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保護者会の役員になった。そして先日、その保護者会なるものがあった。ご存じの通り、人間は社会性のある動物である。保護者のなかでも、グループいうものがやはり存在する。大人も子どもも同じですね。ペーペーの私は、人の話にしたり顔で頷いたり、精神的には忙しかった。まぁ肉体的にはただ座ってるだけだけど。まったく無害で、完璧に従順なものである。前年度からの引き継ぎで、連続で役員を務める方が結構な割合でいた。つまりグループはすでに形成され、私はしれーっとした顔で参加し、しれーっとした顔で帰った。途中、ほとんど誰とも口を利かなかった。全員参加の自己紹介くらい?安心してください。こういう人間でも役員になれるのです。四歳の息子は、「いーれーてー!」とか「一緒にあそぼ!」とか、何のてらいもなく言えるんですよ。すごいですね。三十三歳の母は、四歳の息子ができることもできなかったのです。だから、何だよって感じですが。なんとなーく孤独で、ただ保護者会は友達つくる場所じゃないし、とか、そんなことを考えながら帰路につきました。孤独は親しい友なのです。ただ、私の方からは特に親しくしたくないというだけで。
2023.04.27
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桜を見て、茨木のりこの詩が浮かんだ。本当はもっと書きたいことも、書くべきこともある。単にエネルギー(と時間)不足なのですが、ぼちぼちやってます。さくらことしも生きてさくらを見ていますひとは生涯に何回ぐらいさくらをみるのかしらものごころつくのが十歳ぐらいならどんなに多くても七十回ぐらい三十回 四十回のひともざらなんという少なさだろうもっともっと多く見るような気がするのは祖先の視覚もまぎれこみ重なりあい霞だつせいでしょうあでやかとも妖しとも不気味とも捉えかねる花のいろさくらふぶきの下を ふららと歩けば一瞬名僧のごとくにわかるのです死こそ常態生はいとしき蜃気楼と茨木のり子詩集『おんなのことば』より
2023.03.27
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そのままの意味ですけれど。いわしが好きなんです。大好き。大して料理が上手なわけじゃないから、オイルで煮るか、甘辛く焼くくらいしかできないけど、ばかの一つ覚えみたいにいわしを食べている。 この際、下書きしていた日記をまとめてあげてしまうんや……古典とケーキ 甘い再読 愉悦の読書案内【電子書籍】[ 梶村啓二 ]おもしろい本を見つけた。本を読むと甘いものが食べたくなるよねーっていうお話。作者の梶村啓二さんが古典の解説(あるいは解釈)と一緒に、「最適」なスイーツを書いてくれている。それがなかなかにおもしろい。漱石の「文鳥」なら「苺ジャム」とか、シェークスピアの「マクベス※」なら「ショートブレッド」とか。※「きれいは穢い、穢いはきれい」で有名なフレーズのアレです。年中グルテンフリーとかそんなのをやっているから、罪悪感のないお菓子を食べるには自分で焼くしかないわけで、つまりは結構気軽にお菓子を焼くタイプなんだな、私という人間は。本に触発されて、いろいろ焼いてみようと思ったり。(実際に焼いたのはショートブレッドだけだけど)そういう日々はたのしかった。備忘録というか、最近はここが定位置と化している。ここです。頭おかしいんか、と思われるかもしれないが、意外と居心地がいいんだな、これが。床と離れているからあったかいし、レンジにパソコンも置ける。最近では運気が上がって、長年の悩みだった膝の痛みも消えて、持病も治り、宝くじにも当たりました。旦那は優しく、帰りには毎日お土産を買ってきてくれます。※嘘です。アレに似ているなと思った。体育館のステージに腰掛けて、足をぶらぶらさせている——物憂げで、でもからっと明るい感じ。花は名残惜しく散ったりはしないですね。人が勝手に心情を重ねているだけのこと。ただ目の前の景色を、そのままの重さで感じたい。追憶と現実の中で、どこにも行けないから、どこにでも行けると思いました。A「私は高い場所が好きなんだよ。猫と同じだね。そうして奴らを見下ろすんだ」「奴らって?」私は訊いた。A「ならず者たちだよ。そいつはあたしにこう言うんだ。お前に迎えにきたって」「それで、なんて言うの?」A「“やれるもんならやってみな”」
2023.03.02
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ああ、日々が流れるように過ぎていく。いつまでも下書きに置いておくわけにはいかない。ということで、ちゃんとあげます。母とBTSの映画をみてきた。「応援ができる方と、そうじゃない方どっちがいい?」と訊かれ、「どちらでも」と私は答えた。ちなみに私はArmyではない。ArmyはBTSのファンの意で、母の周りでArmyは限りなくゼロに近いそうだ。アイドルに興味のまったくない娘を誘うくらいなのだから、多分そうなのだろう。私はどうにもそちらの意識が欠けてるらしく、遠くの人に意識が向かないタイプ。手を伸ばしたら触れられるものがいいのかもしれない。即物的というか、実際的というか。結局、応援ができない方の映画を観たのだけど、ペンライトはOKとのことで、一人の女性が持っていた紫色の光がぼんやりと暗闇に浮いていた。(紫色がグループカラーらしい)私は、「振り回してしまえ!」とか、「血湧き肉躍るような応援を見せてくれ!」とか、念じていた。こんなことなら応援OKの映画を観ればよかったのかもしれない。それがたぶん一週間くらい前のことで、今現在はずっと欲しいものがあって、買うかどうか迷っているところ。谷川俊太郎の詩集なのだけど、図書館で借りたらすごく良くて、これが本当によくて、手元に置きたくなったのだ。ずいぶんと古いものらしく、メルカリにしか置いていない。それなりの値段もする。悩ましいですね。ビリー・ジョエルの「The River of Dreams」が大好きで、ほとんど愛してるといっていいくらいなのだけど、詩集の中で、それに抱くイメージに似た詩があった。絵わたれぬような河のむこうにのぼれぬような山があった山のむこうは海のような海のむこうは街のような雲はくらく——空想が罪だろうか白いがくぶちの中にそんな絵があるとにかく、細々と生きています。日々の備忘録ということで、お納めください。
