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中国人の好きな、「四知」。日本では「禅と陽明学」の大家、安岡正篤がよく引用されている。「だれも見ていないじゃないか」とワイロを渡されても、断る。「私も知っている、あなたも知っている、天も知っている、地も知っている」。この言葉にジーンときたものだが、この言葉の意味は、私が調査したところ、中国人の解釈は全く反対だった。「みんなも知っている、安心して、カネをとれ」。じゃ、といってワイロを取るのが、四知。本当?信じられない。中国に関しては、もっともっと知りたいことがある。とにかく、僅か一週間、上海を知るだけで精一杯。ここはまるで大阪(50年前の)。ごった返している。カオス状態。運転手のマナーも、通行人のマナーもわるい。一人の日本人とも話しかけず、東京へ国際電話もかけず、汗びっしょりになって、下手な中国語を使い、上海の街を駈けずり回った。学んだ標準語(プートンファ)が上海では通じない。感冒薬を買うのも一苦労。ホテルで一日中寝込んだ。脂っこく、辛い中国料理で、胃の調子が悪くなった。やっと成田へ戻った。「お疲れさま」と労をねぎらってくれた。お疲れさまは、英語ではGood work. 英語にはない。しかし、中国語にはある。辛苦了(シンクーラ)
2011年08月12日
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中国人の好きな言葉、黒猫白猫保好猫。猫は黒色でも白色でも、好い猫だ。このあとに、「鼠さえとれば」がくっついている。これが中国人の功利主義(pragmatism)。こういう実利発想がアメリカ人気質に合う。情抜きだ。 日本は、とくに東京では、そうはいかない。意地、プライドなど「情」が加わる。英語ができて、国際派といわれた人、とくに大学の教授は、英語を勉強しろ!等とストレートな発言をしない。恥ずかしいのだろう。中国人の面子(ミエンツ)は、こんなときには用いない。もっと雄々しい。「英語を学んで、祖国に恥をかかせるな」。Never let your country down. Never let your country down. Never let your country down. とコーラスで、英語を身につけさせる。英語を音声として、学ばせる。私が生駒の英語道場でやっていたことと同じである。発音より、発声だ!と吼え続けた。4,5日の上海滞在で、ちょっとした中国語が話せるようになって自信を得た。Crazy Chinese。これも英語道の原理・原則(ユエンズ)の応用に過ぎない。ところで、私は南方熊楠が大好きだ。あの天才学者は、言葉から入った。小さいところから入った。粘菌から宇宙の実相を学んだ。彼が狂人であったからか。私の実弟(篤弘)は、病跡学の研究家だが、私と熊楠の共通点を「狂」に置いているようだ。たしかに私は狂っているかもしれない。22、23才の頃から、英語道の「こころ」はと問われ、苦しまぎれにGrow younger.だと答えている。ロマンチスト(romantic)とは、risk takerのことだ。「先生、お若いですね、永遠の青年ですね」と褒められて、有頂天になっていた。しかし、最近、秘書のインターン生(23)の一言で目が覚めた。「君のお父さんのような歳の上司ですまないが...」と切り出したところ、「いや、お爺ちゃんですよ、グランドパパですよ」と切り返された。傷ついた。決して彼女を攻めないでほしい。上海の地下鉄内で、私に席を譲ろうとした人が、5日間のうち、3、4回あった。最初はムッとしたが、やはり私は老人なのだ。(つづく)
2011年08月06日
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それだけではない。西洋人が簡単に中国語をマスターできるのは、文法にある。「我要喝黄酒」は英語では、I want to drink yellow wine.(黄酒とは紹興酒のこと)となり、S+V+Oの構文は同じで、どちらもhead-first languageだ。私(オレ)が先にくる。日本人、とくに大阪では、この順序はあいまいだ。下手なカタカナ英語を使うと日本語。文法はアバウトなのだ。「やっぱ、紹興酒やな、ホンマにオレが飲みたいんや」順序を無視しても通じる。 Crazy English(フォン・クオン・イン・ユイ)で中国本土で引っぱりだこのリー・ヤンは述べる。「日本人は、口をもごもごしているだけで、英語の発音はできない。彼らは英語の学習にめちゃくちゃカネを使うがモノにできない。日本人に英語を教えるのは、発音に甘い英米人ではない。我々中国人が日本人に英語を教える時代がきた」私はこの発言で火がついた。中国人と英語で勝負できるのは、ナニワ英語道と、東京の紘道館だけだ、と吼えたくなった。(つづく)
2011年07月31日
