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(※音楽を通じた反戦行動、の趣旨から本ブログ内容もここで今年特筆すべき日記の一つに加えたいと思います。)年一回の母主宰のピアノ教室のミニコンサートを終えました。来月に卒寿を迎える母が今なお教室を主宰している奇跡‼に感謝。同時に、数十年来耳鳴りに悩まされて演奏したい本人が演奏できない状態の中、57年目の会を私たち生徒を通して開いてくれることに心から感謝しています。そして、様々な都合で今年の出演人数8名という状況にコロナ禍で引き続きご案内も控えめにしていたにもかかわらず、一部・二部の間で入れ替わり立ち替わり、常時50名程度のお客様の入りがあり😲皆様には足をお運び下さり本当にありがとうございました<m(__)m>たまたま、音楽談話の尽きない遠方に住まう高校時代の友人(当時はてっきりフルーティストだと思っていて、近年になって別の部活仲間からピアノ弾きで相当期待された一面を持っていたと聞いたしだい)が日曜の夜までが配信期限というおススメの音楽情報を金曜日に連絡してくれました。さすがに隠し通せず、週末コンサートのことに触れたら激励の嵐😻ホントにありがとー✊💖母が年を重ねていく中で第二次世界大戦経験者が少なくなるにつれて、母自身の想いが数年前から「折鶴の会」という一つの行動につながり、様々な人々の間で一緒に取り組んでいることも、このコンサートのご挨拶の場で必ず言及しています(詳細は昨年8月16日付けブログに記載)。今年は悲しいことに、音楽表現を通じて一層、戦争と平和について向き合う時間が増えざるを得なくなった私自身の生活の中で、このコンサートでも一部・二部を通じて平和・反戦に引き寄せられた気持ちでの選曲となりました。ところで、発表会~コンサートに長年出演しているのであれば、ステージドレスも豊富に持っているだろうと思われるかと思います。しかしながら、母は学生服或いは上が白・下が紺か黒の服着用で、とかねてから服装を統一しています。ピアノを気兼ねなく続けられる環境づくりをしてきて、私が小さいころには生徒さんの人数が50名規模だったのはそうした配慮があったのも理由の一つではないかと思います。というわけで、私自身はフリー転身後に仕事で演奏活動をするようになって初めて、ステージドレスの類を購入しています。本年もここ数十年同じスタイルではないかな、の定番の服装。<演奏題目>第一部:平和への祈りメドレー:Imagine ~ ハナミズキ ~ Danny Boy ~ You Raise Me Up第二部:ショパン作曲 ポロネーズ 第7番「幻想」Op.61✣✣✣🐤つぶやき🐤✣✣✣一部のメドレーのうち、『You Raise Me Up』は『Danny Boy』のメロディが元の歌で、平和・反戦ソングのカテゴリではありません。私自身、これまでレストラン演奏の誕生日のお客様向けの一曲やラウンジ演奏でのインスト的に演奏してました。絶望を歌うDanny BoyのメロディにYou Raise Me Upで一人一人の希望を照らす語りかけのような詩で引き継がれている音楽が、何より自分自身にとって現在の世界への不安からの救いになり、メドレーの最後にこの曲を置きました。二部は壁が厚いことを実感。20代最後に一度演奏したことがあって、その後はピアノを練習する時間がとれずにしばらく空いた時など、指の練習の手始めやピアノモード切替へのウォーミングアップに部分的にポロポロと弾いていた好きな曲の一つです。今年は一曲通す練習への集中には相当な気合を入れないと向かえない、と甚く感じながら練習🎹せめて暗譜したのが慰め😅いつからか、楽譜の暗譜ってどうしてたっけ?!の妙な障壁が…。当日目に映るものが違い混乱も。もはやほぼ目を瞑ってしまうしかない🤣で譜読みの記憶に集中。直前はスマホの不具合で急遽買い替えに時間をとられましたが、同型のグランドピアノの練習室を前3日間で借りられるだけ借り🙏当日の会場リハは1回、それまでにある程度手応えを以てて臨んだつもりが、譜読み当然の出発点に来れたまででミスタッチなし+ショパンの世界観で一体感を得るには遠く💧ただ、暗譜へのネックを解消しようと悩んだことで、これから先の譜読みの仕方に得るものがありました💡次の選曲も早ければ早いほどよいがー実家への道すがらのラジオでかかっていたいくつかの曲を明日のレストラン演奏のラインナップに入れたい~♥と気持ちが募り、昨晩帰宅後にはまずは楽譜印刷から。【写真】花束は毎年恒例、先生への感謝で贈呈💐
Aug 29, 2022
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14の夏ループ何から話そう 二つ前の戦争から この国のかじ取りは 闇雲にはしり開戦してから 中学でわら人形に 銃を向けたりそして 行進したり中二にあがって 朝4時起きで向かう 陸軍火工廠で 信管火薬つくる日々火薬庫にいる時も 往復の通勤の時も 死と隣り合わせに 強烈なひもじさだよ上官の命令は絶対 爆発事故で跡形も 無くなった人も目にしたいつも街中(まちなか)で たくさんの人が倒れてるのを見ていたから あまりショックもないなんて同じ14才の 今の僕らには 想像を絶する時代だけど ここにつながるボクら何より怖かった P-51とグラマン戦闘機 超低空飛行の機銃掃射から 命拾い戦争に勝つためなら いろんなことに耐えられたそんな気持ちにさせる教育って怖い現代(いま)もそう気づけたこと それが平和への一歩/////戦争の語り部である父の声を書き留めて遺していくのに、時を超えて戦争の話し手と聴き手となった14歳の少年たちの様子を捉えて歌にしてみたオリジナルソング。昨冬、歌詞がつかないサブスクで配信をしました。詩だけここに掲載します。詩も敢えていかついコトバそのままを使い、のせるメロディは合唱曲をイメージしてJPOP調にまでもっていけるほどのスキルはなくて稚拙ですが、この育児日記を息子に残していくことで、ようやくバトンをつなげる形にはできたかなと思います。🐤補足🐤自分の創作のテーマは通じて身近なところからの“平和”です。以前活動させてもらっていたライブハウスで、他に創作活動をサポートしてくれるのが魅力でここを拠点にいくつかオリジナルソングを創り、この出来事☟も歌にして、詩をここに掲載しました。2019年8月9日に息子の小学校時代のお友だちのHくんが私の父を訪ねてきました。Hくんの中学では、夏休みの宿題の一つに戦争の話を聞いてそれを作文にすることとの課題が出され、父の戦争体験を聴きにやってきて、Hくんが書いた作文はその年に学校内で金賞を受賞しました。父が伝えた話から14歳だったHくんが感じたままを、なかなか一曲には全部反映できなかったのですが、私もここに私なりのつなぎ行動で参加してみようと思い創ってみました(^^♪父よ、Hくんよ、Hくんママよ、息子よ、ありがとう(^人^)
Aug 15, 2022
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十数年ぶりに別の場でブログ生活に復帰して、育児日記のホームグラウンドのここでも8月には記録を付けておこうと思っていたのが、二年越しとなってしまいました。【前置きつぶやき】数年前よりそれまでの半生とは多少異なる世界に身を置いていますが、大小はあれども、一人一人の願いを叶えることや困っていることの救いになることに関わり、そこに自分の生きがいを感じている生き方は以前から変わらないつもりでいます。こうした気持ちが根底にあり、現在の生活の中でも、自分の人生で培えたものを大事にしながら、多様性を以て人に社会にアプローチできる人材でありたいと思っています。今は、そうしたアプローチの仕方の一つに音楽が挙げられます。物覚えがつく前から音楽が自然と傍にあって、何かあると音楽が救いになって音楽好きで生きてこられたのは、ピアノ教室を主宰している母(来月90歳を迎える今なお)のところに生まれ落ちたお陰という他はありません。とはいえ、音楽をどんなに好きでも演奏者として仕事できるなんて一握りの世界だと思っていたので、前半生では全く考えたこともなく過ごしてきました。当然、母もピアノを教えながらも「音楽とは違う世界へ行きなさい」と口にもしていたので、物覚えがつく頃にはピアノは遊びの時間だけ、ピアノで遊んでばかりいちゃいけないと認識していたのだと思います。今は一握り以外の者にとってもいろんな働き方を見つけ出せる世界になった気がします。音楽に仕事として関わりたいという関心は、幼い頃から❝困った人のためになるような生き方がしたい❞と思って歩んできた半生と通じるものを、音楽の世界にも見出せると感じたことが発端でした。そこを皮切りに様々な世界が広がってきています。こうしたご縁を繋いで下さった人々との出会い全てに感謝。ーつぶやき終わりーということで、今は週に一回レストランBGM演奏の機会を頂戴しています。本来、ルーティンでは他の場もあるのですが、コロナ禍にあってなかなか再開できずに待機中です。こちらのレストラン演奏も8ヵ月間の待機を経て再開してからは、時間短縮などありながらも定期演奏継続はもうすぐ1年になります。二つの原爆投下の痛ましい悲劇の日にあたるタイミングで、今年はそれぞれ投稿していた内容を一つにまとめてここに発信します。名もなき者一人一人が伝え聞いたことを発する、しかも被爆国である日本から声を発することは、特に広島出身の母を持つ自分の使命だ、と深い反省とともに今更ながら思い至り、こうして発信させていただきます。=====🚩8月第一週:作品ラインナップ🎹BGM演奏 / Week 1 Aug. line-up BGMBGM演奏には2時間で50曲程度持参し、以下にはこれまで演奏した楽曲への追加分のみ列挙しています。2月24日のロシアのウクライナ侵攻以来、自分の演奏担当日には必ず平和・反戦の楽曲コーナーを設けて弾き続けています。そして、故郷に戻りたいと生涯切望していたであろう、とショパンの心痛にも思いを馳せ、毎回ショパンの作品からも一曲選んで弾いています。今週は1945&2022/8/6に関係する歌(下記英文ご参照)や夏で思い出す歌に今月生まれの音楽家の作品を。誕生会でお越しのご家族へのバースデーソングを喜んでいただきました💟8歳の誕生日を迎えたお嬢ちゃん、おめでとう🎉🚩BGM Piano Performance at Restaurant, Week 1 Aug. 2022I routinely have my stock of about 50 music scores for BGM per 2 hours. The additional pieces of music for the BGM performance this week are listed as mentioned below.Still, continuous anger and sympathy for sacrifice draw many works to hope to end Russian aggression to achieve a world where everyone pursues global peace. Also, every time I select the work of Chopin who had longed to escape from evacuation status for standing in his homeland, Poland.Having August 6, 1945, and 2022 top of the list, I pick up the works to evoke summer as well as the works of the composers and singers whose birthdays were in August.My performance of the birthday song and the restaurant staff's applause could bring a happy time to the family who enjoyed a birthday celebration dinner. As the diner left, I stood up to exchange brief words with them for sending "Happy 8th Birthday!". - For BGM performance(The only additional pieces) -新時代 (ウタ from ONE PIECE FILM RED)」/The movie will be released on August 6, 2022.栄光の扉 / The National High School Baseball Championship will start on August 6, 2022. 大地讃頌 / Tsuchi no Uta "Cantata for mixed Chorus and Orchestra": [Finale] Daichi Sanshou (Praise for the earth)* Mr. OOKI Atsuo as a songwriter is from Hiroshima where the atomic bomb was dropped on August 6, 1945.- My mother is turning 90 next month from the east of Hiroshima.Every summer she is constantly sending a set of Senba-Tsuru with grants from a distant place to both Hiroshima and Nagasaki for praying No War!My grandfather was a secondary atomic bomb victim because he was out looking for his elder brother and one's wife who lived in central Hiroshima. My granduncle reached my grandpa's residence and survived 15 days after the terrible tragedy, and my grandaunt was killed on the spot according to him. From my childhood, I could grow up receiving rage to WAR through my mother's storytelling about WWll as well as my father's. I am living in the moment looking for how to be taken over by the next generation.- 来月90になる母は広島東部出身、祖父は二次被爆、大伯父夫婦は爆心地で大伯母は即死、大伯父は一週間後に母の家に自力で到着、悲劇から15日後に死去。母は毎年広島、長崎に、遠方から千羽鶴と金一封を送り続ける。戦争への怒りを小さい頃から持てた自分は次世代にどうやって引き継いでいけるか。