全50件 (50件中 1-50件目)
1
今夜もこんばんはですにゃ~ はいっ!「火曜日の男」、"ちょび"ですにゃ~一昨日は昨日は"松"君がピミアナカスの急な階段を紹介しましたが、アンコール遺跡群にはまだまだ厳しい階段があるんです。最初は1週間前に吾輩が紹介したアンコール・ワットです。このあまりにも有名な遺跡は回廊が3つあります。最初の第1回廊と次の第2回廊までは良いのですが‥問題は第3回廊、ここへ辿り着くにはめちゃくちゃ急な石段をよじ登らなければいけません。その高さはこの地域ではここより高い建物を建てることは禁止されているという13メートル、手足をフルに使わないと登ることができません。上の写真が「中央祠堂」、頑張ればこの下まで行くことができます。ここまで登るルートは2つ、東側の石段と南側の石段です。4つある石段のうちこの2つが使えました(現在はどうでしょうか?)。南側の石段は簡易的な手すりが付いていますが、通常はめちゃくちゃ混んでいて順番待ちが大変です。東側の石段は比較的空いていますが、手すりも何もありません‥ ご主人様は東側の石段から登って南側の石段から降りたそうです。どちらもかなりキツイので諦める人も多いようです。それでも頑張って登ると下にはないような綺麗なデバターや360度のパノラマを楽しむことができます~しかし、それより凄い階段があるんです。それは、プノン・バケンです!ここの石段は10メートル、アンコール・ワットより低いのですが、ここに辿り着くまでは1キロ近くあると思われる坂道をよじ登らなければいけません。ここは石段ではなく土の坂道なのですが、問題はその角度です。ここも手足をフルに使わないと登ることができません。この坂道をやっと登りきったと思ったら最後に10メートルの急な石段、これは堪えます‥それでも頑張った人へのご褒美は、広大な人造湖の「西メボン」の向こうに沈む夕日です。ご主人様が頑張ったときは曇り空で残念でしたにゃ~ (昔のカンボジア人の体力って‥ 今夜も応援よろしくお願いいたしますにゃ~)
2011.02.08
コメント(10)
皆様、こんばんはですにゃ~ 最近よく登場する"松"です。今朝もヨンミョンさんと会いましたよ~ボクもアンコール遺跡群、今夜はアンコール・トムのお話しをしたいと思います。何日か前にもお話ししたアンコール・トムの中心はバイヨン寺院ですが、ボクはその北側の遺跡をいくつか紹介します。まずはピミアナカス、この言葉は「天上の宮殿」、「空中楼閣」という意味です。写真を見ていただければ分かりますが、ものすごく急な階段ですよね。手を使わなければ登れないくらいです。足を踏み外して転げ落ちたら確実に怪我、運が悪ければ死の危険性もあるくらいです。ここに限らず、アンコール遺跡の階段はどこも急です。アンコール・ワットの中央祠堂に登る階段もここより急なくらいでした。この遺跡は11世紀初頭にスールヤヴァルマン1世が建立しました。ピラミッド型でラテライトで3層に積み上げられ、祠堂が上に乗っている建物です。その中央塔には9つの頭を持ったナーガ(蛇神)が宿っていて女性に姿を変え、王は夜な夜な女性(ナーガ)と交わらなければならず、もしこの行為を怠れば王は早死にすると信じられていたという伝説があります。次の写真はバプーオンです。この遺跡の参道は、装飾の施された円柱の上に敷石が並んでいる「空中参道」というものです。この遺跡は、ウダヤーティディヤヴァルマン2世によって建てられたと推測されています。バプーオンとは「隠し子」という意味だそうです。シャム(現在のタイ)との戦争の際に王妃が自分の子供をこの寺院に隠したところから付いた名前だそうです。ヨンミョンさんが行ったときには修復工事中で、登ることが出来ないどころか中に入ることもできませんでした。これらの遺跡はかつての王宮の近くにあります。肝心の王宮は木造だったため残っていませんが、周辺の遺跡はそれなりに残っています。「象のテラス」、「プリア・ピトゥ」、「ライ王のテラス」などの見所が満載です~(じっくり見ると丸1日かかります。今夜も応援よろしくお願いいたしますにゃ~)
2011.02.07
コメント(12)
本日もこんにちはですにゃ~ 輪島の"エトランゼ"です。皆様、お変わりはございませんでしょうか?今日のヨンミョンさんは職場の近くの老人ホームでの慰問演奏、最近の影練はこのためだったんですね~1時間近くで計9曲、くたびれたオヤジの肉体には堪えたようです‥あとは来月の定期演奏会に向けて一直線ですにゃ~吹研の方は昨夜の練習には14人が参加、「ウィーアー!」、「不思議の国のアリス」、「J-BEST10」の3曲を合わせてみたそうです。さて、今月後半から始まる予定の「扶余シリーズ」までのつなぎで始まった「東南アジアシリーズ」ですが、ヨンミョンさんはカンボジアのお話しには特に力が入るみたいですね。本日もカンボジアのお話しでご勘弁を‥写真の塔門はタ・プローム遺跡の塔門です。タ・プロームとは「梵天の古老」を意味し(難しいですね‥)、ジャヤバルマン7世が12世紀に自分の母のために建てたといわれている仏教寺院で、後にヒンドゥー教寺院に改修されたと考えられています。この遺跡は自然の驚異を感じさせるため、わざと発見当初の姿に近い状態で公開されています。長年放置されていた遺跡にはジャングルの樹木、スポアン(ガジュマルの一種)が絡みつき、成長するに従って遺跡は完全に覆い尽くされました。修復を担当したインド政府は修復計画を発表したのですが、熱帯の巨大な樹木は遺跡を破壊しているのか、それともいまや遺跡を支えているのかという議論が沸き起こりました。「タ・プロームから巨木を切り払い、崩れている石材を元に戻した場合、この遺跡の魅力はなくなってしまうのではないのだろうか」という声もあるのですが、このまま放っておけば、遺跡は跡形もなく崩れ去ってしまうと思われるのですが‥現在も、この遺跡の修復方針をめぐってユネスコを中心とした活発な議論が継続中だそうです。このことが上の写真のような景観を生み出し、そのおかげで映画の「トゥーム・レイダー」と「トゥー・ブラザーズ」のロケ地になりました。「天空の城ラピュタ」のモデルとなったことでも有名ですにゃ~このお話しは以前もしましたね‥この遺跡は昨日"アカ"君が紹介した「スラ・スラン」の西、「アンコール・トム」に行く途中にあります~(「カンボジアシリーズ」はもう少し続きます。応援よろしくお願いいたしますにゃ~)
2011.02.06
コメント(8)
こんにちはですにゃ~ 能登の"アカ"です~ボクが住んでいる能登も積もった雪が融けてきました。それでもヨンミョン家の庭では屋根の下にはまだ屋根に届きそうなくらい雪が積もっているそうですが‥ところで、旧暦でお正月を祝う中国や韓国でも新しい年が明けたそうですね。これで地球中が新年ですにゃ~何日か前に「ヤホー」で見たのですが、ベトナムという国では今年の干支は「猫年」だそうです。ボクもベトナム生まれだったら年男ですね!(なんか違いますよね‥)ベトナムでは卯(ウサギ)は食材としてのイメージが強いそうです‥それにしても干支で4番目とはベトナムの猫もたいしたものです。日本では子(ネズミ)に騙されて違う日を教えられて干支の順番を決めるレースに参加できず、それを恨んで子(ネズミ)を追いかけるようになったとか。中国や韓国、日本の猫はお人好し(お猫好し?)のようですにゃ~本日は海外旅行のお話しはお休みして、休日のヨンミョンさんの独り言をお届けしたいと思います。昨日の夕方、サービス残業をしているヨンミョンさんに課長が‥今月の21日から町の「地域包括支援センター」との兼務を言い渡されたそうです。「地域包括支援センター」とは、市区町村に設置されるよう介護保険法で定められていて、地域住民の保健・福祉・医療の向上、虐待防止、介護予防マネジメントなどを総合的に行う機関のことです。センターには、保健師、主任ケアマネジャー、社会福祉士の3職種が置かれていて、それぞれの専門性を生かして相互連携しながら業務にあたります。ヨンミョンさんは主に困難事例や虐待防止、権利擁護を担当することになりそうです。実はヨンミョンさんは町にセンターが設置された平成18年度にも兼務していたそうです。その時は9割はセンター、1割が介護保険担当だったそうですが、今回は半々になりそうです。少なくとも3月いっぱいまでは忙しくなりそうです~それにも負けず、ヨンミョンさんはこれから吹研の影練、夜は通常の練習にも出席する予定だそうです~オマケの画像はとりあえずカンボジア、ヨンミョンさんが「世界最大のお風呂」と呼んでいるスラ・スランです。スラ・スランは「水浴の池」という意味で、ジャヤヴァルマン7世の沐浴場として造られました。この遺跡はシェムリアップから昨日紹介したバンテアイ・スレイに向かう途中にあります。バンテアイ・クディという遺跡の東に位置していて、東西700メートル、南北350メートルもの大きさです。周囲には石段が設けられていて、西側には砂岩のテラスがあります。(今は地元の子どものプールです。本日も応援よろしくお願いいたしますにゃ~)
2011.02.05
コメント(10)
