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27日、アジアンフェアに娘と行った。15歳の娘には、いろんなものが魅力的なようで、欲しい欲しいビームが出っぱなし。絞りに絞って、蝶の指輪と、ネックレスに決定。。。迷いに迷って、わたしが買ったアクセサリーは、天然石のブレスレットと、ボーンネックレス。どちらも、他の候補に決めかけたところで、ひょっこり顔を出してアピールしてきた。不思議と、すぐに気に入って、購入するハメに。天然石は、オレンジにキラキラが入った「サンストーン」(日長石:ひちょうせき)。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~説明1)インクルージョン粒子に光が当たると太陽のように輝くサンストーンは、ムーンストーンや、アマゾナイトなどと同じ仲間です。イエロー、オレンジ、レッド、等のカラーがあり主にアメリカ、カナダで産出されます。この石を持つ人に太陽のような輝きを与えてくれると言われています。隠れた力を引き出し、心身に受けた傷を癒す効果があるとされ、敏感で豊かな想像力に恵まれ、あらゆる行動の勝利者となるよう導く力があると言われています。 説明2)ムーンストーンとの対象でサンストーンの名前がつけられました。古代ギリシャでは太陽神のシンボルとして崇拝したと言われます。お守りにしたり、毒を中和させるために杯や皿として使用されたと言われます。生きる喜びと活力をもたらし、善を信じる気持ちを育て、人生をポジティブに抱きしめる勇気を与えます。他者からの執着やしがらみから自由になるのを助け、すべてのチャクラを浄化し、本来の自分を輝かせると言われます。説明3)その昔、古代ギリシャでは、サンストーンを太陽の神の象徴として崇め(お守り石)として使われたそうです。またカナダやインドの民族の間でも、セレモニーの道具としてよく用いられ隠れた力を引き出して心身に受けた傷を癒す効果があると伝えれています。 ■キーワード:太陽神のシンボル・お守り・毒の中和・生きる喜び・活力・善を信じる気持ちを育てる・人生をポジティブにとらえる・勇気・他者の執着やしがらみから自由になる・すべてのチャクラの浄化・本来の自分を輝かせるサンストーン、調べてみると、とってもパワーを秘めていることがわかります。もうひとつが、ボーンネックレス。骨だけに、魂こもってないかなどとちょっと心配したけど、なんか気に入って。何のボーンだか聞いてないけど、ウッドも使った癒し系のアクセサリー。★楽天で買える「アジアンボーンネックレス」&「ボーン&ウッドネックレス」 とまぁ、いっぱい買ってしまった、アジアンフェア、恐るべし~
October 2, 2006
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さきほど、メール便を出したところ、ものすご~く安くついた。予定の1/2で済んでしまった!集荷のお兄ちゃんに聞いたら、「変わったみたいで…」さっそく、HPで確認しようと開くと、小さな囲みでリニューアルのことが書いてあった。。。⇒ こちら料金表も、昨日までとは変わっていた!全体的に安くなってるんじゃないだろうか?今までだと、50gまで80円、100gまで110円、300gまで160円などだったのが、今日からは、A4サイズなら、厚さ1cmまで80円!しかも、よりスピーディーに届けてくれるような?なんと、600km以内は翌日配達!(目安)(事故には気をつけて、無理な勤務体制をとらないようお願いします…)これで、ますます、普通郵便よりも出しやすくなった気がする。1通から集荷に来てもらえるのも、嬉しい。あぁ、しかし…便利にお得になるのは嬉しいけど、その分、どこかで誰かが無理をしていたり、自分がちょっとの手間を省いて怠慢になったり、そんな面もあるだろう。時間とお金を節約した分、有効に使えるように、そのありがたさに感謝しながら、1分1秒を大切に過ごしていけたら嬉しい。
October 1, 2006
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9月21日、1週間高熱を出していた下の子が、ようやく保育所に行けた。でも、微熱は残ってるし、食べてなかったので体力ないし、で、お昼迎え。帰り道、いつもの調子で公園に虫探しに行こうと言うので連れて行ったが、思うように体も動かず、捕まえられず、一旦帰宅して虫網を持参して再びトライ。結局、母がトンボを捕まえて、触れたので、ようやく納得の笑顔。さぁ、帰ろう、と自転車を走らせたが、ふと、ダイエーでピンクの長袖Tシャツ買おう、ということになった。着いたら、自転車置き場つづきの地下1階では、「アジアンフェア」をやっていた。この日が初日ということで、まだ陳列途中という様子もあったが、見て回る。笛やオカリナの手作り楽器類、ガラス細工、陶器など、かわいいものがたくさん。ちょうどバッグを買い換えたいと思っていたので、見て回ると、刺繍のほどこされたかわいいショルダーバッグが!しかもサイズもちょうどいい!ほとんど一目ぼれで、その後少し迷ったが、買ってしまうことに…。(2835円を2500円に負けてもらった!)「タイのメオ族」作らしく、オッチャンいわく、今買ってきたところで(?)店頭に出したばかりなので、まだ誰も触ってないんだって。ほんで、使われている布は、何十年前の古布だそうな。何個もぶら下がってる中、わたしは、ス~ッと、このバッグを見つけ出したような。呼ばれた感もするような…↑こんな感じのショルダーバッグ(中にファスナーつきポケットも1つあった)★楽天で買えるメオ族グッズ(「モン族」で検索してください) タイのメオ族についてネットで調べたところ。。。 * * *★タイ旅日記 エス・ティー・ワールドタイ メオ族タイ人とは似ても似つかない中国系の顔つき、聞きなれない言語、そうメオ族とはタイの山間部に暮らす山岳民族の1つなのです。山岳民族と一口に言ってもその数は約30万人で、16の部族が存在するんです。 メオ族はカレン族についで山岳民族では2番目の人口を誇っています。そもそもメオ族は中国からの難民として200年ほど前から60年前までの間にタイに流れてきました。規制のなかったその昔、彼らは麻薬のアヘンや大麻などを栽培しそれを売買して生計を立てていたそうです。現在では国が民族を支援し、電気が通り、村には学校も建てられ、資料館もでき、観光地として栄えるようになりました。「もう村は変わってしまいましたよ」とサリンさんが教えてくれたように、村中がお土産物屋となっていました。しかし現在でも彼らが話すのはメオ族の言葉です。中国語に近いらしいのですが中国語でもないそうです。現在の若い人たちは皆タイ語を話すことが出来てタイ人との会話も問題ないようです。中にはバンコクなどに進出し普通のタイ人として暮らしている人もいるとのことです。 ★アクセサリーショップ sabai(サバーイ) 中国でミャオ族、タイではメオ族と呼ばれるが、タイのモン族はメオ族と呼ばれることを好まず、「自由」を意味する「モン」を自称する。言語はミャオ・ヤオ諸語に属するモン語を話す。タイでは白モン族(モン・ダオ)、青モン族(モン・ジュア)の2グループに別れ、民族衣装、言語、習慣がやや異なる。独立自尊の気風が強いことで知られ、宗教、世界観などにも伝統的な文化を保持している。中国では雲南省、貴州省、四川省などに数百万人が居住し、タイにはラオス経由で19世紀半ば以降に移住してきた。女性の民族衣装はろうけつ染のプリーツスカートで、その染めや精緻な刺繍の技術には芸術的価値があるチャンマイでもこれらの刺繍などを使った衣料 バック ポーチなど多く見ることが出来ますよく ツアーなどで ≪メオ族≫と書かれたものが多く見られます実際 メオ族といわれることが多いのでしょうか?しかし それは蔑称 でも やはりガイドブックですらメオ族と書いてあるため ついつい使ってしまいます・・・チャンマイの山には メオ族の村があります 観光客用に彼らの生活様式を再現した村で実態にお土産物屋などをしながら実際にそこで生活をしています日本からお婿さんに来た男性が奥さんと一緒にお店をやっていましたその裏では 普通に民家があり 洗濯物が干してあり ライチの木があり 鶏が走り しゃがみ込んで刺繍をする女性を沢山見かけることが出来ます 小学校もありますほかにも面白いサイトが。★メオ族刺繍ショルダーバッグわたしが買ったカバンと形は違うけど、色の感じが似てる。刺繍がキレイ。 ★タイ刺繍刺繍について細かく載っている。★シニアの新しい生き方としてのロングステイ-タイでロングステイ- No.389 メオ族の村★タイ・モン族に出会った * * *モン族と過去世でなにか関係があるのだろうか…?一度行ってみたくなった。その次に見に行ったのが、アクセサリーのコーナー。ここでも、2本のネックレス(インドの手作り)を気に入ってしまった~(ビーズと金属細工で、500円と800円)ちなみに、ここ数年、わたしはアクセサリーとは無縁の年月を過ごしてきたので、買いたい気持ちになるなんてフシギすぎる…下の子は、ブリキ調に塗られた超合金(古っ)っぽい、小さい戦闘機をゲット。鉛筆削りが内臓されていて、翼が動かせる楽しいおもちゃ。で350円。ゆっくりしすぎたけど、ようやく、3階へ移動し、目的のTシャツも買えた。今日はこれだけだったが、話を聞いて行きたいとせがむ上の子と一緒に、後日またまた買い物をしてしまった~☆アクセサリーの話はつづく…
October 1, 2006
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おとつい、図書館で借りて帰った本。写真家の沖守弘さんの★「マザー・テレサ かぎりない愛の奉仕」。この本は、1979年から年2回、マザー・テレサに会いに行き、交流をつづけてきた、沖さんならではの、肌のぬくもりが感じられる、多数の写真と文章で構成されていて、1回読んだだけでは手放せなかったので、借りて帰ることにした。沖さんが、マザーから贈られた言葉で、インド国葬の際にも棺のそばにあった言葉。 Works of Love are Works of Peace3度来日されたそうですが、そのたびに、日本の貧しさを訴えられたという。日本は美しい豊かな国だけど、心の飢え=孤独が存在する。“誰からも必要とされず、誰からも愛されていないという心の貧しさ。物質的な貧しさとくらべ、心の貧しさは深刻です。心の貧しさこそ、一切れのパンの飢えよりも、もっともっと貧しいことだと思います。日本のみなさん、ゆたかさの中で、貧しさを忘れないで下さい” * * *戦後61年、景気回復、自民党総裁選…このごろ、今の日本を憂う記事が目に付く。いまは戦前と似てきていると危惧される、戦時中を知る方々からの投稿も多い。職場や学校でのイジメ、家庭内のギスギス、言いたいことを言えない風潮、言える人、強い人の意見が優先されていく社会、困った人に手を差し伸べない世間、あらゆるところに格差、断絶が入り込んで、人々の温かいつながりを妨げる。“心の飢餓”はわたしたちの生活の中にもべったりと根を下ろしてしまっている。 * * *べつの本だったが、マザーはやはり日本の現状を憂いていらっしゃった。どうしたらいいか?まず、自分の隣にいる人、家族や周りの人に、愛を与えてください、と。自分の心が痛むほどに、愛しなさい、と。“大切なのは、どれだけたくさんのことをしたかではなく、 どれだけこころをこめたかということです”(あぁ、江原さんと同じことをおっしゃっている…) * * *マザー・テレサの本を読めば読むほど、感動して涙してしまうのだが、一体、どんなメッセージを感じ取ればいいのだろう?じっと感じ入ってみたけど、たぶん、マザーと同じような奉仕をしなさい、というのではないと思う。マザーの精神に感動した自分なりにできる仕事、それをみつけなさい、何か忘れていることが、できてないことがあるでしょう?ということかな…。はっきりとした確信のないまま、図書館を後にし、とりあえず帰ってすぐ、たまっていた夫の洗濯物を洗濯して干した。それから、放っておいた夫の洗い物も洗っておいた。わかっているんだけど、できないこと。夫を愛すること。許す、感謝する、という気持ちで心を満たし、恨み心を浄化すること。まだまだ少我にとらわれつづける自分を受け止めてあげること。浮かれ気分に釘を刺すために、マザーを登場させたのかもしれない。わが守護霊さんに感謝。 * * *ちなみに、沖さんがマザーと出会った最初の本は、「すばらしいことを神さまのために」だそうです。★沖守弘さんの本 次に読みたいのは、↓これら。 ほほえみそれと、映画も評判がいいようなので、一度観て見たい。(昔のものかと思っていたら、2003年製作とのこと!)旧譜25%OFFセール(期間限定)マザー・テレサ デラックス版DVD マザー・テレサ デラックス版 <送料無料>
September 30, 2006
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きのう、図書館へ行って、「マザー・テレサ」について書いてある本を読んできた。はじめに検索コーナーで検索してみたが、「貸出中」が多かった。在庫ありの分も、ちょっと場所が定かでなく、フロアを歩いて探してみた。まず、「キリスト教」のところで、こちらをみつけた。★マザー・テレサ インドから世界へ写真中心に、活動内容を淡々と伝えている。教科書っぽかった。つぎに、児童書コーナーに行って、偉人伝の棚で、何冊かみつけた。★20世紀のすてきな女性たち(8)マザー・テレサ、田内千鶴子、上原栄子、平塚らいてう の生涯。短い文章ながら、マザー・テレサという人がよくわかるエピソードだと思ったのは、瀕死の子どもを連れて帰ってきたマザー。もう死ぬしかないのにどうして?と問われ、このように言ったという。「この子を、誰にも世話されず、愛されないまま死なせることはさせない」この言葉を読んで、涙があふれてきた。人は誰でも、愛されて、必要だと思われて、喜びの中で天国へ行かなければ、と、強い信念を持って、一人ひとりの人に“仕えて”きた生涯だった。★マザー・テレサ ほんとうの愛(新版)↑こちらのページ(新版のほう)に詳しく載っているけど、この「はじめに」を読むだけでも、惹かれるものがあると思う。マザー・テレサが主人公の物語で、とても読みやすい文体なので、あっというまに全部読んでしまっていた。マザーのセリフまわしが少女チックだったせいか、とても可愛らしい、おちゃめな人という印象をもった。キャラクターが生きている、という感じで、面白かった。たとえお金がなくても、心配するシスターにいつもこう言った。「大丈夫、きっと神さまが用意してくれるわ」必要なことしか起こらない、すべて必然ということを、信仰と実践を通じてわかっていらっしゃったのだろう。江原啓之さんらのスピリチュアルの法則と一致しているし、結果はすべて神(仏)に委ね、自分ができるだけのことをやるだけ。これは、親鸞聖人の他力本願とも一致している。★マザー・テレサへの旅 ボランティアってだれのため?こちらは、パラッとめくってみただけだが、実際に、カルカッタの『マザー・ハウス』でボランティアを体験してきた著者の、レポートといった感じだった。(なんとなくあまりちゃんと読めなかった…)結局、借りて帰った本は、1冊。(その他ジャンルでもう1冊)この本はとても良かった。買って手元に置いてもいいぐらい。くわしい話は、また次に。(つづく…)
September 29, 2006
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昨日の日記の終わりに書いたサイトで出会った言葉。まず、こちらの中ほどで、この言葉に出会う。 天然痘も癌も脳卒中も、決して怖い病気ではありません。 本当に怖い病気とは、 あなたのような人間がこの世にいてもいなくてもいいのですよ、 と言われたときの孤独です。 この病気ほど怖いものはないのです。 この病気を治す病院も薬もないのです。 この病気は優しい心でしか癒すことができないのです。そして、こちらの下のほうに紹介されている言葉を読んで、もう無関心ではいられなくなったのだった。人は不合理 非理論 利己的です気にすることなく人を愛しなさいあなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう気にすることなく善を行いなさい目的を達成しようとする時、邪魔立てする人に出会うでしょう気にすることなくやりとげなさい善い行いをしても、おそらく次の日には忘れ去られるでしょう気にすることなくし続けなさいあなたの正直さと誠実さとがあなたを傷つけるでしょう気にすることなく正直で誠実であり続けなさいあなたの作り上げたものが壊されるでしょう気にすることなく作り続けなさい助けた相手から恩知らずの仕打ちを受けるでしょう気にすることなく助け続けなさいあなたの中の最良のものを世に与え続けなさい蹴り返されるかもしれませんそれでも気にすることなく最良のものを与え続けなさいこれらを読んで、はっとした。わたしの敬愛する人々と同じことを言っているからだ。我ながら、遅すぎる出会いだと思う。「ようやく届いたね」と、あちらの方の苦笑が聞こえた気がした。マザー・テレサから、一体何を学べというのか。それをこれから探すんだと思う。思ったら実行しないではいられない性格でもあるので、今日は、さっそく図書館へ行ってきた。その話はまた明日。
September 28, 2006
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最近、立て続けに「マザー・テレサ」に触れた書き物を目にした。それは偶然に、突然に、わたしの前に現れたように見える(けど必然…)。これまで、マザー・テレサについては、漠然としたイメージしかなく、無関心だったわたしが、江原啓之さんの本にちょこっと引用されているのを見たのが、1ヶ月ぐらいまえのこと。あなたのためのスピリチュアル・カウンセリング小さな子どもを巡る事件を見て心を痛める相談者への回答のなかで、スピリチュアルな視点では、すべてのたましいが究極的には一つのまとまり「たましいの家族」であるから、血のつながりがなくても、みんながすべての子どもをわが子同様に慈しむべきであり、数十年前の日本人には、まだこの感性があった。近所の子を心配し、世話をする、それが普通だった。ところが今、特に都会では、近所にどんな子が住んでいるかもわからないし、よその家のことは見て見ぬふり。プライバシーの尊重という美名のもと、「無関心」が当たりまえの世の中になってしまった…と、ここでマザー・テレサの言葉、「愛の反対は無関心です」無関心をなくさなければ、この世から「愛」は失われていく一方です。私たち一人ひとりにできることは、悲惨な事件のニュースを「学び」に生かすこと。虐待の結果亡くなる子どもたちは、命と引き換えに、世の中に「愛の大切さ」や「無関心の残酷さ」を身をもって教えてくれている。その深い教訓を無駄にしないよう、あらゆる無関心を愛に変え、「どの子もわが子」という視点を持って生きていきましょう。また、それらのニュースをもとに、自分自身のたましいを見つめることも大切。どんな事件も今の世の中を映し出しているし、自分自身の中にもある何かを教えてくれている。すべてのたましいが究極的には一つである以上、どんな事件であっても、決して自分と無関係ではない。(と、回答は続いていく…)しかし、ここでも、マザー・テレサの存在は、江原さんの言葉の肉付け程度にしか、感じていなかったと思う。それが、昨日たまたま(これも必然…)、とあるサイトで、マザー・テレサの言葉に出会ってしまったのだった。 →そのサイトは、前にもとりあげさせていただいた、こちら。ここで紹介されているマザー・テレサの言葉を読んだのち、もう無関心ではいられなくなっている自分に気がついた。☆その言葉は、また次の記事で・・・
September 27, 2006
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9/23、郵便受けに不在票。送り主は「九九プラス」。あ!もしかして、スタンプラリーが当たったの???ワクワクしながら宅配ボックスを見に行ったら、入っていたのは、↓これでした~低反発枕 スペースピロー応募したのは、他の賞品だったのに、「※第一希望の賞品でない場合もございますので、 ご了承ください」ですって。ほんとは、空気清浄機と、圧力ジャーと、もうひとつ(なんだっけ?)の3口応募してたのよん。当たったのはと~っても嬉しかったけど、低反発枕、うちにはもう十分あるのよね…オークションに出すのも面倒くさいのダ~そこで、ダメもとで、イトコのKちゃんに打診してみたら、よかった~喜んで引き受けてくれたよぉ。この枕、調べたらちょっとイイ枕みたいやし。ほんと、よかったよかった。Kちゃん、新生活の土台を、まずはイイ睡眠から築いていってくださいね。応援してます♪(念を送ってます~) * * *今日の午後は、たまっていた売り物(7点)を、ようやくオークションに出品できました。(↑上の枕はもちろん出してませんよ~)ボチボチ入札も入ってて、嬉しい~♪土曜日の晩に終了、日曜から出荷でちょっと忙しくなりそうです。。。
September 26, 2006
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1つめ。保育所で3歳児以上は主食持参だったのが、主食も給食になります市内の公立保育所で一斉に変わるそうです。上の子(15歳)が保育所に行ってた時代からの念願でした・・・夏はとくに、傷まないかなぁと心配しながら持たせていたので、親としては、願いがかなってとっても嬉しいです。それと、月金が「温めなおし」だったなんて知らなかったけど、所での調理に変わるということで、より一層美味しい給食が食べられそうです。よかった、よかった。 ※今朝、埼玉で、散歩中の保育園児の列に車が突っ込む事故があり、 16人がひかれて、2人の園児が亡くなったそうです。。。 他人事ではない事件・事故が後を絶ちませんが、 自分の前にある、あたりまえと思っている日々の幸せを、 かみしめながら精一杯生きたいと思います… 2つめ。2日から、週5日、外へ仕事に出ることになりました。生活パターンが、たぶん少なからず変わります。この1~2ヶ月、書き起こせないぐらい、刻々と心境の変化があり、いろいろな縁に従って、自然にこういうことになっていました。自然に、というのがピッタリな成り行きでした。この就職活動を通じて、得たものは大きかった。それは、ひとことでは言い難いけど、自分の生きてきた道を、これでよかったんだな、と信じることができ、いま、歩いている道も、これでいいんだ、と信じられるようになって、体験することすべてに、これでいい、間違ってない、と確信が持てた。(たとえば不採用でも納得でき、むしろ先方のことを喜べたり) 必要なことしか起こらない。 人生に失敗はない。このことを心から信じられたし、物事をすべて受け入れられた。かっこよく言うと、真理をつかんだ、感じがします。これからだって、何があっても、大丈夫!って、思えています。。。この生活とも、あと数日でおさらばです。緊張感はさほどなく、ワクワク感も適度にありつつわりと冷静で、いい感じに過ごしています。フシギなことに、仕事が決まったとたんに、旅行へ行きたいねとか、あれ買いたいとか出てきて、ビックリです。あぁ、お金に余裕がなくって、セーブしてたんだな、と気づかされました。体が元気なうちは、働こうと思います。適度に。経験と感動を積むためにも、適度な収入は必要ですし。家族でいろいろなところへ一緒にいって、楽しい時間を過ごしたいなぁ、と、温かな気持ちで、仕事開始を待っています。
September 25, 2006
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夏の思い出(3)。7月29日撮影のクマゼミ。この夏は、下の子(5歳)にせがまれて、ほぼ毎日、夕方になると、公園や道路わきの木に止まっているセミを捕まえに行っていました。はじめは、セミどころか虫なんてあまり好きでもないし、短命なんだからそっとしとこ~よ~;でしたが、そのうち真剣勝負に。。。そのうち、うるさかった鳴き声が、耳障りでなくなって…そうだ、これは、生命の讃歌なんだ!!(いや、マジで)8月6日撮影のアブラゼミ。わたしも、だんだん、腕を上げて、←この頃には「お母さん、プロみたい!」と人さまから言われるほどに…はじめの数日は、自分のものになったのが嬉しくて、自宅で一夜を過ごさせて翌朝返してました。でも、死んじゃうセミもいて、そのうち、捕まえて、帰りには返してあげる、というふうになっていきました。この夏、出会ったセミはもう数えきれないくらい。ほかにも数少ないけど、ツクツクボウシ、ヒグラシ(右下=8月13日)。。。そういえば、わたしの子どもの頃に比べて、アブラゼミが減ったように思う。都会はクマゼミだらけになっちゃった。(少し田舎に行けば、アブラゼミのほうが多いのです…)↓セミ取りの効用。セミを捕まえたくて(捕まえないと帰れない…)、よく観察するようになったり、本などでその習性を知ったり。捕まえるのが上手になってもなお逃げられ、毎日の真剣勝負のなかで、その生きる本能に畏敬の念を感じるようにもなった。盆過ぎてセミが減ってきてからは、バッタ取りに転じました。子どもは、死骸も粗末にはしません。アリさんのごちそうやから。虫取りにハマって思うに、セミも、バッタも、カナブンでもなんでも、生命体としては、人間と少しも変わらないなぁって。むしろ、ちゃんと仕事をして死んでいく彼らがうらやましくもある。人間は、感情や言葉、概念といった独特のものをもっているけど、何のためにそういう能力を持って生まれたのだろう。「生」を尽くすことに、生命体全体の進化のために、その能力をどれくらい活かしていけるか…。虫たちの生死を見ていて、人間としての生き方をまた、考え直させられたような気がした夏でした。