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さて、上海にある漢院でマンツーマンの授業を受けた。北京語を話す講師陣はすべて、23~24才の若者ばかりだ。東京でも私の部下の大多数が23~24才というから、奇しき縁を感じる。いやというほど四声をたたき込まれた。基本は音、そしてリズムだ。私のカタカナ英語発音記号など全く役に立たない。万里の長城をワンリチャンチャンと書いても、通じない。ワンリィー、チャ――ン、チュオンと鼻から音を逃がすのだ、といわれる。「長」は外へ、「城」は内へ。呼吸なんだ、と。禅は、ツア――ン(ヌ)。子音で止める。Nを(ヌ)と発音するのだといい続けてきた私は正しかったのだ。日本語はまるで母音だけの言語のようだ。だからdebateがカタカナのディベートとなる。aはエイという二重母音だが、日本にはない。またこのdが厄介だ。道教のdaoismとタオイズムと同じぐらい強く破裂させる。だからドゥベエイ(ト)となる。日本語は難しい言語だといった人は誰だ。海外語の話せない日本人だけではないか。私の会った中国人は全て日本語が巧い。日本語は簡単だという。舌の構造が違うのだろう。私は、中国語も、とくに韓国語の発音も苦手だが、彼らは、あっという間に日本語をマスターしてしまう。こんな私でも中国語の発音はほめられる。「先生は英語をやっておられたから、中国語はラクですよ」といわれる。西洋人は、音(耳)から入りマスターする。日本人は活字(眼)から入るから苦労するらしい。(つづく)
2011年07月25日
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とにかく、速筆家で知られた私。ワープロ班がいれば、アップロードを苦にしない若者がいれば、情報に事欠かない。エッセイと絵日記などアナログ部分を中心とする私と、IT技術に強い若いスタッフの布陣といったところ。 憂国の士、ドラゴン松が吼えるつもりだが、ナニワ英語道の方は、のんびりと肩の力を抜いて、腐らない内容を、語り口調で書き続けていくつもりだ。本年末には、アクセス数が50万に近づくというから、こちらもできるだけ新ネタで勝負したい。さて・・・、上海へ飛ぶ。こっそりと。何故、何故という質問攻めがいやだから、独りで成田空港へ向う。71才で本格的に中国語を学ぶ。それも一週間の短期留学。私はイラチ(patient)なナニワ人。ナニワ英語をモノにした精神で、中国語をゼロから学びたかった。術は道を求め、道は術で証す。ナニワ英語道が機能することを証明するのは、見えない「道」ではなくて、見える「術」によってである。ナニワ英語道が本物である証(あかし)は、上京して術で証明することであった。そのためには、基本を大切にすることだ。発音、そして発声である。発声は、呼吸と関係があり、大阪時代の私は徹底的に腹式呼吸を強いた。柔道部の私が関学のESS(西の慶応と呼ばれた)を英語力で圧倒できたのも、呼吸法であった。(つづく)
2011年07月23日
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(7/6のつづき)尖閣諸島が気になり、近くの石垣島へ行った。旧友の徳松信男教授(放送大学)がおられる。八重山防衛会の三木巖会長のドライブで、島の輪郭がつかめた。緑と水。こんな桃源郷が? 中国がよだれを流すだろうな、ここにも護国神社をとふと考えると、三木氏も同じことを考えていた。宮古と違って石垣には神社がないんですよ、と。護国神社の伊藤陽夫宮司と一緒に石垣島探訪に行きましょうと誘うと、ニッコリ承知していただいた。このサムライ宮司が信頼されているサムライ・ジャーナリストの竹村春夫氏は、いずれ尖閣島にも神社が要りますね、という。私は中央政府、中央のマスコミとソリが合わないから、いずれ流刑の身になるかもわからないから、今からどこかの離島を考えているよ、と冗談混じりにいうと、チベットのペマ・ギャルポさんが、あのにこやかな顔で、「センセイ、センカク島はいかがですか」と即座に答えられた。「日本がチベットになるのか」という質問(NONESのサムライ・トーク)に対しても、同じ表情で答えられた。 あの護国神社(今年3月で琉球の人たち25万人が参拝したという。明治神宮を超えた)の伊藤宮司と私が顔を合わせれば、そして泡盛が入ると、必ず大和魂に火が点く。なぜ私がここまできたのか。私の英語に聞いて欲しい。私の英語は日本刀。(つづく)
2011年07月10日
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(7/3のつづき)英語教育も日本語のディベート(琉球では、究論より、球論でいこうか)。島の人たちにはpeer pressure(周囲の眼)がある。西洋では、仲間からの村人的プレッシャーは悪と考えられていたが、それが逆にプラスになる。フィンランド教育は格差ではない、非競争的原理で動いている。そのキーワードは「信頼」だ。そして教育水準は世界でトップ。 離島でもできないことはない。秋田の国際教養大学でやりたいこともできなかった、くやしさもあり、なんとか実現させたい。紘道館というsocial networkを日本全土に広げたい。校舎もカネも要らない、究論道を信じる道友だけでいい。(つづく)
2011年07月06日