2023.02.15
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私事ですが、コロナになりました。強制的お家時間でも、特にライフスタイルに変化はなく、「あー」だの「うー」だの呻きながら、暮らしています。 変わらないですね。ちょっとしたブームで、家族間での一人称が「あたしゃ」になっていて、「あたしゃ米を炊いてるんでね」とか、「あたしゃ江戸っ子なんでね」とか、 そういう表現がものすごくナチュラルに会話の中に入ってくる。ああ、くだらない。もとは共通の知り合いのおじさんが「あたしゃ」と言っていて、まあそれに乗っかったわけだ。でも、大体家庭のことなんてくだらなくないですか?あたしゃ、そう思いますよ。あたしゃ。前置きはさておき、体調不良のときほど、何故生産的行動をしようと考えてしまうのだろう?調子が悪いときくらい休めばいいのにね。生産性へのこだわりは、心を守る戦略みたいなもので、これだけやってんだからって自分を安心させたいのかもしれない。ちゃちな達成感で何かをコントロールしている感覚に陥っている。まさに生産性の呪いですね。そもそも経済的な合理性において、さまざまな観点からパフォーマンスに欠けた人間(〝正常な人間〟というのもあれだけど、それと比べて)を、切り捨てるような考え方を持つべきではないと思っている。それは危険な考え方だ。自分がいつまでも生産性のある側でいられると思わないほうがいい。ああ、話の論点からずれている。とにかく神さまがくれた休暇だと思って、療養期間をたのしんでいます。具体的には、ドーナツを揚げたり、クッキーを焼いたり、蒸しパン作ったり……ポケモンの新作がやりたかったけれど、そこまでやると人間的に本当にだめになるかもしれない。今でさえ、肌の治安が乱れ、鼻のかみ過ぎで終始ヒリヒリするし、体重増加が著しい。ああ、はやく元気になりたい。健康って大事。これはカエルくんのつくった〝さいきょうのでことら〟です。躊躇なく、クレヨンでがっつり描いてます。窓にクレヨンで描きたいとお願いされて、「車じゃダメかな…?(震え声)」と提案し、仕方なく妥協してもらいました。やさしい息子ですね。ちなみにカエルくんは今月末までお休み。三郎は二十七日から仕事。持て余した息子をどうしようか、今から悩ましい、今日この頃。
2023.01.26
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なんとなくソワソワして、去勢された犬みたいにあれこれと手をつけていたら、あっという間に夜だった。こういう言い方は、いささか大げさ過ぎるかもしれない。午前中、役所やら友人のところへ行った三郎は、今後やるべきことがいろいろと明確になったらしい。心持ちいい具合にできあがってる、という感じ。どことなくエネルギッシュだった(私は雨の日なのでダウン)。「なんかできそうな気がする」「新しいことって楽しいよな」と車を走らせながら、しみじみと呟いている。その度に「よかったね」とか「人生好きなことやるべきだよ」とか親切に答える私は、隣人としてすごく理想的な人物だと思う。自分で言うのもなんだが。コーヒーを奢ってくれるというので、駅近のスタバに行った。野崎孝訳「ライ麦畑でつかまえて」を読んでいた私は、ホールデンくん、君も大変だよな、なんて思いながら、道行く人を眺めていた。ふいに三郎が立ち上がり、エネルギッシュに羽織を脱いだ——腕を抜き、バサッと私に渡す——ダウンの袖がコーヒーにあたり、コートおよびワンピースが愉快なことになった。コーヒーがぽたぽたと滴る。「まじでごめん」「それにしても何であんな勢いよく脱ぐかな……」しかし私、ちょっと笑えてくる。笑っていけない場面ほど笑いたくなる。「すんません」「ほんとさ、クリーニング代くらい出してよね」「ウッス」「帰りに寄ろうね」「ウス」でも、頭の中では別のことを考えていた。私たちは一瞬一瞬を共有しているのに、まるで違うものを見ているんですね。考えていたのはつまり、ニーバーの祈りなんですけど、ニーバーの祈り神よ、変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ。ラインホルド・ニーバー(大木英夫 訳)大仰なことを考えていたのではなく、ただ単に思い出していただけ。コーヒーとラインホルド・ニーバーさんがどう繋がっているかはわからないけど、シナプスだかニューロンが反応して、パッと思い出したわけです。そういうことってありますよね?人の頭は宇宙だ。もともとはマサチューセッツ州のちいさな教会で祈りの言葉にされていたこの言葉は、アルコール依存症や薬物依存のプログラムとして採用されるようになってから、広く知られるようになったらしい。私もどこで知ったか忘れたけれど、時折思い出す。まさに今日のように。「白い服だったら死刑だから」と私は言った。三郎は神妙そうに頷いていて、「高いコーヒーになったなぁ」としきりにぼやいていた。良いこともあれば、悪いこともある。雨はずっと降っていた。執拗に、柔らかな簾のように。三郎、がんばれ、と私は祈った。クリーニング代はもらうけど。
2023.01.16