Stranger in Paradise (Tony Bennett)Scarf Dance (Cecil Chaminade)あの夏へ花火 / 三代目J SOUL BROTHERS恋のバカンス涙そうそう🚩8月第二週:作品ラインナップ🎹BGM演奏 / Week 2 Aug. line-up BGM1945/8/9は長崎に原爆が投下された日、前週からこれまでの期間中、最初の被爆国から声を挙げる手段の一つとして、先日のグテレス事務総長のインスタ投稿にコメントしました。平和・反戦の作品に長崎出身の二人のマサの反戦歌が再登場、加えて故郷に戻りたいと切望したショパンの作品も引き続き。他、オリビア・ニュートン=ジョン追悼、夏で思い出す歌に今月生まれの歌手や音楽家の作品を。どのお客様も帰り際にはお互いに会釈しあい💕またのお越しをお待ちしております❣🚩BGM Piano Performance at Restaurant, Week 2 Aug. 2022Picking up where I left off last time, as a means of raising our voice from the first victim of a nuclear attack, I commented on the page of Mr. António Guterres' post on Aug. 7, too.Again, having the anti-war songs written by singers who are from Nagasaki and the songs written to pray for world peace, I pick up the works to evoke summer as well as the works of the composers and singers whose birthdays were in August.Even when the diners left I am constantly sending BGM, we nod to each other with my performance. - For BGM performance(The only additional pieces) -Have You Never Been Mellow (そよ風の誘惑) / Olivia Newton-John * To honor her memoryBlowin' In The Wind✿平和への祈りメドレーより:略/ ~ Masters Of War ~『Blowin' In The Wind』~ /略/ ~ クスノキ ~ フレディもしくは三教街 -ロシア租界にて- //後略Didn't We Almost Have It All (Whitney Houston would be 59 yrs old on Aug. 9 if still alive.)LA HABANERA (Ernesto Lecuona)Around The World (80日間世界一周) (Victor Young)打上花火シフクノトキあなたがどこかでby YAMAHA GRAND Piano C3//
Aug 10, 2022
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※先日は母から伝え聞く話を掲載しました。父からの話もこうして絶やさないことが務めだと思って掲載します。(2006年当時の多摩火薬廠のリンク先の方の考証をどこかに書き留めておけばよかった、と後悔。戦争を語る声を風化させない努力をしていかなければと身にしみて思います。)======今朝、小泉首相がテレビに映し出される頃は泪雨かと思っていたのに、その後、体調の気になる子どもをウチからはちょっと遠くにある小児科まで連れ出していく頃には空は青々としてじりじりと照りつける太陽。61年前もそんな日だったのでしょうか。東京都下出身で、戦争当時旧制中学に通っていた父は、学徒動員体制下にあって、稲城の多摩火薬廠で働いて(火薬への爆弾の充填作業というのか?)いました。他に、工女、工専からもたくさんの勤労学生がやって来ていたといいます。今でも中・高生が通学するには大変な距離だというところを、毎朝4時起きで2時間以上かけて働きに行っていたそうで、工場に居る間も、往復の通勤の間も、いつ死ぬか分からないという状況に幾度となく直面してきたようです。今回ブログに載せるにあたってアクセスしてみた『稲城の多摩火薬廠』でリンクした戦跡の紹介文には、父から聞いた話をそのまま内包していたので実に驚きでした。(以下、略)======稲城の多摩火薬廠(通称:多摩弾薬庫)について、当時リンクした先が既にリンク切れでweb上では父の話ほどに触れているものは見つけられないので補足します。父は旧制二中(新制:都立立川高校)の出身です。この工場で最も危険な作業にあたっていたのは朝鮮人労働者の方たちで、父が居た時間帯に起きた爆発事故のために4,5人が亡くなり、ご遺体は跡形もなかったといいます。~死への最前線には父より少し上の若者たちが駆り出され、国内でも危険な仕事を中学生や労働者が引き受け・・・戦争は未来を継ぐ者の芽を根こそぎ奪っていく兇器・凶器・狂気以外の何物でもない~(道中では最も怖かった機銃掃射の追手から逃げて側溝に隠れて命拾いした時に、傍らで機銃掃射に撃たれた人のむごい死を目の当たりにしています。背中から入った時の弾は小さくてもぐるぐる回転しながら貫通するので臓物が全て出てしまうのだといいます。)終戦の報を受けて火薬づくりもこれでおひらきと思いきや、また来るべき時?!に備えて「敵に見つかる前に早く隠せ!」との命に、稲城の丘の中腹に弾薬を急ピッチで移動させたそうです。やがてこの一帯は米軍に回収され始末へ。終戦翌日にはまだ戦争は終わっていないというデマが一瞬流れたそうで、士官の下に生徒たちはまだ戦争を続けられる!と勇んで歓喜の声を上げたといいます。(涙が出そうだ・・・・)このデマが流れたという話。昨年、息子の小学校時代の友だちが夏休みの作文の宿題のために父から話を聞きたいと言って実家まで来て父が話してくれた際に私も初めて耳にしたことでした。弾薬移動とデマと、時系列でどちらが先なのか確認しないとわかりませんがデマの出所は海軍だと聞いた、と。ん?!陸軍のテリトリーの話だから自作自演かも。+++++こうして、人の死をあちこちで目にして、毎日を空腹に耐えながら、怖かった陸軍士官の命令に従い働き、次は自分が特攻隊にとの憧れを持つ、多感な年頃の子どもたちを洗脳してきた環境は、その後のかじ取りによっては、もっと混乱する社会に向かわせていく危険を孕んでいます。少なくとも当時の日本では、世界情勢の様々な時の運が作用したのか、国柄・国民性だったのか、表にでない闇も当然抱えながらも、復興に向かって一気に集結していった稀有のパワーの凄まじさがあったように思えます。これは、途中、国家主義的な色彩の教育がインプットされた世代がありながらも、それまで脈々と先人から受け継いでいく「教養」の高さを誇れる国民性だったからではないかと想像します。昔を美化するわけではないけれど、ダントツの識字率の高さを継いできて、また、大事にされてきた教育の観点が戦後変わっています。自分自身もそのレールの上に居た一人ですが、教育の中から教養がどんどん欠落していき、皮肉にも質を確保できないのが日本の現状ではないかと心底危機感を抱いています。教育の改革の歴史を辿れば、何を見落としてきたのかが教育界の素人でもなるほど、と分かる点があります。専門の人、行政の人、責任もって見直してください。私自身がささやかながらできることでは、就学前の子どもと子どもに伝えていく親の存在に重きを置いての講座を開いています。【参考】現在でもなお、世界では1億7500万人の未就学児が学べる場すらない現状にあります。2018年秋、UNICEFにより未就学時期の子どもたちへの教育の重要性・緊急性とともにこの数字が公表され、2019年4月には政府当局に向けて就学時前教育への資金配分の重要性が唱えられています。日本国内でも7人に1人の子どもが貧困の窮状にあって教育格差も深刻化しています。国内の格差是正にもいずれつながるよう、就学前親子をターゲットとした教育従事者の教養を磨いて層を厚くすることはとても重要だと認識している所以です。
Aug 12, 2020
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あまりにもご無沙汰過ぎて、ここでお友達になって下さっていた方々にも長らくすみません(-_-;)お蔭様で元気に過ごしています。もはや自分でつくったトップページさえ触る機能までなくなってしまってます(何年か前にそれらしきリマインドがきてましたわね)が、ちょこっと絵文字や脚色を入れられる機能が健在しているのはいいですねホッとします。こちらは育児日記としてサンバくんにプレゼントするつもりで勝手に始めて勝手に封印しておりました。が、やはり今日は大事な日だと思い、このタイトルで久々の投稿です。SNS、ブログ等は他でいろいろやっているのと毎年相変わらずこの時期は超多忙なので、これは彼へのプレゼント追加編ということで、勝手ながらまたしばらくは投稿なしだと思います・・・🙇被爆75年、広島の声再来、母から伝え聞く話(2006年8月6日の日記)再掲+母と自分の今テーマ:戦争反対テーマカテゴリ:伝えていくこと今日で広島原爆投下から61年。小さい頃から両親から伝え聞いた戦争の話を、いずれ息子にも伝えるために―今日は母が伝えてくれたことをここに記録しておきます。昭和一桁生まれの母の故郷は広島です。といっても広島市内からは車で2時間はかかるような場所に生まれ育ちました。戦時中、広島市の爆心地からさほど遠くない場所には、祖父の兄夫婦、私にとって大叔父夫婦が住んでいました。原爆投下の朝、大叔父は朝の一仕事を終えて縁側に出たところで、空が猛烈に光ったのがみえたので、咄嗟に「危ない!」と大叔母に声を掛けて食卓の下に潜り込んだといいます。何が起きたのか分からず、とにかく何事かが過ぎたと思って食卓から這い出してみると、恐らく台所の火を止めに走って行った大叔母さんは食器棚の下に挟まれて身動きできず息が絶え絶え(か、即死か、大叔父自身語りたくない部分だったようで不明)であり、火が迫ってきていたので「堪えてくれよ」と手を合わせて家を後にしたのだといいます。大叔父が実際に、その一瞬でどれほど負傷していたのかも定かではありませんが、とにかく火の手から逃げるための両足はどうにか無事でした。しかし、逃げていく間にも、火の手が一旦消え去ったと思うとまたどこからともなく火が走ってきて、近くの川の水中に身体を埋めては熱さから逃れて命からがら市内を脱出したようです。一方で、祖父は兄夫婦がともかくどうなっているのか心配だったので、三日後くらいにどうにか運行していた区間の電車と徒歩をつないで市内に入って探しに行ったといいます。祖父が何も見つけられずに帰宅して、原爆投下から一週間ほど経ったある晩に、大叔父が母たちの家まで自力で辿り着きました。まさか大叔父が生きていたとは夢にも思っていなかったので、家族皆本当に驚き、それからは祖母が傷口(主に火傷だったようですが―)の手当てをしました。数日は母の一番下の弟を抱っこしたり遊び相手になったりしたといいますが、間もなく髪を梳いたら抜け落ちていくようになり、やがて身体の汗腺からか?あちこちから血のような膿のようなものが噴出してきて、拭っても拭っても治まらなかったといいます。一体これはナンだろうと皆が思っている間に、8月20日過ぎに大叔父は帰らぬ人となったそうです。日毎にナニモノかに蝕まれていき、身体の変調も著しく、恐らく相当な痛みも伴って気が狂いそうな状況下で、大叔父は死期を悟って最期まで毅然としていたといいます。玉音放送を耳にしたときも、これはかなり聞きづらかったと父母共に言っていますが、既に聴力まで弱っていた大叔父は、それでも戦争が終わったことを即座に聞き取ったようだったといいます。その後61年が過ぎる中で、祖母は昭和20年代前半に若くして亡くなり、後に残されて今でいう被爆者健康手帳を手にした祖父は94歳まで現役の書家活動を続けて天寿を全うしました。長く生きただけに辛い人間関係も経験したようですが…。それが宿命人には宿命というものがあるのかも知れませんが、今でも尚、世界では戦争・紛争が続く中で、必ず大量の犠牲者を出し、その犠牲者として巻き込まれることが宿命だ、とは、到底理解できません。そうした思いはあっても、この瞬間にも逃げ惑う人が世の中にいる…地の底から突き上げるような60余年前の戦争犠牲者の魂の声を聞いて、世界平和につなげるにはどうしたら―?答えはまだ見つかりそうにありません。ただただ、今はせめて息子に伝える役目を引き受けること。その後、14年が経過しています。私が知る限りの広島出身の母の日常には、今年米寿を迎える年齢でもなおピアノ講師として教室を運営しながら、かねてからの日課である神仏へのおつとめに、短歌人としての歌詠みに、そして数年前からの色々な方々への呼びかけで折鶴を折り集める行為に(今年も広島と長崎に千羽鶴を送らせていただきそれぞれ先方より御礼のお手紙を頂戴しています)と、気づくだけでもこれらを挙げられます。今日は初めてリアルタイムで平和祈念式典の放送を視聴しました。唯一の被爆国民としてもっともっと声を上げていくことがあると思う中で、14年前と変わらず揺るがない想いとしてあるのは、ひとりひとりが伝える役目を引き受ける立場にいるということ。自分自身、未だに僅かな営みですが、当時は親子サークルを通じて、現在は親子レッスンを通じて、平和への思いを込めて地道な次世代育成支援活動を行っています(今週と来週のテーマは二週連続「平和と公正をすべの人に」)。
Aug 6, 2020