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(7/2のつづき)久高島は、カネで買えないものばかり。久高島の留学センターの坂本清治先生は、大都会から流れ流れてきた登校拒否児を、正常に戻されている。この人間と私は組んで、教育革命を離島から始めたい。沖縄を教育県にすると、狼煙(ノロシ)を上げた。(つづく)
2011年07月03日
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(6/29のつづき)大都会は、学歴中心、教育も偏差値で決定される。親力(ほぼ学費支払い能力)、つまりマネーが支配する。情報とはマネーに他ならない。一流大学を出た人が、官僚になる。天下りで、一流会社のトップになる。原発がクリーンであると吹聴するための口止め料がガッポリ入る。大都会人は誘惑に弱い。久高島の人たちは、カネでは動かない。(つづく)
2011年07月02日
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(6/26のつづき)琉球紘道館を中心に、ディベート道(究論道)を広げていこうと思っている。私は久高島の小・中学生にユイマール・ディベートを指導しようと思っている。沖縄は貧乏な島だ。しかし、自然環境的にはrichだ。人間をhuman capitalとすれば、アイヌから逆影響をされている北海道の人たちに匹敵する。(つづく)
2011年06月29日
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(6/22のつづき)ディベート術からディベート道にまで思考を進化させた私は、今やサッカー・ディベートを世界に広めようとしている。西洋と東洋のロジック・ギャップを埋める原点をゴールとすべき「空」にしてから、私にとりディベート道がライフ・ワークとなった。(つづく)
2011年06月26日
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(6/18のつづき)キリスト教的な愛で私を鍛えて下さった故西山千先生に対し、國弘正雄先生は、仏教的な慈悲の心で私を導いて下さった。共に人生の師(メンター)である。 思えば日本の英語教育も遠くへきたものだ。戦後の巨人・松本亨博士の「英語で考える」から、同時通訳者の眼から見た、文化人類学に手を染められた巨人・國弘正雄先生、そして末席ながら、大先輩の諸説の流れを汲んで、ORにまでたどりついた。たかがOR、されどORだ。このORには、IFが入るからだ。日本民族にとり苦手で避けたいのが、このORとIF思考だ。(つづく)
2011年06月22日
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(6/16のつづき)スピーチの好きな人は、多分ディベートが嫌いだろうなあ、と知っていても、こちらからは距離を置くことはしない。それがディベーターの腹だ。勝って喜ぶのはアタマ、負けて更に喜ぶのはハラだ。音読派の國弘先生が、たちばな出版の私の近著「ひといき英語――音読編」の推薦文を書いて下さった。國弘大先輩の発想は、ディベートはagree to disagreeであると述べられる。しかも、either A or Bではなく、both A and Bであるべきだと日頃から述べられている。(つづく)
2011年06月18日
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(6/14のつづき)道友とはディベートのできる仲間のこと。意見が違ってお互い口がきけなくなることを恐れ、ディベートを避ける仲間は術友であって、道友ではない。今日、私があるのは、道友を選んできたからだ。私はディベートを恐れない。ディベートを否定する人をも恐れない。(つづく)
2011年06月16日
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(6/9のつづき)私は「ドラゴン桜」のファンだ。三田紀房がドラゴン桜を目指すなら、私は「ドラゴン松」に賭ける。咲くから、そして散るから美しい。それが桜を武士道に結びつける。松は、咲かないから、散らず、そのために強い。これも武士道。桜か松か、とORで考えるのは、思考訓練になるが、そのディベートの目的は、中庸(バランス)を求めることである。「桜 and 松」だ。だから三田氏とはディベートができると信じている。(つづく)
2011年06月14日
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(6/8のつづき)日本は東京という大都会をピラミッドの頂点として成り立つ経済大国だ。そして学歴社会。それは島を捨てて、陸へ向うことだ。しかし、東日本大震災が起こり、陸も島や村であることを知った。人はマスコミによる風評被害で翻弄されている。いまや大都会はシステミック・エラーで機能不全。地震、津波までは天災、原発危機となると人災。その人災はエリートにより、もたらされる。学歴とはお金のことだ。高ければ高いほどマネーに不自由しない。天下りはなくならない。エリートはお金で買収される。お金の誘惑に勝つ術を知らない。エリートは脆いのだ。(つづく)
2011年06月09日
