日本を征服だ!

日本を征服だ!

PR

×

カレンダー

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

ぼくとしちゃん

ぼくとしちゃん

フリーページ

August 4, 2024
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
2024年7月12日のブログ「邪馬台国はどこにあったか(その56)古事記や日本書紀の神話は
単なる神話なのか?」で、
稻羽之素菟 (「因幡の白兎」とは書かれていない)は神話だけれども、
単なるおとぎ話ではなく、史実に基づく話を「大人の事情」のせいで神話にしたと書いた。
また 天孫降臨 海幸彦と山幸彦 も単なる神話ではなく​、
実際に有った話を「大人の事情」のせいで神話にしたと書いた。
邪馬台国はどこにあったか(その56)古事記や日本書紀の神話は 単なる神話なのか?

特に最後に書いた(古事記や日本書紀ではないが)出雲国風土記の「国引き神話」は、
僕自身も、かっては単なる神話だと思っていたものが、
2024年の能登地震の経験から、
実は地震に伴う土地隆起による島根半島の成立(元は島だったのが隆起で半島になった)が、
科学的知識の無かった昔の人の経験を元に語られた実話が神話になったのものと分かった。

今回、8月1日にわの会の講義で知った「鶴岡八幡宮の御神楽」で舞われる「人長舞」から、
「古代において鏡がどのように使われたか」が想像でき、
それが僕の想像通りならば、
古事記や日本書紀における 天岩戸 も​単なる神話ではなく、
古代に実際に卑弥呼等が行っていた祭祀が古事記や日本書紀に書かれたものなのでは?


そもそも 天岩戸 伝説を現実のこととして考える人は、
邪馬台国の卑弥呼=天照大御神だと考えて、その根拠としてこれを語る人が多い。
天岩戸伝説を「日食」で天照大御神=太陽が隠れたことに重ね合わせて考える人達である。
単純に考えればありそうな話だけれども、偶然による部分が多すぎて、


それは天岩戸伝説では、単に天照大御神が岩戸に隠れたと言う話だけではなく、
その時にアメノウズメが踊った話や、八咫鏡を作ったり八尺瓊勾玉を準備しているからである。
これ(準備)って天照大御神が岩戸に隠れてから始めたんだよなと思う。
日食は長くても1時間くらいしか続かないので暗くなってからでは間に合わないのでは?
「お日様が隠れて暗くなってしまった」とあわてふためいて、右往左往する中で、
人を集めるだけでも、その位の時間は経ってしまうのでは?
そうでなければ事前に「この日のこの時間に日食が有る」と言う情報を持っていないと無理?
つまり日食を天照大御神が岩戸に隠れたと考えることの可能性はあるけれど、
古事記や日本書紀に書かれたような踊りや儀式は説明できないのでは?
なので無理が有ると思う。

では僕はどう考えるか。
その説明の前に、そもそも「卑弥呼は鏡をどのように使ったのか?」を考えるべきだと思う。
これは三角縁神獣鏡を卑弥呼が魏の皇帝からもらった鏡だと考える人達の主張とも関連する。
この人達は卑弥呼が鏡をどのように扱ったと思っているのだろうか?
魏志倭人伝にはこう書いている。
(原文)
前略 銅鏡百枚 途中略 以示汝國中人使知國家哀汝 故鄭重賜汝好物也
(意訳)
(前略)銅鏡百枚を与える。(途中略)
汝の国中の人に示し、我が国が汝をいとおしんでいることを周知すればよろしい。
そのために鄭重に汝の好物を下賜するのである。

銅鏡は百枚与えられており、それを国中の人達に見せなさい。
そしてそれにより魏の国が汝(卑弥呼)を支持していることを周知しなさい。
そう言っているのである。
この文から分かるのは、100枚ももらっていることと、卑弥呼がそれをよく使っていたこと。

まず、単なる装飾品ならば100枚はいらない。
現代のお金持ちがカルチェの時計を100個持っているのとはわけが違う。
そんなことをしても、相手国は「じゃぁ滅ぼして奪ってやろう」と思うだけである。
じゃぁ自国民に(私は偉いし魏が味方なんだよ」と見せる為か?
この場合も同じで100枚はいらない。
100枚並べても5枚でも効果は同じだし、相手国は「じゃぁ滅ぼして奪ってやろう」と思うだけ。