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ああ、きた、と思う。どぶをさらうような感覚――目を閉じると太陽の光が瞼に映し出されて、視界が赤くなる。思考は粥のようにぼんやりとし、とにかく眠い――、この状態をPMSと呼ぶ。少なくとも、私の場合は。コツはある。まず現状を把握することだ。間違っても誰かにやつ当たりしないように——私はやつ当たりを嫌悪している——、じっと穴蔵の熊のようにやり過ごす。といっても、そう大したものじゃない。普段より少しローなくらいだ。薬はいらない。だいたい世の中、みんなちょっとずつおかしいんだから、騒ぐほどのものじゃない。あたたまった車の中でウォーキングをするか悩んでいた。仕事は午後からでも問題ない。(こういうこと一体私は誰に説明しているのだろう?勝手に休んで、仕事してればいいのに。私も小心者だということだ)行きたくないが8割で、それはただ単にめんどくさいから。残り2割は正気をかき集めて考えれば、ここで歩かなければ、残りの一日はもっと悲惨なことになるだろうという予感。頑張るというよりは、もはや精神衛生のため。結局、30分くらいしてから外に出た。歩けば風がつめたくて、清潔な空気が心地いい。大きな湖には冬特有の淡い空がうつっていた。ドブをさらうような気持ちも、まあまあマシになってくる。こんなことを思い出していた。先日、栗の木の剪定をしていたときのことである。カエルくんの主張はこうだった。ママとの留守番は退屈だと。絵本も読んでくれないし、すぐに昼寝したがる。(まったくもってその通り)だから、僕もパパと栗畑に行きたい、と。まぁそれがああなってこうなって、口先だけの約束が果たされて(邪魔しない等)、結局みんなで栗畑に行くことになった。もうお察しだと思いますが、まったく仕事にならなかった。むしろ休憩時間の方が多かったくらい。ちいさい子どもがいるとそうだろうという経過を辿り、私たちは疲労困憊だった。カエルくんもすぐに寝た。私も寝た。独身だったら、栗の選定などせず、さっさとパチンコに行ったであろう三郎と、野外仕事絶対嫌いマンの私が休日に栗の剪定とは。人生とはわからないものである。付き合いにおいて、主導権を握るのは対象に無関心なほうだ。猫は無関心を競うから、人は猫を愛すのだろう。私たちは剪定中にうろちょろするカエルくんに煩わされ、でも、しゃあないよなってスタンスでいた。ちんたらを歩きながら、そういう煩わしいものについて考えていた。それは生きている私の少し先をいくものであり、それが私を生かしている、と。酸素であり、カエルくんであり、PMSでもある。いや、PMSは違うな。そいつがないほうが世界は間違いなく平和だ。昨日どこで覚えてきたのか知らないが、カエルくんが私に訊いてきた。「ママ、順調?」すっ裸で風呂掃除をしている私に、思案するような顔で。私は少し考えて、「おおむね」と答えた。カエルくんは満足した顔で、すぐにどこかへ行ってしまった。でも、もしかしたら、こう答えたほうがよかったのかもしれないと思っている。「いつだって順調よ。でも、それを時々忘れてしまうってだけで」と。
2023.01.12
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爪が伸びてきたので、切った。しゃがみ込んで、ぱちぱちと切った爪が床に置いたティッシュを通り越して、遠くに飛んでいく。昔から、爪を伸ばすことが苦手だった。薄く脆いというか、きれいに伸ばせなかったということもあるし、テーブルに手をついたときに、先に爪が当たることに苦手意識があった。それでも、整えられた爪を見ることが好きだったし、なにも自分のものでなくとも、友人のものとか、雑誌に載っている女優さんのものでも構わなかった。手というのはとても個人的な感じがするから。日常生活とか衛生観念とか、そういうものが無防備に現れている。だから、興味があったのかもしれない。ジェルストーンなどでごてごてな爪はあれだけど(それも個人の自由だとは思うが)、伸びた爪というものは、ある種の攻撃性をはらんでいると気がする。何故かぶりっ子とか女っぽい子が昔から好きで、例えるなら、女特有の湿っぽいところではなく、カラッと乾いた潔い感じの子が好きだった。そしてそういう子は、一定期間群を離れる動物のように孤立することがある。それがこうして、ああなってというふうに、その期間に彼女たちと仲良くなることが多かった。大人になった今はそんな場面には出くわさないけど(大人になって本当によかったことだ)、そういう女の子たちの攻撃性というものは、やはり警戒を誘うのだろう。長い爪と同じで、わけのわからない防衛本能のようなものが、対象を遠のけるように働くのだ。実際、私の防衛本能はポンコツだった。過去付き合った人は、そういう子(A子としましょう)に告白した後、振られ、私に告白し、オーケーをもらった。私はA子ととても仲が良かった。恋人とのあれこれも、何故かまったく気にならなかっし、むしろ別れた後が本番という感じで、本当にA子と親しく付き合っていた。思えば、私はその恋人よりA子の方が好きだったのだろう。とてもシンプルな理屈で。本を読む子で、互いが内包する深い部分で私たちは繋がっている気がした。そういう人間のことは、なかなか忘れないものだ。今となっては、大人のあれこれで連絡を取らなくなってしまったけど(悲しいですね)、きっと今も、これからも会いたい人だと思う。もう戻れない、過ぎてしまったもの。あらゆるものは通りすぎて、私たちは捉えることすらできない。いざ会ったとしても、多くの語るべきことがあるように思えるし、実際には、語る必要があることなんて何ひとつないようにも思えるのだろう。ねえ、と私は呼びかける。爪を切り、遠く飛んだ欠片を集めながら。私、今でも本を読んでるよ。小説みたいなものも書いている。文字にまつわる仕事をして、四歳になる息子もいる。それでもね、根っこ部分というのはあの頃とまったく変わっていないんだよ。教室で交換した藁半紙や、足首に巻かれたアンクレット、窓際の席から、見上げた空の青に溶けそうになったこと、そういうことが今の私をつくっているの、と。爪はティッシュにおさまることなく、やはり遠くに飛んだ。私は立ち上がり、ゆっくりと欠片を拾った。
2023.01.08