こんばんはですにゃ~ "福"です。今日は立春、おめでたい名前のワシの登場です~ワシも吹研のお話しから‥昨夜の練習はわずか7人、個人練習だけで終わったそうです‥ ヨンミョンさんは今夜も影練、最近は熱心ですにゃ~次は昨夜の続き、アンコール遺跡群のバンテアイ・スレイです!ここのレリーフは他の遺跡のレリーフと比べると彫が深く精巧です。美しいレリーフはヒンドゥー教の神話をモチーフにしたものが多いんです~まずはナラシンハに変身したヴィシュヌ神がアスラ(阿修羅王)殺そうとしてを組み伏しているレリーフです。ナラシンハは、獅子の頭と人間の身体を持つヴィシュヌ神の化身のひとつです。ヴィシュヌ神の妻、ラクシュミーが象の聖水で身を清めているレリーフです。ラクシュミーの下にいるのが、ガルーダです。ガルーダは、ヒンドゥー教の聖なる鳥で、不死鳥とされています。最後は踊るシヴァ神のレリーフです。シヴァ神は、破壊を司る神で凶暴なイメージですが、同時に恩恵をもたらす神として人々に親しまれています。他にもナーガやカーラなどの神話に出てくるキャラクターが盛りだくさん、デバターもあって目を楽しませてくれます。この遺跡のいたるところにこのようなレリーフがあって何時間見ていても飽きません。ヒンドゥー教の基礎知識があるとめちゃくちゃ楽しめます~(明日も頑張って吹研の練習です! 今夜も応援よろしくお願いいたしますにゃ~)
2011.02.04
コメント(2)
今夜もこんばんはですにゃ~ "ももちゃん2号"です。ボクはヨンミョンさんの奥様の実家の猫なんです。昨夜は予想どおりヨンミョンさんは午前様だったようですね…吹研の「影連」もサボリですにゃ~今夜はボクが「アンコール遺跡群」の中でも異彩を放つバンテアイ・スレイを紹介したいと思います。バンテアイ・スレイはアンコール・ワットの北東部に位置するヒンドゥー教の寺院遺跡です。「バンテアイ」は「砦」、「スレイ」は「女」の意味で、「女の砦」ということらしいです。この遺跡は大部分が赤い砂岩で建造されています。規模は他の遺跡と比べると小さめですが、精巧で深くほられた美しい彫刻が全面に施されています。保存状態もなかなかのものです。こうしたことから観光客には大変な人気があり、「アンコール美術の至宝」などと賞賛されています。中でもデバターの彫像は「東洋のモナリザ」とも呼ばれているんです。この遺跡は年代がはっきりしていて着工は967年という記録があるそうです。建立は近くの土地を領し王師を務めていたヤジュニャヴラーハが行いました。ラージェンドラヴァルマン王が臨席する下で着工式が行われ、息子のジャヤーヴァルマン5世の代に完成したそうです。アンコール朝の衰退に伴い忘れ去られていたのですが、1914年に再発見されました。1923年にはフランス人のアンドレ・マルローがデバター像を盗み出して逮捕され、マルローは後にこの体験を基に小説「王道」を記しています。この事件が注目を集め、この遺跡が世界的に有名な遺跡となり、カンボジアの情勢が安定した今日、世界中から観光客が訪れています。この遺跡は東を正面としていて、外周壁の塔門をくぐると75メートルの参道があります。参道を進むと、第一周壁とその塔門に着きます。ラテライトで築かれた周壁は南北94メートル、東西109メートルあって濠を囲んでいます。濠といっても浅~い濠で、ヨンミョンさんが行ったときには綺麗な睡蓮が咲いていたそうです。塔門をくぐり土を盛った橋を渡ると、第二周壁とその塔門があり、正面に祠が見えてきます。美しい彫刻の紹介は明日ということで…(今夜は影じゃない練習です。今夜も応援よろしくお願いいたしますにゃ~)
2011.02.03
コメント(12)
こんばんはですにゃ~ お久しぶりの"マート"です。ヨンミョンさんは今夜も介護認定審査会みたいですね。ヨンミョンさんは今朝は書きかけの日記をアップしてしまったそうで、seoulmikiさんや麦菜さんに迷惑をかけてしまったそうです。相変わらずドジですね~ お話しは昨日からカンボジアになっているそうですが、今月半ばの扶余旅行までは過去の写真の使い回し、こんな感じでご勘弁を…昨日のアンコール・ワットに続いて今夜はアンコール・トムです。アンコール・トムは、アンコール・ワット寺院の北に位置する城砦都市遺跡です。12世紀後半、ジャヤーヴァルマン7世によって建設されたといわれています。アンコール・ワットが建設された後ですにゃ~昨日は言い忘れましたが、この辺りの遺跡はすべて「アンコール遺跡群」として世界遺産に登録されています(知っていますよね~)。「アンコール」は、サンスクリット語の「ナガラ(都市)」からでた言葉で、「トム」は、クメール語で「大きい」という意味です。つまり、「大きい都市」という意味です。その名のとおり、昨日紹介したアンコール・ワットの約4倍の面積があり、一辺が3キロの堀と、ラテライトで作られた8メートルの高さの城壁で囲まれています。外部とは南大門、北大門、西大門、死者の門、勝利の門の5つの城門でつながっています。各城門はそれぞれが塔になっていて、東西南北の四面に観世音菩薩の彫刻が施されています。また、正門の南大門から堀を結ぶ橋の欄干には「乳海攪拌」を模したナーガになっています。またこのナーガを引っ張るアスラ(阿修羅)と神々の像も並んでいます。アンコール・トムの中央には、バイヨンという遺跡があります。その周囲にも象のテラスやライ王のテラス、プレア・ピトゥなどの遺跡も残っていて見所満載です。バイヨンといっても氷川きよしのバイヨンとは関係はありません。念のため…(今夜も午前様でしょうか… 本日も応援よろしくお願いいたしますにゃ~)
2011.02.02
コメント(12)
今夜もこんばんはですにゃ~ "ちょび"です。吾輩の1周忌まであと2週間ちょっとですにゃ~能登の雪はようやく小休止、積もった雪も少し減ったみたいです。昨日の「南の島シリーズ」が良かったのでしょうか?さて、今夜からは「カンボジアシリーズ」です。まずは、カンボジアといえばココ!アンコール・ワットですにゃ~ここは6年ちょっと前にご主人様が訪れたところです。ご主人様がまだかろうじて30代だった頃ですにゃ~アンコールとはサンスクリット語で「王都」、クメール語でワットは「寺院」を意味します。大伽藍と美しい彫刻からクメール建築の傑作と称えられています。カンボジア国旗の中央にも国の象徴として描かれているんです。この遺跡は12世紀前半、アンコール王朝のスーリヤヴァルマン2世によって、ヒンドゥー教寺院として30年以上の歳月を費やして建立されました。その後16世紀の後半に仏教寺院に変わったそうです。伽藍は主に砂岩とラテライトで築かれ、境内は東西1,500メートル、南北1,300メートル、幅200メートルの濠で囲まれています。珍しく西を正面としているので観光するのは午後がオススメですにゃ~そして何よりもこの遺跡を有名にしたのは、回廊の精緻な浮き彫りです。遺跡の規模では近くにある「アンコール・トム」に及びませんが、材質の良さや浮き彫りの精巧さではこちらの方が上ではないでしょうか。ご主人様は頑張って尖塔のすぐ下まで頑張って登ったそうです。ご主人様曰く「アンコール・ワットは若いうちに行け!」だそうです~(カンボジアシリーズはしばらく続きます。今夜も応援よろしくお願いいたしますにゃ~)
2011.02.01
コメント(8)
こんにちはですにゃ~ ご主人様は今夜は介護認定審査会だそうです。だから早い更新ですにゃ~(しかもいつも以上の「手抜き」です‥)さて、今日の「お寺シリーズ」は‥カンボジアのアンコール遺跡群、有名なアンコール・ワットの向かいの山頂にあるプノン・バケンです。この寺院は約1,100年前に創建されたヒンドゥー教の寺院で、その名もプノン・バケン山の山頂に建っています。この山はアンコール三聖山のひとつで、高さ約65メートルの丘を登っていくとピラミッド状の遺跡プノン・バケンがあります。一直線に徒歩で登るか、象に乗って登っていくことができます。ここは夕陽に照らされるアンコール・ワットを見下ろす絶景スポットとしても有名です。象の背中に乗って登るのは有料、貧乏なご主人様は徒歩で登山したそうです(けっこうキツかったらしいですにゃ~)。この寺院は、ヤショヴァルマン一世が築いた第一次ヤショダラプラ都城の中心寺院として建設されました。山上寺院の建築様式はバケン様式と呼ばれているそうです。同様式はプノム・クロム、プノム・ボックの他のアンコール三聖山にも見られます。かつては山上の寺院と丘のふもとを結ぶラテライトの長く急な階段が、東西南北の四方向に作られていたそうです。現在は、ご主人様も登ったアンコール・ワットの正面、東側の参道跡が観光客にとってのメインストリートになっていますが、階段は全て失われ岩肌が露出した悪路です。北側参道の階段はアンコール・トムの南側にあり、勾配が緩やかなため象に乗って登れます。ちなみに西側と南側の階段は消失してしまっています。(明日はシリーズ最終回です。今日もよろしくお願いいたしますにゃ~)
2010.01.27
コメント(8)
