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December 19, 2025
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狗奴国が熊本であることの確認旅行の最後は宇土(と言うか松橋)の向野田古墳。

日本ではと言うか世界でも「女王の墓」は珍しい。
ツタンカーメンの墓の奥にネフェルティティの墓が有ると言う噂があるけれど、早く見たい。

大事な古墳なんだけれども、九州の田舎の古墳なので扱いがひどい。
出土品などは近くの宇土市立図書館の1Fに置かれている。
お調子者の研究者だったら、女王の墓だから卑弥呼の墓かもしれないと言うお墓である。
何の証拠もない「箸墓=卑弥呼の墓」よりも女性の骨が出土しただけでも信憑性が有る。
ただ時代考証が行われて、卑弥呼の時代じゃないと既に分かっているのが残念なんだけれど。

この辺に縄文時代から続く人達がいた証拠である。


まぁ、これだけでも地方の図書館の展示としては頑張っていると思う。
向野田古墳の展示は奥にあり、前には荷物が置かれていた。扱いがひどい。
まぁ仕方ないと思いながら見る。

古墳の形状や石棺の状況等は後の古墳そばの説明板の方が綺麗なので、ここでは省略し、
出土品を見る。


九州の古墳からはよく「ごほうら貝」など南海産(奄美大島以南)の貝を使った腕輪が出土する。
貝なんてどこにでもいるじゃんと思うかもしれないが、「遠くから運んで来た」のが大事。
世の中の価値は希少であることが重要で、
現代でも国産の化粧品と比べて品質がたいして良くないフランス製の香水がもてはやされるのは、
女性の価値観とはそう言うものである。




この出土品が出ている時点で卑弥呼の墓では無いと分かるのだが、
女性の墓なのに武具が出土しているのが興味深い。
ちなみに旦那さんが居たのかどうかは不明で、他に男性の骨は出土していない。
そう言えば古事記や日本書紀を読むと、天照大御神は武装して素戔嗚尊を迎え撃っている。
だから古代の女性は武装して戦っていたのかもしれない。


船の線刻がある石もあった。


展示は実はこの程度でしかない。田舎なので仕方ない。
さっそく現地に向かう。
現地まで約3.3kmなんだけれども、熊本の田舎なので足が無い。
バスを探したけれど、日中はほとんど無い。(朝夕は少しは有る)
仕方ないのでタクシーで行ったが、それが正解だった。
自分で行っていたら多分分からなかったと思う。
山の中の小径で、しかも登り口が複雑で、目印がこんなに小さい。


こんなの地元の人しか分からないよ。
ここから道なき道を登る。距離はたいしたことは無い。でも滑る。
古墳は頂上にある。


元、石棺の有った場所は掘り返されて、もう窪みでしかない。
もっとやり方が有ったんじゃないだろうかと思うけれど、田舎だから仕方ない。
説明板を見ると発見時の様子や、女王の骨の出土状況が分かる。


おぉー確かに見事な前方後円墳だ。
けっこう初期の頃の前方後円墳の形状だな。箸墓古墳なんかにも似ている。
4世紀末の古墳なので卑弥呼の時代ではないけれど、
2~3代くらい後の女王だと言われたら信じてしまう。
(卑弥呼の亡くなった3世紀半ばに次世代の台与は13歳だった。
 彼女が長生きしたのなら37歳の時に4世紀になる。
 僕は台与は「豊の国」の元になった人だと思っているので、
 さすがに台与本人ではなく、その後の世代だと思うから。)
この頃に既に埴輪も有ったんだ。
日本書紀によれば、
古墳で殉葬(偉い人が死んだ時に一緒に従う人も生き埋めにした)を止めて
代わりに埴輪を置くようになったのは垂仁天皇の時代。
つまりちょうどこの頃なので、本当に卑弥呼の2~3代くらい後の女王かも?

一通り古墳を調べた後、次の宇賀岳古墳へ向かう。
宇賀岳古墳は近くの岡岳公園の中に有る。
登るのが大変。僕は一般の道を登ったけれど、階段状になった「若者の道」もある。
近道だけれどもきつい。若い人ならばチャレンジしても良いかも?


古墳はこんな感じ。立派な円墳。


近畿の古墳は平地に有るけれど、九州や横浜の古墳はだいたい山の上に在る。
ここにも装飾が施されていたんだ。
無紫外線自然色蛍光灯を埋め込んでいると言うことは、見学する機会が有ると言うこと。
見たかったけれども、地元に住んでなければ無理だな。

次は大塚古墳。


大塚古墳は比較的松橋の市街地に近い。


それでも70mも有るんだ。
最後は塚原平古墳。


松橋駅の近く。
おぉーっと思ったのは、説明板に「この古墳には約20体もの人骨が治められていた」と書かれ、
耳環、勾玉や管玉が出土していること。
つまり20体は家族や子孫だった可能性が高いんだな。
現代で言う「○○家の墓」的な感じだったんだ。

古墳も当初は亡くなった主の権威や威厳が大事だったんだろうけれど、
次第に現代のお墓と同様に、御先祖様を大事に祀る場所に変わって行ったんだなと思った。

そんな感じで狗奴国が熊本であることの確認旅行は終わったのだけれども、
熊本空港で飛行機を待っている間に、熊本空港を見学していたら色々と面白かった。
空港屋上のデッキ。


ちょうど飛行機が真ん中に!
最近は外国の方や若い人が多いから、空港も気を使っているんだなぁ。
そしてすごい展示が。


高津明美さんは僕は知らないんだけれども、陶板の立派な絵。
地元の人なのかなぁ。
地元の人と言えば、マンガのワンピースの作者の尾田栄一郎は熊本出身で地元を大事にしている。


熊本地震で大きなダメージを受けた地元を応援する為に全面的に協力している。


熊本にお客さんを呼び込む為に、熊本のあちこちにワンピースの仲間の像を作っているらしい。
聖地巡礼のファン達が各地を巡っているのかな?

こうして狗奴国が熊本である確認旅行は終わったけれども、
本当に間違いないと思う。
その理由は、
1.近畿の高松塚古墳の6世紀末頃の壁画に書かれた人達が使っている、
  翳 (さしば)や蓋(きぬがさ)と言った道具が、ここでは5世紀には使われている。
  つまり中国からの文化の伝来が近畿よりも100年近く早い。
2.近畿や福岡等に比べて古墳の量と質が圧倒的に多くて高い。
  確かに天皇陵が近畿には有るせいで、個々の古墳は近畿の古墳が大きいが、
  それも空白の150年(魏志倭人伝後150年間日本の記録が無い)が熊本から近畿への移動期間
  だと考えれば近畿の天皇陵に祀られた天皇達は熊本出身の人達の子孫かもしれず、
  そう考えれば規模が大きいのは熊本と言う地方から全国区になったせいで、
  当たり前の話かもしれない。
3.上記の天皇家の祖先が熊本から近畿に行ったと言うのは、神功皇后と応神天皇の話だけれども
  継体天皇陵や推古天皇の元陵の石棺に熊本の馬門石が使われているのを考えれば、
  神話ではなく本当に有った話で、御先祖様が信じた神様への信仰を持って行っただけ
  なのかもしれない。
そう考えると、熊本は卑弥呼を滅ぼした狗奴国のその後の姿なのかもしれないなと思うのである。

さらなる研究を続けようと思った。





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最終更新日  December 25, 2025 11:40:36 PM
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