じゃぁ100枚にはどのような意味があるか?
ここまでは今までの学者先生も同じように考えている。
戦争に際して、どちらにつこうかと迷っている国や、味方になりそうな国に渡す為である。
渡された国はどちらについた方が有利か、魏が卑弥呼に味方しているのならと考える。
なので有効であるから(味方になる国が多いので)枚数は多い方が良いのである。
あるいは寝返ってこちらにつきそうな国に渡すのも良いだろう。
つまり威信材なら多い方が良いのである。

ここでちゃんとものを考える人ならばすぐに気がつくと思う。
え?渡しちゃったら卑弥呼の手元には無くなる?あるいはちょっとしか残らない?
そうなんである。
つまりもし三角縁神獣鏡が魏から渡された鏡ならば、邪馬台国にはあまり残らない、
むしろ邪馬台国以外の国から見つかるはずなのである。相手国に渡すのだから。
つまり近畿には邪馬台国は無いはずなのである。

次に卑弥呼が良く使っていたと言うのは、どのようにして使ったのだろう?
これは渡された相手国の使い方にも関係すると思う。
渡された相手国の王は卑弥呼と同じ使い方をしていたんだろうと思う。
ではどのような使い方?
これが最初に書いた、8月1日のわの会で「やっぱりそうだったのか」と思った使い方である。

卑弥呼は、もしかすると天照大御神は太陽神の使いであったと思う。
彼女達、日の巫女は必ず「神降ろし」を行う。
そして神懸った状態で御神託を扱う。
それ故に民衆は日の巫女を大事に扱うのである。
では「神降ろし」とはどうやるか?
僕はずーっと「鏡を使って太陽を反射させ、あたかも天の太陽が鏡に乗り移った」かのように
日の巫女の胸に掛けた鏡を利用したのだと思う。


卑弥呼から鏡を受け取る際に、受け取った国の巫女達もそのノウハウを受け継いだだろう。
もしかすると、卑弥呼はそのノウハウを持った巫女を付けて相手国に送ったかもしれない。
相手国の王は、自国民を(武力を使わずに)従えられるので重宝したと思う。
国を治める際に、武力で治めるのはもろ刃の剣なのである。
自分よりも強い男が出てきたら、娘を与えて身内にするか、自分が強くなるしかない。
いわゆる力持ちのインフレーションが起こり、
マンガでよくある様に、主人公は際限なく強くなるしかないので大変なんである。
王の地位を「神が与えた」とか、強い(自分達の国が従っている)国に与えられたと言うのが、
一番無難な方法で、世襲で王位をつなぎやすい。

なので、多くの国は(お互いに利益が有るので)友好関係がまとまる。
100枚の鏡はその為に使われたのだと思う。

僕は今までそう考えていたんだけれども、その裏付けがなかった。
ところが8月1日のわの会の講義で「鶴岡八幡宮の御神楽における人長舞」を知って、
「やっぱりそうだったんだ」と確信した。

人長(にんじょう)とは御神楽の儀を奉仕する神楽人の長で、進行を司る人。
吾妻鏡の中で、頼朝が京都から神楽人を招いて、鎌倉に普及させたと言う記事が有り、
それは現代に至るまで鶴岡八幡宮に伝わっている。
鶴岡八幡宮の御鎮座記念祭で行われる神楽の中で、人長は最初に神を降ろす。
一般の神社で行われる神楽(里神楽)とは違い、
人長が舞(人長舞)を舞うこの神楽は「御神楽」で、元は宮中で行われていた。
その由来は天岩戸の前でアメノウズメが踊った舞になぞらえている。
御神楽は「本役(神迎え)」、「中役(神遊び)」、「後役(神送り)」の3つからなり、
15の曲からなる組曲で、そのうちの「早韓神」と「其駒」の時のみに人長舞が行われる。
手に持つ榊には、
「グミの木の枝」を円い輪の形に折り曲げた上に胡粉が塗られた「鏡の輪」が結び付けられ、
これを「日の御像(みかた)」とか「八咫鏡(やたのかがみ)」の形と伝えられている。
非常に神聖な物で、神鏡を表していると伝えられているらしい。
これは今では宮中だけではなく八坂神社などでも行われている。
ネットで探すとこんな写真が見つかる。ちょっとお借りする。