今夜もこんばんはですにゃ~ 結局、吾輩に京都のお土産はありませんでした‥ 「新・京都シリーズ」が見られる日も近いですにゃ~それまでは全国の受験生のために始めた「お寺シリーズ」です。あと4日ほどお付き合い願います。今夜紹介するのはカンボジアのアンコール遺跡、バンテアイ・スレイです。バンテアイは「砦」、スレイは「女」という意味だそうです。しかもこの遺跡はシェムリアップの街から北東に約40キロ、車で片道1時間もかかります。他の有名な遺跡と比べると極端に遠いのです。ご主人様がそこまでして見に行った理由は‥この「東洋のモナリザ」と呼ばれるレリーフがあるからです。いくら女好きなご主人様でも「女の砦」という名前だけでは行かなかったでしょう。この遺跡は今から1,000年以上も前の967年に、ラージェンドラヴァルマン王が臨席する下で着工式が行われ、息子のジャヤーヴァルマン5世の代に完成したヒンドゥー教の寺院です。建立は、近くの土地を領し王師を務めていたヤジュニャヴラーハが行ったと伝えられています。アンコール朝の衰退に伴い忘れ去られていましたが、1914年に再発見され、1923年にはフランス人のアンドレ・マルローがデバター像を盗み出して逮捕され、注目を集めました。マルローは後にこの体験を小説「王道」に記しています。このことによりこの寺院のデバター像が「東洋のモナリザ」と称され注目を集め、カンボジアの安定に伴って多くの観光客が訪れることとなりました。ご主人様は車で行ったそうですが、途中で何台ものバイタクを追い越したそうです。勇気はあるけどお金のない欧米人の多くはバイタクでこの遺跡に向かうようですが、治安が良くなったとは言っても安全をお金で買う方をオススメします。このお寺の参道は約75メートル、第一塔門の周壁の濠は約100メートル四方、その内側に第二、第三周壁とそれぞれの塔門があり、その中に中央祀堂や経蔵があります。その破風のレリーフはヒンドゥー教の神話が精密かつ立体的に彫られています。遠近法を多用したことにより、あまり規模の大きくない寺院が実際以上に大きく感じます。砂岩には赤色、緑色、灰色の3色があるようですが、アンコール遺跡群ではほとんどが灰色砂岩の建物です。赤色砂岩を基調として造られている遺跡は珍しく、そんなこともあって、バンテアイ・スレイは赤色砂岩の建物として最も有名です。話は変わりますが、今週末のご主人様のソウル旅行では、とらのこどもさんやseoulmikiさんとのオフ会が開催される見込みだそうです。ご主人様は楽しみにしているようですにゃ~(そんなに浮かれていて良いのでしょうか? 今夜もよろしくお願いいたしますにゃ~)
2010.01.25
コメント(12)
こんばんはですにゃ~ ご主人様と奥様が今夜の吹研の練習から戻りました。今夜もいつもの「ニュー・イヤー・マーチ」と、久しぶりに「キャンディード序曲」の譜読みだったそうです。第23回の定期演奏会まであと2ヶ月、そろそろ気合を入れないと‥さて、全国の受験生に御利益を!の「お寺シリーズ」ですが、今夜はカンボジアに戻ります。写真はタ・プローム遺跡の塔門です。この遺跡は映画「トゥーム・レイダー」のロケ地、アニメ「天空の城ラピュタ」のモデルとなったことで知られています。今度の吹研の定期演奏会で「天空の城ラピュタ」のテーマ「君を乗せて」も候補曲になっているんです。実はこの曲、ご主人様の結婚式のキャンドルサービスの際に(もう21年も前のお話しですにゃ~)、吹研が生演奏した曲だそうです。この寺院の名前、タ・プロームとは「梵天の古老」を意味しているそうで、ジャヤバルマン7世が母のために建てた仏教寺院と言われています。この遺跡は発見当初の姿に近い状態にされています。長年放置されていた遺跡にはジャングルの樹木、スポアン(ガジュマルの一種)が絡みつき、成長するに従って遺跡は完全に覆い尽くされました。自然の驚異をまざまざと感じさせられる寺院です。日本でも「ど根性大根」とかがテレビで放映されていた時期がありましたが、そんなものではありません‥こんな光景がいたるところで見ることができますが、当時は約5,000人の僧侶と615人の踊り子が住んでいたそうです。凄い人口密度ですにゃ~(ここへはガイドさんと運転手さんを個人で雇って行きました。よろしくお願いいたしますにゃ~)
2010.01.21
コメント(16)
今夜もこんばんはですにゃ~ 最近は同じような吾輩の写真が続いています。いつもファンヒーターの前で寝ているだけなのでしかたがないですにゃ~さて、今夜もアンコール・ワットの紹介です。このお寺を1回で終わらすのはもったいないですにゃ~この寺院は1972年、クメール・ルージュによって破壊されたそうです。この時に多くの奉納仏は首を撥ねられて砕かれ、敷石にされたそうです。1979年にクメール・ルージュが政権を追われると、彼らはこの地に落ち延びて来ました。アンコール・ワットは純粋な宗教施設であったのですが、この寺院の造りは周囲を堀と城壁に囲まれ、中央には楼閣があり周りを見下ろすことが出来るため城郭と言って良く、陣地を置くには最適でした。さらに、カンボジアにとって最大の文化遺産なので、攻める側も重火器を使用するのはためらうだろうと考えられクメール・ルージュの陣地にされました。現在は修復されていますが、当時置かれた砲台の跡が最近まで確認できたそうです。クメール・ルージュは共産主義勢力であり、祠堂の各所に置かれた仏像がさらなる破壊を受けました。内戦で受けた弾痕も、修復されつつありますが、一部にはまだ残っています。この寺院は珍しく西を正面としているので、午前に写真を撮ると逆光になります。行かれる方は午後に行かれる方がオススメです。しかし、日の出も美しいそうですので早朝に訪れるのも良いかもしれません。(皆様のお力を全国の受験生に! 今夜もよろしくお願いいたしますにゃ~)
2010.01.19
コメント(8)
皆様、こんばんはですにゃ~ センター試験が終了しても続く「お寺シリーズ」です~試験本番が終わってからメインを持ってくるあたり、本当に間の悪いご主人様です。そのメインとは‥ご存知、アンコール・ワットです。ご主人様が一番お気に入りのお寺ですにゃ~以前も書きましたが、アンコールとは「都」、ワットは「お寺」を意味します。東西1500メートル、南北1300メートルもの大伽藍と美しい彫刻からクメール建築の傑作と称えられ、カンボジア国旗の中央にも同国の象徴として描かれています。実はこの国旗、アンコール遺跡が世界遺産に登録されたのが1992年、この寺院の祠堂を描いたカンボジア国旗が制定されたのが1993年なんです。つまりカンボジア国旗にアンコール・ワットが描かれたのは世界遺産に登録された後だったのですにゃ~このお寺の歴史は12世紀の前半、アンコール王朝のスールヤヴァルマン2世によって、ヒンドゥー教の寺院として30年余の歳月を費やし建立されました。1431年にアンコールが放棄されプノンペンに王都が遷ると、一時は忘れ去られますが再発見され、アンチェン1世は1546年から1564年の間に未完成であった第一回廊北面とその付近に彫刻を施しました。孫のソタ-王は仏教寺院へと改修し、本堂に安置されていたヴィシュヌ神を4体の仏像に置き換えたそうです。16世紀から17世紀にかけて、海外からも多くの参拝客が訪れ、日本人の森本右近太夫一房が参拝した際に壁面へ残した墨書には、「御堂を志し数千里の海上を渡り」「ここに仏四体を奉るものなり」と書いたのは有名です。それからまた忘れ去られていたのですが、1860年に寺院を訪れたフランス人のアンリ・ムーオが紹介したことによって西欧と世界に広く知らされました。(受験生の皆さん、まだまだ諦めずに頑張ってください。よろしくお願いいたしますにゃ~)
2010.01.18
コメント(8)
(まずは応援ポチッとお願いしますにゃ~!) 今夜の更新は遅くなりましたにゃ~ これには深いわけがあるのですが‥ 本日はご主人様と奥様は夕方から町の商工祭のイベントで演奏していたそうです。どおりで夕方の家は静かでしたにゃ~で、演奏終了後は毎年恒例の"松茸パーティー"です。吹研の恒例行事らしいですにゃ~肝心の演奏の出来は野暮なことは言いっこ無しということで‥さぁ、今夜で最終回のカンボジアシリーズですアンコール遺跡群を巡る旅の拠点となるのがシェムリアップの街です。この街はカンボジアの国道6号線沿いにシェムリアップ川を挟んで広がる人口約6万人の小さな街です。これでもシェムリアップ州の州都だそうで、街のほぼ中心にはオールドマーケットがあります。ということはニューマーケットもあるのですが、観光客に支持されているのが写真のオールドマーケットなのです。いろんなものを売っているのですが、ご主人様はここを3時間近くもうろついて、結局何も買わなかったそうです。シェムリアップ川に架かる橋の袂に腰掛け、現地の人が網で魚を獲るのをボーッと眺めていたそうです。そして、ガイドさんオススメ(リベートがもらえるから)のカンボジアマッサージのお店へ、拷問のようなタイ式マッサージと違って日本のマッサージに近いソフトなもので、部屋もエアコンが効いて涼しく、ご主人様は眠ってしまったそうです。そして、牛の群れが闊歩する国道6号線を西へ、空港に向かったそうです。こんなプロペラ機でタイのバンコクへ、空港では徒歩で滑走路へ、飛行機に直接乗り込みます。このプロペラ機は"バンコクエアウェイズ"、タイからカンボジアまでのアテンダントさんは日本人だったそうです。このキャリアはバンコク~ピサヌロークでも利用しました。路線バスに羽が生えたようなものらしいですが、これと同程度の飛行機には、鹿児島~屋久島でも乗ったそうです。(その後、バンコクで2泊して帰国しました。今日も応援ポチッとお願いしますにゃ~!)
