の間に落とす鼻柱』 なんて川柳もあるぐらいだよ、」 「なにを兎吉、ここまできてビビりやがって、 上野山下あたりの女郎はなみんな痩毒に罹ったことがあるんだけどな、 一度痩毒に罹った女を鳥屋につくといってな、 二度とは病気にかからないし孕まないって云われてんだから大丈夫だよ、 それにな、例えけころ(遊女)が病気持ちだって こちとら、花のお江戸の粋が自慢の屋根職人でぃ、 痩毒の方から退散しちまうよ”! びびってねえで、さあ、いざ、ご出陣とまいろうか、兎吉殿」 熱い血を股間に滾らせた亀松と兎吉が通りから横町横町に目をやると、 二階建ての女郎屋が見世を張り、店の提灯の前で、 「ちょいと、遊んでいきなよ、」 前垂れ姿の女が客引きをしていた。 山下町の女郎は誰とでも寝るので蹴転ばし(けころばし) 略してけころと呼ばれていたのだった。 亀松と兎吉は白首の化粧の臭いに釣られるように、 揚代二百文のけころの店に吸い込まれていった。 神田樫大工町の蛞蝓長屋に亀松と兎吉という二人の腕のいい屋根職人がいる。 梅雨も上がって、屋根屋は大忙し、 亀松と兎吉は朝早く屋根に上がると夕方まで降りてこない。 暮れ六つ、薄っ暗くなってから、屋根から降りてくるが、 頬っかぶりしたまま、顔を隠すようにして長屋へ帰る。 亀松と兎吉、二人とも鼻が削げてるって噂があるんだがねえ、、 笑左衛門
2025年08月13日
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笑左衛門残日録 97 秋の憂いの隠居 その四 死んでしまう者は何も残しちゃいけねえな。 しょせん一人で死ぬもの、 かかあも子供も友達も 一緒に死んじゃくれねえ、淋しいねえ、、 幕引き短歌にて候~焼いてくれ 残すものなど ありゃしない 生きた証も 塵芥(ちりあくた)だけ~~死ぬ時にゃ、かかあ子供も したり顔 それでいいんだ 所詮はひとり~笑左衛門
2025年09月10日
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江戸風噂減らず口 3亭主関白お武家様、長屋じゃかかあ天下!その弐 ~女房の妬(や)くほど亭主もてもせず~江戸川柳 ~女房は質に置いても朝酒はやめられぬ~江戸川柳 「なあ、浮の助、かかあなんぞもらわねえほうがよっぽど気楽だな、」 「そうさな伝六、お武家様のお屋敷と裏長屋じゃ真逆だね、 長屋じゃ女房が将軍様で亭主は下男、宿六は女房に頭が上がらねえからな、」 「何しろ江戸じゃ、女一人に男三人と云われてるくらいに女不足だからしょうがねえさ、 生涯一人暮らしの男も珍しくはねえ、、 奉行所じゃあ、女にありつけない独り者の男の鬱憤が爆発して事件を起こす原因にもなりかねないので、 江戸の治安を守るためには女不足を解消しなくちゃいけねえ、 そこで、奉行所は女不足を打破するためか、 <女は二度結婚すべし>と、 そんなお触れがでると、世間じゃ噂されてますぜ、」 「大袈裟な話じゃねえだろうな、この頃じゃ、裏長屋で亭主が威張ろうものなら、 <この胸で眠ってる三下り半(離縁状)が目を覚ましてもいいんだね、> と、離縁状をちらりと見せて、亭主を脅す有様だからな、」 「あっしの住んでる時雨長屋でも、女房がいるのは運のいい職人の三人だけで、 あとは独り者が暗くて狭い長屋で悶々としているんだから<やもめ暮らしに蛆が湧く>ってえのも 頷けるねえ。」 「そこへいくと、江戸は女子(おなご)の天下かもしれねえな、 この頃じゃ、年増女でも、大年増でも、お茶目でも、おちゃっぴいでも、 歳も器量なんぞも二の次で、女房になれる女は引く手あまただそうでござんすよ、」 「べらぼうめ!しゃらくせえや!あたぼうよ!などと、 気風がよくて粋がよくて、威勢がいいのは外面だけで、 女房様の前じゃ借りてきた猫みたいにおとなしいのが長屋の宿六だな、」 笑左衛門
2025年10月08日
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本所、惚門町 そろり長屋 4 ~十軒の 長屋の障子 そろりかな~ ~長屋門 くぐりて墨の 匂い立つ~ ~笑止千万、瓢六爺の悪戯書き~ 瓢六爺が惚門町の裏長屋に世話になって暫くしたころ 困ったことが起きた。 瓢六爺さんは腰にぶら下げていた太筆でどうしても 書きたくて我慢がならなくなったのだ。 己の部屋の壁に文字と絵を書いただけなら大家の伝蔵も 目を瞑っていたのだが、壁が文字と絵で埋まると、 よその部屋の壁や、長屋の入り口の腰高障子にも、 ~そろり、そろり~という文字の悪戯書きをしだしたのである。 瓢六はその文字と絵を眺めては ~うんっうんっ~と、悦に入っていたが、大家の伝蔵は困り顔で、 「瓢六爺さん、そんな悪戯書き、誰も喜びませんよ、片腹痛いだけですから、 おやめください!」 