September 19, 2006
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8月22日に読んだ本。夫婦の関係を見て子は育つ 信田さよ子・著(梧桐書院)【目次】序章 親からの一方的な「贈与」が子を苦しめる/第1章 愛情という名の支配ほど怖いものはない/第2章 アダルト・チルドレン(AC)という希望/第3章 依存症の夫と共依存の妻と、その子ども/第4章 「いい父、いい母、いい子」からの脱出/第5章 夫婦の線を強く、親子の線を弱くする/第6章 「常識おばけ」から解放されよう子育てや結婚に関する本は、たくさんあります。その中で本書の特徴は、「当たり前」「ふつう」といわれてきた親の愛情を、子どもの側からとらえなおしている点です。また、これまであまり問われることのなかった男女の関係、夫婦の関係についても子どもの視点からとらえ、その上で、親子や夫婦の問題を解決するヒントを示しました。 (楽天ブックスの説明書きより)この夏、いとこのKちゃんに貸してもらった数冊の本のうちの1冊です。わたしは、以前いとこに「ACなんて古いよ~」なんて言ってたのですが、「AC」という言葉をよく理解していなかったと思います。WEB上の「AC」サイトによくあるチェック項目を見て、自分と照らし合わせたり、当事者が書いている実情を読んだりしただけで、自分のこととは関係なさそうだ、と、深くは理解しようとしていませんでした。でも、この本を読んで、「ACである」というのは、自認でよいということ、その言葉によって、快復のきっかけを得る人がたくさんいるということを知りました。また、その奥にある、「共依存・共依存的な支配」について目を開かせてくれて、自分の身近に、たくさん思い当たることがあるのに気がつきました。親子関係、夫婦関係に、何か違和感を感じる人には、良い本だと思います。しかも、森田やスピリチュアルな考え方に相通じるものだったし、より一層、包括的な人間理解(自分理解)が深められたように思います。★心に残したいキーワード。(つまり、思い当たることがアリアリで、いつもキモに銘じたい言葉です。。。)「それは、あなたの問題ですか?」たとえば、夫や子どものことで悩んでいるとき。「もっとこうだったら」「こうしてくれないから」と悩みます。でも、そこで「あなたの問題はなに?」と問われると、やがて、じつは自分と他人が区別できてなかったことに気づく…「アイメッセージ」で表現しようとすることに繋がっていきます。「表現できたことで100点」アイメッセージとは、相手を変えようとしない、コントロールしない表現。これは、共依存から抜け出す第一歩だそうです。表現できたらOK!相手がそれに対してどう反応するかは期待しない。いままで、相手をコントロールしようとする言葉が大変多かったことを反省しました。「早くして!」ではなく、こうしてくれたら嬉しいよ、こうなると困るんだけど、など、自分の気持ちとして伝えるよう、日々、練習しています…(つもり)「同盟者」になる。ジュディス・L・ハーマンさんの言葉だそうです。言うことにただ同意するような安っぽい「共感」ではなく「同盟者」。相手の言うことをすべて信じる、絶えざる好奇心で相手の話しを聴く。(これこそ、十四の心で「聴く」ですね)森田の「なりきる」に近いと思いました。自分の解釈や価値判断を加えずに、相手になりきってしまえば、相手の苦しみがよくわかる。「憑依」にも似ているような…?「共依存的支配」「理解」「期待」「アドバイス」が入っている、かかわりかた。「自分」をもたないで他者の世話をしたり、面倒をみたり、導いたりすることに、自分の存在を見出していく人たちのこと。その背後にあるのは「正論」という言葉。幸せを振りまくのではなく、正論を振りまく。たとえば、正しいことを言い立てる妻。夫は「どうせ、お前が全部正しいよ」と話す気をなくす。(子どもも同様…)↓正しいか、正しくないかという軸以外の軸を持とう。(幸せか不幸せか、気持ち良いか悪いか、呼吸がラクか苦しいか、など。)「楽しい妻、いいかげんな母」「よい」「悪い」ではなく、「楽しい」「いや」と表現しては?「いやなことはいや」と言って、好きなことをする。自分の感情、気持ちに正直になろうとすれば、楽しい妻、楽しい母になれる。「やさしいお母さん」より「おもしろいお母さん」のほうがずっとまし。「我慢は有害無益」我慢は新たな支配を生む。してもさせてもいけない。我慢しないで、まずわがままを肯定。こうしたいと思うことを言う。行動する。わがままなんて、いやというほどやってみると、何となくつまらなくなってしまう、その程度のもの。(子どもを見てるとよくわかります…)じっさい、最近のわたしは、わがままを前向きに実践してます。。。運良く(いや必然)、5歳の子が、まだまだ我慢しないでわがままを言ってくれるので、それを見習おうと真剣に思っているんです。このまえも、家族に、フツーにいいました。お母さんだって、お母さん辞めたい時あるってこと、片付けや掃除ができてないときはそういうときだと思って、どんどん代わりにやってくれていいからね~なんて。いままでだって家族に甘えさせてもらってて、つまりイライラをぶつけさせてもらったりしたけど、そういう甘え方ではなくて、そんな自分もまるごとOKって思わせてもらうというような、甘えというか、安心をお互いに感じあえるような関係でいたいという感じ。したくないことは「したくな~い」と叫んでみる。現実にはしないといけない。どうしよう…あぁしたくない。でも、1回口にだしてみるとスッキリして、腹をくくって、できることだけやろう、というふうに、軟弱にも考えが進むという感じ。。。あぁ、だんだんマイワールドにハマってきました。それでは、このへんで。
September 14, 2006
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すっかり涼しくなりました。ご無沙汰いたしております。ぼちぼちやってます。夏の出来事をちょこちょこっと、写真とともにUPしていきたいと思ってます。 ~~~~~~~~~~~~~~~~7月18日 娘の誕生日→15歳になりました。オーブンで焼いたスポンジの2回目です。上手くできました。季節柄、生いちごは売ってなかったので、瓶詰めのものを。スポンジの間には、フルーツミックス缶。生クリームが足りなくて、見た目はイマイチでしたが、スポンジはふっくらしっとりしてて、全体的にはとっても美味しくできました。誕生日は、その人が生まれてきたこと、いま生きていることをみんなで喜び合う日です。生まれてからの思い出を、家族みんなで話したりしながら振り返ってみる。なんだか温かい気持ちでいっぱいになれる、そんな日です。娘は、この15年間、大きなケガや病気もなく、無事に育ってくれました。まずは、この奇跡に感謝。まっすぐな平坦な道ではなかったけど、まっすぐな優しい人間でいてくれる。娘に出会えたことが、わたしたち家族にとって喜び。うちに生まれてきてくれて、ありがとう。わたしも、母をやって15年、いろいろあったけど、よくやってきたと思います。ほんと、よく、生き抜いてきました。この世の家族は、「たましいの学校」。スクールメイトとして、これからも一緒に、経験と感動を積み重ねながら、たましいを成長させていけたら嬉しいです。
September 12, 2006
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ご無沙汰いたしております。どうやら梅雨も明け、セミも鳴き始め、蒸し暑い日本の夏が帰ってきました。夏祭り、花火大会、家族旅行、勉強、仕事・・・?どなたにとっても、史上最高の夏になりますように。(byユウヤ@サプリ)7月21日『「mixi疲れ」を心理学から考える』から。☆このニュースを教えてくださったtohoho-mamaさん、ありがとう♪記事は「mixi依存症」について書かれている。お話は、SNSのコミュニケーション心理に詳しい野村総合研究所上席研究員の山崎秀夫さんで、日記へのコメント機能やアクセス履歴を表示する「あしあと」機能が、ユーザーに「快感」を引き起こさせるしくみを説明している。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 自分の日記にあしあとやコメントが付くと、周囲から認められたという「認知欲求」、自分を受け入れて欲しいという「親和欲求」が満たされ、それが快感になるという。好意を持っていたり、尊敬している相手からあしあとやコメントが付くと、さらに高い快感が得られるため、快感を求めて日記を更新し続けるという“中毒”症状につながる。 加えて「好意の返報性」も働く。人から受けた好意に対して同じだけの好意を“お返し”し、心のバランスを保とうとする作用で、mixi上では、自分のページにあしあとをつけたり、日記にコメントをつけてくれた人に対して、あしあとやコメントを返そうとする行為として現れる。これによって相手にも好意の返報性が働き、自分の日記にコメントやあしあとが付きやすくなるため、応酬がエスカレートしていく。 つまり「コメント欲しさに日記を書く」→「コメントが付いて嬉しくなる」→「コメントをくれた人の日記にもコメントを返す」→「自分の日記へのコメントが途絶えると、コメント欲しさに新たに日記を書く」──というサイクルが際限なく続くのが“mixi日記中毒”の正体と言える。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~このあと、mixi特有の“症状”とその構造、“mixi疲れ”から抜け出すには、と続く。ただ、この記事のもとになっている元・依存症の方が辞めたのは、2004年8月。現状は、もっと深刻になっているかもしれないし、そうでないかもしれない。わたし自身、以前は明らかにブログ依存だった。↑に引用した部分は、それをうまく説明してくれていると思った。認知欲求と親和欲求が満たされ、意欲に結びつき、循環してたんだろう。茂木健一郎さんが言っていた。「創造性を活かし、高めるには、体験×意欲という掛け算が大切。成功体験によって、脳内にドーパミン(報酬物質)が出て、心地よい状態になり、その報酬を出すに至った行動を強化するようになる。苦しくてもやり遂げられたらうれしくなると分かっているから、またやってみようと考える、それが意欲となって掛け算が繰り返され、創造力になっていくのだ」と。ただ、過ぎたるは及ばざるが如し、バランス感覚を失っていたのだと思う。でも、いまは違うと思っている。武道家で哲学者の内田樹さんの言葉から。「メディアが流すバーチャルで定型的な言葉ではなく、目の前の人の発するリアルで個別でわかりにくいメッセージを受信する感度を高めることが大事」例の「お母さんのための人間関係トレーニング」以来、感性を遠慮なく発揮することができるようになって、自分から、人から、自然から、日々、“心の栄養”を受け取れるようになった。おかげで、人と話すこと、人の話を聴くことが、以前より苦でなくなってきた。いや、人や物との関わりは、すべて、栄養源とできるような気さえする。そしてフシギなことに、鬱憤というものが蓄積しなくなったのか、言葉が噴出してこなくなった。楽天だけでなく、他のブログにも、心情を吐露するということがなくなった。自然現象として。少しの間、書くことから遠ざかっていた理由はそういうことです。(記事は書いてなくても、コメント活動は若干させていただいておりました)目の前の人、物の発する「リアルで個別でわかりにくいメッセージを受信する感度」が高まった結果、リアルな場でうまく循環するようになって、バーチャルな場での表現が必要でない状態になった、と説明できるかもしれない。ただ、諸行無常、常在でいられるものなど一切なく、これも一時的な状態なのかもしれない。ともかく、心は元気でいられてます。みなさまからの念力は届いております、ありがとうございます。今日の終わりに、精神科医・名越康文さんの言葉を。「呼吸や毛穴から興味をひかれる事柄や、謎を残した出会いが必要でしょうね」
July 27, 2006
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保育者と父母を結ぶ雑誌『ちいさいなかま』7月 臨時増刊号「また、あそぼ!」保育が広がるワクワク遊び より。 ~*~*~*~*~*~*~*~*~*~遊びのなかで育つもの 今、子どもの時代に必要なこと 河崎道夫(三重大学)イナバウアー(要約)荒川選手の言葉は、遊ぶことの意味を表現してくれた。日常の子どもの遊びには子の手の栄光経験を思わせる技が山ほどある。栄光は「じょうず」な子だけに輝くわけではない(要約)(「コマ」にまつわる遊びの例、保育園や学童保育での例をいくつか挙げて)目標の達成のみならず、逸脱や失敗もまた価値がある、下手であることもまた輝かしい可能性をもっている。このような遊び体験が豊かにあってこそ、どの子にも「かけがえのない自分」の土台が作られる。遊びと「自分らしさ」の土台形成 今日ほど、「自分らしく生きる」とか「かけがえのない自分」の発見とかが、大事であると言われるようになった時代は人類史上ない。しかもそれは特別な哲学者だけが自省的に考えるようなことではなく、あらゆる人々にとって価値あることとして呼びかけられ、実現がよしとされることがらとなっているのである。「自分らしさ」「オレ流」「自己実現」などのことばがあふれる状況は、哲学者の藤田省三『全体主義の時代経験』(みすず書房 1995年)が「自我の大衆化の時代」と喝破したものである。一方で、「自由と独立と己というものが約束された時代に、実は逆に自分というものを非常に深く喪失しているのではないか」(高史明『世界』610号 1995年 岩波書店)と指摘された状況がある。教育現場では「自分探し」の課題がたてられ、臨床家や精神科医たちは「自分を見失った」人びとの癒しに追われている。 つまりは、社会思想的には「自分らしく生きる」ことに高い価値が与えられながら、多くの人にとってそうならない現実によって、かえって各人には深刻な問題が生まれているということである。人類史上かつてないすばらしい時代になりつつあるはずなのに、かえってそれが、各人の生きるうえでは深刻な矛盾をもたらしているのである。 この矛盾の根本的な社会的解決がまっとうに取りくまれることなく、「血液型」「星座占い」や「啓発セミナー」や「魂の心理学」の罠がしかけられ、商業主義的に教育的に「自分らしさ」の心地よい価値的イメージがばらまかれ、そのプレッシャーを受けながらそうはならずに閉じたり切れたりする人々が大量に生まれているということである。 子どもの遊びを豊かにする社会的実践は、それらの罠とは違う。いたずらに「自分」を探させたり見つめさせたり取りもどさせたりすることではない。あとでゆっくり探され、見つけられていく「自分」の中身を豊かにすることである。おもしろそうだから、こころが揺さぶられるから、憧れるから、やりたい、したいと思えることを豊かにし、逸脱や失敗を楽しみとして共有し共感できるなかまと豊かに関わりながら、そうやって「自分」が発酵していく土台をつくりあげていくことである。中身の貧しい「自分」をいくら見つめさせられても、いくら「それでいいんだよ」と言われても、つらいばかりになるだろう。 意識的な「対自」を急いで育てようとするのではなく、「即自」が豊かに発揮され蓄積される経験こそ、今の子ども時代に必要なのである。 ~*~*~*~*~*~*~*~*~*~わたしが読んだ時に「あっ!」と思ったのは、「自分らしく」と、わたしたちが強く意識してしまってるのは、「自分らしく」生きにくいからこそなんだと改めて感じたことと、また、それが“商業主義的に教育的にばらまかれた価値イメージ”であり、そのプレッシャー下に、ひきこもりやキレるがあるんだということに、すごく納得がいったのと、「自分」っていうのは、“あとでゆっくり探され、見つけられていく”んだということ、そして、子ども時代は、その「自分」の中身を豊かにすることなんだと、目の前がパァっと開けた感じがしました。(あと、「魂の心理学」っていうのは、江原さんのことかいな?とか)『おもしろそうだから、こころが揺さぶられるから、憧れるから、やりたい、したいと思えることを豊かにし、逸脱や失敗を楽しみとして共有し共感できるなかまと豊かに関わりながら、そうやって「自分」が発酵していく土台をつくりあげていくことである。』ほんと、そうだ!そうしたい!最近知った「ホリスティック」な考えにも通じてると思う。よくわかる気がする。「対自」や「即自」という言葉は初めて知ったような気がするけど、検索してみるとキーワードは、弁証法、ヘーゲル、イデア、存在と無、サルトル、即自存在、サルトル、市倉宏祐「即自」→自分が自分自身と一体をなしていること、意識の対象にはなっても、それ自身が自分について考えたりしないような存在の仕方、のような?これも何かのご縁。また調べて理解に努めよう。。。◎あとのページで紹介されていた「幼児の遊び」のなかから、自宅でもできそうなこと。室内)レスキュー隊ロープを1本(布製の三つ網の綱など)用意し、大人2人で持つ(片端を柱にしばりつけてもOK)床の上を、綱をたぐり寄せるようにして進んでいく(あおむけになって頭の方向へ進む)。お腹の上に人形を乗せたりも。床をかかとで蹴ったり、綱に足を絡めて、本物のレスキュー隊員のようにも。室内)まちがい探しオニになった友だちをみんなでよ~く見る。オニになった子はその後ロッカーのかげなどにかくれて、他の子にわからないようにどこかを変える。出てきて、さっきとどこがちがうかあてっこする。例)ボタンを1個はずすと、ズボンのすそをまくる、ヘアピンをはずす、靴下を折る
July 12, 2006
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『お母さんのための人間関係トレーニング』 ~ちょっとラクになる、ぐっと元気になる~ ⇒イントロは こちら ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~第1回 自分をあたたかくみつめよう ~つながり・かかわり・バランス・関係性~普段は、自分のことより、子どもや夫のこと優先、自分のこと置き去りに。この6回は、立ち止まって、自分のことを、ゆっくり見つめる時間を作っていきたい。●ホリスティック(全体的・総合的・包括的)な視点で自分をみつめる☆キーワード『ホリスティック』 訳)全体的・包括的 cf.西洋医学=対症療法 部分部分を専門的に見ていく 例)心臓は心臓外科医へ「ホリスティック」=東洋医学的例)胃痛でも人それぞれの原因がある。部分を大切にしながらも、人間も全体でとらえていく、という考えかた。<3つのキーワード>☆つながり ・・・ 幻想だったりする。 家族でさえも会話がない、地域のつながりがない、 周りが何をしてるのかわからない☆かかわり ・・・ 少なくなっている。 昔は、新幹線内で会話とかあったが、今はなるべく関わらないようにしてる。 人がそこにいるけど関わりたくない → 子どもの世界にもある。例)中学生「友だちといっても所詮は敵」 戦略的な関わり (テスト勉強のときに役立つから、など)☆バランス ・・・ なかなか難しい。 父は仕事ばかり、子どもたちは勉強ばかり。 友だちと遊びのルール作りながら遊ぶ体験が少ない。 ↓バランス。今の世の中、これがちょっと崩れている。母親も、自分のこと考える時間が急速に失われていく。自分が少しラクに、生き生き生きていくには、この3点はすごく大きなポイント。この6回は、自分とつながる、丁寧にかかわる、仲間と一緒にバランスよく、やっていきたい。 ↑自分=知識と行動が結びついてない。物理的、時間的に難しい。★ワーク1)名札を作る。自分の選んだ紙の色に映えそうな、読みやすそうなペンを選んで。 呼ばれたい名前/住んでるところ(大雑把に) 最近はまってること、好きなもの (今後、付け加えていってもOK)数分間、何人かと自己紹介。いまは、どんな仲間がいるか広く浅く。●自分を知る人間を理解するために、まず「自分を知る」ことが必要自分をみつめる=「人間理解」の第一歩。「人間理解」=コミュニケーションで大切なこと。☆自分を「あたたかく」見つめる ~今の世の中、結構しにくい。小さいときは、自分のこと、あたたかくみつめている。例)4歳女児 「走るの早いねん」「絵もうまいねん」大きくなるにつれて、人と比べて劣ったとこ、失敗したとこばかり、周りから言われる→自分のこと厳しく見ていくように →人にも厳しく☆自分のことをあたたかくみつめるための段階1)自己覚知 ・・・ 自分のことを意識化する。問いをもらって初めてきづく。例)名札を作ったこと(好きなものはナンなのか)忙しかったり、逆にボーっとしたり、自分のこと、意外とわかってなかったりする。2)自己開示 ・・・ 心を開いて自分のことを語るなかなかしにくかったりする。例)「つらいの」と打ち明けても、何言ってんの」といわれると、 言っても否定される、傷つくだけ、と思う。 →言ってもどうせわかってもらえない →コミュニケーションがいびつに。だんだん言ってることにギャップが出てくる。 例)いつもカラ元気、外では必死に、家では落ち込み、自己嫌悪 例)元気ないのに「元気よ」↓自分のこと素直に語れる=良い仲間がいればやりやすい。相手のこと、否定しないで受け止めれる練習をしていく。★ワーク2)自分のいいところを書き出す。重箱の隅をつつくかのように、思いつく限り、いろいろに発見してあげる。例)好き嫌いがない、早起き、どこででも寝れる、乗り物酔いしない ピアノが上手、歌が上手、好奇心旺盛、整理整頓が得意「人と比べないで書く」のがポイント。どうしても、足りないところに焦点を当ててしまいがち。例)自分のこと好きじゃない、誰々みたいだったらよかったのに…自分のいいところになかなか気づいてない。=自分の魅力の「芽」をみつける作業ていねいに自分に関わってあげる=自分のことを大切にする → 他人のことも大事にできる★ワーク3)隣の人に自分のいいところを紹介する。(声に出して言う)欠点を言うのには慣れている →楽しいことではない。謙遜は美徳、と刷り込まれている。いいところは、出さないと気づかなくなる。バランスを取り戻すためにも。1分ぐらいずつ、交代で。・聞き役:「○○さんのいいところを教えてください」 あいづち、うなずき =すごく大切・言う役:ヘンな前置きはいらない。素直に言う練習。↓紹介し合うと、ますます自分の魅力に気づく(聞き役は、自分の魅力にも気づく)★ワーク4)書いた紙を交換して、相手のいいところを読み上げていくやさしく、ていねいに、語りかけるように、心を込めて。自分で否定せずに、言ってもらう体験→自分で言うのもいいが、人に言ってもらうと悪い気はしない。自分のいいところを大事にする →親子でも、認め合う、いい関係に。★ワーク5)悪いところチェック「自分の悪いところは…」リストの中(26個)から、5個だけ選りすぐって。↓チェック後、別紙「ホントはね(言い換えると)」リストを参照 ※チェックリストは「コピー不可」につき掲載しません。ご了承ください。ちなみにわたしは、本当は全部○なんだけど、強いて5つにしぼった結果は…不器用 → がまん強い!!ひねくれている → ユニークで、個性的!!でしゃばり → まえむき!!わがまま → 自分に正直!!えらそう → 頼りになる!!短所に焦点を当てて、なくそうなくそうとするが、長所を伸ばしていこう。なんでも、バランス。例)整理整頓好き →行き過ぎると、人のことまでおせっかい、神経質と言われるように。チェック表 →中学生、親にも。→「子どものことわかった」⇒身近な人を見るときの、視点の変換になる。●さいごに。1)体とかかわる =「さする」自分の手足をさすってあげる2)ペアで肩もみする =自分の体を大事にしてもらっている、関わってもらっている3)お互いに 「今日どんなこと考えましたか?」=自己覚知→自己開示★感想(翌週、感想が返ってきました、赤ペンコメント入りで)黙って聞いて帰るセミナーかと思っていましたが、「つながり」「かかわり」を実体験から理解することができ、予想外の「笑顔いっぱい」の場でした。 本当ですネ自分のことをわかる、発見するには、自分ひとりでこもって考えてても限界がすぐ来るけど、今日みたいに、他の人とふれあい、かかわることで、また、自己開示することで、新しく自分についてわかることも多いんだなあと、とても実感することができました。 よく参加して下さったからこそです!そんな自分をほめてほめて知らない人とでも、言葉をかわすこと、ふれあうことで、何が見えてくるんじゃないかという気もしてきました。知ってる人とも、関わり方が変えられそうなワクワクした気がしています。 こちらまでワクワクしてきます ありがとう~家族にたいしてもかかわってみようと思いますvv できることからすこしずつチャレンジしてみて下さいネ笑顔いっぱいの家庭になりたい・・・ なれますよ♪大丈夫 大丈夫ありがとうございました!