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(6/6のつづき)ORで考えるには、ロジック(この基はA or B)が必要でわかりやすい。ビジネスに結びつきやすい。そこに落し穴がある。ディベートはロジカル・シンキングを鍛えることだけが目的となると、新たな問題が生じる。相手を論破し、自説を守るという物騒な大陸的思考は、日本という島国国家のエトスには馴染まない。ましてや、沖縄を中心とする琉球の人たちの思考訓練にはむかない。(つづく)
2011年06月08日
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(6/3のつづき)対立を超越するThe Way of Debate(究論道)は人間力と切り離せない。ディベートの技術の向上だけを目指すディベート術派が世に多い。英語力を伸ばすことは、人間力と関係ないという派(英語術派)が多数を占める現実から判断すれば、ディベートは術であって道でないという流派(ディベートは西洋のものと考える人に多い)が多数を占めるのと同じ理屈だ。(つづく)
2011年06月06日
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(6/2のつづき)英語は黙って読む(黙読は速読に結びつく)か、or、声を出して朗(音)読するかという論争は、その意図が建設的ならdebate。破壊のための私闘ならargument(口論=けんか)となる。私はどんな人が一番好きかと問われると、debater(議論して感情的にならない人)、そして一番きらいな人はarguers(議論に勝つことが目的とする論争好きな人)だ。世に、ディベートが好きという人に、arguers(自説を相手に押し込める人)が多い――とくに日本人の中に。その人たちの共通点は、ディベートよりスピーチ、そして交渉(戦争)より妥協を好む。(つづく)
2011年06月03日
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(6/1のつづき)今は、英語も日本語もどちらも難しい言語だと言える。Both A and Bという思考だ。ところが、英語で考えるとは、Either A or Bなのだ。そう、「英語で考える」とはORで考えることだ。だから、英語そのものが、英語民族そのものが、ディベートなのだ。ORなき英会話は、それこそワサビのない寿司。ワサビ抜きの好きな人もいるが、それは例外。一般的にspiceが必要という人のためにブログを書いている。(つづく)
2011年06月02日
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(5/27のつづき)「英語で考える」とは何か。最近、英語が見えてきた。70歳から、英語の正体がわかってきた。そして、その頃から、日本語の正体もわかってきた。再び、日本語の言霊、そして音霊の研究に入り始めた。北海道のアイヌと沖縄が、「音霊」で結びついた。英語をやってよかった。I've come a long way. 日本語しかやらなかったら、「英語が世界一美しくて、世界一難しい言語だ」と己惚れていたかもしれない。今は、英語も日本語もどちらも難しい言語だと言える。(つづく)
2011年06月01日
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(5/26のつづき)早期日本語ディベート教育は、関西の女性から始める方が近道のような感じがする。とにかく、パワーがある。京都女のマユカ、大阪女のガメラはどちらもカリスマ教師として知られている。それぞれ子供も数人かかえ、主人に気をつかいながら、教育(とくに子供の躾)にも心血を注いでいる。生活のためとはいえ、このエネルギーはどこからくるのか。上方の磁場か?4/11、教育効果は笑いか、泣きか、このディベートで盛り上がった。(つづく)
2011年05月27日
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(5/25のつづき)遠吼えを続けている日本狼はまだ健全だ。ただ心は、西日本へ傾き始めている。信貴山の千手院で田中真瑞氏の護摩行を受けた。わざわざ高野山大学の松永有慶元学長に電話をつないで下さった。懐かしい声だ。やはり、乱世を救うのは、密教ではないかと考え、関西のサッカー・ディベート・トレーナー・コースの受講者の卒業式はここでやろうかと考えた。断食大学の夢が崩れたので、半断食コースなら、ここで行者たちと共に語り合えるはずだ。女性トレーナーの社会進出。そのために、女性達にも修業を積んでもらいたい。(つづく)
2011年05月26日
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(5/23のつづき)友人の森山進氏が「社内公用語化の傾向と対策」(研究社)を書いた。素晴しい出来だ。世界を股にかけて飛び回る会計士だから、情報量はすごい。さて、日本から発信している私は...と考えるとちと淋しい。森山氏が鶴翼の陣なら、私は魚鱗の陣の構えを続けるより他はない。毎週TIMEを隅から隅まで読んでいると、世界がわかる。社内公用語化で騒いでいる人など、雑魚のたわむれではないか、と達観したくなる。海の底を見よ、と自分にも言い聞かせている。(つづく)