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あけましておめでとうございます。年明けにぐうたらするために、駆け抜けた年末という感じでした。もっと早めにやればいいのにね。毎年そう思う。新年の抱負はまあ退屈なので言いませんが、新しいブーツの裏張りのために百貨店の駐車場で、こうしてちまちまと日記を書いているわけです。ろくでもないですね。手元にはサリンジャーの短編集。「彼女の思い出/逆さまの森」という本で、とてもおもしろい。サリンジャーといえば「キャッチャー・イン・ザ・ライ」で有名な作家さんですよね。日本では「ライ麦畑でつかまえて」のタイトルで有名かな。本編の内容を鑑みるに「ライ麦畑でつかまえるひと」というほうが正解だと思うけれど(村上春樹さん翻訳のものには、あとがきにそう書いてあるのです)、いろいろと曰くのある本で、今度は野崎孝さん翻訳のものも読んでみようかと思う。とにかく、おもしろいものはおもしろい。でも、いまは短編集のほうが好きかな。短編集に話を戻すと、「彼女の思い出」というお話で、とても好きなところがある。男の子が女の子に書きかけの戯曲を読んできかせるというところなんだけど、タイトルは「あいつはばかじゃなかった」。クールでハンサムで、普通にスポーツ好きの若者の話で……いってみれば、ほとんどおれのことなんだが……ロンドン警視庁が窮地に陥っているから、それを救うため、オクスフォードから呼びだされるというストーリーだった。前後の文がないからあれだけど、若気の至りと悲哀とユーモアがきいて絶妙にいい感じ。すごいなぁ、どうしてこんな文章書けるんだろう。うんうん、唸りながら、あたたかい車の中でお店が開くのを待っている。仕事はたくさんあるんだな、これが。家に帰ったらすぐに取りかからないといけない量。でも、今は見ないふりをしている。生きているだけ頑張ってるよな、私。そんなスタンスで今年も生きようと思います。あ、抱負言っちゃった。すみません。
2023.01.06
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クリスマスも終わり、師走の忙しさったらない。シノリちゃんは床だの家具のメンテナンスに、やっと重い腰をあげたようだ。うちにある家具はほとんど(というか全部)彼女が決めたもので、せこせこオイルを塗る姿がこの時期は見られる。Yチェアだとかカイ・クリスチャンセンだとか、ちょっと値の張る家具を当然のように買おうとする彼女に、そりゃ僕だって物申したいことはあった。結果として、僕は彼女の好きにさせた。あれは人生でトップ3に入るナイス選択だったと思う。僕は百の言葉を飲み込み、「好きにしたら(でも、常識の範囲内でね)」と言った。文句なんて言ったら、この先一生ナイフみたいな小言を言われ続けるに決まっている。洋服を買ったときだって、「へえ、いいわね。あなたは好きなもの自由に買えて」とか、パチンコに行けば、「パチンコに行くお金はあるのに、私に好きな家具買わせてくれないんだね」とか。容易に想像がつく。なにせ結婚指輪を買ったとき、「ねえ、私の方が安いのっておかしくない?」などどほざいた女だ。「金属量が違うんだから、仕方ないじゃん」と言った僕に、「うーん、なんだか納得いかないなぁ」と始終文句を言い続け、しまいに僕は何故かピアスまで買わされた。閑話休題。「好きなことしたら?」と言われたので、僕は庭の木を紅葉を剪定していた。そうだそうだ、手に入れたアボカドの種(昨日サラダに入っていた)も埋めようと思い、いそいそとプランターを持ってきた僕は、胡桃のようなそれを埋めた。アボカドはいかにも居心地が良さそうに、土の中で落ち着いている。まるでひなたぼっこをする犬みたいに幸福そうだ。ふと、視線を感じ顔を上げると、シノリちゃんがこちらを見ていた。彼女は室内にいて、「美容のプロが本気で薦める、名作コスメ」という雑誌を読んでいた。おいおい、いそいで作業しないと正月に間に合わないんじゃないかい?と聞きたかったが、僕は言葉を飲み込んだ。シノリちゃんは心底ばかにした顔で僕(とプランター)を眺めると、「フッ」と鼻を鳴らして雑誌に視線を戻した。すごく失礼である。さすがの僕も何か言い返そうかと思ったが、彼女が何を思い、何を言い返すか容易に想像がついたので、口をつぐんだ。僕は過去、レモンバームを枯らし、苔を干からびさせて、エンドウ豆を腐らせた経験がある。元気に育ったのは畑で放置しているインゲンくらいのもので、どうやら僕の手を介すと、植物たちは一様に元気をなくしていくシステムらしい。愛は片道切符であり、終着駅は枯れ野原。彼女は「なに植物愛好家然してんの」とでも言いたかったのだろう。鞭があれば一発くれてやりたいところだったが、あいにく目の前にアボカドの種しかなかった。投げてやればよかったのかもしれない。彼女がシュンとした方が世界は平和に近づく。でも、僕にその勇気はない。※このブログはフィクションであり、実際の三郎には関係ありません。
2022.12.26
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いくつか気の滅入ることがあって、まあ体調面のことなんだけど。そういうことに直面すると、日常のありがたさというよりはもっと本質的な、自分自身の生きる目的について考えさせられる。例えば、私はとりあえずカエルくんが二十歳までは生きようと思っているけど、(ざっくりな試算……)そうなると残り数十年、悔いのない人生を送るためにやるべきことって何だろうなって。ぷっつり数十年後に死んでしまうと仮定して、私が、私として生きた何か、その存在を感じさせるもの——そういうものが欲しい。だから、それがいまの課題なのかもしれない。そして、その寿命を終えるとき、「あー、やり切ったわー。もう終わり。ああ、最高。さーせんね、お先に失礼。それじゃ後のことよろしく!」と言って死にたい。ダメですかね?〝ちいさな死〟というものは、案外無防備に落ちている。私たちはそれを無感覚に拾い上げる。好奇心に、時には不安に駆られて。心が脆く震える瞬間、景色が鮮やかに見えたり、目の前の人が愛おしく思えたりするのは何故だろう。死をいつも持って歩くことは難しいことだから、どこかの誰かが「スパイスのきいていないチャイは美味しくなかろう」と、用意しておいたのかもしれない。(私はチャイが苦手だけど)いつかのそのとき、それはあたたかな泥のようであると信じたい。泥濘のなかで深く眠る。〝私〟を取り巻く、さまざまなしがらみを切り捨てて。頭は微睡み、体はたゆらう。私は私でなくなるということ。想像もつかないような奇跡みたいなことで、たぶんありふれた螺旋の仕組み。