と、意見するのだが、 「はいはい、}と生返事をして、瓢六爺さんは目を離すと、 太筆を手にして長屋中の腰高障子に文字のような絵のような ~そろりそろり~ という文字と瓢箪の絵の悪戯書きをするのである。 「瓢六爺さん、あちこちに~そろり~という文字を書かれちゃ困りますよ、 いったい~そろりそろり~とはどうゆう意味なんですか?」 「はあ、そろり、そろり ですなあ、」 いくら怒ってみても糠に釘、暖簾に腕押し、豆腐に鎹(かすがい)、沼に杭で いつしか、大家の伝蔵も諌めるのを諦めていた。 そのうちに長屋中に~そろり、そろり~と言う文字がはいつくばっているようになった。 瓢六爺の悪戯書きは笑止千万だと軽口を叩いていた店人だったが、 いつしか~そろり~の文字のある長屋の風景に慣れっこになってしまい ~なかなか面白い、なんだかほんわかした気持ちになる文字と絵だな~ 長屋の中には瓢六爺の悪戯書きを褒める者までいて、いつしか 瓢六爺のそろりそろりという文字が、伝蔵長屋の情景に溶け込んでしまったから不思議な心持であった。 伝蔵長屋を訪ねてきて~そろり~の悪戯書きを見た 口さがない江戸の雀が惚門町の伝蔵の長屋のことを ~そろり長屋~だと囀っているうちに、 いつしか伝蔵の長屋は~そろり長屋~と呼ばれるようになったのだった。 つづく 朽木一空
2025年11月12日
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本所、惚門町 そろり長屋 15 ~遊ぶ文字 帷外れて 踊る文字~ ここで、瓢六爺の正体を明かそう、 瓢六爺は真垣新太郎が修行している日本橋久右ヱ門町の 書道家虹菱湖の門弟で本名は白松無風であった。 師範の虹菱湖は大変な大酒呑のみであり、揮毫料が入ればみな柳橋の酒に消えた。 酒を嗜むなどという粋な飲み方ではなく、酒を食らい、書家にあるまじき酒癖も悪く、 呑んでは絡み喧嘩することも珍しくはなったので、 書道家虹菱湖と酒を飲もうという輩は近づかなかったが、 瓢六こと酒徒の白松無風とは不思議と気があってよく飲み明かしたのだった。 昨年秋、大名家松平家で行われた書道展に出品した時のこと、 白松無風は 瓢箪の絵に遊書の文字で~あるべきよう~と書いた一遍を出したのだった。 松平墨守様には大いに気にいられたのだが、 面目丸潰れの白松無風の師範の虹菱湖には面白い筈もなかった。 「白松無風の書は邪道じゃ、、否、書とは呼べぬ下劣なも字じゃ!」 だが、白松無風も引きさがらない、 「師匠、某は書は自由であるべきだと存じるが、」 「何を言うか、若輩者が。!」 酒を間に舌戦は激しくなり、師範の虹菱湖は益々粗暴になり、 高慢で狂人ではないかと疑われるほどの乱れようとなった。 「遊書などとふざけた文字は虹菱湖の門弟にはふさわしくない、 白松無風は破門じゃ、どこへとも消え去るがいい、」 「何を申される、それでは言わせてもらうが、 師範の悪筆など屁以下のものじゃ、」 「何を!蛞蝓の這いつくばったような書を書きおって、」 罵詈叱咜の嵐、虹菱湖は我慢の限界、堪忍袋の堪忍袋の緒を切らし 白松無風の着物の襟をつかみ思い切り投げつけた。 白松無風は敷居にひどく頭を打ち、瘤をこさえて、 そのまま、記憶を無くしてしまったのだ。 虹菱湖は白松無風を見捨てて帰り、白松無風は船宿を出て ふらりふらりと江戸の町を徘徊し、行く方知れずになったのだった。 「もしや?瓢六爺は書道家虹菱湖の門下生の白松無風様ではありませぬか?」 「何を申すか、拙者は瓢六じゃよ、かつごうったってそうははいかねえよ、」 瓢六爺にはうっすらと白松無風時代の記憶が呼び覚まされていたが、 いまさら、の虹菱湖の門下で書道家になる気は毛頭なかった。 そろり長屋でのんびり暮らすのが自分にあっていると感じていた。 つづく 朽木一空
2025年12月21日
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忍草(しのぶくさ) 再演26- 3 ~ 忍草や 葉擦れの音に 耳を立て~悪鬼、下忍の池に沈むの巻 3影に忍びて、影で滅びぬ、 生きた跡なし忍草 ちょいと、畳だって裏返しがあるんだぜぃ、 伊賀の上忍の『秘命』を受けてから、鯉兵衛は十日間、昼夜となく、黒田九鬼流斎を尾行した。 七方出(しちほうで)の変装術用の衣装を纏い、商人、ほうか師、虚無僧、出家、山伏、猿楽師、棒手振り、飴売り、髪結い、或る日には商家の妻女にも化けて尾行した。 顔つき、仕草、視線、言葉遣い、歩く様、老若男女何にでも変装できるのが忍者の変装術だった。 諜報活動は忍者のお手のものであった。 夜陰に乗じて、屋敷の天井裏に潜み、床下に潜り込んでは九鬼流斎の動性を探った。黒田九鬼流斎は南町奉行鳥居耀蔵の信頼の厚い懐刀の家来である。 若輩の頃から鳥居耀蔵の手となり足となり、 常に側に仕ていたので鳥居耀蔵の裏も表も知り尽くしていた。 