July 12, 2006
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下の子が、特定のお友だち(女の子)と親しくなって、ちょっとしたメモ用紙にキティのスタンプを押して、渡していたのだが、今日はすでに3回目ぐらいで、昨日に続いてだったせいか、そのことについて担任から話があった。保育士:保育所では、子供同士でお手紙のやりとりはしないことになっていて、「お母さんに渡してもらってね」という話をしている。・・・でもお母さん同士、会いませんよね・・・わたし: ま、お母さん知ってるから、渡したよ、とは連絡できますけどね・・・保育士:もらった手紙をなくしたりしても先生は知らないよ、と。また、Rちゃんはそうじゃないけど、みんなが園庭にいる時間に、誰もいない部屋で渡したりする子もいて・・・わたし:ああ、今朝そういうのを見て、意外ともらってない子の前で渡してもあっさりしてるわ、と思って書いたんですけど。(うちの子のことは連絡表には書いてないが、先生が、「カバンに入れてる?」と相手の子に聞いてるところを目撃したらしい)保育士:前に、もらってないお友達が嫌な気持になったりするのでやめよう、と話をしてるので、できれば・・・わたし: 所内でやりとりするのがマズイということですか?場外でやってくれと?保育士: う~ん・・・わたし:場外でやったとしても、一緒じゃないですか?じゃ、例えば今でも休日に特定の子同士で遊びに行ったりしてるが、そのことを、保育所に来て、「昨日、○○ちゃんと遊んでん」とか「○○ちゃんにお手紙もらってん」と話すこともありますよね?ということは、目の前でやり取りされるかどうかの違いだけで、「なんで自分は誘ってもらえないの?お手紙もらえないの?」と思う子は思うでしょう。保育士: でも、何度も話してるので・・・わたし:で・・・どうしてほしいということですか?よくわからないんですけど(苦笑)ルールだからやめてください、ということですか?保育士: そうですね、なるべくなら回数をちょっと減らしてほしい・・・わたし:それでいいんでしょうか?というか、トラブルになったら困るから、全面的にダメ、じゃないんですね?保育士: いや、基本的にはダメなんですけど・・・わたし:じゃ、ケースバイケースで考えていけばいいんじゃないですか?それに、トラブルは未然に防がないといけないんでしょうか?保育士: はい、そうです。未然に防げるものなら防ぎたいです。わたし:そうでしょうか?トラブルといっても、命に関わることじゃないでしょう?子どもたちにとっては、トラブルがあって、何かを考える、学びなんです。お手紙を渡したい、伝えたい、という気持は大事にしてやりたい。そのうえで、何かトラブルがあったとしたら、その都度、ケースバイケースで、子どもたちと一緒に考えてもらえないでしょうか。それとも、いちいち対処するのは大変というか、面倒くさい?保育士: 面倒くさい・・・?ってことはないですよ。わたし:じゃ、ルールを作るとすれば、子どもたちが決めたルールでやってもらったほうが。保育士:いや、今までも何度か話し合いをしてきて、約束しても、必ずそれを破る子がいるんです、それでダメということに・・・わたし:そのルールは、子どもたちが納得してるんですか?自分たちで決めた納得できるルールなら守れると思う。それに、トラブルがあったとき、嫌な思いをした子のことを、「イヤやってんな」と感じ入ることをしてますか?というのも、うちの子絡みのことしか見てませんが、何かあると、すぐ「ごめんなさい」を言えば済む、みたいに誘導してるように見受けられるのですが。保育士:はい、まずこんな風に言ってるよ、と伝えて、そうですね、謝るようにしてますね。わたし:たとえば、この前、うちの子が腕を噛まれたじゃないですか(→すぐに思い出してもらえなかった…)、その時も、本人が「謝ってほしい」と頼んで謝ってもらう形になったんですが、相手は「ごめんなさい、もうしません」というだけで、本当に痛みをわかってくれてるのかな、という感じだった。本人にしても、それで気が済んだ、みたいになってて、でもなんか抜けてる気がします。「痛い!」と言ったら、まず、「大丈夫?」じゃないですか?相手の痛さ、イヤさをわかる、ということが抜けて、いきなり「謝る」ことを要求してるような。保育士: でも、3歳児にはそこまではまだちょっと・・・わたし:いま、うちの家でやってるのは、この子が、姉やわたしとケンカをするんですが、その時に、嫌なことや痛いことしたら、「嫌な気持ち」「痛み」を分かってもらうようにしています。痛い、ってわかるよね?痛かったことあるよね?どんなんやった?とか感じてもらうようにしてる。そうしたら、自然に、「ごめんね」って言ってくれます。相手の痛みをわかろうとすれば、自分が痛かったこともちゃんと思い出す。その都度、感じていなきゃダメだと思う。だから、痛い、とかイヤだ、とか、感じていいんだよ、って教えたい。うちは。保育士:そうですね、4歳ならわかるかも・・・また、子どもたちと話をして、どうするか考えていきたいと思います。わたし:いや、手紙ごっこもすぐブームは去ると思うんですけどね。○○ちゃん、って言ってるのも今がピークのような気がする・・・いまは、「○○ちゃんと隣するねん」って喜んで保育所にも来てくれるから助かってるんですけどね。保育士:でも○○ちゃん、前は女の子たちと一緒に遊んでたのに、最近Rちゃんと、虫集めをしてて、ダンゴムシをたくさん集めてたんです、びっくりしました。 ・ ・ ・と、子どもの様子を和やかに話していると、他の子が泣き出して、こちらは一段落してたので、先生はそちらへ走っていった。迎えに来てから、15分ぐらい経っていた。子どもは、大縄をやってたので、親一人で帰り支度をしに2階へ。あ~、よかった、先生、なんとなく分かってくれたみたい♪と、喜んで降りていき、子どものところへいく途中、その先生が怒声を上げていたのが、耳に入った。ちょっと離れた砂場で、同じクラスの男の子2人を壁に押し付けて、「それは絶対にあかん!」と感情を込めて(いや、感情的に;)怒っていた。はじめヘラヘラ笑っていた男の子も、そのうち神妙な顔になり、先生のお説教を聞いていたように見えた。そばに、2人のうちの1人の母も立っていたが、かまわず説教し続けていた。わたしが「はい、注意します」と引っ込まなかったのが、ストレス⇒イライラのもとになってませんように・・・と願いつつ、保育所を後にした。で、後味がイマイチ・・・というのも、先生が、「3歳児にはちょっと無理」とか、「4歳ならわかると思う」とか、言ってたのが気になる。子どもって、そんな、教科書どおりの発達ナンデスカ???下の子を噛んだ子だって、大きな体をしてるし、「3歳」という枠に収めるのは無理がある・・・それぞれの成長は違うんだし、その子その子の事実を見つめてほしいな。まさにケースバイケースの対応をしてほしい。いや、してくれてるものだと思ってたが、今年の担任は、ちょっと思い込みの価値観が強いみたい。所内では、一番古株になった彼女だが、経験がジャマをしているような気がする。経験を重ねると、目の前の子どもの現実を見るんだ、と悟る人と、反対に、経験則を頼りにして、こういうものだ、と、自分の知ってる子ども像を通して現実を見る(枠に現実をあてはめる)人がいるなぁと思う。ただ、先生の、現実を見つめる余裕をなくしているものも見過ごせない。国の最低な「最低基準」のおかげで、1人で担当する子どもの数が多すぎる。とてもじゃないが、きめ細かい、ケースバイケースな対応は難しいと思う。いくらプロでも、いくら他の職員の目もあるから、といわれても、4歳児を30人も1人で担任するのはキツイはず。大きな怪我をさせないように、それだけで精一杯かもしれない。と、一定の理解を示せはするが、できることはやってもらいたいので、これからも、伝えたいことは、穏便に伝えていきたいと思う。けど、書き出してみて、思うけど、自分ばっかりしゃべりすぎ???先生の言ってることも聞いて言ってるつもりなんだけど、「受けて」ないね、全然。短時間で、いかに相手の気持ちも受けつつ、言葉を選んで伝えられるか・・・弛まぬ努力と練習が必要です・・・(と、子どもたちを相手に練習に励む)
July 11, 2006
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さっき夫から電話があった。今朝?亡くなったらしい。このあいだ「盆休みにでも、おじいちゃんち付近にクワガタ採りに行こうね」、なんて父子で話していたのに、孫とひ孫の元気な顔を見せられず残念だ・・・夫のおじいちゃん、だから結構なお年なんだけど(夫は正確には知らんらしい)、たぶん、80代? 夫のおかんが60ぐらいやから、90近かったかもしれない。寿命の延びた現代において、100歳前に亡くなるのは早死にかな。わたしの母方の祖父母は、65歳ぐらい、父方の祖母も70ぐらいで亡くなってるので、長生きしてくれて、子どもの顔も見せられたという点では、(孫としては)幸せだなぁと思う。前に会ったのは、下の子がまだ1歳台のお正月だったっけ?もう3年以上、気になりながらも会いにいくこともなかった。GWぐらいに、夫が「盆に行く」と言ったとき、わたしは何気に「そう思ったときに会っておいたほうがいいよ、すぐ行く?」と尋ねたことがある。わたし自身、母方の祖父の姉(昭和天皇と同い年)に会いたいなと思ったとき、すぐに行かなかったために、直後に亡くなり、二度と会えなくなってしまった経験がある。虫の知らせ、というものはあると思う。前に、おじいちゃんは、市役所の課長までいった“お偉いさん”で、とても人望の厚い人だったと、おばあちゃんが言っていた。おばあちゃんにとっても誇りに思える人なんだろうなと、笑顔を見ていて思ったものだ。後年、胃か肺かを病んだこともあったらしいが、帰りに、孫である夫から、「タバコをやめて長生きして」と言われ、禁煙にも挑戦してみると言ってくれた。帰ってからすぐ禁煙本「禁煙セラピー」を送ると、とても喜んでくれた。夫に「また鯉釣りしような」と言っていたのに。嬉しそうな顔が忘れられない。今年の4月ぐらいから、入退院を繰り返していたらしい。夫は母親から死因は聞いてない。おばあちゃんは、どうしてるんだろ?両親との間に淋しさを抱えたままきた義母は、いまどんな気持ちでいるんだろう?明日、夫が義母を連れて通夜に出るという。一旦帰ってきて、わたしたちを車にのせて、葬式に出ると言ってくれた。車での往復は大変だと思うが、よくそうやって提案してくれたと思う。なんとか、お葬式には出て、できるだけのことをして帰りたい。長らく会ってない親戚と、こんな形で再会するとは思ってなかったけど、これからまた、あたたかい交流ができたら、おじいちゃんも喜んでくれるかな。量三おじいちゃんのご冥福を心からお祈りいたします。
July 11, 2006
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火曜日恒例の『心の処方箋』。今日は視聴者からの相談の中から多かったものを数点まとめて。(放送とは順序を任意で変えています) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~Q.残忍な犯罪が増えている。世の中どうなるのか。個人レベルで心がけることは?A.根底的なことをいえば、日本は戦後から流れが変わっちゃったんですね。物に苦労したから、物質、物質、物質、って望んでくると、心の方が後になっちゃった。その前までは、もう少し、心の方が中心だったんです。だから、一昔前の世代というのは、それこそ、子どもを育てるのに「これだけしてやったのに」(お金をかけた)とか、「どっちが出来がいいからいい子で、後を継がせる」とか、心と関係ない。勉強できなくても心が立派な人もいるのに。心の方を粗末にしてきた結果が、今にある。そうは言っても、根底から変えていくのは大変なことだが、日常の中でできることは確かにある。たとえば、犯罪、戦(いくさ)と、じつは、私たちの生活は、同じ「地続き」、同じところにある。TVのニュースとかで見ると、遠い世界の話とか思っちゃうけど違う。日本の中で起きる出来事だって「地続き」だし、日常の中で、同じことしてることが多い。私たちの目に映ることは、「偶然はなく必然」で、ニュースで殺人事件が起きました、じつは、自分たちの心の中にも殺人鬼がいるってことね。カッとして、ガッという…。じつは自分のこと映してるな、と思ったほうがいい。まず、自分の中の殺人鬼をなくし、日常の中で戦をなくす。夫婦の戦とかね。なんで話し合いができないの?っていうことを。家のドア、バン!とか閉めてみるとか…。それは「地続き」なんですよね、そこ(殺人事件)と。こっちはなくせ、こっちは残せ、ってないんですよ。世の中の人ぜーんぶが、穏やかに穏やかに生きていたら、ここ(犯罪)はないでしょう?わたしたちは毎日、そいういうふうにしないといけないですね。積み重ねが大事。Q.結婚は「念力とタイミング」と言われるが、具体的に念力を強化する方法は?A.念力を強化する方法は、意欲しかない。本当に結婚したいのかどうか、深層心理ではやっぱり「結婚したくない」面倒くさい、と思ってたり、絶対ある。それを自分で理解してない人が多い。あとは、一人はやっぱりラクだな、なんて、どこかで思ってたりする人は、なかなか結婚できない。本当に、自分が結婚するというイメージをつねに描かなくちゃいけない。映像として。自分がこういう暮らしをしてる、例えば、台所に立ち、夫を迎え、子どもがいて、とか、それで自分が幸せだなぁと思えるか。そこで、あ~やっぱりヤダ、と思えば、やっぱり違う。あとは行動力。待ってちゃダメ。楽したらダメ。赤い糸はつながってない。赤い糸のついた釣竿を持って生まれてくる。釣るんです。釣りたかったら、船漕いで、沖に出る。一本釣りで、すごい勢いで。それが「念力とタイミング」なんです。Q.愛情は一人だけに注ぐもの?2人と恋愛状態はダメ?A.いいか、ダメか、という問題自体がダメ。依存が強い。(↑上の話で)釣っただけじゃダメ。料理ができないと。立派な鯛だって、料理の腕がなかったらダメでしょう?その人の人間力なんですよ、料理の技というのは。よく言ってるのは、『「2人とも好き」は「2人とも好きではない」と同じ』。同じくらい好きな人が2人います、というのはウソ。2人の人から愛されたい、と言ってるだけ。自分が愛してるんじゃなくて、愛されたい。たくさんから愛をもらっちゃいけませんか?と言ってる寂しがり屋さん、ってこと。これはどの道、因縁果、カルマの法則でね、結果が出ます。「2人ともに愛されない」として返ってくる。思い込んでいらっしゃるだけ。一日も早く目を覚ましていただきましょう。Q.家に方位は関係ある?北枕はよくない?A.じつは、家相というよりは、方角・方向によるエネルギーの流れがあるのは確か。あんまり細かくする必要はないが、昔の時代の知識も入ってるから。お手洗いなどは、昔、水洗じゃないから厠のニオイが風にのってこないように、とか、北枕ってのも、北風が入ってくると風邪をひく、寒い、反対側に寝たほうが風邪が通り過ぎるからいいわけ。エネルギーの流れがあることは確かで、北枕悪いというけど、北は神聖な方角、エネルギーの強い方角。北枕に寝るほうが、インスピレーション高まることもある。一概にいいとか悪いとかはない。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~犯罪、戦と、私たちの生活は、同じ地続き。私たちの目に映ることは、「偶然はなく必然」で、じつは自分のこと映してるな、と思ったほうがいい。まったく、その通り、という感覚があります。自分が目にする、ということには何らかの意味があり、気に留めて当然なんですね。気にしすぎだ、とか、そこまで感じることないやん、とか言われても、これはわたしの必然なんだから、その感情を否定しなくていい。まずは、身近なところ、家庭内の戦をなくさなければ、というメッセージも、まさに、昨日今日のわが家を見透かされてるようで、とっても驚きました。また、わたしは長年、寝やすいので北枕にしていますが、インスピレーションが高まることもあるとは、嬉しいです。もっと、感覚を研ぎ澄まして、感じられるようになりたいです。能力開発に励みます・・・
July 11, 2006
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この番組、初めて見ました。新聞のテレビ欄で見つけたときは嬉しかった~♪いつも生放送が多く、立ちっぱなしのみのさんが、じっくり腰を落ち着けて、録画で、ってことも興味深かった。で、美輪さまの登場。みのさんの言う通り、たくさんのバラの花束がかすむほどのオーラ。話は、多岐にわたった。すべて面白かった。中でも気に入ったとこだけ、メモっておこうと思う。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~美輪さまの恋愛観が垣間見えた・・・☆三島由紀夫氏との関係について。昔からよく聞かれること。16歳のころからの関係だが、全くそういう事実はない。江戸川乱歩氏にも聞かれたことがある。そのとき、「尊敬できる人には恋愛感情は生まれません。 敬愛してはいますけど恋愛感情ではありません」と言った。三島氏が、「きみは95%のすばらしい長所を持っているけど、 あとの5%の最大の短所のおかげで、長所のすべてが帳消しになってる」そんな欠点って、何です?と尋ねると、「おれに惚れないことだ」代表的な舞台「黒蜥蜴」(江戸川乱歩原作、三島由紀夫が舞台化)。☆明智小五郎役の共演者について天地茂(68年共演)も、榎木孝明(93年共演)も、好みじゃない。ある程度出来上がった人にはそそられない。人の持ち物はほしがらない。みのさんの娘さんの質問は、☆美輪さまと江原さんは同じものが見えてるのか?霊の世界は複雑なので、見えているものは違う。前世とその前の前世だったり、たまにオーバーラップすることがある。☆少子高齢化についていろんな原因がたくさんある。大きな原因の一つは、長寿になったこと。それだけ寿命が延びただけ、人生の密度が薄まった。昔は人生50年。16歳で元服、大人だった。13歳で嫁にいって、15、6歳で子どもを持っていた。それが今、倍になった。昔の20歳が、今の40なんですよ。人生が薄まってきてるわけ。だんだん延びてきてるわけよ。のびたおうどんみたいに。☆みのさんの前世たくさんおありになるけど、一番強いのは「お茶の宗匠(そうしょう)」のかたで、ものすごく厳格なかただったみたい。非常に日本的なものがお好きでしょう?女の方もいろんなこと含めて。着物とか。⇒みのさん:大好きです。着物、畳の部屋、お茶が好き。面白おかしくされてても、バックボーンにあるのは、厳しさですね。(みのさん、深くうなづく)☆コースターには「わが愛するみのさんへ 光明」。みのさんには、光明がずっと差していると。
July 11, 2006
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楽天ブログで展開するのはどうかな、という気もあるけど、とりあえず、思い切って書いてみます。(また、気が変わって移転するかもしれない)今朝のワイドショーで、杉山文野(すぎやまふみの)さんを拝見。以前、「とくダネ!」でも取りあげられていたけど、今朝は生出演されていた。印象にのこったのは、性転換したいと相談したときの、お父さんの言葉。「この体に生まれたのも何か意味があるのだろうから、そのまま置いておいたほうがいい」老舗の旦那さんだけど、意外にスピリチュアルな感性をお持ちなのだなぁと。これがまた、他の人たちが他の話題で言った言葉に似ているので印象深かった。それと、「障害」という言葉について、社会生活上の障害はあるけど、障害とは思っていない、むしろ、そういう名前をもらって、はじめて、自分が何者なのかはっきりできたことが良かったとおっしゃっていたこと。コメンテーターが、「障害」は英語では「ディスオーダー」、つまり「注文(オーダー)間違い」であって、障害と訳すと意味合いが違うみたいだと言っていたけど(そうなのか???)。女子高時代の苦い恋愛物語も披露され、その後、現在のお仕事ぶりが紹介された。(次は悩み相談シーン、というところでCM、他局へ変えてしまって見れなかった…;)スタジオでもVTRでも、生き生きと、自由に生きている、そう見えた。著書「ダブルハッピネス」には、幼少時から現在までの苦悩も書かれているようだが、いま、そこにいる人は、達観しているようで、穏やかに輝いて見えた。夕方、晩ご飯の用意をしていると、脳が活性化されたのか、脳裏にさまざまなイメージが浮かんできた。わたしは、小さいころ(30年ぐらいまえ?)、美輪明宏という人をテレビで初めて見たとき、すごく惹かれるものがあったのを今でも覚えている。徹子の部屋かなんかでしゃべっているのを見ただけだが、ものすごいインパクトだった。その後、中学1年では、一時期「風と木の詩」(コミックス)にハマり(関係ないか)、中3からイギリス系ロックにハマり、好きになったバンド、アーティストは、今で言うビジュアル系の人びとであり、とくに、JAPAN(D・シルヴィアン)、D・ボウイら、性別を超えた存在に強い憧れの念を抱いた。(ボーイ・ジョージも好きだったよ…誕生日同じやから)高校に入ってから、いろいろな耽美派な文学を好み、三島由紀夫の「禁色」にハマり、現実でも性別構わず好きになった。言うなれば“性倒錯”(←死語;)の時代だった。バイセクシュアルを自認して、公言してもいた。自分も含め誰もが、一生シングルで、優雅に気ままに生きていくんだろうと思っていた。それが、今では2児の母をやれているのだから、運命とは不思議だ。まあ、それはさておき。後年わかってきたのだが、わたし自身の、性自認や性指向ということではなくて、性の垣根を超えようとする人びとの、その強いエネルギーに惹かれるのかもしれない。倒錯期には、彼らに抱かれたいなどと妄想していたのだが、いまは、その生き様、人間観を見習おうとしている。精神的に、彼らに近い存在になりたいのだ。たましいのレベルを近づけたいのだ。今生は、この体を選んで生まれてきた。そこには意味がある。課題がある。だから体を変えようとはしない。それでいて、心は自由に、行動は自由に選んで生きられる。それを、彼らは身をもって教えてくれている。と思う。もし恋愛感情を抱いたら、そのあとどうするの?という問題もあるが、若い頃のような、肉の恋愛はしないだろう。否定する気もないが。愛と肉とは必ずしも一本道上にあるわけではないのだ。精神的な結びつきなら、老若男女関わらず、人間として感じるものがあるなら、結びつくものだろう。そういう意味では、わたしもすでに、男か女か、という次元を超えた感覚を持っていると思う。こうやって書いてきて閃いた。男か女か、それは、肉の結びつきを考えたときにのみ、意識にのぼるのではないのか?(ちょっと乱暴かな。広く生殖においても意識にのぼるから。人類存亡の問題?)精神的な結びつきにおいては、全くただの個性にすぎない。ましてや、労働力としての格差など意味がない。適材適所、誰にでも力を発揮できる場を提供できてこそ、優良な企業、子々孫々まで栄える国なんだと思う。同様に、家庭でも、教育現場、医療施設等でも、見た目で決めつけることは無理な話で、それぞれの得手不得手に応じて、特質に応じて、好み・希望に応じて各集団の中で相談しながら、行動を決めていけばいいことだし、共用のトイレや更衣室なども、それぞれの性自認・性指向に応じて考慮すべきだというふうにも思い至る。※ドラマ「新・いのちの現場から2」で、性同一性障害の戸籍上男性が、 末期のガンにもかかわらず、男と同室は耐えられないとの理由で、在宅医療を 希望し、最期はようやく理解を得た両親の元で息を引き取る話があった。いまのところの結論(?)。要は、自分の、相手の、特質、希望について、お互いに尊重し、ていねいに、きめ細かく対応していってこそ、ジェンダーフリーなのだと思う。※たとえば、小学校高学年の男女が同室で同時に着替える、と学校が決めるのは、 それぞれの希望を尊重しているとはいえないので、ジェンダーフリーではない、 という考えになります。人権尊重。お互いの存在を、全身を、想像力をフルに使って、受け止め、応えていく。それは全ての「フリー」につながる、シンプルな考え方だと思う。☆ちなみに、日本国憲法には以下のような自由権が謳われている。精神的自由 思想・良心の自由 信教の自由 学問の自由 集会の自由 結社の自由 表現の自由 経済的自由 居住移転の自由 職業選択の自由 外国移住・国籍離脱の自由 人身の自由 奴隷的拘束・苦役からの自由 令状なき不当な勾留からの自由 勾留拘束に当たっての法定手続の保障 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
July 10, 2006
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(第5回 ふりかえりチェックリスト ~相手・場面~)☆ふりかえり⇒アサーション度チェックリスト (はい・いいえ に直感的に○をしていく)I 自分から働きかける言動1.あなたは、誰かにいい感じをもったとき、その気持ちを表現できますか2.あなたは、自分の長所や、なしとげたことを人に言うことができますか3.あなたは、自分が神経質になっていたり、緊張していたりするとき、それを 受け入れることができますか (気づいてますか、ではない。認められてるか、逃げようとしてないか、ダメと思って いないか)4.あなたは、見知らぬ人たちの会話の中に、気楽に入っていくことができますか5.あなたは、会話の場から立ち去ったり、別れを言ったりすることができますか6.あなたは、自分の知らないことや分からないことがあったとき、そのことに ついて説明を求めることができますか7.あなたは、人に援助を求めることができますか8.あなたが人と異なった意見や感じをもっているとき、それを表現することが できますか9.あなたは、自分が間違っているとき、それを認めることができますか10.あなたは、適切な批判を述べることができますか (適切=自分にとって正直なという意味。自分が本当に思っていること。 過去の経験によって偽った批判はいけない)II 人に対応する言動11.人から褒められたとき、素直に対応できますか12.あなたの行為を批判されたとき、受け応えができますか (批判されて「すみません」と引っ込まないで、相手の気持ちを受けて、 「じゃあもうちょっと…」と自分の気持ちを言う)13.あなたに対する不当な要求を拒むことができますか14.長電話や長話のとき、あなたは自分から切る提案をすることができますか15.あなたの話を中断して話し出した人に、そのことを言えますか16.あなたはパーティや催し物への招待を、受けたり、断ったりできますか17.押し売りを断れますか18.あなたが注文した通りのもの(料理や洋服など)が来なかったとき、 そのことを言って交渉できますか19.あなたに対する人の行為がわずらわしいとき、断ることができますか20.あなたが援助や助言を求められたとき、必要であれば断ることができますか☆チェック後、グループで話し合う。・全員が「はい」のものは?全員が「いいえ」のものは?一番多いのは?・その裏にどのような「思い込みの価値観」が潜んでいるのか。・決して、いい、悪いではない。 ↓全体集計表(グループの報告が前のホワイトボードにまとめられた)を見て、気づくことをコメント。◎16、17、18は「言えます」 =交渉ができる以前と比べて変わった自分に気づいてますか?17は、全員。反感持たれない本当の意味での断り方できてるか。◎「言えない」一番多いのは15。どんな心、価値観が働いて言えなかったのか?受)年長者の場合。いたわりの気持ち、相手を尊重しようという気持ちから。⇒そういう自分の価値観に気づいてほしい話をさえぎられて「ちょっと待ってね」=咎める、非難、批判することではないそう思う人は、止められたとき、咎められたと思う ⇒ 顔がゆがんでいってしまう「自分が話してる」というメッセージを伝えるのであって、咎めているのではない。言葉は35%しか伝わらない。心の動きのほうが、相手に伝わる。=自分の心の動きを知っておくことが大事。◎次に4。例)近所の人たちが話しているとき入っていくのを「遠慮」 ⇒そのような心に気づいてほしい。相手の心を思いやりすぎか、疎外されるのを恐れてか、疎外なら、空想の世界。まず入って経験してみる。全ての行動には、自分の思い込み、価値観が潜んでいることに気づいてほしい。自分が楽になる方法を選べばいい。話したいときは話す、話したくないときは話さない。=自由◎1「はい」多い=11「はい」少ない1=してくれたとき素直に応答できない言えてないときはどういう気持ち、タイプ、人か?リップサービスは相手に伝わりにくい。まず自分が正直に言うこと。何年かまえ、アメリカのホームステイ先で。料理が塩辛かったので、正直に自己表現した(褒めるところは褒めて)。一緒に行った人は、全ておいしい、合ってる、と賛辞。あくる日の朝、塩加減控えてくれた。もう一人は塩辛いまま。「のどが渇く~」その人は、相手が気の毒、あつかましい、で言えないという。⇒人をほめるときは、本当のことをほめる。相手を思ってないことはほめない。 その人もそう思っているであろうと思うことはほめてあげたい。Q.お寿司が口に合わなかったが、どう言えばよかったか。A.あなたの心を大事にしてください。ケースバイケース。あなたが言いたければ言えばいい。これがこうです、という答えはない。心に正直なのがいいですよ、というお話。Q.褒められて嬉しいが、心から素直に認められない。A.根強いパーソナリティにかかわる自己否定感をこの場ですぐ解決は困難。取ろうと思えば取れるレッテルを貼ってる、貼って生きていくのがあなたのポリシー?(いいえ)「ありがとう」と言ったとき、何が沸いてくるの?(喜びが出てこない)⇒喜べるようになると嬉しいね厳しい、完全を求める親・・・一長一短(?)には解決しない、しゃべってるうちに・・・根っこは、あなたにとっては大事なことかもしれないから持っておいて。この場を信じてくれていることがわかります、ありがとう。◎12「受け応えができない」=「受け」と「応え」たいていの人は、だまる。すみません=飲み込んだことに例)「声が小さくて聞き取りにくいです、はっきりしゃべって下さい」×「すみません」○「聞き取りにくかったですか、じゃちょっとはっきり言いますね」×風邪をひいてるから=言いわけQ.外出先から戻ると夫が「どこへ行ってたんだ、何をしてたんだ、遅いじゃないか」と怒るA.表現すること=攻撃的と思っている夫「気になってたんだ」を攻撃的に表現している⇒妻は、指示的、怖いと受け取る⇒「気になってたの?ごめんなさいね、ご飯は作ってたのよ」自分の心を一つずつ大事にしていくこと。言葉を探す=感情に気づくこと ⇒ だんだんと夫にも伝わる。自分もラクになる。Q.会社で文句を言われるA.受け応え=言いわけ、へりくだりではない。正当化でもない。○「そうですね、下手です、これから上手くなります」×「できません」⇒「勉強しろ」と言われることに。本当の気持ちを表現、相手は言いわけに受け取るかもしれないが、それは相手のことだから致し方ない。私語が聞こえる。皆さんに伝えてほしい。何か沸いてきたから隣の人に話してると思うから。平松さんの“私語が気になるクセ”の話(女子大学院で)Q.私語していました。相手を認めるということがわかりました。A.「認める」の意味について。受容と是認の違いを知っておいた方がいい。自分の心に沿って受容してるのか、沿わないのに受容してるのか、是認してるのか。是認=相手のやりたい、してほしいことを認めること 例)「買って」→買ってあげる受容=心を受け入れること 例)「買って」→買ってほしいのよねイタズラにしていいときも、できないときもある。◎最後に。私たちの中には、試してない能力がいっぱいある、と最近わかった。お酒が好きだけどたくさん飲めないと思ってた。1~2杯以上は飲めない、飲みたくないと思い込んでいたが、あるパーティでテーブルについた若い男性が、お酒をいろいろ持ってきて「まだ飲めますよ」「全然顔色変わりませんよ」などと言うのに釣られて飲んでいった。体、心を見ながら、まだ飲めるわ、美味しいじゃない、とワインを4杯、焼酎2杯に、普段飲まないビールまで。「飲めますね~」とウイスキー水割りを勧められ、「水臭いの嫌いだからロックで」飲んで、いつもの5倍。足はふらふらしないし、顔も赤くない。飲めは飲める、という能力あるんだ、と。人間、隠れた才能があると思った。意識にないところに、可能性、能力あるのに、親が閉ざしている。自分で能力を解放して。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~↓で、終了後に書いたわたしの感想(概要)。◎良かったところコミュニケーションで、「言う」ことばかり先走っていたけど、相手を認めるということは、まず相手の「心を」受け入れることだと気づくことができた。先生の穏やかな雰囲気に憧れる。感謝。いつまでもお達者で。◎工夫してほしいところ「自分を大事にする」ことの中身を体感するために、少人数にして、自分の心をみつめるためのトレーニング要素を増やしてほしい。また、グループトークがバランスよく進むために、幹事役かチューターを入れてほしい。