2022.12.23
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すごくどうでもいいけど、外のトイレで三郎を待っているとき、「私くらいになると足音で三郎かどうか分かる」と、じっと睨んでいたら別の男の人が出てきた。すごくどうでもいいけど。昨日はアドレナリンが活発に分泌されていたのか、とても活動的に過ごすことができた。体調不良(単なる風邪)の三郎を気遣い、カエルくんのお世話をしつつ、家事を一通りこなした。こういうときのドライブ感といったら気持ちいい。しかし、問題はその後だ。正確に言えば、その翌日。私は言葉通りポンコツになり、仕事にも集中できず、夢にやぶれ、諸行無常。そこまでとは言わずとも、冬眠中のクマみたいにぼんやりしている。まあアドレナリンが常にばんばん出ている人というのも、怖いけれど。というわけで、バイタリティに溢れていた昨日、三郎とフレンチ料理を食べてきました。美味しそうでしょう?とても美味しかったです。我が家の定番はサイゼリヤで、カエルくんはハンバーグとプリンとドリンクバーをこよなく愛しているけど、私と三郎は結構うんざりしている。正直もう行きたくないし、メニュー表を見ても食欲がそそられない。(つまり食べたいものがないのでしょうね)カエルくんだけがよろこんでいる。我が家の混沌の時間だ。でも、ちいさい子どもがいる家庭にはとても親切なのだ。サイゼリヤって奴は。これからもお世話になります。品のいい女性が、素材や調理方法などを我々に説明してくれた。もちろんマスクはしているのだけど、目が印象的だった。笑うと眉がやさしく下がって、一目でいい人だとわかる目をしている。声は穏やかで、話しているとこちらまでいい人間になれた気がする(あくまで“気”なのだけど)。内包する、何か美しいものがにじみ出ているという感じだった。それはそれはいい時間を過ごさせてもらった。普段グルテンフリーをしている私は、(小麦を食べると肌が痒くなり、なんとなく落ち着かなくなり、動物病院にきた犬みたいになる)ここぞとばかりに熱々のバケットを食べた。なんてたって年に1回か2回、来るか来ないかのフレンチなのだ。玉ねぎとなんちゃらチーズがスフレ状になったバターも、とても美味しい。ガードルが拷問具のように食い込み、気持ちが悪くなったけど問題ない。三郎は、「美味しいものは食うんだな、こいつ」という目で見ていた。食事が美味しいって幸福度が高いですよね。オチもなにもないのだけど、年に1回くらいならまあいいということで。
2022.12.20
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ビリージョエルのPiano Manを聴きたくなるような夜だった。時刻は17時。カエルくんはチャイルドシートで眠っている。もと同僚のリボン(仮称)に会った。二人とも同じ会社に勤めていたけれど、紆余曲折あって辞めてしまった。それでもプライベートで会い続けるくらいには、仲が良い。カエルくんと同じ年の息子と、その下に一歳くらいの子どもがいて、カエルくんもリボン宅に行くのを、大層たのしみにしていた。朝起きて、「さあ、ネクタイくんの家にいこうか」と言っていたくらい。おいおい、まだ朝の6時よ。呆れる母に、彼はお気に入りトミカを鞄に入れて準備をしていた。昼過ぎのリボン宅にうかがって、ばかでかい子どもたちの喧騒をBGMに、さっそくティータイムに洒落こんだ。「この前ちょっと腹立つことがあってね」リボンの膝にはちびすけが固定されたように座っている。動いても、帰巣本能の強い鳩のようにその場所に戻ってくるのだ。「ピーくん(リボン夫)の弟が来たとき、少し気取ったお店を聞かれていたの。いい店を知らないかって」「なるほど」私はちびすけが気まぐれに渡してくれる、みどり色のクーピーやセロテープを受け取りながら頷いた。「なんて言ったと思う?」「(なんとなく予想はついていたが)なんて言ったの?」と私は尋ねた。「さも自分が行ったことあるみたいに、何件か挙げていたの。思わず弟くんが帰ったとき、聞いちゃったもん。『私連れていってもらったことありませんけど』って」私は笑った。兄貴風を吹かせたというところだろうか。妻からすれば腹立たしい案件だろう。ちょっと気取ったお店にそりゃ連れていってほしいもんね。私は三郎が小指あわや切断という大怪我をしたことを思い出していた。三郎はひいひい言っていた。痛み止めも効かず、夜も眠れないそうだ。さすがの私も同情して、身の回りのあれこれをやってあげた。問題はそのあとだ。ことあるごとに「俺は小指を切断しそうになったから」と言うのだ。なんでも、男の世界には「怪我自慢」というゲームがあり、より危険で、より痛みを伴う怪我が強いカードになるそうだ。くだらない。大切なのは、決してシリアスなものではないこと。いまはこの通り健康体だけど……というのが重要らしい。そりゃそうだ。私はそういう理解不能な、けれどデリケートな彼らの世界を考えていた。少しセンシティブな生態。愛さずにはいられない、とまでは思わないが、かわいいもんじゃないか、とは思う。そのあと、私とリボンはごくごくをお茶を飲み(ほうじ茶でした)、凄腕のボクサーのように、あくまで個人的なことを鋭いストレートのように繰り出した。彼らなら一発で沈んでしまうようなパンチだ(比喩です)。リボンが微笑み、私も笑った。その微笑みにはこっそりと二人で示し合わせる以上のものがあった。ジントニックがなくとも、ほうじ茶で十分たのしむことができる。まったくいい時間じゃないか、ピアノマン。
2022.12.18
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つい先ほどの出来事だ。私は、カエルくんの朝食にクッキーを焼いた。お菓子作りが趣味というわけではなく、偏食ぎみの彼が食べるものをということで、おからだとか米粉だとか、そういうものを簡単に混ぜて焼くだけのものだ。専門的技術もやる気もいらない。カエルくんがクッキーを食べているあいだ、私はテーブルに腕を折りたたんで、うつ伏せになっていた。学生特有の昼寝スタイルである。人間、誰しもセンチメンタルに浸りたいときがあるものだ。つねに貧血気味で、ついには要診察の項目にチェックを入れられたし、朝起きたとき、いつも暖房の予約を入れ忘れてるから寒い(しかし、明日も忘れているであろう)。カエルくんはクッキーを咀嚼しながら、テレビを見ている。Eテレを経済ニュースのように、ぼんやりと眺めながら。不意に、頭を撫でられる感覚があった。カエルくんがそっと頭を撫でてくれたのだ。私は、思わず涙を流しそうだった。優しさがじんわり春の雨のように染みた。「ありがとうね。カエルくん」私は言った。優しく笑った。息子はまったく無邪気な表情だった。「ママの髪をね、クッキーでとかしてるよー」私は表情を失った。おそるおそる手櫛を通すと、クッキーの滓が指に引っ掛った。かろうじて微笑みのようなものを浮かべた。カエルくんは最後のクッキーを咀嚼し、にっこりと笑った。「クッキー美味しかった?」「おいしかったー」「それはよかった」本当に、それはよかった。
2022.12.17
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皆さんはどういったパジャマを着ていますか。女性ならワンピース型?上下分かれたものがスタンダード?私はくたびれたティーシャツに長袖のインナーを中に着ています。下は無印のズボン。今はパンツという方がいいのだろうか。まあいいや、どっちでも。とにかくそういうものを着ている。年末に三郎の妹さんが帰ってくるので、私としてはあまりみっともない恰好を見られたくない。三郎の弟やお義父さんやお義母さんには見られても構わないのに、同性はちょっと嫌だ。ささやかなプライド(というより見栄?)がある。最近は、もっぱらパジャマについて調べている。希望としては、シンプルな襟のないワンピース型がいい。分厚い生地は洗濯するときかさばるから嫌だ。カエルくんが私のお腹をさわって寝るものだから、できれば前開きのものがいい。ジェラートピケのサイトを見て、こんな甘ったるいのは似合わないだろうなとか、もうちょっと装飾のないものはないだろうか、とかネットの海を泳いでいる。部屋着についてもそう。やっぱりワンピース型がいいけれど(ほんとワンピースが好きですね、私は)、酷使するタイプの着方をするから、黒は控えたい。色褪せた黒ほどみっともないものはない。だんだんと年末が迫ってくる。お店は休暇に入り、商品の配送が年明けになる可能性もある。頭では分かっている。私だって馬鹿ではない。しかし、膨大なパジャマのデータをあさっていると「パジャマとは…?」とゲシュタルトが崩壊してくる。そもそも、私はどんなパジャマが欲しかったんだっけ?今のやつもそう悪くないんじゃないか?麻痺した頭で鏡を見てみても、そこにはさえないパジャマを着た、さらにさえない私がいた。眼鏡をかけ、唇の色は悪く、顔色も青白い。こんなの、ジェラートピケの方がお断りだろう。甘いってなんだ。ほんと生言って、スンマセン。夜は思考能力が下がるから……、とまた問題を見なかったことにする。そして朝、いつもと同じようにパジャマを買おうと決意する。鏡に写った私は、どうみてもさえていない。その繰り返しである。
2022.12.16
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三郎について書いてみようかと思う。在宅ワーカーなので、日々のことを書こうとしてもあまりネタがないからである。彼はすこやかな男で、私は彼に言われて、多分この先もずっと覚えているであろうことが2つある。1つはまだ付き合う前のことだ。私たちは夕食を食べて、ロマンチックな夜景を見に行っていた。有名どころではなくて、県庁の展望台だ。私はこの段階で「この人と付き合うんだろうな」と感じていたし、悪い人ではないと知っていたので、(私たちは職場内恋愛だった)結構気楽な感じで言った。「私、登ったことないんですよー。きれいらしいですね」三郎はにっこり笑った。にごりのない、無邪気そのものの笑顔で。「ここは、僕の定番のデートスポットなんですよ」「へえ〜」まともな神経の人は定番のデートスポットという言葉を使わないだろうし、女の子によっては不快な思いをして、友達に愚痴をこぼす子もいるかもしれない。「ねえ、あの人私のことどういうつもりで誘ったのかしら。今まで何人も連れている展望台に」なんて。でも、文句は言えない。身から出た錆だ。私は何も言わなかったが、内心爆笑だった。こいつ、あんまりモテないんだろうな、と思った。その予感は多分外れていない。彼はとても誠実だし、見かけもまあ悪くないと思うけど、多少無邪気が過ぎるもかもしれない。でも、私はそういうすこやかなところを結構愛してる。2つ目。多分、恋人を顔で選ぶかどうかという番組を二人で観ていたのだと思う。毒にも薬にもならないテーマだ。でも、それは私たちにとっては毒だった。それを見て、三郎は言った。(もう予想がつきますよね)「俺は、恋人を顔で選ばない!」「ふーん、あっそう」としか私は答えなかったけど、後日、友達に「何で怒らないの!」と叱られた。でも、何も思わなかったんだから仕方ない。のちのち考えると、かなり失礼な台詞である。この件については、第三者委員会での問題の検証を検討し……、なんてことにはならなかったけど。でも、本当に腹は立たなかった。私は私の外見だとか、そういう構成しているものに不満はないからかもしれない。(そりゃあ細かいところ言ったら、きりがないけれど……)強いて言えば、顎がもう少し短かったらいいかなとか、あとは二重幅がもっと広ければよかったな、とかはあるけど。ごにょごにょ。三郎の言葉にいちいち怒るような、ちいさい度量はしていない。多分。こうして散々書いているけど、私の方が弁が立つぶんひどいことは沢山言っている。お互いさまというものだ。あと、こうして書いているともう一つ思い出した。三郎がよく言うフレーズだ。私が鏡の前に立って、くるくる回りながらポーズを取っていると、私の身体をじっと見て、「いいなあ。君はいかり肩で。俺もなで肩じゃなくていかり肩がよかったよ」と言う。また来たな!と思った私は、振り向いてこう返すのだ。「私って結構たくましいのよ。知らなかった?」口角を片方だけ上げて、うんとタフな顔をしながら。