神道無念流の使い手で、斎藤弥九郎の九段坂下道場では師範代の次に強かった。 目配り、気配りも行き届き、一分の隙もみせな剣捌きで右に出るものはなかった。 鳥居耀蔵は黒田九鬼流斎の刀の剣の腕を見込み、 裏の暗く汚れた仕事は黒田九鬼流斎に請け負わせることが多かった。鯉兵衛が黒田九鬼流斎の怪刀を目にしたのは、張り込みをしていた神田の柳原土手だった。 九鬼流斎の子分の甚八が、夜鷹を取り締まりついでに、 夜鷹に覆い被さり交合に及ばんと褌から逸物を出した時、「阿漕なまねはやめな、それが水野殿のご改革か、笑わせるな!」 志の高そうな佇まいの浪人者が刃を抜き甚八の男根を切り落とした。悲鳴をあげた甚八は股間から血を滴らして、土手を転げ落ちた。九鬼流斎の横手切りを見たのは、その時だった。浪人者もかなりの手練れとみたが、 子分の逸物を斬られては黙ってはいられない、九鬼流斎の刃が一閃すると、 浪人者の首から上が、まるで大根でも切るようにすぱっと胴体から離れた。 「雉も鳴かずば撃たれまいのに、無駄な命を落としたな、」 無礼打ち、切り捨て御免のつもりだろうか、人を斬っても冷たい無表情であった。 <強い!隙も無い、迷いがない> 刃でまみえるのでは九鬼流斎にはとてもかなわないと、鯉兵衛は悟った。 只者ではなかった。冷酷無比、難敵である。 鯉兵衛は刃での暗殺計略を練り直し、黒田九鬼流斎の癖や習慣を観察しじっと機会を待っていた。 天保十一年、幕府内の規律は緩みきっていて、賄賂、収賄、談合、横領、陰謀が絡まりあい驕奢な腐敗臭が幕府内に蔓延していた。その悪臭は江戸庶民にも伝染し、芝居、見世物、料理茶屋、岡場所、縄暖簾の店までにも、遊びの文化が花開いていた。 道楽遊蕩に耽り、その分面白可笑しく、町には活気が溢れ、庶民も元気だった。一方で、幕府の財政状況は窮迫し八方塞がりの状況だった。 江戸の風俗の乱れの原因のひとつに奢侈(贅沢)があると判断した徳川家慶は 老中首座、水野忠邦にこの窮状を克服するため、天保の改革を推し進めたさせた。その皺寄せは庶民に降りかかっていた。『質素倹約令』である。風俗取締りの町触れを出し、身分不相応の贅沢と、奢侈を禁止し酷烈に取り締まった。老中首座水野忠邦の足腰となり改革を進める、南町奉行の鳥居耀蔵の強引な取り締まりは苛烈を極め、おとり捜査は常套手段、讒言、デッチ上げ、裏切りなど、悪辣な手口を使い綱紀粛正に走った。 冤罪もお構いなく、町をうろつく気に食わない不埒な者は片っ端からしょっ引いた。その先鋒に立って獅子奮迅の働きをしたのが黒田九鬼流斎であった。<ご改革だと?しゃらくせいや!お江戸の灯が消えちまったよ!> 南町奉行鳥居耀蔵は庶民から、妖怪、蝮などと、忌嫌われていた。 つづく 朽木一空
2026年03月29日
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忍草(しのぶくさ) 再演 26ー6 ~忍び草 一筋の風 命の香 ~ 悪鬼、下忍の池に沈むの巻 6 音もなく、臭もなく 智名もなく 勇名もない 屁のことじゃありませんよ、 えっ?屁のようだと?忍者がですかい? 江戸幕府百人組の一つの伊賀組は、神君家康公伊賀越えの際道中を警護した者の子孫で、「御忠勤格別之者」という特別扱いの家来であった。 江戸城大手三門の警備を担当し、甲賀組、根来組、二十五騎組とともに百人番所に詰めていた。 組頭は江戸城西端の半蔵門を警護した服部半蔵正成を継ぐ服部家であった。 組屋敷は四谷伊賀町に与えられていた。 江戸幕府開府の後、伊賀に残った者は平穏な暮らしを求めて、藤堂高虎支配下で<無足>という身分で抱えられた。 <無足>とは、普段は村に住む百姓の形をして農業に勤しみ、有事の際には武力を使い軍役を務める、武士と百姓の両方の性格を有する上層農民としての身分であったが、平穏な江戸時代に武勇を馳せることは皆無であり、穏やかな農民としての暮らしに甘えていた。 これで、伊賀の忍者としての灯火は消えたはずなのだが、 あくまでも伊賀忍者の忍術と掟を伝承する小さな集団は伊賀の里の奥に、密かに隠れ住んで修行を重ねていた。 鉄砲火薬術の一党、薬の一党、 仕掛人の一味、はては、盗賊黒雲一味など、 悪事に足を染めた一党もいたが、戦国の世でもない平穏な徳川の世にも、 幕府、大名、旗本などから、諜報活動、破壊工作、暗殺、権謀術策を用いて罠を仕掛ける依頼が消えたわけではなく、手足となって動く伊賀の忍者の需要はまだ存在したのだった。 幕府や大名には仕えない、仕事を依頼されるが、仕事以上の関係は一切関りあうことのない、自主独往の忍者組織であることも安心して仕事を依頼できる理由であった。 曲崖郷の柘植孫太夫率いる<忍草>の一党もそのうちの一つであった。幕府や大名には仕えることはない、あくまでも野育ちの自由な身分を守り、依頼人が悪であっても、敵同士であっても一向に構わないし、銭さえ積めばどんな仕事も引き受けた。