July 10, 2006
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『女性のための自己表現セミナー~自分らしく生きるために~』の第5回目のレポです~ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~第5回 ふりかえりチェックリスト ~相手・場面~Q.夫がタバコをやめてくれない。 夫にアサーション。私の気持ちは理解してくれたがなかなかやめてくれない。A.夫が「僕の体を心配してやめてと言ってるんだね」と言ってくれただけでもOKな場合もある。やめてほしければ言い続けること。お酒・パチンコ・カードローン・・・やめたいと思うけどやめられない。タバコは、体にニコチンが必要でやめられない。また、口唇期に固着している、満足していないともいえる。※口唇期=フロイトの説。→大人になって、口を満足したいので、食べる(過食)、タバコ、キス例)ある妻がそれを話して、「タバコ吸うんなら私のおっぱいを吸って」と、タバコを持つたびに言っていると、夫は気持ち悪がってついにやめた。30年前、関西カウンセリングセンターのコウダ先生が講演でフロイトの口唇期の話をしたときのこと。「やめられない人=おっぱいの吸い方が足りなかった」と言ったとたん、出席していた重役(ヘビースモーカー)が激怒し、自分はそんなことない!だから心理学はダメだ、こじつけだ!と怒りながら出て行った。ところが、あくる日から、パッタリやめたという。ナゼか?この話を知ってる人が身近にいたら、きっとそういう目で見るだろう、と恥ずかしくなったから。タバコの話はその人にとって大事。でも、どうしてもやめてほしければ言い続ける。わかるまで言い続けること大事。でも、分かってくれるまで責める必要はない。相手にもNOといえる権利がある。無理にやめさせようとするのは、相手をコントロールすることになる。わかってくれないから、やめてくれないから、と相手を責め続けられない。Q.夫婦でも休日は別々でもいいのでは?A.一人になっていい権利があるので、夫は夫、妻は妻、好きなことしてていい。誰の遠慮もいらない。Q.子どもはなかなか友だちの間でNOと言えない。A.まず、家の中で「イヤ」と言ったら、「イヤなの?」と、NOという気持ちを受け入れる。拒絶される恐怖が減る。→家庭は小さな社会。社会の人間関係を家庭の中から育む。Q.子どもに命令口調。自分の昔の母子関係思い出して…?A.子ども=どこかで無意識に、親の愛がほしい、求めてる→嫌なこと言われても「はい」と言わないと他の兄弟よりもおやつ減るとか思う。アドラー心理学=個人心理学。「個」を大事にする。子ども、女性、男性、親であろうと、頼むときは命令ではなく「お願い」フェミニストの人は、「へつらってるようだ」と嫌がるが、へつらう、へりくだる意味ではない。仲間同士でも「やってほしいのよ、お願いね」誰に依頼するときでも、相手を尊重し、相手の立場を大事にする。もちろん、アサーションはI(アイ)メッセージだから「わたしはしてほしいのよ」ことば=習慣。朝起きて「おはよう」と言う習慣の人は、「おはよう」と言える。人間関係の最小の「相手を認めること」=「あいさつ」Q.試験で良い点だったのに「まあまあだね」と言ってしまった。素直に言えばよかった。A.やれたことを話したときに、「なんで自慢するの?」と思う人は、自分の成し遂げたことを言いにくい。「こんなことできたの、ほめて」と言えるようになれば、いい人間関係できる。遠慮なくほめて。Q.いつも友人と食事にでかけて「なに食べる?」と聞かれて「なんでもいいよ」と言ってしまい、しんどかった。きっと相手もしんどかったろう。A.その根底=自分の気持ちを大事にしない。食べたいもの、お腹に聞いて。私はざるそば、相手は丼物 → ファミレスに行きましょう =ネゴシエーションQ.友人の世話をしたら、だんだんわがまま言ってきてしんどくなり、他の人にグチ聞いてもらい、距離を置くことに。A.自己犠牲にして人の役に立つことを美徳のように教わってきたが、しんどくなる。ここはできるなと思うことは「させてもらうよ」嫌なことは「これはごめんね」と言えるようになると言い人間関係。Q.子どもを甘やかさないようにしたいが。A.「甘やかす」と「甘えてきたのをちゃんと受け入れる」は違う。「しつけ」と「しかる」は違う。母の感情を満足させるため=「しかる」「怒る」 「しつけ」という名目で子どもに注意すること。⇒ あとで反発心出てくる発達心理学では、母親の対応が非常に大事。一貫性が大事。イライラかゆったりかで対応が違うと、二重にもらうので自分で物が決めにくい。子どもを対象に、感情のはけ口にしない。不満は不満を与えた人に。子どもには、人間としてあとあと困ると思うことはしつけなければいけない。Q.5歳女児。「風呂に入らない」「これ買って」A.とてもいいやり方がある。まず、「そうね、いやなのね」「いや~」また同じことを言う「そう、いやなのね~」「いや~」「はいりたくないのよね~」3回同じことを言ってあげると、「わかってくれた」と感じるだろう、といわれている。やさしく、本当に子どもの心を感じて言ってあげる。まず、相手の気持ちを受け入れる。物を買うとき「これほしいのね」×3回。 ⇒ ほしいということはわかってくれたと思う。 「買ってあげたいわ、でも今日はお金ないから今度の日曜日にね」確かな日程(誕生日、日曜日など)を言うこと。いきなりNOと言わない。とくに4、5、6歳。まず受け入れてあげる。本当にその気持ちになる。口先だけではダメ。本当に受け入れないと願望は通らない。Q.3歳前の子。教室でラムネを食べたい。この場所ではダメなとき。A.母はすぐに説明してしまった。「食べたいよね、でもここはダメ」 ⇒だんだんハイに。泣き叫ぶ。「なんで食べたいの?食べたいよね、う~ん食べたいね」「でもここではダメなの、外で食べる?」と選択させてあげる。すぐ説明して教育したがるが、子どもにも考えてもらうことが必要。この3回言う方法は、大阪市大小児科医の故・高木先生の考え。カウンセリングを大事にするドクターで、子どもと母との関係から発見。『最低3度、真から受け入れれば、子どもは落ち着く』Q.おトイレ大丈夫?と心配しすぎることの悪影響は?A.難しい。「心配する」は転ばぬ先の杖で良いようだが、子どもが自分で考え表現することを阻害する。気づきを阻害する。親切なようだが、感じよう、考えようという能力が伸びていかないという考えがある。おもらししたっていい、気持ち悪かったらするようになると思ったほうが。親の都合で、楽になるような誘導はしない方がいい。⇒すべてにつながること。大人の親子関係にも。「傘持っていかなくて大丈夫?」と思いやりのある妻は夫につい言ってしまうが、小さいときから言われつけてる夫は、妻が言うのを待っている。自分で空模様をみて、自分で決める ⇒ 人のせいにしないですむ。親切も、先々はいかがなものか。その人その人の特性に合った生き方をすればいい。この5回で言いたいのは、「相手も」あるがままに存在していい、という人権尊重。自分が大事にしてるものがあれば、相手も持ってるかも、と思うのもいい。嫌いでもいい。私にとっては嫌いだけど、あなたは存在していい。私もあなたの気に入るような生き方はできなくていい。 ↓ ↓ ↓後編は、☆ふりかえり⇒アサーション度チェックリスト
July 10, 2006
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前記事のつづき。03.06にわたしが書いたコメントは、以下のとおり。--------------------------------養老さんの、別の学校でのお話はこちら(@宮城県仙台二高(宮城))こちらは、“男と女「思い込みの壁」”がテーマ。男とか女とかいうグループで考えると、同じグループの性質はすべて同じと考えてしまうクセが人間にはある。ものごとを何でも「同じ」というくくりで処理しようとするのが「思い込みの壁」。普段から頭の中に積み重なっていく“思い込み”を時々見つめ直すのが大事だと。※わたしは、性別も、本来はただの個性でしかないのではないかと思う。 たとえば、目が二重か一重か、とかと同じような意味でしかない。 「女」というグループだから、産めるはずだ、とか、母性があるはずだ、とか、 「男」というグループだから、少々乱暴でも仕方ないとか、強いはずだとか、 そもそも、そういう「同じくくり」で処理するのは間違っているのである。 いまや、「性」よりも「生」により重点をおいて議論する必要がある。 そう考えるようになったきっかけは、同じ朝日新聞の、 アメリカの思想家・ジュディス・バトラーさんの記事を読んでからだが、 その記事はまた後日UPしたいと思う。--------------------------------(ここからは、数日前に思ったことと、今日思ったこととをミックスして書いてます)この記事を読むまでは、自分自身、「女性性」へのこだわり、違和感が否めなかった。それは社会的背景が大きく影響して思想的にそう思わされている部分が大きいと考え、思想を変換することで自由を得ようとしていた感があった。でも、「生」として考えたとき、そこには男も女もなかった。小さいときから同じグループに括られてきたけど、その中の人は同じ性質ではない。例の、緑と赤のカラーチャートを思い出してもらえると嬉しいんだけど、「男」と「女」との間には、さまざまな組み合わせの中間色が存在する。「性」の組み合わせだって、生まれたときの性、性指向、性自認とでさまざまになる。大人と子どもとの間にも、障がい者と健常者の間にも、…etc.うまい例えが出てこないけど、つまり、人は、さまざまな特徴を持ち合わせている存在であり、定型な人間なんていない。それって全部、「個性」として扱われてもいいんじゃないだろうか、と思えた。ジェンダーの問題は、「人間観」の歪みの問題だと意識しはじめて、ラクになった。一方で、そこに差別・被差別を介在させることでラクに統治しようとする意図は見過ごせない。制度として固定化され、差別、いや選別意識の増殖を促している。生と死、という極限状況でなくても、日常でも、どちらを優先する?と選択を迫られたとき、人はどういう価値観のもとに選択をするのか。たとえば、企業の採用面接を思い浮かべると、女は補助的仕事、子持ちだといろいろ面倒だ、心身に障がいを持ってると配慮しなければならないのが面倒くさい、予算がない、年齢は若い方が安くつく、暗いより明るいほうがいい、できれば美人がいい、この地域の人は採用しない、日本国籍に限る・・・などなど、目の前の当人がどんな人間かよりも、固定観念から生まれた判断基準によって、優先順位は明らかになってくる場面が多いように感じている。日常、わたしたちが当たりまえのようにやってる選択も、じつは思い込みの価値観に操作されている部分が多いことは否めない。社会全体の制度や習慣としての問題も考えるし、自分が普段の生活で、目の前の人のこと、ちゃんと見てるだろうか、決め付けて、理解できないと切り捨てたりしてないだろうか(逆もある)、と個々人でも点検する、社会問題と個人問題を考える「両輪」にしていかないと、バランスがよくないと思う。でなければ、学んだことが現実に役に立たなくて落ち込むことになるし。また、物事には両面があって、女性が傷ついている裏で、男性も傷ついていることも想像できるといい。女性らしく、と同時に男性らしく、という枠の中で、「こうであるべき」と植えつけられてきた男性だって、同じように「こうである」自分とのギャップに苦しんでいるはず。そのことを意識化できていない男性のほうが、心身症として出やすく、可哀相だったりする。同じように、弱者と身近に触れ合えないで育つと、自分の弱点を受け入れられず、出来合いの型枠に無理やりはめようとする生き方になったり、他者を傷つけたりして、逆に傷つくことも多いなど、自分の属するグループだけで育つことは、バランスを欠き、よい結果になるとは思えない。切り口は「ジェンダーフリー」でも、「格差」でも「セクシュアリティ」でもなんでも、「お互いを理解・尊重しあいましょう、仲良くやっていきましょう」という願望が原点だと思うし、その大きな目標に向かっては、いろんな論者が手をつなげるんだと信じている。ちょっと違うから理解しあえない、居るべきグループが違う、ということではなく、すでに一部の学校で始まっているように、それぞれの子どもの特質に応じた丁寧な対応をすることで、発達の違いや身体の違いも包括した集団が作れるのだし、自分が望むことを、相手も望んでいるとしたら?という想像力があれば、自分の行動を少し変えることはできるものだと思う。※じっさいに、非喫煙者のまえで喫煙するのをやめてくれた人がいました♪妻と夫との間に、そういった想像力を働かせて相手を理解しようとする余裕ができれば嬉しい。そうなるよう、働き方の見直しから、社会全体として、もちろん各夫婦単位でも、ひとつひとつ点検していくように、意識することからはじめたい。目の前の相手を、性別や、年齢差、社会的役割(親子、妻と夫、上司と部下など)のまえに、一人間として見る。一人間としての特徴の中に、体の特徴差や能力差、性質差などがあるのであって、本来は男か女かとかいうひとつの特徴でもって、分けられるものではない。「個」を大切にする人々は、子どもであろうが親であろうが、女性であろうが男性であろうが、同じ権利を有し、上下関係にはないと言ってるし、親であろうと子どもに命令などせず「お願い」するものだと説いている。要は、人間理解、歪んだ人間観の修正が迫られているという気がする。ぜひ、自分と相手を「横」に見られるような、いい関係を増殖させて、「壁」をブチ破りましょう。やるのはわたしたち。いつでもどこでも。いつからでも。「今日からオレは!」(←マンガ;)でいいじゃないの。と、乱暴な提案になってしまった感がありますが、、、今後も、もっと丁寧に自分を見つめなおしていきたいと思ってます。最後に、「ジェンダーフリー」について、自己開示してくれたMAIさんに感謝の意を表します。書いてくれたから、読むこと、感じること、考えることができました。ありがとう。
July 10, 2006
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以前、03.06の記事『養老孟司さん~朝日新聞「オーサービジット」』のおわりのほうにサラッと書いておきながら、以降UPせずにきてしまった、アメリカの思想家・ジュディス・バトラーさんの記事をUPしたいと思う。↓それでは、どうぞ。。。(わたしも久しぶりに読んでみます)--------------------------------【1・25 朝日新聞 7面(文化)】性見つめ、生の可能性問う ~米の思想家 ジュディス・バトラーさんに聞くフェミニズムのみならず幅広い領域に影響を与えているジュディス・バトラー・米カリフォルニア大バークリ-校教授(49)が来日した。90年に発表した『ジェンダー・トラブル』(竹村和子訳、青土社)で、セックス(生物学的な性)とジェンダー(文化・社会的につくられた性)を分ける従来の考え方に対し、セックスも権力が形成した幻想ではないかと問題提起した批評的思想家である。(編集委員・由里幸子) ~*~*~*~*~*~*~同書では、セックスやジェンダーをめぐる権力の言説によって、アイデンティティーがいかに構築されているかを分析。当たり前と思われていた「自然な男女」「真の主体」という概念に揺さぶりをかけ、反発も含めて国際的な反響を呼んだ。お茶の水女子大で開かれた講演には、外国人や男性の姿も多く、関心の高さを示した。「法や医学や心理学、政治などの様々な社会的言語や文化では、従来はセックスの決定論、つまりセックスに還元する見方が前提となっていた。生物学や生の科学も例外ではない。このような還元論は限定を設けるのです。特に女性の身体については、その『生』自体が見逃されてきた。例えば乳がんや更年期なども、女性の様々な生としては受け止められてこなかった」さらに現在は、「生の可能性」を念頭に置く必要があると思索を深めている。誰が生きるに値し、誰が値しないと思われるのか。境界はどのように引かれ、それを決定している考え方はどのようなものか。境界を維持するため、どんな社会的装置が使われているか。「それらを考え、生の可能性を広げる必要がある。これまで押しつけられてきた規範的な人間の生ではなく、もっと広い生の可能性です。それはアフガニスタンやイラクでの戦争で誰が生きるに値るすと思われ、誰が思われていないかという問題にも波及し、1945年の広島にも通じます。戦争反対の根拠は、生の序列化という意味においても考えなければならない」一昨年、『Precarious Life(不確かな生)』と『Undoing Gender(ジェンダーをほどく)』(ともに未訳)を同時出版。前者は生存可能性や追悼可能性を保証するものは何かという戦争の言説などについて考えた。後者はレズビアン/ゲイの婚姻、トランスジェンダーなどにかかわる。「この2冊は底流で関係する。『生』をいかに従来の限定した見方から解き放って、それに加えられている暴力に抵抗するかということです」バトラーさんの理論は、自己の体験から始まっている。男性中心の学問である哲学を学び、疎外感があった。他方でフェミニズムは、女性性に特化した議論が中心で違和感があった。エイズ危機の時には多くの人が亡くなったが、ゲイには恋人の死を公的に悼むことが許されなかった。「同性の関係性も愛も追悼の気持ちも、社会的に『承認』されてはいなかったのです」同性の「結婚」を認める国も出てきて、米国でも政治の争点になっている。法制化を支援するバトラーさんも、同性のパートナーと暮らすが、実現しても「結婚」という形はとりたくないと語る。「国家の規制に反対し、権利を拡大するとともに、国家からの自由もまた追求すべきだ」と考えるからだ。--------------------------------・・・わたしの感想、意見については、次の記事で。
July 10, 2006
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全5回、終わりました。よく頑張って最後まで行けました!褒めて褒めて~♪途中「お母さんのための…」を受け始めてから、立体的に理解が深まった感があります。第5回のレポの前に、欠席した第4回のレジュメ内容をご紹介しておきます。普段の何気ない生活の中で、いかに「非論理的思い込み」が激しいか、自分の中をひとつひとつ丁寧にチェックしていくと、たくさんの気づきがあります。気づいただけで変われることだってあります。ぜひこの機会に、自分の中をくぐらせてみてください。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~第4回 自己表現トレーニング〔非論理的な思い込みとアサーションの関係〕※以下、次の順で表記しています。 1.「非論理的思い込み」 →「行動への影響」 ⇒「アサーティブな思考」1.人にゆずれ/わがままを言うな→相手のことをまず考える。ストレスが溜まる。 相手に対して、不満、攻撃へと転化しやすい。⇒自分の欲求も他人の欲求と同じく重要である。 相容れない時も有効な解決方法は見つかるものである。2.出る杭は打たれる/ひかえめであれ→萎縮した行動をとる。意見を言わない。 ほめことばを受けるのが下手。⇒人と同じように自分の能力を示し、それを誇りに思う権利がある。3.愚痴をこぼすな/些細な事にこだわるな/いつも笑顔で→人からよく思われようとするので、感情が出せない。注意を与えない。⇒怒りの感情を持つ権利は誰にでもあり、 その時に表現すれば、怒りがたまって爆発することはない。4.迷惑をかけるな/要求がましくあるな→人に頼みごとをしない。 自分で負担を抱え込む。理解されにくい。⇒依頼と命令とは異なる。 困ったときは、依頼しあうことがあって、関係が深まる。5.人の気持ちを傷つけるな/相手の気持ちに敏感であれ→人に過剰な配慮をする。人に自分を開示しない。⇒故意に人を傷つけるのはよくないが、時には相手が傷つくことがあっても、 自分の気持や意見を言う権利がある。 人は、ちょっと言ったことで傷つき落ち込んでしまうほど弱くない。演習(3)最近の出来事であなたがアサーティブになれなかった状況を思い出してください。どのような感情が湧きますか。相手の立場を理解しながら自分の感情を表現するにはどんな方法がありますか。
July 8, 2006
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最近、スピリチュアルな体験が身近になってきて、ますますハマってきている番組『オーラの泉』から、気になった部分だけピックアップして感想をメモしておきます。7月5日 ゲスト:大関・千代大海さんお父さんが骨となって一緒に生きているという話でウルウルした。自分も一緒に生きてくれてるような誰かを感じたからかな。「人身受け難し」の話もあった。美輪さまは三帰依文をご存知なのだ。人に生まれてくること自体、難しいことなのだ。そうまでして生まれてきたのだから、一生懸命悔いなく今生を送ろう。お母さんが、大関をお相撲さんにしたかったのは、大関の前世が力士で、そのとき果たせなかった思いがあって頼み込んで生まれてきた、ということを、お母さんに感じ取る能力があったからなのだというくだりは、自分の子どもたちについても、ふと感じること、漠然とした願望も、そういった霊的な感じからくるものもあるのかもしれない、と思ったりして、改めて自分をくぐらせてみる。小さいときから、この子はこうなる、って感じるものはあったろうか。小さいころ、やんちゃな子は、この世に意気込んで生まれたくてやってきた、その力をもてあましてやんちゃになっているだけ。だから、やんちゃな子は、生きたい意欲が大きい子なんだと。親にとって育てにくい子、というのは生きる欲望の強い子ということなのだ。大関の素直な反応が面白かった♪相撲にも興味が出てきた。横綱まで、闘志を燃やして、千代大海よ、行けっ!6月28日 ゲスト:演出家・宮本亜門さん不登校のきっかけ、同級生と話が合わない、について、前世をひきずっていたからだと判明。精神科医と話して、はじめて、思ってるまま話しても大丈夫だと感じ、勢いで再登校できたという。その時点で、やっと、生まれ変わったことに気がついたということらしい。小さい子でも、周りとはどうも精神年齢が違うよね、という子も見受けられるし、自分も、随分大きくなるまで(社会人になるまで?)、同年齢とは話が合わなかった。周りからも何年生まれ?とよく言われたし、かなり年上に見られたし(中学生時分にOLさん?とか)、自然とだいぶ年上の人とばかり仲良くしていたように思う。それもこれも、前世の記憶をそのままで生きていたからなんだと言われれば、すんなり納得がいく。そのうち気がついて、今生を生きる決意をするんだな。それまでとっても苦しいけど。あと、これは!と思ったのは、亜門さんは、お母さんの言うことしか耳に入らない人だが、周りの人が言うことは、じつはお母さんが言わせてたのになんで聞かないのよ、という話。あ、そうなんだ。人に言われる言葉の中にも、守護霊さんや守ってくれてる人たちのメッセージが込められてるんだと思って聞いてみれば、必要なときに必要な言葉を見つけられるのかもしれない。感じようとしていないだけで、日常のあちこちに、ヒントがザクザク転がっているんだ。感じるようにすればいいんだ。それで、感じることへの抵抗がかなり軽くなったのは確か。おかげで、エライ目に遭ってますけど・・・いいメッセージだけでなく、自分の心身状況によって、要らんもんまで受け取ったり憑依したりするのが、ちょっと困るところ。まぁ、心身ともにバランスを整えていければ、解消することでしょう。昨日は七夕。「お母さんのための人間関係トレーニング」の最後に書いた短冊は・・・・・・・・ 「夢をみつけたい。 感じやすさにみがきをかけたい」 でした。。。
July 8, 2006
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ここ数日のストレスのもとがわかった。話(グチ)を嫌がらずに聞いてくれた娘よ、どうもありがとう。(←本人に伝え済み)グチグチ言いながら、だんだん糸がほどけていった。ほんのささいなことで、オセロのコマがひっくり返されていくんだな。真っ黒なオセロ盤が、パタパタと一気に白に変わっていく爽快感を味わっている。逆もまたあるんだろう。恐ろしいが、面白い、人間って。自分が認識していた事実の陰に、知らぬうちに自分を苦しめる事実があったこと、おかげさまで運良く気づけたみたいで。いまは、そんなことがあったのならそりゃ仕方ないわな、って自分を労わる気持ち。と、そのストレスのもとをも受け入れようとしている。フシギな感覚。忘れないよう、自分の中に置いておこうとしているみたいなヘンな感覚がある。うん、言葉にするには引き出し不足。このくらいにしておこう。それにしても、まったく、フシギ体験だった。こんなことってあるのかな?って思うぐらい。デジャヴュ?みたいな。今回のことでも、見えざる手が働いていたことを感じる。守護霊さんに感謝。そのメッセージを感じられる自分の特性にも感謝。ほんと、長引かずに済んでよかった。みんな、ごめんね。娘の一言が痛い・・・「もうRちゃん(下の子)に当たらなくなるよね!?」
July 6, 2006
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元気そうに見えて、じつは週末からグロッキー・・・ってか、バーチャルなんだからカラ元気でもいいんだけど。今日は戯言。何か悪いものを連れて帰ったみたいに、人格が異常。(憑依体質だから~)下の子を目の前にすると、途端にスイッチが入る。遠くない将来、新聞記事に載りそうだよ、ほんと、ギリギリ保ってるだけで。いないときは、こんなに平穏なのにねぇ~土曜か日曜に、上の子と話をしていたとき、母親のことが心配で上京できなかった人(櫻井さん)の話になって、あなたはどう?と聞くと、「わたしは行かないよ!」というので、なんで?と聞くと、「だって、心配やもん。 お母さん、ストレスすごくたまってるんちゃうかなと思うし、 私がいなくなったら、大変やと思うし」え~?ストレスたまってるのわかるの?と聞くと「ピリピリしてるなと思うことあるし」そうやね、下の子がいると怒ってばっかりやもんね。母のいいところも悪いところもよくわかってる。反発することもあるけど、と言いながら、素直に愛情を示せるところが偉い。話はそれたけど(?)イッパイイッパイで、他の人への思いやりなど持てなくて、冷たい対応ばかりしてると思うけど、これ以上いまは無理。ごめんなさい。人間関係講座に行ってるときだけは、まともな自分でいられるような気がして、気分がいい。明日も、自分をあたたかくみつめるトレーニング、行ってきます。(レポ、1、2回をまとめてUPします、たぶん)先週の「お母さんのための…」講座のキーワードが、「ホリスティック」であり、「つながり」「かかわり」「バランス」だったから、また、自分自身ともつながり、ていねいに関わるトレーニングだったから、それ以降、そういったことに意識していますが、下の子に対してだけ、なんで対応が違ってしまうのか、もっと自分とていねいにつながって、関わって、解き明かせたらいいな。もつれた糸が複雑に絡みすぎて、自力でほどくことは難しいかもしれない。なんとかなるさ、で来たけど、なんとかならないこともある。いまが踏ん張りどころ、こらえどころか。(ず~っとだけど…;)
July 6, 2006
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映画も好調な『DEATH NOTE』(デスノート)。少年ジャンプ(連載終了したのは知ってる)は読んでないので、単行本が頼りです・・・で、今日、予約していた12巻がついに届いた。ガマンできず晩飯前に読んでしまった・・・途中。えぇ~どうなんの?どうなんの??キャ~~!最後のまえ。こんなんでええんか・・・?他に手はなかったんか?作者のスタミナ切れか???最後。この子だれ?ミサミサ???新しい物語が始まる予感???…にしても、月(ライト)が、あんな無様な最期を迎えるとは思ってなかった。直前までパーフェクトだったのに、すごい堕ちかた。。。魅上の顔もすごかったけど。すごいショックやったんやろな。(わたしもショック)たった数日(3日ぐらい?)の出来事が、何週もにわたって連載されてたから、週刊を買ってた人は、毎週、ヤキモキして読んでたことでしょうねぇ。いつも思うけど、月とLやニアの企てが種明かしされると、えぇ~っと驚く緻密さで、ほんとにこんな計算高いことを完璧にやってのける頭脳と度胸(無謀さ?)をもった人間が存在するんだろうか?と、コミックに突っ込んでみたくなる。その頭脳戦もついに終わってしまったわけだけど、う~ん、、、どうも消化不良。もっと読みたかった。。。何が善で何が悪か、最後まで読者に問いつづけ、悪に引きずられ善悪が逆転してしまう大衆の愚鈍をも面白く描きつつ、社会の歪みをさりげなくあぶり出した、痛快な作品だった。映画も面白そう。映画館はどうも苦手だから、DVDをゆっくり観ることにしよう。のまえに、『DEATH NOTE HOW TO READ 13 初回限定特装版』予約中~【初回限定特装版アイテム】・13冊目の『DEATH NOTE』公式解析マニュアル・小畑先生完全監修 ニア特製 キラ事件シミュレート指人形5体セット (ソフビ)/ジオラマシートつき。・『DEATH NOTE』全12巻+『HOW TO READ 13』完全収納 小畑健描き下ろしアートボックスソフビがめっちゃ欲しい~~~☆アートボックスもめっちゃカッコええ~~~☆北朝鮮の動向は気になるけど、どうしようもないのも事実。7発目を発射したらしい、ってサラッと報じられた。TVも新聞も、危機感をあおりつつも、他人事のように日常を通過させる。もう覚悟して(?)、やりたいことを今のうちにやっておいたほうがいいかも。とりあえず、優先順位の上位に『DEATH NOTE』の全巻読み直しをランクイン。テポドンでなくても、いつ命が終わっても不思議じゃないわけで、悔いのないよう、一瞬一瞬を大事に生きないと、かな。(いつ死んでもええように、したいことだけするねん!って人もいるけど…;)…って、ほんとに最期を迎えるときにゃ、やっぱり月みたいに「ちくしょう」ってつぶやくかもな。
July 5, 2006
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非常に観念的な話で恐縮ですが・・・人間の脳は、現実の出来事と、現実と同じくらい鮮明に描いたイメージとを区別できない (マクスウェル・マルツ博士)子ども用通信教育の親向け冊子に書いてあった「集中力UPコラム」の冒頭の一文。この言葉、インパクト大でした。コラムは、この言葉の引用のあと、こう続きます。“つまり、よくも悪くもイメージしたことが現実になってしまいがちということ。 だから、わが子の集中力を高めたいと思うなら、集中に有益なイメージを描かせて あげることが大事です。なぜなら、脳は否定語を理解するのが苦手だから。 例えば、「こぼさないようにお水を持ってきてね」というと、 「こぼす」という言葉だけがインプットされてしまうので、こぼすような事態を 招きやすくなるのです。 これを逆手にとって、「そっと持ってきてね!」「じょうずにできるよ」 といってあげれば、いいイメージを描いて集中することができます。”なので、『集中力を高めるには、脳をじょうずにだませばいい!』というタイトルになってます。ちょっと調べたところ、マルツ博士は、整形外科医・臨床心理学者らしいです。また、アメリカの行動心理学者でサイコ・サイバネティクス理論の提唱者。この理論がマルチレベル・マーケティングの理論的基礎になっている、とも。(マルチ・レベルマーケティングや自己啓発セミナーなどの源流に必ずあるのはこの理論だそう・・・ってよくわかんない;) ☆博士の名言集 ⇒ こちらで、なにがインパクト大かって????わたしたちが現実だと思ってることって、意外と現実とかけ離れてることが多い、ってよく感じることがあるので・・・見てるようで見えてないって感じ。「観念的」というのも、それなんですけど、脳はいつも事実を認識するとは限らない、というか・・・再構築して偽物になったりも。う~ん、時間がなくなってきたので、同じくインパクト大だった方々と、↓↓↓コメント欄でお話ししましょうかねぇ?