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10歳のサンバ、先日の英検2級一次試験をクリアしました。5年前に受験した国連英検ジュニアを最後にこれまでどのくらい実力がついていたのか、昨年はあまりの忙しさでそこまで気が回らず、今年になってそういえば検定試験、とふと思い立って初めて受けさせたところ、4・3級ダブル受験、準2・2級ダブル受験で次々クリアして、特に2級までくるとこれまでの英語志向性の生活の結実として、日本にいても英語力がサンバにしっかり定着している手ごたえを感じました。正直なところ、胎児期より(笑)日々英語に触れて、更に3年近くを外国のインターで過ごしたのなら2級くらいはクリアしてもらわないと、と常々思っていました。とはいえサンバの場合、英語も日本語もネイティブで、ジャカルタでも英語だけにどっぷり浸かることなく自らの意志でバランスをとるように自宅では切り替え、飽くことなく日本語の書籍をかたっぱしから読み漁っていました。それだけに英語の語彙量は本来のネイティブが持つ量にまで至っていないのは明らかで、そのハンディをどこまでクリアできるだろうか、というのが今回の2級の試験では非常に関心のあった点でした。以下の帰国後からこれまでの経緯を思いかえすにつけ、サンバくん、本当に凄いねーと心から祝福するに至り、サンバもあらためて英語への自信を取り戻したようです。帰国して外国学校、インター、と遠方の学校を転々として、初めて体験する日本の国語の授業もあるインターでの数々のライティング系の宿題がこなしきれない中、私自身も去年はアドホックな仕事もあったせいで帰国後も相変わらず早朝から夜10時11時までかかる仕事で帰宅してから次はサンバの宿題フォローに頭を切り替えて先生と夜中にメールのやりとりをしながら対応する有様で、その合間に残りの仕事をやり、と、平日はほとんど睡眠をとれず、土日も宿題にかかりきりで生き地獄でした。途中から更に民間学童にもお世話になってサンバが孤独にならないように、また、国語の勉強はそこでかろうじてフォローしてもらうようにしたものの、親子ともども肉体的にも精神的にもまいってしまい、年明けに思い切って近場の日本の私立学校の編入試験を受けて編入しました。今の方が個性豊かな海外のインター時代のような雰囲気の中、寛容で面倒見の良い学校の先生やお友だちのおかげで小学生らしく生き生きのびのびして生活しています。こうして結局数か月で3回も転校し、うちはまさかこんな形でインターの方が合わなくなるとは思いもよらなかったのでしたが、帰国子女の子が抱える辛さは色々で、職場でも帰国子女経験者の心の内なり、同じように帰国した人たちの話なりを聞いて、どん底の時には光が先にみえるようで励まされていました。サンバいわく、英語については話すにしても聞くにしても読むにしても英語で理解し、考える段になると日本語を使っているのだそうです。知能が進んでくる中・高学年になる時期にあたり、語彙量がさほどついていないと日本語で考えたことをどう変換して英語に戻すか、がネックになって書くとなると一行くらいしか書けない、といった壁にぶち当たっていたのかなと想像します。こうした壁を抱えながら日本の学校に転校するにあたり、どのように英語から離れてしまわないように英語力を保持、更に育成するのがよいか、我が家は最終的に個人レッスンを選びました。帰国子女の英語保持教室の体験レッスンを受けた時には、サンバ本人は日本のインターより難しい授業だったとの感想で、インターの宿題のトラウマからまだ解放されていないと同じことを繰り返しそうだったので、集団レッスンはしばらくやめておくことにしました。代わりに、メンタルケアのためにも、と帰国子女経験でスカイプ家庭教師をされている日本人の方から、週1回30分を目安にライティング能力向上のレッスンをしてもらっています。2級まで導いてもらったのもベースの上にこうした保持学習をつけているおかげです。2級の対策は直前に試験の形式を学習しただけで、普段はいわゆる日本人的な出る単・試験問題の部分演習、といったものではなく、数々の説明文を今日はこれでいこうか、と挙げてもらって音読から始めて問題に答える(パラごとの問いかけに答えて内容を把握・再確認する)ものです。学校でのサンバの今の目標は、字をきれいに書けるようになること、国語の作文が長く書けるようになること、でジャカルタ生活の代償に未だ苦労していますが、自覚したことが大事で、遅まきながら日一日と進歩しています。
Nov 1, 2015
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このところ夜更かしが続いてます~。第17回国際ショパンピアノコンクール優勝者の演奏をYou Tubeで第二選からファイナルまで一気に聴きました~。来月生で聴く予定です♪帰国後、昨年度中は休日を楽しむ余裕もありませんでしたが、この春から我が家はオールシーズンサークルのごとく、春夏はアウトドアにはまり、秋から冬はこれにプラスして、かつてのようにクラシック生演奏の鑑賞に、とオフの時間を思いっきり満喫中!ジャカルタじゃありそうでなかった愉しみの一つです。ささやかな愉しみの再来とともに毎夏の足かせも再来し、去年から4年ぶりに母のピアノ発表会にもカムバック・・・。今年のショパンイヤーにかこつけて一度舞台で弾いたことのあったバラード第4番。この曲は指の訓練に最適だし音楽性も高くて弾いていて気持ちも入りこめるし、とジャカルタでも付かず離れず弾いていましたが、ここまでが限界かーとつくづく思いました。ショパンを弾くとだいたい次はショパンの翌年に生まれたリストへ・・・・首かせも更につきそう。さて、お題のショパンコンクール、5年前から期待していた小林愛美さんはファイナリストに残るも残念ながら上位には至らず、優勝は韓国に持っていかれましたが、回数を重ねるごとに挑戦者も洗練されていくようで。今やアジア系の顔ぶれが多いこと・・・。時代の表れなのか、コンクール挑戦へのがむしゃらさのようなものは表に出ない印象。それはどうでもよいことでした。どれをとってもどっぷりショパン、秋の夜長に心地よかったデス。
Oct 21, 2015
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I could not describe our severe situation in a single word....it took long time for us to recover our life to settle down in Japan for the first time in almost three years after our going back to Japan one and half year ago. But now it is ok with us帰国しても止まらせてもらう時間がなく、相変わらずの怒涛の日々でしたが、何とか落ち着きました。既知のみなさまには職場でも帰国後から長いことあまりにも閉鎖的でいましたが、やっと人との連絡をとる気力も湧いてきました。何よりこどもの居場所が見つかって楽しく元気に毎日を過ごしていることが喜びです。ただ、自分はいつまでこの生活を続けるのか・・・だんだん働きやすくなってきた職場なので、今辞めるのも損だなーと思ってまたズルズル、どこまでいられるのかな。何とか日本人の働き方がまずは自分に報われる働きにならないものか、と身をもって痛感する日々です。。。。。
Sep 26, 2015
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Kota Bandung from kampung gajah at Entrance at Sierra
Oct 9, 2013
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日本に行ってた時間が空白でしたが戻ってから早三週間かな?日本にいたときより穏やかに過ごしてる、かな?やっぱり時間の制約があると思うとあれもこれもしたくなるもの。今回は二年ぶり、それ以上ぶりに友達にもちょこちょこ会えて嬉しかったです。地元には戻る間なく、断然ママ友中心、私と違ってサンバは4歳の時の記憶さえほとんどなくて・・・でも濃密に時間を一緒に過ごした前の保育所時代のお友だちのことは鮮明に覚えていて互いに再会を懐かしんでいました。よかったよかった。戻る二日前にランチで会ったお友達が花火を一緒にやろうって誘ってくれたお蔭で今年は観る機会がなかったのが思わぬことで楽しいひとときを過ごすこともできました。小さいころは観るよりも自分たちでやる花火が主流だったのが、都会のマンション生活だと周りに気を遣わずにできる場所がなくて、公園で短時間でささっと済ませなくちゃ、という感じになるけどこの手の花火もまだ健在!次は本帰国までゆっくりみなさんと会える時間はないかも。でも年末も帰ります。粗大ごみとかいろいろしておこうと思いながら途中身体もダウンして寝込んでいたこともあり、年末の大掃除を見込んで今できたのは結局窓掃除だけでした。真夏にやるのが一番、数か月経てば確かにまた汚れるけど、年末は堪忍ね。~さて~南下して―今年は日イ国交55周年、日ASEAN友好40周年記念事業と銘打って色々あります。大相撲に湧いた8月JKT場所、ローカル話題ではサンバのサッカーチームの日イ友好試合が先週末にあり、サンバの学年は練習でしたが試合にあわせて午前終了。たまたま試合の場所とほど近いところにおうちを建てて引っ越したばかりの学校のクラスのお友だち宅によばれてたので、このところ集まりがあるとポットラック形式で、朝からおにぎり20こ分準備、前日に買ったパンと日本からもってきたチーズ加工品やあずきホイップクリームを持参しました。家のなかに鯉が泳いでる!!!なんだか日本人の暮らしとちがうんだよなー贅沢というのではけっしてない。日本のチーズスナックは現地ママたちにも大好評。本当に洗練されてますな、日本の食品は。写真はお宅&JKTママ友たちと。 その翌日はジャカルタジャパン祭りのフィナーレでモナス(独立記念塔)広場が会場となり、ナショナルスタッフ恒例の盆踊りの着付け要員に今年は駆り出されて半分仕事。。。でもお目当ての(今年は話のタネに来るつもりになってた)インドネシアのトップポップスター、ビヨンセみたいな感じ、のアグネスモニカをスタッフテントからじっくり見てライブを聴けたので役得でした~。そういえばJKT48も、ついでに。でも誰が誰だかさっぱりわからん。盆踊りの前には花火もあがって、意外にもこの夏の花火をここで観覧することになるとは、感動!写真は背後のモナス二枚、幻想的な色で夜は様変わり。二枚目は花火とともに、残念ながらわからないか。。。山車も出ました!盆踊りも撮りましたよー、予定より二時間大幅遅れ、盆踊りの最中にそっと抜けるつもりが周囲でノリノリインドネシアの皆様に取り囲まれ、抜けられず・・・それにしてもなんでウチの事務所に去年いらしたお祭りおじさま考案の盆踊りメニュー、踊るポンポコリンに始まり日本の歌のオンパレードにもかかわらず、待ってましたーとばかり続々現れて私たちを取り囲んだ大衆インドネシア人ばかりと思しき方々にこれほどまでに浸透してたのか、すごい功績&摩訶不思議。考案者にメールしよっ!帰宅は11時過ぎでした。 また明日は5時半起き。お休みなさーい!
Sep 10, 2013
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48のことじゃないよ、私のこと、今週末から帰るぞー!この二年間まったく更新もされなかったかわいそうな日記よ、サンバの成長記録もつけられず、日々流されるまま。それだけ苦労してたんだと後から振り返ることでしょう。いや、喉元過ぎればで時が経つと忘れちゃうかな。それもよしで。それにしても口コミテーマ選んだのに反映されてるのかな。だいぶブログ機能も変わってますなあ。なんか絵文字うまく入らなくなっちゃったんだけど、ま、いいか。とにかく今回で帰国は4度目。日本でも遠隔で仕事するんだろうが、これまでのような追い詰められ感がなくってフツ―にいつでもメール来いって気持ちで仕事を待ち受ける気分。二年にしてやっとです。せっかく人間的な生活になってきたと思えてきたこの頃、折角なのでJKT後半生活くらい楽しませてよ~♪ちなみに今週末は入れ違いでパフューム来イらしい。来月戻ればすぐに大相撲JKT場所が待ってるぞー!
Jul 24, 2013
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この9日間の大連休中、メイドさんもお休みなので家事もちょこちょこしながら、プールに入ったり、買い物ついでに傍のショッピングモール内の親子カフェで遊ばせたり、と大半は極めて狭い範囲で行動ここに来て半月経っても東京にいるときの休日とあまり変わり映えしないのもなんだし、一日ツアーを探して問い合わせてみると、休暇に入ってから郊外に向かう観光は渋滞するので組めない、とツアーデスクの対応。ではジャカルタ内だけでも、と思って半日タクシーを借りました。当日、南部方面の動物園等に行く道すがら、運転手さんに、本当はせめてボゴールに行きたかったのだけどツアー会社には断られた、と言うと、予定変更でかまわないといって思いがけずジャカルタから50キロ強離れた高原地帯まで行かせてもらえてラッキー【一日の行程】 午前8時半:自宅出発 ↓ 午前9時半:Kebun Raya Bogor(ボゴール植物園)着 世界最大の花ラフレシアの見どころという植物園+かつての大統領邸宅(ジャカルタから30キロ地点)と周辺散策 ↓ 午前11時半:Kebun Raya Bogor発 ホテルやコテージの多い山に向かい(ここから先は週末の客足の渋滞で25キロの道のりを2時間)、中腹にあるタマンサファリ http://www.tamansafari.com/ へ。↓ 午後1時半:Taman Safari(サファリパーク)着 ここではえさも車窓から食べさせられるし、サファリツアーが終わると併設された遊園地、水族館の他、動物のショーや乗動物体験(子どもの希望でラクダに。私は乗ったことあるので前のめりで座りづらいと思ってたからこれはあまり気が進まず。。。)もあって盛りだくさん、気候も涼しくて過ごしやすく、子どもから大人まで楽しめるいちおしの場所でした昨日までナイトサファリもやってたみたいだし、今回とても全て廻りきれなかったので、一泊して二日がかりで遊ぶのに良さそう。 ↓ 午後5時:Taman Safari出発 ↓ 午後6時半:自宅着 【気になるお値段】 一日観光で、食事(適当ながら)+12時間貸し切り+高速道路料金+各入場料(運転手さん分+車全て込み)でトータル14000円でお釣りがくる程度一般のツアーだと、決まったホテルまで自力で移動した上で、30キロ地点の植物園どまりで二人だと7000円くらい、と思うと割安だったと思います。そもそも植物園までなら迎車なのに7000円もしなかったし。何より運転手さんがよくしてくれて、あちこちの露店やら遊園地内のチケットまで値切ってくれたり、子どもをトイレに連れて行ってくれたり。いい思い出ができました。 ~明日から職場に戻ります。事務所が一週間公休となると、たまっている仕事があるのは必至なので、子どものスクールバスのお迎えの朝6時半と同じ時間に出勤しようと思っていたら、メイドさんが裏のドアの鍵をここに忘れていったようだということで来てもらう時間を若干早めて待つことにしました。とはいえ、忘れていったようだという鍵も見当たらなくて、思いがけないトラブル。直近で同じアパートの別の日本人宅で仕事していた人なので、彼女にとってもそうそう起こさないミスだと思うのだけど、計算外のことが色々起きるもので、皮肉なもんです。明日のせわしなさを思うと今から滅入る…これ以外にも、今回の一日チャーターの手配に至るまでも、話が違うよ~、と思うことも実はあり、住まいの水回りも何か所か直してもらわなくてはならないところもあり、携帯購入してもSMSしかつながらなくて何回も携帯ショップに足を運んだり(これはようやく解消!)、と何かしら問題が尽きないので、休めるときはとにかく神経を休ませるようにしてます。それでも東南アジアはまだまだ恵まれた場所なのだけど。こうして知らず知らずタフになっていくということか。。。
Sep 4, 2011