これが「神降ろし」である。人長が持つ榊に白い輪がついており、これが八咫鏡を模している。
つまり宮中には「鏡を使って髪を降ろす」ことが伝わっていたのである。
宮中にそれが伝わっていると言う事は、天皇家の祖先の天照大御神もそうしていたのである。

ここまで来ると、天岩戸の神話も現実的な話だったと分かる。
天照大御神が天岩戸から出てくる際に、その前には榊に差した鏡が有るからである。
古事記の該当部分を引用する。
(原文)
故於是天照大御神見畏開天石屋戶而刺許母理
坐也爾高天原皆暗華原中國悉閣因此而常夜往
於是萬神之聲者狹蠅那須滿萬妖悉發
是以八百萬神於天安之河原神集集而
高御產巢日神之子思金神令思
(意訳)
天照大御神はそれを見て恐れ、天石屋の戸(天岩戸)を開き立てこもってしまいました。
すると高天原は皆暗く葦原中国(日本のこと)はみんな暗くなり、常夜になってしまいました。
そして、たくさんの神の声がざわめき満ち、たくさんの妖気がそこらじゅうに発せられました。
そこで、八百万の神は天安河の河原に集まり、
その中で高御産巣日神の子である思会神に(対策を)考えていただきました。

上の方に書いたように、もしこれが日食であれば、こんだけ混乱しているので、
続いて書かれているように三種の神器を作って祀ったり占い(御神託)の準備などできない?
(原文)
集常世長鳴鳥令鳴
而取天安河之河上之天堅石取天金山之鐵
而求鍛人天津麻羅而
科伊斯許理度賣命​令
科玉祖命令作八尺勾璁之五百津之御須麻流之珠
而召天兒屋命布刀玉命
而內拔天香山之眞男鹿之肩拔而
(意訳)
思会神の指示に従って常世長鳴島を集めて鳴かせ、
天安河の川上の天堅石(天上にある硬い石)を採ってきて天金山(天上の金山)から鉄を採取して、
鍛冶をしていただくために天津麻羅の神(鉄人=鍛冶の神)を探してきて、
伊斯許理(いしきり)度賣命にお願いして​鏡= 八咫镜を作らせ、
玉祖命にお願いして八尺瓊勾玉これは五百津之御須麻流之珠を作らせました。​
また、天児屋命布刀(ふと)玉命を呼んで、
​天香山の真男鹿(牡鹿)の肩甲骨(昔は骨を焼いて占いをした)と
天香山の波波迎(ウワミズザクラ)で占いの準備を始めました。

ここで分かるように、天照大御神をおびき出すと言いながら、実は3種の神器を作っている。
日食だと言い張る学者先生はこれを何と考えるのだろう?
神話では天照大御神の姿を写す為としているが、八尺瓊勾玉は何に使ったのか?
これは素戔嗚命のオロチ退治前なのであめのむらくもの剣はまだない。
つまり、この記述は「三種の神器の由来」を書いているのだと思う。

そこで気がつくのは「三種の神器」とは何か?また何の時に使うのか?
それは天皇の象徴であり、皇位継承の際に使われるものである。(剣はまだない)
もしかすると、天岩戸の神話は皇位継承の由来を書いているのでは?
そして 八咫镜 が「神降ろし」に使われるのであれば、
「三種の神器」の中の鏡は皇位継承の儀式の始まりに於いて、
神が立ち会う為に、神降ろしをする為に使われるのでは?
そしてそれが今でも「御神楽における人長舞」の中に残っているのでは?
そう思うのである。

え?天岩戸の神話は皇位継承の史実が「大人の事情」で神話になったものなの?
僕はそう思うのである。日食なんかではない。

天岩戸は亡くなった卑弥呼を祀る墓の石室のフタのことなんだと思う。
そしてアメノウズメの舞や神々の宴会はその殯(もがり)の様子であり、
天照大御神が天岩戸から出てくるのは、
卑弥呼そっくりだった(魏志倭人伝には卑弥呼の宗女=親戚の娘と書いている)壱与であり、
人々は卑弥呼の若い頃にそっくりな壱与が石室の中から出てくるのを見て、
天照大御神が再び現れたと思ったのである。
つまり天岩戸伝説は卑弥呼が亡くなって、そのあとを壱与がスムーズに引き継いだ儀式の記録が、
天岩戸神話として後世に伝わったものだと思うのである。
そうしないと(国中が王位を求めた男達であふれて乱れるから)思会神は仕組んだのである。
で、それが「大人の事情」で神話になったんだと思う。