2022.12.14
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だいたい三カ月前に、三郎は車を売った。新車で買ったジムニーは、カエルくんのお気に入りだった。私は正直、あまり好かなかった。後部座席が異常に狭く(助手席はカエルくん固定)、足を斜めにし、ジョイントした紙みたいに折りたたまないと座れないからだ。そもそもオートマチックしか運転できないので、私からすればマニュアル車であるジムニーは、煮ようが焼こうが好きにすれば、という感じ。今、三郎は農作業用の軽トラに乗って、出勤している。思い立って、中古車販売店に行った。私も三郎も、中古車販売店で感じのいい店員にあたったことがない。幸い、はじめに名刺をいただいた店長さんはいい人そうだった。これはいけるんじゃないか、という思いが我々の頭によぎった。「いい人そうだね」「うん」タブレットに諸々入力しながら、三郎はキッズスペースに目に留めた。「カエルくんいたら、すごく喜びそうだ」「たぶん、帰らないって言うよ」「連れてこないようにしよう」なんて、和やかな雰囲気。ちょっとびっくりするくらい贅沢なキッズルームで、(できたばかりの中古車販売店だったのです)感じのいい店長さんが感じの悪い店員を連れてきたとき、一種の共通意識が我々に通じた。こんがりと焼けたクッキーみたいな肌をした店員は、妙にぴったりとしたユニフォームに着、眉は細く、七三に髪を分けている。指先でリズムをとる癖があるのか、せわしなく人差し指をタブレットに打ちつけている。三郎と青年があれこれと話している間、私は本を読ませてもらった。もはや他人事である。チャンドラーの「さよなら、愛おしいひと」を開き、何度読んだかわからない、すごくぼろぼろで、くたびれた老兵みたいな本を開いた。「これくらいはしちゃうますね。まあ新車で290万はするから、この金額でご納得いただけないようであれば、新車でっていう感じにはなっちゃいますよね」と青年は言う。三郎は考えると、むっつり黙り込んでしまう癖がある。ちょっと不穏な空気に、私ハラハラする。青年の人差し指を打ちつける音が、タ、タ、タ、から、タタタ、と変化した。仮に欲しい車をAとして、新車の見積もりはすでにもらっていた。290万はちょっと高いな、ということで我々は中古車を覗きにきたのだ。「240万か……」と三郎は言った。「この240万という金額は相場なので。というかこの価格に納得できないなら、どうして290万の新車を買わなかったんですか?」と青年は言う。なかなかの勢いである。三郎は少し考えます、と答えた。「それがいいですね」と青年はちょっとおざなりに返した。店の外は風がびょうびょう吹いていた。髪が乱れ、店の旗が風に翻り、目の前の道路からは車の通る轟然たる音が聞こえてくる。歳を重ねるというのは、不条理と風の冷たさを知ることかもしれない。「あの人、好かないわ」私は言った。私たちは一人と孤独の違いを知っている。そして、その治療法なら存在するということも。車の窓には覇気のない男女が写っていた。
2022.12.13
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棕櫚は保育園からの友人だ。2、3カ月に1回は会うから、割とコンスタントに会う友達ともいえる。色が白く、背が高い(こう思うと私の周りは背の高い子が多いのかもしれない)。中学時代、私たちはアンガールズと呼ばれていた。シャトルランなどはまあ地獄で、二人ともそれはそれは無様に走るものだから、『エヴァンゲリオン』の称号をいただいたものだ。どちらが初号機かはわからないが、私でないと信じたい。彼女が私の家に遊びに来てくれるということで、あさましい私は、花をさもいつも飾っているかのようにセッティングした。今月は車の修理費がかさんだところで、花にお金をかける選択肢はない。裏庭から南天を拝借し、花瓶に飾った。棕櫚は心のきれいな人間なので、「お花(というか枝)きれいだね」と言ってくれた。私は「そんなことないよ」と返した。ほんとに、全然、そんなことはないのだ。花を買うお金もないというのに、直売所で500円もするキノコを買う羽目になった。神様とはいるものだと思う。茶色のセットアップを着た棕櫚のお腹は、ふっくらと膨らんでいる。妊娠5か月なのだ。「ねえ、このキノコいくらすると思う?」 と私は棕櫚に声をかけた。「あまり馴染みないキノコだね」と棕櫚は言い、購入した私のキノコを手に取った。マツタケとシイタケの掛け合わせたキノコは、ちょっと大きくしたシメジのよう。「これ500円もしたんだよ」と私は言った。「落としちゃってさぁ、買う羽目になったの。こう見えて私って小心なんだから」「ふうん」「ねえ。これ500円もしたんだから」※しつこい棕櫚は「これサンフジとシナノスイートどっちが美味しいかなあ?」などと訊いてくる。んなもん、どっちでもいいわ!と私は内心思った。棕櫚は何を選ぶにせよ、時間がかかるのだ。志望校だって、洋服だって、男の人だって。待ちくたびれて、私はいつも退屈してしまう。でも、結局は待っている。後ろを振り返り振り返り、「おーい」などと呼びかける。「どっちでも同じじゃん」と私は言った。「そんなことない」と彼女は言う。「りんごはりんごだよ」「もー、もう少し待ってってば」こういうやり取りを三回くらい繰り返した。たぶん、この先もずっと続くやり取り。退屈した私は、店内をうろつき、高価なキノコが並べられた棚にぶつって、件のキノコを買う羽目になったのだ。彼女は私に欠けているものを持っている。私は彼女に欠けているものを持っている。それだけのこと。\デイリーランキング入賞♪/花瓶 フラワーベース ネック おしゃれ 高さ26cm 大きいサイズ 口径10.5cm shesay 枝物 再生ガラス 吹きガラス 透明 エシカル ハンドメイド リサイクル ECO REUSE GLASS ネック neck 旧:SHISEI-Hornplease リューズガラス