2011年05月25日
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(5/20のつづき)週一回のTIME分析は、私を超多忙にする。二週間分を一回で録音するから、終ったらクタクタ。いつもバタンキュー。いきなり本番で二本をこなすから、たとえ英語や日本語が乱れても、ひるまない。一直線。Full speed ahead! ムガールさんともきわどい話。チベットのペマ・ギャルポさんのときも、大丈夫かと周囲をハラハラさせた。大手のメディアではないから、小回りがきく。特攻隊の気分になる。スピードにも自信がある。問題はアップロードする人手の問題だ。私の苦手な分野だ。(つづく)
2011年05月23日
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(5/19のつづき)1ヵ月以上遅れると、情報が腐るので、訪問者が去るという。このナニワ英語道ブログでも、気にしている。私の中には情報があふれているが、ワープロ班がいないと、すぐに腐ってしまう。ボランティア・スタッフが欲しい。秘書役の服部真子(NONESディレクター)もNHKに引っこ抜かれそうで不安だ。NONESとNHKの二股。とにかく、私の周囲のできる人は、超多忙な人ばかり。仕事のできる人は、どういうわけか、例外なく多忙。(つづく)
2011年05月20日
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(5/18のつづき)4/3。暗くて寒い花見紘道館。余震が続き、逃げ足の速い人は東京から去っていく。中興の祖、浜岡前塾頭を中谷塾頭が引き継ぐ儀式でもある。午後はホロ酔い気分で、花見の宴で合意した論題でサッカー・ディベートをする。「原発は直ちに廃止すべき。是か非か」。夜、ムガールさんが直会に参加する。数日後、NONES番組のゲストとして、英語で語り合う。アップロードが遅れてすみません。(つづく)
2011年05月19日
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(5/15のつづき)前日の深夜までNONES録音でクタクタ。そして、この日の朝は女紘道館(マユカ)で声を使い、本番までの電車の中では、祥子(ベネッセ)と喋り続け、頭を休めることができなかった。しかしプロには「もし」はない。「もしもあのとき」はない。There's no might have been. そして、I don't believe in second chance.(次はない)。しかし、プロのレイチェルが、I'll do better next time. と語ったとき、私の心も晴れた。パーフェクトだと思っていたのに、プロはいつも謙虚なのだ。(つづく)
2011年05月18日
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(5/14のつづき)ユダヤのインテリ女性、レイチェル・ワルザーと満月の契り。笹さんも塚本さんも前回の相手のジェニファーより上(知的にも)だと大満足。4/21日のたちばなのレコーディングは、いきなりスタジオ。どちらも即興に近い。しかし、さすが女優、プロ。頭も舌も思ったより回らず、落ち込んだ。周囲はさすがと二人のコンビを賞讃してくれたが、私は納得しなかった。(つづく)
2011年05月15日
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(5/11のつづき)4/17。白樺の樹液は、自然の血液だ。アイヌの樹液祭りは、今や世界から注目を浴びている。点滴を受けているような気がした。私の妹のジャスミン・カオルがこの地方から講演依頼を受けていたとは。兄として誇りである。南北を結ぶ、縄文大学構想が生まれた。(つづく)
2011年05月14日
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(5/10のつづき)なぜこういう人なつっこい人が、北国にいるのだろう。アイヌとは人、カムイとはカミ(自然)のこと。人と自然が一緒。一神教ではないから、他文化の人を異端者と決めつけたりはしない。 人と自然が共生(アイヌモシリ)、生と死が隣り合わせ。青はアウ(間)のこと。アオは隣りだ。アウーターコタン(となりに――ある――村が)というように、「死がとなり」にある。武士道の精神にも通じるところがある。美深で学んだアイヌ語のウナが与那国(ウナグニではないか)を結んだ。(つづく)
2011年05月11日
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(5/8のつづき)4/16。アイヌには、チャランケという縄文ディベートがあった。私が学んだ弥生式ディベートは「術」に近いので、それを「道」と結びつけると、チャランケ(情的論争)にも近づく。幹細胞を求めるような心境で、現地の人に呼びかけた。4年先の樹液国際サミットの英語スピーチも頼まれてしまった。この日の夜、アイヌの二人の女性と即興ダンスをし、ヤンヤの喝采を受けた。フラとスズムシダンスが話題となった。人情味が豊かな美深(ビフカはアイヌ語)の人たちに惚れ込んでしまった。(つづく)
2011年05月10日
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(5/7のつづき)4/15。妹の幸子と樹液サミットのために、美深町(名寄より更に北)へ飛ぶ。北海道といえばアイヌ。アイヌといえば、縄文文化、そして日本人。これはシャーロキヤン・ロジックだが、私にとり憧れの土地。講演に招かれている妹に同伴するつもりだったが、主催者が私のことを知っておられたらしく、私も講演をと、思いがけない招き。Serendipitous discovery(タナからボタモチ)だと喜んだ。前日からアイヌの研究。アイヌはアオ(間)の世界。LとRの違いがない――日本人(黒潮文化の)だと感じ、更に調査を深めた。金田一京助と反対の結果となった。アイヌを上からの眼線で見ていない。とくに英語から学んだ私の音感は、母音構造の分析から入った。(つづく)
2011年05月08日
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(5/4のつづき)4/14、たちばなの笹さんと、塚本さんとミゲール宅を訪れる。「1秒英語」(音読編)のCD録音の相手は、アメリカ人女優(レイチェル)がいいとのこと。会いたい。新しい出会いでワクワクする。(つづく)
2011年05月07日
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(5/2のつづき)浅草は人影がうすくなった。今朝もM3に近い余震があった。ガイジンは驚いて東京を、そして日本を去った。しかし、NONESの仕事は私にとり戦場。戦場を放棄することはできない。今、浅草のワコウという喫茶店でTIMEを読んでいる。前のテーブルに一匹の猫が寝そべっている。名古屋の我家のネコによく似ている。懐かしい。震度が5,6でも猫は逃げないという。この余裕。(つづく)
2011年05月04日
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(5/1のつづき)私の心の中に、また何かが起こりそうだ。歴史は繰り返すのか、繰り返さないのか。もう再びcollapseはいやだ。カレン・アームストロングの本「The Great Transformation」を読んだ。崩壊した人間や組織を甦生させる仕組みや、哲学はないものか。平成武士道を登場させなければならぬ。そのaxial leader(核なるリーダー)はだれか?(つづく)
2011年05月02日
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(4/29のつづき)いかなる文化も、崩壊(collapse)する。私もNHKテレビで名をあげた頃は、同じ原理原則で、崩壊した。autocatalysis(自触媒作用)は、組織にも、個人においても例外がないような気がする。家庭も会社も崩壊した。 30年経った今、再びNONESというインターネット・テレビ番組に復帰した。その触媒は、同じく英語とディベートだ。(つづく)
2011年05月01日
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(4/25のつづき)ひとりで考えた。ヴァイキングはなぜ滅んだのか。どんどんとチェーン・リアクションと共に世界へ広がり、膨張し続け、しぼんだ。序曲からフーガ(遁走曲)に向かい、ついにパンクするのは、かつての大東亜戦争で、日本軍が巡った道だ。快著『Collapse』によると、これは原子爆弾と同じような、自触媒現象だという。(つづく)
2011年04月29日
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(4/24のつづき)Crisis is opportunity.(ピンチはチャンス)。一つの飴玉を一日中なめ続けていた子供がいた、とテレビで知る。戦後を思い出した。そうしてこう思った。一人に一つずつ梅干を提供してはどうか。一つの梅干で一日はもつ。健康になる。また断食したくなった。(つづく)
2011年04月25日
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(4/22のつづき)それにしても、東北人のねばり強さには感心する。「cool under fire」は最大の讃辞。中国人がベタホメしている。流れてしまっても、またやり直せる、両親と兄弟さえいれば、と抱き合って泣く。骨肉の愛。大都会では見られない光景だ。情が残っている。カネよりも心。(つづく)
2011年04月24日