非常に現実的で、夢を壊して申し訳ないが、こう考えると全てのつじつまが合い、
天照大御神は卑弥呼と同一人物ではないかもしれないが、
(僕は邪馬台国=宮崎県小林市説なので同一人物だと思っているけれども)
古事記や日本書紀は正しく日本の歴史を記しており、
それは中国の史書である魏志倭人伝につながっているのだと思う。
魏志倭人伝も古事記も日本書紀もちゃんと史実を書いているのだと思う。
ただ「大人の事情」でちょっと脚色しているだけだと思う。

<後日追記>
ここまで書くと、じゃぁ三角縁神獣鏡は何なんだ?と言う疑問がわくに違いないので、
根拠は薄いが、僕の推理を書く。
上に書いたように鏡の使い方が日の神(太陽神)を鏡の中に降ろすこと、
つまり卑弥呼や天照大御神が御神託を得る為に神を降ろしたり、
また王位継承の際に神に立ち会って頂く為に、神を降ろすものだとしたら、
三角縁神獣鏡はあまりにも小さい。
神を降ろして民衆にアピールするには、
やはり八咫鏡のように八咫(約46cm)くらいの大きさが必要である。

では三角縁神獣鏡は何か?
神降ろしには使うのだけれども、民衆に見せる目的ではないのだと思う。
ではどんな目的か?
これは学者先生方の言う通り、降ろした神の神聖な力による破邪が目的だと思う。
つまり卑弥呼の鏡の応用で、鏡に神を降ろして、邪悪なものを退けるのである。
その良い例が、三角縁神獣鏡を有名にした黒塚古墳である。
発掘調査された黒塚古墳の石室はこんな感じ。


中央に棺が置かれていたようだが、三角縁神獣鏡はばらまかれていた。
そして枕元には一枚の画文帯神獣鏡が置かれていた。
つまり被葬者にとって大事だったのは「画文帯神獣鏡」であり、
三角縁神獣鏡は被葬者を邪悪なものから守る為の鏡だったのである。
恐らくこの三角縁神獣鏡には巫女が神降ろしを行って日の神を宿し、
その霊力によって被葬者が守られると信じられていたのだろうと推測される。
(もちろん霊力と言うのは現代人にとっては迷信だけれども、
 他に手段がなく、まだ神秘的な力を信じていた古代人にとっては強力な力だった。)
鏡の使われ方を考えれば、誰にでも分かる事だろうと思う。
三角縁神獣鏡が卑弥呼の鏡ならば、魏の皇帝から贈られた鏡がここだけで1/3も使われ、
魏の皇帝の言うような効果が無く、意味の無いものになってしまうだろう。

つまり結論として卑弥呼の鏡は、
御神託の際の神降ろしの為の鏡であり、
また王位継承の際に立ち会って頂く神を降ろす為の鏡であり、
元は卑弥呼の後ろに魏の皇帝がいると示すのが目的だったのが、
この王位継承をスムーズに行えると言うメリットが他国の王族にも支持されて、
そして(天岩戸でそれが実証されたので)邪馬台国連合の連携のシンボルとして広まった。
これが卑弥呼の鏡の真相だと思う。

なおこの王位継承をスムーズに行えると言うメリットが他国の王族にも支持されて、
連携のシンボルとして広まったと言うのは前方後円墳も同じである。
単に死者を祀るのが目的ならば、円墳でも方墳でも形状にこだわりは無いと思う。
各国の王族にもメリットがあるので、ヤマト王権のシンボルとして広まったのだと思う。
円墳部分に死者を祀り、
本来死者を祀る儀式を行っていた造出が「王位継承のイベントの場」に変化して大きくなり、
方墳部として巨大化したのが前方後円墳だと思う。
ただ、律令制が進み、地方支配の人事権が朝廷に移って行った為に、
「王位継承のイベントの場」の役割が朝廷にとっては邪魔になったので、
前方後円墳の方墳部は小さく制限されて、最後は無くなったのだと思う。
邪馬台国はどこにあったか(その28)前方後円墳とは






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  August 5, 2024 09:25:28 PM
コメント(0) | コメントを書く


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: