江戸こぼれ話 笑左衛門残日録

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月夜の傘 New! 朽木一空と五林寺隆さん

2021.01.11
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​しゃっくり同心茂兵衛事件帳控 3 ​ ​​
       ​  ​しんでれら物語  3​​





 ~山中や 笠に落葉の音ばかり~ 菊舎

   ~秋たつや 何所へか散(ちり)て宵の雲~ 菊舎

   ~花が咲き やがて萎れて 散る椿~ 菊傘

   ~百両が 三途の川の 渡し賃~ 菊傘 
 「小梅村まで歩くのはかったるいなあ、」
 「なに、茂兵衛の旦那ひとっ時も歩けば着きますよ、 柳橋から両国橋を渡り、堅川を下り、加賀町の手前で左に折れ、今度は横川を北に歩けばわけはありませんや」
 「随分歩くなあ、惣兵衛のかみさんのお万も一緒に行くのだろう?」
「そうですよ、依頼人ですからな、おっつけ、ここへ来ることになってますんで」
「ひっく ひくっ、ひっく ひくっ、じゃあこうしよう、行きは船、帰りは駕籠だ、そのくらいの駄賃は室町の油問屋 杵屋のおかみさんだ、出してもらえるだろう」
「旦那、閃きやしたね、奉行所のお役人がそんな軟な体じゃ悪をふんじばることはできませんが、まあ、今日のところは、そう致しましょうか」
 で、結局柳橋の船宿「さざ波」に船を出してもらうことになった。
「おっ、、船頭さん頼みますねえ、大川から、堅川を東に漕いで、柳原町の手前、北迷橋をで左に折れて、横川を北へ進んで、本法寺の先、太田隠岐守様の屋敷あたりにつけてくれ、」
「へいっ承知、一時(二時間)もかからねえで着くでしょう」
 臨時見廻り同心野呂山  茂兵衛 と岡っ引きの丑松と、それに室町の油問屋 杵屋のおかみさんのお万の三人を乗せた船は水面を滑り出た。
 さすがは杵屋のおかみさんだけあって気がきいていて、料理の煮詰まった重箱と徳利酒を用意してきていた。
「どうぞ、お召し上がりを、、」
「こりゃあ御馳走だ、すまぬな、遠慮せずに頂くぞ、」
 酒好きな 茂兵衛 の手が出るのは速い。
 「お万さん、楽隠居できるのは男の甲斐性だね、儂はの、そなたの亭主杵屋惣兵衛が羨ましくてならのだ。実はな、儂も隠居したいのだよ、いつまでも奉行所にしがみ付いていなければならぬは辛いのだ。もう、儂も齢でな、六十の坂を上り始めていりうのだよ、体のあちこちが痛み、頭も錆びついて、この頃の若い与力や同心たちの考えていることがよくわからぬのだ。
 だがな、武士という立場はな、自分の我儘では隠居できぬのだよ、根津の方にでも隠居場をつくってな、何にも縛られず、武士の矜持などという面倒なものも捨て、酒を呑み、鶯の声でも聴いて、俳句の一つもうなる、ああ、いいことじゃ、隠居こそ男の最後の夢じゃのう、そう思わぬか丑松」
 「それができれば、結構な身分でございますがね、茂兵衛の旦那、隠居なら問題ねえんですよ、ですがね、宗兵衛は隠居先がお寺で、百両の金を持ってこいじゃ隠居とは言えませんよ、そうじゃございませんか」
 野呂山 茂兵衛  は北町奉行の臨時廻り同心であった。
 奉行所には市中見廻り役の定廻り同心が6名いて、黒羽織に銀杏の髷を結い、朱房の十手を背中にという格好で市中見回りをし、賭博、売春、喧嘩、犯罪捜査から、揉め事の仲裁、そして、御用御用の捕縛役を務めていた。その他に、臨時廻り同心6名、偵察役の隠密廻り同心2名がいた。彼らは三廻りと呼ばれていて、それぞれ江戸市中を取り締まっていたのだった。
 臨時廻り同心には定廻り同心を長年勤めた五十歳過ぎの熟練した者が就き、定廻り同心の応援、補佐、指導が主な役目であった。 むろん、三廻りだけで江戸の治安を守るには手が足りず、同心たちは私的に岡っ引きと呼ばれる手先や、協力 者の密偵を私的に雇い抱えていた。
 三十俵二人扶持は武士の中では下の俸給で、自分の食い扶持さえやっとだった、町奉行の同心は、岡引きへの給金や事件ごとの報償、密偵に小遣いを与えるために、町の商売人や商店から袖の下、鼻薬、付け届けを貰ったり、内職をして、補っていたのだった。
 岡っ引き、一文疣(いぼ)の丑松は見廻り同心日下部栄三郎配下の岡っ引きであったが、昔は茂兵衛の雇われて働いていて、もう、三十年からの付き合いであり、いわば腐縁というやつで、今では、岡っ引きの丑松が野呂山  茂兵衛 の手を借りることが多くなっていた。 臨時廻り同心の 野呂山  茂兵衛のことを”茂兵衛の旦那”と気やすく呼ぶのはそんな付き合いがあったからなのだ。
 一文疣の岡っ引き丑松もまた、江戸の岡っ引きの中では古株であった。同心から貰える給金は雀の涙しかなく、とてもそれでは食えないので、岡っ引きは他に仕事を持っていた、風呂屋だったり、蕎麦屋だったり、中には十手をかざして、奉行所の威光を笠に着て、町の者にたかり、銭を巻き上げ、私腹を肥やす岡っ引きもいた。
 丑松は女房のお勝に廻髪結いをやらせていた。毎日、あちこちのおかみさんや御新造さんの髪を結いに行くので、そこの世間話からも貴重な情報が得られたのである。
 鼻の横に、銭貨ほどの疣(いぼ)があるので、一文疣(いぼ)という綽名がついている。 その疣のなかから、若い時分は太くて黒い髭が威圧するように生えていたが、この頃では白髪がちょろちょろと下を向いてぶら下がっている。丑松も、もうすぐ。六十に手が届くところまで来ている、丑松は岡っ引きの中でももう隠居まじかの江戸の古株であった。
 江戸の岡っ引きは同心にも内緒の横のつながりを持っていた。縦の糸が同心の命令なら、横の糸は岡っ引き仲間の貴重な連絡の糸であった。お江戸は狭いようで広い、仲間内での情報網は岡っ引きの役割に重要な役割を果たしていた。賭場や矢場、岡場所や飲み屋などの悪所から遊び人や博徒、やくざから漏れる、犯罪の臭いは、表仕事の同心の耳にはいることのできない貴重なものであった。その横の糸の中でも丑松は顔役であった。
 江戸の町の裏の情報を手に入られる丑松にとっては、悪者を追い詰め捕縛する貴重な源泉となっていたのである。 江戸の岡っ引き仲間からは一目置かれていて、「おやっさん」と呼ばれていた岡っ引きの十文疣の丑松爺であった。
  野呂山  茂兵衛 とは、三十年来の付き合いになる、~旦那と出っくわしたのが運のつき~と、丑松が言うように腐れ縁というやつだった。だが二人とも腐っているかもしれない縁が嫌いではなかった。
 北町奉行臨時見廻り同心、野呂山 茂兵衛 は 寛政10年、小田切土佐守直年が北町奉行の時に、駆け出しの定廻り同士を務めて以来30年間定廻り同心を務め、10年前に臨時見廻り同心になった。都合40年間同心を勤めた野呂山茂呂左衛門は江戸の町の隅々まで知り尽くしていていた。
 悪を追いついめる、推理も、事件の真相を見抜く慧眼にも一目置かれてはいたが、最古参の野呂山 茂呂左衛門は、この頃では、体力もついていかず、冴も見られず、若手の同心からは昼行燈だとか、たそがれ茂兵衛、などと陰口をたたかれていた。
 それも頷ける、 茂兵衛は 終業の鐘がなる前から、いそいそと帰り支度をする、ひっく ひっく ひくっ、と、吃逆をこらえながら、同心部屋で座布団を温めている。
 早く組屋敷へ帰って内職をしたいのだった。野呂山 茂呂左衛門の内職は提灯張だった。 三十俵二人扶持の給金では好きな酒も飲めず、配下の岡っ引きに碌な小遣いも上げられなかったのである。

