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2022.08.09
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カテゴリ: 批評

まだ書き足りないこともあるし、原爆投下の意味を米軍の記録から探っていきたいので続編です。

思想の流れを大まかに書くと次のようである。第一大戦で短時間のうちに何千人もの荘重が死んでいくのを各国の軍人たちは何とかせねばと思っていた。その中で有名なのはイタリア軍人ドゥーエの発表した理論である。まだ飛行機は完成された兵器とは言えない時代だった。彼は言う。もし飛行機が敵国の都市を直接攻撃できたらこんな戦死者は出ないで済むだろう、兵士はみんな国家の働き手の世代であり、いわば戦死させるにはもったいない資源なのである。兵士の損害を少なくするには短期間で敵の生産力、戦意をくじき戦争の終結を早くすることだと言う。ここに戦略爆撃の思想は生まれた。陸戦を援護するための空軍力とは別に全く新しい思想であった。米国はその地勢上敵を国境に接していず、大西洋、太平洋と言う大きな海に挟まれているから、国防上は大変に有利な地形でもあった。海軍とともにそれを援護する空軍力はどうしても必要だったのだ。必然的に飛行機は大型となり、航続距離は伸びなければならない。海軍の空母艦載機とともに陸上から直接支援できる爆撃機に思想が走ったのは当然である。第一次大戦後、債務国から世界の債権国に変身した米国は豊富な資金でシアトルの豊富な木材資源を背景に発達した製材所が発端のボーイング社がその先鞭をつけた。陸軍航空隊から示された仕様書をもとにして施策された飛行機は1934年に4つのエンジンを持った長距離を飛べるもので、これが戦略爆撃機の原型となる。当初は沿岸警備を任務としたが、大きな積載能力は爆弾を積むこともできた。

ドゥ―エの理論は正しかったが、飽くまでそれは二国間の戦争で片方しか持たない技術としての話しで、両国ともお互いの都市を攻撃できる能力を持てば、お互いに持久戦となって「どっちが先にくたばるか」と言う結論に落ち着いた。ドゥーエの戦争を早く終わらせ、自国の荘重をいたずらに消耗させないという願いは消滅した。結局のところ技術開発の速度競争となり、米国は航続距離の長大な4発機の開発によって優位に立ったのだ。

第二次大戦が始まり、英独相互の都市攻撃が始まった。ベルリン、ロンドンの市民は至って元気であった。チャーチルもヒットラーも市民が疎開するのを阻止、両氏とも演説の名手であるから、素直に市民は従った。米陸軍航空隊の指揮官たちは英国民の爆撃体験を聞きとり、心理学者がこれを分析した。その中で興味深い1件があるので紹介したい。ドイツ空軍がローマに偽装爆弾を散布したことがある。偽装爆弾と言うのは、人形や万年筆、カバンなどに爆薬を仕込んで触れると爆発する仕組みである。この行為に対してイタリアの市民はドイツ軍を非難、枢軸から連合国に変身する原因の一部となった。心理学者はこのことを航空隊幹部に報告した。「卑怯な手段の攻撃は著しく戦意を上昇させる」というものである。米軍もこの同種の計画をしていたが、直ちに中止した。心理学者はさらにこの種の攻撃は卑劣だが、空襲による被害で著しく自分たちの生活環境が変わった場合は正反対となり、厭戦、政府に対する怨嗟などがみられるとした。これはロンドン市民が地下鉄内に避難した時の証言をもとにして分析した結果である。「すなわち「帰る家があるうちはまだじっと我慢できるが、帰る家が破壊されたらパニックになり、指導者たちを恨み始める」のだ。この問題は軍としても十分考慮する必要があり、政治家チャーチルの人たらし演説と国民を奮い立たせる行動がそれをある程度防いだ。ヒットラーはベルリンに飛来する英国爆撃機を撃墜するのに高射砲を増やし、国民の見ている前で敵機が撃墜され、その効果は絶大だとする彼独特の見解であった。チャーチルの英空軍はさらに工夫して新しい作戦を考えた。まさに悪魔の仕業ともいうべきもので、第一撃の攻撃を行った二時間後にさらに大規模な空襲をかけるというものだった。この二時間と言う時間は、消防隊やボランティアが被害区域に到着して救出や消火活動をしているときである。これを見計らった空襲は、ドイツ国民に内なる打撃を与えたが、日本人と共通して国家を恨み反戦に走るようなものは皆無だった。このあたりが全体主義国家の特徴である。英国の議員にもさすがにチャーチルを非難するものはいたが、チャーチルは毅然として言い放った。「敗北は私にとって個人的に恐怖である。縛り首になるのはあなたでなくこの私だ!」とにらみつけた与太話もある。チャーチルの非情さは自国のコベントリー市が爆撃された時にも現れる。諜報活動によって同市が爆撃される日時がわかっていたのだが、諜報網の存在が明らかになるのを恐れた彼はこれを黙殺、コベントリーの市民に多数の死傷者が出た。

転じて今でも被害国の日独は、東京裁判とニュルンベルク裁判で裁かれた以外、自国での戦犯追及はしていない。全責任をヒットラーやA級戦犯に押し付けて戦後をのうのうと生きているのだ。閑話休題

米国の航空隊首脳にはドイツ系軍人が多く、同じ姓をなのる敵国人がいても不思議ではない。また日独の軍人と異なり、一般教養を大学で身に着けていたので、建築や美術、あるいは学者の著書が納められた図書館などを破壊するのにためらいがあったのは事実である。日本にも目を向ける軍人はいて、彼は京都、鎌倉などの古都の風景を思い浮かべていた。この両市が被害を免れたのはこのせいだと言われる。また次の目標になる都市には予告ビラを撒いた。この効果は一石二鳥で、市民をパニックに陥れるのと同時に一般市民への攻撃への非難をかわせる口実になった。こうして見てくると、米国にのみ、敵国への攻撃には常にモラルを持って当たったということになってしまうが、残念ながら米国以外の国にはこの種の公的記録がないのである。続く






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最終更新日  2022.08.09 07:06:47 コメントを書く


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