July 4, 2006
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けさのバラエティ番組(関テレ「痛快!エブリデイ」)で、『感情認識システム(ソフト)&言花(kotohana)』が紹介されていた。 ⇒関連HPは、こちら とか こちら声をマイクでひろって、ソフトで解析、言花の色の変化によって表現するもの。ソフトは市販されているらしいが、「言花」自体はニーズによって発売もあるかも、ということだった。すっげぇ~そこまでやるか、と思うけど、なかなか興味深い。番組では、これでお父さんのウソもバレバレです!ってな感じだったけど、“自分の感情をちゃんと感じられない”現代人にもいいんちゃうかなぁって。自分で目で見て、自分の感情を認識すれば、誤魔化すこともできないでしょ?茂木健一郎さんが「クオリア」という、人間が感覚できる「質感」のようなものの、解析→数値化に励んでるみたいで、それも面白いけど、この「感情認識ソフト」のうたい文句が、『コンピュータが人間と同等レベルの感情認識を実現』って、ほんとかよ~?関連あるのかないのか、トミーからもこんな商品が発売予定。ポケモンぬいぐるみ 感情認識ともだちピカチュウ【トミー】 ⇒ 詳細記事は こちら(写真つき♪可愛い!) 5月の発売予定が、秋に延期になった模様。。。ちょっとほしい??自分の感情を正直にありのまま認めて、それを誤魔化さないで生きる、それがラクに生きる第一歩なんだと、幾人もの先人が語っているところです。わたしも、つい最近、茂木さんが前に言っていた、「好きと嫌いは意外と近い」を体感。目先の利益に麻耶かされて、感情を無視してたんだ~って、わかった出来事があって。それからは、一方の感情でいっぱいだったんだけど、そのあと、反対なところを認めようとして、つまり、バランスをとろうとしてるみたい。思い込んでいることって、かなりいっぱいある。ヤバイ。本当はどう感じてるのか、第一感情を曲げてないか、チェックしたい今日このごろ。ピカチュウの発売が待たれます?
July 4, 2006
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火曜日恒例の『心の処方箋』コーナー(関テレ「痛快!エブリデイ」)。東京の江原啓之さんが、関西の相談者にTV電話を通じて直接アドバイスしています。今日は後半部分の、仕事しながらの子育てに悩む母への、温かいメッセージに感じ入りました。でいて、みのさんのような、美輪さまのような、江原さんの話し方が面白かったです~今日のご相談は、39歳の女性です。-----------------------------息子が生後4ヶ月のときから、主人の実家・保育所などに預けて仕事をしている。本当は子どもが3歳になるまで自分で子育てしたいと思っていたが、生活するためにどうしても働かざるを得なかった。後追いする息子を振り切って働きに行ったが、息子にすれば、母親に置いていかれたという気持ちが強く残っているようで、母親として信用してくれていないよう。「ママが好きなところはどこもない」「さっきと言うてることが違う」「日曜日も仕事行ってな」などと言うようになってしまった。この先子育てをどうしていけばいいのかわからない。よきアドバイスを。-----------------------------関アナ:まずどういったご相談ですか?相談者:5歳になる息子がいるんですけれども、息子が母親を必要としている時に母親がいないっていう、信頼関係ができていないというか江原さん:さっそくお話しはじめていきますけども、まずね、すごく無責任に聞こえるかもしれないけどもね、ある意味その思いはこのままでいいのね、これでいいっていうか。変なんだけど、“そう思うあなた”が大切な学びなんですよ。でいてね、あなたの守護霊さん、いろいろ教えてくれるんですよね。どういった方がついていらっしゃるかというとね、やっぱりね、あなたは看護師さんなさってるわけでしょう?その方、昔のね、いわゆる助産婦さんみたいな方なの。だからあなたは、そうは言ったって、子どもさん自分でもって育てる、子どもさん持つこととても喜びだったと思うんですよ。だから、お仕事それこそせざるを得ない状況だからあれだけど、そうでなかったら子どもにできれば付きっ切りになってあげたいとも思うぐらい子どもさん好きなはずなの。そういった意味では、あなた自身の辛さっていうのもあるよね、っていうことは守護霊さんよく理解してくださってるの。お子さんのこと霊視してみていくと、確かにこの子は、普通以上に感受性が強い子。ただ、変なこと言うけどね、あなたの旦那さん、ちっちゃい時こんな感じでしたよ。ちょっと疳の虫が強いようなタイプだったはず。聞いてみてごらんなさい、キィ~ってなるとこあったはずなの。だから、今でもそうだけど、旦那さんわりと短気ですよ。そういう部分ではね、“似たたましい”なのね、子どもさんもね。いろんなこと言ったり、信用してないみたいなこと言うじゃない?それ全部“裏返し”ね。それであなたが、オロオロとかするので愛を確認してるわけ。裏返してて、あなたがそこですごいショックな顔を出すんですよ、その場はうまく繕おうとしてるんだけど顔に出ちゃってるの、ショックだと。そうじゃなくて、「お母さんはお母さんで一生懸命やってるし、あなたのことも愛してるし!」ってハッキリ言った方がいいの。同じ満足するんだったら、ベクトルが違う方で満足したほうがいいと思うの。オロオロと動揺することで、あ、お母さん僕のこと思ってるんだ、と思わせるよりも、ハッキリとね、「お母さんも働いて、それでいてあなたのことだってもちろん大事だし!」って言って、それをお母さん泣きながらだって言っていいの。ガァ~って言ったほうがいいの。そのほうがいいと思う。そしてね、あとね、2つのこと注意してもらいたいの。夫婦仲の問題、ちゃんと整理しなきゃいけないね。守護霊さんがあなたに、「これからどうするか決めなくちゃいけない」って言ってる。その惑いが子どもに出るんだって。で、あなたは、このまま生きていくか、そうじゃないか、あなたの中での惑いが表に表れてるって言ってるけど、ちょっと相談内容と違うけど、どうですか?相談者:そうですね…主人はすごくいい人なんですね、ただちょっと主人の実家のことで、私自身ちょっと耐えれないことがたくさんあって江原さん:かといって、あなたが子どもさんを連れて一人でね、やっていく自信もない、そうでしょ?相談者:そうですね江原さん:このね、どちらも取れないような状況、惑った状況、一番悪い。子は親の鏡。心が映し出されちゃうの。どう思う?相談者:そうですね、確かにほんとに。子どもの前では、ケンカとかはしたくないんで江原さん:陰に隠れてケンカしてんの、わかってるよ。そして、お仕事行くのも、どっかで、私が犠牲になってるっていう顔してる。お母さん働いてきてね、なんでお母さんこんな悪く言われなきゃいけないの、みたいな感じでね、子どもの前で言ってるもん。相談者:はぁ…そうです!はい(笑)江原さん:子育てってどういうことかというと、みんな人は未熟なの、誰だって。でもそれを、真摯に生きてるよ、それでも頑張って生きてるんだ、っていうところを見せることなの。全て整う環境にして、名旅館のようにおもてなしするのが子育てじゃないの。コケたところも見せ、笑うところも見せ、そして、こんなに懸命に生きている母を見て、あなたは何かを掴んで、そこから、って。そういう包容力が大事なの。お母さんのあり方なの。中途半端なく、お母さんの腹くくりがあれば子どもも「たいしたもんだなぁ」って思うんですよ。そして、“どれだけ与えたか”じゃなくて、“どれだけ込めたか”っていうほうが大事なの。それは、教育でも、人間関係みんな全部そうなんです。極端なこと言うと、供養もそうなの。どんだけ立派にしたかじゃない、どんだけ込めたかなの。ってことは時間じゃないの。そうは言ったって、お子さんと会う時間がある、その時にはもういっぱい抱きしめてあげて、それでいて、「お母さん頑張ってるよ~」って。「嫌い」とか言ったらね、「あんたが嫌いでもね、お母さんは大好き!」って言って、「お母さんどうせ信用できない」「それが何だ!」って言うぐらいのね、勢いが必要なわけよ。守護霊さんの話からするとね、一番の問題は夫婦ですよ。お子さんじゃない。相談者:はい…それはほんとにそう思います。江原さん:奥さんもっと夫婦、会話とったら?奥さん、ほんとド~ンと笑う!そう、ね!関アナ:思い切ってちょっとね、心にあるものを正直にうまく打ち明けて、で、うまくことが運べば一番いいですよね江原さん:どんな言いにくいことも、笑顔の中で言うと意外に言えるよ、関さんそうじゃない、いつも(2人で爆笑)関アナ:笑顔で、言いにくいことも言いましょうか!相談者:言い方ですね、はい江原さん:そうそう!暗~くこう言うと、そういうふうになっちゃうの。ニコニコやりながらね、ご主人に「わたしもう耐えらんないわ~」って感じで言っちゃうの。(ニコニコしながら)「こういうとこ気に入らないけどさ、でも、頑張ろうね、頑張ろうね~」とか言いながら。言いにくいこと、ガンガンガ~ンって。そうすると子どももスクスク育ちますよ。苦労は見てるから。関アナ:笑顔で、言いにくいことも言ってしまいましょう!相談者:そうですね、はい、なるべく努力します江原さん:やってね相談者:はい♪3人:ありがとうございました ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~(以下、ボヤキ…読まなくても良し!)生後4ヶ月から預けて仕事、というのは、わたしから見れば羨ましいなと思いますが、やはりそれなりに悩みもあるんだなぁと。隣の芝は青く見えるもの。有職主婦は無職主婦を羨ましく思うんでしょうし、その逆もまたしかり。それぞれ、立場は違うし、理解しあえないと感じることも多いけど、みんな、置かれた状況のなかで、ベストを尽くそうとして頑張っているし、子どもを幸せにしたい、自分もより良く生きたいと願っているのは同じだと思う。働いている母、働いていない母、働かざるをえない母、働きたくても働けない母…いろんな母がいる。好きで働いていて、子どもをもっと見なければ、と辞めることを悩み、でも、辞めたら自分じゃなくなると思って、辞めないで続けている母もいるだろう。その母だって、働いてない、働けない母のこと、自分の人生生きてないみたいに、見下げないでほしい。救ってやろうなんておこがましいこと考えないでほしい。その逆もまたしかり。自分の辛さを覆い隠して、まったく別のところへ矛先をやって、グチるだけの生活じゃたまらない。ガマンしても良い結果は望めない。みんな、悩みながら生きてる。よりよく生きようとしてる。それだけで、つながることができるはずだから。見誤らないようにしたい。このような、些細な違いによる、「つながり」の分断は、政治・行政の施策によって、また企業の論理によって作られたものなんだし。きっと、庶民が、自分を、他人を大切に思い、心をひとつに一致団結して行動したりすれば、めちゃくちゃ困るからなんじゃないの?そういう、操作された人間関係って、ほんとに寂しい。おこがましいけど、いい加減気づけよ!って感じ。実際にそのまま言っちゃうとダメだけど、思いを込めるのはいいと思う。念力~~
July 4, 2006
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昨日に引き続き、今日もアホほど暑かったっ!!暑いなかがんばって(?)、大阪まで行ってきましたよ。今日から始まったセミナーは、『お母さんのための人間関係トレーニング』~ちょっとラクになる、ぐっと元気になる~で、6・7月3回と9月3回の計6回の講座です。まず、ネーミングがステキでしょう??『お母さん』に特化した講座ってウレシイ♪受講生同士も共感しやすいし。新聞の小さな記事で申し込んで、内容はほとんど不明のまま参加したんですけど、主催は大阪YWCAという団体で、講師はHEAL(ホリスティック教育実践研究所)の研究員の方ということです。 ⇒研究所所長さんのHPはこちら第1回目のテーマは、「自分をあたたかくみつめよう ~つながり・かかわり・バランス・関係性~」。 ⇒レポはまた後日掲載(予定)カリキュラムの全体像も不明のままでしたが、(今日チラシももらえずで)あとで、ペアになって仲良くなった方に見せてもらいました。第2回目 自分の自尊感情に気づく ~からだの栄養・こころの栄養~第3回目 自分の感情に気づく ~怒り・悲しさ・さびしさ・いろいろな感情~第4回目 自分の願いに気づく ~アサーティブな自己表現~第5回目 自分を守ることに気づく ~小さなNOを言うトレーニング~第6回目 私OK、あなたOKの人間関係 ~妻らしさ、お母さんらしさのしばりをときほぐす~チラシによると定員は15名程度、じっさい参加は25名ぐらいかな。わたしが申し込んだとき、キャンセル待ちだったのを、翌日、定員拡大で参加OKに。「トレーニング」という意味は、参加して初めて理解しました。。。参加者が、お互いに関わりあって、セミナーの内容を体感していく形式で、そこが、「アサーション」セミナーと全く違うところでした。詳細はレポでお伝えするつもりですが、はじめはやや引き気味だったのが、とっても笑顔いっぱいになってきて、最後はペアの人ととっても仲良しになり、お昼も一緒して話し込んで帰るほど。一番感じたことは、自分について知ろうとするなら、他人と関わることは不可欠だということかな。それはほんとに、今さらながらの気づきだけど、こんなに、人と話すことで、気づけたのはめずらしいぐらい、収穫が多かったです。しかも、楽しく、自分を知り、自分を語るなんて、めったにできない。おかげで、小じわが・・・これからもっと「自分の魅力の『芽』を見つける」作業が、とっても楽しくできそうで、自分のこと、今以上に好きになっちゃうかも~???