 五十の坂の途中にいる野呂山は、常々隠居して気儘な暮らしがしたと願っていた。
だが、北町奉行遠山金四郎は、野呂山茂呂左衛門のような男が奉行所には必要だと思っていたので、隠居願いは許されなかった。
 若手の同心は功を焦って、冤罪を産むことがままある、野呂山茂呂左衛門のような経験眼を持つ男が真実を見つけ出すこともあると考えていた。黄昏れの中にこそ、人生の機微というものが眠っていて、それが探索の役に立つのだ。そう、北町奉行の遠山は考えていたのだ。
 野呂山
茂兵衛 はさぼっているわけではない、ただ歳のせいで、動作が遅い、鈍い、がつがつしていない、冷静というか、慌てない急がない、同心としての経験、仕事勘、若い者が持っていない慧眼はいまだに持ち合わせていたのである。
 だが、 茂兵衛 は辛いのである。定年退職がない同心勤め、 幾度か、隠居願いも、奉行の遠山景元に提出したが、その度に
「野呂山のように、六人もの北町奉行に仕えた者は貴重なのだ、江戸の町を知り尽くしている、 奉行所の生き字引だ。 儂に力を貸してくれ」
と、遠山景元に引き留められている。
 八丁堀の拝領屋敷に住まわせてもらっている身の同心は奉行には逆らえない。
 船は冬の日差しを浴びて、川面がきらきらと光る中を、横川を東に進み、法恩寺橋を潜り、、太田隠岐守の塀を右に見ていた。
「おっ、船頭さん、そこいらの船着き場で降ろしてくれ、」
「うひっ、うひっ、うひっ、うひっ」
「どうしたんですかい、茂兵衛 の旦那、なにか臭いますか?、無駄に吃逆をしちゃあいけませんや、柿の葉の黒焼きの柿蔕湯(していとう)、飲んだ方がよくねえですかい。
  北町奉行臨時廻り同心野呂山  茂兵衛  、岡っ引き一文疣の丑松 日本橋室町の油問屋 杵屋惣兵衛のかみさんお万、の三人は業平橋下の船着き場の岸に降り立った。
  つづく 朽木一空





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最終更新日  2021.01.11 10:30:05
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