依頼された仕事をこなせば、以後の一切かかわりを持つことはなかった。ただし、仕事上の秘密は遵守するという道義を守った。 北町奉行も遠山影元も内密の探索に伊賀一党の忍者を使うことはよくあった。 曲崖郷の柘植孫太夫は南町奉行鳥居耀蔵から 神道無念流の使い手、黒田九鬼流斎の暗殺依頼を引き受けた。 草の仕事はいつでもあるわけではない。 好機用来とみた柘植孫太夫は千両という値で仕事を引き受けた。 法外だと?伊賀の隠里と諸国に散る草の面倒を見るのには、莫大な銭が必要だったのだ。<つけられている?見張られている?>黒田九鬼流斎は近頃、己の身に妖しい影が迫っていることも感じていた。 それが、誰なのか、敵なのか味方なのか、ただの探索なのか、暗殺準備なのか まだわららぬが、剣客としての感性が危険を知らせていた。~馬鹿な傾奇者の仕返しか?もしや、鳥居耀三の手の者か?それとも伊賀者か?~ 疑心暗鬼が独り歩きしていた。「疲れているのか?それとも、取り締まりのやりすぎなのか?」いや、自分のしていることは、庶民に憎まれていようがいまいが、徳川幕府を支えるための必要悪なのだ。明日は、非番だ、下忍の池の大鯉を釣り上げてやろう。ようやく、眠りにつけた鳥居耀蔵であった。 つづく 朽木一空
2026年04月08日
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忍草 (しのぶくさ) 26-14 ~陽の射さぬ 隅の葉陰の 忍び草~ 白蛇に抱かれた奉行 5所詮この世は水の泡、いつか流れて消えていく、いいも悪いも似た者同士、野暮も、もまれて粋になる、夜は番太郎と呼ばれる木戸番の蜘蛛左が、拍子木をを打ちながら「七つ半でござい」と、時を告げて長屋の中を歩いていた。 仕事じまいの時刻の丁度その時だった。『どんな病もケロリと治る、薬種販売蛇惚屋』の店に、昨日鳥居耀蔵の命で長屋を引っ掻きまわした、岡っ引きの権六が子分を引き連れ、意気揚々、帯の結び玉に差してあった十手をこれ見よがしに、振り回しながらながら、荒々しく、店の木戸を開けて入ってきた。「おいっ、伝蔵、おめえの長屋じゃ、でけえ白蛇を飼っているそうだな、 昨日お目にかかった気色悪い蛇のこったい、おまけに、毎日、生卵三個もその蛇に喰わしているっていうじゃねえか、」「へいっ、娘のお蝶を助けてもらったお礼のつもりで、面倒をみております」「おいっおいっおいっ、戯言ぬかすんじゃねえよっ、 天保のご改革の質素倹約令を忘れたわけじゃあるめえなぁ、人様でも贅沢は禁止されてるのに、蛇に生卵だとっ、とんでもねえ料簡だ。その蛇は縛り首の刑した挙句蒲焼でもされる運命だ、 さあ、さっさと、その白蛇とやらをに縄をかけてもらおうか、!」権六たちはご丁寧に、蛇を護送する竹駕籠まで用意してきている。「権六の旦那、蛇はそう、簡単には掴まらねえんですよ」「そうかいそうかい、ご政道に逆らおうってなら、しょうがねぇ、娘のお蝶を預かっていくぜ」「えっ、娘が蛇の代わりとは、そいつはまたごむたいなことを」「えいっ、ごたごたいうと、店も、腐りかけの裏店も、ひと暴れすりゃぁひとたまりもねえ、ごみになっちまうぜ!娘のお蝶を返してほしかったらな、さっさっと白蛇を連れてくるんだな」今にも、暴れ出しそうな権六に、伝蔵は 「ご勘弁を!ご勘弁を!」と、頭を下げる。騒がしい店内を察してか、奥から、暖簾を分けて娘のお蝶が出てきた。「おとっつぁん、心配しなく大丈夫よ、私の命の恩人の白蛇様を蒲焼にするというなら、さあ、私を天麩羅にするなり鍋にするなり、焼くなり勝手にして頂戴!」と、お蝶が啖呵をきる。いい度胸だった。凛としている。 白蛇にイチャモンをつけて、お蝶は柄の悪い鳥居耀蔵配下の男どもに両抱えされて、連れて行かれてしまった。 もう、陽がたっぷりと暮れて、提灯に灯を入れてもいい頃だった。 赤ら顔の鯉兵衛は縄暖簾『瓢ひさご』の酒樽に腰を降ろして、もう、一刻も飲んでいた。毎日のことだ。「てえへんだいっ、ちょいと、鯉の旦那、あっしゃあ、とことん嫌になっちまった」蛇ぬけ長屋に住んでいる、下っぴきの粂次だ。八丁堀の同心、間河長十郎の配下の下っぴきだ。配下といっても、同心の下には岡っ引きがいて、その岡っ引きの下で働く小者だった。捕り物の後ろから提灯を持って、うろうろしたり、尾行や、見張り、聞き込みなどをして、おこぼれを預かったり、小遣いを貰う程度の仕事である。 町の商店から見ヶ〆料や目溢し料も頂く、まともな仕事とはいえなかった。半分はやくざ稼業だ。「鯉の旦那、聞いてるでしょ、お蝶のこと、岡っ引きの権六に連れて行かれちまったんですよ。 それがねえ、鳥居様のご指示だってさぁ、白蛇のことなんざぁ、云いがかり、いつもの、汚ねえ、やりかたよ。はなっからお蝶さんが狙いだったんですよ。