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(4/21のつづき)とにかく株価も暴落。日本は沈没するのか、と心配になる。「平成武士道」は、まだリサーチがいる。講談社インターナショナルが突如解散。しかし、日本のBushidoの英語版はどんなことをしてでも出版したい。日本の武士道のspiritは、今でこそ発揮されるべきだという使命感に燃えている。(つづく)
2011年04月22日
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(4/20のつづき)原発は安全という神話も崩れた。『ミツバチの羽音と地球の回転』の映画ディレクターの鎌仲ひとみ氏(いずれノーネスにも)は、「当然わかっていることじゃないですか」と自信ありげに語っていた。日本にはタブーが多過ぎるというサムライ女ディレクターだ。(つづく)
2011年04月21日
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(4/17のつづき)3.日本人は嫌われているというマスコミが流した神話。――日本人(とくに東北人)のねばり、冷静沈着(危機に面しても取り乱さない)が評価された。 4.心よりモノ(カネ)という神話が崩れた。――家がなくなってもいい、家族が再会できたと抱き合って泣く姿には、胸が熱くなるものがある。家は崩壊していない。(つづく)
2011年04月20日
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(4/16のつづき)石原慎太郎が「これは天罰だ」と物騒なことを言ったが、なるほどと思う。かなりの神話が崩壊した。逆転思考から学ぶことは多い。 1.すべてはカネが解決するという神話。――被災者を救ったのはカネではなく、心の現物出資だ。生活必需品は全て無償。2.「ざまあみろ」と日本の不幸を喜ぶ敵国に囲まれているという神話。――アメリカ、台湾に続き、中国、ソ連、韓国、オーストラリア等から援助隊がかけつけてくれた。(つづく)
2011年04月17日
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(4/14のつづき)とにかく、東北で人も家も町も消滅していくという。東北関東大震災は、戦争のシミュレーションではないか。光文社ペーパーバックから出した「if思考」は売れなかったが、今でも日本人が学ぶべき英語思考の"核"になる思考がifだという信念は変わらない。もしも、この大震災が戦争だったら、とif思考で考えてみた。そうすると、思考が逆転する。(つづく)
2011年04月16日
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(4/12のつづき)手元に『出版大崩壊--電子書籍の罠』(山田順著)がある。私の知人である辣腕編集長(光文社ペーパーバックス)の力作である。なるほど、既存メディアが崩壊していくか?文筆家も多難だな。日本全体が経済ともども、冷え込んでいる。(つづく)
2011年04月14日
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(4/11のつづき)今(3/16)、地震の余震と交通混雑を避け、名古屋でゆっくりNONES「TIMEを読む」の準備をしている。キャンセルが相次ぐので、ここで思考を投錨させようと、ぶ厚い本を読むことにした。『Collapse』(Jared Diamond) 『The Great Transformation』(Karen Armstrong)をすでに読破した。大作『H2O』(Philip Ball)を併読し、あるべき日本の将来を頭の中に描いている。(つづく)
2011年04月12日
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(4/10のつづき)しかし、気合を入れて一気に書き上げる。武蔵なら、それを「遊(ゆう)の構え」と呼ぶ。私の周囲の人と会えば、「よくシンクロニシティーが起こる」という言葉がまるで合言葉のように交わされる。それも遊びの世界だ。(つづく)
2011年04月11日
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(4/7のつづき)一日一本のエッセイを書くのは骨が折れる。絵が入ると1時間かかる。その日の記録だけなら5~10分で書ける。記憶が不確かな時は、後期印象派を意識する。イメージに頼る。だから、時空を超越する。ボカシを使う。私の文体がリニア(直線)ではなく、スパイラルに進むので、よく飛躍する。(つづく)
2011年04月10日
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(4/6のつづき)ええ、私の絵日記が?!もうとっくに捨てていた絵心が甦ってきた。このブログも、絵を描くように、書(描)いているが、最近の私の当用日記(高校時代が一番力が入っていた)の中にも、気が向いたら、昔の絵日記をタイプスリップさせ、ここにアップロードしようと思っている。(つづく)
2011年04月07日
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