June 30, 2006
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昨日、自己表現セミナー4回目だったんですが、ちょっとした用事で(前日にも済ませられたのにぃ…)、欠席してしまいました。第4回は「自己表現トレーニング」だったので、ロープレとかしたのかな?残念でした。レポ、楽しみにしてくださっている皆さん(いる?)、申し訳ありませんm(_ _)mさて、脳の老化にばかり気をとられていましたが、体のほうも、かなりヤバイ気がしてきました(今ごろ遅いっ!)つい最近、連続してジャンプをする機会があって、そのときに、イメージ通りに体が動いてないのに気づきました。そして昨日、ノースリーブのシャツを着て気づきました。二の腕まわりに去年はなかった脂肪がついていることに。腕を動かしてみると、筋肉が硬い、というか、脂肪に固められて動けない。うぅぅ~~知らんかった。こんなに体が変化していることに全く注意を払ってなかった。。。あわてて(?)以前「はなまる」でやっていた、二の腕ねじり体操(←勝手に名付けた)を何度も繰りかえす。夕方になって、なんだか、上腕から背中にかけて、筋肉痛。。。効果が出るの早すぎやん?もしかして、筋がおかしくなった??それでも懲りずに、今日もねじり体操続けてます。体も、動かさなければ衰える。そんな当たりまえのこと、今までは意識しなくても、ふつうの生活のなかで十分な代謝ができていたと思うけど、ひきこもりがちな生活になって、運動不足に拍車がかかっていたのに、体が動かないのは、精神的なものだ、と思うようになってて、ずっと気がつかずにきてしまってた。。。でも、これは完全に動かしてないために動かなくなってるんだ、って思う。考えてみると、ほんと、体を動かしてない!三十ウン年の人生の中で、一番動いてないんじゃないか???いくら食べ物に気を遣って、太らないようにしても、動かさなければ、筋肉はみるみる脂肪に変わっていく。すると余計に動けなくなって、脂肪化は加速するんだニャ。朝夕の保育所往復、花の水遣りや手入れ、買い物(自転車)ぐらいしかしてないし。最近は階段も使ってないわ。前は登りもエレベータじゃなくて階段にしてたのに。健康なんて志向してないんだけど、寝たきりになっても困る。体が動かないと、行動も制限されてくるし、余計に人との関わりが減る。(そうすると、脳も衰えるわけで…)室内で、とりあえず、NHKの体操ぐらいはしようかなと思ってますぅ~
June 29, 2006
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昨日買いました。。。遅すぎっ!下の子が、ひじょ~に「∞SAKAおばちゃんROCK」を気に入って、聞きたい聞きたいと言うので、いちいち録画を再生するのも手間になってきたし、いつでも手軽に聞けるように(?)CDを買うことにしました。たまたまジョーシンで誕生日ポイント300ptもらったので、溜まった分を全部使って、なおかつ購入ポイント10%ついて、めっちゃお得にゲットできました。(999円-310pt-69pt=実質620円?)夫には、レンタルでええやん、と言われましたが。。。1枚でも売り上げに貢献したい親心(?)ですやん。帰ってから、何十回リピートしたでしょう・・・それでも飽きずに聞きたがる、幼児の「とことん」には参ってしまいます~でも、何十回聴いても、楽しくて陽気になれる曲ですよ♪ウツウツした気分なんか吹っ飛ぶし、「おばちゃん」を見習いたいとこいっぱい気づかせてくれます。ムラサキメッシュは別として(笑)見習うべきは ずうずうしさ、たくましさ、派手にきめて、めっちゃやさし(い)、ボケてつっこんで、めっちゃべっぴんさん、学ぶべきは 節約術、家族愛と近所づきあい・・・さいごは、ありがとさん!と、大阪のお母ちゃんへの賛歌みたいです♪今さらに気づいたんですけど、「ボケてつっこんで」って、すごく大事なコミュニケーション術なんですよね!相手の喜ぶことして、つっこんでもらって、自然と笑顔になるやん。つっこむほうも、相手のボケを受け止めてはじめてつっこめるわけやし、これって、お互いを尊重してなければできないことちゃいますか?アサーションにも役立ちそうな気がします・・・・・・って、むずかしいことは抜きにして。。。ダブルA面のこのCD、もう1曲は「大阪ロマネスク」。これも、大阪人な気持ちがいっぱい入ってて、せつないけど温か~い気持ちでいっぱいになります。関ジャニは、関西では露出も多く、とっても身近なお兄ちゃんたちなんですが、ぜひナマで爆笑してみたい♪松竹座公演「サマースペシャル」、当たるといいな♪ちなみに、舞台といえば、KAT-TUN・関ジャニ∞(エイト)『DREAM BOYS』DVDがもうすぐ発売になりますね!(もちろん予約してます~)期待大です♪
June 26, 2006
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(2006-06-23 21:57:26 記)もうすぐ、「クロサギ」最終回!!!予想としては、一旦捕まるかもしれないけど、告訴が取り下げられ、釈放され、春日、御木本を警察のもとへ送り、ラスボスとの対決へ!ところが・・・みたいな展開を期待したい~氷柱との恋愛は、いまは成就せず、「2」への期待をもたせて終わる。。。…なんて、展開はほんとはどうでもいいかも。ヤマピーの全力投球を見守るだけ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~(26日 昼)あれから3日・・・観た直後はそりゃ興奮してましたよ~予想↑は、まぁまぁいい線いってたでしょ??(御木本との対決は続編持ち越し!)あの、逮捕シーンは、迫真の演技で、泣けた泣けたエンドロールが早すぎっ!これですべて終わった…ってな演出!には誰も引っかからないよ~ん。一番のお気に入りは、ヤマピが春日と対決!するシーン。あれは、ヤマピじゃなくて、まさに黒崎そのものだった!あそこは、ヤマピが好きっていう邪心(?)抜きで、見入ってしまったのダ。役者として、このドラマは転機になったに違いないと思わせる素晴らしい演技でした。山下智久さん、惚れ直しました。。。で、やっぱ、山崎努さん、哀川翔さんですよね~桂木さん、心臓病までウソでしたか・・・これも山崎さんのアイデアかな?物語は、家族の復讐のために犯罪行為を続ける、といった、相当暗いものだったけど、氷柱のおかげで笑顔が見れたし、黒崎ファンとしては、ホッとするハッピーエンドでした。絶対、続編アリ
June 23, 2006
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(26日改訂しました)わたしの感想としては、3回目にしてようやく、アサーションにも慣れてきた感じがあります。でも、とにかく、実行は難しい。。。ということも実感している今日このごろ。やはり、生涯トレーニングを続けなければならないんでしょうね。悪癖が身についてしまってるんだから、少々のことでは変わりません。。。まずは、自分の心をよく見つめることが第一。それがお座なりになってきたかもしれないと、思い当たる節もありーの。自分の心の中に関しては、イヤっていうほど見つめてきたつもりだったけど、いまの“お気楽”な気分のなかにも、流れていっていない、溜まった物があるからこそ、意味もなくイライラしたり、突然に空虚感を覚えたりするんだろう。昔は(臨床心理士のせいで)、やたら、“その感情を持ってしまうのはなぜなんだろう?”というような、決して明確な答えの出ない疑問にとりつかれていたものだが、そうではなくて、“その感情の対象はなんなんだろう?”とか、“どうなってほしいと願っているのか”といった、具体的な、前向きな、考え方ができるんだし、いまはそういう回路になってきてると思う。あと、行動、表現方法をしっかり身につけていきたい。まず、相手の言葉を受け止めること、そして理解を示す言葉を先に発するように日々、訓練しよう、と心がけているつもり。でも、同時に、自分の気持ちも汲み取ろうとすると、すっかりパニクってしまい、ほんと、とっさに満足のいく会話を成立させることは、めったに出来ない芸当で、あとで、モヤモヤが残ってしまって、イライラしたり。ただし、イライラの処理は早くなってきてると実感してる。他のことをしてるうちにイライラがおさまったら、少し気持ちを整理して、そしたら、「考える」こともできるようになるし、モヤモヤもおさまってくる。アサーション理論は、森田やスピリチュアリズムその他の思想と繋がりあって、わたしの中で、ひとつの大きな世界観、人間観を形作ろうとしているかのように感じる。だんだん、薄っすら光が見えてきたような気がする。この講座に出会ったのもやはり必然。わかってる、あとは、実践し、経験を積んでいくことだって。家族や日々会う人びととうまくコミュニケーションできるよう、訓練していきます ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~セミナーの参加者について。すでにアサーションを何年もやっている人びとが受講している。平松さんの問いかけに挙手するのもそういう人びとだ。そして、その言いようがちょっと解せない。なんだか、平松さんに気に入られる回答をこぞってしようとしていたり、気づいてない人がいて、その人に教えてやりたい、みたいな気持ちが感じられて、ご~っつ、イヤ~な感じがする。平松さんも「アサーションは生涯トレーニング」と言っているのだ。あなただって、まだまだ訓練中のはず。相手を尊重せず、下に見る態度は、攻撃的アサーションですよ、…とは、指摘されてませんでしたけどね。せめて、「そう、気づいてない人を見ると、もどかしいのね。あなたはその人のこと、どう思っているの?下に見てない?」とか気づきを促すことを言ってほしかったわ。。。そう、平松さんだって、トレーニング中の、わたしたちと同じ訓練生なんですな。みんな、たましいの経験を積んでいく者としては、上も下もない、同じ立場なんだ、ってことさ。あ~あ、保育所のお迎えの時間だわ。残念…週末はまた、子どもとベッタリかな・・・ま、それも、訓練だと思うことにしよ
June 23, 2006
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ひきつづき、『女性のための自己表現セミナー~自分らしく生きるために~』の第3回目「自己表現の必要性 ~感情の処理~」レポ後編『感情の処理法・ロールプレイ』です。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~〔感情の処理法〕A.三段階1.感情の存在に気づく 感情は変えられないが気づくことで行動は変えられる2.言葉による表現 (私メッセージ=痛いよ、悲しい、傷ついたわ、分かってほしい)3.体による表現 (泣く、痛い表情、顔をしかめる、しゃがむ)B.上手な表現1.時と場所を選ぶ (後で気づく感情、皆の前では表現しにくい感情)2.伝えたい感情を特定しハッキリ伝える (あいまいな表現、前置きを避ける) ・してほしいことは ハッキリ 依頼する(お願いね) ・してほしくないことは ハッキリ 拒絶する(ありがとう) ・できないことは ハッキリ お断りする(ごめんなさい)3.行為についての感情を伝える (人格を否定しない=意地悪、ずるい、弱いものいじめ、うそつき)4.相手を自分と同じように大切に思う (対等、相手の話を最後まで聴く)まず、自分の感情を逃さない。存在に気づくことが大事。本当の意味で、感情に気づき、行動で表現しないとずーっと後になって出てくる。例)80歳近い母親が60歳近い娘に「物をよく取るね」という。「ボケにどう対処したら」と相談。ボケ始まってから、言い始めたらしく、「あのときこれだけ貸したね、返してくれてないね」というが、実際には、孫への入学祝金としてもらったお金のことだった。おそらく本当の感情は、「もったいないな」とか「孫に嫌われたくない、娘を助けたい」と、「立て替えてもいいんだけどあげよう」と理性で抑えていたのだろう。理性がはずれたときに、このとき抑えた感情が出てきた。ボケた時、可愛くボケられるように、今日から、感情を隠さない!正直に言葉によって伝える!ただし、☆必ず「時と場所」を考えて、選んで。せっかく上手に自分の感情を言おうとしても、相手が聞いてくれないとまた「なんで聴いてくれないの!」そして、☆相手を主語にしないそうすると、相手の行為について批判しなくなる。行為についての「感情」を伝えるのであって、人格を攻撃しないこと。その裏には、「私は寂しい」があるのだから、それを伝える。大事なのは、☆あいまいに言わないことわたしたちは「ほのめかし」が上手。「疲れたわ」だけ言って、相手が代わりに言ってくれるように仕向ける言い方をする。相手が言ってくれないと、気がつかない、冷たい、と思ってしまう。「疲れたから夕食を作りたくない」とはっきり言えばいい。 ⇒はっきり、ほのめかさないで言う。してほしいこと⇒はっきり言う。命令ではなく依頼。「~してほしいの、お願いね」「頼んでまでしてほしくない」人が多い。例)夫が浮気していた○「とても悲しいからやめてほしい、私のほうだけ向いて、お願いね」「なんで頼まなきゃ…」「のしつけてあげるわよ!」、「つらいと言うとバカにされる」自分の心をよく見て、本当の気持ちを表現しないと、自分の願望は手に入らない。×「あなた、なんの不足があって…」=「あなた」が主語してほしくない、不都合なことは、ハッキリ拒絶。例)DV 痛い、いや、だけじゃダメ。「叩かないで下さい」「叩くならこうします」権威のある人には拒絶しにくい。目上の人にたてついたらろくなことない、長いものには巻かれろ、という風潮=非論理的価値観相手の心を自分の価値観で推し量ってしまわず、毅然とした態度で断る。親切でしてくれていても、イヤなことは断っていい。例)肩を回していたら、親切な人が肩をもんできた人の親切を断ったら傷つけると思って「あなた疲れるでしょう、もういいわよ、ありがとう」と断ろうとすると、「大丈夫よ、肩もみ慣れてるし上手だって言われるの」ともみ続けることに。→「ご親切にありがとう。でも、もまれるのイヤなの」と伝えるQ.(ベテラン?受講生挙手)もまれて即、肩を動かして嫌がる素振りをする人がよく見受けられるが。A.言葉は、相手の態度を決定付ける要素の35%にすぎないが、ちょっと言葉を添えるとよい。できないことは、あいまいに引き受けない。ハッキリとお断り=「ごめんなさい」あいまいに引き受けると、自分も困るし相手も困る。演習(2) グループでロールプレイをしましょう1.2ヶ月前に貸した本を返してほしい友に2.一緒に買い物に行ったとき、早く歩く夫に3.訪問販売の勧誘を断る時ロールプレイ=役割をやること自分がアサーションできていなかった場面を挙げて、または上記の3例で。勧める役、断る役、周りの人がコメントする、もう一度、相手を変えてやってみる、という手順で、テーブルで2つぐらいのテーマを30分間で。(と、各グループで話し合いが始まってまもなく、別のやり方の提案がある)以前にやったことのある形式で、全体でいくつかの例を挙げ、数人の受講生が前に出てやるのを、全体で見て考える、という形で、と。例1)借りた本を返してくれないA.ほかの人にも貸したいし、もう一度読みたいB.探して見つかったらもう少し貸してほしいA.読みたいから探してB.見つかったら持ってくるわA.いつまでに?B.忙しいから…A.どうしても早く読みたいから、1週間以内にB.わかりました(平松さん)期限を切るのは大事。本当に返してほしいことが伝わる。途中で引き下がらないで、上手に伝えた。例2)お金を返してほしいA.お買い物の時、足りなくて貸した1万円、覚えてるかしら? 水玉のブラウス、買うときだった。月末で家計簿見てて思い出したのB.そうでしたっけ?帰ってみてみます。A.急ぎはしないんだけど…自分はよく覚えているのに、「違う」と強く言われると引き下がってしまう。お金だと余計に意識してしまう。自分さえガマンしていれば、と。(平松さん)記憶があいまいであれば言いにくいが、貸したほうは、絶対覚えてる。「私はブラウスのころ鮮明に覚えてるから、あなたも、ブラウスみたら思い出すわよ」「今日中に連絡ちょうだい」「あのとき、デパートに一緒に行ったでしょ、覚えてる?」「きっと家に帰って見たら思い出してもらえると私は思うよ」優しく、「きっと」自分に自信がない。相手が忘れてること非難してはいけない、と思っている。人間、忘れることもある。言うことで思い出してもらえるだろう、と相手の人間性を信頼する。例3)仲良しの友だちにコンサートに誘われたが断りたいA.あなたが好きだって言ってたドリカムのコンサート、きっと行くと思ってチケット買っといたよ、次の日曜日だけど行くよね?B.えぇっ???用事があって行けないの。ごめんね。他に行く人いるかしら。A.こちらこそ、都合も聞かずにごめんなさい。B.またこんど誘ってね。A.うん、わかったわ。(平松さん)前置き、理由はあまりいらない。「えぇっ??」でいいし、「残念だわ~、その日、先約があって行けないのよ」と残念な気持ちを伝える →相手の立場も自分も大事にすること相手を非難せずに、「今度はちょっと前もって声かけてね」といえば、相手も気づきがあるから大丈夫。例4)職場で、お客さんの書類を紛失、手伝おうと探していると、担当者に「触らないで!」と言われた自分も同じくらいキャリアがあり、力になれると思っていたのに、拒絶されて傷ついた。その後も何度か同じようなことがあり、「こういう言い方はやめてほしい」とやっと言えたと思ったら、他の人づてに悪く言われてるのを知った。(平松さん)レジュメに不足していることがある。『してあげたいことは、ハッキリ尋ねましょう』「よかったらお手伝いしましょうか」と言えば、相手が「いいわ、ありがとう」と言えるようになる。してあげたいことを勝手にしない。当事者に聞く。小さな親切が、大きな迷惑になることも。やりたいときは聞いてあげる。親切の押し売りをしない。ミスしたときは正当化しない。正当化は行為を持続する。正当化は、「行動を変えない、続ける」と意味づけられるといわれる(心理学)。相手に意味づけをするような問いかけをしない。×「なんでお酒飲むの?」⇒言い訳させる=正当化○「早く帰ってもらいたいの、どのようにすれば帰ってくれるの?」と、夫の心を聞くのが良いアサーション。相手を責めない。自分の心を伝える。学校に行けない子どもに、×「なんで行かないの?」⇒正当化させる⇒行動が持続○「学校に行ってほしいの。どのようになれば行けるの?お母さんはどうすればいいの?」例5)4人家族で出かけると、夫は上の子を連れて先に歩いていってしまう。(受講生4人による寸劇が終わり、いちおうその場は解決に見えたが…)(平松さん)車から降りるときに伝えてないね。言ってないから、夫にはあなたの心はわからない。助手席に本当は乗りたい、息子も乗りたい⇒行きと帰りで、とネゴシエーション(協調)息子が夫をとっていて、いつも寂しいのね。みんなに協調するように。セミナー終了後、アサーションの勉強を続けたい人の会が紹介された。平松さんを講師として招き、現在会員は約30名。月1回、2時間、半年6回分で1万円也。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~感想は、次の記事にて。。。(10000文字って少なくない???…え?読むには多い???)
June 23, 2006
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『女性のための自己表現セミナー~自分らしく生きるために~』の第3回目のレポです~ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~第3回 自己表現の必要性 ~感情の処理~ときどき誤解する。自分が考えてること、行動、自分の心を表現することは、どうも、わがままでは…と、感じる人が多く、自己を表現することが苦痛になることも。わがままに通じると思い、自分を抑える。自己表現とわがまま、違いはどこか?相手の立場や考えに重きを置くと、相手の心を推測し、それに合わせ、添おうとし、自分を控える。自分は二の次ですよ、という気持ちが湧いてくる。相手の心を推測しすぎない。どう考えようと、感じようと、相手の自由。自分の思ったとおりにやってくれないと、憤り、虚しさ、攻撃・・・これはアサーションではない。相手の立場、心は聞かせてもらえばいい。“そのとおりに相手がしてくれなければ腹が立つ”=攻撃的アサーション ⇒威圧された相手は落ち込むか、又は反撃してくる自分の気持ちはいくら伝えてもよいが、思うとおりしてくれなくてもよい。それが人権尊重のアサーション。例)夫が受け入れてくれないとき。「あなたの気持ちは十分わかったわ。残念ね~でも私は行くわ」でいい。相手を大事にし、自己も。とっても大事なことは、攻撃的アサーションや、推測して主張しないアサーションは、マイナスの感情が心の中に溜まっていき、相手又は自分を責め、お互いの存在を大事にする“いい関係”を作れない。自分の心を大事にしていいよ、と同じように、相手の心を大事に。例)「残念なのよ、さびしいわ」→受け手も、責められるかと思ったら、辛いんだな、と協力する心が起きる可能性あるいやな感情を溜めていかない。ご縁があって会った人を憎まないで、いい関係を築けたら。A.未処理の感情はどこへ?1.心の中に負の感情をスタンプ2.溜めた負の感情は攻撃へと転嫁しやすい3.褒められるのが苦手4.萎縮した行動をとる5.感じることが苦手になる6.うつ的、無気力、対人恐怖など神経症に陥りやすい7.咳、頭痛、胃炎など心身症を引き起こす☆溜めた感情はどこへいくか?忘れたつもりが、刺激が加わると思い出す。(腹が立つ、落ち込むなど)必要以上話さないでおくという人→相手との距離ができていく、自分を抑えていくなかなか感情を伝えるのが苦手なのは、おそらく、褒めたり褒められたりが苦手な傾向をもってる人は、感情をうまく出せない、ということ。人と、そういったプラスの交流が苦手な人は、よく思われなきゃ、お世辞と思われるんじゃないか、と褒めるのも褒められるのも苦手。→自分の心を上手にあるがまま伝えるのが苦手☆感情を溜めていってると何が起きるか?→要らないことを言わないでおこう→物事を本気で真剣に聞かなくなる、考えなくなる。 うわの空、「べつに」「いいんじゃない?」本気で相手の言うことを聴かない→感じなくなる→失感情症感じない訓練をしてるつもりだが、心はちゃんと感じている。1)体に表れる ~頭痛、胃が重い、お腹の調子が悪い、腰がだるい2)気分に表れる ~電話を聞くのもいや、出かけるのもいや、何もしたくない、しなきゃならないけど洗濯もしたくない感情を溜めて、溜めていることに気づかないでいると、奥深い無意識が、体や気分を通して教えてくれる。3)行動に表れる ~心身症、神経症、悪癖・心身症 : ストレスが原因でがん細胞が突然分裂、と医学会でも言われ始めたぐらい、ストレスを溜めると弱いところへ。 例)アトピー、ぜんそく、失語症、ゆううつ4、5月に不調が多い。転勤で移動する人が多く、落ち着いたときに出てくる。不安を見つめていないから、気分がうつ的に。引越ししてからの心の変化を書き出すなど、感情を整理していくと抜け出せる。 →しんどさ、感じていい、言っていい。→少し落ち着いていく・失感情症 : 体、気分が教えてくれる 例)食べる “寂しい女はよく食べる、太る”という本があるが、寂しい=wants、needsが言えてない→行動の一つとして、「よく食べる」に→太ってきた→食べないでおこう→過食、拒食、衝動買いといった悪癖を誘発その感情は、当然感じていい。どのようにすれば落ち着くのか、自分を良く見る。流さない。心の寂しさは、口の寂しさに通じて、食べてしまう→合う服を買ってしまう根源の感情の処理をせず、転嫁された感情で買ってるから、心からは嬉しくないはず。本当の自分の感情を処理することを身につける。〔感情って?〕 瞬間的に湧く、生理上のもの。A.生理上の感覚1.満たされない愛 ⇒(感情)悲しみ、痛み、失望、空虚、拒絶、寂しさ、放心、むなしさ、苦悩 ⇒(行動)泣き叫ぶ、寒い、すすり泣く、腹痛 など悲しい、失望、寂しい、それを言えばいい。表現しないと溜まっていく。2.選択の否定 ⇒(感情)失望、あせり、いらだち、無力、激怒、憤慨、腹立ち、挫折、意気消沈 ⇒(行動)叫び、動かない、くってかかる、金切り声、ののしる など自分の選択したことを相手に否定される、自分の考えを押し付けられ、拒絶されたとき(感情)憤慨、苛立ち、挫折、無力感、失望(行動)相手をののしりたくなる、又は、ひきこもる一方的に押し付けられた時、こうなりやすい。3.発言が理解されない ⇒(感情)不安、うろたえ、狼狽、恐れ、当惑、気がかり、放心 ⇒赤面、動悸、冷汗、震え、吐き気、便秘、下痢 など自分が相手の理解を困難にしてるのかな、言い方が下手なんだ、通じる言葉を言えてないんだ→不安、当惑B.感情はその人自身のもの1.感情は隠そうとすると積み重なる (恥ずかしいもの、子どもっぽい)2.積み重なった感情は思いがけない形で現れる (身体に、気分に、行動に)ムシ、攻撃、否定・・・自然に感じる感情はみな違う。拒否する必要ない。その感情を持った自分を正直に表現。そのときに「なんで腹立たせるの?」「なんで理解できないの?」と相手を主語にしてはいけない。ただ、これはなかなか身につかない。たとえば、車の運転で、人が親切に教えてくれた近道、1回は通るけど、次は通らない。頭ではわかってるのに、慣れた道の方が安心感があるから。車の運転でさえカンタンに変えられないのに、日常の人生にある哲学的な考えはなかなか変えられない。意識して変えようとしない限り。アサーションは、生涯トレーニング。頭でわかっていても、つい相手を責めたくなる。2回言ってもダメ、3回言ってもだめ・・・もう言わんとこ。 ↓してくれないとき、攻撃的アサーション・非アサーションになる自分に気づいてほしい。たゆまず、何度でもアサーションしてほしい。失感情症になってしまうと体や行動に出る。それは辛いことだから。Q.「感情の表出は大事なのだ」と、どのように理解したか教えて。→(ベテラン?受講生挙手) ガマンしていても何の得もない、吐き出さない限り、健康は手に入らないエッセンスをうまく取り入れてくれた。表現のしかたを考えて表現しましょう。1)自分を主語にして言う。2)相手が表現しようとすることを先取りせず、表現したことを一度受け入れることができる姿勢が大事。是認する必要はない。お互いの存在を大事にする。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~⇒後編「感情の処理法・ロールプレイ」に続く。
June 23, 2006
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うっかり忘れて失ってしまうところでした!楽天スーパーポイント、コツコツ貯めてたんですが、6月もあと1週間となって、「Infoseek ポイントメール」の文章が、ようやく目に止まりました。=================================【6月30日(金)までの】期間限定ポイントはもうご利用になりましたか?有効期限を過ぎるとご利用いただけなくなりますのでご注意ください。期間限定ポイントとは?⇒ こちら=================================さっそく確認すると、なんと期間限定だけで390ポイントぐらいあったんです~危うく大金(?)を失うところでした~そこで、すぐにでも何かを買おうと…はじめ、←でも買おうかと思ったんですが、(まだ買ってないなんて、ファンの風上にも置けないわっ!)そうだ、マンガの予約があるかも~と、楽天ブックスを見に行って、本のランキングに載っていた、【予約】 DEATH NOTE 12で、きっちり有効期限間近のポイントを消費できました!みなさまも、大切なポイントをきっちり利用してくださいね
June 23, 2006
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きのう、神戸にセミナーに、下の子と一緒に行ったついでに(?)ちょっと足を伸ばして、須磨海浜水族園まで遊びにいきましたJR神戸駅から乗った市バスが、とっても気持ちよかったので、メモメモ・・・水族館まで、約30分の旅でしたが、運転が心地よくて、子どもは往復、わたしも復路は寝てしまいました~一番いいなぁと思ったのは、運転手さんがつねにマイクでしゃべっていること!乗降時はもちろん、お客さんの動きや、行き先案内のズレとか、何かにつけて、優しい口調で語りかけてくれるんです♪あるお婆ちゃんが、両替だけして払うの忘れて降りようとしたときも、優しく、「両替だけですよぉ~」と気づきを促すような言い方をしていて、感心しました。そんなこんなで、気持ちよく時間はすぎて、子は爆睡・・・終点・水族園バス停に着いたので起こすと、寝ぼけてつまづきながらも歩いて出口へ、降りるとき、めずらしく子どもが「ありがとう!」と言ったんですが、運転手さんは、丁寧に「ありがとうございました」と返してくれました~行きだけかなぁと思ってたら、帰りの運転手さんも同じような感じで、神戸の市バスは、それが標準なのかもしれない…???ってか、神戸みたいなのが、あたりまえなの???わたしの慣れ親しんだ(?)大阪市バスとか、阪神・阪急バスとかが、ヒドイのかも!乗るときも、ゆっくりステップを登ったりしたら、怒られそうな勢いだったり、走行中に移動したりすると、イライラした声で注意されるし、降りるときにモタモタしてると、冷たい気がする。。。いやいや、一部の運転手さんの話なんですけどね!ま、安全第一ですけど、応対が丁寧で優しいのは、ほんとに嬉しいもんです。遠いので、あまり乗る機会はないかもしれないけど、また乗りたいな♪
June 22, 2006
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このたび、新しい試みを開始しました♪それが、意外に(!)楽しいものになりそうなので、皆さまにもお伝えしちゃいます~まず、その、わたしの新サイトをご覧ください ⇒ サイト名「心をラクに」いかがでしょう?このブログの内容が、新たにカテゴリ分けされているでしょ?なんだか、新鮮な感じ・・・じつはこれ、登録したキーワードによって、自動的に振り分けられるんです!日々、こちらを更新するだけで、あちらへも自動的に読み込んでもらえるらしい!これは、『edit@』という“ブログの次の時代を担う新しいユーザー発信型サイト”で、登録無料で誰でも簡単に専門サイトポータルを作れるんだそうです。それで、何がメリットなのか・・・ですよね???まだ始めたばかりで、これからの話なんですが、編集員として、わたし(編集長!)と同じ話題を語りたい人々を登録したとします、すると、登録した編集員の記事を、エディタ機能が自動収集してくれるんですって。つまり、自分の好みの話題に絞ったオリジナルポータルサイトが、複数のブロガーの手によって、展開できちゃうというわけで。。。編集員になってやろう!という方、ご遠慮なく登録してくださいまし~~~(サイト右側の「編集員紹介」のところにある「このサイトに自分のブログを載せたい!」をクリック、登録してみてくださいね~)今のところ、カテゴリーを「人間関係・生きかた」「スピリチュアル」「森田療法」「仏教」に絞って、それぞれ、適当なキーワードを設定、それで自動的に振り分けてくれてます。上記のカテゴリー以外の、ここの楽天記事(ジャニヲタとか~;)は収集されずにいるので、まとまり感があって、それだけで自己満足~?☆無料登録(サイト紹介ムービーあり!)はこちら⇒ 『edit@』(エディタ)
June 22, 2006