鳥居様はね、大御所様や将軍様が大奥でやりてぇ放題やりまくった後、押し付けられた、腐れ饅頭ばかりじゃ、美味くねえ、生娘が欲しいと思っていたところへ、この間の見回りで、目に留まったのがお蝶さんだったんだ。ああ、可哀そうだよ、ねえ、鯉の旦那、どうにかならねえもんかねえ」「粂次、おめえだって、、一応は鳥居様の下で働く、下っ引きなんだろう、そんなことを、べらべら喋ってると、終いには、舌抜かれて、放り出されるぞ!」「てやんでえ、こちとら、お江戸の庶民の味方なんでえ、お奉行様の色恋の犠牲になってる、町娘を助けなきゃあ、男が廃れらあっ! なあっ、鯉さんそうじゃねえのかい」「男粂次、粋にきなすったねえ。それにしても、鳥居様、よく、お蝶が生娘だとわかったな」「それそれ、灰吹き女っての知ってるかい?観音様の横っちょに灰神様がおいでになってね、その灰の上にしゃがんで、尻も饅頭も出してね、すすきの穂で鼻を擽る、くしゃみをする、灰がとべば、穴が開いてる、生娘じゃねえってことよ」「おいっ、粂次はそれを見てたのかい」「いやっ、見ちゃいねえが、娘っ子はいつも灰神様で、遊んじゃあ、笑ってる。そんで、お蝶も生娘だってことは、誰でも知ってらあ、虫食女じゃねえってこと、ああちくしょうめ、鳥居の野郎、初心なお蝶を手籠めにしようってか」「お蝶が監禁されてる場所を知ってるのか?」 「へえ、以前は、本所松井町の両替商松前屋が持っていたお屋敷でござんすよ、」「まあ、そんなに心配することもねえだろうよ、お蝶さんはね、凛としてるし、白蛇だって、黙っちゃいねえだろうさ、鳥居様でもそうそう簡単に手が出せねえだろうよ」 そう云ったものの、鯉兵衛の酒で赤く濁っていた眼がみるみる鋭さを増した。「ちょいと、野暮用を思い出した、粂次これで飲んでくれ」鯉兵衛は気前よく、天保銭の百文を卓の上に置くと、縄暖簾をくぐった。「ひぇえ、鯉さんは大金持ちだ、朝まで飲めるぞ」 腰の曲がった老爺の鯉兵衛は柄杓で水をぐいっと飲みこんで表に出ると、 鼠色の手拭で頬っかぶりし、薄暗い町の路地を老人とは思えぬ素早さで駆けだした。 薬種問屋蛇惚屋の店に入り、伝蔵と二言三言話し、 薬包を受けとると、蛇惚長屋の木戸番蜘蛛左に耳打ちし、 二人は気配を消し、人ごみにまみれながらも足早に本所松井町へ走った。 つづく 朽木一空
2026年05月06日
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都々逸 選り取り 笑左衛門 8 お座敷洒落歌と、小咄でござんす 皆々さま、ようございますか、ぺんぺんぺんぺん、芸者の三味線、 ~なぞなぞかけよが よかんすか~ ~いぢのわるい女郎衆とかけてはへ~ ~やぶれた傘じゃと、とくわいな、その心はへぇ~ ~ツチリチッツチリチッツチリチッ~芸者の三味線、 ~あっ、させそで、させんじゃないかいな。よふあてさんした。うそはない~ ぺんぺんぺん、べんべんべん芸者の三味線、 ~丸い玉子も切りよで四角 ものも言いようで角がたつ~そらそのとおり、よいしょ、 ~世の中は 寝るほど楽はなかりけり 浮世の馬鹿は起きて働く~そんだそんだ、働くだけが能じゃねえ、 ~朝寝坊、昼寝もすれば 夜も寝る 時々起きて 居眠りする~とさ、ぺぺんぺぺんぺんぺん芸者の三味線 落語の世界でも寝て暮らすことが極楽とみえましてな~ほいほいほい、 ご隠居さんの小言です、 「おい、熊五郎、いい若いもんがゴロゴロと寝てばっかりいちゃあ、いけねえよ。 ちったあ 働いたらどうなんだい。いいことがあるよ、」 熊五郎、そんなことがあるのかと、びっくりした顔で、 「えっ、ご隠居さんよ、働いたらどんないいことがあるんですかい?」 ご隠居さん、あきれてものも言えないが、、 「そりゃ、おめえ、働けば、ゆっくり寝て暮らせるってことよ、」 熊五郎、畳に寝っ転がったまま、、 「なあんだ、それじゃあ、今とかわらねえや。そんじゃ、寝てよおっと。」 お後がよろしいようで。 江戸の洒落歌と落語の小咄でやんした、ああ、つまらねえ、、笑左衛門
2019年09月30日
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囲い者(妾)1 極上松の巻 ~親のため 我落ちにきと 女郎花~ 江戸川柳 江戸の男は妾を持つのがが男の甲斐性などといわれておりまして、 大店の主人に大番頭、大名や旗本のお武家さんにご隠居さん、 はたまた、火消しの棟梁に博徒にやくざまでが妾を抱えていたのでございます。 ですが、一口に囲い者(お妾さん)といっても 松竹梅とございまして、 吉原の花魁の身請けともなれば極上の松である。 何しろ身請け金が安くて100両(400万円)太夫の上物になれば 目の玉が飛び出る500両という金額なのである。 そんな花魁が身請けされても、旦那様には本妻がいるので、身分は愛人なのでございますが、 高い板塀で囲まれた門構えの家を用意し、世話をやく幾人かの奉公人も付けるのでございます。 