2022.12.11
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今日はカエルくんの発表会でした。劇とダンス組に分かれて、カエルくんは後者の方だったのだけれども、頑張っていました。コロナの影響で、子ども一人につき親も一人という方針。まあいろいろな考えがあるのだろうけど、とにかくよかった。無事に終わって。カエルくんには仲の良いお友達がいて、仮称クマキチくんとしましょう。クマキチくんママと私も自然に話すような仲に。「やばい。自分の子どもが出ていないのに泣けてくる」「わかるー」私たちの子ども出番は次の次で、だから気持ち的にはまだ余裕がある状態。こうして話す気楽さがある。暗幕が閉じると、一気に喧噪が戻ってくる。お互いに子どもの羽織りをひざ掛けにして、ああだこうだと話す。「来年から仕事復帰しなくちゃいけなくてさぁ。なんか不安」とクマキチくんママは言った。「あ、下の子決まったの?」「うん。だから、来年の4月までに復職しないと」「えー、よかったね!」拍手をする私に、濃紺のチェックのストールを手繰り寄せながら、クマキチくんママは微笑んだ。ほっそりして、マスクから覗く肌が青白いくらい。目尻に感じの良い皺がある。声は穏やかで、昔陸上で短距離をやっていたという彼女は、私と同じくらい背が高い。「ありがと。でもね、不安しかないの」寒気のため、開け放たれた窓からびゅうびゅうと風が吹きすさんでいた。私たちは互いにそのマスクの下を見たことがない。マスク一枚分あけられた距離。多分、それは適切な距離なのだろう。当然、それを踏み込むのにはちょっとした勇気がいる。ブザーが鳴り、再び暗幕が開いた。子どもの出番になったら、母親然して笑うこともできる私たちは、笑顔の裏でそれでも迷うことは沢山ある。例えば、連絡先を交換するのに、ちょっとした勇気を奮い立たせているときとか。「うちも同じだよ。いろいろあるよね」と私は言った。クマキチくんママは微笑み、そして、何でもないように前を向いた。名も知らぬ子どもたちの遊戯が始まった。保護者が集まるステージ前は、いつかの教室のような匂いがした。※連絡先は無事に交換できました。
2022.12.10
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はじめまして。大きな市との合併を逃れた、気の利かない町で暮らしているシノリと申します。こういう説明ってどれくらい意味があるのだろう。男の人の怪我自慢くらい、どうでもいいものなんだろうな。こんなことを書いていますが、現状住んでいる町に文句はありません。まあ緑が多いところだから、花粉症の時期は杉の木を見ると「きーッ」となるのは事実だけれども。概ね、いいところです。花粉の時期をのぞけばね。ブログタイトルは、ヘンリー・ワーズワース・ロングフェローの名言から。雨の日にできる最善のことは、雨を降らせておくことだThe best thing one can do when it’s raining is to let it rainカエルってかわいいですよね。手をばんざいして、わーいわーいと雨によろこんで。息子もそう。仮称カエルくん(4歳)はいつも踊っています。原始のリズムがしみ込んでいるのか、音楽がかかると雨の日のカエルみたいになる。いいよなあ、すこやかで、と私は思う。送り迎えしんどいとか、買い出し面倒とか、雨死ね、とか、お母さんはそういうことを考えてるのにね。雨はやまない。仕方がない。雨側にも都合ってものがあるのだろうから。雨の日、私はアイロンがけをする。正しいことをすると気持ちが落ち着く。アイロンがけは正しい。読書と同じで、アイロンがけを咎める人は多分いない。夫――三郎のシャツとか、カエルくんのハンカチとか、まあそういったものを、まっすぐにのばしていく。現実というのは、受け入れる他に付き合いようがないから。ちょっと不幸で、ちょっと幸せなくらいがずっと続いていく。昨日は、散歩に行きました。風が冷たくて、3キロも歩けば耳が痛かった。遅いわけではないと思うけど、ランナーのおじいちゃんやおばあちゃんにどんどん抜かされていく。もちろん、若い方は言うまでもなく。「壊滅的に遅いんだろう」と三郎は言う。たしかに、私は遅いのだろう。ウォーキングシューズだって履いていないし(私の靴はダンスコだ)、一見ひやかしとしか見えない恰好をしている(ぴらぴらのワンピースとか)。【並行輸入品】ダンスコ プロフェッショナル dansko professional クロッグス サボ 送料無料 パンプス レディース 女性 靴 厚底 コンフォート レザー 革 スリッポン ブランド 本革 ヒール5cm 歩きやすい 痛くない 大きいサイズ 滑りにくい ウエッジソール ブラック 黒 白ささやかな意見を言わせてもらえれば、身長だってその辺の男の人よりよほど高い。(私は170センチある)当然、歩幅だって大きい。私が遅いんじゃない。彼らが速すぎるのだ。そう結論づけると、三郎は「いやいや」と笑って、顔の前でハエを追い払うような動作をした。「形から入るのはやめてくれよ。どうせ続かないだろうから」「そんなことない」私、反論する。「靴なんて沢山あっても、どうせ履くのは一人だけだから」「私の倍の数、靴を持っててよく言えるわね」私は短く笑い——苛立ち、挙句呆れるようなときの笑い方で、「つまらない正論なんて言わないでよ」と言った。正気をかき集めて考えても、靴を変えたところで速くはならない。でも、得意顔になる目の前の男を見たくなかったので、私は沈黙を守った。そういうちっぽけな人間の備忘録です。お含みおきを。
2022.12.09
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