全7件 (7件中 1-7件目)
1
少し前――いつか忘れた――NHKの「英語でしゃべらナイト」にゲスト出演したあと、数ヶ月ほど経ってから、某プロデューサーに直接電話をした。「あのパックマンかパックンか忘れたが、二人で英語で対決させてくれないか。10分だけでも。あとは日本語エンタテ番組でいいから」。「おもしろい、考えておきましょう」というNHKらしい返答。考えておいてくれるはずはない。それから数ヵ月後、DHCの某女編集員から、「先生がパックンの英語をほめたことが愉快でした。ぜひ先生とパックンと英語と日本語の対談を本にしたいのですが」という丁重な手紙を頂いた。(おもしろい、対決してみるか)と私は半ば乗り気だった。しかし一ヵ月後、やっと相手からお断りの返事があったという。やはりまだ「英語でしゃべらナイト」に対するこだわりがあったのだろう。断って正解。この狼が羊の番組を支持するはずがないから、敬遠して当然だからだ。
2009年07月23日
コメント(2)
速報。本日夜10:00~11:25にNHKで『英語でしゃべらナイト 大感謝祭スペシャル』が放映される。2年間の番組を振り返る総集編に、私も登場。 私がパックンの英語(日本語でなく)を褒めた、あの瞬間が話題になったそうで、僅か25秒程度だが、まさにthe moment。もうすぐ放映されるヒストリー・チャンネルのドキュメンタリー番組では、私ももっと目立つはず(!?)ちなみに、上記番組の再放送は、3月23日(月)NHK総合にて深夜0:15~。
2009年03月16日
コメント(0)
NHKにカットされたシーン(3) (前回はこちら)NHKのスタジオは、吼えるところではない。昔の日本人は、sometimesをソメティメスと発音したこともあったが、それでも必死に外国語を学んだ。今のように、テレビやDVDのないラジオだけの頃の日本人の真剣な態度。「勉強しろ!」 とカメラに向って、叱った。この部分は案の定、カットされた。それでいい。soft loveとtough loveは互角でいい。しかし私のtough Englishのスタンスは変えない。英語は道具であるが、日本の文化(言語を含め)を死守するには、武器でなくてはならない。『ドラゴン桜』(全21巻)「人生を変えろ!勉強しろ!」 これもtough love ドラマからハマッた
2008年03月08日
コメント(0)
ま、いいか。テレビ収録とはそんなものだ。(その(1)はこちら)私の反論を聞き入れてもらっただけでも嬉しい。しかし、NHK「英語でしゃべらナイト」レギュラー陣のdefenceも見事なもの。 「まずは下手な英語でも喋れ!」という姿勢は一貫している。それなりに品格は保たれていた。たしかに、私もそのようにして、恥や外聞を捨てて喋ってきた ―― そして今も。それも一種のtough Englishではある。しかし、そこに品格があろうか。品格のある英語を学ぶには、「英語でしゃべらナイト」のsoft Englishから卒業することだ。そしてtough Englishへ。私のいうtough Englishは、tough love(愛のムチ)に支えられたものだ。次は愛のムチについて語ろうか。 3月の紘道館「例会報告」を更新⇒テレビで伝えられなかったことを話した 念ずれば花開く 映画:『12の怒れる男』 何回も観た
2008年03月07日
コメント(0)
私、こと英語武蔵は、NHK「英語でしゃべらナイト」ではホンネで喋らせてもらったのだから、随分カットされることは覚悟していた。ところが、意外に私の言い分(物言い?)が残されていた(寄せられたコメントの中には、私のホンネが出ていないと不満気なものも多かったが)。さすが、NHKスタッフ。編集が巧い。そして懐も深い。私の英語は日本刀だ。日本語を、そして日本文化を守るために研いている。シーズン2は「英語で闘わナイトにしろ」と斬り込んだ。ここまではカットされなかった。しかし、カットされたのは、紘道館の授業で強調したtough Englishの必要性を英語で説いたシーンだ。 取材の様子は「紘道館2月の例会報告にて」2人のネイティヴ・ゲストとの会話(英語)シーンはカットされた!!映画 『12人の優しい日本人』 ~もしも日本に陪審員制度があったら~(来年から本格的に裁判員制度が始まるというが…)
2008年03月06日
コメント(0)
ディベートは品位を失わず論敵と対決する知的スポーツである。そのルールは敵のプレイヤーに敬意を表し、彼らからも学べるといった爽やかさと、心の余裕である。日本に数多あるディベート組織の中には、「ディベートは全面否定だ」と断定するカルト的リーダーがいるが、誤解も甚だしい。論敵の立場を尊びながらも凛として妥協せず、是々非々の姿勢を崩さず、たとえ敗れても潔く敗北を認め、相手の勝利を賞賛し、感謝を込めて握手を求める。ここでディベート道(論道)は、西洋の騎士道の優しさ(ジェントルマンシップ)と、日本の武士道の美意識とが合流する。勝って驕らず、負けて倦(う)まず、禅の平常心で行うのが論道(ザ・ウェイ・オブ・ディベート)である。この議論、交渉、談判、外交に通じる美学は、まず言霊の霊威に育まれた日本語によるディベートから学び始めるのが筋であろう。隗より始めようではないか。 <NHK番組の撮影風景。なつかしい…> <NHK番組でロバート・ホワイティング氏と> 現在のNHK。技術が進んだ。⇒英語でしゃべらナイトのHP
2008年02月23日
コメント(2)
早期英語教育より、早期日本語ディベート教育だ ~その3~ディベート力には「読み、書き、聴き、話す」という四技能の全てが加わるから、とっさの判断、つまり決断力(critical think)の涵養に役立つ。「AもBも」ではなく「AかBか」という発想は、日本人にとり苦手なものだが、危機管理の一環としては避けられぬ瞬発的な意思決定は、役立つものである。国語力とは、古典文学の鑑賞 ―― これも大切だが ―― もさることながら、討論、交渉等に於けるひらめきや価値創造も加わるから、トータルな人間力が増す。グローバル思考で世界の常識を吸収するために、速読、速聴、速書、速話、速考は避けられまい。ところが惜しいことに、英語好きな人は往々にして、言葉の背景にある情報や哲学よりも、外国語そのものに酔いがちで、日本人としての矜持を再認識する余裕がなくなっている。もっと日本語による教養と思考訓練(ディベートや読書体験を含め)も必要である。日本語をグローバルなロジックで強化する工夫は焦眉の急である。<続きは館長ブログで>⇒館長ブログ NHK英語でしゃべらナイト予告 <2月22日は猫の日>
2008年02月22日
コメント(0)
全7件 (7件中 1-7件目)
1