お妾さんに綺麗な着物を着せ、おいしいものを食べさせ、お小遣いを上げて維持すると、月に二十五両が相場でございましようか。 吉原の花魁を囲者にした旦那は、まさに甲斐性のある男と言えましょう。 まっ、日本橋の大店の旦那か、大名家のお偉いさんか、悪代官か、 京大阪あたりの悪徳商人でもなけりゃできやしない。 囲者になった元花魁にすれば、なんとも極楽極楽な暮らしだったに違いない。 家事労働は女中と下女がやり、自分は風呂に入り、化粧をし、綺麗な着物を着て、 三味線を弾いたり、本を読んだりしながら暇を持て余していたのであります。 大店の主人ともなれば、店に目を配らなければならないし、 得意先や同業者との付き合いもあり、本妻への気遣いもあり、 毎日のように妾宅に来ることなどできやしないのだった。 たまに旦那が来れば、求めているのは性的快楽の欲望なので、 旦那を天にも昇るいい気持にして喜ばせてあげることがお妾さんのお仕事だった。 元花魁にとって旦那様を天国に連れて行って昇天させるは他愛のないことだった。 だが、極上松の囲い者になれる吉原の女は極極一部の女で、夢のまた夢の事でありました。 吉原へ身を売って奉公して吉原の囲いの中で病気になって 命を落し、投げ込み寺に放り込まれる女がほとんどだったのだ。 同じ囲いの中でも運命は残酷なものでございます。 ~忍ぶ夜の蚊はたたかれてそっと死に~ 江戸川柳 続く 笑左衛門
2023年02月16日
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笑左衛門残日録 87江戸午睡(ひるね) 「ご隠居、どしてこう暑いんですかね、 こんなに暑くちゃ、仕事もできませんや、」 「何を一人前のようなこといいやがって、 彦五郎は仕事なんかしてねえじゃねえか、、」 とはいっても、真夏の頃には昼飯を食えば、急にだるくなり、眠気に負けてしまうことが多いのだった。 「ご隠居、植木屋も、大工も左官屋も、陽ざしを避けて、みんな日陰で肘枕ですやすや、 町のあちこちから、鼾ばかりが聞こえてますよ、」 たしかに、江戸の町の昼過ぎは、だらけておりまして、 仕事をしている者を見つけるのが珍しいくらいで、 人も犬も猫もみな居眠りしてる午后なのでございます。商店では番頭が硯箱に肘をつき、手代は算盤にもたれ、 小僧は舟を漕いでおりまして、勝手方では女中も 思い思いの忍び眠りでこっくりこっくり、 奥では子供を寝かしつけながら奥方もへの字のかたちでうたた寝、 最早夏の店の昼下がりは開店休業、何処も同じ鼾の重奏でございました。 目が覚めたころには夕食の時間となるのでございます。 「ご隠居などは、陽がかげった頃に、目を覚まし、行水で汗を流したら、お筆さんに膳に酒とつまみを用意させ、 夕涼みでござんしょう、、羨ましいご身分でございますな」 江戸の町は昼寝を終えると、もう一仕事と商いも活発になり、 暮れ六つを過ぎれば、屋台で腹ごしらえをするのだった。 蕎麦屋、天麩羅、鮨、の屋台にも行灯の灯が入り、 町も賑やかになるのでございます。 居眠り川柳、笑左衛門拙作 ~昼寝して 肘が痺れて 動けない~ ~人様も 犬猫鼠 鼾かな~ ~遠慮なし 番頭小僧 鼾かき~ ~昼寝中 商売繁盛 夢見てる~ ~赤ん坊 昼寝の親を おこすなり~ ~開いた口 かかあの午睡 鼾(いびき)と屁~ 笑左衛門
2024年06月25日
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江戸いろはかるた 14 <か> 癩の瘡うらみ(かったいのかさうらみ) 癩の瘡うらみとは、癩はハンセン病、瘡は梅毒を指し、 大差のないものをうらやんで愚痴を言うことでございます。 江戸のずっと後の時代には、癩の病も他の病と同じように 治療可能な病となったが、江戸の時代では癩の病の知識も治療法もなく、 仏罰・神罰の現れたる穢れだとか、罪を犯した者が罹るとか、 遺伝病で不治の病とされ、発症した者が差別された歴史があるので、ここでの江戸いろはかるたの<か>は ~勝って兜の緒を締めよ~と書き換えることをご了承願いまする。 「ご隠居、勝って兜の緒を締めよ!の諺は戦国武将北條氏綱の名言でございますな、」「そうじゃ、戦国時代は毎日が戦争だったからな、勝利した後も、油断せずに気を引き締めるべきだということだな、 兜は、昔の武士が戦闘で頭を守るためにかぶった防具で、緒はあごの下で結んで固定する紐のことじゃ、勝っても兜の緒を締めておけば、敵の反撃にも備えられるという意味じゃな、」 「油断大敵でございますな、」 「この手の俗諺はいろいろあるぞ、 敵に勝ちて愈々戒しむ、(敵に勝っても益益気を引き締める) 好事魔多し、褌を締めてかかる、 それとは真逆な諺に~驕る平家は久しからず~なんてのもある。」 ~油断大敵 遊女の情け~拙作 ~吉原じゃ 勝って褌 締め忘れ~拙作 ~鉄火場で 負けて褌 締められず~ 拙作 笑左衛門