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関西ではおなじみの「痛快!エブリディ」火曜日、江原啓之さんの「心の処方箋」。今日は、39歳、編み物の先生とエステティシャンをやっている女性からの相談でした。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・私という人間は、頑張っている時に限ってあまりよい結果が出せないように思う。自分が失敗を恐れないで頑張ろうと思ったときに限って、何も結果が出せない。そう思うと自分が不甲斐なく情けなく思えてしまう。どうすれば空回りしないで結果が出せるような自分になれる?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・関アナ「具体的にはどういう?」相談者「仕事を2つやっていて、頑張ろうと思って、100点満点取ろうと思ってやったときに限って、結果がそうついてこないというところが…」江原さん「奥さんにとって、“がんばる”の定義って何です?」相談者「人から信用を得たりすることでしょうか?」江原さん「でもね、一般の視聴者の皆さんでもそうだと思うんだけど、よく“がんばる”って言葉使うでしょ、だけど、意外とその“がんばる”の定義がないのね。『頑張ってるんです、頑張ってるんです』って、“がんばる”という言葉に惑わされてるような気がする。“がんばる”というのは一体どういうことなのか、ってことを考えておかないと。“頑張ってるのにダメ”ってのは“何をしてるのにダメ”っていう具体的な項目が挙げられないとすごく問題があると思うんだけども。ご商売する人、それ以外の仕事もみんなそうだと思うけど、まず、基本的なポイント、『気を遣うな』ということなのね。『気は遣わずに 気は利かすもの』なの。ここがポイントでね、実はあなたの間違いは、自分からの一方的な要求ばかりだからなの。あなたの守護霊さんって方がいらっしゃって、とても美しいね、ご商売やってる奥さんだから、ご商売不向きとは思わないんだけど、そういう古い時代の女の方がいて、その人が言うには、『あなたは求めてばかりいるからダメなのよ』とおっしゃるんです。『喜んでほしい』っていっても、自分に『ありがとう』という言葉を望みすぎてるんですよ。『良かった』とか。あなたをあやすために人がいるんじゃない。あなたをあやしてもらってお金までもらっちゃったら、それ、ワガママですよね?でしょ。与えることなわけ。そういう意味では『気を遣うな気を利かせ』ってそういうことなの。『気を利かす』ってことは、相手を想う想像力なんですよ。『気を遣う』ってのは、自分が良く思われたいっていうことなの。ということはね、利己主義、自己愛なの。これってね、混同されがちなんだけど、大違いなの。これがね、いろんなことに影響しちゃう、みんなね、ここで引っかかるんですよ、だいたい、問題が。『気を遣う』タイプの人は、ご商売うまくいかなくなる。だって、『私上手かったでしょ、私良かったでしょ』って言って、それでいてお金もらって、ってやってるから、そうすると遠ざけられちゃうの、面倒くさいって、なっちゃうのね」関アナ「どうですか?思い当たることありますか?」相談者「ハハハ、たくさんあります(笑)」江原さん「それでいてね、こうやって商売やることで、少しは自分に自信をつけたいんだと思って始めたって言ってんの、守護霊さんが。どうです?」相談者「それはあります」江原さん「でしょ?だから、自分の心のリハビリにお金までもらおうなんて贅沢。っていうことは、不満言っちゃいけないの。有難いな、って思わなきゃ。それと、あとは、今も笑ったけど、ずーっと笑ってなきゃダメ。で、声小さいのダメ。そういう人に対して、信頼って持てないんですよ。でね、ご商売やる人はね、とくにみんなそうなんだけどね、技術は大事ですよ、もちろん、でもね、それだけじゃあダメなの。技術のある人なんて世の中五万といるもん。それでも、うまくいく人ってどういう人か?『お母さんの愛情をもっている人』なんですよ。気を利かす想像力ってそういうことなの。どんな習い事もそうなの、日舞の先生でもそうだし、なんでもそうなんだけどね、それこそお弟子さんとかね、生徒さんとかの、『そういえば、足どうだった?膝痛いって言ってたよね?』とかね、いろんなところも想像してね、そして気を利かしているんです。だからそうやって、その想像力で『お母さん』になってる人なんですよ。『大丈夫、大丈夫、キレイになったよ』とか、『上手になった』って言いながらも、あとは日常の生活の部分にも、少し気を留めてみたり。どんなご商売の人も、みんなそうですよ。そういうことなの。だから、『自分、自分、自分』って言ってるのダメで、『わたしに任せなさい!』っていう、でいて『一生懸命やるよ!』って言って、心まで癒してあげなくちゃ。だって、編み物だけのために、ずっと長くは続きませんよ、みんな面倒くさがり屋だもん」相談者「ハハハハ~(爆)」関アナ「でもそれがほんとに、あぁ母親のような気持ちだとわかると、生徒さんも自然と先生の方に寄ってきますよね」江原さん「そうそう!だからね、あなたの個性を輝かすことが大事なの。それでいてね、守護霊さんもおっしゃっているんだけど、あんまり『ちゃんとしよう』『常識的であろう』とかっていうふうに、いつもしないほうがいいですよ。なぜかっていうとね、あなたの守護霊さん言ってるけど、あなた結構、日ごろは冗談が多くて面白い人らしいのよ」相談者「はい!あの、あんまりバカなとこ見せずに仕事では頑張ろうと思っちゃうので~」関アナ「その頑張る方向がちょっと違うのかも」江原さん「違うのよね、それが愛嬌なのに~!」関アナ「今笑った顔がすごく親しみやすくって、あぁこんな先生に習いたいって気持ちにさせるような笑顔ですよ」江原さん「そう、完璧が全てじゃないの。そうじゃないところにその人の人間の愛嬌がある。だって、関さんだって時々唐突なこと言うじゃない?でもそれが、お茶の間の皆さんの楽しみになってるんだもん」関アナ「ありがとうございます、私まで勇気を頂いてます(笑)」江原さん「そうですよね、ピーコさん(爆)」関アナ「ねぇ、ご自分のチャーミングさを輝かせるほうに頑張ってもらったらいいですよね」江原さん「そうです」関アナ「じゃ、その笑顔で」江原さん「そう、そういう意味で頑張ってください!」(双方)「ありがとうございました」
June 20, 2006
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お待たせいたしました!『女性のための自己表現セミナー~自分らしく生きるために~』の第2回目「アサーション権 ~思い込みの価値観~」レポ後編『Q&A』です。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~(Q&A 使いにくい権利はありませんか?)Q.7の「罪の意識を持たないでノーと言える権利」が、使いにくい。A.相手を傷つけたくないのか?いい人に見られたいのか?親切なことでも、されたくないことならノーといえばいい。できない人は、自分の心を見てみましょう。優しすぎるのか?どうでしょう? ↓人の心を傷つけてはいけない、仲良くしなければいけないという「思い込みの価値観」「次回は誘ってね」と言っておけば人間関係いい。相手のことを推し量って、自分の心を見ない。=それが人間関係をスムーズにし、いい人と言われそうな「思い込みの価値観」を 幼いときにもらっている。ex. お母さんに一度はノーを言うが、 →「しなかったらおやつない」「しなかったらおもちゃ買わない」と脅してくる →3、4歳から、ノーというと相手から存在を拒否される、という価値観をもらってる親に存在を認めてもらって、いいものをもらってないと生きていけないような、恐怖感→本当の気持ちでノーと言わない→親が「いい子」と言うような人生を歩む。→大人になっても、奥深いところに閉ざされているから、それが一番いいと思っている。→親子関係がよぎってきて、ノーと言えない。子どもだった昔は、親の愛がなければ生きていけなかったが、大人の今は、自分で生きていける。自分の願望が手に入ってない旅だったら、手に入るように生き直していかなければ。これから、旅の中で、自分をできる限り大事にしていければ、つぎも、大事にしていける人生が…。Q.子どもに「片付けないと買わないよ」と言ってしまう。A.片付けてほしいの?(はい)「片付けて欲しいのよ」と言えばいい。片付けたらどんなきもち?(…わかりません、え~;…ホッとします)「片付けてくれたらホッとする」でいい。Q.「僕は出してない」と言われた時、どんな言い方すれば?A.あなたの気持ちが大事。つねに、ある事象について、自分の心を見る。「自己主張」=「自己」つまり、「私」が大事。「出した人が責任持って片付けてくれれば嬉しいよ」とか。脅し、脅威を与えると、自分の存在を無視されて不安が重なってくる。大きくなると、「勉強していい高校に入れば…」とか「いい大学出て、いい会社は入れないと…」と脅す。→子どもは、マイナスのことを受け取りやすい。自分にレッテルを貼る。 「いい学校に入れないからダメなんだ、もういいや」脅しからは、いい結果は生まれない。本当の気持ちを伝えていく。「勉強して欲しいと思っている。してくれたらお母さんが落ち着く」「将来のあなたの姿が目に浮かんだら幸せ」☆アサーションの目標本当の自分の気持ちを偽りなく掴んで、相手の存在も尊重しながら主張し、相手とのいいコミュニケーションとりながら、いい旅をしていこう。自己実現、自分らしく生きていく、自分の心を大事にする。結果はそのあとからついてくるのではないでしょうか。ex. ある女の子がいて、飛行機が通ると軒に隠れて出れなくなり、 6歳ぐらいなのにクリニック、カウンセリングに行っていた。 よく聞いてみると、物心つかない1歳そこそこで、乳母車に乗ってるときに、母同士が 話をしていて、「怖いね~飛行機落ちたんだってね~百人以上死んだんだって」と、 本当に辛そうな表情をしていたのを思い出した。 →のちにカウンセリングで、飛行機が通ってもOKに。さりげない大人の会話でも、心に深く入り込む。大人が感じられないような幼い知恵で感じてしまう。脅すと、子どもは、“勉強せえへんかったらろくな高校に入れない”と自分にレッテルを貼る。「ケンカをしないで」と言わずに、まず自分の心を見る。「ケガはしたらダメよ」「ちょっとやかましいから外でやって」恥ずかしくて外ではケンカできないはず。(中国では、わざと窓を開けて夫婦喧嘩をするが)脅し=攻撃的、上から物を見ていう言い方。Q.子どもが苦手なことが多い。1学年1クラスで、中でもドンくさい。 親として支えていくのに、もう力が出ない。 自分は「めいわくを掛けてないのがせめてもの…」という思い。 (↑平松さん「それが非アサーション」) クラブなどにも積極的に参加できない・・・etc.A.(その態度が子も親も、と確認し、)チャレンジするときに、あの人がいるかいないかでクラブを決めたりしている。あの人がガミガミ言ってたら、とか。威圧的、権力的に言う人がいると参加したくない、ということ。親が子に、変えるように言うのは無理。子どもが気づかなきゃ。自分が変わらなきゃ無理。「お母さんだって逃げてるやんか」と言い返される。「こわいんだな」とまず自分を見て、もし言ったら何が起きるか、言ってみないとわからないな、という母の姿を見て、子も変わっていく。たとえば、あなた自身、夫には言えないが、子には言うんじゃないですか?もし言ったら何が起きるかな~とトライしてみると、成長への道を歩むことになる。自分の能力も高まる。削除している部分を真剣に考える。触らぬ神にたたりなし、ではなく。自分の気持ちをみて率直に言う。思うとおりに相手は変わらないが、伝えるのはいいこと。たとえば、夫には「大きい声で言われると怖いわ」と伝えても、「性格や!」と言うかも。 ↓「ああそう、お父さん、性格なんやね。けど声が怖いねん」「性格だと思うようにするけど、できたら、もうちょっと優しく言ってくれたら聞けるんだけど」×「性格っていうけど、子どもだって怖がってるのよ!」=攻撃的に非難しているアサーション=相手の立場も尊重し、自分の心も大事にするコミュニケーション(平松さん自身も)攻撃的に言うときもある。そのときに、「本当はこういうこと望んでた」と言える。(相談のお子さんは)積極的に行動できないところに良さがある。持って生まれた気質もある。そのこの特質を見てあげるのもいい。親の積極的な姿勢が移ることもある。☆決して評価をあげない。いい評価も悪い評価も。どうするか?⇒お母さんの気持ちを言う。評価=相手が主語。褒めるときも、条件をつけて、相手を主語にしない表現を。これをクセにすると、とってもラク。なんでも自分の責任で言える。Q.職場でのこと。話をさえぎられることが多い。 最後まで聞いて、と言うが、話しかけ方が悪いのか、最後まで話し終わっても、 ちゃんと聞いてくれたのかな?という気持ちが残っている。 どういうことか?相手を信じてないのか?A.わかりません(笑)…あなたの心だから。信じないで話したの?(いいえ)聞けばいいね、「わかった?」って聞けば。(平松さん、困惑気味)Q.自分がやりたいことがあるが、周りの人に迷惑を掛けてしまう。どうしたら?A.どうしたらいいんでしょう?(笑)経済が絡むなら、自分勝手ではいけない。100万あって5人家族だから、これだけ使わせて、とか。Q.仕事、スポーツで、自分はやってみたいが、団体戦の場合、自分だけの問題ではなくて。A.相手の存在を尊重しなければ。期待通りに肯定することではない。自分はこうしたい、をちゃんと持っておいて、相手はこう言うだろう、ならこのへんで譲歩しよう、と決めておく。ネゴシエーション。アサーションのもう少し深いところ。交渉術。1対多数のとき。譲歩しあうことが大事。Q.よく失敗して、家族から非難がたくさんくる。 ごめんなさいと素直に言えない自分。逆に非難してしまう。A.言えない、のはどこからくるか。自分を見なければ。まず、自分の心を見る。失敗してもいい、としっかり持っていれば、相手の非難を素直に聞ける。「今度はこうするわね」、謝らなくて済む。Q.相手がカーッとなっても言える?A.わかりません(笑)私なら言える。「言われて辛いわー」「なんで怒るの?」などとは言わない。「これからやるから見といてね」とチャレンジ。☆相手からの刺激に対して、何を感じたかを「Iメッセージで」伝えるのがアサーション。いいことについては、「あなた」主語でいいが、自分の心をよく見て。おいおい、一つずつ、日々、行動に移していきましょう。自分が楽になるためのコマにしてくれたら嬉しい。日本にカウンセリング広めたカール・ロジャースが昭和22年来日したとき、じかに会って話を聞いた。彼は、(冷戦時代の)ソ連に行って、この人を尊重しよう、自分の仮説を話し、世界平和を、と行っていたが、結局行けず。。。そういう気持ちをみなさんにも持って欲しい。自分が変わることで、家庭内で、相手を傷つけないで、言いたいことを言えるようになればいいな。相手を責めないで。自他共に認めていく。思う通りに相手がなる、自分がなるのではない。(←聞き間違ったかも)フラストレーションを溜めると、必ず攻撃に変わる。→ムシ、怒る、叩く ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~実際には、7.のあとと、8.のあとに質疑応答がなされました。そのあと、9~11まで説明があって、グループトークへと繋がったわけです。グループトーク、今回はヒドかったんです・・・また機会があれば、書いてみたいと思いますが。「Q&A」では、平松さんの、「わかりません」(語尾上げ気味)っていうのが、すっごく可笑しくて、でも、そりゃそうやん、って素直にナットクでした~よく、「どうしたらいいでしょう?」って、すぐに人に答えをもらおうとするんだけど、実際には、自分の中に答えはある、いや、自分の中にしか答えはないわけですよね。自分の気持ちを偽らず、自分の中で納得いくまで考えて、選択した行動をとること。そうすれば、誰かのせいにしたり、非難したりせずに済む。もちろん、自分を責めたりせず、つぎはこうしよう、と自信をもってチャレンジできる、というわけですね。普段の生活に流されて、あらゆることを後回しにしたり手短に済ませたりしていると、うやむやにしたアレコレが消えずに澱んで溜まって…「フラストレーションを溜めると、必ず攻撃に変わる」…これは重々、肝に銘じたいと思います。今回は、森田正馬先生のお話に通じるものがあると感じたし、今後にも期待してます。で、次回は21日(水)、第3回「自己表現の必要性 ~感情の処理~」です。楽しみ~♪
June 19, 2006
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水曜日に、『女性のための自己表現セミナー~自分らしく生きるために~』の第2回目に参加してきました。さっそくレポに入りたいと思います~ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~第2回 アサーション権 ~思い込みの価値観~生まれてくるとき、どこに生まれてくるか、決められないけど、そこに生まれてくる。好むと好まざるとに関わらず、そこに生を受けて、人生の旅を始める。旅の途中、険しい旅だなぁ、どのような宿命、ご縁で会ったのか、など思うことがある。幼いときに、親との関わりの中で、親から認められる良い道かな、と自分の心で決めて歩んできた道でも、険しいと気付いた時に、変えればいい。自分の心をみつめて。部屋は、閉じ込めていると湿気がこもるから、窓を開けて空気を良くしようとする。心だって、閉じ込めてしまって感情を出さないで蓋をしてしまってると、心・体の中にカビが生える。アサーションで、自分が何を願っているのか、何を手に入れたくてイライラしてるのか、相手に何を期待してるのか、気持ちをつかめないでイライラしているのか、考えてみる。自分も相手も大切に。そうすれば、自分なりに良い人生の旅ができるんじゃないかと、この年になって思う。しんどいなと思えば変えればいい。前回の感想で、「言えない」「逆切れする」というのがあったが、歪んだ表現しかできないのは、心の中のどんなオリの中にあるのか。非論理的思い込みを心の中に持っている、今日はそれに気付きたい。〔基本的アサーション権〕世界全体で、アサーション権といわれているもの、カナダでは24、他の国にもあるが、日本では自己表現学会で11に絞って下さっている。アサーション権の「権」は、権利というよりは、「こうやっていいんですよ」という意味。1.自分が尊敬を受ける権利 個人の権利の最も基本的なもの。自分自身を大切にする権利。 自分を正しく評価し、自分を信じる。自分は尊敬を受けていい。自分を大切にする、自分を等身大に評価していい。2.自分の感情と意見を表明する権利 自分の感情は自分自身のものである。 その表明には責任を持たなければならない。感情と意見を出していい。感情は、政治的流れや人から受けたもので、ある出来事によって、思い込みの価値観から出てくる。自分の感情=自分で責任持てばいい。3.一人で行動する権利 一緒に行動することを要求されても、時には一人で過ごすことができる。一人で行動していい。一緒に行動することを要求されても、一人で行動してかまわない。ところが往々にして、そうするとあとで何か言われるんじゃないか、次回話に入りにくいんじゃないかという「思い込みの価値観」が出てきて、権利を使えない人が多いのではないか。4.成功する権利 人よりすぐれている時や上手にできる時には、周囲に気遣うことなく、成功してよい。成功していい。学会の文章を言い換えると、人より優れていなくても、ひょっとしたら上手にできないかも、でもやってみたいな、というときはチャレンジしていい。チャレンジすることにより、能力開発され、成功していく。チャレンジしなければ、達成感、完成欲、やれた、という気持ち味わうこと少ない。優れてないからできない、と思いがち。私は逆。優れていなくてもいい、まずやってみましょう。それが成功の第一歩。達成感、感じていいんだよ。5.傾聴され、真面目に受けとってもらう権利 意見を言いたい時や見解を大切にしてもらいたい時に、 傾聴してもらうことを要求する権利。私が言ってることを最後まで聞いてもらっていい。聞いてと言っていい。たとえば、話しているとき、夫はTV見ながら「うんうん」。「聞いてくれてるの?」「聞いてるやないか」→はっきりと、「どういったか言ってみて」と言っていい。また、時を見て話しかけることで聞いてもらえる。途中で言葉をさえぎらないで、最後まで聞いてもらうこと、そのあと感じたことを言ってもらう、それが真面目に受け取るということ。是認してもらうことではない。頭の回転が速い人は、「思い込みの価値観」が働いて、相手が話し終わるまでに、「こうでしょ?」と言う。真面目にきいてもらえる=途中で口を挟まないで、最後まで聞いてもらえること6.自分の感情と意見を表明する権利 支払った文に見合うだけのサービスや物を得るのは当然の権利である。買ったものが不備だった場合、返却、交換していい。お金を払っただけのものは得ていい。たとえば、旬のびわを買って帰ったが、裏が傷んでいた。どのような気持ちする?嬉しいと思う人いないよね?がっかりしてるのに、換えに行かない=思い込みの価値観 →ウツウツする払っただけの労働をしてもらう権利がある=人権尊重のアサーションの基本(相手にも権利がある)7.罪意識を持たないでノーと言える権利 ノーと言うことが利己的とか、間違っているとか思われても、以来を断ってよい。 (ただし、相手からノーを言われる可能性も生じる)罪の意識を持たないで、ダメ、できません、ノーと言っていい。往々にして、言ったあと自分を責める人がいる、あれこれ悩む人がいる。言えるにも関わらず、時が経つとノーと言ったことで罪悪感持つ(言わない方がよかった、と)。自分の心に正直になれば、相手の依頼に対してノーと言うのだから、「できないのよ、ごめんなさいね」でいい。過去を思い出して「あの時やってもらえなかったから」と、やればできるのにやらなかった。江戸の敵は長崎で、みたいに。 →あとで罪の意識自分の心を見て、本当にできなかったら、「これとこれはできる」「いついつまでならできるんだけど」とはっきり言えばいい。たとえば、受講生同士の実話。耳の不自由なAさんが、、健常者のBさんにコピーを依頼した。引き受けた人は「はいはい」→引き受けてくれたと思った。次の会合で、できてるか聞くと、「やっぱりできなかった。すみません」と言われ、自分が聞き間違えたのかとも思ったが、「やってくれるって言ったでしょ?」「なぜはっきり言ってくれなかったの?」と強く言ってしまった。先生が(?)尋ねると、Bさんは、そのときに無理だと思ったが、ポンと断るのが失礼と思った、あのとき本当はイヤだった、と。ノーと言えなかったのはどうして?=ちょっと頑張ったらできるのでは?ノーと断るの失礼、という思い込み。 ↓Aさんに「信じられない、下に見てるんじゃないか」とヒガミ心を植えつけてしまった。初めの感情(無理だと思った)を大切にして、素直に断ったほうが、人間関係はうまくいく。相手の気持ちを推測しすぎないで、はっきりノーと言えたほうが気持ちいい。8.失敗をする権利(人間である権利) 人間は完璧ではない。過ちをしたら、その結果を引きうければよい。失敗していい。何かしてる限り、生きてる限り、人は失敗する。人間は完全じゃない。往々にして、物事にトライできない。怖がって。失敗は、どのようなことで失敗したのか、成功への糧にすればいい、と思っていなければ、物事にトライできない。たとえば、夫や子どもが手伝いをして失敗する。自分の中に「失敗してもいいんだ」という考えが入ってなければ、かける言葉が違ってくる。 ×「気をつけてやりなさい」→もうやらんとこ。職場でも、失敗を叱られていたら、失敗したら何言われるかわからん、手出しせんとこ、になる。成功するための一つの手がかりにすれば、率先して物事をやっていける。たとえば、4度結婚、離婚繰りかえした人。=離婚の失敗を苦にしない人。今度は、と前向きな心があるから結婚できる。離婚は悪いことではないけど辛い出来事。失敗したと思い込んでしまうと、新しい人生開けない。離婚から何かを学べばまた結婚できる。人生は旅だから、いろんな出会いがある。自分らしく充実した人生を送れる。体験しないとダメ。9.自己主張しない権利 アサーティブな言動が出来るようになったら、アサーティブにしないことを選べる。 (危険性が高い時、時間やエネルギーに値しない時)アサーションしない権利。非常に時間やエネルギーを使うと思うとき、アサーションしないでいい。ただし、いつもこれを使うのはノンアサーション。時として、骨折り損のくたびれ儲け、と思ったとき、自分でチョイスする。10.意見を変える権利 自説が間違っていると気付いたら、訂正してよい。自分の意見を変えてもかまわない。気づきによって、正直に変えていい。政治家はとくにこの権利を使う。あの人は何考えてんの?信用できない、と思うことはない。正しい意見、間違った意見、はない。正しい感情、間違った感情、はない。その人が感じたことだから、変えていい。たとえば、ある男性(臨床心理士の資格をもつ)の場合。一度はノーと言うが、結局ノーと言えない。あとでとても敵意が起きる。なんで受け入れないんだ、辞めようか。敵意を見つめてみると、断れない自分が虚しくて、相手に転嫁してたことがわかった。そして、父との関係を思い出した。勉強したい時に家業を手伝わされた。手伝わなかったら辞書を買ってもらえず、怖い。今、上司との関係で、思い出した。言うことによって、クビになるのでは?生活できない→腹が立った。よく考えたら、価値観変えていいんだ、言ってもしクビと言われても仕方ない、仕事いくらでもある、と。まず、自分の考えを明確に表現することで、もう一方の意見が浮かび上がる。11.素直に傷つき、時には感情的になってよい権利 傷ついている自分をそのまま認め、時には感情をそのままぶっつけることも 許される権利がある。近年付け加えられた権利。それまでは、「(攻撃になるから)感情的にならずに、感情を伝えましょう」だった。冷静に伝えましょう、だったのが、時には泣き叫んでいい、体震わせていい、怒りで手をグッと握り締めていい、に。ただし、これをいつも使うと「ヒステリー」と言われる。自分の感情を無視しないで、ここぞというとき、体を使って、行動を使って、感情的になっていい。たとえば、ある夫婦の場合。長年、酒飲みの夫に、お酒はほどほどにしてね、体を大事にしてね、といい続けた妻。あるとき健康診断の結果から、一時酒をやめていたが、やめても数値が変わらず、また飲もうとして酒ビンを用意していたら、妻がその酒を取り上げ、中身を捨てて、そして、泣き叫んだ。「お父さんが大事なの!!」企業でカウンセラーをしている夫だったが、それからは一滴も飲んでないという。自分のことだと思っているからストレス解消やと飲んでいたが、妻は、自分の存在を大事に思ってるんだな、妻のために、体を大事にしよう、と思ったという。☆演習(未実施)1.あなたが自然に使っているアサーション権はどれですか。2.あなたが努力して使うようにしているアサーション権はどれですか。☆グループトーク(30分間)1~11で、一つの出来事を思い出して何らかの気づきを話し合う。自由に。終了後のコメント。褒めるのは大事。ただし、「これがうまくできたから」といった条件をつけて、評価的にしないこと。 ×「うまくかけたね」 → ○「お母さん、この絵を見たらワクワクするわ」 ×「上手に弾けるようになったね」 → ○「お母さんね、演奏を聞いていたら、風景が頭に浮かんできたわ」嬉しい気持ちを伝える褒め言葉がいいと思ってる。ただ、褒め言葉が欲しいために、となる可能性があるので注意。 ↓ ↓ ↓レポ後編『Q&A』へ、つづく。。。
June 16, 2006
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昨日もセミナーで、朝から神戸まで行って参りました。(レポは近日公開!)で、帰りの電車で、迂闊にもマナーモードにしてなかったケータイが鳴る。。。イトコのKちゃんからの電話だった。「お誕生日おめでとう」あ、忘れてた・・・朝起きた時はちゃんと覚えてたはずなのに。ありがとう♪ほんとにありがとう♪嬉しいよ~前回、下の子のときに、ケーキがイマイチだったので、次はわたしのときに、と、上の子が期待してたのもあって、ケーキの材料をあれこれ買って帰った。Kちゃん、思い出させてくれてありがとう♪グッドタイミングやったで!お次は、学校から帰ってきた上の子から、おめでとう♪♪この年頃の子が、そういうこと、素直に言葉にできるって、すごいよねぇ。いっつも、学ばせてもらってるよ、ありがとう。そして、すぐに保育所の迎え時間がきて、迎えにいった。すると、Mちゃんが、プレゼントまで用意してくれていて、「おめでとう」って~♪たぶん、時間も合わせてくれてたに違いない。。めっちゃ嬉しかった。ほんとに、何十年ぶりかの嬉しい誕生日になったよ~夜は、夫が、帰宅後に買い物に出て、2種類の酒を買ってきてくれた。桂花陳酒と、ベイリーズ オリジナル アイリッシュクリームの200mlのヤツ。素直に「めっちゃ嬉しい!」と言うと、「酒で嬉しいんか…」「ちゃうやん、覚えててくれたのが嬉しいやん」「辛うじてな」・・・どこまでも意地を張るヤツだ。酒は、旨かった (おかげで、ずっと飲んでて夜更かししました…)なにはともあれ、今までの誕生日のこと、ほとんど覚えてないけど(痴呆のせい?)、いままでで一番、思い出深い誕生日でした!!!ちなみに、ケーキは、時間がなくて結局作れなくて、今日、上の子と一緒に作る予定。今日のスポンジは、オーブンで普通に焼いて作ります!(←前回の反省) ~~~~~~~~~~~~~~~(↓ここから、暗~いお誕生日秘話でございます…)じつは、去年の誕生日は、誰ひとり祝いの言葉をくれず、忘れられた、意味のない存在のようで、また、存在していることへの確証もなく、この世に生まれたことへの恨みでいっぱいでした。あれから1年。今年は、誰も何も言わなかったとしても、子どもたちが喜ぶからケーキを焼こう、と思えたぐらい、自分の誕生日に関しては、特別な思いは抱いていませんでした。あのとき、十分にこだわったから、あれから、深みにハマリたいだけハマったから、恨みも憎しみも、流れていくことができ、新しい自分を発見できたんだと思います。そういう意味では、再起しようとするその時々が、新たな誕生なのかも。誕生というか、再生かな。そのたびに、自分で祝ってあげればいい。でも、人に祝ってもらえるのはやっぱり嬉しい。観念的なものではなく、実像として、愛されていることを確認できたような気がする。こんなハチャメチャなわたしでも、こんだけ愛してもらえている。それだけで、生きている意味があるじゃない、か。(←…語尾は上げるby彰)いつも、最後まで読んでくださるみなさま、大きな愛をありがとう。※生きる意味、について、江原さんが素晴らしいことをおっしゃっています。 また、必ず、お伝えしたいと思ってます。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~書き終わって登録したあと、右横にあるバナーが気になり、クリック。気になるタイトル「脳年齢チェックゲーム」⇒ こちらさっそく、気軽にやってみたところ、もぉ、いや~ん!!結果は、脳年齢 50歳!!!・・・やっぱり?妙に納得して、再挑戦する気がなくなりました ~~~~~~~~~~~~~~~~~【夜の追記】さっそくのコメントありがとうございます♪ハハハ・・・;↓みなさん、脳年齢に衝撃を受けていらっしゃいますね・・・ということで、ご心配とご声援にお応えして(?)再挑戦してみました。2度目なので、問題も覚えてるし、アテにはなりませんが、じゃ~ん!!! 28歳 という結果がでました。22歳若返った???…33歳のMAIちゃん、もう一度やったら、何歳になるんだぁ???