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以前書き込もうとしたのが、機種依存文字のためにエラーメッセージが出てしまい、そのまま手つかずにいましたのであらためて~ 記憶の風化とは怖ろしいもので、あれだけ衝撃を受けた震災だったのに、震災後、わずか半年でも被災地の苦しみを知れるチャンスが本当に少ない。あの時こうした対応があれば、といった反省が報道で取り上げられることがあっても、報道に、復興へのステージが変わる局面における事前策を継続的に伝え、情報を入手しやすくする場として機能することを期待するのは、度を超えたことなのかもしれない。 少なくとも、脇から手をこまねいてみていることがじれったいと思う個々人の思いを国策に巧く変換させていくことが大事で、それは国家のトップの力量にかかっているとつくづく思わされる。 今回のトップ交代で何か変化がみえればよいが―。 さて、災害に備えて、去る3月に行った防災訓練の炊き出し実践報告です。一例にすぎませんが、ご覧になった方々の何かのヒントになればと思います。『炊き出し実践報告 ~豚汁~(1)レシピ材料及び下準備元のレシピを約290人分(今回の防災訓練参加表明人数)×約0.7分量に換算 ? じゃがいも(乱切り)8 kg(5個入り17袋)? 大根(1.5センチのイチョウ切り) 9.9 kg(11本)? 人参(1.5センチのイチョウ切り) 5 kg強(38本) ? こんにゃく(一口大に切ったもの)7.7 kg(35枚) ? 洗いごぼう(5ミリの小口切り) 5.5 kg(4本入り25袋)? 豚もも肉切り落とし 10 kg強(500g以上20パック)? ネギ(1センチの小口切り) 5 kg(25本)? 味噌(120~150グラム/ 4人分) 8 kg? 水 101.5?の7割程度? 市販だし、料理酒 適量作り方 1. 野菜は水から煮る。沸騰するまで強火で。 2. 野菜に完全に火が通る前に、みその半量を入れる。 3. 豚肉を入れる。4. 残りのみそを入れ、味を整える。※みその2度入れの効果:1度目のみそで野菜に下味をつけます。2度目のみそは味を調えると同時に失われてしまった香りを補う役目です。残った半量全てを入れるのではなく、味見をしながら足りない分だけをお好みで加えます。【出所】『NHK総合テレビ ためしてガッテン 過去の放送 豚汁~だしとり加熱は不要!素材がだし!~』注)元のレシピでは、“じゃがいも”ではなく“里芋”。炊き出しの場合には、ぬめりがある里芋よりも、扱いやすく且つ安価なじゃがいもを指定しているレシピが他にあることに倣い、食材を変更した。(2)実施体制1)物資調達 ◆食材:前日に購入 ◆機器・消耗品:借用もしくは購入 a.機器:前日までに借用(括弧内※は町内自治会等から借用) プロパンガス2(※)、寸胴鍋2(※)、レードル3(※) b.消耗品:前日までに購入 容器400、わりばし400、子ども用のプラスチック先割れスプーン100程度、ごみ袋90リ ットル10枚入り一袋 ◆施設・設備:事前予約 マンション内パーティルーム、テント(当日午前8時半~9時までの間に設置)2)調理 前日に仕込み、寸胴鍋1つ分の下味付けまで準備(5人で2時間半超)。当日はテント内にて午前9時から1.5~2時間かけて出来上がり、その後順次配布(配置人数:7人)。3)実施経費 食材費(29,908円)+消耗品費(6,515円)+機器類借用費(6,300円)=42,723円4)特記事項:炊出しにかかる保健所の許認可について マンションでの防災訓練では、「特定多数」が対象者となるので、届出は必要なし。但し、衛生に注意して行う必要がある。つまり、食材を切る等の調理工程については、水道のある場所で行い、その後の煮炊きをして配布する工程については、野外でもテントの中で(屋根のあるところ)で行わなければならない。 また、豚汁であれば、届出は必要ないが、米飯を扱う場合には、届出は必要となり、水道などの設備の無いところでは届けを出しても不許可となることに注意する。火気の使用に関しては、ガスボンベなどを使い、煙を出さない調理方法で行うのであれば、届出は必要ない。 以上』
Sep 1, 2011
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世界最大規模のイスラム教国であるインドネシアでは、今年は8月1日からラマダンが始まり、8月27日からは断食明けの日本でいう正月・盆のようなレバランという休暇が一週間あります。 今年はこの数カ月間、目のまわるような忙しさで、赴任が決まった段階で予定していた夏休みもすべて吹き飛んでしまったので、この休暇をどれほど心待ちにしていたことか。本当に数カ月ぶりに安らかな気持ちで休息をとっています。 この時期、たいていは、首都ジャカルタを離れて遊びにでかける人ばかりです。私も当初は旦那様に同行ではなくレバラン時期の公休の数日前から来てもらうことを考えていたときには(シッターさんがレバラン前から休暇に入ってジャカルタを離れてしまうことを懸念して、赴任日とずらして来てもらわなくてはならないことを想定していたため。出国前に事務所を通じて確認したところジャカルタに残ることが分かり、一安心。)ついでにバリ旅行でもしてもらえば、と思ってましたが、結果的に同行で来てもらったほうが生活の立ち上げ段階では大いに助かったし、さすがに赴任前から、生活を整えて、仕事のキャッチアップして、という時期の旅行までセットする余裕がなかったので、いずれゆっくり、次に来てくれた時には国内旅行をしたいと思います。 せっかくなので、日帰りで行けるところがあれば、と思うものの、日本のように自分でちょこちょこ車を動かせるわけではないので、多くの運転手さんも休暇をとっているこの期間中、冗談じゃなく徒歩圏内で過ごすしかないかも。それでもめげずにこちらのツアー会社で案内している一日ツアーに問い合わせてみたところ、レバラン休暇中はジャカルタ外に出かけるツアー企画はしないとのこと。普段渋滞で悩まされるジャカルタからこの時期は人がどんどん流出して、郊外に出ると普段の倍の時間がかかるとか。先週土曜の午後からバンドンの実家に帰るという我が家のメイドさんも、普段3時間のところが5時間はかかるから早く行かないと、と言ってたとおり。では、ジャカルタ内ツアーならどうかな、と思って目に留めたジャカルタ湾沖の島への一日ツアーについて聞いたところ、大人気で今日に明日、といった枠はないらしい。百歩譲って同じ北方向の湾に面しているドリームランドツアーならいけるかも。結局、ツアー会社の支社が自宅近くのモールにあるので、直接そこに足を運んで交渉するよう勧められたので、明朝トライしてみよう。この三日間、土曜は買い物に、日曜はマンション内のジムで準備運動をして(サンバ先生に勧められ)その後二人でプールで水浴び+日光浴、月曜は家の中の片づけに徹しました。夜にはサンバが花火の音に気付き、遠目ながらこの夏初めての花火をジャカルタでみることができました。
Aug 29, 2011
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拝啓 向秋の候、ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。日記更新までにかなり間が空いているこのごろですが、本ブログからコンタクトさせていただいている方々には恐れ入りますが、ここでご挨拶申し上げます。このたび、急なことで連絡が遅れましたが、インドネシア勤務を命ぜられ、8月15日に赴任いたしました。職場では同志が増え始めたとはいえ、夫と離れての子連れ海外赴任はまだまだ世間一般ではかなり驚かれることだと思います。元来、子どもには物心がついた年齢になったら早くに世界の現実を知る機会を与えたいと思う気持ちがあったので、いずれこのような時が来るだろうと思ってました。とはいえ、型に縛られるのを好まない部類だと自覚してはいるものの、今回、こうした大きな決断に至るまでには無理のない時機が来るのを待ちつつ、まさに石橋をたたいて三年、の決断でした。というのも、単身でない在外の苦労はあるにしても、一方で、日本にいても時短勤務の中で代わりに出張してもらったり、遠隔操作をしたりするのに見えないところで体まで壊してどれだけの労苦があったかと思うと、復帰後三年を経て、明らかに大変さが分かってもらえる状況を見せられる方が、よほど精神的にも救われる、と、やはり人間ですから、そんな天秤をかけてみたわけです。確かに、国内外問わず非常にきついけれどもやりがいのある仕事環境にいられることは有難いことで、前部署でも時短に関係なく入れ込んだ時もありました。担当する業務の現場出張には行けなかったけれども、最後に、アフリカの某事務所の担当者からは、私が本部側の担当だったことで少なくとも事務所としては問題なく事を進められた、と労いの言葉を頂戴したのは、何よりも救われた一言でした。赴任後はめくるめくような日々ですが、赴任の決まった二か月前から事務所側でも着々と準備を進めてもらっていたおかげで、また、出国前、出国後併せて周囲の人々にも支えられているおかげで赴任二日目には住まいに移り、サンバの入学(学校だけはかなり自分でサーチして日本で時間をかけたやりとりの上で来ましたが、半年早く1年生になりました)手続きも済ませて今週から通学開始し生活も万全の体制、子連れにはつくづく恵まれた赴任先だったことを実感しています。さすがは大事務所、その分、仕事は一番忙しい事務所でもありますが。。。同行してくれた主人は本日日本に戻ります。こちらの生活はまたお伝えできればと思います。
Aug 19, 2011
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このたびの東日本大震災により被害を受けられました皆様に謹んでお見舞い申し上げます。現場の、その後の、悲惨な状況が伝えられるたびに涙せずにはいられません。人間はどこまで慈悲深くなれるだろう。1日1日を生きていること自体、エゴなくしては生きられない現実に耐えられなくなった人の善の部分の気持ちが自粛行動を駆り立てるのだと思うが、その行為はいずれ限界が来ることになるはず、この先何十年、何百年では済まないだろうが、国策にせよ、一個人の行動にせよ、その単位で物事を捉えることへの意識が、現代の人間一人一人にもう少し必要なのではないだろうか。現場に直に向かう勇気を持つ人たちには本当に頭が下がる想いだが、遠くにいて直に向かうこともせず、ということを恥じることなく、warm heart & cool mindでしなければならないことは山ほどあるはず。計画停電地域外でも自主節電(とはいえ職場で早速エアコンを止めたところに急な寒さだったせいか、彼岸過ぎに多分インフルエンザだと思われる症状にかかりました。皆様もお気をつけて)、原子力ありきを前提にしない生活の見直しと実行へ…と。いきなり大きな課題に触れるが、日々自分たちがこの目でみえる範囲に留まらない、寧ろ見えないことだらけで煩雑な経済活動の横行で、そこに自分たちの生活があること、そうした生活様式にしてきてしまったこと、それを必要悪だと思ってはいけないということを今回の大災害で確信した。どうして“是正”していけばいいのか、さまざまな立場、年齢にいても、本気で考え見直していくことを、せいぜい数十年単位程度でしか生きられない人間が、生かせてもらっている間、生涯持ち続けなければいけないheart & mindではないだろうか。この瞬間にも被災者の方々はどんな思いで過ごしているだろうか。災害がこうして突然起こることだけでなく、世界の治安情勢は緊張が増す一方で、リビアの国情がさらに悪化、他国への飛び火状況も未だ留まることなく、アフガニスタンではまた国連職員が北部で犠牲になっている。毎日、一日一日生き抜いた、という気持ちで過ごしている人々はどれほどいるだろう。~昨年秋から仕事にも通じるように、と、自分の足許から見直すつもりで自宅マンションの災害時の協力ボランティアの一員になりました。たまたま、かねてより計画されていた防災訓練を先週末にマンション主催で開催し、そこで万が一の時のためのシミュレーションを通して知見を得たことについて、ブログでも共有できることはあると思うので、近々ここに掲載したいと思います。~サンバは昨日から転園して園バス通園になりました。初日生き生きとして楽しんで帰ってきました。前の園からも一昨日、いい形で見送って下さいましたが、この一年半ほどは思うところが色々あり、それでも最初は気のせいかと思って見過ごしていましたが、あまりにやりきれなくなって、昨年夏以降は、仕事ではあまりバトルしなくなった時期に、次は保育室とかなりバトルしていました(笑)。晴れて、心機一転、今日も一日生きていることをありがたく思って一日始まります。
Apr 2, 2011
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生え換わりの時期です。2011年2月25日、サンバの下の前歯が一本抜けました一か月くらい前からグラグラしてきて気持ち悪い、、、と呟いてましたが、それからだいぶ経ってました。家の中で上に向かって投げたらしい、全くどこに転がっているやら…。それに初体験なんだしもっと感動を共有してちょうだいよ~サンバなりにちょっと妙な感覚になんともいえない気持ちだったのかな?よくよく見たら隣の歯の後ろに既にもう一本出現。。。これは抜けるまで自然に任せてよいものかどうか、さっそく歯科に行ってみよう。といいつつ今日は日帰りスキーに行ってきまーす
Feb 25, 2011
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最近、子連れで我々の世代が返り咲きだというゲレンデ、周囲でもこの冬は何人かスキーに行ったという話を聞いたらそそられて、冬山へと再来。 思い立ったのが年明けだったので来週の連休以降予約いっぱい。で、金曜に休みをとり早朝から移動して今日も夕方まで滑ってきました。只今新幹線で帰宅中。これまでスキーといえば上手い人に引っ張られて滑ってくるしかなかったので、レッスンを初めて受けてみたのもよかったです。サンバは雪山も初めてだったので、スキー教室に入って1日でよくできるようにさせてもらえました。 かかっている曲は80年代後半で乗っていける雰囲気だったのが、ボーダーが大半で、後ろから突っ込まれるんじゃないかと結構気になりながら滑るのがやっぱり随分違う気がしました。 腕が上がればなんてことないんでしょうが。 次は主人にもついていけるようになりたいし、冬のパノラマにもこれを見たさにまた来たいという余韻を残しつつ、またの機会が楽しみです。
Feb 5, 2011
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昨年1月末に保育室での英検受験者への授賞式に親が招かれ、直後に手術をして早1年。病室からサンバと旦那が交代で豆まきの鬼になったと聞いたのが、今年は明日に家で一緒に豆まきをして春を迎えられそうです。今回、去る11月に受験した時には、「今回は難しかったから受からないだろうな」(※ジュニアテストの場合は合否という付け方はしてはいないのだが)と開口一番に言っていたので、結果はそれなりだったのだろうと思います。英語力という以前に、普段からよく人の話を聞けているかという点が出来具合を左右しているのだろうと思われるふしがあったので、反省して日常生活の見直しをしているところです。とはいえ、冷静に自己分析ができることは感心できることだと思いました。もともと自宅で試しに受けさせて結果を保育室に知らせたら、その次の年から室でも受験会場資格を得て導入されるようになった経緯から、良かれ悪しかれ英語が前面に出て、それを求めて入園希望者が増えてきたのではないかと感じます。全日プリスクールの学校にも夏季や土日などでお世話になって魅力もあったのですが、週3日の英語保育環境のここを選んだ理由は、将来のグローバル人材を育てるには我が家の場合は日本人のアイデンティティを持てる環境が必要だと思ってきたからでした。来年度は縁あって、もう少し大きな規模で、これまでのモンテッソーリもコンセプトにいれたインターを謳う園に、1年間だけですが転園することにしました。諸事情あり、サンバにとっても親にとっても無理ない形になったと思います。今は入園前の色々なイベントを11月から月1回程度開いてくれるので、少しずつそちらのお友達もできつつあるところです。転勤がなければ、の前提で進めていますが、ま、いずれにしても来年度中に異動はあるだろうけど…。ではよい1日でありますように。穏やかならぬ出来事が多いこのごろですが、平穏無事を願い、春を迎えられますように。