2024年10月30日
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江戸 いろはかるた<さ> 三遍回って煙草にしょ ~火の用心さっさりましょう カチン!カチン~ 江戸の夜の町には、<火の元は大丈夫か>と夜回りの掛け声と拍子木が響きます。 毎晩のことなので、<どうせ今夜も何も起きないだろう>と 気が緩むのが危ないんでございます。 夜回りの番太は休みなしで三回しっかり町内を見回って、安全を確かめてるんですから煩いなんて文句を言わないでくださいね。 煙草一服する前に手落ちのないように念入りに 三回も確認をせよという戒めでございます。 ~念には念を入れよ~ ~浅い川も深く渡れ~ ~石橋を叩いて渡る~ なんて諺もございますな。 ~三遍回ってワン~ 言い回しは似てますがね、 こっちは絶対服従の意味ですかね。 ~三篇別れて くっついて~拙作 仲良し夫婦なんですから喧嘩しないように 笑左衛門
2025年03月12日
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江戸いろはうた 39 <ゆ>油断大敵 「広いお城の中じゃ行灯の油が切れると、真っ暗になっちまう、 そうなると、城の中は歩けないし、泥棒が入ったり、転んだり、 大変なことになるから 油断、つまり、油を切らすと大変な目に合うということでしょうかね、」 「そうじゃねえな、油断してると思わぬ失敗を招くことになるという戒めだよ」 「じゃあお聞きしますがご隠居 ~油断大敵火がぼうぼう~なんて言いますよね 油断つまり油が断たれると行灯に灯が入らねえ、かといって、 行灯に油を入れ過ぎて溢れ、火事になって火がぼうぼうと燃えあがるってえ諺もございますよ。」 「そいつは逆だよ彦五郎、行灯の油を断つと火が消えてしまうってことなんだよ、火がぼうぼうのぼうぼぼうは亡亡って書くそうだよ。 「油断てえのは、気を許して注意を怠ることで、 油とは関係ねえよ、」 ~ゆだんすると負けるぞ~ 道場破りがきましたよ、 ~ゆだんのならない相手~ 武士の仇討ちでございますか ~ゆだんなく見張る~ 下っ匹のチョロ松でしょうか、 ~油断も隙もない~ 番頭がですか手代がですか、それともかみさんですかな 笑左衛門
2025年03月19日
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江戸いろはうた 41<み> 身から出た錆び 「ご隠居、あっしはまだ錆びついちゃあいませんがね、 蛞蝓長屋の留吉の野郎、毎晩賭場に出入りして、 終いには明日の仕入れの銭まで使いこんで、 おけらどころか、金貸しから追われる始末で、 とうとう嬶に逃げられちまったそうで、、」 「そういうのを身から出た錆ってえんだよ、 刀身から出た錆が、刀身を腐らせてしまうってえことだ、 そういう刀を赤鰯とよぶのだ。 自業自得、因果応報 、悪因悪果 とも言うがな、」 まあ自分が犯した過ちだから誰を恨むわけにもいかねえ、 つけが回る、仕返しが来る、しっぺ返しが来るってえことですな、」 「じゃあご隠居、あっしは、湯屋にでも行って、 しっぺ返しが来ねえように、垢でも掏り落としてまいりますね、」「彦五郎よ、 ~身から出た錆は研ぐに砥がない~ てえんだよ、湯屋より自分の胸に手を当てることだね」 ~身から出た錆 吉原通い 褌忘れ 股が風邪~ ~失恋も 実から出た錆 そうじゃねえ 惚れた相手が 留の女房~ 笑左衛門
2025年03月30日
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忍草 外伝 翁と忍犬 5 ~忍犬 蜻蛉返りの 島田宿 ~ 島田の宿に差し掛かかり、屋台の露店商や軽業や手品、浄瑠璃、講談などの見世 物小屋で賑わ見世物が並ぶ広小路にさしかかると、 <翁、少々酒代でも稼ぐとしますか> 小次郎は大道芸の広場の片隅で、 犬の蜻蛉帰りを披露した。犬芸は人々から喝さいを浴び、 投げ銭が稼げたのだった。 <老骨を労わるためにはやむを得ぬ、犬の尊厳に関わるが ここは辛抱辛抱、わん> 小次郎という犬の能力、忍犬の能力に 退蔵は感に堪えない思いであった。 犬芸で思わぬ投げ銭が入り、退蔵は居酒屋の暖簾を潜り、 久しぶりの酒を呑んだ。 <犬の芸で酒を呑む老人なり、わん!> 小次郎の嫌みが聞こえたのか、 退蔵は煮干しと鰹節ををたんまり買い込んで小次郎に与えた。 <わんっ!、気が利くな、> 小次郎に毎日犬芸をさせるのは引け目を感じる、 かといって、頼みの路銀は限りなく乏しかったのである。 退蔵は寒月才蔵から預かった、振り分け荷物の行李を開けた。 行李の中には「伊賀の書状」の他に、巾着袋に入った細かい銭が二両ほどあったので失敬することにした。 <小次郎よ、泥棒ではないぞ、> じっと、退蔵の仕草を見ていた小次郎は <許すぞ、老骨、わん!> 四谷の伊賀屋敷柄藤重左衛門に届ける行李の中には、 密書や巾着袋の他に小刀、まきびし、手裏剣、鎖に真田紐や 火薬、薬、などの忍者の使用する忍具、 商人や武士の着物、虚無僧の被り物、 鬘(かつら)に付け髭、つけほくろなどの変装道具が がびっしりと、詰まっていた。 <さすがは伊賀忍者じゃ、、> 退蔵と小次郎は三島宿を過ぎて箱根の山にかかろうとしていた。 <箱根の山は天下の剣、萬丈の山 千仞の谷、天下の難所箱根の峠ですぜ、ご老体の足は持ちますかね、> <てやんでい、天下に旅する剛氣の武士(もののふ) 大刀腰に足駄がけ八里の岩根踏みならす、てっんだい、> 江戸までは、まだ道が長いが箱根路の 山陰に沈む赤い夕陽がほほえましそうに二人を照らしていた つづく 朽木一空
2025年05月25日
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忍草 外伝 翁と忍犬 6 ~春遠く 犬と寝そべる 川辺かな~ 箱根路から江戸まで24里と35町、 桑名から江戸までが95里だから、すでに箱根路まで70里を歩いた 勘定になる。 陰葉退蔵と小次郎の江戸への旅路はここまで安泰に進んでいたが、 ここからの箱根路では山賊、野盗などの賊が出るので用心が肝要であった。 <盗まれるものなど、なにもありゃあしないよ> などと呑気に構えてはいられない。 寒月才蔵から預かった書状の入った行李を江戸まで届けなくてはならないのだ。 箱根路の山間の険しい坂道を登っていくと、案の定、 湯時客が三人の山賊に襲われる場面に出くわした。 「儂が、箱根路の大盗賊石山の五左衛門様だ! 銭をださねえか!」 「お願えだ、命だけは助けて下せえ、」 襲われたのは身なりからして江戸の大店のご隠居だろう。 退蔵が目配せすると、小次郎は素早く、三人の山賊の前に出張ると、 <ウッーウッー>と唸った。 「小癪な犬め、殴り殺してしまえ、、」 山賊が段平(だんびら)を振りかざすと、小次郎は間髪を入れずに三人の山賊の手足を次々に噛んだ。 <きちがい犬だ、狼だ!> 追剥の群れは散々な目にあって遁走した。 ~箱根路を 犬に追われて追剥が~ 助かったのは、深川の老舗味噌問屋三河屋のご隠居と、その手代であった。 <旅は道連れ世は情けじゃ、> 不安から逃げきれないご三河屋のご隠居に退蔵と小次郎は 江戸までの道連れを切願された。 見返りとして、箱根路からは旅籠も飯も茶屋の団子代も、 三河屋のご隠居のおごりだったので、退蔵と小次郎は 空腹と寝処の心配から解放されたのだった。 <お犬様のお蔭でございます、> <犬ばかり褒めやがって、> 無事江戸日本橋を渡ると、 「無事江戸に安着いたしましたのも、退蔵翁と小次郎様のお蔭、かたじけなく思います。深川へお立ち寄りの際はぜひ霊巌時裏の 三河屋の別宅へお立ち寄りくださいませ、」 道連れだった三河屋のご隠居とも袂を分かち、 陰葉退蔵と忍犬小次郎は、伊賀の柄家の寒月才蔵に頼まれた、 振り分け荷物を届けるため、四谷の伊賀屋敷の柄藤重左衛門を訪ねた。 「たのもう!、、」 が、伊賀屋敷の用人から、 「柄藤重左衛門は突然、屋敷から姿をくらまし、 その後の行方はようとして知れませぬ、」と告げられたのだ。 <ふむ、伊賀の密命を受けたのだな ワン> 伊賀の草と呼ばれる隠れ忍者は密命を受けると、屋敷の誰にも告げずに姿を消すことは珍しいことではないという。 陰葉退蔵と忍犬小次郎は江戸の町で、路頭に迷うことになった。 行く当ても失い、やることもない退蔵と小次郎は 四谷から江戸城をぐるりと一周し、両国橋に辿り着いた。 <はて、小次郎、これからいかがいたすか?> <サイコロでもふりますか?犬は主人に着いてゆくだけでござる、わん> ~どうするか 犬もあんぐり 隅田川~ 行く当ても失い、やることもない老爺の退蔵と小次郎は 両国橋際の大川の端の葦に包まれるようにして、日がな川の流れをみつめ、時を流していた。 藩を追われ、女房に逃げられ、住むところも失い、 どうにでもなりやがれと、退蔵は暗く鬱々としながら、 やけのやんぱちで、人生を投げ出したような気持ちだったが、 忍犬の小次郎と旅することで、少しずつ異変が起きていた。 <てやんでい、、身分が何でい、武士が何でぃ、 そんなものうっちゃっちゃえ、そうすれば、 犬や猫みてえにな、幸福な顔をして眠ってられるってことよ> 江戸の町の夕陽は暮れ落ちようとしていて、 夕陽を背にして薄(すすき)を噛む退蔵に、 小次郎が<でいじょうぶかな?>と 心配しているように見えたのだった。 つづく 朽木一空
2025年05月28日
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