2009.09.20
コメント(8)
(まずは応援ポチッとお願いしますにゃ~!) 皆様、シルバーウイーク初日はいかがでしたかにゃ~ 今夜はいつもの"ちょび"がお届けします。 と言いながら手抜きです~まずは吹研のお話し、明日の商工祭のオープニングの演奏のため、メンバーの一部は午後から高校生と合同で練習、その後、夜は通常の練習です。ほとんど練習していないにもかかわらず、明日は9曲も演奏しなくてはいけません。中には本番で初めて見る楽譜もありそうです。いよいよネタもなくなりつつあるカンボジアシリーズですが、今日は少し変わった遺跡を紹介します。写真は「スラ・スラン」王の沐浴場だった人造湖です。ここにはシェムリアップからバンテアイ・スレイへ向かう途中で寄りました。アンコール・ワットの東側、東メボン遺跡の道を挟んでさらに東側にあります。こんな湖みたいな大きな沐浴場って‥クメールの王様も豪快だったんですね~(次回はシリーズ最終回の予定です。今日も応援ポチッとお願いしますにゃ~!)
2009.09.19
コメント(16)
(まずは応援ポチッとお願いしますにゃ~!) 皆様、お久しぶりですにゃ~ 今夜は"もも"がお届けします。 ボクが知らない間にカンボジアシリーズが始まっていたんですね。義兄の"ちょび"先輩も水臭いですにゃ~さぁ!"もも"がお届けするカンボジアシリーズは一昨日話題になっていたアンコール・ワットの第3回廊へ登る東側の階段です。どうです、この角度。手足をフルに使わないと登ることができません。当時は王族しか登ることができなかったこの階段も、今では毎日多くの観光客が登っています。"水飲み百姓"の"ちょび"先輩のご主人様でも登ることができます。カンボジアの遺跡で怪我をしたというお話しをよく聞きますが、その多くがこの階段での怪我だそうです。そして、"ちょび"先輩のご主人様が降りたのがこの階段、南側の階段です。ここは唯一「手すり」が付いていますが、それでも怖いです。上から見ると本当に急ですにゃ~(「カンボジアは若いうちに行け!」です。今日も応援ポチッとお願いしますにゃ~!)
2009.09.18
コメント(10)
(まずは応援ポチッとお願いしますにゃ~!) 皆様、こんばんはですにゃ~ 今夜は吹研のお話しからです。今夜の練習は8人と少人数ながら、来月4日の「石川県社会人バンドフェスティバル」で演奏する「服部良一コレクション」の練習でした~この曲は懐かしの「東京ブギ」、「蘇州夜曲」、「青い山脈」がメドレーになった曲です。さすがのご主人様も本当に売れていた時は知らないそうです。さて、カンボジアシリーズです。いつまで続くのでしょうか‥今夜もアンコール・ワットです。よく見る「逆さアンコール・ワット」です。聖池の蓮が育ち過ぎていてあまり池に映っていませんにゃ~(当日はこれが精一杯でした)そして、いよいよ内部です。回廊の内部にはいたる所に写真のようなデバター(女神)が彫られています。いったい何体のデバターが彫られているのか、とても数えきれません。写真は第3回廊(だったと思います)のデバターです。皆表情が少しずつ違います。このデバターは当時の女官がモデルになったとも言われています。あっ、そうそう、アンコール・ワットとは「都の寺」という意味だそうです。(ちなみにアンコール・トムは「大きな都」です。今日も応援ポチッとお願いしますにゃ~!)
2009.09.17
コメント(12)
(まずは応援ポチッとお願いしますにゃ~!) 皆様、今夜もこんばんはですにゃ~ 能登は各地で稲刈りが始まり、イカ釣りが昨日から解禁になりました。涼しくなって吾輩もご機嫌ですカンボジアシリーズは昨日からメインのアンコール・ワットのお話しです。ご主人様がここを訪れたのが9月、カンボジアというか、東南アジアは雨季です。東南アジア方面はこの時期は観光に不向きなため、航空券が安くなります。貧乏旅行しかできないご主人様はいつもこの時期です。写真ではほぼ快晴、まさに「アンコール・ワットへの道」ですにゃ~ところが初日はここを通っただけで、アンコール・トム等を見学、バイヨン等の写真は良い天気でしたよね。アンコール・ワットは翌日の午後に見学したそうです。で、当日はこの写真です‥残念ながら曇っています。とは言ってもこのくらいの方が暑くなくて、しかも眩しくなくて良かったそうですが‥(負け惜しみにしか聞えませんにゃ~)東南アジアでは、雨季でも一日中雨が降り続くようなことはあまりありません。スコールが日に何度か降るといった日が多いです。ご主人様はタイやマレーシアではすごいスコールに遭遇したそうですが、カンボジアに滞在中は、曇ることはあっても雨らしい雨には遭わなかったそうです。ご主人様は「日頃の行いが良いから~」なんて言っていますが、それが本当ならタイやマレーシアで酷い目に遭ったのはなぜなのかにゃ~アンコール遺跡群は当然ながら屋外なので、雨だと最悪です。(今日は詳しい解説はお休みです。今日も応援ポチッとお願いしますにゃ~!)
2009.09.16
コメント(12)
(まずは応援ポチッとお願いしますにゃ~!) 今夜もこんばんはですにゃ~ 吾輩は涙目も完治、涼しくなって行動半径が広がりました~家に帰ったときはテーブルの下で‥さて、長く続いたアンコール遺跡群、今夜紹介するのは、プノン・バケンです。この遺跡は、プノン・バケン山頂に残るヒンドゥー教の寺院遺跡で、その建設年代は9世紀末だそうです。ヤショヴァルマン一世が築いた第一次ヤショダラプラ都城の中心寺院として建設されました。自然の丘に対して大規模な土木工事を行い、麓の周囲には堀や周壁を作り、山頂部では大規模な造成を行って寺院を作り、また山上にいたる参道を作りました。高さ65メートルの丘の上に六層の基壇をピラミッド型に築き、その上に5つの祠堂があります。中央の祠堂が最も大きいのですが、残念なことに上部は崩落しています。各層の基壇を貫いて東西南北にとても急な階段があり、その両脇には小さな祠が立ち並んでいます。東側の基壇部に登る手前には左右に経蔵があり、西側には合計で10棟のレンガ造りの小さな付属建造物が並んでいますが、どれもかなり崩れています。かつては東西南北の四面それぞれにほぼ同様の付属建築物が立ち並んでいたそうです。山上寺院の建築様式は、バケン様式と呼ばれ、年代とともに砂岩が多用されるようになり、その表面のレリーフも華麗になりました。この様式は、プノン・クロムやプノン・ボックにも見られ、かつては山上の寺院と丘のふもとを結ぶラテライトの長く急な階段が、東西南北の四方向に作られていたそうです。丘を取り囲むように東西650メートル、南北440メートルの環濠と土手もあったそうです。また、丘の周囲にはレンガ作りの寺院が丘を取り巻くように配置されていたそうです。現在は、東側の参道跡は観光客にとってのメインストリートになっていますが、階段は全て失われ岩肌が露出した悪路で、こちらから登ったご主人様は大変な目にあったそうです。この遺跡は有名な夕日見物のスポットで、山頂からはアンコール・ワットのほか、南にプノン・クロム、東にプノン・ボック、北東には遠くプノン・クーレンを望むことができます。めちゃくちゃ大きい人造湖の西メボンの向こうに夕日が沈んでいきます‥(最高の地平線が見られます。今日も応援ポチッとお願いしますにゃ~!)
2009.09.14
コメント(18)
(まずは応援ポチッとお願いしますにゃ~!) 皆様、こんにちはですにゃ~ 今日も吾輩は庭でゴロゴロですにゃ~ ご主人様は、地区の敬老会のお世話だったそうです。朝の送迎のナビに始まり、司会まで‥青壮年団長様は多忙ですにゃ~しかも、午後は20日に行われる「商工祭」で演奏する中高生との合同練習に奥様と‥本当に体が二つほしいくらいです。昨日は「別の遺跡を」と書きましたが、タ・プロームの写真です。この遺跡は、最盛期には当時は約5,000人の僧侶と615人の踊り子が住んでいたそうです。伝説では、ジャヤヴァルマン7世が花嫁探しをしていたがなかなか見つからず、気の毒に思った母親がヴェールを被って恋人のふりをしてこの地で会ってあげていたのですが、それを後で知った王が恥ずかしいのでこの宮殿を創り、母をこの遺跡に閉じ込め口封じをしたというお話もあります。閉じ込めていたといえば、この遺跡も有名です。写真は、アンコール・トムの中にあるパブーオンという遺跡です。パブーオンとは「隠し子」という意味で、こんな謂れがあります。昔、シャム(タイ)王から自分の子をクメール(カンボジア)王に預けたいという申し出があり、クメール王は快く受けたのですが、廷臣たちが「何かの罠に違いない」と疑い、シャム王の子を殺してしまったそうです。それを聞いて知って怒ったシャム王は大量の軍をクメールへ攻め込ませたのですが、この時、クメール王妃が自分の子をこの寺に隠し、守ったので"パブーオン(隠し子)寺院"という名前になったそうです。この遺跡で有名なのが、参道が高さ約2メートルの陸橋で、「空中回廊」と呼ばれていることです。パブーオンを仏教の宇宙観で世界の中央にそびえるという山、須弥山にみたて、参道は地上と須弥山をつなぐ橋「虹のかけ橋」にみたてているそうですが、ご主人様が訪れたときには修復中で入場はできなかったそうです。それにしても「隠し子」でなく「子隠し」じゃないの?と思うのはご主人様だけではないはずです。「隠し子」だと別の意味が‥(どのガイドブックを見ても「隠し子」なんです。今日も応援ポチッとお願いしますにゃ~!)