June 15, 2006
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掃除機をまだ購入してません・・・先日ご紹介したモップ式掃除機は、平面しか使えないじゃないですか?あれは、ちゃんとしたのを1台お持ちの家庭の2台目以降にぴったりだと思います。それで買うのをやめました。で、今のを使えるものならばと、充電池を買い換えようかなどと血迷っていると、夫が「サイクロン式」の、価格コムランキング1位商品とかを勧めてきて、メーカーHPなどで調べつつ、どうも納得できず、日曜日に店頭へ見に行ってきました。 ⇒お!品切れ続出!!日立 たつまきサイクロン CV-SJ8 【品切れ中】が、そこで、いろいろ試したり、店員さんと話してるうち、サイクロンは、フィルターのお手入れをちゃんとしないとダメじゃん、いまの紙パック式は、排気もクリーンになってるし、紙パックごと捨てれるから、ゴミカップのホコリが舞うこともないし、こっちのほうがクリーンじゃん、・・・という気になりまして。店頭では、ナショナルの新製品に驚きました。 ⇒【新製品♪】撃退ハウスダスト!見つけて取って逃さないNational MC-P600JX「ハウスダストセンサー」なるものがついており、店のフロアで試したら、見えないホコリにも反応し吸引力アップ、取れたら吸引力ダウンと、省エネにもしっかり対応。見えないハウスダストを確実に吸い取ってくれるなら、とっても安心。が、いかんせん、値段が高すぎる・・・(店頭価格48000円)夫への腹いせに(?)買っちまおうかと、一瞬思ったけど、現実考えて断念(当然!)で、帰ってから、持ち帰ったパンフを見たり、(昨日は1日体調よろしくなく休息)、今日は、昨夜の熱で保育所休ませた下の子の相手をしつつ、HPでいろいろ調べ、だいたい数点に絞られてきました。が、まだ決めかねています・・・いま、迷ってるのは、1.日立 550W紙パックタイプクリーナーCV-CJ4 と、2.日立 610W紙パック式クリーナーCV-PJ7 と、3.ナショナル 610W紙パック式クリーナーMC-K60A です。いずれも、抗菌・消臭機能はいろいろ兼ね備えていますが、1は、なんといっても安いのが魅力。7,372円~ 今年2月発売。安くても、アレルオフ5段抗菌・消臭システム、抗菌かるクルヘッド、パワー長持ち流路、3方取りヘッド、クルッと構造、などあります。61~54dB2は、16,380円~ 2月発売。1との違いは、ナノチタン・アレルオフ~システム、サッとハンドル、ペタリンコ・クルッと構造、ワンタッチズームパイプ、抗菌消臭イオンパワーヘッド、スイングシャッター。59~50dB3は、15,300円~ 今月発売の新製品。持ち帰ったカタログには載ってなかった。抗菌酵素排気フィルター、パワー持続センサー、イオンエアロノズル、フックレス簡単スライド紙パック、ノズルポケットつきコンパクトボディ、ホコリスッキリ、シャッターつき防臭加工紙パック、2WAYノズルつき。59~49dB(←最も静か)・・・書いてみて思ったけど、この分だと、1か3になりそうだなぁと。とりあえず、夫に一言断ってから、発注しようと思っています~(ほんの礼儀?)
June 13, 2006
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(前記事からのつづきです。。。)C.自他共に肯定的構えを目指すよく、「行かせてくれない」「言わせてくれない」「させてくれない」と言う人がいる。しかし、これは、操作され、自分を大事にしていないコミュニケーション。たとえば、お友だちとお食事に行きたい。「行ってもいい?」と尋ねると夫は「贅沢するな」と反対する。そのときに、自分の心を見る。(夫の気持ちはわからないから) 本当に行きたいのか? 反対を押し切っても? 行ったら何が得られる? 帰ってきて夫がブスッとしてても?と、自分で行動を選択する。 ↓自分を大事にする、自己の責任としての行動 ⇒不平がでない。「行かしてくれない」がなくなり、「行きたいけどやめとくわ」に。「自他共に肯定的」=自分が大事 ⇒自分の行動は、自分の責任。素直、率直に。 ⇒自信がわく ⇒不必要な言動が減ってくる。<自他共に肯定的構えを目指す>1.操作されない自分2.自分を大切にする3.自信・自尊心が育つ4.本当の自分の心の動きを洞察5.心の疲れやストレスを上手に解放6.苦手な対人関係から解放7.相手を操作しない8.自分の思考・感情・行動の責任9.新しい自分を発見10.相手の理解を深める「操作されない」⇒自分の心の動きを見るということ。心はどこにあると思いますか?「~な心」という言葉はたくさんある。心は、生きていくためのエネルギーの根源。「考える→行動→感じる」のエネルギーのもと。そして、心は、自分自身のもの。感じた感情を誰も責めることはできない。「なんで怒るの?」はおかしい=攻撃的「怒った」と言われたら、「そう、そんなことで怒ったのね」と認めてあげるのがアサーション。その上で、「わたしはとういうときはこのように考えるから怒らないのよ」泣いている人に「なんで悲しむの?」「早く忘れなさい」=批難している「悲しいのね、悲しいことがたくさんあるのね。うまく言えるようになると嬉しいわね」自分のことも、怒っていいんだ、悲しんでいいんだ、と。「人間関係が下手なんです」 ⇒アサーションが日常的に身についてくると、 自分なりの自由な自己表現ができるようになる。アサーションを何年も勉強している人が、「相手が勉強してないからダメ」と言う。 ⇒「あ、そう、じゃ上手なアサーションして、その方にも普及していく?」相手の存在を認めるのが根底にあるから、「いまはそれでいいんだよ」と相手を尊重して「わたしなら~」と言えば、いい気づきを促せる。「アサーションをして人間関係が悪くなった」という人がいる。“相手の存在を認める”が根底にあれば、どんな方にも言えるようになる。マズくなることはない。アサーションの基本的構えができる⇒自分を大事にできる、自信が湧く。「自信がつく」とは。たとえば、書記を頼まれたが自信がない人が、悩んだ末に引き受けることにしたら、“書記の仕事に自信”がつくのではなく、“自分をしっかり見ていく自信”がつく。今後は、断れるし、引き受けられるようになる。 ⇒すべてのことに決断する時に自信がつく。⇒自尊感情(セルフ・エスティーム)自己洞察が深まれば、新しい自分が発見できる自分を見る目が深まれば、相手も理解できる * * * * * * * * * * * * * *と、最後は急ぎ足で、グループトークに突入。目的は、問題解決ではなく、「自分がどのような刺激にたいしてどのような表現をしていたか」の表明。一人ずつ、具体的に話すこと、ということで、グループ内8人で一人ずつ話す。その後、発表。テーマは「自分で気づいたこと」=人に言われて気づいたことはダメ。・全部、自分の意見ではなく人が言ったことにする人がいて、みんなは敬遠するが、 自分は怒る気にならない。一緒に居ると楽しいからだと気づいた。・イライラの種類がわかってきた。 ↑(平松さんのコメント) 怒り・不安をあいまいにしないで、じっと自分の心をみつめることが大事。・ウツで休職中。 職場がイヤな雰囲気になるのが怖い「依存症」とカウンセラーに言われて・・・ ↑自分の気持ちを伝えていけば、ウツも良くなるかも。・暑い暑くないでケンカになった夫婦の話 ↑体感はDNAによってそれぞれ異なる ↑気づきにたいして、具体的にどのように表現していくかを書いておくといい・怒り ↑まず、主語を「わたし」にする。「あなた」だと攻撃的、支配的に。 「なんで怒らせるの?」じゃない。あなたが怒ってるんだから。・「言えない」 ↑言ったあとに相手がどんな攻撃してくるか、反論してくるか、反応が怖いだけ。 言ってみないとわからない。想像した通りの反応が帰ってくるとは限らない。 自分の中に、攻撃心なければ、攻撃されない。 もし、怒らせても、「腹が立っちゃったのね」とまず相手を認める。 自分の経験で推し量ることとは違う。・入ったばかりの職場で、年下の上司に「絶対こうしてね」といつも言われて、 「ハイハイ」と言ってるのも情けないし、「絶対」にムカつき、攻撃を感じる。 ⇒自分の中に攻撃心あることに気づいた。 ↑ 「攻撃心」=自分の中のフラストレーションを上手に言ってない。 たとえば、「絶対ですか?ちょっとしんどいですね~やれることはやっときましょ」と、 きちっと「アイ(I=わたし)」メッセージで。 溜めてる感情は、必ず攻撃になる。 だから、今日言いたかったことは溜めないでくださいね、ということでした。。。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~以上です。わたしの感想はほぼ挟まずに記述しているつもり(太字、下線で強調してますが…)で、全体的に特に問題はなかったと思うのですが、ひとつだけ、腑に落ちないことがありました。あまり、いやな話はご披露したくないけど、溜めて攻撃に転じると困るので…(笑)わたしのグループの人も発表したのですが、それが、他の人の一言で、気づかされた話だったんですね。すると、平松さんは、「それは人から言われて気づいたことでしょ?」と冷たく言って、発表した人が「言われてそのあと自分で気がついたんです」と言うと、「で、どうしたいの?」・・・答えられないと、「次回、どうしたら相手との間がGOODになるか考えましょう」で終わり。わたしはドキドキ(ムカムカ)した・・・なぜなら、その一言はわたしが言ったから。せっかく発表したのに、そりゃないぜ。「人に言われて気づいたことはアカン」ってのは、たぶん、「人に操作されず自分で選択して行動する」ことを目指しているからだろうけど、先生はそんな態度をせずに、受け入れた発言をしてくれるものだと思い込んでいた。がっかりだった。グループトークの意味はなんなんだ?「表明」するだけで何か気づけ、ってこと?で、このことで気づいたのは、・このセミナーは「表現方法=スキル」を学ぶ場だということ・「~って言ってるくせに」「先生なのに」と思ってしまうクセが抜けないな、ということと、他の人の発表を聴きながら、メモしながらも、グチを書かずにはいられませんでした。でも、終わってから、ご本人に聞いたら、「もう慣れました~」と苦笑い。どうやら、慣れた人には、そういうムゲな態度をとるらしい。可愛い子だから冷たくすんのか。成長を願っている態度には見えなかったぜ。ま、「自分の心を見つめるのが第一」ということは何度か言っていたから、スキル重視というわけでもないだろう。(しかし何年も、身につかないと悩ませてるのもどうかと思うなぁ、やっぱ)そういうわけで、講師は・・・だけど、受講生の方と一緒に駅まで帰る途中でいろいろ話してて、すごく楽しかった。それぞれ悩みながらも、よし、次はこうしてみよう、と前向きだ。元気をもらえたような気がする。だから、また元気をもらいに行こうと思っている。(あと、気づいたのは、ひなん=「非難」ではなく「批難」と書いてしまう、なんでだろ)☆今回の名言(迷言?)~心に留め置きたいことば~「是認と受容は違う」「是認されてなくても大切にされてると思わなくちゃ」「相手をつい評価したくなるが、相手が自分と同じ価値観をもつ必要はない」「感じた感情を誰も責めることはできない」「言ってみないとわからない。想像した通りの反応が帰ってくるとは限らない」「自分の中に、攻撃心なければ、攻撃されない」「主語を「わたし」にする」「「アイ(I=わたし)」メッセージで」「体感はDNAによってそれぞれ異なる」「溜めてる感情は、必ず攻撃になる」
June 9, 2006
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え?関西は梅雨入りしてるんだって???昨日入って、もう中休みだと。7日(水曜日)、先日記事にしました『女性のための自己表現セミナー~自分らしく生きるために~』の第一回目に参加してきました。⇒過去記事はこちら今日はそのレポ、前編です。(書いてみたらチョ~長くって・・・)※毎度ながら、文字情報だけで、理解しづらいと思います、ごめんなさい。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~JR神戸駅から、湊川神社脇の長~いゆるやかな坂道を登って、会場へ。(かなり息が上がった…)まず、受付で5回分の受講料を支払い、くじ引きでグループ分け。グループ名がお花の名前だった。会場に入ると、なるほど、年配のご婦人がたの乙女心をくすぐるためのグループ名やわ、と思った。わたしが今まで受けてきたいろんな講座の中で一番、平均年齢が高い・・・40~50代の奥様がた(神戸のオクサマですわよ)が、恐らく定員70名いっぱいに参加してると思うけど、9つのグループに分かれて、席についた。(中には30代に見える人も、1、2人いたようだけど。ま、年の話はこれぐらいにして…)近くの席の人とそのご友人が話していたのが聞こえてきて、“前年もその前もこの講座に参加したけど、まだ実践できないの~”などと言っていた。ちょっと、不安がよぎる・・・(実践的ではないのか~??)時間になって、会場の「あすてっぷKOBE」館長の挨拶のあと、講師の平松みどりさんについて、教え子らしき女性からの狂信的な紹介があった。とにかく、輝かしい経歴を興奮気味に語っていき、現在は神戸を中心に大活躍されている話まで延々。そのあと、ご本人の登場。紹介を聞いていて、70数年を振り返って懐かしんでいたようですが、当人はプロフィールにはこだわらず、今が大事だと考えている、とのことだった。ちょっと好感。わりとすぐに本題に入ったように思う。以下、レジュメと、聞き書きを絡めて書いていきます。 * * * * * * * * * * * *第1回 攻撃的でない自己表現を~三つの表現~ アグレッシブでないアサーションを「アサーション」の基本は、相手の人権を大事にすると同じに、自分の人権を大事にすること。「人間尊重」が根底にあり、どのような自分も、相手も、どのような性格や環境であろうと、存在していいんだ、と認めること。これが、コミュニケーションをベターにする。つまり「アサーション」の目標は、自分らしく生きる、操作されない、自分の人生は自分の責任、ということ。〔自己表現とは〕A.自己表現の源流1.行動療法(精神療法の一つ)のなかで開発 対人関係が下手な人や苦手な人のためのカウンセリングの方法として実施 (1950年代に盛んに)はじめは、精神病院で広まった。自己表現がうまくできず、自己表現が歪み、自分や人を傷つけ、社会からレッテル貼られた患者に、行動療法を施す。自分を表現できないために、体や気分に出て、医者にかかることになるという見方。2.人権拡張・差別撤廃運動 ~キング牧師(1968年暗殺)の影響=アサーションをすすめていた(←サラッと)3.効果的・積極的な人間関係の促進(1970年代) 特に女性の地位向上と機会均等の確保(ウーマンリブ運動)70年代の教育・文化は、自分の気持ちを主張するよりは、嫁ぎ先に従うべき、耐えることが美徳だった。平松さんも、アサーションは自分には合わないと思ったことがあるが、それは当時、ピンクのヘルメットかぶって、産む権利・産まない権利、とやってるグループがあり、何もヘルメットかぶらなくても…と思った。アサーションは、キャリアウーマンなど、パーッとやる人のものだと思った。ところが、留学先のカリフォルニア・エサレンの研究所で学んだものは、日本と全く違っていて、“決して相手を攻撃しない、自分の気持ちを伝える”というものだった。たとえば、相手に批難されたとき、「なんで~するの?」とは言わない。アサーションは、批難されたとき、批難し返さない。勝ち負けなし。“あなたはこういう気持ちなのね、でも言われてわたしはとても悲しいわ”と、相手も自分も腑に落ちる人間関係。アサーションを勉強してもしても、「自己主張=何でも言えばいい」と取る人がいるが、それは違う。現代では、女性の問題だけではない。男性の問題でもある。企業で、上司に言うと昇進しない。男性社会でも、ここ10年ぐらい、アサーションの勉強がなされている。自衛隊の人に講義をした。いまは、上官の人にアサーションを。人とのかかわりなくしては生きていけない。短時間で収まるように。上手にいえると、とんなに気持ちよく床につけるか。B.自己表現の三つのタイプ ~学ぶのは、積極的技法。1.攻撃的自己表現 ⇒勝ち負けになる。時として責任転嫁する。 負けることが嫌いで、他の人の配慮に欠け、勝ちたい心 強がり、操作的、支配的、一方的、責任転嫁、自分本位相手の立場を少し低く見る、「なんでできないの?」とか。自分と同じように横に並んでいない。わたしはOK、でもあなたはダメ。 ⇒相手は、萎縮して自分の気持ちを出せなくなる、もしくは、攻撃してくる。2.非主張的自己表現 自分よりも相手を優先させ、自分のことは後回しにする心 消極的、引っ込み思案、承認を期待、相手まかせ、服従的表現しない。おとなしく、奥ゆかしく、やりやすい人に見える。承認を得ないとやれない。 ⇒こういう人といると確かに和むが、 続くと、どう思ってるのかわからない、意見を言って欲しい、と相手をイライラさせる。アサーションが始まった当初は、“攻撃的になってもいいから言いましょう”というムードだった。しかし、自分は、正しい表現方法を、スタートから身につけたほうがいいと思っていた。(ここで受講生に質問)「あなたは、何か刺激があったとき、攻撃的・非主張的のどちらが多いでしょう?」両方もっているが。(受講生に挙手させる) ・心の中の感情を出さずに相手に従っている =このほうが、わたしがガマンしたほうが、うまくいくと思っちゃう。⇒感情が残る ・ガマンしないで言う両方の表現を統合することが必要。調和をはかって、アサーションができたら嬉しい。スキルは追々。3.積極的自己表現(アサーション)自分も相手も大切にする心=相手の立場を是認する(従ってしまう)ことではない。肯定的に受容すること。 ⇒わたしは~なのよ、と言える。正直、率直、調和、柔軟性がないとできない。相手をつい評価したくなるが、相手が自分と同じ価値観をもつ必要はない。 ⇒たとえば、違う価値観だとして、じゃあどのようにしてそう思うようになったの? とコミュニケーションがすすむ。「大切にされている」 =自分の願望をすべて受け入れてくれる、ということではない。 言ったとおりに是認することではない。 是認していなくても大切にされている、と思わなくちゃいけない。「自分だけが自分を大事にする」⇒どこか攻撃的に。「わたしもあなたも大事」 ↓ ↓ ↓レポ後編『C.自他共に肯定的構えを目指す』へ、つづく。。。
June 9, 2006
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本日、2つめの記事です。つれづれなるままに・・・◎おとついと昨日は、「ハートをつなごう」ご出演者のお二人から、コメントをいただいて、ものすごくハイテンション♪嬉しいですよね~◎昨日は、午前中、例の、「女性のための自己表現セミナー」(1)に行ってきました。また、レポ書きたいと思います。そのあと、午後は、保育所で一緒だったお友達の送別会をやってました。シンガポールへ転勤とのこと、うらやましいぃ~そんなこんなで、朝も早起き(6時すぎ)して、洗濯して干して、電車に揺られて、坂道歩いて、暑かったし、なんだかとっても疲れてしまい、晩ご飯は超手抜き。→アスパラのベーコン巻き、市販ピザにフランクフルトスライスのせなのに、夜遅くまで、パソコンやって、テレビ(ほんじゃに!とオーラ)見てて、そのうち、眠たいのに気づき、寝ました・・・ボケてます。。。気を取り直して・・・関ジャニ∞のNEWシングル「∞SAKAおばちゃんROCK/大阪ロマネスク」発売で、テレビでもちょこちょこ、地味~に取り上げられてましたね♪それとアレ、予約しましたよ。(↑コレ、買ってヘンのに~)6/28 発売「DVD KAT-TUN・関ジャニ∞/DREAM BOYS 」(←コチラ、<送料無料>)楽しみです♪(もっと安くならんのんか?)◎さて、今日、6月8日。わたしは、5年前の付属池田小事件を忘れることができません。あの事件のとき、わたしは下の子を2日前に出産し、そばにある病院にいたのです。あのときの、病院内の異常事態と、その後にTVで見た惨状と、ヘリや救急車の音と…5年経っても、昨日のことのように記憶が蘇ってきます。近くの別の小学校に通っていた上の子が無事であったこと(はじめ、どこの小学校かわからなかった)を知って、安堵とともに、そう感じることへの罪悪感を感じたし、出産後すぐということもあり、医師が各産婦を気遣って回っていたのも、危機感を感じさせたし、妙に緊張していたのを覚えています。のちに、その病院で、手当ての甲斐なく亡くなられた児童のこと、看護師の精神的疲労など知り、戦場さながらの状況に戦慄を覚えたものです。書きながら、ドキドキしています。。。死刑が執行されて、事件は終わったかのようになっていますが、遺族、関係者にとっては、事件がはじまりなんですよね(←それ、「クロサギ」)。わたしは、まったく面識も接点も何もないのですが、近くで事件を感じていた人間として、決して過去のことにはできない気がしています。亡くなられた皆さまのたましいが、美しい場所にあって、再生を待っていることを信じて、心から祈りたい気持ちです。◎秋田の事件・・・なんででしょう、ワイドショーの報道が気になって仕方がありません。野次馬根性では片付けられないというか・・・現状、死体遺棄容疑の容疑者について、その母親失格ぶりが報道されていますが、とても他人事には思えないのです・・・わたしだって、上の子の小さいとき、離婚もしたし、虐待もした。事件になって、明るみに出たから、やいのやいの言われてるけど、同じように、「理想の母」になることを願いつつも、できなくて逆の行動をしてしまう、という母は、いくらでもいると思う。いまでも、下の子には、ヒドイこと、してるし。。。そこまではしてへんけど、と思うこともあるけど、容疑者と自分とは大差ないと思う。彩香ちゃんも、自宅で虐待の末亡くなって、捨てた可能性も視野にいれて、と推理する元警察官の話を聞いて、そうかもしれない、とも思いましたが、できれば、裏づけがないことを祈っています。大好きだったお母さんに殺されるなんて、そんな哀しいことであってほしくない。わたしも、衝動的に、ということもあるけど(ヤバっ)どんなに怒っても、ニコニコ笑って見つめてくるのをウザいと思いつつ、そんなにわたしのこと好きなの?こんな酷くても?と思うと、気持ちが落ち着いてくる。小さい人が犠牲になる事件、もうなくなってほしい。・・・と、たわごとをほざいてみました。あ、「偽花」エライこっちゃになってますなぁ~泉くん、愛のためとはいえ、子どもを残して逝くなんて~無念じゃないの~?回想シーンでいいから、またみんなを和ませてください。お疲れさまでした!(ライダーは対決せず、対話してましたな・・・残念??)
June 8, 2006
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