Feb 2, 2011
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旧年中お世話になった方々、こちらのブログを通じてご縁のある方々には、一年間どうもありがとうございました。今年は喪中のため、新年のご挨拶は欠礼しております。あらためて家族三人、健康で迎えることのできた新年をありがたいと思います。例年通り、昨晩、主人は高校時代の仲間同士で年に一回の集まりで年越しそばも早々に済ませて出かけ、今朝帰宅後に我が家から撮ってもらった初日の出です。今年は一緒に起きることができませんでしたが、いい睡眠をとりました。元日ですが、鯛はクリスマスイブにいただき、今日はおせち料理もなしでしたが、八つ頭だけ用意して、かまぼこでウサギの顔をつくり、父母に搗いてもらったお餅で雑煮を食しました。いつの間にかリビングの写真も昨夏の花火から上の写真に置き換わっていました。。。いつもは元旦にはしない掃除もして(昨日したばかりなのにやっぱり埃がたまる)気持ちよく?これから実家に舞い戻ります。12月中は、年末にかけて、まずサンバのクリスマス音楽会や家族忘年会の芸能観賞に父母に我が家まで来てもらった後は、年末は仕事納めの日まで数日間、サンバが逆に初お泊りでお世話になったので、実家との行き来が頻繁なこのごろですが、こんな生活時間を持てる機会を大事にしたいと思います。家族に、そして皆様に、心から、今年もどうぞよろしくお願いします。
Jan 1, 2011
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サンバと電車に乗ると、このごろは必ず一番前か後ろへと一目散。憧れの運転手さんや車掌さんの仕事が間近に見られるし、降りた時には電車の“顔”もよく見えるこれだけ鉄道好きなサンバにご褒美、というかつい自分も気に留めるようになり、このたび車内の中吊りで知った「都営浅草線50周年記念イベント」に行ってきました。行きの車内で出会った6歳の男の子、現場でもクイズ大会でサンバを気遣ってくれてありがとうきっとまたどこかで会えそうだね!エアートレインにしても車内アナウンスにしても、サンバが毎日つぶやいていることが商売になるんだなぁ、と妙なところで感心お日和もよく、気持ちも和む土曜の午後でした。ところで、焼きドーナツ、ほぼ毎日続いてます。もはや豆腐蒸しパンになって、ドーナツと思ってはいけない?ものと化してましたが―今朝は紫芋フレークを混ぜてみたら、サクッとした歯触りで、焼き色も風味もチョコドーナツ、サンバのリクエストで紫芋にしたはずなのに、チョコだと思い込んで食べていたようです。さて、そろそろ出かけます
Dec 6, 2010
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ドタキャンで有名な大御所ピアニストのアルゲリッチですが、この東京で彼女のファンのサンバにも聴かせられるまたとないチャンス!と思い、迷わず5月にチケットを買ったコンサートを、昨晩最前列で聴きました10年前にサントリーホールでアシュケナージ指揮のショパン協奏曲を聴いて以来、アルゲリッチは二度目。サンバも聴きなれている11月28日のショパンの方がよいだろうと思ったけれども完売だったので、シューマン&ラベルのプログラムでこの幼児がもつだろうかという不安を抱えながらも、私は聴くぞ~という欲が勝りシューマンのコンチェルトにはビオラを弾く長女のリダさん(だよね)も目の前にいました。若い頃のアルゲリッチみたい、とついじーっとみてしまいました。そうそう、ロビーで假屋崎省吾さんもお見かけしました。先日のワルシャワのコンクールにもお出かけしていらしたから、審査員のアルゲリッチとも仲良くなったのかな、いいなぁバイオリンを習っているサンバには弦楽器のほうもいい勉強になるといいながらも主役がピアノなので、ここだと手が見えないよ、と。贅沢な奴。。。サンバは逆さまつげが目を突いていたようで目を開けているのも辛そうだったのが、これまでYou tubeでしかお目にかかっていないアルゲリッチを生で聴けるのに感じ入るものがあるのか、弾く表情を食い入るようにして見て聴いていました。この方はやはり人を惹きつける独特のオーラがあります。存命中に聴いておきたい、と聴くまではおセンチだった気持ちを吹き飛ばし、まだまだ現役で聴ける機会があると安心させてもらえました。奔放さを嫌う人もいますが、彼女の世界をつくってしまうド迫力、聴衆が弾き手に期待する、コレ!といったものを出してくるところは妙を得てます。生の音色の空気に包まれる心地よさは何ともいえません。アンコールはラベルの協奏曲の第3楽章(プログラムと同じ演目から取り出すとは、度胸あります。)、ソロでシューマンの「子どもの情景」(私も今年の発表会でショパン&シューマンイヤーに合わせ、第一部の方で弾きました。お孫さんに弾いてあげているおばあちゃんをつい想像してしまった…)と「夢のもつれ」(しめは皆がアルゲリッチに期待する曲想)で。実は、サンバが黄緑色とかすりの紫色のコンビネーションのラッピングで一輪のダリアを選んで持っていったのですが、休憩時間に係の方に渡してもらうように頼んでしまいました。二人ほど花束を渡していた人がいたので、最前列でもあったし、手渡しして握手すればよかった、どんな手をしていただろう、とかなり後悔ごめんね。ま、また別府にでもいつか行こうか、ヨーロッパで聴こうか。久々に聴きがいのあるコンサートに朝もまだ興奮してます。今日が素敵な一日でありますように
Dec 2, 2010
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小腹が空いた時にも朝食にも、と用途が広い焼きドーナツ。その1.豆腐ドーナツ 前回作った豆腐ドーナツをよりシンプルに。木綿豆腐の残り半丁を用い、バニラエッセンスを加えたプレーン生地の焼きドーナツ。同じようにしたつもりが生地がちょっとゆるめだったおかげか?焼いたら卵蒸しケーキのような食感になり、これはこれでいけました。あっという間に土曜の朝の胃袋に消えました…。★そういえば、焼く場合には、前々回にご紹介したレシピ本によると、すべて180℃ 20分間です。その2.米粉ドーナツ(レシピ本を参考にアレンジ)材料(6個分)米粉…………………… 80gアーモンドパウダー…… 30gホットケーキミックス…… 30g卵……………………… 1個牛乳…………………… 30gメープルシロップ……… 大さじ3バニラエッセンス……… 少量☆6個のうち、半数の3個には、チョコチップの代用で、カフェインフリーの“キャロブ(いなご豆)チップス”を混ぜてみました。アーモンドパウダーは有機アーモンドを選びました。焼いてみたら―ドーナツ型をしたスコーン、という食感。我が家では迷いなく本日の朝食の足しになりました。日曜でしたが色々用向きが重なり、午前8時すぎに出かけるにはちょうどいいボリューム感と味だったみたい。
Nov 21, 2010
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平日なのに、連日帰宅後に作ってしまいました…というのも、豆腐の消費期限が気になったこともあり、これからまだまだ成長していくサンバには、菓子ひとつも楽しみながら、ほんのちょっとだけヘルシー志向でいきたいなという想いもあり。材料(6個分=シリコン製ドーナツ型の分量)ホットケーキミックス………120g卵………………………… 1個バター…………………… 30g砂糖……………………… 大さじ1牛乳……………………… 30ml豆腐……………………… 180g(半丁程度)昨日ご紹介したレシピ本の基本パターンをいじって豆腐にしてみました。他、お好みで抹茶シュガーやココアシュガー(今回は抹茶とココアそれぞれにいつも使っているてんさい糖を混ぜました)、デコペンなど。豆腐の分量だけ、思ったよりボリュームがでてしまったので、6個のうち4個は二分割にしてみました。Before(既に下地まで終えた様子)Afterサンバと一緒にデコペンやらチョコクランチやらでごちゃごちゃ装飾した結果、なんだかお目目と開いた口みたいになったのが愛嬌があるくらい。まず、デコペン先が太すぎました。サンバはプレーンドーナツを時計にする!と言って3の数字を書いたのがおぼろげながらわかるくらい(逆位置だし…)。もう少しがんばりましょう。。。第二弾でも、正味1時間もあれば完成。私は夕食の支度に、サンバは家庭学習に、とそれぞれせっせと取り組む合間に材料を混ぜて、焼き、粗熱がとれたところで仕上げ、といったステップで完成ですここで実績積んだらパン作りも難なく日課になるか甘いか…
Nov 18, 2010
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今年に入って、日ごろの食生活見直しを契機に、毎日の食材はできるだけ身体によいものを求めて購入することを意識しています。折も折、米でパンを作ることができるコパンの登場を知った時には興味大でしたが、「パンをつくるつもりなら毎日の日課になるんだから、続くかどうか、自分が一番よくわかるでしょ。」という調子の旦那の一撃に遭い、敢え無く断念。話題にされている今、その波に乗れなかったことがなんだか物悲しいと思いながら、ふと本屋に立ち寄って、これならいける!と買ってみたのがこちら。シリコン型で簡単 おうちで毎日焼きドーナツ シリコン製ドーナツ型つきこの気軽さ、いいです。焼きの代わりにレンジで数分蒸してもできるという即席ドーナツをつくってみました。脇でおでんを煮込んでいる間の一仕事でできます。我が家ではサンバがひたすらバターをクリーム状に練り練り。。。やっぱり菓子作りはこの最初の関門をクリアできないと進めません。だから面倒臭くて腰が重くなる。…と、そんな人にうってつけの、バターを使わない焼きドーナツレシピもこの本には紹介されてます。第一弾はココアドーナツ、試しに小麦粉の代わりに一部米粉を混ぜてみたら弾性が強すぎて絞り出しに苦労しました。。。出来上がりは、うーん、やっぱり蒸しよりは焼きの方がドーナツらしいかな。 こんなお化粧もして遊んでみたものの、その日のうちに胃の中へ。確かに低カロリーではある。
Nov 17, 2010
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...It has been like a pin behind a perfect flower bouquet; unseen by all but secretly holding the whole arrangement together... 職場復帰以来の仕事のパートナーから、来月日本を離れるにあたりいただいた言葉です。 時短勤務中の今は現場への出張もできず、もどかしい気持ちがつきまとっていました。それだけに、こんなふうに今の自分をみてくれている人がいるというのは、病を圧して仕事をやり遂げて報われたというか、これから生きていくにも心の支えになります。 旅の記録続編- 携帯からだと画像と文章が別々になってしまうかも知れませんが、山陰・山陽道の思い出、訪ね歩いたところから- 津和野はこの時期、夜には神楽を観覧できます。 津和野の旅館のサービスの早朝観光で、町全体が眺められる場所から サンバが楽しみにしていた秋芳洞、全長1キロを興味深く歩きました。毎日2キロ程度は走るらしく足は強く育ってるのがよくわかります。 厳島神社の夕景、引き潮時に呉に住む従姉親子と待ち合わせ。従姉とは14年ぶりの再会。 翌朝、平日でしたが結婚式が行われていたおかげで、滅多にお目にかかることのない舞楽を観覧できました。
Oct 24, 2010
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4日ほど前から、そろそろ、と気になって、公式サイトから開いて聴いてます。おかげで先週は夜に持ち帰った仕事には手つかずで、過去のショパン弾きにまで遡って夜中はYou tubeにどっぷりはまり昨日は日本時間の夜7時過ぎから、食事の支度をしながら聴き始め、夕食のBGMにもなり結局10時まで聴いてしまいました。その間、弾いたのは二人。第三次予選はこの長時間のプログラム構成力も合わせてピアニストの真価が問われるだけに、既に緊張するというような次元とは違うところでの勝負になり、聴衆としては一番面白いところ。実家の父母は15年前にあの会場で第一次予選から毎日何時間も聴いていたので、ホントにそれだけのツアーによく毎日頑張るなぁ、と感心してましたが、確かに、こうして今やネットで聴けるようになって、その面白さがよく実感できます。ショパン三昧で贅沢な旅だったことだろう、と。本日、第三次通過者は10名に絞られました。http://konkurs.chopin.pl/en/edition/xvi/verdicts/1956_3rd_stage_sessions___verdictピティナのHPには決勝の演目と順番まで紹介されています。http://www.piano.or.jp/report/02soc/chopin_con2010/2010/10/17_11551.html今日は美容院に行ってきます。半年以上アップスタイルに馴れていたので、明日からの髪型はどうしようかな。
Oct 17, 2010
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新幹線、ローカル線、ディーゼル、フェリー、レンタカー、観光バス、とあの手この手で欲張り、六泊七日かけた気ままな国内旅行。 [1日目] 東京から山陰への移動は陸路だと1日費してしまいます。朝、ラッシュのピークをこえた9時半すぎに自宅を出発し、鳥取砂丘に立ち寄るつもりで姫路で乗り換えることにしたものの、事故による電車遅延で敢えなく断念。 当初は、鳥取で夕食を済ませ、素泊まりする算段でいた大山の麓のホテルに、夕食をお願いしてホルモン鍋をいただきました。さらりとした口当たりで、急な冷え込みには体がほっとする温かさでした。 [2日目] 朝土砂降りの中、タクシーで20分程度で米子に到着。写真は境港行きのディーゼルカー。ゲゲゲの女房の効果もあり、境港は鬼太郎一色。 実は、あてにしていた高速船が欠航したので、フェリーの出航を待つ間、思いがけずゆっくり境港観光。水木しげるロードを散策し、初めて、物事の本質を知っている水木さんの生き方を知ることとなりました。 こちらは境港発隠岐-島後に向かう船から臨む夕陽。到着は夕方6時半。 中秋の名月から1日遅れで月が顔を出し海に映えました。 [3日目] この日も高速船は欠航。午前中レンタカーで島後の見所を駆け足で3分の1程度廻り、昼のフェリーで本土に近い島前に移動。 ここでは観光バスで景勝地の国賀海岸巡り。 通天橋 宿泊先のコテージからの眺望。翌朝、庭を歩いて海岸へ出てみるとこんな感じ〓 [4日目] 隠岐に渡る前からいい天気になってもとうとう最後まで高速船が動かず。 とはいえ、お陰でゆっくり海岸べりを散歩できたし、ゲゲゲの女房の最終回だけいいタイミングで見ることにもなりました。 フェリーも鬼太郎(&一反木綿)、お世話になりました。どうもありがとう! 高速船をあてにしていた旅は引き続きスリリング。これもまた旅の醍醐味、か?
Sep 28, 2010
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ご無沙汰しています。 東京は急激に寒くなり、台風が迫っていると聞きました。関東近辺の方々にはお身体にお気をつけくださいますように。只今ようやく夏休み中、旅路にいます。特に個人的にご連絡いただきながらご無礼していた方々には、以下のような経緯で失礼していたことをお詫び申し上げます。 これまでブログにまでは書く気力も時間も取れませんでしたが、この一年間に病も大きな仕事もありました。夫も万が一のことが頭をよぎったのか、予後に荷物もあまり持てない頃からはサンバの送りは毎日してくれるし、家事もかいがいしくしてくれます。今や掃除するのもしんどいことはなく体は万全ですが、一度ついた習慣で申し訳ないくらいよくしてくれます。 一方で義父が5月に亡くなり、数ヶ月間で次々起きた色々なことから、人の生き死にを毎日つくづく感じさせられて過ごしています。 今年に入ってからは特に今の仕事で死んでたまるか!という想いから、いつか生涯のテーマで取り組もうと思いながらこの10年距離を置いていた元々の専門に、ようやく本気になってブラッシュアップすることにしました。 気持ちの追い風となったのは、皮肉にも、職場でも時短勤務に加えて勤務地限定をやむを得ず申請して以来、その権利と引き換えに否応なしに給料も減らされている現状です。 本体事業の仕事がしたいが自己犠牲でくすぶっている気持ちの今、転進準備のつもりで始めるチャンスと思ったのが、まだまだ当分は今の待遇をこえる収入の保証には至らず。 とはいえ異なる業界や年齢の人たちと大いに学び、お陰で+αの資格も3つほど取得しました。 こうした新しい取り組みの中で、上半期に集中する業務あり、毎年8月のピアノ発表会ではショパンイヤーに因み、一年前に久々にショパンの大曲にしたこともあり、9月末に最後のタスクで一区切りつくまで、息つく間なく、我ながらよく乗り切ったと思います。 最後のタスクは7月から毎週水曜の夜に出かけているので、この課題も二週分を旅の直前に提出し、合間を縫って休みをとりました。夫とサンバには本当に犠牲になりながらも協力あってこそ、感謝してます。 前おき?が長くなりましたが明日から旅記録にしたいと思います。
Sep 25, 2010
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久しぶりの更新は只今新幹線から- この半年間は肉体的にも精神的にも辛い状態が色々続きましたが、その後いくつか救われる事柄もあって気力体力ともによみがえった気持ちでいます。生き方を見つめ直すことができた期間でもありました。 さて、この春は随分長く桜が楽しめるとあって花見三昧。我が家の今年の締めは本日、吉野まで行ってきました。 かつて若葉の季節に行って一度桜の季節に来たいと思っていたところ、夫が昨日昔馴染みと京都で会うというのでついでにどうかと持ち掛けてホイホイついてきたというわけです。 サンバは初めての京都市街体験。父親のお仲間ランチ会に同席させてもらった後は銀閣寺と哲学の道を廻り、宿泊先の宇治へ。平等院は修学旅行以来、あらためて落ち着いた気持ちで眺めました。 今朝は八時に宿を出て、目の前の宇治川の浮島を散策しながら駅まで行き、吉野に着いてからはひたすら歩きました。 吉野の桜もさすがに先週が見頃だったらしく、尚更?桜を追って奥吉野まで歩く人の群れで山は賑わってました。写真は奥吉野の折り返し地点の西行庵の手前で撮ったもの。 吉野が玄関口でこの先は峰伝いに熊野まで続いて山深くなっていく、と。歩いたらどれだけかかるのだろう。 歩き通しで山を降りたのは午後四時半過ぎ。駅に入ってから柿の葉ずしにパクつきました。 1週間の始まりに充電できたはず?サンバも自分からよく歩き回ったので、疲れをためない様ほどほどに生活したいと思います。
Apr 18, 2010
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平均四半期記録と化してますが、サンバの保育室が今年度から国連英検ジュニアテストの認定校になったということで、昨秋は園で受験させていただきました。 昨年度は私がD、Eコースを自宅受験させ、3歳5か月児で一級の認定証を貰っていたので、日本語&英語混合教育でも力がつくことを実感していましたが、今年度は10月以降は超多忙生活で子どもの英検どころじゃなかったので、いい機会に恵まれました。 受けた日にサンバが「楽しかった」と言っていたので何よりだと思っていましたが、先日まで気になっていたのはレベルのほう。結果は今回も高得点(94点/100点中)で一級の認定証を手にできました。 最初に続けて誤答があったので、これは模擬テストを受けているわけでもなく一発勝負だったのでテストのパターンを把握するまでにかかる時間として仕方ないとしても、途中にまた二問続けて誤答がありました。好きなことには脇目もふらず集中するので大好きなことに取り組んでいる最中だったはずですが、集中力が欠けたか、知識が不足していたか、いずれにしても、サンバの性格をよく分析してコントロールしてくださる先生方のおかげで取れた点だと思います。これが全く一般の会場受験だったら10分と同じ姿勢で座っているのかどうかまだまだ、生活態度に大きな課題もありますが、、、。 嬉しかったのは、今まで保育室で親を集めてのイベントは一度もなかったのが、一昨日、認定証書授与式ということで、午後に20分ほど立ち会わせてもらい、2時までの英語で過ごす時間の最後のセッションを参観できたこと。 保育室で大事にしているのは、英語の時間であっても日本語の時間であっても、聞く、見る、待つということ。人が生きる上で大事なことを今身につけさせようとしていること、わが身に振り返ってみてこの年でも育自させられることいっぱいですあれ、私の自戒記録だったかな、次は自分の資格クリアの話でも
Jan 30, 2010
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今年もよろしくお願いします。恒例の初日の出、今年は外で花を生けながら(かなり寒いっ)、まさに駆け込み状態での正月準備でしたが、おかげで旦那と一緒に初めてご来光を拝むことができました。写真は我が家のベランダから。元旦から本当にいいお天気です。サンバは起こさないまでもカーテンを開けて日射しを浴びせました。ご利益ありますようにそうそう、月食の時間にはやはりベランダに出て西のほうを見たのですが、ウチからはわかりませんでした。旦那は数十年来続く仲間と年に一度の集い&初詣をしている最中に撮れたようです。皆様にとってよい年となりますように。
Jan 1, 2010
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サンバ迎えにいく道すがらです。公私ともにココ数ヶ月間色々ありますが、とりあえず一山越えた感のあった昨日、コットンクラブの最終公演日で聴き惚れてきて最高のご褒美でした。ハマる年代にしては渋好みでしたが昔から好きだったんですよね。コットンクラブの料理も美味しいし、サービス旺盛で握手してもらえるし、やっぱりライブはいい♪遅まきながら結婚記念日のお祝いをしてくれた旦那に感謝!公演中、喜んで託児室で過ごしてくれたサンバにも感謝!!今日はこれからお稽古、サンバくん、できるかな。
Dec 18, 2009
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本日で通算43回目になります。集まってくださった6組の方々、どうもありがとうございました他にもご用向きが重なったり、体調不良なりで会えなかったお友達とも、またお会いする日を楽しみにしています。ウチの旦那さまも咳き込んで風邪ひきの一週間でしたので、我が家はサンバと二人。それにしても今日は暑い一日でしたが、快晴でよかったですグローバルフェスタ+日比谷公園隣接の公園遊びがすっかり定着した感がありますが、これまではどちらかというと公園遊びが主流だったのが、今年はフェスタもそれなりに楽しんだり、見聞きして理解したりできるくらいの年齢になりました。サンバは初めて義足を目にし、触ってみて、地雷と結びついて知ることがあったと思います。こうした国際理解の体験学習型サークルになってはいますが、一応、業界ネタ?を一工夫加えて、今年できたての国際理解のための冊子を皆様にはプレゼントしました。こどもたちが小学校卒業するくらいまでの期間は、いい社会科の副読テキストのように使える代物だと思ってます。【追想】昨年4月以降のサークル活動の更新が止まっていましたが、折々サークル他お友達と子どもの成長を確かめ合う機会はこんな感じでありました第41回目:昨年9月末には環境をテーマに、都内埋め立て地の一角でBBQ集会+博物館見学・体験。職場の同期ファミリーも含めて計11組の参加でした。第42回目:昨年12月には国際理解の英語学習をテーマに、昨年度まで入会していた地元の英語サークル主催のクリスマスショー+自宅マンションのパーティルームでのクリスマス茶話会を実施。計8組が参加。これからも細々とよろしくお願いします
Oct 4, 2009
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最後の一泊は沼津の戸田港近く。幼少期に富士の麓で育った頃、この辺りには本当によくドライブに連れてきてもらって庭のようだった。逆に泊まるのは初めて。近くの達磨山からも、であい岬からもいい眺望。写真は戸田から沼津インターに向かう途中の風景。富士山の姿にサンバも大はしゃぎ。 今日は久々の職場でドキドキの出勤でしたが月曜からより気分的には楽だったかも。今日まで休みじゃなかったっけ?と上司に言われホッと和み、あと一泊朝霧高原あたりにしようと思ってたのを取り止めて車飛ばしたのに〓と思ったり。。 そして今夜は前の部署のお仲間とこれから飲み会、新婚ホヤホヤさんに快気祝いに、と賑やかな集まりになりそうです。 今朝サンバと旦那にシチューをつくり、さきほどサンバの音楽のレッスンも自宅でやってきました。前と違って最近は甘えん坊のサンバ。シチューは私の不在の象徴のようで、なんでなんだよぉ、と玄関でいつまでも言われ、後ろ髪ひかれるような想いではあります。。旦那にも感謝!
Sep 11, 2009
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淡路島では土産物の他、ウチ用に玉ねぎも一箱買い、めざすは城崎温泉。同じ兵庫県内で200キロ以上あります。手前の但馬には大石りくの墓の標識を目にしました。 こうした旅をするのは幼少時代によく父親にあちこち連れて行ってもらっていた記憶がしみついているからかも知れません。情緒ある城崎には一度は行っておきたいと思ってましたが、到着後に実家に電話したら、ここも来たことがあるらしい。しかも父親は京都に仕事で来た時に泊まるところがなくて城崎で泊まったとか、全然違う場所じゃないか?いい時代だったものだ、、、。 旦那も大学時代に来て以来二度目、外湯めぐりのガイドは彼に任せました。 写真は全て旦那からもらってます。 城崎温泉から車で15分、途中、志賀直哉ゆかりの柳の木の傍を通り、出たのは竹野海岸の一枚目。足をつけたくて波打ち際に行ってしまった私と残されたサンバの距離が微妙。 二枚目は、天橋立の股のぞき向き写真。龍がのぼるように見えるからとか?そのまま見て十分美しいと思いますが。サンバはこれで日本三景のうち二つ制覇。残るは安芸の宮島。 三枚目は、五泊目の琵琶湖北の宿から、竹生島を臨む夕景。夕陽が美しい場所というのが雲に隠れて残念!その代わり、雲間から注ぐ光は幻想的。 四枚目は、同じ方向から夜明けの様子。 五枚目は、昨晩の宿の露天風呂から眺めた夕景色。どこまで来たでしょう。
Sep 9, 2009
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三泊目は淡路島に泊まり、翌朝クルージングでみたかったのがこちら。鳴門の渦潮です。何より嬉しいのはお天気。そして毎日温泉、贅沢な時間です。
Sep 8, 2009
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Sep 6, 2009
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徳島で下船後、高松港まで行き再びフェリーに乗り二泊目は小豆島へ。夕陽が美しいからと旦那はカメラを構えてましたがあんなに快晴だったのに残念ながらベストショットは無理、代わりに朝日がのぼるころに部屋から撮ってくれたのが最初の写真。五時過ぎの同じころに朝風呂に行って見た満月の幻想風景はしっかり目に焼き付けてきました。二枚目は日本三大渓谷の一つ、寒霞渓。三枚目は、サンバもこんなに大きくなりました、、もとい、お猿の国に入らずとも道端で出迎えてくれました。写真、うまく載せられてるとよいですが。他、二十四の瞳映画村をまわり、素麺も食し小豆島をあとにしました。
Sep 6, 2009
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久々の書き込みです〓気付けばもうすぐ今年度も折り返しですが、去年よりは今の生活パターンにも馴れて公私ともに充実した日々を過ごしてきたと思います。職場内外でママ友の付き合いにも恵まれ心強い限り〓この秋には来年年中から幼稚園に行くかどうかサンバと一緒に納得できる形を見つけていきたいと思ってます〓 さて、8月までの大仕事をどうにか通過した自分へのご褒美の夏休み〓先週金曜の晩に仕事を終えた足でフェリー〓に乗って今回の旅の始まり〓〓夜ベッドで寝てる間に移動できるのは何より。波が立つ展望風呂も初めてでしたが乗船中朝風呂も入ってゆったり快適〓写真は潮岬通過中の様子〓
Sep 6, 2009
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サンバが今の保育室に通園するようになってから早1年が経過し、私も復職してもうじき一年を迎えます。まずは自分の成果確認から―いやー、ここ三週間くらい風邪が長引いてしまいました。その間に公私ともに息つく暇なく休みなしだったので治らないのも当然といえば当然、とにかく体調管理には睡眠が何よりと思い知った数週間でした。半年ほどながーくひきずっていた仕事にもようやくめどがたち、下半期の目標設定をクリアしそうでホッと安堵したのとタイミングよく、昨日は職場の有志の集まりで歓送迎会を兼ねてカラオケに私は鼻声で今いち調子が出なかったのでリベンジしたいのだが、、、仕事が一巡してやっと自分にも余裕がでてきて上司とも馴染んできた頃だったのに送別しなければならなくなるとは…これまでもこの繰り返しだったような気がするけど。とはいえ、新年度はまた新たな目標に向かってよりよく仕事をしたいと思います。年始早々に資格試験も受けようと準備だけ済ませて持ち帰りの仕事を優先にして手つかずのままなので、4月から一日の時間の中に入れ込んでいくことも私的な目標かな。育休中にしておけばよかった(しまった)と余計なことを思い返したりもしたけれど、復職してみての気づきだったので、気づいた時が勉強だなと思います。旦那様にも宣言してないことだったので…ここの場でなんてそりゃないよ、と思われるでしょ、ごめんね。このために家庭や家事を二の次にするようなことはしないように(きっとそうなると懸念してるでしょ、)いたしますので。サンバの成果確認から―先生曰く、情緒は3歳児だけれど年長くらいのことは身についているとのこと。先日、英語保育の日のビデオを見せていただきましたが、2歳~4歳の子供たちがルールに従って落ち着いて指示を聞き、きちんと行動している様子がみられ、感心しました。サンバに限らず皆年齢より2歳くらい上になって身に付く生活態度が行きわたっているようです。これは、モンテ指導ばかりでなく周囲の環境やいろいろな要素が交じり合ったお陰でしょうが、良い場所に居られて我々は幸せだと思います。運動能力も備わってきて、柔軟性がでてきたので朝の外遊びの時間にはサッカーゲームもするようになったようだし、鉄棒もぶらさがりだけでなく足を蹴り上げることができるようになったとか。今度公園に一緒に行くのが楽しみ言語習得では、ひらがな、カタカナも最近はよく読めるようになって色々読みたがります。英語のアルファベットを一番最初に覚えたのは語数の面でも形の面でも楽だったのかも知れません。数の概念については色々な場面(サラダにウィンナーが6個あったら2個ずつさっさと取り分けるなど、)で習得していきつつ、保育室では日英両方とも100まで数える練習に入ったとのこと。家でカレンダーをみては日英語で31まではカウントしてる姿に親としてはアウトプットを確認する機会になっています。特に英語については昨年11月に国連ジュニア英検のD,E級を自宅受験させたところ、一番スコアの高い1級の認定証ももらいました。ただ、D級は書く行為ができないとどうにもならないので、親が代筆したことでげたを履かせたので、書く能力が備わってから試験場でD級から受けさせていこうと思います。これはまだかなり先の話になりそうです。とはいえ、保育室では週に12時間の英語保育に私が付加的に英語に時間を割いていることを考慮しても、プリスクールで英語漬けになっているよりは絶対量は追い付きません。その中での快挙なので母語の日本語と英語の両方のよいバランスの環境で確実に身に付いている手ごたえを感じています。書くという行為については、これからの大きな目標になります。運筆練習は、保育室の他、土曜に参加している小学生までの英語クラブでも合わせてよく取り入れてもらっているようなので、またこの一年とても楽しみです。さぁて、親ばか日記でしたが、ご覧くださったかたがたには是非お薦めの育児方法なので、といってもそうした保育を実践しているところが全国でもまだまだ珍しい存在だと思いますが―ご紹介を兼ねつつ、新年度に向かって新たな気持ちで一日一日を大事にしていきたいと思います!これから美容院に行って実家へまいります
Mar 20, 2009
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あけましておめでとうございます。我が家では毎年、春夏秋冬の色彩に乗せて年の初めのご挨拶状をこのような形で差し出しています。ブログからは遠ざかった日々でしたが、せめて年頭のあいさつは元旦に…とおもいきや、一旦年末に年越しの手伝いに出かけた実家で、サンバが嘔吐し、年の瀬に病院で点滴治療を受け、そのまま自宅に居座って年越しを迎えてしまいました。とはいっても、嘔吐しているときもあまり病気という表情でもなく、点滴して帰宅後にひたすら眠り続けたらケロッと治り、お正月は楽しく過ごせました。疲労困憊だったのかも。三才を過ぎて寝込むことはだいぶ少なくなりましたが、これまで子どもにもだいぶ無理をさせるような生活を強いてきたと思います。仕事の上での負担、子どものためと思ってすることの負担…今年は身体第一で参りたいと思います。今日は数日ぶりに自宅のベッドから朝寝で起き、午後には何か月こうして足を運んでいなかったことか…最近は外で乗ることもなかった三輪車をサンバはうれしそうにこいで、近所の大きな公園に親子三人で凧揚げとボール蹴りに行ってきていい休日でした。明日からまた仕事か、、、年度末までに片付けなくてはならない宿題がたくさんあると思うと億劫な年明けで逃げたくなってます、ほんとに。一日、一日とりあえずやるしかないか。
Jan 4, 2009
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前回の日記に書き込み、お励ましくださった懐かしい方々ありがとうございました。あらためてそれぞれ返信しますね。以下、標題のかなーーーり長い前置きになりますが…その後旅の話はどこへやら…ですが、あまりのパソコンの不調で三年半お世話になったこの機械に写真すら取り込めないので、近々新しいものに取り替えたいと思います。それ以前に、自分のバイタリティが続かなく、このたびサークルの企画・実施をするものの、その報告を更新しようと思いつつも、今週は特に平日に一日休みをとったのになんだか体が辛い…と思ったら水曜の晩からいきなり腰痛がきました。どうも復職後のこの五ヶ月間の任務から少し解放されたら緊張の糸がほぐれて、どっと溜まっていた膿がでてきたような感じです。靴を履くのにかがむだけでも激痛が走るので一昨日は手もみにお世話になり、それでもなかなか治らないので昨日はサンバのフッ素塗布に歯科医院に行く道すがら見つけた整骨院に飛び込みで針治療してもらいました。今朝はこれから抜針してもらいながら引き続き治療してもらおうか、と。二晩なだれこむようにベッドに入って眠ったらかなり痛みがなくなりました。親ばかながら、サンバも昨日は大丈夫?といって手で腰のあたりをさすってくれて、不思議にも手当ての温もりってなんともいえないもので、一瞬痛みが退く気がするものです。さて、去る9月28日、本来なら6月に実施するつもりで体調不良で断念した国際理解育児サークル第二弾の集まりの機会を持ちました。引き続きテーマ同じく、「地球環境を考える」で当面、このテーマで継続するつもりです。場所は都立潮風公園バーベキュー+船の科学館見学・体験でした。要は、昨年サークル活動時に、バーベキューしたい!話が盛り上がったことから、、、、実は我が家は夫の友人に毎年のようにここに招かれ、サンバは生後三ヶ月の雨の日からデビューしてます。サブテーマは後付けでしたが台場は埋め立て地ということでreuse。船の科学館は潮風公園の傍にあるということで、地球の7割を占める海の恩恵を受けていることをあらためて感謝しましょう~ということで。。。当日、サークルメンバーは5組、他、職場の同僚家族やママ友家族6組、計11組の参加となりました。皆さん参加いただいてありがとうございました!当日には、一応国際理解イベントの宣伝に、本日と明日に日比谷公園で行われるグローバルフェスタのチラシも皆さんにご案内しました。サークルメンバーの皆さんには本報告が遅れて申し訳ありませんでした。自分も気力を取り戻して、且つ、PCのトップページにも不具合がなければ更新したいと思います。現在リンクを貼るのもまた不調を呼び込みそうなので取り急ぎ報告だけでご容赦を。我が家は、明日、株主優待セールで日比谷の近くまで行くので、そのまま辛くなければグローバルフェスタに行ってみようかと思ってます。職場のブースでは新人二年目さんたちが動員されているはず。。。本日の予定は私の治療とサマースクールでお世話になったプリスクールの月例お話会に参加してみようかな、と。毎月あるこの行事になかなか合わせられなかったのだけれど、今日は行けるかなぁ。午後はやっと4ヶ月ぶりの美容院に、と思っています。ではまた。
Oct 4, 2008
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復職後、自分の担当業務の全てが九月末までの間に期日を迎える業務にあたり、一つずつやり終えてきた感がありつつも、最後の一つが終盤にある中、九月中に取得しなくてはならない夏休みをとるべく合間を縫って入れ込んでます。今年は今の仕事に就いて以来初めて全部消化できなさそうでクサクサしてましたが、たまった欝憤を晴らすには旅は妙薬です。本来ならこのブログも仕事が一息ついてから(いつ一息つくのか…)書くつもりでしたが、いい旅をさせてもらっているので思い出を書き留めていこうと思います。太古のロマンと自然を満喫、今年は壱岐・対馬に来ました。【壱岐編】サンバ待望のN700系新幹線で博多まで。当初台風にむかっていくのかとひやひやしていたら京都過ぎから雨もあがりお天気には恵まれました。博多港から船で壱岐に。出発からざっと八時間半かかり、送迎バスで宿着。温泉旅館で舌鼓を打ち~一例:お膳に登場したウニはまだ動いていたくらい新鮮、旬は梅雨前らしいからもっと美味しいのだろうが潮味だけで美味~二日目はレンタカーで一日ゆったり観光。●イルカパークで一遊び↓●無人島『辰の島』に遊覧付き渡船で上陸ここの海水浴場は昭和初期に開かれ、渡船の観光サービスは五年ほど前から始めたとか。旅館貸し出しの麦わら帽とビーチサンダルも船着場に置いてあり、ぶらりと立ち寄ったのに思いがけない拾い物をしました。ハイシーズンは芋洗いという場所でこの時は我が家だけでプライベートビーチ&アイランドを堪能。綺麗な砂地に透き通る水でこの時期でも海水浴を楽しんだサンバ!夫と私も裸足になって貝拾いして気分上々ー。島内散策では断崖絶壁の場所ほど絶景かな、、転落注意と書いてあるだけで柵や鎖などないので自分たちで見定めて歩かなくてはなりません。風もわりと強い日だったのでスリル満点。 下り坂のくさむらに腰掛けて買ってきたパンで軽くランチ。迎えの船に乗って十分。陸に着いてから買った“かすまき”は対馬に行ってからのおやつになりました。↓●原の辻遺跡周辺2010年に完成予定だという遺跡の一部と資料館を見学。その昔、社会科見学で登呂遺跡に行ったことを懐かしく思い出しました。サンバも資料館のビデオや体験施設で結構遊べて高床式倉庫では高いところに木製の狭い階段で上り下りして大型遊具?に大満足。↓●岬の公園壱岐の資料は既に家に送った荷物の中、で名前ど忘れしましたが海と草原の風景にここでも心洗われる想いでした。鬼の足跡と呼ばれる海に侵食された大きな岩穴の片方がある岬、、もう一つは無人島の辰の島にあり両足跡をみてきましたが、転落注意案内はこれを見るのに落ちるな!というわけです。↓●猿岩沈む夕陽が美しいといわれる場所。この日は霞がかってましたがいい一日を感謝。 その晩、私はエステ室でアロママッサージ、夫は部屋で按摩で快眠でした。
Sep 22, 2008
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毎日午前勤務だと楽だろうなぁとつくづく思った今日の一日。週明け、結構やることが予定以上にあって、午後一時までピッチをあげて休むことなく働いたけれど、サンバを二時に迎えに行くのにサッサと帰ることができたし、集中力が続くにはこれくらいが丁度よい感じ。これ以上続くとペースが落ちて作業も鈍るでしょう。お陰で午後の時間も有意義に使えてサンバも早々寝られて、私も旦那様の夕食まで二時間ほど一緒に寝られました。気分スッキリ。でもここで夜更かししたら同じことなのでホドホドにしていつもの保育室がお休みなので代わりに今週は別のプリスクールのサマースクールに参加。HPで動画も含めて半日の様子が手に取るように分かって親としてもありがたい!サンバからも最近は園で過ごしたことをよく聞かせてもらえるようになり、今日のスクールの話もたくさん話してくれました。2月に集団生活デビューして以来、生活に馴れるまで、と思ってこの半年間やめていた帰宅後のテレビ。今日は久しぶりに夕方の教育番組を見ても、けじめをつけて見ることができるようになったので、たまには夕食の準備中くらいまた見せてみようかな。仕事に馴れた平日の午後。こうして時間に追われずゆったりと親子の時間を持てるのがとても貴重で、サンバが『一緒に読もう』と言った大好きな電車の本も一冊ゆっくり読んで、サンバはお父さんから教えてもらったことを母親の私にも色々教えてくれました。消音でピアノの練習を始めたら、『僕も弾く』というので傍らに座らせてかえるの歌の旋律を弾いてあげたらおばあちゃん先生から教わった通り、伴奏のド、ド、ド…を右手と左手の人差し指で交互に弾けるようになりました(今のところ、二度続けてやらず一回きりにすることがピアノを嫌がらない秘訣、と思うので、もう一度やったら恐らくムリ)。ピアノ“練習”は当然ながらまだ嫌がるので私も全くというほどサンバにはピアノに触ることを強請していない現状。かなり期待薄だっただけにおぉっ!いつの間に実は昨日、CDの日本の歌シリーズをかけてサンバが聴いていたとき、消音で練習をしていた私がふと音を出してその旋律に合わせて弾いたら、サンバが嬉しそうに傍にきて、音は滅茶苦茶ながらも、リズムだけ合わせてピアノに触り伴奏をしてウォーミングアップしたので、ピアノで調子を合わせる楽しさに気づき始めたのかも夕食の準備中は郵便やさんごっこをしたり、お店やさんごっこでレジ担当の役をやったり。『牛乳と納豆になります』とサンバ。ためしに『おいくらですか?』と私(まだ答えられないだろうけど…)、すると『205円になります』と。。。確かによく日常行動に耳を澄ましていること。昨日は子連れの休日らしいお出かけスポットが我が家にも一つ加わりました。サンバを連れての初映画館上映より一ヶ月以上前に区民対象のとある親子の音楽講座で、映画音楽の担当をしていらっしゃるとか何とかとにかく関係のある先生から先に歌を教わってサンバもここ数ヶ月興味津々だった『崖の上のポニョ』。そろそろ映画も観られる年頃になったかと映画好きの私が子どもでもいなければきっと観にいかなかったであろうアニメ映画に三人で足を運びました。宮崎監督作品といっても自分が小さい頃観ていた作風と一致しない違和感が多少あり、、、古い体質の親世代の考え方の方に馴染む自分の感覚からはちょっと子どもに見せるには許せないと思える点がちらほらありました。が、それはさておき、サンバはあるシーン(多分効果音のせいでもあるが)に時折むせび泣き、でも二時間近く真剣に最後まで観ました。泣いたところはとにかく『怖かったの』で、『ポニョは怖いから次はドラえもんとアンパンマンにしようね』らしい。。。三歳児、一緒に何かすることが楽しくなってくる時期であり、こちらもボヤボヤしていられない時期でもあり、こうした子どもの成長に忙しい毎日の中、どれだけ励まされていることか。感謝
Aug 11, 2008
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ご無沙汰してます。あまりにも長くブログを開いていなかったので、自分の日記なのにアクセスの悪いことこの3ヶ月間、休日も神経が休まることのなかった仕事が、それぞれようやく時機が来て昨日大きな山を越えました。6月以降は追い討ちをかけるように、本来いるはずの仕事の協力者が突然不在になってから、自分のすべての業務に皺寄せがきて、自転車操業の毎日。体がいくつあっても足りないよ!と思いつつも今さえ乗り切れば…と我慢しながら2ヶ月経ってやっと自分のペースで仕事をコントロールできそうな段階には到達しました。思い返してみると、受け持った仕事は皆たまたま結果が明らかに出るものを受け持ったので、結果が出るまでは大変だけれど、成果を残しているという手応えはあり、で今までで一番目にみえる分かりやすい形で仕事をしている気がします。とはいえ、これまでは昼食も摂れないままの日も長く続いたし、一心不乱にPCに向かって、人と仕事しているというよりも無機的な態度も多かりし。。。家族含めて周囲すべてにその態度が出てしまっていたことを反省肩の荷が下りたところで、昨晩は久々にゆったりとした気持ちでオリンピック開幕の模様をみたくなり、旦那様がサンバの寝かしつけをしてくれているのをいいことにテレビに見入ってました。『お母さん、何してるの~?』と廊下の向こうからサンバ。でもお父さんに絵本を読んでもらうほうがいいみたいでこちらには来ずその折にも不穏なニュースを聞き、世界平和とはかけ離れた現実があることに心安らぐことがないけれども、それだけに平和を願う気持ちで祭典を見ていたいという想いを強く持つもの さて、こちらには向かう気力も萎えていた数ヶ月でしたが、保育室の先生との間の連絡帳がサンバの貴重な育児日記になっていました。サンバ三歳の誕生日くらい更新したかったのだが…ウチの両親が来てくれてそれなりにきちんとした儀式もして楽しい遊びも一緒にしていいお祝いの年にはなりました。忙しい最中にもとった年休は3歳児検診の日、ママ友達のお宅にご招待された日、今でも月曜の夕方の時間になって続けている英語サークルのサマーパーティに参加して昨年度一緒だった友達とたくさん会った日、の三回。全部サンバ絡みで勢いでとった感じ。これからはちょっと“自分の時間のために”権利消化していこうっと来週はちょっと手が空くけれど全く休むわけにもいかないし、今のうちにやっておける庶務もやっておくとして、一日だけ夏休みにあててあとは毎日半休。サンバの普段の保育室がお休みで別のプリスクールのサマースクールに通わせてみるのだが、午後2時にピックアップしないといけないし、そのために誰かにお金を払って引き取ってもらうのももったいないので私自身が連日午前業務で午後引取りといった形で動いてみようと思います。当初はインターのサッカースクールのサマーコースに親子とも興味ありだったのだが、この暑さだし午前中だけなので焦らずまた来月からでも行こうかな。サンバの成長記録今月は保育室でも小さなプールに入れてくれて、3ヶ月前まで顔をつけずにバタ足していたのが顔をつけてましたよ、と。一つ上の女の子がやるのを見て真似たそう。進歩3歳児検診では、背が高い方というだけでなく、少し体重も成長曲線で中くらいになってきたようでホッと安心。洋式トイレなら膝までズボンを降ろして用足しできるくらい。和式は『ズボン脱がないとついちゃうよ~』、立ち○○○は座る感じでやったり嫌がったり。。。排泄はすっかりパンツで涼しく毎日過ごしてきてますが、ウ○チのときは自分で拭くのが大変らしく まだまだ独り立ちまで時間がかかりそうです。一年くらい前の記憶からはあるように思えます。時々以前のことを思い出して『~だったねぇ』と言うのを聞くと、三歳時点では二歳の時の記憶があるんだな、と。成長するにつれ、二歳の時期の記憶ってどんどん消えていく気がするので人間って面白いなぁと思います。さすがに一歳のときのことは言いません。会話していると聞こえた単語を全て鉄道関係に置き換えていく時があって、アナウンスも真似するし、キモ可愛い?鉄ちゃん益々進行中。同じ調子の鉄ネタをやってる芸人トリオがいるがまさにそんな感じ。英語環境を苦心してここまでセッティングした努力の賜物で当然だと思うがこの年齢にしてはよく理解していると先生にも言われます。発音もいい。母語や英語を習得する過程をみていると子どもの脳に機械化された翻訳機能があるわけではなさそう。子どもはマシンじゃないものね。親子ともども多くの人たちから知恵を授けてもらえて幸せ者です。さて、オリンピックが閉幕する日までしか時間がない今年のピアノ練習。今月に入ってからやっと腰をあげ、夜中か明け方練習でもしなきゃほとんど弾けないので始めました。マジでこんな時期から始めた経験は過去になし。間に合うのか、、、今から旦那たちが起きるまで練習開始まさにオリンピックとともに時を刻んでいきます
Aug 9, 2008
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先日お励ましくださった皆様ありがとうございました。一括してしまうのも申し訳ありませんが、復活宣言をしたのも束の間でやはり完治しきっていなかったらしく、普通は子どもにしかでない水いぼまでサンバを介してうつり、ようやくここ一週間くらいで自分の体に戻った感がしています。痰がいつまでも残るのはもはや東京に住んでいる以上仕方ないという気持ちにさえなってますがよくないですね。あなどるなかれたかが風邪、されど風邪。そんな状態だったので、先週に予定していたサークル今年度第二弾は一旦見送りました。仕事も今は比較的難易度は高くないものの、時短勤務内に全て済まさなくてはならないとなるとやはり相手あってのことで自分の思うとおりにいかないことは多いもの。しかもそもそもイベントも一つ担当していて、物理的に時短どころじゃないじゃない、と思うところはあり。昨日はようやく美容院に行って今日は旧友たちと会うにも明日のテレビ会議に向けても準備OK?ささやかな自分へのご褒美。仕事でも家のことでもいろんなことに追われてやる“べき”予定が後回しになってばかりなのでなんとなく梅雨空のように心が曇りがち。とりあえず今日は予定通りサンバと一緒にさぁでかけてこよう!
Jun 8, 2008
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今週に入ってようやく体調が戻ったと思ったら一ヶ月を経過していました。案の定、復職初日から三日間はサンバも熱が下がっては上がって、自分もひどい咳に微熱をひきずり、二日間はベビーシッターさんを早速お願いして、三日目は心配して電話をかけてきてくれた母に急遽来てもらい(助かったー)、連休中はほとんど横になりっぱなし。サンバは連休最終日には回復したので主人に連れ出してもらい、毎年恒例の藤の花を愛でにお参りもかねて亀戸天神に『のの様してきた~』『亀さんみた~』と楽しい思い出ができたようです。私には拾った葉っぱを持ってきて『お母さんにお土産』と。ありがとう私の方はそれでもまだ完治まで時間がかかりました先週末もまた熱がぶりかえして寝てました。これが三年間仕事を離れたプレッシャーだったんだと思います。仕事に戻った実感としては、今までの一人あたりの業務量と比べたらそれほど激務な状況にはならず、恵まれたスタートだと感じてはいますが、次から次へと期限が迫りくる波に乗っていこうと思うと、やはり毎日時短勤務の中でこなしきれなくなる部分も多く、今週は特に、「一時間超過してしまった、くやしーい」という毎日。でも馴れればその半分の時間でできることだろうし、巧く時間内に収めながら、仕事のペースを徐々に上げていくように自分の能力アップを図らないといけないと思います。翻ってそれが結局は自分のためになることだから。。というわけで、すっかりご無沙汰の日記ですがアレコレ。このたびはもう一ヶ月以上前になるお茶のお稽古メモ・茶花:アケビ(枝)、雪椿・花入:鵬雲斎大宗匠 銘『古今』・点前:四畳半花月、濃茶・季語:春霞今月は残念ながら行ける日がなくなってしまったので風炉の稽古始めは来月に持ち越しです。サンバの成長記録確か三月に入ってから『これは日本語で○○、英語で□□』と、一つのモノを示すのに言語が複数あることを認識して言い分ける年齢になったんだなぁと実感。このところ、『~だから…』と、接続詞を挟んで長い文節をつなげてよく話すようになって会話するのが楽しいです。保育園を一週間休んで先週から久々に行き始めたこともあってか、別れ際に涙を溜めて左腕でササッとぬぐいながら、一瞬歪んだ顔を必死に平常に戻そうとして覚悟を決めて『いってらっしゃい』と手を振るしぐさが時にみられます。それを見るとさすがに私も胸がキュンとなるけれど、サンバが頑張ってるんだから私も頑張らないと!と励みになります。私の仕事が本格的に再開して、もう二度と前の生活に戻れないことを感じ取ったんだろうなぁ。『おトイレ自分でやるから恥ずかしいから閉めて』と言って一人でトイレにこもって用足しをするように。まだトイレトレは行きつ戻りつでもあるようですが…。保育園で頑張る分、毎日サンバは甘えて私は甘えさせて、といったこのところの状況。来週くらいからまた発破をかけて来月の誕生月を迎えられるようにすることが次の目標かな
May 17, 2008
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こんな時間に明かりをつけて日記書き…地球環境だの何だの言えない行為をしていますが今日ばかりはご容赦を、、、そうなった理由はのちほど下に。 去る4月27日、今年度最初の活動をしたので、トップページに更新しました。【活動内容】東京おもちゃ美術館体験・見学+新宿御苑にて持ち寄りランチ【活動趣旨】・廃校になった小学校の新規活用事例の一つ(4月から開所した四谷ひろば内に新たに4月20日にオープンしたばかりの東京おもちゃ美術館)をみること・東京おもちゃ美術館の場で多世代が交わる芸術活動参加体験すること・都心部庭園で屋外ランチをしながら自然体験することGWに入り、ご予定が多い中、また季節の変わり目で体調を崩される方も多い中、このたびは6組親子18名が集まりました。参加下さった方々、どうもありがとうございました当日朝までお天気がどうなるか危ぶまれましたが、午前11時前に最寄り駅に待ち合わせるために家を出る時間帯には雨はすっかりあがっていました東京おもちゃ美術館はオープン直後で人出が多くなることを予想して、サークル活動日は敢えてイベント実施日でない日を選びましたが、実際にはおもちゃ工房ではスタッフの方々が常時待機し、開館中は時間制で工作体験ができるようになっているようです。一時間後に入り口に集合と時間を決めて皆思い思いの場所に興じ、我が家の場合は工作体験する時間までとれなかったくらい、各部屋のおもちゃで遊んでいるうちにあっという間に約束の時間になってしまいました。館内にも休憩室がありパンと飲み物の販売はしていましたが、このたびは途中のコンビニで食料調達して、ここから目と鼻の先にある新宿御苑を目指してGo御苑の芝生は湿り気もなく、シートを広げてゆったりと食事をした後は、子どもたちは皆走り回り、他のグループの子どもたちのシャボン玉遊びに混じってはしゃいだり、近くにいた子が誘ってくれたボール遊びを一緒にしたり、と長いこと午後4時過ぎまでいました。三歳未満の子連れなら、大人一人あたり900円(交通費・食費は別)。これからの季節、子連れのお出かけコースに是非加えてみてください。 今回からのサークル活動について今一度。。。今年度からは自分が仕事に復帰することから、土日の限られた時間を使ってこれまでのような活動形態を続行するのは到底無理…。そこで、これまで様々な題材を親子遊びにしてきた活動を、ひとまず“国際理解”だけに的を絞って、国際理解の体験学習型の活動形態に替え、集まる機会を一、二ヶ月に一度設けてサークルを継続させていくつもりでいます。ありがたいことに、これまで一年半の活動の中で、継続してサークルに名を連ねることに同意下さった方々はサークル主宰者の私親子の他、親子13組にのぼりました。その他、過去のイベント時に参加頂いた方々、また、外部への体験学習に活動形態を切り替えた今年度の活動初回に参加下さった方々を含めると、親子20組にのぼることになります。これからもどうぞ宜しくお願いします。 ところで、お恥ずかしい話で、ここ二週間はサンバと私との間で同じ風邪の症状が飛び交い、どちらかが治ったと思ったらまたダウン…といった具合で、アップダウン激しく、元気な時には色々なことをしてはいたものの、なんだか不安定な日々を重ねていました。病院にも足繁く通いつつ、とうとう復職前日のここまで来てしまいました。一昨日も遊びに行けたと思ったら、二人してしつこい咳。連休中に薬がきれるのも心配なので、昨日朝も病院に。その足で保育園に行く気満々だったサンバでしたが、どうも脇の下が熱くなってきてまた熱があがりそうだったので大事をとって保育園もお休み。食欲があったことと、アイスや果物を始め、水分をたくさん摂取したことから一晩で回復しそうではあるけれど、念のために復帰初日はベビーシッター予約をしました。本当にシッターのお世話になると私自身経験がないせいもあって、保育園と違って非常に神経を使うことが出てきそう。うーん、なんとかあと一日休んで元気に保育園に行けたらと思います。かくいう私も添い寝から起きたら咳のしすぎで胸が痛いくらいにまでなってます。起きているほうが実は体が楽、でも寝なくちゃね何やってるんだか、赤っ恥さらしました。
Apr 28, 2008
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とうとう昨日から職場のイントラネットにアクセスできなくなりました。まぁこちらは担当部署にいえば手続きの仕方を教えてもらえるわけですが、、、このたび復職にあたって旧姓から新姓にかえることにしました。旧姓で世に出した成果品もわずかながらあったことを思うと女性のキャリアの積み上げには改姓は少なくともプラスにはならないし、プライベートも明らかになるから率先してそうしたがらない人も少なくないでしょう。私もこうなってみて初めて実感する思いだけれど、この名前が好きで結婚したようなものだから(笑)仕事上のお付き合いのある方々にはあらためてどうぞよろしくお願いします。今日は旦那様も休みをとって平日のお出かけ、ディズニーランドに来てます。期間限定の区民優待チケットがあったから、という理由もあり、そもそも職場の福利厚生をマメに活用すればタダになる手もあるので後者は今年度中また使ってみようかな。相変わらず混んでるけど。 実は先週サンバは40度以上の高熱で久々にダウンしてました。あっという間に三日保育園も休み、本当につらいときは傍にいてあげないと、だけれどつくづく病後児保育の必要性を感じ、以前職場の先輩にアドバイスされながら忘れかけていたベビーシッター会社への手配も昨日済ませました。区のファミリーサポートは病気のときは頼めないのでやはり民間に。これも職場の福利厚生利用で入会金タダ、一年目の年会費タダ、気楽に始められるのが何より。これから習いごとで時間を早めにしたいときは迎えにはシッターさんを頼んで引き渡ししてもらうとか、色々活用できそうです。サンバはこんな調子でしたが、寝込んでいた時以外はサロンコンサートや様々な音楽会に行ったり、インターナショナルのサッカークラブにちょこちょこ見学に行ったりしてます。いや“行かされて”ます。 保育園がプリスクールみたいなものだからあまりぎっちりいれても疲れてしまうからいけないけれど、去年から行ってる英語サークルは夕方のクラスに代わっても同じ先生で楽しんで行ってます。さぁ今日は思い切り遊んでこよう!
Apr 16, 2008
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