2009.09.13
コメント(10)
(まずは応援ポチッとお願いしますにゃ~!) こんばんはですにゃ~ 昨日は"ゆき"君に任せてしまった吾輩、"ゆき"君の人気にちょっと嫉妬しています…今夜は変わって、タ・プロームを紹介します。タ・プロームとは「梵天の古老」という意味だそうです。12世紀末に仏教寺院として建立され、後にヒンドゥー教寺院に改修されたと考えられています。創建者はジャヤバルマン七世で母のために建てたと考えられています。長年放置されていた遺跡にはジャングルの樹木、スポアン(ガジュマルの一種といった方がわかりますか?)が絡みつき、成長するに従って遺跡は完全に覆い尽くされました。自然の驚異を感じさせられます。三重の回廊に覆われた遺跡には、文字通り樹木が食い込んでいます。あまりの酷さに修復を担当したインド政府は、タ・プロームの修復計画を発表したそうですが、熱帯の巨大な樹木は遺跡を破壊しているのか、それともいまや遺跡を支えているのかという議論が沸き起こったそうです。遺跡の修復というものは、崩れている石材を積みなおし、失われた部材は補充してかつての姿を取り戻すために、作業を行うそうです。しかし、タ・プロームから巨木を切り払い、崩れている石材を元に戻した場合、この遺跡の魅力はなくなってしまうのではないのだろうか。だがこのままほうっておけば、遺跡は跡形もなく崩れ去ってしまうかもしれない。という議論なんです。現在、この遺跡の修復方針をめぐって、ユネスコを中心とした活発な議論が継続中だそうです。この遺跡、どこかで見たことがと思われた方、映画の「トゥーム・レイダー」か「トゥー・ブラザーズ」を観たことはありませんか?ここではこの2つの映画の撮影が行われたんです。アニメ「天空の城ラピュタ」のモデルにもなりました。ちなみに「もののけ姫」は屋久島、「千と千尋の神隠し」は台湾の久フンがモデルなんですよ。(ロケ地好きがバレてしまいました。今日も応援ポチッとお願いしますにゃ~!)
2009.09.11
コメント(12)
(まずは応援ポチッとお願いしますにゃ~!) 皆様、こんばんはですにゃ~ 吾輩は昨夜、最後の目薬を点されました。もう大丈夫なのにぃ~ご主人様は今夜は仕事から帰ってくると、吹研の練習場の片付けに行きました。なんでも改築工事が始まるとかで、楽器や譜面台、椅子等を出しっぱなしにできないそうです。無事終了し、先程ご帰宅です~昨日予告したとおり、今夜もバンテアイ・スレイのお話しです。この寺院はラテライトと紅い砂岩で築かれていて、東を正面としているのが特徴です。有名な割には規模は小さく、外周壁の塔門をくぐり75メートルの参道を進むと、第一周壁とその塔門に着きます。周壁はラテライトで築かれ南北94メートル、東西109メートルあり、水濠で囲まれています。塔門をくぐり橋を渡ると、第二周壁とその塔門があり、正面に祠が見え始めます。その塔門をくぐると次は左右にリンガが並んだ参道を進み、第三周壁の塔門に入ると、中には刻まれた碑文が見られます。それを抜けると中央祠堂の前室に至り、ここまでの塔門は、中央に近づく程に間口と高さを狭めており、遠近方により狭い寺院を広く見せているんです。前室の左右には経蔵があり、それぞれ東側の偽扉と西側の入口を持ち、三重の破風で飾られています。破風には上の写真のように、ヒンドゥー教の神話が、精密かつ立体的に彫られており、南経蔵の破風では、下段に世界を揺らす悪魔と逃げ惑う動物が、上段に神とその妻が彫られています。昨日も書きましたが、中央神殿の側面 に彫られたデヴァダー像は「東洋のモナリサ」と評されるほどのもので、作家のアンドレ・マルローが盗掘して持ち出そうとして逮捕されてしまったいわくつきの物です。後にその時のエピソードを小説に著したことで注目を集め、この遺跡をより有名にしました。(それでも泥棒は良くないと思います。今日も応援ポチッとお願いしますにゃ~!)
2009.09.09
コメント(10)
(まずは応援ポチッとお願いしますにゃ~!) 今夜もこんばんはですにゃ~ 吾輩は元気いっぱい、家と外を頻繁に出入りしています。反対にご主人様は疲れが溜まってきている様子、先月から土日も行事続きで休んでいないからですにゃ~さて、今日もカンボジアシリーズ、世界遺産のアンコール遺跡群の紹介です。今日は、アンコール・トムを離れてシェムリアップ郊外、北東に約40キロの位置にある、バンテアイ・スレイです。バンテアイとは砦、スレイは女という意味です。つまり「女の砦」という意味で、大部分が赤い砂岩で建造されています。規模は小さいですが、精巧で深くほられた美しい彫刻が全面に施されていて、観光客には大変な人気があります。「アンコール美術の至宝」などと賞賛されてもいます。中でもデヴァターの彫像は「東洋のモナリザ」とも呼ばれているんです。写真の寺院中央の南北に三つ並んだ祠堂と前室は、T字型の基段上に築かれていて、基段上へ登るには、前室の三方と南北祠堂の正面に加え、中央祠堂の背面に階段が有ります。祠堂は全面が彫刻で飾られていて、中央の祠堂には門衛神の「ドヴァラパーラ」が、南北の祠堂には「東洋のモナリザ」と評されるデヴァターの像が柔らかな曲線で彫られ、美しい姿を見せています。(明日はもっと詳しくお話ししたいと思います。今日も応援ポチッとお願いしますにゃ~!)
2009.09.08
コメント(14)
(まずは応援ポチッとお願いしますにゃ~!) 皆様、こんばんはですにゃ~ 吾輩の目はもう完治です。治った途端に吾輩の動きもシャープに、病院で量ってもらった体重も1.1キロ増の5キロと元気一杯です~(中年太りと言わないで~)それでもいまだに奥様は吾輩に無理矢理に目薬を点すんです それでは、本日紹介するカンボジアは‥今日もアンコール・トムの中にあるピミアナカスという遺跡です。この遺跡は王宮跡の隣にあり、建立年代は10世紀末~11世紀初頭と言われています。建立王はラジェンドラヴァルマン、ジャヤヴァルマン5世、スールヤヴァルマン1世で、ヒンドゥー教のピラミッド型寺院です。その大きさは東西35メートル、南北28メートルで、「天上の宮殿」という意味だそうです。ピミアナカスの塔の中には九つの頭を持った蛇の精が宿っていて、その蛇は毎晩女性に姿を変えて王の前に現れ、王は妻と寝る前にまず彼女と交わらなければならなかったそうです。もし、一夜でもこの行為を怠ったら死ぬと信じられていたそうです。(今夜も何とか更新できました。今日も応援ポチッとお願いしますにゃ~!)
2009.09.07
コメント(16)
(まずは応援ポチッとお願いしますにゃ~!) 皆様、今夜もこんばんはですにゃ~ 吾輩の右目をご心配いただきありがとうございます。おかげ様で調子はだいぶ良くなりました。もう大丈夫ですにゃ~それでは、カンボジアシリーズですにゃ~今日もアンコール・トムのバイヨンです。皆様、クメールの微笑みという言葉を聞かれたことはありませんか?本日紹介するのは、その言葉の元となったものです。クメールの微笑みといわれる菩薩像です。バイヨン寺院には四面菩薩がいろんなところにあって、見ごたえあります。こんなに沢山ありますから、自分に似ている四面菩薩を探すのも良いかもしれません。似たような菩薩像がたくさんありますが、クメールの微笑みと呼ばれる四面菩薩は人が集まっていますし、ロープが張られているのですぐに分かると思います。(ご主人様はこれから介護認定審査会です。今日も応援ポチッとお願いしますにゃ~!)
2009.09.02
コメント(14)
(まずは応援ポチッとお願いしますにゃ~!) 皆様、こんばんはですにゃ~ 吾輩は昨日から右目の調子が思わしくありません。常に涙目状態ですにゃ~ 早速ですが、昨日から始まったカンボジアシリーズです。ユネスコの世界遺産に登録されているアンコール遺跡群、昨日に続きアンコール・トムのバイヨンです。この写真はバイヨンの中央祠堂を下から見上げたところです。バイヨンは、カンボジアのアンコール遺跡を形成するヒンドゥー・仏教混交の寺院跡です。アンコール・トムの中央にあり、バイヨンの呼び方で広く広まっていますが、クメール語の発音ではバヨンの方が近いそうです。バは「美しい」という意味で、ヨンは「塔」の意味をです。つまり、「美しい塔」ということになりますね。この遺跡は、アンコール王朝の中興の祖と言われるジャヤーヴァルマン7世がチャンパ軍との戦争に勝利したのを記念して12世紀末ごろから造成に着手したと考えられています。石の積み方や材質が違うことなどから、多くの王によって徐々に建設されていったものであると推測されています。当初は大乗仏教の寺院だったらしいのですが、後にアンコール王朝にヒンドゥー教が流入すると、寺院全体がヒンドゥー化したそうです。これは、建造物部分に仏像を取り除こうとした形跡があることや、ヒンドゥーの神像があることなどからも推測できます。第三層の中央には過去にシヴァリンガが置かれていたとされますが、後世の人が除去し、現在では上座部仏教の像が置かれています。(このシリーズ、長く続かせるのに必死です。今日も応援ポチッとお願いしますにゃ~!)
2009.09.01
コメント(8)
(まずは応援ポチッとお願いしますにゃ~!) 昨日は選挙事務で更新できませんでしたにゃ~ 最近の能登は涼しくなってきて吾輩も快適です。日中は庭でゴロゴロする毎日です~今夜からタイのお隣のカンボジアのお話しを始めます。記念すべき第1弾はこれユネスコの世界遺産に指定されているカンボジアのアンコール遺跡群、ご主人様が最初に訪れたのが写真のバイヨンです。この遺跡は有名なアンコール・ワットに遅れること約半世紀、ジャヤヴァルマン7世によって12世紀後半に建立された仏教寺院です。都城アンコール・トムの中心に位置し、須弥山を象徴しているそうです。二重の回廊、高さ43メートルの中央祠堂と16の塔堂からなりたっています。位置は、アンコール・ワットの北、アンコール・トム南大門を抜けてうっそうと生い茂るジャングルを走っていると、突然黒々とした岩山のようなバイヨンが姿を現します。ここの回廊のレリーフはアンコール・ワットのレリーフと並び賞される有名なもので、当時のクメール王朝の様子を知ることができます。ワニや虎に襲われる人、チャンパ(現在のヴェトナム)軍の行進、闘鶏の様子等が印象的でした。(このシリーズ、いつまで続くでしょうか。今日も応援ポチッとお願いしますにゃ~!)
2009.08.31
コメント(12)
皆様こんにちはですにゃ~ 能登ではようやく桜が八部咲き、もう少しで満開ですにゃ~昨夜の吹研の練習は6人と少人数ながら、今月の19日の「桜まつり」で演奏する候補曲も出揃いました。候補曲は、歩み(GReeeeN)、チェリー(スピッツ)、愛のままで(秋元順子)、必殺(必殺仕事人2009のテーマ)、ドラえもん、さくらんぼ(大塚愛)の6曲です。昨夜はその中で、歩みと必殺を練習したそうです。意外と長く続いた「映画・ドラマのロケ地シリーズ」ですが、結局韓国ばかりでした。もうネタがありませんので今日で最終回です。最後に紹介するのはここです!以前も紹介しましたが、カンボジアのタ・プロームです。ここでロケが行われたのが、ロンドン、アンコール、ヴェネツィア、シベリアと、アンジェリーナ・ジョリーが世界中を飛び回る冒険映画のトゥームレイダーです。タ・プロームはジャングルに侵食された姿をそのまま残す遺跡です。緑の苔に覆われた寺院に巨大なスポアンという木の根が絡みつき、森がいままさに文明を飲み込もうとしています。映画では、ララ(アンジェリーナ・ジョリー)がジャングルの中で遺跡を発見し、その中で不思議な女の子に導かれながら、聖なるトライアングルの一片が収められている寺院の入り口を探し当てるというシーンでした。タ・プロームでトライアングルの一片を手に入れたあとに登場するのがアンコール・ワットです。映画ではアンコール・ワットの目の前に街が広がっていますが、もちろん実際には街はありません。アンコール・ワットの前にある池にセットを組んで撮影したそうです。(最終回だけは韓国を離れました。応援ポチッとお願いしますにゃ~)
2009.04.11
コメント(22)
皆様こんばんはですにゃ~ 今夜は能登の某コンビニの前で番猫をしている「K」が紹介しますにゃ~写真だとスリムなボクですが、この写真は1年近く前、いまやメタボへまっしぐらのボクなのです~(みんな食べ物くれ過ぎ!)さて、今夜ボクが紹介するのはカンボジアのアンコール遺跡群の中心、それどころかアジアの世界遺産の中でも最も有名なアンコール・ワットですアンコールワットは、12世紀前半にスールヤヴァルマン2世によって30年あまりの年月を費やして建造されたそうです。「アンコール」とは王都、「ワット」は寺院のことです。最初はヒンドゥー教のヴィシュヌ神寺院として、また、王の墳墓として造られたらしいのですが、アンコール王朝が衰退した後、仏教寺院となり、次第に忘れられていたそうですが、約130年前にフランス人の博物学者の「アンリ・ムオ」が再発見し、現在に至っています。どうです!この写真。写真があまり得意でないちょびのご主人様が撮った会心の作です。アンコール・ワットの壁面には無数のデバターが刻まれています。中央祠堂の柱には写真のように複数のデバターが並んで見えるポイントがあります。そしてこの写真!有名な聖池からの写真です。天候が良くて池の水がもう少し多ければガイドブックとかでよく見る「逆さアンコール・ワット」が取れたのですが‥ちょびのご主人様はここへも一人旅で来たそうです。ちょびのご主人様にしては珍しく、個人で運転手とガイドを雇って豪華な旅行だったそうですが、ホテルから奥様に電話した翌日にホテルのフロントで80ドルの電話料金を請求され思わず「18ドル?」と聞き返したそうです。そのため、この事件以降はいつもの貧乏旅行だったそうです。 (皆さんもこんな経験はありませんか? 応援ポチッとお願いしますにゃ~)
2009.02.27
コメント(14)
この「世界遺産」シリーズ、今日は横綱級の紹介ですにゃ~ と言いながらまずは吹研のお話しから…(ブログのタイトルがそうですからにゃ~)一昨日の練習には18人、昨日の一日練習には15人が出席、来月の定期演奏会に向けてマンマ・ミーアと夢をかなえてドラえもんと青春の輝きと酒とバラの日々と第一部に演奏することが決定しているポップスマーチ「素敵な日々」とエルカミーノレアルを合奏したそうです。出席率も地元組は6割程度、演奏する曲もほぼ決定し、なんとか目途が立ってきました。さて、本日はご主人様が世界遺産のアジアの横綱と勝手に思っているカンボジアのアンコール遺跡群ですにゃ~このブログで何度か紹介しているのですが、またまた紹介します。アンコール遺跡群は9世紀から15世紀に栄えたアンコール朝によって造営された石造の都城跡・寺院・祠堂・棟梁・貯水池などを指します。アンコール朝は東南アジア最大の湖であるトンレサップ湖の西北岸一帯に約600年にわたり栄え、最盛期の12世紀から13世紀初めにはインドシナ半島の中心部をほぼ支配する大王朝だったそうです。アンコール・ワットやアンコール・トム等の主要な遺跡だけでも26以上に及び、アンコール平野の東西22kmと南北35kmの一帯に集中し、世界では例をみないほどの大遺跡群で、1992年にユネスコの世界遺産リストへ登録されました。写真はそのひとつ、プノン・バケンです。この遺跡は有名なアンコール・ワット遺跡の西隣にある約60mのプノン・バケン山の頂上にあり9世紀末に建造されたそうです。さらにここはサンライズやサンセットのビューポイントとしても有名で、ご主人様はサンセットを見るためにここによじ登ったそうです。ところが…C国やK国の団体客が五月蠅くて感傷にに浸ることができなかったそうです。(家のモデムが先週から壊れています。皆様にはご迷惑をおかけいたしますが、応援ポチッとお願いしますにゃ~)
2009.02.20
コメント(22)
カンボジアシリーズも3日目、明日からは違うシリーズです。 今日はバンテアイ・スレイ遺跡を紹介します。この遺跡は昨日紹介したシェムリアップの町から北東へ約40キロ、車で1時間あまりの場所に位置しています。周囲が約400メートルの小寺院ですが、なぜこの遺跡が有名なのかというと、作家のアンドレ・マルローが祠堂の壁面に施されたデバター像を盗掘しようとして逮捕されたことがあり、この話を「王道」という小説に著したことでここのレリーフが有名になり、「東洋のモナリザ」として脚光を浴びることとなったそうです。その「東洋のモナリザ」がコレ!遺跡保護のためこれ以上近づくことができません。赤色砂岩で作られたこのデバター像は実際はもっと茶色っぽい色をしています。創健者はラージェンドラヴァルマン二世とジャヤヴァルマン五世、建築年代は967年(珍しくはっきりしています)、ヒンドゥー教シヴァ派の寺院です。ここへ向かう途中、小さな村を横切ります。民家は高床式の粗末な家ですが、学校は新しく立派です。ご主人様はこの様子を見て「この国は将来発展するな」と思ったそうです。(明日の今頃はソウルにいます。応援ポチッとよろしくお願いしますにゃ~)
2008.10.14
コメント(12)
今日はいきなり写真から入ります。 写真のアンコール・ワットがあるのはカンボジア北西部、東南アジア最大の湖であるトンレサップ湖の北に位置するシェムリアップの町です。この町は半日あれば歩いて回ることができそうです。国道6号線が東西に走り、町の中心部から西側にはホテルや公共機関が並び、建設中のホテルも多く現地の人はこの建設現場で働く人も多いそうです。夕方になると建設現場から徒歩や自転車で家路に着く人々の姿を見ることができます。町の中心を南北に流れるシェムリアップ川と平行に走るシヴォタ通りがメインストリートで、この通り沿いにレストランやゲストハウスが並んでいます。この通りの北側には超高級ホテルが並び、さらに北上するとアンコール遺跡群、逆に南下するとオールドマーケットがあります。シェムリアップ川の東側は民家が多くのどかな雰囲気です。美しいばかりの田園と天に向かって花開いたようなノッポの椰子の木、神秘的なまでに深い緑の森に抱かれたまさに「神々の庭」と呼ぶに相応しい町です。(歴代の王が競い合ってこの地に都城を築いたのもわかるような気がします。応援ポチッとよろしくお願いしますにゃ~)
2008.10.13
コメント(16)
いきなり話題が変わります。韓国のお話しは来週末から沢山出てくる予定ですので、それまでお休みです。 なぜいきなりカンボジアなのかと申しますと、昨日ご主人様が訪問したあるブログにアンコール・ワットのレリーフが紹介されていて、刺激を受けたからだそうです。写真はアンコール・ワットのデバターのレリーフです。この位置は複数のデバターが同時に見られることで有名ですが、これらのデバターは同じものは一つも無く、皆表情が異なっています。胸の所が黒ずんでいるものも多いのですが、これは観光客が触るからだそうです。(ご主人様も触ったんじゃないでしょうね。今日も応援ポチッとよろしくお願いしますにゃ~)
2008.10.12
コメント(6)
昨日はシェムリアップ空港のお話でしたが、今夜もシェムリアップのお話です。 バンコクからシェムリアップへ飛ぶバンコクエアウェイズの飛行機はプロペラ機だったそうです。プロペラ機は空気の薄い(空気抵抗の少ない)所は飛べないので低い高度を飛びます。おかげでシェムリアップに近づくと遠くに東南アジア最大の湖トンレサップ湖や人造湖の西メボンが見下ろせます。驚いた事にアテンダントさんの一人は日本人だったそうです。2日間アンコール遺跡群を堪能したご主人様は、2日目の夕方はオールドマーケットで横を流れるシェムリアップ川で網で魚を獲っている人達を眺めながらゆったりとした時間を過ごしたそうです。写真はアンコール・ワットの西にあるプノン・バケンです。ご主人様はカンボジア初日の夕方はここで西メボンの向こうに沈む夕日を堪能したそうです。(う~ん、カンボジアもいいかな~と思われた方、ポチッとお願いしますにゃ~)
2008.07.29
コメント(0)
暑い日が続きますが皆様お元気でお過ごしでしょうか。 今夜はいきなりカンボジアのお話です。なぜかと申しますとこのブログのメッセージでは「ここの空港は小さかった」という話題になっているからです。ご主人様が今まで訪れた空港のなかで一番小さいと思われるのがここカンボジアのシェムリアップ空港だそうです。タイからバンコクエアウェイズのプロペラ機で単身シェムリアップに到着したご主人様、なんと、滑走路を自力で歩いて空港の建物に入ります。自力でビザを取得し入国審査を済ませたら‥なんとショボイ空港施設、トイレも日本の公園の公衆トイレのレベルです。しかも頼んでおいたガイドが来ておらず、空港出口で人差し指を立てながら言い寄ってくるバイクタクシーを横目で見ながら空港職員のおじさんと幼稚な英語で世間話‥空港の名誉のために言っておきますが、出発ロビーは小さいながらも綺麗な建物だったそうです。写真は「女の砦」バンテアイ・スレイです。世界遺産アンコール遺跡群のなかでも5本の指に入る遺跡だとご主人様も申しております。(最近ランキングが下降ぎみです。皆様、ポチッとお願いしますにゃ~)
2008.07.28
コメント(6)
今夜は吹研の練習があったため遅い更新です。 皆様方の予想どおり、インドラ神に導かれた若者二人が出会いアンコール・ワットが建立されました。出来上がったアンコール・ワットにたいそう満足した若きカンボジアの王、プレアハ・ケート・ミアリアは、プレアハ・ピスヌカーに鉄を180kgを与え剣を作らせました。彼は鉄を鍛えに鍛え小さいけれども鋭利な剣を作りました。これを見たプレアハ・ケート・ミアリアは、剣があまりにも小さいのでプレアハ・ピスヌカーが残りの鉄を着服したのではないかと疑いました。これに腹を立てたプレアハ・ピスヌカーは剣をトンレサップ湖に投げ捨て、故郷の上海に帰ってしまったそうです。後半は盛り上がりに欠けたお話でしたが、これがカンボジアに伝わるアンコール・ワット建立説話です。4日間お付き合いいただきました方々にお礼を申しあげ、この話をお終いにしたいと思います。(う~ん最後は盛り下がったな~と思う方、ポチッとお願いしますにゃ~)
2008.07.10
コメント(4)
一部の熱狂的なファンの方に後押しされて今夜は第3話です。 天界で絵画や彫刻を学んだプレアハ・ピスヌカーと王子として生を受けたプレアハ・ケート・ミアリアの二人はその後どうなったのでしょうか‥地上に残したプレアハ・ケート・ミアリアの姿と一目見ようとある日、インドラ神は彼の元に降臨し、立派に成長した我が子に自らが父であることを明かしました。彼を天界につれて帰ったインドラ神はプレアハ・ケート・ミアリアに「お前をカンボジア王にし、その住まいとして天界の宮殿と同じ物を地上に建ててやろう」という約束を交わしました。そこでインドラ神はプレアハ・ピスヌカーを呼び二人は初めて対面しました。プレアハ・ピスヌカーにインドラ神は地上に宮殿を建てることを命じました。そして仏暦620年プレアハ・ピスヌカーは彫刻がふんだんに施された宮殿を建てました。その宮殿こそが現在も伝わるここなのです。今夜のお話はここまで‥ 明日は最終話の予定ですにゃ~ (最終回はどうなるのかな~という方、ポチッとお願いしますにゃ~)
2008.07.09
コメント(4)
皆様こんばんは~ 昨夜から連続4回の予定で始めたアンコール・ワット建立説話(第2話)です。お断りしておきますが、お話はあくまでカンボジアに伝わる伝説であって、事実とは異なるということを念頭にお読みください。それでは始まり、始まり~トゥップ・ソタチャンが天界に帰ってしまい、夫のルム・セーンと息子のプレアハ・ピスヌカーは悲しみにくれました。その頃、カンボジアでは王が逝去し王座が空位になっていました。それを知ったインドラ神は自らの姿を鶏に変え、自分の肉を食べた者を新しい王とすることに決めました。その肉を食べたのが象使いのティアと妻のウォーンでした。二人は新しい王と王妃として認められ、王宮から王選びのために放たれた象が二人を迎えに来るとともにインドラ神が王妃となったウォーンの枕元に現れ、彼女の体に花環を落としました。すると王妃は懐妊し、やがて男の子が産まれました。王子は”輝く花環”という意味のプレアハ・ケート・ミアリアと命名されました。写真はアンコール・ワットの中央祠堂の柱と壁面のデバターです。3体が並んで見える有名なポイントです。一方、母を失った悲しみが癒されないプレアハ・ピスヌカーは、母を探す旅に出る決意をします。野を越え、山を越え、ある丘の上でついに母との再会を果たしました。母に連れられて天界に赴いた彼はインドラ神に出会い、インドラ神の計らいで天界で絵画や彫刻を学ぶ機会を得ました。今夜のお話はここまで‥ 明日をお楽しみに~ (この後二人の関係はどうなるのかな~という方、ポチッとお願いしますにゃ~)
2008.07.08
コメント(6)
今夜は何度目かのアンコール・ワットです。 創建者はスールヤヴァルマン二世と伝えられていますが、これは植民地時代にフランス人の学者達が遺跡の碑文を研究したことからわかったことらしいです。実はカンボジア人達の間では別の伝説があるのです。今日から4日間、伝説のなかでのアンコール・ワット建立説話をお届けしたいと思います。あくまで地元カンボジアの伝説なので事実とは異なりますが、「こんな話もあるんだ」という心構えでご覧ください。仏暦600年、上海にルム・セーンという男が花を売って貧しい生活をしていました。ある日、インドラ神の天界から天女達がルム・セーンの花畑に遊びに来て、その天女のなかの一人のトゥップ・スタチャンが花を6本摘んでしまいました。その罰として彼女は6年間下界に留まりルム・セーンの妻になるよう命じられてしまいました。1年後に二人の間に男の子が産まれ、その子は絵を描くのが得意だったことから建築の神ヴィシュヴァカルマーに由来してプレアハ・ピスヌカーと名付けられました。やがて6年間の罰則期間の過ぎたトゥップ・ソタチャンは天界に帰ってしまい、父と息子は悲しみに暮れたそうです。今夜のお話はここまで‥ 明日をお楽しみに~ (4回何とか続けてね~という方、ポチッとお願いしますにゃ~)
2008.07.07
コメント(8)
今月に入ってから更新をサボることの多いご主人様です。 昨日と今日は奥様の実家があり吹研の本拠地でもある宇出津の祭礼でした。ご主人様も職場の上司や議員さんの家を何件かハシゴしたようです。今日は朝から奥様と長女さんをつれて「インディ・ジョーンズ」という映画を観に行ったそうです。遺跡や世界遺産の好きなご主人様、映画もその系統ですにゃ~ということで、今夜の写真はコレ!過去に何度か出てきたカンボジアはアンコール・トム遺跡の中心、バイヨン寺院です。この寺院はメール山(須弥山)を象徴化しています。メール山は古代インドの宇宙観によれば神々の住む聖域だそうで、神が降臨する場でもあったそうです。この宇宙観を正確に具現化することも王の重要な使命であったそうです。アンコール遺跡群のなかでも一種異様な雰囲気を漂わせているこの遺跡、この写真だと山に見えないこともありませんね。(うん、何とか山に見えるかも~という方、ポチッとお願いしますにゃ~)
2008.07.05
コメント(9)
昨日に続きカンボジアのアンコール・トム遺跡の中心にどんと鎮座しているバイヨン寺院についてです。 昨日の写真をアップしたら、何人もの方から「壁に顔のようなものが見える」とのご意見をいただきました。そのとおり、このバイヨン寺院は仏教寺院で観世音菩薩を祀っています。それにしてもいたるところに菩薩様の顔、顔、顔‥この寺院の中央祠堂と尖塔の頂部には、50面を超える微妙に異なった表情の四面仏が刻まれていて、バイヨンのどの位置にいても菩薩の熱い眼差しを感じるような造りになっています。これが有名な「クメールの微笑み」といわれるものですが、中央祠堂はメール山(須弥山)を象徴化しており、寺院全体を宇宙の中心と位置づけるものです。(へぇ~と思われた方、ポチッとお願いしますにゃ~)
2008.06.23
コメント(2)
昨夜に続きカンボジアの世界遺産、アンコール遺跡群のバンテアイ・スレイです。 以前もここの美しいレリーフを紹介しましたが、この遺跡はシェムリアップの市街から北東に約40キロの位置にあります。創建者はラージェンドラヴァルマン二世とジャヤヴァルマン五世で、967年に建築されました。このあたりでは建築年代がはっきりしている数少ない遺跡です。これは当時のアンコール王朝の摂政役であり、王師でもあったヤジュニャヴァラーハの菩提寺として建設されたことによります。写真は立ち入り禁止エリアにある中央祠堂と北塔・南塔です。手前が南塔で、中央祠堂、北塔と続きます。第一周壁の周りを一周しても1キロ足らずの規模の小さい寺院ですがなぜ有名なのかというと、ここのレリーフが精密で芸術的な価値が高いこと、東洋のモナリザと賞されるデバダーがあること等がその理由す。さて、ここで突然クイズです!このバンテアイ・スレイの意味は何でしょう?正解者の中から抽選で賞品が出るようです。正解をメッセージで送ってくださいにゃ~吹研の方は、本番まであと2日、永久にともにと今夜はドント・ストップと合同演奏の曲目である翼をくださいの合奏が行われたようです。(よ~し、クイズに正解して賞品ゲットだぜと思われた方、ポチッとお願いしますにゃ~)
2008.06.20
コメント(6)
突然ですが、今夜は久しぶりにカンボジアのアンコール・ワットを紹介します。 実はご主人様が所蔵しているブログのネタになる写真が残り少なくなってきました。それで、まだ何枚か残っているカンボジアの写真をお届けいたしますぅ。 写真は言わずと知れたアンコール・ワットです。よく見る角度からの写真ですが、これは敷地内の北西方向から撮った写真です。手前の池の水位がもう少し高ければ綺麗な「逆さアンコール・ワット」が撮れたのですが‥この場所では馬に乗って記念写真が撮れます(当然有料です)。写真には写っていませんが、横には土産物屋さんやトイレがあります。以前も書きましたが、創建者はスールヤヴァルマン二世、建築年代は12世紀前半といわれています。信仰はヒンドゥー教でヴィシュヌ神を祀っています。吹研の方は3日後のプロムナードコンサートに向けて永久にともにの合奏でした。(おぉ!さすが世界遺産と思われた方、ポチッとお願いしますにゃ~)
2008.06.19
コメント(6)
明日からご主人様と奥様は韓国の釜山とやらに旅行するようです。 カンボジアシリーズも長くなりました。第二次カンボジアシリーズのラストを飾るのはこれでしょう!ご存知アンコール・ワットです。常連さんはお気づきでしょうか、第一次カンボジアシリーズのアンコール・ワットの時とは天候が違います。前回お褒め頂いた写真はカンボジア入国初日の午前中もの、アンコール・トムへ向かう途中で撮影したものです。今回の写真は翌日の午後に撮影したものなのですが、ここまで違うとは‥そういえば前回の中央祠堂の写真の空はこんな感じでしたね。創建者はスールヤヴァルマン二世で12世紀前半に造られたヒンドゥー教の寺院です。遺跡の規模としては半世紀後に造られたアンコール・トムに及びませんが単独のワット(寺院)としては最大のもので、敷地は南北1300メートル、東西は1500メートルくらいあります。ちなみにアンコール・ワットとは直訳すれば「寺の都」という意味らしいです。
2008.05.11
コメント(4)
バンテアイ・スレイが続いたので、今夜は別の遺跡です。アンコール・トム遺跡のバプーオンという遺跡です。ご主人様が訪れた時はフランスによる修復中ということで内部には入れなかったそうです。この遺跡には隠し子伝説があるそうです。誰ですか~変な想像した人は! その昔、シャム(タイ)とカンボジアの王は兄弟で、シャムの王が王子をカンボジアの王に預けた時、カンボジアの廷臣たちがシャム王の策略と反対し、王子を殺してしまったそうです。これに怒ったシャム王がカンボジアに大軍を進攻させた時にカンボジアの王妃が自分の子供をこの寺院に隠したそうです。それが隠し子=バプーオンのいわれとなったそうです。創建者はウダヤーディティヤヴァルマン一世、建築年代は11世紀中頃とされているヒンドゥー教(シヴァ派)の寺院で、3層からなるピラミッド型でかつてはバイヨン寺院よりも高かったといわれています。今日の吹研の練習では6月1日の野外演奏会はクラリネットの人数が足りず、曲の見直しが行われたそうです。
2008.05.10
コメント(0)
ご主人様は本当にお調子者です。社交辞令に乗せられて今夜もバンテアイ・スレイのレリーフらしいです。第二周壁の門に彫られたラクシュミーです。ラクシュミーとはヒンドゥー教の太陽神・維持の神であるヴィシュヌ神の妻であり、愛、美、繁栄の神で、乳海攪拌により生まれたとされています。乳海攪拌とは、ヒンドゥー教の天地創世神話で、ヴィシュヌ神の化身である大亀(クールマ)の背に乗せた大マンダラ山を神々と阿修羅が大蛇(ヴァースチ)の胴体を綱として引き合い、海中をかき回すといった攪拌が1000年も続き、海は乳海となり、天女アプサラや神妃ラクシュミーが産まれ、最後に不死の妙薬アムリタが得られたという神話です。写真中央のラクシュミーに両側から象が聖水をかけています。
2008.05.09
コメント(8)
ご主人様は昨日アップしたバンテアイ・スレイのレリーフが好評だと勝手に思い込んでいるみたいです。 昨日の「踊るシヴァ神」に続き、これも有名なレリーフ「ナラシンハ」です。このレリーフは第一周壁の塔門に彫られています。ヒンドゥー教の二大神の一人であるヴィシュヌ神の化身「ナラシンハ」(半人半獅子)が阿修羅王をくみふし、殺そうとしている場面です。正義のヴィシュヌ神の方が悪人面ですね‥ 今夜の吹研の練習は、サウス・ランパート・ストリート・パレードという曲を練習したみたいです。
2008.05.08
コメント(2)
昨日バンテアイ・スレイで「美しいもの」と書きました。遺跡全体の色の他に美しいものとは、写真のレリーフ(浮き彫り)です。第一・第二周壁の塔門や東塔門及び経蔵には、他の遺跡と類似性の少ない独特のモチーフが随所に見られます。写真のようなレリーフが遺跡の至るところに彫られていて他の遺跡とは一線を画していますが、この様な繊細なレリーフはその後に創建された遺跡にも見ることはできません。これは材質である赤色砂岩の質が良かったためと考えられています。 最近の我輩は冬毛が抜けてきました。ご主人様の髪の毛と同じです。(゚゜;)バキッ☆\(--;)
2008.05.07
コメント(4)
長い連休も本日が最終日、皆様いかがお過ごしでしょうか? ご主人様は昨日くらいから仕事に行きたい様子、次男さんも学校に行きたがっているようです(退屈なんですね)。本日の写真はバンテアイ・スレイです。この遺跡はシェムリアップの中心部から北東に約40キロ、車で1時間あまりかかる位置にあります。ラージェンドラヴァルマン二世とジャヤバルマン五世により967年に創建されたと伝えられているヒンドゥー教(シヴァ派)の寺院だそうです。バンテアイ・スレイは「女の砦」という意味らしいですが、他の遺跡と違って色が赤っぽいと思いませんか?これは建材に赤色砂岩を多用しているからだそうで、本当に美しい遺跡です。美しいのは色だけではないのですが、それは明日以降に‥(おぉ! 出し惜しみか?)
2008.05.06
コメント(4)
しつこくカンボジアのタ・プロームです。この遺跡は昨日も書きましたが、映画「トゥーム・レイダー」のロケ地となったのですが、タイトルにも書いたとおりアニメ「天空の城ラピュタ」のモデルとなったことでも有名です。スポアン(榕樹)に押し潰されそうになりながらかろうじて寺院の体裁を保っている遺跡ですが、そのなかでも最大、一番有名なスポアンの根の部分です。引いたアングルの写真が多いご主人様にしては珍しく接近した写真ですにゃ~ ここ能登もようやくツツジが咲き始めました。写真は家の庭の隅に咲く「ノトキリシマ」です。推定樹齢は90年。あと数日で満開です。
2008.05.05
コメント(6)
全50件 (50件中 1-50件目)
1